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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.10 国境を越えて 前編

 シノブ達は炎竜イジェが運ぶ磐船に乗って、マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエを飛び立った。訪問先のカンビーニ王国との国境は、南に100km程度だ。そのため、この先は自国の都市には寄らず、一気に国境を目指す。

 流石に他国にいきなり侵入するわけにはいかないので、国境では一旦地上に降りる。そこで先方の出迎えの者と合流するついでに、形式的ではあるが入国に伴う手続きなどが行われるのだ。


 そんなこともあり、磐船に乗っている者の多くは多忙であった。

 シノブの家臣達は、異国に入るにあたっての最終確認をしている。今後の予定を今一度確かめたり、カンビーニ王国について学んだ知識を復習したり、あるいは自身の礼法を確認したりなど、各々(おのおの)が慌ただしく時を過ごしていた。

 イヴァールは他と違い、磐船の点検をしている。磐船は炎竜に運ばれているだけだが、彼は自分達の作品が完璧であってほしいらしく、時々こうやって見回りをしている。

 しかもエルフのメリーナまで、共に船内を回っていた。船体に鉄板を貼っている磐船は、外から見れば鉄の塊のように見えるが内部は木造船である。そのため木を扱うことの多いエルフとしては、ドワーフの木工技術に興味があるのかもしれない。

 またカンビーニ王国の大使の娘アリーチェは、自国への入国が間近に迫ったため、別室に移って自身の従者と共に何やら準備をしている。実は出迎えの者と会う際に、儀式めいたことがあるのだ。そしてガルゴン王国の大使の息子ナタリオは、アリーチェの手助けをしに行ったようである。


 ところでメリエンヌ王国とカンビーニ王国の国境は山地ではあるが、それほど険しくはない。

 ヴォーリ連合国やガルゴン王国との国境や、旧帝国のメグレンブルク軍管区との境のように、他の多くは急峻な山脈である。これらの境は通行が可能な場所も限られており、峠に入る手前などに砦を築いて防衛と通関の場としている。

 しかしカンビーニ王国との境は通行を一箇所で(さえぎ)ることは難しいし、海上の航路もある。そのため国境にはそれぞれが築いた簡易な城壁はあるものの、大規模な砦は存在しないという。


「……カンビーニ王国との関係も良好ですし、防衛拠点というよりは関所という意味が強いですね」


 磐船の上部に設けられた一際立派な船室でシノブ達に説明しているのは、マリアン伯爵の嫡男ブリュノである。彼と妻のグレースは、カンビーニ王国への使節団に加わったのだ。

 何しろマリアン伯爵領はカンビーニ王国と接しているから、伯爵家の者も先方の事情に詳しいし交流もある。ブリュノ達も、過去に何度もカンビーニ王国を訪問しているし、向こうの貴族達がジュラヴィリエを訪れることも多い。そのため、二人はシノブ達の補佐をすべく合流したというわけだ。


「長いこと戦もありませんし、兵士達も軍務より通関業務が得意になっているくらいでして」


 ブリュノは、己の役目を果たすべく、シノブ達に国境の実情を語っていく。そんな彼の話に、シノブだけではなく、同室している者達は聞き入っていた。

 今、室内にいるのは、シノブの他にアミィ、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌだ。なお、先ほどまでシノブ達の従者や侍女も室内にいたが、給仕を終えた彼らは一旦部屋から下がっている。


「交易が盛んで羨ましいですよ。色々教わりたいですね」


 シノブは、新米ながら領主である。それに、フライユ伯爵領は、メグレンブルク軍管区との行き来が可能となった。そのため、旧帝国との交易路として発展する可能性が高い。そこで、彼は他国や他領との交易の実情を知ろうとブリュノへと水を向ける。


「これが我がマリアン伯爵家の得意分野ですから。とはいえ、失敗したことも沢山ありますよ。

……父は、妹をグラシアンに嫁がせたことを後悔していたのですよ。自領の発展のために、他家と縁を結ぶのは領主の家に生まれた者の定めとはいえ、嫁がせる先を誤ったのではないか、とね」


 それまで冗談を交えつつ闊達(かったつ)に話していたブリュノだが、一転して沈痛ともいえる表情となっていた。彼だけではなく、隣のグレースも緑色の瞳を僅かに曇らせている。

