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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.08 ジュラヴィリエの商人 中編

 マリアン伯爵領からガルゴン王国に行く場合、海路を使うことが多い。特に交易の場合は殆どが海路、つまりシュドメル海を使う航路である。

 シュドメル海は湾状であり、西がガルゴン王国、中央がメリエンヌ王国、東がカンビーニ王国である。そして、シュドメル海は穏やかな内海で、古くから海上交易の場となっていた。

 メリエンヌ王国がシュドメル海に持つ沿岸は、西側の一部が王領、残りの大半がマリアン伯爵領となっている。主な港は、王領側がシノブも一ヶ月近く前に訪れた都市ブリュニョン、マリアン伯爵領が都市ルベルゾンだ。


 したがって、マリアン伯爵領の商人がガルゴン王国と交易をする場合、通常はルベルゾンから船を出すことになる。そのルベルゾンは、マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエから南西に位置し、街道沿いなら150km程度、隊商なら通常二日というところだ。

 そしてルベルゾンを出航した船は、シュドメル海を西に航海して、ガルゴン王国の都市バルカンテを目指すことになる。バルカンテはガルゴン半島の東側の港湾都市で最も北側、つまりメリエンヌ王国に近い。そのため、メリエンヌ王国からの船は、ほぼ間違いなくバルカンテを目的地とする。


 航海は、時期や風、そして腕次第ではシュドメル海を直線的に横切る場合もある。しかし、多くの場合は真っ直ぐに進まず、多少湾に沿うように船を進める。なお、そうやって船を進めた場合、距離は300km程だ。

 シュドメル海は、通常西からの風が吹く。季節によっては北寄りであったり南寄りであったりするが、大よそ西からだ。そのため、西に行く場合は少々日数が掛かる場合が多いが、東に行くときは順風を背に受けるため少ない日数で航海できる。したがって、一般的にはルベルゾンに戻るときの方が、短期間となる。

 この時期であれば、行きは十日、帰りは五日というのが、標準的な航海日数とされている。もちろん、風向きや船自体、船乗りの腕次第なのだが、大よその目安としてはそんなものだ。港での積み下ろしもあるから、余裕を見て往復十七日というところであろうか。

 そこで、バルカンテと往復する商船は、二十日(はつか)前後を航海の所要日数とすることが多かった。


 ところで、ガルゴン王国で買い付ける品は、米や南方の農産物が中心である。そして、食料品は長く海に置くと悪くなる物が多い。そのため、商船隊が短期間での航海を保証すれば、多くの商会が参加するし資金も集めやすい。しかし、余裕を持って長期間とした場合、商品価値が落ちるから嫌われる。

 この辺り、船の性能と船長や船員の腕、そして彼らの経験を把握した上で適切な日数を設定しないと、船主は大きな損害を被ることになる。何しろ、風が悪ければ港で何日も待つことだってあるのだ。逆に、好条件であれば、片道二日程度で航海することも可能である。正に、潮任せ風任せと言うべきであろう。


「オルネスト兄さん、そろそろ帰ってくるかしら……」


 デュジャニエ商会の主の一人娘、ルメーヌは朝食の席で、ポツリと呟いた。彼女は、バルカンテへの航海に赴いた兄を心配しているようだ。

 ルメーヌは美しい金髪とキラキラと輝く青い瞳が印象的な愛らしい少女だが、今は少々憂い顔である。しかし若く容姿も良い彼女には、そんな表情でも何となく人目を惹き付ける魅力があった。

 彼女がいるのは、デュジャニエ商会本店の奥にある主の家族が暮らす一角だ。商会の本店は、マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエでも南区の一等地に存在する。そのため彼女がいる食堂も、高級街に相応しい造りだ。もちろん大手の交易商らしく、家具や装飾品も、そこらでは目にしない物ばかりである。


「この時期は、荒れるときは荒れるからな。出航が遅れているのかもしれん」


 父親のフロテールは、落ち着いた様子で答えを返した。彼の横では、妻のエレアットも頷いている。

 フロテールは商会主だが、最近は海運を長男のオルネストに任せている。既に、都市ルベルゾンに置いた支店の業務も息子に譲っており、彼自身が港に出向くことは殆ど無くなっていた。何しろフロテールも五十代半ばも近いし、跡取りであるオルネストは三十歳を間近に迎えている。そこで、代替わりを進めているのだ。

