表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
259/745

13.04 勝者と敗者の軌跡 前編

「デュスタール殿に良い人を紹介してもらえて良かったね。これも君のお陰かな?」


 弓比べの翌日、夕食の席。シノブはシャルロットに微笑みかけた。

 あの後シノブ達はエリュアール伯爵家で饗応(きょうおう)され、今朝シェロノワへと帰還した。そして今日のシノブ達は、新たにフライユ伯爵領に滞在することになった者達を北の高地に案内した。


 まず、弓比べの発端となったエルフの青年ファリオス。高度な栽培技術を持つ彼は、この地方に存在しなかった茄子に興味を示し、フライユ伯爵領への移住を願い出た。いずれは、自国に新たな農産物を持ち帰りたいようだが、当面はフライユ伯爵領で栽培方法の研究に(いそ)しむつもりらしい。

 しかも、ファリオスやメリーナの従姉妹であるフィレネも同行することになった。どうやらファリオスのお目付け役ということのようだ。

 そしてエリュアール伯爵デュスタールは、二人の家臣をシノブに推薦した。ガエル・デボルドとカロモン・コンメールという従士階級の家臣である。彼らは、郷士というべき半士半農の出身で、若手の家臣では特に農産物に詳しいという。


 シノブはシェロノワに帰還して早々に、彼らをイヴァール達が住むアマテール村に連れて行った。

 フライユ伯爵領内でベーリンゲン帝国と気候風土が近いのは、北の高地である。帝国の農業を支援するなら、似通った土地で栽培研究をすべきである。それ(ゆえ)、まずはアマテール村近辺で試してみようということになったのだ。


「いえ、エリュアール伯爵が優れたお方だからです」


 シャルロットは、夫に褒められたのが嬉しいのだろう、色白の美しい顔をほんのりと赤く染めている。しかし、彼女が口にしたのは別のことであった。


 確かに、エリュアール伯爵は出来た人物であった。王国一の弓を看板とした家系に生まれ、弓術修行に励んできた彼であるが、自身の上を行ったシャルロットやエルフのソティオスを素直に賞賛する度量を持っていたのだ。それどころか、二人と楽しげに弓談義をする彼は、好敵手の誕生を喜んでさえいるようであった。

 そして家臣達も主君と同じくシャルロット達を褒め称えていた。シノブはシャルロットの勝利がエリュアール伯爵家の看板を傷つけたのではと懸念していたが、それは杞憂(きゆう)であったらしい。

 率直に感嘆を表現する家臣達の姿は、エリュアール伯爵が単なる好青年ではないと示しているようだ。やはりシャルロットが言うように、彼は若くとも立派な領主なのだろう。そしてシャルロットが弓比べに名乗りを上げたのも、それらを承知していたからではなかろうか。


「ですが、小豆のことをお伝えしたときは、少々驚きましたわ」


「またジョルジェット様に叱られていましたね。それに、アヴェティ様もお怒りでした」


 苦笑気味のセレスティーヌに続いたのは、ミュリエルである。二人は、シノブ達が、アムテリアから授かった農産物をエリュアール伯爵やソティオスに披露したときのことを思い出したらしい。


 アムテリアからは、ジャガイモ、小麦、大豆、小豆、甜菜などを授かったが、小豆はメリエンヌ王国やエルフの国デルフィナ共和国には存在しなかった。そのため、二人は未知の作物に異常ともいえるくらいの興味を示していた。

 広大な帝国に広めるためだろう、アムテリアはそれらの作物を大量に用意していた。魔法のカバンには、それぞれ何樽も入っており、その一部をシノブは彼らにも渡したのだ。シノブは、なるべく早期に帝国の支援を開始したかった。そのためには、自分達で独占するより多くの力を借りるべきだと思ったのだ。


