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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.07 ジュラヴィリエの商人 前編

 マリアン伯爵領は、シノブにとって今まであまり関わりがない場所であった。シノブが最初に滞在したベルレアン伯爵領や、現在の所領であるフライユ伯爵領からも遠いため、仕方が無いことではある。


 ベルレアン伯爵領からは、王領かボーモン伯爵領を経由して行くことになるが、双方の領都は直線距離でも500km近く離れている。街道を通れば600kmを超え、隊商などであれば旅程は片道十日(とおか)以上、高級馬車と強力な身体強化が可能な馬達でも標準は六日とされている。

 フライユ伯爵領からだと、更に遠い。こちらは直線距離で600km近く、陸路ならラコスト伯爵領とボーモン伯爵領を経由するか、エリュアール伯爵領を通って行くことになる。ただし、エリュアール伯爵領経由は大回りであり、前者を選択する者が多い。


 また、血縁という意味でも遠かった。シノブが訪れたことがない伯爵領は、他にもポワズール伯爵領がある。しかし、そちらは先代ベルレアン伯爵の妻マリーズの実家であり、当代はベルレアン伯爵と従兄弟である。したがって、ベルレアン伯爵とも親しく、シノブも言葉を交わすことが多かった。

 しかし、マリアン伯爵はベルレアン伯爵家や現フライユ伯爵家と縁が薄かった。マリアン伯爵の娘は、前フライユ伯爵クレメンの長男グラシアンの妻であり、それが唯一の縁であった。


 ただ、これらはシノブの視点からであり、マリアン伯爵家が没交渉な家系というわけではない。

 マリアン伯爵の妹ラシーヌは国王アルフォンス七世の妃であり、王太子テオドールの母でもある。それに、伯爵の妻パメラは先代エチエンヌ侯爵の娘で、嫡男ブリュノの妻グレースはボーモン伯爵の娘だ。しかもグレースはラコスト伯爵の姪でもある。


 このように、マリアン伯爵家は王家や交易上重要な近隣の伯爵家と強固な関係を結んでいた。これは、マリアン伯爵家の商業を重視する方針に基づくものらしい。

 そして、マリアン伯爵が娘のオルタンスをグラシアンに嫁がせたのも同様で、魔道具製造業が盛んなフライユ伯爵領との関係強化が目的だったようだ。彼は前フライユ伯爵クレメンと仲が良かったわけではないが将来の布石として縁を結んだと、王都の貴族達は噂しているそうだ。


「……立派な街だね」


 暫し馬車の外を眺めていたシノブは、隣に座るシャルロットに顔を向け直した。彼はマリアン伯爵家の館に向かっている最中であった。

 二人の座っている長椅子には、他にミュリエルとセレスティーヌ、向かい側にはイヴァール、ナタリオ、アリーチェ、メリーナの順で並んでいる。


「きっと、ここまで発展させるには色々苦労があるんだろうね」


 シノブは、愛妻の顔を見ながら言葉を続けていた。

 マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエは、交易で潤っているようで、活気のある街だった。磐船で空から見た雨上がりの都市は、街道や内部の大通りに沢山の馬車が行き交っており、いかにも景気が良さそうであった。それに、中央区も豊かな財政を窺わせる壮麗な建物ばかりだ。

 シノブは、それらの繁栄の陰には婚姻も含めたマリアン伯爵家の様々な努力があると感じたのだ。


「はい。大変なことですが、私達には領民に(さち)(もたら)す義務がありますから」


 シャルロットは、シノブが何を思ったか悟ったのかもしれない。領主となる者に相応しい決意と誇りを示した彼女だが、その青い瞳にはシノブを気遣うような優しさも滲ませていた。


「そうだね」


 シノブは、余計なことを言ったかと思い、苦笑した。

 領内振興を第一にした婚姻のあり方は、シノブには素直に頷けない点もある。しかし、他の伯爵家も程度の差はあれ同様だ。


 ベルレアン伯爵家がシャルロットの夫として優れた武人を求めたのも、次期伯爵の夫が実質的な当主であり、武門の家柄に相応しい腕を持っていないと領内が(まと)まらないためだ。そして、シノブはフライユ伯爵となるにあたり、初代の血を継ぐミュリエルを婚約者とするよう要請された。

 つまり、メリエンヌ王国の領主や一族にとって、自領の利益にならない婚姻など論外なのだ。他国も王国や帝国を名乗る国は程度の差はあれ同様で、ドワーフやエルフも、通常は親が認めた相手と結婚するという。


