13.01 シノブ南方に発つ 前編
シノブは、炎竜イジェが運んでいる鉄甲船、磐船の甲板から遥か下に広がる大地を眺めていた。彼の周囲にいるシャルロット達も、同じように地上を見下ろしている。シノブの右隣にはシャルロット、左隣はミュリエル、アミィと並び、ミュリエルの後ろにはセレスティーヌだ。
もちろん彼らだけではなく、それぞれの侍女や従者もいる。甲板の上には、シノブの従者見習いの少年達や、ミュリエルの学友であるフレーデリータやミシェルなども含め、大勢の姿がある。
そして、甲板には人間だけではなく幼竜のシュメイとファーヴの姿もあった。彼らは出会った頃よりもだいぶ大きくなっている。生後二ヶ月を超えたシュメイは全長およそ1m、そろそろ一ヶ月となるファーヴも50cmほどである。
しかし二頭は未だ飛行は出来ない。岩竜や炎竜が飛行を覚えるのは生後三ヶ月くらいかららしい。そのためだろう、彼らはイジェの脇を飛ぶオルムルを羨ましそうに見つめている。
「本当に畑が多いんだね!」
眼下に広がる広大な畑に、シノブは思わず歓声を上げていた。
彼の言葉通り、磐船の下は見渡す限りの大農場であった。もっとも、三月中旬であるから、まだ作物もそれほど大きくはない。しかし、雄大な平原に広がる農地には豊かな実りを予感させる何かがあるようで、シノブの心を和ませてくれる。
「エリュアールは農業の盛んな土地ですから」
シノブに寄り添うシャルロットが、微笑みながら説明をする。
磐船が飛行しているのはエリュアール伯爵領の上空だ。エリュアールは、フライユ伯爵領の南に接している南北に長い伯爵領である。エルフの国であるデルフィナ共和国と隣接してはいるが、外部との交流を拒むエルフとは交易も殆どない。そのため、エリュアール伯爵家は代々農業や漁業に力を入れてきたらしい。
エリュアール伯爵領には平地が多い。東部の国境近くは山がちで、炎竜のゴルンやイジェが住処を作ったヴォリコ山脈もあるが、領地の大半は平地である。
南方はといえば、湾状の内海であるエメール海が広がっている。エメール海に面した港湾都市メローワは、メリエンヌ王国の南方海軍が駐留する要地だが、漁港としても栄えているという。
実は、シャルロットもエリュアール伯爵領に赴くのは初めてである。しかし、この程度はベルレアン伯爵の継嗣としては当然の知識らしい。
「この辺りは、麦畑ですね。土入れをしています!」
楽しげな声を上げたのはミュリエルだ。その隣では、アミィが感心したような視線を彼女に向けている。
畑の中には、上空100mほどを飛行しているイジェと磐船を見上げる農夫達がいる。彼らは、竜の姿を見ても驚くことはない。竜が磐船を使った輸送を始めて半月は経っているから、各都市を結ぶ空路が存在する地域では、空を往く竜もそれほど珍しくはないのだろう。
暫く空を見上げていた農夫達は、やがて鍬のような農具で土を掘り起こす作業に戻っていった。畑の中には、まだ人の足首の高さの葉が顔を出しているだけで、大半は地面が剥き出しのままだ。農夫達は、その剥き出しの土を掘り返しては畝に掛けていく。
「土入れって何ですの?」
セレスティーヌは、ミュリエルの後ろから地面を覗き込みながら尋ねかけた。
王領にも大規模な農場が多いのだが、王女である彼女は王都メリエどころか王宮からも殆ど出たことはない。そのため、農夫の作業を珍しそうに見つめている。
「地面に顔を出した麦の茎に、土を掛けてあげる作業です。掛けた土は寒さや乾きから守ってくれますし、雑草が増えるのを防ぐ効果もあります。それに、掘ったところに水が抜けるから排水も良くなります」
ベルレアン伯爵領にいた頃は殆ど館から出た事のないミュリエルだが、祖母のアルメルから色々教えてもらったようだ。