「あの時は困りましたね……」


 アミィも、エリュアール伯爵領の領都ラガルディアでの出来事を思い出したようで、微妙な表情となっていた。

 弓比べの後、シノブはそれらの作物を披露した。ただし、小豆はこの地方の人々にとっては未知の植物である。そこでアミィは、小豆の使用例を見せるために餡子を作り、アンパンやフルーツ餡蜜を用意していた。

 エリュアール伯爵とソティオスは、それらが大層気に入ったらしい。彼らはアミィが出した品を味わいながら、小豆をどのように育てるのかをシノブ達に根掘り葉掘り訊ね始めた。

 もっとも、アミィもアムテリアから大まかな栽培法を伝えられただけであり、詳しい知識は持っていない。むしろ、それを相談しに来たのだから、アミィは二人に詰め寄られて困惑していた。そして、ジョルジェットとアヴェティが、それぞれの伴侶を強い口調で(いさ)めたのだ。


「彼らは、自分の好きなことになると我を忘れるようだね。傍から見ると微笑ましいけど」


「シノブ様も人のことは言えないと思いますよ~。海やお魚とか」


 今日のミレーユは、いつにも増して上機嫌である。弓比べでのシャルロットの活躍を聞いてから、彼女は微笑みを浮かべたままだ。敬愛する主の勝利であり、それが自身と競い合った成果だというのだから、尚更嬉しいようだ。そのためか、普段よりも口数が多いようである。

 もっとも、ミレーユだけではなく隣のアリエルも笑みを絶やさない。やはり、彼女達三人の絆は非常に強いようだ。


「そうだね。シャルロット、あの二人みたいに気になることがあったら何でも言ってくれ」


 シノブは、エリュアール伯爵と妻のジョルジェットや、エルフの夫妻ソティオスとアヴェティの様子を思い出して笑みを浮かべていた。

 個性的な夫達は、賢明な細君に上手く操られているようだ。しかし彼らは嫌がるどころか、むしろ妻を頼りにしているようである。シノブは、幸せそうな彼らの姿に、一種の憧れを感じていたのだ。


「特にありませんが……いえ、もっと私達を頼ってください」


 笑顔で何も無いと言いかけたシャルロットだが、途中で眉を(ひそ)め自分達を頼りにしてほしいと言い直した。彼女は帝都での戦いを思い出したようだ。

 シノブが『排斥された神』や皇帝などと戦っているときに、彼女はシェロノワで無事を祈るしかなかった。それは武人である彼女にとって、とても(つら)いことだったのかもしれない。


「わかった。これからは、もっと頼るよ」


 一瞬苦笑いを浮かべたシノブだが、表情を改めて妻に約束をした。

 シノブとしては、愛妻を前線に連れて行きたくはない。しかし、それ以外で力を借りることは幾らでもあるだろう。帝国領の統治は、単なる力押しだけでは不可能だ。そこでは、領主となるべく学んだシャルロットに頼ることも多いだろう。

 まだ課題が山積みの帝国を思い浮かべたシノブだが、頼りになる妻や家族、友人達と共に頑張ろうと、内心決意を新たにしていた。それが、帝国の運命を大きく変えた自身がすべきことだ。シノブは、そう思っていたのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 翌朝、シノブ達は帝国領に赴いた。彼らは、ここ暫くの戦いで破壊された街道や城壁を修復しに来たのだ。シノブとアミィ、それにシャルロットも同行している。シノブは、前日のシャルロットの要望を早速聞き入れたわけだ。

 もちろん、つい先日まで戦っていた帝国にシャルロットを一人だけ伴うわけにはいかない。当然、アリエルやミレーユも一緒である。その他にも、狼の獣人の女戦士アデージュ・デュフォーなどがシャルロットの護衛として随伴している。

 シノブを含め、彼らは人気の無い山地に馬を並べている。元々ここには、山間を抜ける街道が通っていたが、左右の切り立った崖は崩れており、乗馬のまま通行することは困難と思われる。実は、ここは以前シノブが崩壊させたゴドヴィング街道であった。


