表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
264/745

13.09 ジュラヴィリエの商人 後編

 マリアン伯爵領の都市ルベルゾンは、メリエンヌ王国で最南端の都市の一つだ。人口二万三千人のルベルゾンは、領内では領都ジュラヴィリエに続く大都市で、多くの種族や異国の者も集まる港町でもある。


 その繁栄を示すかのように、港には荷揚げをする労働者や陸に上がった船乗りが溢れている。彼らの出身は雑多で、シュドメル海の西のガルゴン王国や東のカンビーニ王国の者も、かなり見かける。しかも、この南方の二国には獣人が多い。そのため、メリエンヌ王国には少ない猫や虎、獅子の獣人も珍しくない。


 そしてアミィ達は、馬車に乗ってルベルゾンの街を港の方に向かって進んでいた。彼らは、ホリィに魔法の家を呼び寄せてもらい、ルベルゾンの郊外に転移した。そして、一緒に運んで来た馬に、魔法のカバンに仕舞って運んだ馬車を()かせて異国情緒漂う街に入ったのだ。

 今は、マリアン伯爵の家臣バティスールの案内で、デュジャニエ商会のルベルゾン支店に向かっている最中だ。彼は、商会主フロテールの次男であり、支店の場所も当然知っている。


「これらは、カンビーニ王国やガルゴン王国の様式なのです」


 猫の獣人ソニア・イナーリオは、カンビーニ王国の出身である。そのため彼女は、隣に座っているアミィに、懐かしそうな顔で通りの建物について説明していた。

 ルベルゾンは、北方や内陸部とは異なり、王国で一般的な『メリエンヌ古典様式』とは違った建物が多い。アーチを使うところは同じだが、細かな幾何学文様のような透かし彫りで飾られ、屋根も鮮やかな赤や青のドームが目立つ。


「どちらの国も同じような建物なんですか?」


──そういえば、こんな感じでしたね──


 アミィは周囲の建物に暫く目をやった後、疑問を口にした。

 なお、アミィの腕には、足環の魔道具で茶色の鷹となったホリィが止まっている。彼女は、海竜を探すときに南方を回ったから、両国の建物も多少は目にしたようだ。


「カンビーニ王国は、メリエンヌ王国に近いというか、少し混ざっていますね! 派手な方がガルゴン王国のものです!」


 ソニアと反対に腰掛けているモカリーナ・マネッリが、快活な口調でアミィに語りかける。

 モカリーナはソニアとも遠縁で、やはり猫の獣人である。二十歳(はたち)のソニアより若干年上のモカリーナだが、商人らしく歯切れの良い話し方のせいか、あまり年齢差は感じられない。


「……アミィ殿、ルベルゾン支店です」


 バティスールの告げた通り、女性達が街を眺めている間に、馬車は支店へと到着していた。

 支店は港に比較的近い一角にあり、しかも大通りに面している。そして、堅実な老舗らしく自国の『メリエンヌ古典様式』に則った三階建ての建物だ。馬車が中庭に乗り入れる構造なども、メリエンヌ王国の他の地域と変わらない。


「それでは、話を聞きに行きましょう」


 アミィは、馬車が止まると早速座席から立ち上がった。まだ夕方には早いが、彼女は少しでも早く調査を開始しようと思ったのだろう。それを察したらしく、ソニアとモカリーナも素早く席を立つ。

 そして馬車を降りた彼らは、足早に支店の中へと入っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 デュジャニエ商会の跡取りオルネストは、商船隊を率いてガルゴン王国の都市バルカンテと往復した。彼は、従来の商会の仕来りを枉げて往復予定日数を十日(とおか)も短縮してまで、買い付けを依頼する商人や船団を組むための融資を募った。これは、短期の往復が、利用者や融資をする者にとって魅力的だからだ。

 しかしオルネストの商船隊は予定通りに戻らず、その上、多額の損害が発生した。そして、そうなることを見越したかのように、エルラバス商会の主ボレナールが、融資の証文を買い集めていた。