 貴族なども、跡取りが三十半ばになるあたりで爵位を譲り、それまでの当主が先代としてサポートに回る場合が多い。そして、ここマリアン伯爵領は、継嗣のブリュノが数年以内に後を継ぐ筈だ。それなら、若い領主には若い商会主が気が合って良いだろう、というわけだ。


「大丈夫ですよ、多少遅れることがあっても。まだ二十日(はつか)を過ぎたばかりですから」


 フロテールの妻エレアットは、穏やかな笑みを浮かべている。娘のルメーヌに良く似た金髪と青い目だが、こちらは四十も半ばを過ぎているから、年相応の品の良さが前面に出ている。


「流石に、もう十日(とおか)もすると大変ですけどね。でも、焦って変なことをするよりは、賠償の期日ぎりぎりの方がまだ良いですけど」


 オルネストの妻であるナルティーヌも、姑に同意するように頷いた。彼女は、ルメーヌやエレアットとは違い、さばさばした性格のようだ。そのせいだろう、彼女は舅や姑の前でも言葉を飾らない。

 ちなみにデュジャニエ商会では、この時期のバルカンテ往復に対し賠償金の発生を三十日を超えた場合としている。そして、これは随分余裕を持った設定で、しかも期限を越えても一日あたりで積みあがる金額は多くは無い。そのため、ナルティーヌも安心しているのだろう。


「堅実が一番だからな。ともかく、そろそろ港から連絡があるだろう」


 フロテールが言うようにデュジャニエ商会は手堅くやっている。交易を行う商会は、大抵、自分の荷だけではなく、他の商会の荷も運ぶし、買い付けの代理をすることもある。

 もっとも海運業も様々で、中には十日(とおか)で往復するなどと言って資金を集める商会もある。しかし、そういうところは、大抵料金が高く遅延の際に賠償金が支払われないなど、利用者にとって何らかのデメリットが存在する。

 それに対しデュジャニエ商会は、多少日数が掛かるが安い料金で堅実な商会として知られていた。彼らは低料金で長期間とする代わりに、遅延による賠償金を低く抑えた。そのため利幅は大きくないが昔からの固定客をしっかり(つか)んでおり、老舗というべき地位を築いたのだ。


「ええ。それにしても、貴方も港に行かなくなりましたね。昔は家にいることなど少なかったのに」


「ああ。ここから確認できるようになったからな。全く『魔竜伯』様々だ」


 エレアットの感慨深げな言葉に、フロテールも同じような表情で返答した。

 『アマノ式伝達法』による通信網は、商人達も活用している。フロテールも以前のように支店まで出向くことはなく、ここジュラヴィリエでの仕事に集中していた。そのため彼は、息子が担当している港湾都市ルベルゾンに一ヶ月以上も行っていない。


「お義父さん、今日は伯爵様の館でしたね。『魔竜伯』様ともご挨拶できるのかしら?」


 ナルティーヌは、『魔竜伯』ことシノブに興味があるようだ。実は、今日はシノブ達がジュラヴィリエに訪れる日であった。そして、フロテールも昼から館で開かれる午餐会に招かれている。


「どうかな。私達商人は、家臣の方とお話できるくらいではないか? だが、向こうも公営商会の店主や贔屓(ひいき)の商人を連れて来るらしい。そちらと顔繋ぎ出来れば充分だ」


 フロテールは、家臣や商人が交流する場に出席するだけで、シノブと会話する機会は無いかもしれない。だが彼が言うように、フライユ伯爵家の家臣や商人と親しくなれば、それだけで大きな利益といえる。


「では、『魔竜伯』様のことは、後でバティスールさんに教えてもらいますね。ルメーヌはどうするの?」


 一瞬残念そうな表情となったナルティーヌだが、義弟のバティスールから話が聞けると思い直したらしい。バティスールは領主の家臣として重用されているから、シノブと会う機会があると思ったのだろう。

 そして彼女は、今度は義妹のルメーヌへと尋ねかける。


「私は……」


 義姉の言葉を聞いたルメーヌは(うつむ)いてしまった。彼女には、何か懸念していることがあるようだ。


「ボレナール殿か? あの男も良い歳なのに……お前は家にいて良いぞ。今日はエレアットを連れて行く」


 苦々しげな顔をしたフロテールは、首を振った後に優しい笑顔で娘に語りかけた。

 こういう祝宴だと大抵は夫婦で招かれるが、妻の代わりに年頃の子供を連れて行くことも多い。男なら跡取りとして交流を深め、女なら良い婿を見つけるためである。それにルメーヌのような容姿の優れた娘なら、商売の話も弾むというものだ。