アルメルは、農務卿ジョスラン侯爵の叔母である。彼女は、先々代フライユ伯爵アンスガルに嫁ぐまで、ジョスラン侯爵領内の農政を担当していた。それ故アルメルは、麦の栽培についても豊富な知識を持っていたのだ。
「土入れか。この辺りは早いのだな」
船内から顔を出したのはイヴァールだ。
彼の故国ヴォーリ連合国や、現在住んでいるアマテール村は、北国というべき気候である。それに比べればエリュアール伯爵領はかなり暖かいようだ。エリュアール伯爵領の領都ラガルディアや港湾都市メローワの緯度は、先日シノブ達が訪れた王領の都市オベールやブリュニョンとほぼ同じである。
ちなみに、都市ブリュニョンの気候は、シノブの感覚では関東地方くらいであった。したがって、農作物を育てる時期も、かなり違うらしい。
「私達の集落もこのくらいでしたが……やっぱり北は寒いのですね」
続いて現れたのは、エルフのメリーナである。彼女はミュリエルの誕生日からシェロノワに逗留しているが、まだ磐船に乗ったことはなかった。そこで、イヴァールが案内をしたというわけだ。
シノブは、彼女がドワーフであるイヴァールと仲良くできるのだろうかと案じていた。しかし、この世界のドワーフとエルフが、特に険悪な仲ということはないらしい。もっとも、仲が良い悪い以前の問題で、両者には接点が無かったのだ。
ヴォーリ連合国とデルフィナ共和国の間には、メリエンヌ王国がある。エルフが国外に出ることは殆ど無いし、ドワーフも鍛冶などの仕事がある王都などには僅かにいるが、地方に行くことは少ない。特に東方は、人族以外を敵視するベーリンゲン帝国があったため、定住する者は皆無であった。
そのため、何百年も前から両種族に交流は無いし、そういう状況では敵視のしようも無い。もっとも、これから両者の仲が良くなるかは、疑問である。
ドワーフは父権社会、エルフは母権社会と文化が大きく異なる。ドワーフには女性の族長はいないが、エルフは逆らしい。それぞれ、各村から代表者を出す合議制なのは似ているが、エルフの場合は議会に出る者、つまり村長も大半が女性だという。
そのためか、イヴァールとメリーナは少々距離を置いているようである。とはいえ、ここのところ帝国との戦いで忙しかったイヴァールが彼女と顔を合わすことなど、ほんの数回しかなかったのだが。
「メリーナさん達の集落にも、行ってみたいです!」
ミュリエルはシノブの下から離れ、メリーナの側に寄っていく。彼女は、シノブ達から少し離れた場所から、下を覗いていたのだ。
どうも、シノブはメリーナから敬遠されているらしい。嫌われているわけでも無いようだが、一夫一妻制のエルフとしては、妻がいるのにミュリエルを婚約者とするシノブに思うところがあっても当然であろう。
ミュリエルもメリーナの気持ちを察しているようだ。しかし、メリエンヌ王国で生まれ育った彼女としては何とかメリーナに自国の風習を理解してもらいたいらしい。
「そうですね。お互いの住む土地を訪れ、相手を知ることは大切ですから」
メリーナも、ミュリエルの思いを察したのだろう。ミュリエルは、早くもメリーナから治癒魔術などを教わっているから、接する時間も多い。そのためメリーナは、短い言葉でもそこに含まれていたものを理解したようだ。彼女は、細いプラチナブロンドを風に靡かせながらミュリエルへと微笑んでいる。
「メリーナさんも、ぜひメリエに来てくださいませ」
セレスティーヌは、メリーナに王都メリエへの訪問を提案していた。メリーナは、アレクサ族の長の孫だ。そのためセレスティーヌは、彼女を王都に招待してエルフとの友好関係を築く第一歩にしようと思ったのだろう。
「互いを知る、か……」
「学校が、そういう場所になれば良いですね」
シノブの呟きに、シャルロットが静かに囁き返した。アミィも、シノブに案ずるような視線を向けている。