「兄さん、どうして賠償発生の日数を縮めたのですか?」


 バティスールは、母や妹に似た金髪に青い瞳の、人当たりの良い風貌をした青年だ。しかし今の彼は、商業担当の内政官に似合わない(いきどお)りを顔に浮かべつつ、兄のオルネストを見つめている。

 だが、それも無理はない。オルネストは、商会主の父にすら内緒にしてリスクの高い条件を設定し、利用者や融資する者を募っていたからだ。


「俺が馬鹿だったんだ……」


 オルネストは、父に似た栗色の髪に緑の瞳の男性であった。バティスールより六歳年上で、そろそろ三十歳になるという。しかし、過酷な航海から戻ったばかりの彼は憔悴し、髪や髭も伸び放題で、実年齢より十歳は上に見えた。


 彼によれば、行きの航海は順調であったらしい。この時期のシュドメル海は、基本的に西からの風である。そのため、帆船で西側のガルゴン王国に向かうには時間が掛かる。しかし、今回はまずまずの日数、九日(ここのか)でバルカンテに到着した。

 なお、順風であれば半分の日数で航海できる。実際に、この時期のバルカンテからの戻りは、標準では五日(いつか)程度とされていた。

 そして今回、彼は父のフロテールや本店の者に黙って、賠償発生の条件を二十日(はつか)を超えた場合としていた。しかし、その条件でもバルカンテの港に一日か二日滞在し、そこから標準的な日数で帰還できれば、問題はなかった。

 だが、バルカンテに着いた直後に海が荒れた。そのため、彼らは五日(いつか)も港で過ごすことになったという。


「そんなに酷い嵐が来たのですか?」


「俺は船を出せると思ったんだが、航海長が反対してな……腕の良い男だから、船員達も同調したんだ」


 バティスールの問いに、オルネストは苦々しげな様子で答えた。

 今回雇い入れた航海長は慎重な男だったらしく、中々首を縦に振らなかった。一方、内心急ぎたいオルネストだが、条件を変更したことは、なるべく乗組員に言いたくなかったそうだ。何しろ半分くらいは専属の船員だから、勝手に短くしたとは言い難かったのだ。

 とはいえ、バルカンテ行きが十日(とおか)で帰りが五日(いつか)というのも、あくまで指標であり、その半分程度で済むこともある。したがって、その時点ではまだ充分間に合うと思っていたという。


「……結局、十五日目にバルカンテを出航したんだが、途中で舵が壊れたんだ」


 商船隊は、まだ風が強いシュドメル海へと出た。帆船だから、多少風が強いくらいの方がありがたい。しかし、二日ほど航海したところで大荒れとなった。そして、悪いことは重なると言うべきか、オルネストが乗っている旗艦の舵が壊れたのだ。

 舵が壊れては、碇を降ろしてその場に留まるか、そのまま流されていくしかない。しかし嵐というべき強風の中、当ても無く流されては(たま)らない。だが、どんどん風が強くなる海域にそのまま留まることも出来ない。といって、大荒れの海では舵の修理など不可能だ。


「それで、兄さんはどうしたのですか?」


「高価な品だけ他に移して、旗艦を棄てていこうとしたんだが……」


 しかしオルネストの予想は甘かった。荷を移している間に荒れは酷くなり、結局他の船にも損害を出してしまったのだ。

 大嵐ともなれば船を安定させるために積荷を放棄することが多い。そして今回は、半分近い荷を棄てて嵐を乗り切った。だが、嵐が過ぎ、残った船の応急処置を終えた商船隊がルベルゾンに戻ったときには、出航から二十日(はつか)を超えていた。


「どうして、そんな無理をしたのですか? しかも、お父さん達に黙って……」


 モカリーナは、オルネストが何故(なぜ)商会の仕来りを無視し、主である父や本店の者に伏せてまで我を通したのかと訊ねた。

 ちなみに、オルネストが日数を縮めたことは、支店でも副店長など僅かな者しか知らなかったという。そして将来の商会主であるオルネストは、支店では絶対的な存在であり、副店長達も口を挟めなかったようだ。