 しかし同じく午餐会に招かれているエルラバス商会の主ボレナールは、このところルメーヌに執心であった。既に初老の彼が17歳のルメーヌに求婚するなど随分と非常識だが、そんなことはお構いなしで事あるごとに言い寄ってくるのだ。


「ああ、あの爺さんも招かれているのね! あんな品の無い爺さんを紹介したら、フライユ伯爵家の方々に笑われないかしら!」


 ナルティーヌは心底嫌そうな表情となったが、フロテールやエレアットが(とが)めることはない。口には出さないが、二人もボレナールのことを良く思っていないのだろう。


「ルメーヌには、早く良い婿を見つけよう。出来れば我が商会に入ってくれる者が良いが、この際、他領の商人でも構わん。『魔竜伯』様ご贔屓(ひいき)の商人なら、良い息子がいるのではないか?」


 明るい笑顔を作ったフロテールは、冗談めいた口調で娘に語りかけた。そんな家長に三人の女性は愁眉を開き、再び笑顔となる。そして四人は、今までの和やかな朝の時間へと戻っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……確かに強欲そうな老人だったな」


 シノブの言葉に、同席していた者は苦笑を漏らした。

 エルラバス商会の主ボレナールは、ほぼ白髪となった灰色の髪に、鋭い目つき、そして細身の男であった。決して悪相というわけではないが、がめつい商人というのが似合う、どこか油断のならない印象なのは、周りにいる者達も否定できなかったのだ。


 今、シノブ達はデュジャニエ商会の主フロテールと妻のエレアットを呼んで、話を聞いていた。

 デュジャニエ商会の跡取りオルネストが期限までに荷を届けられなかった。そして、証文を買い取ったボレナールが、多額の負債の返済を待つ代わりに、娘のルメーヌを要求した。そのオルネストが指揮する商船隊が遅れるのを見越したかのようなボレナールの行動に、シノブは疑念を覚え調査をすることにしたのだ。

 既に午餐会も終わり、本来ならマリアン伯爵に領都ジュラヴィリエの案内をしてもらう筈だったが、それらは女性陣だけで行っていた。シノブが海上交易に興味を示したから男性陣は別行動を取ったという建前にして、館に残ったわけだ。

 それ(ゆえ)ここにいるのは、シノブとデュジャニエ商会の二人、それとマリアン伯爵の嫡男ブリュノ、シノブが連れてきた商人達の一部などである。


「強欲は、商売の上で必ずしも悪いことではないのですが……しかし、少々度を越しています」


 シノブに同行した商人の一人、フライユ公営商会の店主を務めるユーグ・ロエクは、主の言葉に同意した。彼は、過去のフライユ伯爵領の魔道具製造業が、利益を追求するあまり後ろ暗いことに手を出したのを、恥じているようである。そのため、ボレナールの行いには、眉を(ひそ)めているのだろう。

 それはともかく、先ほどシノブ自身もボレナールと会ってきた。午餐会の終盤に、マリアン伯爵領の商人達の話を聞きたいという名目で、ボレナールを含む各商会の主と会ったのだ。家臣や商人を対象とした別室にいた彼らはシノブの訪れに狂喜したが、その中でも一際売込みが激しかったのがボレナールであった。


「まあ、あのぐらいの熱意が無ければ、大商会を維持できないのかもしれないが」


 シノブは、フロテールに午餐会の後も残ってほしいと告げたときの騒動を思い出した。

 海運について詳しく聞きたいという名目でフロテールに声を掛けたが、他の商会主が黙っているわけは無い。彼らは自身も加われないかと願い出たが、その中で最後まで食い下がったのがボレナールであった。


「そうですね……ところでフロテール、お前の話では期限はまだ来ていない、ということになるが?」


「それが、オルネストの奴は賠償が生じる条件を二十日(はつか)を超えた場合としたようでして……ボレナール殿が持っていた証文にも、確かにそう記してありました。それに、駄目にした荷も多いようです」


 ブリュノの問いかけに、フロテールは苦々しげな表情で答えた。何とオルネストは、従来の商会の方針に背いて、賠償金が発生する日数を十日短縮していたのだ。しかも、それはフロテールも知らなかったという。更に、嵐にあったのか損失も大きいらしい。