「これを、シノブ様が……」


「ああ、私もこの目で見ていたが、驚いたよ」


 普段、シノブと接することが少ないアデージュは、広い範囲が崩れたままのゴドヴィング街道を見て目を丸くしている。その隣で当時のことを説明するのは、シノブの親衛隊長を務めるアルノー・ラヴランだ。こちらも狼の獣人ということもありアデージュとは親しいらしく、仲良く馬を並べている。


「結局、自分で直すことになるとはね」


 愛馬リュミエールに跨ったシノブは、そんな周囲の会話を聞きながら進み出る。

 皇帝直轄領やその近辺には、大規模に破壊された場所が三箇所ある。その一つが皇帝直轄領とゴドヴィング伯爵領の境目に位置するこの場所であった。

 シノブは、帝国領内の村から奴隷となった獣人達を救出していたときに、獣人達が皇帝直轄領に徴用されることを知った。そこで彼は、皇帝直轄領への道筋であるゴドヴィング伯爵領の東端付近を広範囲に陥没させて妨害したのだ。


──シノブ様が壊したのだから、仕方ありませんね──


 何となく笑いを(こら)えたような思念を発したのは、アミィの腕に止まったホリィである。彼女が、シノブ達を魔法の家で呼び寄せたのだ。


「ホリィったら!」


──アミィ、後はよろしくお願いします。私はロイクテンに向かいますから──


 ホリィは憤慨した様子のアミィに言い置くと、大空に舞い上がった。次は、皇帝直轄領の西の都市ロイクテンの城壁の修復である。ここも、シノブとガンドが壊した場所だ。


「最後のグーベルデンは、シノブとは関係がありませんが、この二箇所は仕方ありませんね」


 シノブの背中を見つめているシャルロットはその顔に微笑みを浮かべていた。

 ちなみに、帝都の北東に位置する都市グーベルデンの城壁を壊したのは四頭の炎竜である。彼らは、帝都に攻め入ろうとした時に、グーベルデンで帝国軍に捕らわれたのだ。


「普通に直したら、何ヶ月掛かるかわかりませんしね~」


 ミレーユが言うように、街道の崩壊は広範囲であり、復旧を急いでも二ヶ月は掛かると予想されていた。

 しかも、メリエンヌ王国はゴドヴィング伯爵領を支配下に置いた後、修復を中断していた。ここを通行できない方が、守るには都合が良かったからだ。そのため街道は、崩壊から一ヶ月以上経った今でも、殆どそのときのままであった。


「ええ。それに、シノブ様が直した方が良いアピールになりますから。このままでは今後の統治にも差し支えますし」


 アリエルも同僚の言葉に相槌(あいづち)を打っていた。

 シノブが街道を修復するのは帝国の人心を掌握するためという理由もあるのだ。少々あざといかもしれないが、新たな統治者の能力を示すには、街道や城壁の修復は目に見えるだけに効果が大きい。それに、早期の政情安定のために修復が必要なのも事実ではある。


「あっ、崖が!」


 シノブが馬を進める様子を見つめていたアデージュが驚嘆の声を上げている。シノブは、街道の修復に取り掛かっていたのだ。

 光の大剣を抜き放ったシノブが馬を進めるにつれて、崩落した岩塊が街道の敷石や崖の擁壁に変じていく。流石に、何も無い荒野に街道を作りつけていくのに比べれば、ゆっくりとした速度だが、それでも人が歩く倍以上の速度で街道は整っていく。


 こうして、およそ一ヶ月ぶりに、ゴドヴィング街道は全てが繋がることとなった。

 そして、アリエルの予測どおり、近隣の住民達は、早期の復旧を大歓迎した。彼らは、街道修復を行ったシノブの偉業を讃え、この一帯を『魔竜伯の道』と呼んだという。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 街道の修復を終えたシノブ達は、魔法の家で都市ロイクテンの近くに移動していた。そして彼らは、ゆっくりとゴドヴィング街道を東に向かっていく。ガンドのブレスで崩壊したのは、ロイクテンの西側の城壁だ。そこでシノブは、城壁を修理してから都市中央の大神殿に移動するつもりであった。

