13.03 シノブ南方に発つ 後編
エルフの国であるデルフィナ共和国は、その国土の殆どが森林である。
もちろん、集落の近くは切り開かれ住居や畑が広がっており、森の中にそのまま住んでいるわけではない。しかし、彼らは森を大切にし、必要以上に自分達の生活領域を広げることはなかった。
また、エルフは長寿であるが出産率は低かった。一組の夫婦から生まれる子供は二人を少し上回る程度であり、人口はほぼ横ばいらしい。一般的に寿命が短い生き物ほど多産であるから、それ自体はおかしなことでもない。だが、結果としてデルフィナ共和国はエウレア地方の国々の中で、最も人口が少なかった。
この地方で最大の人口を抱えるのはメリエンヌ王国である。ちなみにメリエンヌ王国の300万人に続くのは、ベーリンゲン帝国の250万人だ。それに対し、デルフィナ共和国は人口50万人だという。デルフィナ共和国の国土はメリエンヌ王国の半分程度だから、人口密度は三分の一程度ということになる。
ただし、人口が少ないからといってデルフィナ共和国の国力が劣るわけではない。彼らは、他種族よりも魔力が多いし、弓術の達人も多い。そして、森は防御に適した場所である。エルフ達は、それらの利を活かして先祖伝来の地を守り通してきた。そのためエルフ達は、武術の中では弓を特に重視するようだ。
もっとも、エルフにとって弓術は、戦云々以前に生活に必要不可欠な技術である。彼らは、騎乗や農耕に使うための馬は保有しているものの、他に家畜を持たない。そのため、食肉は狩猟によって得るという。
どうも、必要以上に森を切り開かないのも、狩猟対象である鹿などや小動物、鳥を保護するためのようだ。森を大切にするのは、彼らが森の女神アルフールを深く信仰しているからでもあるが、そういう実利的な面もあるらしい。
「……私達は魔術も使えますが、狩猟は弓で行うのです。森から必要以上に命を奪ってはいけませんから」
シノブ達に、そう説明したのはメリーナの母アヴェティ・エイレーネ・ソフロニアである。彼女は、エリュアール伯爵や夫のソティオスが弓比べの準備をする間、シノブ達にエルフの暮らしについて掻い摘んで教えてくれたのだ。
アヴェティは、アレクサ族の長エイレーネの娘であり、補佐役でもある。今回の訪問で正使を務めているように、族長の右腕とでもいうべき人物のようだ。
もっとも、エルフの族長は世襲制ではないし、百歳を超えるアヴェティも、人族ならまだ三十代半ばに相当する年齢である。したがって、彼女が族長になるとしても、まだ何十年も先のことらしい。
「エルフは、男女に関係なく弓を習います。ミシェルさんくらいの歳までには親から短弓を贈られ、狩りの仕方を教わるのです」
メリーナも、母の言葉を補った。彼女は、ミュリエルの側にいる狐の獣人ミシェルへと視線を向けている。ちなみに、ミシェルはもうすぐ七歳の少女である。
「ミシェルくらいからですか……」
驚嘆の声を上げたのはミュリエルである。ミシェルへと顔を向けた彼女は、幼い少年少女が弓に励む姿を想像したのだろう、その目を大きく見開いていた。
もっとも、驚いたのはミュリエルだけではない。彼女の側仕えとして随伴しているフレーデリータも同様だし、武術とは縁のないセレスティーヌも同様である。一方、幼い内から武術に取り組んだシャルロットや、厳しい自然を相手に生きてきたイヴァールなどは、驚く様子は無い。
──狩りは、早いうちから学んだほうが良いですからね──
オルムルは、当然といった態の思念を発していた。なお、彼女は元の大きさに戻り、背にシュメイとファーヴを乗せている。
急遽開催されることとなった弓比べは、エリュアール伯爵領軍の演習場で行われることとなった。そのためシノブ達は、従者や侍女どころか竜達も含めて演習場へと移動していたのだ。
──あなた達にも、もう少ししたら狩りを教えましょうね──
三頭の後ろから呼びかけたのは炎竜のイジェだ。そして彼女の言葉を聞いたシュメイとファーヴは、喜びの叫びを上げている。