「店の者に確認したのですが、かなりの損害が出たようでして……」


 実は、デュジャニエ商会にも知らせは来ていた。ただし、こちらはボレナールが証文を買い集めていたことなど知らないから、主が店に戻ってから伝えるつもりだったようだ。


「そうなるとお前の落ち度でもあるな。通信で便利になったが、それに頼りすぎたか……」


 ブリュノは表情を曇らせていた。彼が指摘したように、フロテールの監督不足と、新たに整備された通信網の思わぬ弊害が重なったとも言える。

 領都にいながらにして遠方の様子を把握できるようになった結果、商会主達は各支店を今まで以上に支店長に任せるようになった。以前は全ての支店を順々に回って確認する者が殆どだったが、今では殆どが領都から各支店の動向を把握し、中央で新たな商売の種を拾うことに専念するようになったのだ。


「はい……まったく、私の監督不行き届きです」


 蒼白な表情のフロテールは、恐縮した様子で頭を下げた。エレアットに至っては恥ずかしさのあまりか、ずっと口を開かない。

 二人は、息子のオルネストが現場で勝手な動きをしていたなど、寝耳に水であったようだ。何しろ商船隊に加わる商人や荷主の募集は港で行っているから、支店長でもあるオルネストが黙っていれば、本店側が商船隊の詳細を知るのは難しい。


「しかし、どうしてオルネスト殿は、そんなことを?」


「新たな商会主に相応しい、自分だけの実績を作りたかったのではないかと……」


 シノブの問いに、フロテールは一層顔を曇らせながら答えた。

 たぶん、フロテールの言う通りなのだろう。堅実な商売を営んできたデュジャニエ商会が避けてきた層からも融資を募るため、オルネストが並外れて魅力的な条件を餌にした可能性は高い。

 現時点ではフロテールの想像に過ぎないが、当たらずも遠からずといったところだろう。


「なるほど……そのあたりは、もうすぐアミィ達が聞き取ってくれるだろう。ボドワン、助言ありがとう」


 シノブは、既に港湾都市ルベルゾンにアミィを含む数人を向かわせていた。そして、シノブに急いで支店や港に赴いて調査すべきだと進言したのは、ボドワン商会の主、ファブリ・ボドワンである。彼は、本店と支店で何か行き違いがあったと思ったらしい。


「いえ、お役に立てて光栄です」


 シノブの礼に、ボドワンは恐縮した様子で答えた。彼は、言ってみればシノブの最初の御用商人である。そのため、彼も今回の使節団に加わっていたのだ。

 ボドワン商会は、武器や防具などを主力商品の一つとしていた。しかしベーリンゲン帝国との戦も一段落し、今後の需要が落ち込む可能性も高い。そのためボドワンは、新たなる商材を探すべく思案していたという。そこで、シノブが彼を南方訪問に誘ったというわけだ。

 ちなみに、同行している商人の最後の一人は、カンビーニ王国出身のモカリーナ・マネッリであった。こちらは地元に戻っての活動もあるし、シノブ達の案内役も兼ねている。


「フロテール、バティスールも派遣した。だから、安心してくれ」


 ブリュノは、フロテールへと笑いかける。

 ルベルゾンに派遣した者はアミィを筆頭に、侍女で諜報担当でもある猫の獣人ソニア、カンビーニ王国出身の商人モカリーナ、マリアン伯爵の家臣のバティスールなどであった。

 まず、アミィとソニアなど諜報担当が、その能力を活かして事情を探る。そして、フロテールの次男でもあるバティスールは、実家のこともある程度把握しているから案内役として適切だ。更に、南方交易に詳しいモカリーナも加わっている。これなら、ルベルゾンで何があっても対応できるだろう。


「そろそろルベルゾンの支店に着くようだね」


 シノブも、フロテールを安堵させようと言い添えた。

 アミィ達は魔法の家を使ってルベルゾンに移動した。ここ領都ジュラヴィリエからルベルゾンまで、普通に行けば、急いでも片道一日以上かかるから、時間を節約したのだ。

 最初、シノブは炎竜のイジェに頼もうと考えた。しかし、幸いにも、海竜に会いに行っていたホリィがジュラヴィリエに戻ってくる途中であった。そこで、彼女にルベルゾンまで足を延ばしてもらい、魔法の家を呼び寄せたというわけだ。