 なお、帝都と皇帝直轄領の六都市は、神殿経由の転移が可能となっている。そのため、都市グーベルデンには神殿経由で向かう予定である。


「帝国も、王国と変わらないのですね……」


 愛馬アルジャンテを進めるシャルロットは、街道を行く人々を見ながら呟いていた。

 街道には、多くの馬車が行き来していた。このあたりは既にメリエンヌ王国の支配下にあるため、街道を守護するのは王国軍の兵士達である。しかし、商人達は兵士を気にする様子も無く、落ち着いた様子で馬車を操っている。

 現在、帝都やそれを囲む六都市の間は、全て王国側の統治下に入っていた。また、西側の伯爵領と繋がる街道沿いも同様だ。そのため、このあたりでは帝国兵の姿を見ることは無い。


「ああ。街の人達は、どこも同じだよ」


 妻と馬を並べたシノブは、静かに頷き返した。

 先代アシャール公爵ベランジェやベルレアン伯爵によれば、王国軍は大よそ好意的に受け入れられているらしい。街の住民は、理不尽な徴兵や徴税が無くなれば、支配者が誰でも構わないのかもしれない。

 王国軍は支配下に置いた町に、税率をメリエンヌ王国並みに下げること、それまで強制されていた神殿への喜捨を任意にすること、そして帝国軍の解散を宣言していた。王国軍の司令官達は、メグレンブルクやゴドヴィングを攻略したときに、それらを民衆が熱望していると実感していたからである。


「帝国では、平民と支配階級の間には絶対的な差があるようですね。たぶん、皇帝達が他所から来たせいだと思います」


 アミィが言うように、帝国の支配階層と平民には、他国に比べて厳しい格差があるようだ。どうやら、それは彼女の言葉通り、帝国の成り立ちに起因しているとみえる。


 ベーリンゲン帝国の皇帝や重臣の先祖は、遥か東方から来たらしい。そのため、先住民を抑えつける体制となったようだ。多数を占めた獣人達を奴隷とし、残った人族に対しても反乱されないように力を殺いだようである。

 先住民の支配層のうち元々皇帝直轄領にいた者は排除し、遠方の有力者は伯爵として地方に封じた。そのため、皇帝直轄領にいる上級貴族は、殆どが東方から来た者の末裔だという。それに、長く続く統治の中で、他の貴族も中央との関係を強化していったため、支配層に純粋な先住民と呼べるものは少ないようだ。

 それに対し、平民はほぼ間違いなく元々この地に住んでいた者だという。彼らは、他国のように平民から従士や騎士に取り立てられることも無いらしい。支配階級には実力に応じて高い位を与えられるようだが、それはあくまで従士以上に限定されたことのようだ。

 そして、既に帝国誕生から650年が過ぎているが、このような社会構造は殆ど変化しないままだという。異民族である皇帝達からすれば、その出自で結束力を高める必要もあるのだろうし、既得権を先住民に分け与えるメリットも感じなかったのだろう。


「それでですか~。もっと、敵視されるかと思っていました」


 アミィと並んで、シノブ達の前を進むミレーユは、納得したような表情となった。彼女は、すれ違う馬車を御している商人達が、異国の将官を見ても悪感情を見せないことを不審に思っていたらしい。

 シノブは略装だが東方守護将軍に相応しい美々しい軍服を身に着けているし、シャルロットやアミィも司令官級に相応しい姿である。それに、ミレーユ達も全員大隊長級だ。

 もちろん帝国の商人達は、王国の軍服を見ても階級など判断できないだろう。しかし、シャルロットとシノブ、アリエルとミレーユのマントには金糸の縁取りがあるし、他も金モールの肩章や飾緒を付けている。それを見れば、彼らがただの兵士ではないと察する筈だ。