およそ一週間前、シノブはアムテリアから学校に相応しい建物を贈られた。魔法の家と同様の魔道具である。現在はカードにして仕舞っているが、展開すればフライユ伯爵家の館の敷地と同じくらいの大きな建物になるものだ。
しかし、建物があるからといって、直ぐに開校できるわけではない。何を教えるかを決め、学校の運営体制を確立するのはこれからであった。
◆ ◆ ◆ ◆
アムテリアから新たな魔道具、魔法の学校を授かったシノブは、早速確認することにした。とはいえ、展開には一辺200mもの場所が必要らしい。したがって、シェロノワの中に展開することは出来ない。
それに、いきなり領主の館のような背の高い建物が出現するのも人目につく。出すだけならシノブの魔術で造ったと強弁することも可能だろう。しかし、まだ最終的な建築場所も決まっていないから、確認した後は再度格納するつもりであった。そうなると、最初は誰もいない荒野にでも行って試すべきだろう。
そこでシノブは、ガンドの狩場の中で一旦展開してみることにした。
幸い、それぞれの竜の棲家の脇には、海竜の島と同様のシノブやアミィ、ホリィしか転移できない神像がある。帝都への進攻の前に、シノブはそれぞれの棲家とアマテール村の近くに神像を建造していたのだ。
そして、ガンドの了解を取ったシノブは、先代アシャール公爵ベランジェとベルレアン伯爵コルネーユを連れてきた上で、シャルロット達を伴って北の高地へと移動した。
「いやあ、ついに魔法の学校を見ることが出来るんだね!」
ベランジェは、何時にも増して楽しそうだ。シノブが魔法の学校の存在を伝えてから、既に三日が過ぎていたから、それも仕方ないだろう。
「本当は、もっと早くお目に掛けたかったのですが……」
「仕方ないよ。他にもやることが沢山あったのだから」
頭を掻きつつ答えたシノブに、ベルレアン伯爵が慰めるような様子で肩を叩く。実際、彼が言うとおり優先順位の高いことは幾らでもあったのだ。
この三日間、ベランジェやベルレアン伯爵を始めとする王国軍の司令官は、帝都の掌握や皇帝直轄領の都市の攻略など、忙しい日々を送っていた。シノブも帝都攻略の完了を王都に伝えにいったり、攻略が終わった都市の神像を造り変えたりと、あちこちを飛び回っていた。
実は、それらはまだ続いている。現在、主要な都市の攻略は完了したが、町村はこれからである。しかも、皇帝直轄領だけではなく同時に攻略した二つの伯爵領もある。それらの町村を全て掌握するには、まだ多くの時間が必要である。シノブも、完全に落ち着くには後二週間はかかると予想していた。
「それでは、整地をしますね……」
シノブは、ベルレアン伯爵や周囲の者から少し離れ、光の大剣を抜き放った。そして、一瞬にして目の前の平原を平らに整える。
「シノブお兄さま、凄いです!」
「ええ、本当に……」
驚きの声を上げたのは、ミュリエルとシャルロットの姉妹である。シノブは岩壁の魔術で何度も街道や城壁を造っているが、シャルロット達が目にする機会は今まで無かったからだ。二人が見たのは、海竜の島で神像や紋章を崖に刻んだ光景くらいであろうか。
もちろん彼女達だけではなく、セレスティーヌや、アリエルとミレーユも感嘆の声を上げていた。また、声こそ上げていないが、シメオンやアルメルも驚きに目を見開いている。
なお、ここには他にアミィとヨルム、そしてオルムル達三頭の子竜がいるだけだ。シノブは、この学校をベランジェ達の意見を聞いてから公表したいと考えていた。そのため、限られた者だけを連れてきたのだ。
「アミィ、展開を」
「はい!」
アミィはシノブの下に駆け寄ると、魔法のカバンから一枚のカードを取り出した。そして、彼女がカードを前に翳すと、一瞬にして巨大な建物が現れた。
「おお!」
「これは……大宮殿よりも大きいのでは?」