岩竜や炎竜は、子供が飛行とブレスを身に付けると同時に狩りを教え始める。子竜は大よそ生後三ヶ月でそれらを覚えるが、イジェの娘のシュメイは生後二ヶ月と少々、岩竜の子ファーヴは一ヶ月を越したところであり、当然どちらも習得していない。
ちなみに竜達は『アマノ式伝達法』も用いていたが、今日竜と接したばかりのアヴェティには、彼らの会話を理解することは出来なかった。そこでアミィが、竜達の語った内容を彼女に教えている。
「……竜も私達も変わらないのですね」
アヴェティは、緑の瞳で竜達の様子を見つめながら呟いていた。
彼女を始めとするエルフの使者は、シノブ達がエリュアール伯爵領の領都ラガルディアに到着して直ぐに竜達を紹介された。エルフ達は、自国の国境近くに現れた竜に対し、最初は非常に強い警戒を示していた。そこでシノブ達は、なるべく早く竜達の実態を伝えたかったのだ。
その結果アヴェティ達は、竜達が人と同様の知性を持っているし危険な存在ではないと知った。しかし、こうやって竜達が親子の語らいをする様子は、単なる説明以上に深い理解を齎したようだ。
「はい、私もそう思います。ですから、様々な種族が手を取り合って暮らせるようにしたいのです」
シノブは、アヴェティへと静かに語りかけた。
各国、各種族の文化は、決して一様なものではない。それらは、それぞれ尊重されるべきものだ。とはいえ、ベーリンゲン帝国の奴隷制度のように、是正すべきものもある。そのように譲れない点があるのは事実だが、シノブは、国家間、種族間の交流を深めることで、少しでも争いを回避したかった。
そんなシノブの意図が伝わったのだろう、アヴェティやメリーナ達は、微笑みと共に頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「こちらの準備は終わりましたよ!」
快活な笑顔と共に声を上げたのは、エリュアール伯爵である。彼は、弦を張り終えた自身の長弓を掲げていた。
弓比べの発端は、シノブ達が保有する茄子にメリーナの兄ファリオスが興味を示したことであった。
そもそも、エウレア地方には茄子は存在しないらしい。しかも、アムテリアから授かった茄子は、通常では考えられない速度で成長する。それを知ったファリオスが、シノブ達の下に行くことを望んだのだ。
しかし、彼の父であるソティオスは、息子が外国に赴くことに反対のようだ。元々エルフは他国との交流を避けていたから、当然の反応ではある。
そしてソティオスは、エルフに伝わる仕来り『弓の試し』に息子が勝ったら許そうと言い出した。弓の試しとはエルフの成人の儀式であり、子供は同性の親権者に弓比べで勝たなくてはならないという。
しかし、ソティオスはアレクサ族で一番の弓術名人であり、ファリオスが勝つことは難しいらしい。ならば他の誰でも良いから勝てば許す、とソティオスが言ったところ、何とエリュアール伯爵が名乗りを上げた。
エリュアール伯爵家は弓を表芸とした一族である。そのため彼は、弓での勝負と聞いて我慢できなかったらしい。彼は、弓の名人であるエルフと競う良い機会だと思ったようで、家臣に嬉々として弓比べの段取りを命じていた。
「私も終わりました。どちらからにしましょうか?」
ソティオスは、伯爵にどちらが先に射るのかと問いかけた。彼は、自信ありげな笑みを浮かべており、先でも後でも構わない、という様子だ。
なお、今回の弓比べは遠矢を競うものとなっていた。もちろん、単に遠くに飛べば良いというわけではなく、標的への命中率を競うのだ。
ちなみにメリエンヌ王国の弓術大会では、三回試射をした後に五回の射撃を行って、その五回の合計点で評価する。もちろん、的の中央に近い場所に当たれば高得点である。なおエルフの競技も、回数以外は変わらないようだ。
別に動く的に当てるわけでもないし、流鏑馬のように疾走する馬上から狙うわけでもない。そういう意味では、ごく平凡な弓比べなのだが、的への距離は普通とは言い難かった。何と、標的は600m先にあるのだ。
──この世界には身体強化があるとはいえ、600mとはね──
──この距離を飛ばす人は他にもいるでしょうけど、当たるかは別でしょうね──