「統治に関わることが無いだけに、良い統治者であれば誰でも構わない、ということですか」


 アリエルの言葉に、シノブは内心頷いていた。

 帝国の民が王国軍を敵視しないのは、そういう背景もあるとみえる。要するに街の者からすれば、自分達とは関係の無い世界の住人が交代しただけという認識らしい。

 もっとも、シノブからすれば、メリエンヌ王国の政治体制も帝国と大きな違いは無いとは思っていた。民主主義の国から来たシノブからすれば、両方とも専制君主が統治する身分社会だからだ。

 しかし、メリエンヌ王国や友好国の場合、平民出身でも能力次第では騎士や従士になることが可能である。実際、マルタン・ミュレは平民から従士となったし、ベルレアン伯爵領でヴァルゲン砦の司令官をしているアンベール・ポネットは、平民から騎士へとなった。

 流石に、騎士から貴族になる者は稀らしいが、それでも不可能というわけではない。事実、シノブは他国の騎士階級という触れ込みであったが、伯爵継嗣であるシャルロットの婚約者となった時に合わせて子爵位を与えられている。


「今後は、意欲と実力のある者が相応の立場となれるようにしたいね」


「はい」


 シノブの実感の篭った言葉に、シャルロットは言葉少なに頷いた。

 伯爵の継嗣として生まれ育った彼女だが、それ(ゆえ)に身分に縛られた人生を歩んできた。幸い彼女自身は地位に相応しい能力を持っていたが、夫に収まろうとした数々の男性に求婚される羽目となった。シャルロットは当時のことをあまり口にしないが、実力不相応な者を多く見てきたようである。

 逆に、かつての部下アンベール・ポネットのように平民出身でも騎士に相応しい者もいる。そんな経緯もありシャルロットは、身分の上下が能力と関係ないと実感したようだ。


「シノブ様なら、絶対出来ます! ここにいる皆も、そう思っていますよ!」


 先行するアミィは、シノブ達に振り返ると微笑んだ。

 アミィだけではない。アリエルやミレーユ、それにアルノーやアデージュもそれぞれの仕草で賛意を表していた。

 男爵家の娘のアリエルとミレーユ、従士階級だったアルノー、傭兵出身のアデージュ。彼らも実力で現在の地位を(つか)んだだけに、能力により正しく評価されるべきと考えているのだろう。


「ああ、頑張るよ」


 シノブは、アミィに快活な笑みと共に言葉を返した。

 一国の制度を改変するなど、気が遠くなる大事業である。しかし、ここにいる者達が助けてくれれば何とかなるだろう。シノブは明るい予感を(いだ)きながら、まだ肌寒い街道を進んでいった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 都市ロイクテンの西側の城壁は、およそ一ヶ月前の岩竜ガンドのブレスにより倒壊したままであった。元々西の大門があった場所だけは瓦礫が片付けられていたものの、その他は倒壊した城壁が放置されていた。

 そして、城壁の手前の平原もブレスで大きく削られたままだが、こちらも街道だけは最低限の補修をし、都市への出入りが出来るようになっていた。

 このあたりは、魔獣もいないから、城壁がなくても問題ないかもしれない。しかし、元々存在するものが壊れたままというのは、何となく不安になるものだ。それに、壊れた城壁を乗り越えれば都市の出入りは容易であり、治安上の問題も大きい。

 そのため、西側には王国軍の兵士が多数配置され、歩哨をしていた。幸い、元々城壁が建っていた場所から、都市内部の住居との間には20m少々の空地がある。そこで兵士達は、空き地と住居の境に立ち、不審者が出入りしないか見張っていた。しかし彼らの苦労も、今日までであった。