 マリアン伯爵の娘オルタンス、つまりブリュノの妹は、前フライユ伯爵クレメンの継嗣グラシアンへと嫁いだ。そして、クレメンとグラシアンの反逆が失敗したときに、彼女も命を落としていた。オルタンスはクレメンの夫人と共に服毒による自決をしたようだが、クレメンが手を回したようでもある。


「それは……」


 シノブは、オルタンスとは一度しか会ったことがない。ガルック平原での戦いに向かう途中、都市グラージュで休憩したときである。

 しかし、まだ二十歳(はたち)を僅かに過ぎたばかりの彼女が戦の巻き添えになったことは、戦場での出来事とは違う何かをシノブの心に残していた。それ(ゆえ)彼は、思わず言葉を失ってしまったのだ。


 そして、ブリュノの言葉に顔を暗くしたのはシノブだけではない。

 戦にも赴き、オルタンスとグラージュで何度か会食もしたシャルロットは、青い瞳を悲しげに曇らせている。自分は王太子の命を救いシノブと共に英雄となり、オルタンスは反逆者である夫を追うように命を落とした。彼女は、そんな過去に思いを馳せたのかもしれない。

 セレスティーヌやミュリエルも暗澹とした表情となっていた。セレスティーヌは王都メリエで数度会っただけで、ミュリエルに至っては面識も無いが、同じ女性として当然思うことはあるだろう。

 アミィは、シノブの気持ちを考えてか殆ど表情を動かさなかったが、頭上の狐耳を僅かに伏せている。彼女も内心ではオルタンスの最期に同情しているようだ。


「失礼しました……ともかく、そんなこともありデュジャニエ商会の件は父も私も何とかしたかったのですよ。家の都合で娘が不幸になるなど、二度と見たくありませんから」


 ブリュノは、戦に関係した者や王女しかいない今が、この件に触れる良い機会だと思ったのだろうか。

 確かに、ジュラヴィリエに滞在している間は元々予定されていた行事に加え、デュジャニエ商会の一件で慌ただしかった。それに、家臣や異国の者がいる場で口にする話題でもない。


 しかし、敢えて妹のことに絡めて話すなど、ブリュノの感情も複雑なのだろう。

 もちろん、オルタンスに関してシノブやシャルロットを責めるなど、王国貴族として出来ることではない。だが、どうして助けてくれなかったのか、という思いもあって当然だ。そして、内心の(わだかま)りがあったせいか、彼らは今までクレメンの反逆に触れる事は無かったのだ。


「私は……いえ、私達は出来ることをしただけです」


 何と答えるべきか迷ったシノブだが、結局それだけを口にした。

 膨大な魔力を持ち、数々の魔道具や神具を与えられ、多くの仲間に囲まれるシノブであっても、出来ることなど限られている。しかし、自分達が手を差し伸べられることであれば、どうにかしたい。そんな内心の思いを、シノブは少ない言葉の中に篭めていた。


「シノブ殿……そうですね。出来ることをする、それしかありません」


 静かに言葉を紡ぐブリュノの表情は、穏やかなものであった。隣のグレースも、夫と同じような柔らかな眼差しでシノブを見つめている。

 望まぬ結婚を強いられそうになった商家の娘ルメーヌが、ブリュノ達にはオルタンスに重なって見えた。そして、ルメーヌが救われたことで何かが変わった。二人の柔和な顔は、シノブにそう物語っているようであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ブリュノ殿の、そんな顔は初めてみますわ。言っては悪いですが、普段はもっと自信に満ちたというか、お芝居でもしているような……」


 しんみりした雰囲気を変えようと思ったのだろう、セレスティーヌは殊更明るい声音(こわね)でブリュノの様子を評した。しかし彼女は、途中で何と表現すべきか迷ったのか、言葉を途切れさせ、視線を彷徨(さまよ)わせる。


「はっきり仰って構いませんよ。気障だ、と」


 ブリュノは灰色がかった青い瞳に笑みを湛えながら、肩を(すく)めてみせる。その様子は彼自身が言う通り気障ではあるが、伯爵家の嫡男らしい上品さもあり場を一瞬にして和ませた。