 したがって、南方をカンビーニ王国と接し輸出入で大きな利益を上げているマリアン伯爵領が、交易を重視した政策を推し進め、その中に婚姻政策があるのは至極当然なことであった。


「私も頑張ります!」


 シャルロットと反対側、シノブの左隣に座るミュリエルは、勢い良く宣言した。彼女は、将来の領主夫人としてシノブを支え、自領を更に繁栄させたいと、改めて決意したようである。

 ちなみに、フライユ伯爵領の領都シェロノワも人口はここと同じ四万人だ。しかし、南方交易の要衝のジュラヴィリエに比べてシェロノワが華やかさで劣るのは仕方がないだろう。


「ミュリエルさんは、きっと良い領主夫人になれますわ」


 セレスティーヌはミュリエルに励ましの言葉を掛けた。彼女は、ミュリエルを同志でありライバルと捉えている節がある。年齢はセレスティーヌの方が五歳も上だが、聡明なミュリエルを見ていると、負けられないと思うのかもしれない。


「結婚か……」


 ナタリオは、向かい側のシノブや隣に座っているイヴァールへと視線を向けた。彼は16歳だが、一国の大使の息子であり、当然血筋も良い。彼のガルゴン王国やアリーチェのカンビーニ王国も、メリエンヌ王国と同様に貴族の結婚は早い。おそらく、彼も数年以内には結婚するのだろう。


「お主にも婚約者がいるのではないか?」


 イヴァールも、メリエンヌ王国に来て五ヶ月近く経つ。そのためだろう、彼は他国の習慣にも随分詳しくなったようだ。

 なお、イヴァールはシノブの従者として騎乗で同行することが多かったが、今回はシノブ達の向かいに座っていた。なにしろ彼はヴォーリ連合国の大族長の息子だ。その彼が他の三人とは違って車外というのも不味かろう。


「はい……それは、そうなのですが……」


 ナタリオは口篭りながら、アリーチェの方に視線を僅かに泳がせた。しかも、彼の頬は微かに赤く染まっている。

 それを見たシノブは、彼がアリーチェを好きなのではないかと考えた。しかし、もしそうだとすると、中々難しいと言わざるを得ない。何故(なぜ)なら、アリーチェは三代前の国王の血を引いているからだ。


 エウレア地方の王族や上級貴族が、他国と婚姻関係を結ぶことは稀だという。いずれの国も、建国王は神の加護を授かり、子孫もその血を大切にしてきた。そのため、下手に婚姻関係を結んで他国に強い加護を持った者が現れることを嫌ったのだろう。


 そしてアリーチェの父ガウディーノ・デ・アマートは、三代前の国王の曾孫である。この場合、娘が他国に嫁ぐことは難しいらしい。

 とはいえ、絶対無理というほどでも無いという。傍系である上に、アリーチェからすれば既に四代前のことである。ここまで来ると、婚姻によるメリットが大きければ、国王から許しが出ることもあるようだ。

 ちなみに問題のアリーチェは、気がついていないのか、それとも満更でもないのか、微笑んだままであり、どう思っているかは判断しがたい。


「……本当に随分早く結婚するのですね」


 メリーナは、ナタリオとイヴァールの会話を聞いて驚いたようだ。

 彼女達エルフは三十歳で成人だし、結婚は更に二十年から三十年は先だという。メリーナも、人族や獣人族との違いを知識として知っているようだが、自分達との差を改めて実感したのだろう。

 メリーナの呟きを聞いたシノブは、エルフが独自の道を歩んだのは、その辺に理由があるのでは、と感じていた。長命なエルフが他種族と共に生きるには、寿命の差は大きな問題であろう。それ(ゆえ)、同じ時を生きる者達だけで暮らすことを選んだのかもしれない。

 この先の共存をどうして行くべきか。シノブは、向かいに座る三種族を見ながら、考えるともなく考えていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 マリアン伯爵の館に到着したシノブは、午餐会、つまり昼食を兼ねたパーティーで持て成されていた。シノブは同格の伯爵だから、彼やその家族が来ただけならもっと内輪な集まりでも構わないのだが、今回はそうはいかない。

 何しろシノブはカンビーニ王国に赴く正使で、しかも王女であるセレスティーヌに加え、他国の大使や要人の子供や孫がいるのだ。礼儀としても相応の歓待をすべきだし、これだけ多様な面々が自領に訪れたことを家臣や領民にアピールすべきである。