「……急にお金がいることでもあったのですか?」


 オルネストが返答しないので、ソニアが問いかける。

 一方モカリーナは、沈黙したままだが先刻よりも厳しい表情となっていた。どうやら、彼女はオルネストの様子を見て、何かに気が付いたようである。


「オルネストさん……今回の件は、貴方の軽率な行動が原因です。

しかし、貴方を(そそのか)した人がいるのでは? それと、航海長など主要な乗組員について教えてください。実は、エルラバス商会の主が……」


 厳しい口調でオルネストを断罪したアミィだが、証文を買い集めていたボレナールの陰謀かもしれないと、続けた。そして彼女は、ボレナールが借金の肩としてオルネストの妹ルメーヌを娶ろうとしていることを告げる。

 それを聞いて、ますます蒼白な顔となったオルネストは、震える声で幾人かの名を挙げていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……たぶんモカリーナさんの言う通り、バティスールさんへの嫉妬でしょう」


 ソニアは、日も落ち酒場に向かう船乗りで騒々しい通りを歩きながら、静かに呟いた。彼女は一人歩いているように見えるが、側には姿を消したアミィが潜んでいる。


「出世した弟に並ぶ功績が欲しかったと?」


 幻影魔術で身を隠したアミィは、ソニアに小声で訊ねた。

 バティスールは、マリアン伯爵の家臣として重用されている。その彼が跡を継げば、という声も当然あっただろう。そしてモカリーナは次女であり、姉や他の兄弟と比べられて育った。そのため、オルネストの心の動きを察したようだ。


「はい……だからバティスールさんの前では、言葉を濁したのだと思います。その辺は、ガシェールという商人を捕まえれば判ると思いますが」


 ソニアは、殆ど口を動かさずにアミィに答えた。彼女は、諜報活動のために習得した特殊な発声法を使っているのだ。


「向こうはモカリーナさんとホリィに任せましょう。こっちは航海長を」


 アミィが言うように、モカリーナとホリィは商人ガシェールの調査に回っていた。

 オルネストは、自身を(そそのか)した者として飲み友達のガシェールの名を挙げた。オルネストが彼と飲んでいるときに愚痴を(こぼ)したら、交易で大きく稼いだら文句を言う奴はいないと返されたという。ガシェールは、利益を上げるには石橋を叩くような商法をやめろと言ったそうだ。

 なお、アミィが口にしたように、二人は慎重な航海を主張した航海長ファビード・ヴァレッティの担当である。そして他の船員達は、一緒に来たアルバーノの部下達が分担して調べている。


「船乗りのヴァレッティは、ここかしら? 虎の獣人のファビードよ」


 とある酒場の前で、ソニアは客引きの男に(あで)やかな笑みと共に問いかけた。普段は品の良い侍女として働くソニアだが、海千山千の酒場女のような妖艶な表情と色気のある声音(こわね)である。


「ああ、いるよ。お前さんもファビードを狙っているのかい? あいつ、今日はやたら景気が良いからなぁ……」


 客引きの男は、少し派手な化粧と服のソニアを見て上客を捕まえたい夜の女と思ったようだ。愛想笑いを浮かべた彼は、酒場の扉を開けて中を指差した。

 客引きが示す酒場の中央には、何人もの女に囲まれている虎の獣人がいた。船乗りらしく潮に焼けた肌と、がっしりした体格の男だ。


「お前さんなら、ファビードからタンマリ稼げるかもな。どうだい、ウチの専属にならないか?」


 客引きは、店内の女達よりもソニアの方が上玉だと思ったらしい。真面目な顔となった彼は、ここで働かないかとソニアを誘う。


「そうね、考えておくわ」


 客引きの手を包み込むようにしながら、ソニアは多めのチップを手渡した。そして彼に嫣然(えんぜん)とした笑みを向けた後、店内へと入っていく。もちろん、姿を消したままのアミィも続いている。