 その証拠にシャルロットやミュリエルの顔に笑みが戻り、アミィの表情も幾分柔らかなものとなっている。もちろんシノブも、周囲の女性達と同様に顔を綻ばせていた。


「夫は、商人達に親しみやすくと心掛けていたらこうなった、と言っているのですが、私は生まれつきではないかと思っているのです」


 夫とは違い、グレースは穏やかな印象の女性であった。

 グレースの栗色の髪に緑の瞳は、父であるボーモン伯爵に良く似ている。しかし彼女は外見とは違い、意外にも数字に強い実務家でもあるらしい。そして彼女は、義父や夫を支えるべく商業都市ジュラヴィリエの運営にも(たずさ)わっているという。


「おお、何ということだ! 妻に裏切られるとは!」


 自身の金髪に両手をやりながら、ブリュノは大袈裟に天を仰いでみせる。しかし妻の言葉を待っていたかのような絶妙なタイミングであり、その顔もどこか嬉しげであった。


「仲が良いですね」


「いや、シノブ殿とシャルロット殿には負けますよ。今、王国で一番仲睦まじい夫婦といえば、あなた達でしょう。それに殿下から聞きましたよ。シャルロット殿を一途に愛するあまり、陛下にすら逆らったとか」


 シノブが思わず漏らした言葉に、ブリュノは悪戯っぽい笑みと共に答えた。彼は、シノブが初めて国王アルフォンス七世と会ったときのことを言っているようだ。

 シノブはセレスティーヌを娶れという国王に対し、首を縦に振ることは無かった。もっともアルフォンス七世も、異国から来たというシノブがどんな男か知りたいがために、彼が了承することは無いと知りつつ試しただけらしい。

 その一幕は同席していた数名以外に知る者も少ないのだが、ブリュノは従兄弟でもある王太子テオドールから聞いていたようだ。


「シャルロット殿も、以前の勇ましい姿が嘘のようですね。成人式典のときは、お節介ながら先行きを案じたものですが。やはり、愛の力でしょうか?」


 続いてブリュノは、シノブの隣に座るシャルロットへと視線を向けた。シャルロットは三年前、王宮で開かれた成人式典に男装、つまり騎士鎧を着用して現れた。継嗣として育てられたことも大きいが、夫になろうと言い寄る男性を嫌ったためのようである。


「ブリュノ殿……」


 シノブは苦笑いを浮かべただけだが、シャルロットは真っ赤な顔になって(うつむ)いていた。

 彼女がシノブと結婚して既に二ヶ月以上が経っている。そして夫を持ち子を宿した彼女には、それに相応しい落ち着きが感じられる。しかし彼女は、ブリュノ殿の突然の攻撃には動揺したようだ。

 以前とは違いシメオンや父のベルレアン伯爵から冷やかされることが無くなったから、少々油断していたのかもしれない。


「貴方、少々言葉が過ぎますよ」


「おっと……どうやら君の言う通り生まれつきらしいから、少々大目にみてくれないかな?

……シノブ殿。妻が本気で怒る前に退くのも、家庭円満の秘訣ですよ」


 妻に(たしな)められたブリュノは片目を(つぶ)って謝ってみせる。そして彼は、シノブに向かって人生の先輩らしき教訓を口にした。彼は三十前であり、結婚して既に四年目だ。そのため、新婚早々のシノブよりは、様々な経験を積んでいることは間違いない。


──シノブ様。この方、ベランジェ様に似ていませんか?──


 アミィは、こっそり苦笑気味の思念をシノブに送ってくる。彼女は、気取った雰囲気で笑いを振りまくブリュノを見て、先代アシャール公爵ベランジェを連想したようだ。


──う~ん。義伯父上ほどの変わり者じゃないと思うけど──


 シノブも類似する点はあると感じたが、アミィの意見は少し大袈裟ではないかとも思った。ブリュノはベランジェほど奇矯な言動は見せないからである。どちらかといえば、シノブはベランジェの息子アルベリクに似ていると感じていた。陽気な好青年で話好きらしいあたりが、何となく共通しているような気がしたのだ。