 そして現在、彼らはルベルゾンのデュジャニエ商会支店に到着する直前らしい。ジュラヴィリエとルベルゾンは、直線距離なら150kmを切る。したがって、アミィやホリィの思念も充分届き、シノブに随時連絡が入ってくるのだ。


「おお! 『魔竜伯』様、ありがとうございます!」


何卒(なにとぞ)お願いします……」


 それらの背景を、シノブやブリュノが詳しく語ることは無かった。しかしフロテールとエレアットは、『魔竜伯』と呼ばれるシノブなら何らかの手段で可能だと思ったらしく深々と頭を下げる。

 何しろシノブの帝国との戦での活躍は、既に庶民にも広まっている。彼が竜を友とし不思議な術で一瞬にして各地を移動することを知らぬ者は、メリエンヌ王国には既にいないだろう。


「お二人とも、ここは我々に任せてほしい。今まで聞いた範囲だと表向きは正当な取引だが、エルラバス商会に都合が良すぎるのも事実だ。彼らが何か仕組んだのであれば、そんな不正を見逃すわけにはいかない」


 シノブの力強い言葉に、フロテール達は顔を上げた。

 この二人のためにも、早く真実を明らかにしよう。安堵の表情となった商人夫妻に頷き返しつつ、シノブは内心固く決意した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 エルラバス商会の本店は、領都ジュラヴィリエの西区にあった。こちらもデュジャニエ商会と同様に一等地である。エルラバス商会は、王領との陸運に力を入れているから、王領側である西区を選んだらしい。

 エルラバス商会は、現在の当主ボレナールになってからは、更に商売を広げている代わりに、少々後ろ暗い噂も聞こえてくる。先代までは陸運中心であったが、海運やその他の業種にも強引に参入してきたのだ。

 もっとも、エルラバス商会自体が新たな商売を始めるのではなく、傘下に他業種の商会を加えていく形である。要するに企業買収であり、現代日本ならM&Aと呼ばれるのではなかろうか。

 そのため、恨みに思う商人も多いようだが、これまでエルラバス商会に表立って難癖をつける者はいなかった。ボレナールは、かなり際どい線まで踏み込んでいるらしいが、かといって致命的な何かが顕わになることはなかったのだ。


「……まあ、それも今日までですがね」


 そのエルラバス商会の奥深く。誰もいないはずの部屋の空気を、少々気取った男の(ささや)くような声が僅かに揺らした。

 ここは商会の奥で、しかも主しか入ることが出来ない場所である。だが若々しい男の声は、初老のボレナールのものとは全く異なる。

 そう、商会の最奥に侵入したのは、猫の獣人のアルバーノ・イナーリオである。彼はアミィから授かった魔道具で姿を消しているのだ。


「とはいえ、証拠らしきものは見当たりませんな……」


 アルバーノは室内の隠し金庫を見事に探り当て、しかも呆気(あっけ)なく開錠していた。傭兵生活の間に別の道も学んでいたのではと思ってしまう、手際の良さである。


 しかし隠し金庫には数々の証文が収められているだけで、ボレナールが違法行為に手を染めていたという証拠は見つからない。

 証文の中には過去に傘下に収めた商会のものもあり、一部は既に返済が終わったことを示す穴が開けられている。もしかすると見事攻略した記念として、ボレナールが保管しているのかもしれない。


「どうせなら港が……まあ、船乗りを(だま)すのは女が適任ですか」


 証文を捲っていたアルバーノは、残念そうに呟いた。

 猫の獣人の多くは魚が好きであり、アルバーノも港に行きたかったのかもしれない。あるいは、船乗りが飲む強烈な酒でも味わいたかったのか。

 しかし港で聞き込む相手は海の男達だから、アルバーノの姪ソニアがルベルゾン担当となっていた。船の遅れには何か裏があると考えたシノブが、船乗り達から情報を集めようとソニアをルベルゾンに回したのだ。


「流石に手ぶらで帰還というのも恥ずかしいですな……おっ!」


 隠し金庫を閉めたアルバーノは、何かを察したような声を上げていた。どうも、この部屋に誰かが近づいているらしく、微かな足音が室外に響いたのだ。


「まったく『魔竜伯』とやらも見る目が無いな……まあ、いずれデュジャニエ商会は儂のものだ。オルネストなど、儂の手にかかれば、赤子のようなもの。ルメーヌを貰って身内として操っても良いし、断るなら証文を盾に乗っ取るまでだ」