呆れたような思念を発したシノブにアミィは苦笑しながら答えた。標的は直径2mあるそうだが、肉眼では点のようにしか見えない。仮にライフルでもあれば当てることも可能だろうが、それらの銃にはスコープが付いているだろう。しかし、彼らはこれを肉眼で狙うという。
「弓術大会の距離は、あの半分です。流石はエリュアール伯爵ですね」
シャルロットは、シノブが何に驚いているか察したらしい。彼女は、微笑みながらシノブに説明する。
しかし、シャルロットはエリュアール伯爵を褒めつつも、それほど驚いている様子ではない。その様子を見たシノブは、弓の名人であるミレーユも同じくらいの技量を持っているのだろうかと、内心想像した。
「これが、お家芸ですから……」
エリュアール伯爵の妻ジョルジェットは、謙遜しながらも嬉しげな表情を浮かべている。落ち着いた性格の彼女だが、夫を賞賛されて嫌ということはないだろう。それに、相手は王国でも有数の武人であるシャルロットだ。そこらの者の言葉とは重みが違う。
「私も300mなら、そこそこいけるのですが……全く父上は大人気ない」
「はい……普通は200mで外れなしなら、子供に花を持たせるのですが」
こちらは、ファリオスとメリーナの兄妹である。
メリーナによれば、ファリオスもエルフの成人男子としては充分な腕前らしい。彼も、300m先なら全てを的に当てるそうだ。
「父は、兄を手放したくないのです。兄の栽培技術は、我が一族でも群を抜いていますから」
周囲の者が呆れたような顔をしたためだろう、メリーナは頬を染めながらシノブに向かって説明をする。
ソティオスは優れた農業技術を持っており、アレクサ族の農業の中心的人物となっている。しかし、ファリオスもそれに負けず劣らずの腕の持ち主だという。そのため、ソティオスは息子を自分の下に置きたいのだろうと、彼女は語った。
「……では、私が後ということで」
シノブ達がそんなことを話している間に、弓比べの順序は決まっていた。エリュアール伯爵がコイントスをし、それを当てたソティオスが後を取ったようだ。ちなみに、エルフの弓の試しは子供が先である。おそらく、ソティオスは、人族の伯爵の技量は自分より下だと思っているのだろう。
エリュアール伯爵も、ソティオスの意図を察したようだ。彼は、少々悔しげな顔をしながら射撃の位置へと進んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
エリュアール伯爵は、彼の身長に匹敵する長弓を引き絞っている。肩幅より足を広く開き、半身になり弓を縦に構えたその姿は、一見すると弓道やアーチェリーの構えと同じように見える。
しかし、シノブが知る弓道などとは違い、エリュアール伯爵は鏃を斜め上に向けている。流石に、この世界の人間が身体強化により並外れた能力を持っていようが、重力を無視することはできない。的が600m向こうなら、曲射となるのが当然であった。
「本当に凄い力だな……」
今、シノブ達は観戦用の壇の上にいる。壇の高さは人の背ほどだ。シノブは、そこから10mほど手前にいるエリュアール伯爵の姿を見つめていた。
「身体強化をしているようには見えませんね」
アミィが言うように、隆々たる筋肉で強弓を引くエリュアール伯爵からは、あまり魔力を感じない。シノブもそれを察していたから思わず声を漏らしたのだ。
「おっ! 命中したぞ!」
「真ん中です!」
エリュアール伯爵が矢を放った直後、望遠鏡を覗き込んでいたイヴァールとミュリエルが歓声を上げた。
主に軍用だが、このあたりの国には望遠鏡が存在する。そのため、観戦するシノブ達には望遠鏡が配られていた。何しろ的は600mも向こうなのだ。普通の者なら当たったかどうかすら判断できないだろう。
「良く当たるな……風だって少しはあるのに」
シノブは、あっさりと真ん中を射抜いた技量に驚嘆していた。
今日は天気も良いが、全くの無風というわけではない。しかしエリュアール伯爵は、三回の試射で充分に風の流れを把握したらしく、本番は一回目から的の中心に当てたのだ。