「シノブよ。そろそろ着くみたいだぞ」


 シノブに声を掛けたのは、船内の点検を終え戻ってきたイヴァールであった。彼の後ろにはエルフのメリーナもいる。

 ドワーフとエルフ、地球の物語では何かと衝突する種族だが、この二人に関しては木工という共通の話題を見つけたせいか、今のところ諍いを起こす様子はない。もっとも、それ以外に関しては、あまり接点が無いようで、普段は別々にいることが多い。


「そうか!」


──シノブ様、国境の関所に降ります──


 シノブがイヴァールに返答したとき、外を飛ぶホリィから連絡があった。

 現在、ホリィは炎竜イジェを先導している。彼女は、海竜を探しに南方に赴いたときに、カンビーニ王国やガルゴン王国にも訪れた。そのためホリィが先導し、イジェとオルムルが続く形で飛行しているのだ。


「ブリュノ殿、甲板に出てみましょうか」


「ぜひとも! 天高くから国境の雄大な大地に降り立つ磐船、さぞかし素晴らしい光景でしょうね!」


 やはり、こういう事は男性の方が興味を示すらしい。シノブの誘いに間髪を容れず反応したのはブリュノであった。一方、妻のグレースは夫と共に席を立っていたが、彼ほど興味を示してはいないようだ。

 そしてシノブやシャルロットも立ち上がる。シノブとしても、初めて来る場所の風景を早く見てみたかったからである。そしてシノブがブリュノと、そしてシャルロットがグレースと肩を並べながら、甲板へと歩みだしていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 国境の城壁は、高さおよそ5mほどであった。それが、延々と東西に続いているのは、確かに雄大な光景である。しかも、メリエンヌ王国側に築かれた城壁から2kmほど南には、同じような城壁が平行して存在していた。こちらは、カンビーニ王国が築いたものである。

 磐船の中でブリュノに聞いた話だと、この二つの城壁はそれぞれカンビーニ半島の付け根を横断し、両国を完全に分断しているという。ちなみに、その長さは200km程だ。高さはガルック平原の城壁の半分くらいだが、その長さは比べ物にはならない。


 しかし、磐船が降り立った場所には、ガルック砦などのような巨大な城砦は存在しなかった。その代わりに、都市の城門程度の建造物、周囲より幾分高い石造りの門が存在した。実は、これが国境の関所である。

 ガルック砦は純粋な軍事施設であり、ベーリンゲン帝国の侵攻を防ぐ防衛拠点であった。それに対し、ここは早くに両国の国境が確定し、その後は戦も無くなった。そのため、巨大な防衛施設が築かれることは無かったらしい。

 もっとも、城壁と門だけが存在するわけではない。城壁の内側には、関所に詰めたり周辺を巡回したりする守護隊のための施設もあるし、旅人や交易商のための宿屋も存在する。なお、関所の周囲に自然発生的に出来たこの町は、地名を取ってティオールという名前で呼ばれていた。


 そんな国境の町ティオールだが、シノブ達が降りることはなかった。一応、形式として越境の手続きをするために着陸したが、船上からマリアン伯爵家の家臣バティスールが守護隊の兵とやり取りするだけで終わってしまったのだ。

 何しろ、自領の伯爵の嫡男ブリュノに、国の英雄でもあるシノブ、そして王女セレスティーヌまで乗船している。通常の商人や単なる軍人の通過とは異なり、貴族、特に伯爵以上ともなると、荷の検査など受けることは無いらしい。そのあたりは、シノブがベルレアン伯爵家の馬車で王領に入ったときも同じである。

 もっとも、こういう特権を悪用する者がいないとも限らない。現に、前フライユ伯爵の息子アドリアンは王領に違法な魔道具を運び込んでいたが、そういった特権を盾にして関所や城門を通ったようだ。

 したがって、シノブは単に検査を受けなくて喜ぶわけにはいかないと思っていた。しかし、現実として大領主であり領軍の最高司令官である伯爵やその一族を他と同様に扱うことも難しいだろう。そういう意味では、中々根の深い問題でもある。


「バティスール殿が同行してくれて助かります」


 再び飛び立った磐船の甲板でシノブが口にしたのは、越境とは別のことであった。

 バティスールは、当初使節団に加わる予定は無かった。しかし彼は、実家のデュジャニエ商会をシノブ達に救ってもらった恩を返そうと、ブリュノのお付きとして同行することになったのだ。