シノブが整地するときは静かに見守っていたベランジェやベルレアン伯爵も、出現した魔法の学校には驚嘆せざるを得なかったようだ。それもそうだろう、ベルレアン伯爵が口にしたように、魔法の学校は王都メリエの中心にある宮殿、国王が政務を取る大宮殿よりも大きな建物だったのだ。
両翼合わせておよそ200m、五階建ての建物は『メリエンヌ古典様式』に則って左右対称に広がっている。流石に宮殿のような壮麗さはないが、白い壁面には品の良い浮き彫りまで施されていた。
「一番手前は、授業に使う本館です。後ろには、教員棟、研究棟を想定した別館があります。あと、寮として使う宿泊棟も男女別にあります」
驚く一同に振り向いたアミィは、魔法の学校の設備について説明する。なお、魔法の学校というのは、魔道具故の命名である。この建物が魔術教育を想定して造られているというわけではない。
「これが全てでは無いのですか……一体、何千人が学べるのでしょうか」
「設備があれば良い教育が出来るわけでもないですが、しかし……」
アルメルやシメオンは、この巨大な設備に集う人々や、そこで行われる教育に思いを馳せたようだ。
メリエンヌ王国では、神殿で基礎教育として読み書きや計算を学ぶ。これは、10歳未満の子供を対象にした寺子屋のようなものである。神殿に集まる子供は、小さな町では100人にも満たないし、大きな町や都市でも規模に応じた数の神殿が存在するから、一箇所あたりだと多くても数百人である。
しかし、このサイズなら、何千人と学ぶことが出来るのでは無いだろうか。優秀な内政官である二人は、建物を見ただけで、それらに思い当たったようだ。
「ともかく、中に入ろうよ! シノブ君、何をしているんだい?」
ベランジェは、待ちきれないようでスタスタと魔法の学校へと歩み寄っていく。そして彼は、正面玄関の扉に手をかけると、シノブを急かした。どうやら魔法の家と同じく認証機能があるらしく、ベランジェだと扉を開けることは出来なかったようだ。
「今行きます! ……さあ、どうぞ。皆も入ろう!」
一瞬呆気に取られたシノブだが駆け寄って扉を押し開け、更にシャルロット達を呼び寄せる。そして一同は、アムテリアが贈ってくれた学校の中に足を踏み入れていった。
◆ ◆ ◆ ◆
幸いと言って良いのか、建物の中は魔法の家を使った者には理解可能な設備であった。
学校の廊下には魔法の家と同様に、どこから汲んでいるか不明だが綺麗な水が出る水道があるし、これまたどこに流しているか不明なトイレなどがあった。また宿泊棟には大浴場の他に各部屋にも小さな風呂が存在している。
食堂の調理場には大きな魔力冷蔵庫が幾つも並び、魔力コンロなどが置かれていたが、これらも基本的には魔法の家と同じである。これらの道具は自然に魔力が補充されるタイプで、魔力の少ない人でも問題なく利用できる点も魔法の家と共通していた。
なお全ての棟には魔力で動作する灯りやエアコンがあるが、これも魔法の家を使った者なら慣れ親しんでいる。
「先生! この学校はどこに設置するのですか!?」
椅子に座ったベランジェが、部屋の正面にいるシノブに向かって手を上げた。一通りの設備を確認したシノブ達は、本館の教室の一つに集まっているのだ。
教室の中は、シノブには見慣れたものであった。正面に教壇が置かれ、その後ろには黒板がある。そして、反対側には、一人ずつで使う机と椅子が整然と並んでいた。それらも、日本ならごく普通の学校にあるような変哲の無いものだ。
ちなみに現在、教壇にはシノブとアミィ、それ以外の者はベランジェと同じく生徒用の席についている。
「ベランジェ君。先生はそれを皆に相談したいんだ」
シノブは、苦笑しながらも先生らしく答えを返した。
彼は、各部屋を回るときに、日本の教育についてベランジェ達に伝えていた。もちろん、そのまま伝えたわけではなく、彼らに理解しやすいように例えたり、置き換えたりしながらである。その中で、学校での授業風景についても説明したのだ。