「ファビードさん、私も一緒に飲んで良いかしら?」


「おっ、凄い美人じゃないか! お前、名前は?」


 けばけばしい化粧をした女を両手に抱えたファビードは、同じ猫科の獣人のソニアを見て相好を崩していた。そして、右側の女を押しのけると、ソニアにそこに座るよう手招きをする。


「シルヴィよ……それにしても、随分剛毅なことね。特別報奨金でも出たのかしら?」


 シルヴィと名乗ったソニアは、空いた席に座りながらファビードに科を作ってみせる。そして彼女は、早速ファビードに酒を勧めていく。

 ちなみに、ソニアが言う特別報奨金とは、通常の半分以下の日数で航海したときに出る臨時報酬である。上級の船乗り、例えば船長や航海長などの場合、時として長期間を遊び暮らせる報奨を得ることもあるのだ。


「……速いばかりが良いとも限らないぞ! 遅くなっても役目を果たせば、たっぷり稼げることもあるんだぜ!」


「あら、そんなこともあるのね。流石ファビードさん、凄いわ」


 注がれた酒を飲み干したファビードは、意味ありげな笑いを浮かべながら、ソニアを抱き寄せる。そしてソニアは、上機嫌の船乗りに体を寄せながら褒め称えた。

 一方、そんな二人の様子を、周囲の女達は憤慨気味の表情で眺めていた。彼女達は本日一番の金蔓を奪われたと思ったようだ。しかし女達は、ソニアのお(こぼ)れに預かろうと再び酌をし始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シルヴィ~、まだか~?」


 この酒場の上には宿屋がある。ファビードの常宿は別にあるのだが、飲みすぎて帰るのが面倒になったらしい。シルヴィことソニアを上の宿に連れ込んだ彼は、そのままここに泊まることにしたようだ。しかも、沢山の女に囲まれていた彼が、一人だけを指名するなど、よほどソニアは上手くやったのだろう。

 それはともかく、酒で真っ赤になったファビードは、ベッドの上で風呂場へと繋がる扉をにやけた顔で眺めていたが、徐に立ち上がった。どうやら、我慢が出来なくなったらしい。


「シルヴィ~、入るぞ~……うわっ!」


 何と、扉を開けたファビードが見たものは、輝く水を(まと)った絶世の美女であった。ファビードが入ってくると知っていたように入り口に向かって(たたず)んでいた女性は、真っ直ぐ彼を見つめ返している。


「貴方は、海の男に相応しくない行為をしました」


「デュ、デューネ様!」


 ファビードは、一瞬にして酒が抜けたように蒼白な顔となり、その場に平伏をした。そう、彼の前に立っていたのは猫の獣人ソニアではなかったのだ。

 怒りに満ちた視線でファビードを見つめる女性は、輝く長衣を(まと)った姿や顔立ちが、どことなくアムテリアと似ていた。しかし、その髪は通常ありえない薄青で、長衣の色もアムテリアとは違って青である。なお、これらは海の女神デューネの姿として伝わるものだ。