「お褒めに預かり光栄です。ご領地でも、こき使ってやって下さい」


 ブリュノは、おどけた物言いでシノブに答えた。

 バティスールは、今回の旅が終わればフライユ伯爵領に出向し、計画中の学校での内政官教育にも参加することになっている。もちろん、その経費はマリアン伯爵家が持つ。バティスールにすれば、こちらが本当の恩返しということのようだ。

 そして、マリアン伯爵家としても、将来有望な家臣を好きなだけ使って良いと貸すわけだから、随分思い切ったことをしたと言うべきであろう。出向は、特に期限を切っていない。そのため、シノブ達は好きなだけマリアン伯爵領の商業政策について学べるというわけだ。


「あらっ?」


 メリエンヌ王国側の城壁を飛び越えた磐船の甲板には、アリーチェとナタリオも姿を現していた。

 アリーチェはカンビーニ王国の大使の娘だが、一行の案内担当でもある。そのため彼女は自国の出迎え担当に挨拶をする必要があり、正装を着けている。

 カンビーニ王国の仕来り通りにアリーチェは幅広の飾り布が付いたオレンジの民族風衣装で、首には金糸の入った赤いストールを巻いている。細かい刺繍(ししゅう)が施されたストールには星を象った紋章も縫い付けられているが、これは同国だと王家の血を引いた者だけに許される装飾だ。

 しかし正装で着飾った大使の娘は、折角の晴れ姿にも関わらず眉を(ひそ)めた不審そうな表情であった。


「アリーチェ殿、どうかしたのですか?」


 こちらも正装のナタリオは、進行方向を見つめるアリーチェの浮かない表情に気が付いたようで、声をかける。

 ナタリオの服はガルゴン王国の赤い軍服にオレンジの長いストールを巻いたものだ。こちらも黄色の腰帯など、多くの飾り布が付いている。ガルゴン王国とカンビーニ王国は、同じ南方で獣人も多い国だ。そして両国は交流も密であり、文化的にもかなり共通しているのだ。


「……ヴィルソット侯爵家の方ではありませんわ。モッビーノ伯爵の嫡男です」


 現在、イジェは人が歩く程度の速度で、南に向かって飛行している。その脇にはホリィとオルムルが並んで飛び、その様子を幼竜のシュメイとファーヴが羨ましげに甲板から見上げている。

 そんな長閑(のどか)な飛行を、微かなどよめきと共に待つ人々がいた。それは、カンビーニ王国の軍人達だ。彼らは、北のメリエンヌ王国の城壁と南のカンビーニ王国の城壁の中間から、僅かに南寄りのところに整列していた。

 ちなみにカンビーニ王国軍までの距離は1km少々あるが、アリーチェは軍旗や盾の紋章から家名などを判断したらしい。


 それはともかくアリーチェは、そのモッビーノ伯爵の嫡男が、よほど苦手らしい。彼女の声には、出来れば会いたくないというような雰囲気が滲んでいる。これは、彼女にしては珍しいことである。

 まだ14歳のアリーチェだが、今や時の人というべきシノブの領地に派遣される人物だ。しかも領事館の代表としてシノブやシャルロット達とも親しく付き合っている。当然、意味もなく人に嫌悪感を示すようなことはない。


「アリーチェ殿、確か、ヴィルソットというのが国境に一番近い都市だったね。だから、そちらの方が出迎えを担当されるだろうと」


 彼らの様子が気になったシノブは、会話に加わった。炎竜イジェは、ゆっくりと進んでいるので、話をする余裕はあったのだ。


「はい、そう思っていたのですが……」


 アリーチェから事前に聞いていた話だと、ヴィルソット侯爵が治める都市は、国境から街道沿いで70kmくらいであり、メリエンヌ王国に一番近い都市だという。そして、モッビーノが二番目に近く、やはり街道沿いで100km程度らしい。なお、モッビーノが西の海岸沿いで王都カンビーノに行くならこちらの方が近い。

 しかし、シノブ達は空を飛んでいくため、多少の距離は関係ない。そして、ヴィルソットの主は侯爵でモッビーノは伯爵だ。したがってアリーチェは、家格の高いヴィルソット侯爵家から出迎えが来ると思っていたらしい。