 一方、炎竜のイジェは磐船を領軍本部に降ろした後、オルムル達と共にその場に残っていた。

 竜達はベーリンゲン帝国との戦いで人員や物資の輸送も受け持ち、王領や各伯爵領を回った。そのためイジェは既に何度か訪れており、改めて紹介する必要はないのだ。

 そこでシノブは、竜達にゆっくり休んでもらうことにした。なぜならば成竜であるイジェに食事は不要だし、子竜達も魔力が少ない食物を取っても意味が無いからだ。

 なお子竜達にはシノブがたっぷりと魔力を与えたから、三頭とも今頃はぐっすり寝ているだろう。


如何(いかが)ですかな、我が領都は?」


 マリアン伯爵アリトゥス・ド・ジュラックが、シノブに歩み寄ってくる。彼は金髪で長身、鼻の下と顎に髭を蓄えた人物で、その歩みからも伯爵家の当主に相応しい風格が感じられる。

 ちなみにメリエンヌ王国の午餐会は、通常立食パーティーである。今回も立食形式であり、最初の挨拶が終わった後は、身分の近い者同士、あるいは親しい者同士でそれぞれテーブルを囲んで歓談をしている。


「素晴らしい繁栄振りですね。私達も見習いたいです」


 シノブは、少々自慢げなマリアン伯爵に、率直な賛意を示した。

 隣国との交易という好条件はあるにせよ、ここが豊かな領地ということは疑いようもない事実である。それに、フライユ伯爵領も、旧帝国のメグレンブルク軍管区などとの交易が開始されつつある。そういう意味では、ここマリアン伯爵領から学ぶものは多い筈だ。


「『魔竜伯』からの賛辞、これほど嬉しいことはありませんな。家臣も喜びましょうぞ」


 マリアン伯爵は、一瞬だが少年のような笑みを見せた。今年で五十歳になる彼は、七伯爵の最年長に相応しい風格を感じさせる人物である。しかし、その彼にして『竜の友』と呼ばれ東方守護将軍として華々しい活躍をしたシノブの褒め言葉には、別格の喜びを感じたようだ。


「フライユ伯爵領も、メグレンブルクと交易できるようになりました。アリトゥス様には、ぜひ御指導賜りたいです」


 ミュリエルも、シノブと同じことを考えたのだろう。彼女は長身のマリアン伯爵を見上げながら願い出ると、その顔に可愛らしい微笑みを浮かべる。


「これはこれは……もちろん、協力しますぞ。しかしミュリエル殿、貴女の婚約者は私などよりよほど商業に通じておられる。むしろ、こちらが色々教わっているくらいでしてな」


 薄茶色の瞳に優しげな光を宿したマリアン伯爵は、髭を僅かに揺らしながら微笑んでいる。


「私が、ですか?」


 シノブは、突然の言葉に少々戸惑った。

 帝国との戦いで忙しかったこともあり、彼はマリアン伯爵領を訪れたことはない。今まで竜達が人や物を運ぶ際も、同乗はイヴァールや家臣に任せていた。そのため、マリアン伯爵とは何回かパーティーで会話をしたが、商売のことなど口にしたことも無かったのだ。

 彼だけではなく、それを知っているシャルロットやアミィも、怪訝そうな表情となっている。


「まだベルレアン伯爵領にいたころ、アデラールで流通改革を提案したと聞いていますぞ。噂を聞いて、家臣を派遣しましてな」


「ああ……モデュー殿の」


 マリアン伯爵の言葉を聞いて、シノブは納得の表情を浮かべた。


 シノブは、初めて王都メリエに向かう道中で、都市アデラールの代官ブレソール・モデューに『アマノ式伝達法』、つまり音や光の長短による通信方法を使った物流の改善を提案した。

 商人は、在庫を自分の目が届く街中に商品を置きたがる。しかし、都市の中に大量の荷馬車が行き交うと交通に支障を来たす。しかも、商品の中には周辺の町村に持っていくものや、時機を見て他領に売りに行くものもある。それらを、全て都市に蓄積するのは非効率だとシノブは伝えたのだ。

 そしてシノブは、周辺の町に倉庫を移し、そこと『アマノ式伝達法』でやり取りしつつ在庫管理をしたらどうかと提案した。光の魔道具を使った伝達網を構築し官民共用とすることで、商人達は賃料の安い周辺の町村に倉庫を移すことができる。