 そのため船乗りのファビードは、神像などで良く知る姿を見て驚愕したというわけだ。


「貴方は、商船隊を故意に遅らせましたね? それに、旗艦の舵を壊したのは貴方でしょう?」


「ど、どうしてそれを!」


 海の女神デューネと思しき存在の問いに、平伏したままのファビードは、驚愕した様子で叫んでいた。もっとも、彼は顔を伏せたままであり、その表情を窺うことは出来ない。


「本来なら、このまま海の藻屑とするところですが……しかし、嘘偽り無く白状したら、考えないでもありません」


 神々しい声と共に、謎の女性の周りに水球が発生する。そして一抱えもある水の塊は、一瞬だがファビードの顔を押し包んだ。


「……うぷっ! ぐっ、げほっ! わ、わかりました、デューネ様、お助けください! 私は……」


 僅かな間だが呼吸を阻害されたファビードは、素直に自身がしたことを話し出した。

 バルカンテで悪天候を理由に船を留めたこと、そして帰りの航海で旗艦の舵を破壊したことなど。それらをファビードは畏れを滲ませながら語っていく。

 自身の乗艦の舵を壊すとは随分と大胆だ。しかしファビードは法外な報酬に目が(くら)み、賭けともいえる行動に出たらしい。

 もっとも船団を組んでの行動で、旗艦には雇い主のオルネストもいる。そのため見捨てられることはないと、ファビードは判断していたという。


「宜しいでしょう。では、命だけは助けましょう。とはいえ、罰は必要ですね」


「うがっ!」


 ファビードは、突然奇妙な叫びと共に身を(よじ)った。

 平伏していたファビードだが、床から僅かに頭を上げていた。しかし彼は、いきなり頭上に何かが落下したかのように崩れ落ち、更に額を床にぶつける。


「これで証拠は(つか)めましたね……自白ですけど」


 気を失ったファビードの横に現れたのは、アミィであった。彼女の手には、鞘に入れたままの小剣が握られている。おそらく、それでファビードの頭を殴ったのだろう。

 そして薄青の髪と同色の長衣の女性は掻き消え、代わりにソニアが立っている。もちろん二人とも、酒場に入ったときと同じ服を身に着けたままだ。


「早速、バティスールさんのところに連れて行きましょう」


「ええ。ホリィ達も上手くやったようです。これでボレナールの悪行を証明できますね」


 笑顔で答えたアミィは、再び姿を消した。今度はファビードも一緒に消えている。来たとき同様に、ソニア以外は姿を消して移動するのだ。


 そして、ソニアは足早に歩み始める。なるべく早く真実を明らかにすべきだし、罪人とはいえ一人の男を拉致していくわけだから、長居は無用である。

 とはいえ、焦りは禁物だ。そう自戒したのか、廊下に出たソニアは不審に思われない程度に急ぎながら、酒場の外へと向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「急がんか!」


「ボレナール様、一体どうしたと言うんで?」


 マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエでは、まだ日も昇っていない時間から慌ただしく馬車の準備をしている者達がいた。それは、エルラバス商会の主ボレナールと、その手下である。しかも、手下は無頼の者のようで、老いた商会主とは全く違う荒々しい雰囲気を放ち、更に小剣などを帯びている。


「何だか嫌な……いや、お前達は知らなくて良い!」


 幽霊に扮したアルバーノの脅しが効きすぎたのか、ボレナールは不吉な予感に捉われてしまったようだ。そのため、暫くどこかに身を隠そうと思ったのかもしれない。

 アミィ達が都市ルベルゾンで調査を始めたのは、前日の夕方からだ。したがって、ボレナールが港町での出来事を知るには早すぎる。色々後ろ暗いことをしているボレナールだが、このあたりの鋭さは一廉(ひとかど)の商人と言うべきであろう。


「とりあえず、南に行こう。レヴィロワなら船でカンビーニに潜り込むことも出来る」


 馬車に乗ったボレナールが挙げたのは、南西のルベルゾンではなく、南東の港湾都市レヴィロワであった。どうも暫くそこに身を隠し、状況次第で海からカンビーニ王国に逃げる算段のようだ。

 一般に陸路の方が関所などで厳しく調べられる。それに比べ、馬車の何十倍もの荷を運ぶ商船には隠れるところも多いし、荷が多いだけに入港時の検査から逃れることも容易い。そのため彼は、レヴィロワ行きを選んだようだ。

 しかしボレナールの思惑通りにはいかなかった。大通りに出て間もなく、別の馬車が彼らの行く手を塞いだのだ。


「何者だ!? さっさと馬車をどかさんか!」


「こんな朝早くから、どこに行くのですか?」


 大きなカバンを抱えて馬車から降りたボレナールに答えたのは、狼の獣人の青年であった。実は、魔道具で扮装したシノブである。彼は、同じく狼の獣人に変じたジェレミー・ラシュレーと、逆に人族に姿を変えたアルノー・ラヴランを両脇に従えている。