なお、ベランジェとセレスティーヌには、シノブが異世界から来たことを伝えてはいない。
セレスティーヌは家族と認めたわけだし、そのうち話そうとは思っているが、忙しい日々が続いていたため伝えそびれていた。ベランジェは、シノブがアムテリアにより送り込まれた存在と気がついているようだが、敢えてそれを聞かないようにしている節がある。
そのためシノブは、遠い故郷では、という形で説明をしていた。
「叔父様ったら……シノブ様、この学校をフライユ伯爵領か王都以外に設置したら、とんでもないことになると思いますわ」
「そうですね。
大神アムテリア様は、帝国の子供達を案じて学校を授けて下さった。とはいえ、これだけの設備を我が国の者が使えないのは……」
苦笑するセレスティーヌに続いたのは、ベルレアン伯爵である。
彼らが言うように、王宮にも勝る規模の設備である。規模が大きければ良いというものでも無いだろうが、自国に今まで存在しなかった巨大な教育施設が、新たに得た地とはいえ、つい先日まで戦っていた国に置かれて嬉しい者は少ないだろう。
「私が親なら、どんな手段を使っても子供をこの学校に通わせたいですね。設備を別にしても『竜の友』で帝国を打倒したシノブ様が造った学校です。それだけで通う価値がありますから」
「シノブ様の下で学んで、あわよくば仕官する、とか夢見ますよね~」
シメオンの言葉にミレーユが頷いた。ごく普通の男爵家からベルレアン伯爵家に奉公に上がったミレーユの言葉には、しみじみとした感慨が篭められている。
「シノブ様、場所はともかくとして、この学校には各国の子供を通わせるべきではないでしょうか? この規模ですから、大神アムテリア様もそれを前提とされているのだと思いますが……」
アリエルの意見に、多くの者が頷いた。
本館には、一階あたり20もの教室が置かれていた。本館は五階まで同じ造りだから、全部で100の教室が存在する。シノブが今いる教室には40の机が置かれているから、四千人が学習可能ということになる。
そして、宿泊棟もそれだけの人数を収容可能であった。流石に全てが個室ではなく多くは四人から六人で使用する共同部屋だった。しかし、軍の平隊員などは共同部屋であり、見習い扱いならこれで当然らしい。
「仮に半数を大人の再教育用としても、子供だけでも二千人ですか。帝国の貴族や騎士、従士の子供を全て集めるには足りませんが、別に幼児から学ばせるわけでもないでしょうし……」
アルメルは、ベーリンゲン帝国がメリエンヌ王国と同様の体制なら、従士以上に限れば国中の見習いとなる主な年齢層、つまり10歳から14歳までを全て集めることが可能だと言う。
メリエンヌ王国の場合、男爵以上が350家を若干超える程度、騎士と従士は合わせて四千家くらいである。そして仮に10歳からの五学年にした場合、該当者は二千人を下回るらしい。なお、王国の人口は300万人、帝国が250万人だ。したがって、従士以上に限定すれば全員集めることも可能であった。
とはいえ、メリエンヌ王国でもそこまでの教育体制を取っていないのだ。旧帝国領だけそのような高度な教育体制を取ることが、快く受け入れられるわけはない。
「できれば、種族や出身階級に関係なく集めようと思っています。帝国の場合、従士以上に限定したら人族だけになってしまいます。私は、奴隷になっていた獣人達にも教育を受ける機会を与えたいのです」
シノブは、今まで奴隷とされていた獣人達も視野に入れていた。
実は帝国の獣人達も、読み書き計算くらいは習得していた。それに帝国の支配層も、親から子へと伝えるのを奨励したという。もっとも善意からではなく、農奴や戦闘奴隷として使うにも差し支えないよう必須項目として挙げたらしい。