「風を判断するのも良い射手の条件の一つです。筋力に視力、そして風や空気を感じ取る天性。弓を極めるには剣や槍とは違う資質が必要なのです」
シャルロットは、自国を代表する達人の技を見たためだろう、その相貌に嬉しげな笑みを浮かべていた。やはり、彼女としては同じ王国貴族としてエリュアール伯爵に勝ってほしいようだ。
「10点ですね!」
アミィは、審判役が掲げる旗を見て歓声を上げた。
的の脇には、分厚い石の壁で囲まれた一角がある。そこには審判を務める者が控えているのだ。ちなみに、中心から10cm以内が10点、そして10cmごとに1点下がる配点である。
「おお、今度は9点か!」
イヴァールは、再び大きな声を上げていた。
第二射は、一つ外の円に当たっていた。流石に、二度連続10点とはいかなかったが、それでも神業というべき腕前である。
「素晴らしい腕ですが……」
「ええ……」
対照的に、浮かない表情となったのは、ファリオスとメリーナだ。特に、兄のファリオスは、明らかに落胆している。
「ファリオス殿。お父上は?」
「はい。父なら、五射のうち四射は一番小さい円に当てるでしょう。ですから、もう一回、外の円になったら、危ういかと」
シノブは、ファリオスの答えを聞いて絶句した。エリュアール伯爵も、信じ難い腕だと思っていたのに、ソティオスは更に上を行くらしい。
「まさか、それほどまでとは……」
「そんな……」
驚愕の表情を浮かべたのは、セレスティーヌとミュリエルだ。そして再び前に向き直った二人は、それまでとは違って祈るような表情でエリュアール伯爵の姿を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
結局エリュアール伯爵の成績は、10点が三回、9点が二回の48点であった。シノブとしては、これを超える者がいるとは思えないのだが、二人のエルフ、ファリオスとメリーナの表情は暗いままである。どうやら、彼らは父のソティオスが勝利すると確信しているようだ。
「素晴らしい腕ですな。王国一の名門という看板に偽りは無いようです」
五射を終えて戻ってくるエリュアール伯爵を、ソティオスは拍手と共に出迎えた。だが、その顔には余裕が感じられる。
「……王国では、と言いたいのですか?」
エリュアール伯爵は、ソティオスが言わんとしていることを察したらしい。彼は、一瞬だけ眉を顰めたが、内心の思いを押し殺したかのような平板な声で問いかける。
「それは、これから判るでしょう」
ソティオスは、確言を避けたまま歩み去っていく。しかし、その後姿は自信に満ちており、彼が何を言いたかったのかシノブ達は嫌でも悟らざるを得なかった。
「デュスタール殿とは違って、少し細めの弓だね」
「はい。かなり特殊な造りのようです」
シノブの呟きに答えたのはシャルロットだ。
ソティオスが持っている弓は、王国の弓とは少々構造が異なるようだ。弓の長さはエリュアール伯爵のものと殆ど変わらないが、一回りは細い。しかし同じ距離を飛ばすのだから、張りの強さなどは変わらない筈である。たぶん、シャルロットが言うようにエルフ独特の技術で造ったものなのだろう。
そんなことをシノブ達が話している間に、ソティオスは試射を終えていた。試射は一射目こそ7点の位置だったが、残り二射は中心の円に納まっている。
「あっ、また真ん中です!」
「む……これでは負けてしまうぞ」
ミュリエルとイヴァールの声音は、先ほどまでとは一変して曇り勝ちであった。
ソティオスは気負いなど感じられない表情で、淡々と矢を射続けていた。エルフである彼は、ほっそりとした体型であり、女性のように肉付きが薄い腕をしている。しかし、身体強化を使っているのか、放たれる矢の勢いはエリュアール伯爵に勝るとも劣らない。
この地方の国々では、武術大会で身体強化を使うことは認められている。攻撃魔術や催眠のように相手に働きかける技の使用は許されていないが、自身を強化する魔術は禁じられていない。そのため、弓比べで身体強化を使っても問題ない。
「……合計49点ですか」