 室内に入ってきたのは、主のボレナールであった。とはいえ、彼しか入ることの出来ない部屋だから、当然ではある。彼は、入り口の鍵を掛けてから隠し金庫の方に向かって歩んでくる。

 ボレナールは、シノブがデュジャニエ商会のフロテールだけを招いたことが気に入らないらしい。彼は不機嫌そうな表情である。そんな彼は、大商会の主にしては意外にも質素な服を着ている。もしかすると、それも無駄遣いをしたくないという心の表れなのかもしれない。

 そういう合理的ともいえる思想は、彼の言葉からも滲んでいるようだ。ルメーヌを望むのも、単に若い嫁が欲しかっただけではなく、嫁として差し出すのが嫌なら素直に傘下に入れ、ということであろうか。確かに、陸運中心の商会の主が海運に長けたデュジャニエ商会に魅力を感じるのは、ある意味当然かもしれない。


「証文は、仕舞っておかんとな……これを無くしては、デュジャニエを手に入れることは出来ん」


 ボレナールは手に提げたカバンから証文の束を取り出した。おそらく、それがデュジャニエ商会に関する証文なのだろう。随分多くから買い取ったらしく、結構な厚みである。


「……お前の悪行、見たぞ~……恨めしい~……」


「だ、誰だ!」


 金庫を開けようとしたボレナールは、突然響いた不気味な声に驚いたらしい。彼は、証文の束を取り落とし、周囲を見回した。しかし、室内には他の者の姿は無い。ボレナールは部屋に入るときに鍵を掛けたから、後から入る者はいないはずだ。そのため、彼の顔からは血の気が引いている。

 なお、アミィが幻影魔術を使えることや、透明化の魔道具をアルバーノ達に与えていることは、シノブと関係の無い商人達には広まっていない。これらは王国軍の切り札でもあるから、普通の民間人には秘匿されたままである。したがってボレナールも、シノブの手の者が潜んでいるなど、想像もしなかったようだ。


「……我が商会だけではなく……デュジャニエまで手を出すとは~……」


 証文が散らばる室内に響く声は、当然アルバーノが発したものだ。彼は、ボレナールを動揺させて反応を見ようと思ったらしい。普段とは違う、まるで幽霊みたいに陰鬱な声で、途切れ途切れに語りかける。


「ま、まさかオーバリエか? それともギャルノーか?」


 蒼白な顔のボレナールは、よほど思い当たることがあるようだ。彼は、微かに震えながら幾つかの名前を挙げた。


「……海の神デューネ様はお怒りだ~……神聖な海を汚す者には天罰が下るであろう~……」


「わ、儂は船乗りを買収しただけだ! 海を汚したのは船乗りだ!」


 ボレナールは動揺しているせいか、反論とも言えない反論をする。しかし、どうやら彼が商船隊に何かをしたのは間違いないようだ。

 それを聞いたアルバーノは、更なる言葉を発することはなかった。もしかすると、あまり深追いをしても小細工がバレると思ったのかもしれない。

 彼が口にした言葉は曖昧なものばかりだ。あれだけ証文を抱えていれば、恨みに思っている商会も多いだろうし、不遇なまま世を去った者もいるだろう。それに、商船隊を率いるオルネストに手を出すなら、海に関することだろう。仮に直接は関係ないとしても、航海の守り神でもあるデューネが怒っても不思議ではない。

 ともかく、これ以上言葉を重ねたら、更なる情報を入手できるかもしれないが、不審に思われるかもしれない。そうであれば、このあたりで引き時にしようというのは、理解できる。


 それはともかく、ボレナールは気味が悪くなったのだろう、震える手で証文を掻き集め、慌ただしく隠し金庫に仕舞うと、逃げるように部屋を出て行った。


「……まあ、これでボレナールが何かしていたのは確定ですな。さて、船乗りを調べるよう、ソニアに伝えなくては」


 暫く無音のままであった人の姿の無い密室に、再びアルバーノの(ささや)くような声が響いた。そして、数瞬後ボレナールが出て行った扉が開閉する。どうやら、アルバーノは周囲の気配を完全に把握しているのだろう。そのため、堂々と入り口から出て行くことにしたようだ。

 そして、エルラバス商会で最も重要な部屋の一つは、今度こそ完全に静穏な時間を取り戻した。多くの者の情念を吸い込んだ書類が眠る部屋は、いずれ来る裁きの時を黙して待つかのように、静まり返っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月27日17時の更新となります。


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