 使節団の正使であるシノブは伯爵だから、カンビーニ王国側も伯爵で良さそうなものだが、両国の爵位には、実は大きな差があった。


 メリエンヌ王国は人口300万人の大国だが、カンビーニ王国は人口、国土面積共に四分の一程度だ。ちなみに人口はメリエンヌ王国の王領だけと等しい。そしてシノブの領地であるフライユ伯爵領は人口26万人だから、それだけでもカンビーニ王国全体の三分の一を僅かに超える。

 しかも、カンビーニ王国の侯爵や伯爵は、都市やその周辺を任されるだけであった。そのため、メリエンヌ王国なら伯爵領で都市の代官を務める子爵と同格ということも出来る。

 なお、このあたりはガルゴン王国もあまり変わらない。こちらは人口100万人程度ではあるが、国家の体制などはカンビーニ王国とかなり似通っている。


「シノブ様の出迎えに失礼だと?」


 ナタリオも、シノブ達と同様にそれらの事情を知っている。そのため、彼はアリーチェが自国の出迎えがシノブ達の機嫌を損ねないかと思ったようだ。


「アリーチェ殿、私はそんなことは気にしないよ」


「ええ。それに、モッビーノ伯爵の御領地の方が王都に近いのですから、そちらの方が案内して下さるのも当然では?」


 シノブに続き、シャルロットも優しげな笑みと共にアリーチェに語りかける。しかも、シャルロットだけではなく、セレスティーヌやブリュノ達も頷いている。メリエンヌ王国の貴族達は、総じて格式に拘り過ぎることはなく、合理的な対処を好むようだ。


「いえ……そちらは皆様の広いお心でお許しいただけると思っておりますが……実は、モッビーノ伯爵の嫡男エヴァンドロは、私の婚約者だと自称しておりまして……」


 アリーチェは、よほど言いたくないのか、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。彼女の顔も赤く染まっており、内心かなりの羞恥を覚えているようだ。


「婚約者ですって!?」


 ナタリオは、アリーチェの言葉に動転したらしく、素っ頓狂な叫びを上げた。やはり、彼はアリーチェのことが気になるらしい。


「いえ! ナタリオさん、向こうが自称しているだけです! 父も私も、そんなこと認めていません!」


 驚愕の表情で見つめるナタリオに、アリーチェは慌てたように手を振りつつ口早に事情を説明した。

 アリーチェの家は、三代前の国王の血を引く名家だが、家格はさほど高くなく子爵であった。したがって、本来であれば伯爵家の嫡男に娘を嫁がせるのは、嬉しいはずである。

 しかし彼女の様子を見るに、エヴァンドロという男は、どこか問題があるのではなかろうか。彼女だけが嫌いというならともかく、父のガウディーノは大使を務める思慮深い人物である。その彼が認めないのだから、何らかの理由があるのだろう。


「今回は公務だから、そういう浮ついた話はしないのでは? 何なら私達の側から離れないようにすれば良い。いくら何でも、接待する相手を差し置いて求婚はしないだろう」


「あ、ありがとうございます!」


 シノブの言葉を聞いて、アリーチェは顔を輝かせた。それに、ナタリオも安心したらしく明るい表情となっている。


「アリーチェさんは、私達のお話し相手ということにすれば良いですわ! 私達の側にいれば、殿方もそうそう側に寄れないでしょう!」


「それが良いです!」


 セレスティーヌの提案に、ミュリエルも笑顔で同意した。確かに、一国の王女を押しのけて求婚する常識知らずもいないだろう。


 シノブも、親しくしているアリーチェやナタリオの悲しむ姿は見たくなかった。他国の婚姻に口を出すのは難しいだろうが、彼女の父であるガウディーノが反対しているのなら、相手も横車は押せない筈だ。それに、ガウディーノはメリエンヌ王国の王都にいる。したがって、家長の許しもなく婚約は出来ないだろう。

 どうも、思わぬ事態が発生したようだ。しかし、シノブは自身の友人である二人に出来るだけの支援をしようと決意していた。

 それはシャルロットも同じらしい。シノブに寄り添った彼女は、夫を励ますようにその手を握り締めた。そしてシノブも愛妻の温かな手を握り返しながら、アリーチェを安心させようと彼女に優しく笑いかけた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月31日17時の更新となります。


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