とはいえ、人族と獣人族の知識の差は歴然としている。そのためシノブは、獣人族も含めた教育を行う必要があると考えたのだ。
「そうなると、我が国の子供にも機会を与えてほしいね。たぶん他の国もそう言うだろう。
だいたい、どこから教師を調達するのだね? 悪いけど、邪神を信じていた帝国の大人達に次の世代を教育させたくは無いよ。とはいえ、自分達の子供が入れない学校で教えてくれる心の広い人は少ないだろうね」
ベランジェは、普段とは違う険しい表情で指摘した。いつもは冗談めかした言い方を好む彼が、ここまで率直に言うなど、よほど問題視しているのだろう。
「シノブ、高い理想を掲げるのは良いが、高すぎても誰も付いてこないよ。
それに帝国人の教育には賛成するが、この学校は魅力がありすぎる。設備もそうだが、今まで君が伝えてきた高度な知識が学べるかもしれないんだ。君が関わる以上、広く門戸を開くべきではないかね?」
ベルレアン伯爵も、心配げな表情で義兄に続いていた。
彼は、シノブが帝国の者達だけを優遇すれば、今まで協力してくれた人々の心が離れると思っているようだ。帝都での決戦の後、ベランジェが冗談交じりに言ったように、シノブが何らかの形で旧帝国領を統治することになると思っている者は多いらしい。
おそらく伯爵は、シノブが将来の自国のみを優遇しているように見えると言いたいのだろう。
「やはり、そうなりますか……では、国籍を問わず対象としましょう。ただし、孤児やそれに類する者は優遇するということで」
実は、シノブも彼らが言うことは懸念していた。それもあって、実際に魔法の学校を見た上での意見が聞きたかったのだ。
「それが良いと思います。孤児や記憶を失った親を持つ子供を優先的に学ばせる。それを拒否する者もいないでしょうし」
「そうですね。そんな心の狭い人は、いないと思います!」
シャルロットとミュリエルは、シノブの意見に賛意を示していた。流石に、この条件に表立って反対するのは、憚られる。二人はそう思ったようだ。
「場所はどこにしましょうか?」
「帝国以外の人も学ぶなら、フライユ伯爵領かな。何と言っても自分の領地だし、帝国はまだ落ち着かないから、早めに開校するならここの方が良いからね」
アミィの問いに、シノブは柔らかな笑みと共に答えた。
神殿での転移が出来るから、どこに作っても構わないようなものだが、メリエンヌ王国の者を教師にするなら、王国内にあった方が良いだろう。その場合、自国に近い方が帝国人にとっても受け入れやすいと思ったのだ。
──シノブさんの学校、上手く行くと良いですね。ところでシノブさん、学校では棲家の掘り方とか、空の飛び方も教えるんですか?──
話が纏まったと思ったらしく、今まで黙っていたオルムルがシノブへと問いかけた。
実は、オルムルやシュメイ、ファーヴも席に着いていたのだ。オルムルは腕輪の力で子猫ほどに小さくなって机の上に、シュメイとファーヴはそれぞれ椅子の上に乗っている。なお、流石に成竜であるヨルムは建物に入れないから、外で待機をしている。
──空の飛び方を教えてくれるなら、私も通いたいです!──
──僕も!──
まだ飛行が出来ないシュメイとファーヴは、空と聞いて興奮気味の思念を発していた。二頭とも、机の上に体を乗り出している。
「それは、教えても習得できる人間が殆どいないんじゃないかな?」
──やっぱり、そうですか──
どうやら、オルムルの問いかけは冗談だったようだ。苦笑気味のシノブに、彼女はどこか笑みを含んだような思念で答えを返したのだ。
実際のところ、竜やホリィ以外で可能性があるとすれば、アムテリアの眷属であるアミィくらいだろう。彼女に匹敵する魔力量が無ければ、仮に重力を操作できてもほんの少し体重を軽くするくらいが関の山ではないだろうか。