 そうすれば、統治や軍用に構築する通信網を民業にも活用できるし、周辺地域の雇用創出にもなるとシノブは語ったのだ。


「夜間は光の信号、昼間は腕木による信号、お陰で昼夜を問わず広範囲に伝達ができる。これは、軍事だけではなく商業でも大いに活用されている。素晴らしい発明ですぞ」


 マリアン伯爵が語るように、昼間の通信についても、既に解決されていた。

 当初、日中は手旗信号の活用を考えていたが、ブレソール・モデューが、巨大な棒を振って信号とすることを思いついた。これは、地球でも実際にあった腕木通信と同じものである。そのため、今では昼夜を問わず信号を送ることが可能となったのだ。


「腕木はモデュー殿の発案ですよ」


 モデューのアイディアを聞いた後、シノブも地球に似たものがあったことを思い出した。そこで彼はモデューに『腕木』という名前と概要を伝えていた。したがって、シノブとモデューの共同発明ということも出来るが、実現したのはモデューである。そのため、シノブは自身の発案と言うのは避けたのだ。


「謙遜なさるな。お前もそう思うだろう、バティスール?」


「はい、閣下の仰るとおりです。モデュー殿からは、腕木もフライユ伯爵閣下のご協力あってのことと聞いております」


 マリアン伯爵に促されて発言したのは、バティスール・デュジャニエという二十代前半らしい人族の男であった。彼は、マリアン伯爵の家臣で内政官として働いているという。

 デュジャニエは、実際に都市アデラールまで赴き、物流の改善について学んだそうだ。通信自体は、統治や軍事のため王国全体に広めているが、流通の状況は現地を調べてみないと判断できない。そのためマリアン伯爵は、家臣をベルレアン伯爵領まで派遣したのだ。


「それは凄いですね……」


 シノブも、自領では自身やモデューの発案した方式を活用していた。

 残念ながら、フライユ伯爵領は流通の中心というには程遠く、しかも魔道具製造工場は秘匿すべき技術も多かったため、シェロノワの内部に工場があった。そのため、さほど活用は出来ていないのだが、将来を見越してシメオン主導で都市周辺を活用するよう誘導し始めていた。

 しかしシノブは、ベルレアンとフライユの二領以外で、この方式を商業に活用しているとは、思わなかったのだ。


「マリアンの伯父様は商売となると、目の色が変わりますから」


 (あき)れたような表情で肩を(すく)めたのはセレスティーヌだ。なお、彼女の異母兄テオドールは、マリアン伯爵の甥であるから、公式な場以外では、こう呼ぶらしい。


「殿下、それが我がマリアン伯爵家の家風ですから」


 マリアン伯爵の継嗣ブリュノは歩み寄ってくると、王女に答えた後に少々大仰な仕草で一礼をした。彼は、まだ三十歳前後と若く、父親ほどは重厚な感じはしない。


 ブリュノは、今までナタリオやアリーチェ、それにイヴァールやメリーナなどと話していたが、そちらは妻に任せてきたようだ。

 当然ではあるが、重要な交易国の二人や、南では珍しいドワーフに滅多に姿を見せないエルフと話したい者は多かった。しかし、あまりシノブ達のところに固まっていても、家臣達が遠慮してしまう。そのため、マリアン伯爵にイヴァールやメリーナを紹介した後に、二箇所に別れたのだ。


「そうですわね。商人の皆様まで招くのは、マリアン伯爵家らしいと思いますわ」


 セレスティーヌが言うように、マリアン伯爵は午餐会に自領の有力商人達も招いていた。これは、貴族同士の(うたげ)としては珍しいことである。

 もちろん、商人達が招かれたのは王女もいるこの部屋ではない。実は、隣の大広間ではマリアン伯爵家の家臣達が一行のうち主だった者以外を持て成している。そこに、シノブが連れてきた幾人かの商人とマリアン伯爵領の商人も加わったというわけだ。


「お褒めの言葉、ありがとうございます」


 ブリュノは、父と良く似た金髪の頭を再び下げた。もっとも、彼の顔は笑みに包まれており、恐縮しているという(てい)ではない。どうやら彼は、こういう大袈裟な振る舞いを好んでいるようだ。

 そのせいか、ブリュノからは父とは違った印象を受ける。ただし、双方とも商業に関する熱意は人並み以上に持っているようだ。別に彼らが変わり者というわけではなく、交易で栄える領地の当主と嫡男としては当然のことなのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ブリュノ様……」


 シノブ達がブリュノとセレスティーヌのやり取りに笑いを(こぼ)していると、狐の獣人の家臣が歩み寄ってきた。彼は内密に伝えたいことがあるのか、深刻そうな表情でブリュノを見つめたまま押し黙った。