 シノブは、ボレナールを見張っていたアルバーノから、彼が不審な動きをしているとの知らせを受けた。そこで、(みずか)ら取り押さえに来たのだ。


「どこに行こうと勝手だろう! ええい、面倒だ! お前達、こいつらを倒せ!」


 よほど慌てているのか、ボレナールはシノブ達が扮した姿だと気がつくことはなかった。もっとも、夜明け前で薄暗いから、仕方が無いことではある。

 相手を単なる若者達と侮ったのか、ボレナールは傲慢な口調で始末するよう手下に命じた。どうやら彼は、一刻も早くジュラヴィリエから出たいらしい。


「まったく……アル、レミ! 少々懲らしめてやってくれ!」


 シノブはアルノーとジェレミーに鋭い口調で命じた。もちろん懲らしめる相手は、剣を抜いて向かってくる十人ほどの無頼達である。


 ボレナールがどう出るかわからなかったので、シノブは一先(ひとま)ず姿を偽ったまま馬車を(さえぎ)ってみた。偽名を使ったままなのも、そういう経緯からである。

 しかし小細工など必要なかったかもしれない。短絡的なボレナール達を眺めつつ、シノブは(あき)れ気味の感慨を(いだ)く。


 それはともかく、無頼ごときが歴戦の武人であるアルノーとジェレミーに(かな)うはずは無かった。二人が抜いた剣の平で打ち倒され、ボレナールの手下達は気絶していく。


「……うわっ!」


 形勢不利と見て一人逃げ出そうとしたボレナールは、手に抱えていたカバンに鈍い音を立てて突き立った物に気がついて、悲鳴を上げていた。

 しっかりした造りのカバンに刺さったのは、短剣ぐらいの長さの金属針である。一種の武器らしいが、刺さった側と反対の端には赤い飾りが付いていた。


「手下を見捨てて逃げ出すとは、感心しませんな。そんなことだから、亡霊に付き(まと)われるのでは?」


 ボレナールの前に現れたのは、猫の獣人アルバーノ・イナーリオだ。もちろん、飾り付きの針を投げたのは、彼である。


「……ボレナール、この顔に見覚えは無いか?」


 シノブは、変装用の魔道具を外して元の姿に戻った。そして彼は、神々の御紋を(かざ)しつつ、ボレナールに歩み寄る。薄闇の中、彼の姿は御紋の玄妙な光に照らされて光り輝いていた。


「こちらにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも東方守護将軍にしてフライユ伯爵、シノブ・ド・アマノ様にあらせられるぞ!」


「閣下の御前である! 頭が高い、控えおろう!」


 シノブの姿に驚いたのか、それともアルノーとジェレミーの口上に畏れをなしたのか、ボレナールは、その場に崩れ落ちた。相手が姿を偽っていたとはいえ、伯爵に襲いかかったのだ。無事では済まないと悟ったのだろう。


「シノブ、これにて一件落着ですね。でも、ここまで大仰なやり方をする必要があったのですか?」


 シノブ達の馬車から降りてきたのは、笑顔ではあるが僅かに怪訝そうな雰囲気のシャルロットだ。

 彼らは既にアミィ達が調べた結果も聞いており、ボレナールの(たくら)みの概要を把握している。アミィ達は、まだルベルゾンで調査を続けているが、ボレナールの陰謀であることは明らかだ。そのためシノブ達は、彼がジュラヴィリエを離れる前に取り押さえることにしたのだ。


「ああ……こういうお話が、故郷にあってね……」


 疑問の眼差しで見つめる愛妻に、シノブは少々恥ずかしげな笑みと共に答えた。

 とはいえ、大半は成り行きである。アルノー達の口上も、シノブが指示したものではない。どうやら、アムテリアは己の故郷の文化を随所に散りばめているようだ。そのため、こういった大時代な台詞も伝わっているのだろう。