「ではシノブ君、早く開校できるように良い先生を集めたまえ! 兄上には私が声を掛けておくよ! 流石に空の飛び方を教えてくれる先生は用意できないけどね!」
ベランジェは、片目を瞑ってシノブに微笑みかけた。彼の言葉に、教室にいた一同は思わず笑い声を漏らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「デュスタール殿に農業の指導者を紹介してもらえると良いね」
魔法の学校での出来事を思い出したシノブは、どこまでも広がる麦畑を見ながら呟いていた。今回の旅の目的は三つあり、その一つがこれである。
ちなみに二つ目の目的は、南方の諸国を回るための予行演習だ。王都や各伯爵の領都には、神殿経由で転移できるが、そこから先はそうはいかない。ホリィを先行させて魔法の家で転移しても良いのだが、ガルゴン王国やカンビーニ王国は、竜の訪問を望んでいた。そこで、竜での旅行を試してみることにしたのだ。
シェロノワからエリュアール伯爵領の領都ラガルディアまでは、成竜が急げば二時間は掛からないため、空の旅に慣れるにはちょうど良い距離である。
「そうですね。折角授かった穀物とかを、無駄にしたくないですし」
「アルメル殿も、エリュアール伯爵領なら良い方がいるのでは、と言っていましたね」
アミィとシャルロットは、シノブの言葉に頷いた。フライユ伯爵領にも、農政担当の内政官はいるが、アルメルは、他領の知識にも期待しているようである。折角、大規模な学校が誕生するのだから、他所からも人材を招いて自領の農業発展に繋げたいのかもしれない。
「もしかすると、興味を示すエルフがいるかもしれません」
シノブの達の会話が聞こえていたのだろう、メリーナが歩み寄ってくる。もちろん彼女だけではなく、ミュリエルやセレスティーヌも一緒だ。
「エルフが、ですか?」
メリーナの言葉に、シノブは驚いた。
実は、三つ目の目的はエルフの有力者との会合だった。メリーナは、人族でいえば10代後半に相当する若いエルフだ。彼女や一緒に来たフィレネは、多数の竜が南方に来たことを隣接する土地の領主であるエリュアール伯爵に警告しに来た、いわば伝令のような立場である。
そして自国に戻ったフィレネが、エリュアール伯爵の下に上位者を連れてきた。そこでシノブは、彼の領都ラガルディアで会うことにしたのだ。
「エルフは、あまり他国に行きたがらないと聞いていましたが……」
シャルロットも、外部と交流を拒んできたエルフが、わざわざフライユ伯爵領まで来るとは思っていなかったようだ。メリーナは族長の孫であり、外国に使者として派遣されるくらいだから、まだ外部に興味がある方なのだろう。しかし、他にも異国に行きたがる者がいると聞いて、シャルロットは驚いたようだ。
「あの茄子という作物のことを知らせたのです。北でしか育たないものならともかく、私達の国でも育つ植物のようですし。
多くのエルフは、自分達が一番上手く植物を育てられると思っています。ですから、環境が合わない場合は別ですが、そうでなければ一度は育ててみたいと思う者がいるのです」
メリーナは、僅かに苦笑しながらシャルロットに説明した。それを聞いたシノブは、エルフにも変わり者がいるのだな、と思ったが、口には出さなかった。
己の好きなものに拘る人達といえば、シェロノワには魔術師のマルタン・ミュレや、治癒術士のルシール・フリオンがいる。しかし、彼らはその熱意を仕事に上手く活かし、活躍している。
そんなエルフがいるのなら、彼らの仲間に加わってもらうのも面白いのではないか。そう思ったシノブは、知らず知らずのうちに微笑みを浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年8月13日17時の更新となります。