「どうした、デュール? 殿下の前だからといって遠慮することは無いぞ? それとも余程のことか?」


 ブリュノは灰色がかった青い瞳を、呼びかけた家臣デュールへと向けた。そしてブリュノは、そのまま用件を伝えるようにデュールを促した。

 おそらくブリュノは、多少の面倒事くらいであれば、シノブやセレスティーヌに隠す必要はないと思ったのだろう。なぜならセレスティーヌは王家の代表者として来ている。その彼女に言えないことがあるなど、王家に隔意があると誤解されかねないからだ。


「はっ……実は、デュジャニエ商会のオルネスト殿が、期限までに荷を届けられなかったようでして……」


「何?」


 デュールの言葉を聞いて、ブリュノは表情を変えていた。それに、マリアン伯爵や彼の脇にいたバティスールも、口こそ開かなかったが顔を曇らせている。

 シノブは、デュジャニエというのがバティスールの家名であったことを思い出した。おそらくデュジャニエ商会とは、バティスールの実家か、分家して商人となった者が興した家なのだろう。


「オルネストは、ガルゴン王国への商船隊を指揮していたな?」


「はい。兄は、かなりの融資を同業の者達から受けていた筈ですが……」


 ブリュノの問いに、バティスールは浮かない顔で答えた。やはり、デュジャニエ商会とはバティスールの実家だったのだ。


 マリアン伯爵領は、二つの海に面している。カンビーニ王国のあるカンビーニ半島の西のシュドメル海と、東のエメール海である。そしてシュドメル海は、西からガルゴン王国、メリエンヌ王国、カンビーニ王国が囲む湾状の海だ。

 マリアン伯爵領からガルゴン王国に向かうには、王領を通過しなくてはならないし、間に山脈があるため大回りとなる。そのため、シュドメル海を横切る航路が主な交易路となっていた。


「はい。実は、先ほどエルラバス商会の者が、主のところに来まして……」


 デュールは隣室の世話役の一人だった。

 彼は、有力商会の一つエルラバス商会の使用人が、主に伝えたいことがあると伯爵家の館に来たため、エルラバス商会の主ボレナールを使用人の下に案内した。

 なお、このように商人に手厚い世話をするのは、マリアン伯爵家の方針だ。重要な話を聞き逃して機を逸しては商売に関わるから、というのが理由である。

 もちろん、何度も気安く主を呼ぶような商会を優遇するつもりはない。常識外れの振る舞いをすれば、次から呼ばれなくなるだけだ。したがって、この手の依頼は滅多にあることではない。

 そしてデュールは、暫くして戻ってきたエルラバス商会の主の様子を見るともなく見ていた。商人に困ったことがあれば話を聞いてやるべきだ、というのがマリアン伯爵家だからだ。


「ボレナール殿は、デュジャニエ商会の主フロテール殿のところに向かいました。そして、荷が届かなかったことを、得意げに伝えたのです」


 デュジャニエ商会も有力商会であり、デュールにとっては同僚であるバティスールの実家でもある。それ(ゆえ)彼は、オルネストが大規模な交易を行うべく航海に乗り出したことも把握していた。

 そして彼は、双方の様子からエルラバス商会がデュジャニエ商会に大金を融資しており、このままでは途轍もない不都合が生じるのだろうと察し、ブリュノ達の耳に入れに来たというわけだ。


「バティスール?」


「実家は、エルラバス商会からは融資を受けていないはずですが……証文を買い取ったのでしょうか?」


 ブリュノに促されたバティスールは、怪訝そうな顔で答えた。

 彼によれば、デュジャニエ商会は幾つかの商会から融資を受けたらしい。しかし、その中にはエルラバス商会の名は無いという。


「ふむ……しかし、正当な取引であれば、我らは口出しできんぞ」


 顔を(しか)顎鬚(あごひげ)に手をやっていたマリアン伯爵が、おもむろに口を開いた。

 重用する家臣の実家とはいえ、合法なものであれば手出しはしない。そうでなければ商人達の心が離れ、いずれ領内の商業が衰退する。彼は、そう続けた。


「それが……ボレナール殿は……借金の肩としてルメーヌ殿を嫁によこせと……」


 どうも、これが一番言いたくなかったことらしく、デュールはセレスティーヌやシャルロット達を気にしながら、途切れ途切れに伝える。

 もちろん、ボレナールが堂々と言ったわけではない。彼は小声でフロテールに(ささや)いたそうだ。しかしデュールは狐の獣人で耳が良い。そのため彼は、ボレナールの言葉を聞き逃さなかったのだ。