 そんなシノブの内心はともかく、シャルロットは夫の説明に得心したようで、顔を綻ばせた。そして二人は、家臣がボレナール達を商会の馬車に放り込んだのを確認すると、乗ってきた馬車へと戻っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ボレナールの悪事を暴いたシノブ達は、後をマリアン伯爵領の監察官達に任せることにした。そして彼らは、大通りをパレードして竜達を領民に紹介したり、都市内部や近郊の商業施設を見学したりと、マリアン伯爵の案内で南方随一の商業都市を巡っていた。


 その間に監察官達は、ボレナールやルベルゾンで捕らえた者達の取り調べを終えていた。

 オルネストを(そそのか)した商人ガシェールは、直接的な手出しをしていない分、自白も早かったらしい。それに船乗りのファビードも、アミィが証言を記録しているから素直に自身の悪行を語ったという。そのためボレナールも観念したようで、取り調べはその日のうちに終わっていた。


 その結果、ボレナールは極刑、ファビードは無期の強制労働、ガシェールは一年の強制労働となった。

 ファビードの行為は多くの船乗りの生命を脅かす卑劣なものだが、ボレナールの(たくら)みを暴くのに協力したため、刑を減ずることとなった。しかし、主犯であるボレナールは減刑されなかった。捜査の結果、今回の件以外にも様々な悪行が露呈したためである。

 一方、ガシェールはリスクの高い商いを(そそのか)したのみで、なおかつ航海の遅延には関与していなかったため、短期の刑で済まされることとなった。


「この御恩、決して忘れません」


 磐船に乗って旅立つシノブ達は、マリアン伯爵達に加えてデュジャニエ商会の者達の見送りを受けていた。彼らも特別に見送りに加わることを許されたのだ。

 今、商会主のフロテールと妻は深々と頭を下げ、その脇にいるオルネストの妻ナルティーヌも、神妙な顔で二人に倣っている。


「本当に、ありがとうございました……」


 こちらは娘のルメーヌだ。輝く青い瞳を涙で滲ませた彼女は、シノブ達に何度も感謝の意を伝えていた。


「私がバティスールに負けたくないと焦ったばかりに……これからは、心を入れ替えて父の下で働きます」


 オルネストは、恐縮しつつもどこか肩の荷が下りたような顔をしていた。弟への嫉妬や次代の主に相応しい実績をという焦りが、彼の目を曇らせていたのだろう。

 なお、オルネストはルベルゾンの支店長を解任され、当面は父の監督下に置かれることになった。今回の騒動は彼の暴走によるところが大きく、それも当然である。


「これに懲りたら、勝手な判断は慎むのだね。困るのは、君だけではないのだから。幸い、ボレナールが買い取った証文は無効となったから、建て直しも楽だろう」


 シノブは、敢えて慰めの言葉は掛けなかった。その方が、オルネストのためになると思ったのだ。

 そしてシノブが言うように、ボレナールの陰謀で発生した負債も無効となった。そのため、デュジャニエ商会の損害もかなり減っていた。


「証文は『魔竜伯』様にお譲りします」


 商会主のフロテールは、シノブに証文の束を差し出した。これらは、逃げ出そうとしたボレナールが持っていたものだ。こんな事件を起こして回収できるとは思えないが、それでも捨てていくには惜しかったようで、彼は金品と共にそれらも大切そうに抱えていたのだ。


「私に?」


「はい。これは、オルネストへの罰です。こいつには、真っ当な商売で返済をさせます」


 どうやら、フロテールは跡取りを鍛え直すために、敢えて負債を残したままとしたいようだ。もしかすると彼は、これを口実にしてシノブと縁を結びたいのかもしれない。


「そうか……これも何かの縁だろうね」


 証文を受け取ったシノブは、莞爾(かんじ)と微笑んだ。商業都市ジュラヴィリエの有力商人との伝手があって困ることはないと思ったのだ。


 シノブ達はマリアン伯爵との挨拶を済ませ、磐船に乗り込んでいく。

 炎竜イジェが飛び立つ大空は、憂いの晴れた者達に相応しく雲ひとつ無い好天だ。やはり嵐が去った後には、明るい笑顔が似合う。そんな温かな思いを(いだ)きながら、シノブは新たな地へと旅立っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月29日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