セレスティーヌが言うように一回だけ9点となったものの、残り四射は10点だったのだ。要するに、たった1点差だが、エリュアール伯爵の負けである。
自国を代表する弓の名人が敗れたからか、それともシノブの希望する農業指導者が得られないと思ったためか、セレスティーヌは残念そうな様子を顕わにしていた。
「シノブ様、ミレーユさんを呼んできますか?」
「いくらなんでも、それは駄目だろう。ソティオス殿は『ここにいる誰でも良いから』としか言っていないからね」
シノブは、ミレーユを連れて来ようというアミィに首を振った。
ソティオスは『何人でも良い』と言ったが、その一方で『この場にいる者』と限定したようでもある。彼がそこまで意識して言ったかどうかは定かではないが、シノブは他所から連れて来ることに躊躇いを感じたのだ。
シノブの答えを聞いて、アミィは残念そうな表情となった。彼女だけではなく、ミュリエルやセレスティーヌも同様である。
「これではファリオスの移住を認めるわけにはいきませんね。ですから……」
「私も挑戦します。ソティオス殿は、何人でも挑戦して良いと仰せでしたから」
ソティオスは嬉しげな表情で何かを言いかけたが、それは途中で遮られた。シノブ達が落胆する様子を見たシャルロットが、新たな挑戦者として名乗りを上げたのだ。
「これは……もちろん構いませんが、弓はどうされますか? 私の弓をお貸ししましょうか?」
ソティオスは、凛々しい表情を浮かべたシャルロットに、自身の弓を貸そうと申し出た。彼は、複数の挑戦者で構わないと言った通り、弓比べの参加者が増えること自体は問題視していないようだ。
「いえ。私は王国軍人ですから、エリュアール伯爵の弓をお借りします」
「……ご武運を」
観戦用の壇から降りたシャルロットに、エリュアール伯爵は自身の弓と矢筒を差し出した。
さっぱりとした性格の彼らしく、戻ってくるソティオスには素直に拍手を送っていた。しかし、シャルロットが挑戦すると聞き、男らしく太い眉を僅かに顰めていた。おそらく、シャルロットが恥をかかないかと案じているのだろう。
エリュアール伯爵は、シャルロットに二言三言助言をしてから、シノブ達の方に歩き出した。どうやら彼は、愛用の弓の特性などを伝えたようだ。
そしてシャルロットは、数回弓を引いて調子を確かめていた。彼女は身体強化を使ったのか、自身の身長よりも長い弓を軽々と引いている。
──アムテリア様から帯を頂いていて良かったですね──
──そうだね。流石に強化無しであの強弓を引くのは難しいだろうし──
アミィの思念に、シノブも同じように言葉に出さずに答えていた。
シャルロットは武術で鍛えてはいるが、体格は男性のように大きくはないし、女性らしい均整の取れたスタイルの持ち主だ。当然、素のままの筋力は男性には劣る。
そして、子供を身篭った彼女は本来身体強化を使用すべきではないが、アムテリアが授けてくれた帯があれば胎児への悪影響は発生しない。そのため、シノブ達は安心してシャルロットを見守っているのだ。
「おお! 中々の腕前ですね!」
シャルロットが試射を始めると、ソティオスが歓声を上げていた。彼は、シャルロットが自身に勝てないと思っているのだろう、落ち着いた様子で観戦していた。
だが、それも仕方ないだろう。シャルロットの一射目は辛うじて的に当たってはいるが、中心からは大きく外れていたのだ。
「いや、初めて手にした弓で的に当たるなど、そう簡単に出来ることではありません! ましてや、この距離です。近距離の直射とは違いますから!」
シャルロットと入れ違いに壇に上がってきたエリュアール伯爵は、彼本来の快活な笑みを浮かべていた。そして彼の言葉を聞いたシノブ達も、一様に表情を明るくする。
「さすがシャルお姉さまですわ!」
「はい!」
第二射、第三射は、何と中央の円に入っていた。シャルロットは、たった三回の試射で完全に弓の調子を掴んだようだ。
「これは、父上に勝てるかも……」
「ええ、私など足元にも及びません……」
シャルロットは、本番の第一射も中央から外すことは無かった。それを目にしたエルフの若者達、ファリオスとメリーナの兄妹や同年代のフィレネは感嘆の溜息を漏らす。