「馬鹿な! いくら何でも歳が違いすぎるだろう!」


 ブリュノによれば、ボレナールは初老の域に達しており、バティスールの妹はまだ十代後半だという。それを聞いたシノブ達は、思わず眉を(ひそ)めてしまった。

 ボレナールは妻と死に別れているし、婚姻により融資なり出資なりをするのは良くあることらしい。もちろん、金で人を買い取るようなことは許されないが、実際には資金提供を受けるために婚姻関係を結ぶことはあるという。


 なお、商船隊を組む際に、他の商会を誘ったり融資を募ったりすることは広く行われている。

 ある商会が船を出し、他の商会が買い付けのための資金を出す。そして無事に戻れば、取り決めに応じた利益を乗せて金を返す。難破や荷の損失、予定の期日までに着かないなどの場合は、これまた取り決めに応じた賠償金を払う。

 ただしシュドメル海は穏やかな内海で、難破はまず無いし、余裕を持って設定した期日に遅れることも殆ど無いそうだ。また、賠償金の支払いに猶予を認める商会も多いという。要するに、一種の互助組織という意味合いが強いらしい。


「マリアンの伯父様、何とかなりませんの?」


「全ての商人の借金を肩代わりしたら、我が伯爵家も破綻します。そして贔屓(ひいき)の商人だけ優遇するような真似も、慎むべきでしょう」


 マリアン伯爵アリトゥスは、セレスティーヌの懇願するような視線を受けても折れなかった。しかし彼も本心では何とかしたいらしく、その顔は(つら)そうに(ゆが)んでいる。


「そんな……シノブ様?」


 セレスティーヌは、マリアン伯爵が意見を変えないと悟ったようだ。彼女は、シノブへと顔を向けなおす。彼女だけではなく、ミュリエルもシノブなら何とか出来ると思っているのか真摯な表情で見つめている。

 シャルロットも、他領のことに口出しはしたくないようだが、それでも自分と大して年齢の変わらない娘が望まぬ結婚を強いられると思ったためだろう、複雑な表情を浮かべていた。


「……アリトゥス殿。許可いただければ、私の手の者に調べさせますが。ご存知かもしれませんが、私の家臣には諜報に長けた者が多いのです」


 重苦しい空気をどうにかしたいと思ったシノブは、敢えて冗談めいた口調でマリアン伯爵に語りかけた。

 いくら何でも、エルラバス商会に都合が良すぎるのではないか。もしかすると、船が遅れたのは、故意ではないだろうか。そう思ったシノブは、調査だけでもしてみようと提案したのだ。


「これは……確かに、色々な伝説を聞いていますぞ。

フライユ伯爵領内にいた間者は一ヶ月もしないうちに消え去った。そして旧帝国領で暗殺を仕掛けた者達は、シノブ殿の配下の計略によって何も出来ずに返り討ちにあったとか……」


 マリアン伯爵の言葉に、一同は思わず笑いを(こぼ)した。彼らは、それまでの深刻な様子が嘘のように微笑んでいる。


「お願いします。このアリトゥス・ド・ジュラック、領民の為なら頭を下げることを厭いません」


「私からもお願いします。シノブ殿、真実を明らかにしていただけないでしょうか」


 口調を改めたマリアン伯爵は、実際にシノブに向かって深々と頭を下げた。そして、嫡男のブリュノもそれに続く。


「アリトゥス殿、ブリュノ殿。顔を上げてください。努力はしますが、結果が出ないかもしれませんから」


 シノブの言葉に、その場にいる者は再び笑いを(こぼ)していた。シノブなら必ず事実を(つか)むと、彼らは確信しているかのようだ。


 シノブはアミィへと視線を向けた。

 アミィやアルバーノ、ソニアがいれば充分に調査は可能だが、一日で調べられるかは疑問だ。もしかしたら誰かを置いて行く羽目になるかもしれないが、それでも問題ない。

 何故(なぜ)ならシノブは、アミィを深く信頼しているからだ。


 落ち着いた様子で期待を示すシノブに、アミィは柔らかな笑みで応える。そして深い絆で結ばれた二人を目にし、囲む者達も安堵と信頼の笑みを浮かべていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月25日17時の更新となります。


 本作の設定集に、12章の登場人物の紹介文を追加しました。

 設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。


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