「これで終わりか。結構時間が掛かったね」


「……普通なら何週間も掛かるはずですよ」


 シノブの呟きに、シャルロットは何と答えるべきか迷ったようだ。

 何しろシノブは、昼前に都市ロイクテンの城壁の修復を終えたのだ。ロイクテンに到着したのは午前9時頃だったから、実質二時間半というところであろうか。しかも城壁の修復の前には、ガンドのブレスで削られた手前の土地の整地もしている。


「胸壁も、しっかりありますね~」


「後は、門扉や滑車などを取り付ければ完成ですね」


 ミレーユとアリエルも、呆気(あっけ)に取られたような表情で城壁の各所を見回している。現在、シノブ達は修復が終わった城壁の上にいるのだ。

 城壁の上には射撃の際に盾となる胸ほどまでの高さの壁、つまり胸壁まで備わっている。しかも胸壁は一定間隔で凹凸が設けられているという芸の細かさだ。これならアリエルが言うように、大門の門扉を取り付け、城壁の上に投石機(カタパルト)や、弾となる岩を運ぶ滑車を設置すれば、元通りである。


──上から見ても問題ありませんでした!──


 アミィの腕に舞い降りてきたホリィが、思念で報告する。修復した城壁は、およそ2kmにも及ぶ長さである。そのため彼女は、各所を回って点検していたのだ。


「ありがとう。それじゃ、降りようか」


 シノブは、シャルロット達と共に城壁の裏手にある階段を下っていった。もちろん、この階段もシノブが造ったものだ。


「凄いな……あれが新しい皇帝か?」


「いや、伯爵で将軍らしいぞ……」


 歩哨をしている王国兵の後ろには、多数の住民が集まっていた。彼らは、シノブ達を興味深げに見つめている。王国兵も、シノブの能力を帝国の住民に見せる良い機会だから、彼らが噂するままに任せている。もっとも、住民達が武器などを持っていないかなど、危険は排除した上であるが。


「あの人が竜を操っているの?」


「兵士達は、そんなことを言っていたな。何でも『魔竜伯』って呼ばれているらしいぞ」


 ロイクテンは、王国軍の支配下に入ってからまだ一週間程度だ。そのため、シノブを含めメリエンヌ王国についての情報は基本的なものしか伝わっていないようだ。それでも、徴兵が無くなり税率が下げられたせいか、見物している者達の多くはシノブ達に好意的な視線を向けている。


「税金を下げたっていっても、一時の人気取りじゃないか?」


「ああ。そのうち、元に戻すかもしれんな……」


 とはいえ、中には懐疑的な者もいるようだ。彼らは、新たな支配者を見定めるかのような冷静な視線を向けている。なお、王国軍の兵士には、不審な行動に出ない限り住民達をそのままにしておくように命じている。そのため、兵士達は顔を(しか)めながらも観衆達を(たしな)めることはない。


「お待たせ。それじゃ、大神殿に行こうか」


 そんな中、階段を下りたシノブは馬の番をしていたアルノーやアデージュの下に歩み寄っていく。シノブも、全ての住民が最初から受け入れてくれるとは思っていない。そのため、ざわめく観衆の言葉は敢えて聞き流していた。

 それに、これから中央区の大神殿に行き、そこから北東の都市グーベルデンへと転移する。そして、グーベルデンの城壁を修復したら、最後は帝都に行くことになっている。したがって、時間は無駄には出来ない。


「どうぞ」


 アルノーは、シノブに乗馬であるリュミエールの手綱を渡した。大勢の観衆がいるためだろう、アルノーは少々警戒しているようだ。そのため、普段にも増して言葉数が少なくなっているのだろう。


「案内はお願いしましたよ」


 アデージュも、頭上の狼耳をピンと立てている。彼女は、ロイクテンに駐留していた兵士に語りかける際も、周囲を警戒するように耳をピクピク動かしていた。

 シノブとしては、少々警戒しすぎな気もするが、それも仕方ないだろう。いくらシノブが強力な魔術が使えるといっても、不意を突かれたら後れを取ることがあるかもしれない。それに主が強いからといって警戒を怠るようでは、警護担当としては失格である。