何しろシャルロットは、一族最高の射手であるソティオスと同等の腕を見せているのだ。幼い頃から弓を学んできたファリオス達には、凄さが尚更実感できるのだろう。
「これで40点だね!」
「はい!」
シノブとアミィは、笑顔で声を交わしていた。彼らが期待の視線で見守る中、シャルロットは試射から数えて六連続で中央に当てていた。シノブ達が喜ぶのも、当然であろう。
「むぅ……おっ、これは!」
だんだん苦々しげな表情となっていたソティオスは、急に顔を綻ばせていた。彼は、何かを感じ取ったらしい。
「フライユ伯爵、上空の風向きが変わりました。この辺りは変わっていませんが……」
シノブ達が怪訝な顔をしているのに気がついたのだろう、今まで黙って見守っていたアヴェティが、夫が何を察したかを静かに説明した。シノブは彼女が言う変化に気が付かなかったが、エルフであるソティオスやアヴェティは、上空の風の流れまで読み取れるようである。
「最後の一射の前に……シャルお姉さま……」
顔を曇らせたセレスティーヌだが、シャルロットにアヴェティの言葉を伝えることはなかった。風を判断するのも良い射手の条件、というシャルロットの言葉を思い出したのかもしれない。たぶん彼女は、シャルロットが助言など望まないと思ったのだろう。
シノブも、シャルロットが真摯に武術へと取り組む姿を知っているから、口を噤んで見守ることにした。彼だけではなく、アミィやミュリエルも心配げな表情のまま見つめるだけである。
「命中した!」
シノブが叫んだ通り、シャルロットが最後に放った矢は、的の中央に吸い込まれるように当たっていた。それまでとは僅かに違う軌跡を描いた矢は、見事に標的の中心に刺さったのだ。
どうやら、エルフの二人が察知した風の流れを、シャルロットも読み取っていたようだ。
「いや、お見事! 参りました! 貴女こそメリエンヌ王国一、いやエウレア地方一の名人ですね!」
流石に、これにはソティオスも敗北を認めるしかなかったようだ。彼は、エリュアール伯爵を迎えたときとは違う、純粋な笑顔と声音でシャルロットを賞賛している。
「私より、友人のミレーユの方が上です。それに、エリュアール伯爵も今日は少し調子が悪かっただけだと思います。
……それはともかくソティオス殿。ご子息を大切にするのは理解できますが、温かく送り出してあげるのも親の愛だと思います。私のような若輩者が何を言うかと思われるかもしれませんが……」
シャルロットは、ソティオスが植物栽培に優れた才を示す息子を手放したくないのではと思ったようだ。様々な経験により成長した彼女は、ファリオスにも同じような機会を与えたいと考えたのかもしれない。
「あ、ああ。そうですね。息子に他国で学ばせる……それが良さそうですね!」
「……貴方。本当はご自分が行きたかったのでしょう?」
何故かどもり気味に答えたソティオスに笑いかけたのは、妻のアヴェティである。対するソティオスは、妻の言葉が事実であったらしく、苦笑いを浮かべている。
「いや、ソティオス殿のお気持ち、わかりますぞ! 私だって、シャルロット殿の下で弓の修行をやり直したいところです!」
「貴方……領地を置いていくなど、冗談にしても言って良いことではありません」
自身もシャルロットに弓を教わりたいと言い出したエリュアール伯爵に、ジョルジェットが釘を指した。口調こそ冗談めいてはいるが、夫を見つめる目は笑ってはいない。
シノブは、ソティオスとエリュアール伯爵のやり込められる様を見て、笑いを堪え切れなかった。彼だけではなく、周囲の者も笑いを零している。それどころか、竜であるイジェやオルムル達も興味深げに見つめていた。
エルフも人族もそれほど違いは無いのかもしれない。そう思ったシノブは、これから回る各国への期待を膨らませていた。シノブは、様々な種族や立場の人々が集う光景を思い浮かべながら、見事な弓術を示した愛妻の下へと歩み寄っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年8月17日17時の更新となります。