「魔竜伯様!」


「おい、リュリヒ!」


 乗馬したシノブ達に向かって、一人の若者が走り出てきた。健康そうな若者ではあるが、武器を持っていないし魔力もごく普通な町人風の男だ。

 彼は友人らしい男に制止されながらも、駆け寄ってくる。


「止まれ!」


「怪しい奴!」


 とはいえ相手はごく普通の若者だ。王国兵達がそのままにしておくわけが無い。兵士達はリュリヒという若者に駆け寄ると、あっという間に取り押さえた。


「手荒なことはするな」


 シノブは兵士達を静かに制していた。彼は愛馬リュミエールから降りると、取り押さえられた男に近づいていく。

 そしてアミィとアルノーが、シノブの左右を守りながら続いていた。二人は抜き放った剣を油断なく構えている。


「シノブ!」


 シャルロットもシノブ達に続こうとしたらしい。彼女は自身の乗馬アルジャンテから降りようとする。


「シャルロット様!」


「シノブ様にお任せした方が……」


 しかし、シャルロットはアリエルとミレーユに押し留められた。二人は、ごく普通の男がシノブに危害を加えることは出来ないと思ったのだろう。

 アデージュも含め三人の女戦士は、アルジャンテに自身の馬を寄せていく。それを見て、反射的にシノブを追おうとしたシャルロットも、思いとどまったようだ。とはいえ馬上に留まったままの彼女は、不安げな表情でシノブを見つめている。


「リュリヒと言ったね。何か言いたいことがあるのかな?」


 シノブは取り押さえられた若者を脅かさないように柔らかな笑みを浮かべつつ、ゆっくりと語りかけた。

 しかし、周囲の者は厳重な警戒を続けている。剣を抜き放ったままのアミィとアルノーは険しい表情のままだし、兵士達も乱暴こそしないもののリュリヒの両腕をしっかりと押さえている。


「す、すみません! 魔竜伯様にお礼を言いたかっただけなのです!」


 兵士達に取り押さえられながらも、リュリヒは気丈に言葉を返していた。彼は、周囲を囲む者など目に入らない様子で、一心にシノブを見つめている。


「お礼?」


 シノブは、初めて会う若者の言葉を怪訝に思った。シノブは、ロイクテンには神像を造り変えたときに来ただけであり、そのときには街の人と会うこともなく引き返した。そのため彼は、リュリヒが何に感謝するというのか見当もつかなかったのだ。


「私はゼルスザッハの出身なのです。でも、病気の母がいるのに無理矢理徴兵されてロイクテンに配属されたのです! これからゼルスザッハに戻るのですが、お姿を拝見したら、つい……」


 リュリヒは自身の行動を振り返り、今更ながら恐縮したようだ。彼の声は、だんだん小さくなっていく。


「そうか……お母さんを大切にするんだよ」


 シノブは、リュリヒの肩に手を添えると、微笑みかけた。

 彼は、自身の両親のことを久しぶりに思い出していた。おそらく、自分はもう両親や妹と会うことは出来ないだろう。しかし、リュリヒを親元に戻すことは出来た。そう思った彼は、どことなく感傷的な声音(こわね)でリュリヒに語りかけていた。

 帝国との戦いでは、多くの別れがあっただろう。しかし、その一方で、多くの再会もあったはずだ。軍務を解かれて故郷に戻る者、戦闘奴隷から解放されて家族と再会する者。シノブは、全てを救うことは出来なかったが、その一方で救えたものがあると感じていた。

 神ならぬ身としては、手が届く範囲に幸せを(もたら)すよう努力するしかない。シノブは湧き上がった思いを己の胸中に刻みながら、故郷に帰る喜びで顔を輝かせた若者を見つめていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月19日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