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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第12章 帝国の支配者
255/745

12.20 アムテリアの愛し子

 シェロノワに戻り家族と夕食を取ったシノブは、シャルロットとアミィを連れて自身の居室へと引き上げた。夕食は今回の作戦成功を祝う(うたげ)でもあったが、さほど長引かずに幕を閉じていた。どうやらシャルロット達が、戦地から帰還したシノブやアミィを案じたためらしい。


「……何だか、皆に気を使わせてしまったみたいだね」


 居室に戻ったシノブは、ソファーに座ると、隣のシャルロットに苦笑してみせた。

 彼は、戦地での出来事をミュリエルやセレスティーヌに詳しく語るつもりはなかった。祝宴に参加した者達も、そのあたりを察したのだろう。彼らは、ベルレアン伯爵やその父アンリなど作戦に参加した者の無事を聞いた後は、当たり障りのない話題に転じていた。


「ミュリエル達には、まだ早いですから。多くの者が異形に変じ、親を失った子が大勢出たなど、あの子達にはまだ伝えたくありません……子供扱いもいけないとは思いますが……」


 シャルロットには、通信筒で概要を伝えている。それ(ゆえ)彼女は、シノブの悩みを察したようである。


「……学校を作ろうと思うんだ。帝都や周辺の都市の軍人や文官には、強力に支配された人が多いみたいだ。それに親を亡くした子供達は、俺達が責任を持って育て上げないといけない」


 『排斥された神』に強く支配されていた大人達は、神々の御紋の光を浴びせると支配が解けるが、その代償として支配されていた間の記憶を失ってしまう。エックヌートのように身についていた技能を覚えている者は良いのだが、そうで無い者には何らかの再教育をする必要がある。

 そして、まだ特別な技能を身に付けていない子供は、もっと深刻である。メリエンヌ王国もそうだが、この辺りの国では貴族や騎士階級、従士階級などの場合、10歳頃までには内政官や軍人になるべく見習いを始める。しかし、彼らが見習いとして赴くべき場所は失われた。

 シノブは、彼らの受け皿となる場所が必要だと感じていたのだ。


「シノブが通っていたという専門的な教育の場ですね? 帝都に作るのですか?」


 シャルロットには、シノブが日本で学生であったことも伝えている。そのため、彼女はシノブの考えがどんなものか察したようだ。


 この近辺の国では、通常、神殿で文字や計算など基礎的な知識を教わる。そして神殿で基礎教育を受けた後、どこかで見習いとなる者が殆どだ。

 ちなみに上級貴族では、親兄弟や家臣に教育され神殿まで赴くことは少ない。また、そういった上流階級の子供の学友に選ばれた例外的存在も同様である。ただし、その場合も実務的な事柄は、軍や政庁の現場で見習いとして学ぶだけである。

 一応、高位の神官となるために神殿に残ったり王都の治療院などで専門的な研究をしたりという道もある。しかし、それらは数少ない例外である上に、軍人や文官としての教育の場ではない。


 要するにメリエンヌ王国や周辺の国々では、軍や政治に関する教育はあくまで現場で行うものであり、それらの教育を専門とする機関は存在しない。だが、シノブから日本のことを聞いていたシャルロットは、彼が自身の受けた高等教育を前提に語っていると、(おぼろ)げながら察したようである。


「いや、彼らが帝都で生活するのは(つら)いと思うんだ。出来れば、どこか別の場所に用意したいけどね」


 シノブは、元メグレンブルク伯爵のエックヌート・リーベルツァーを思い起こしていた。

 支配階層であった彼は、『排斥された神』の支配から脱した結果、フライユ伯爵領への移住を望んだ。彼だけではなく、その家臣にも、従来の任地を離れることを希望する者が多いらしい。

 直接『排斥された神』の支配を受けていない子供達も、同様である。エックヌートの子供であるフレーデリータやネルンヘルムも、新天地で一からやり直すことを望み、それが(かな)ったことを喜んでいるようだ。

 全ての者が彼らのように故郷を離れることを選ぶかは判らない。しかし、メグレンブルクやゴドヴィングの例からすると、それなりにいると思うべきだろう。


「直ぐに学校は作れないから、まずは現地で一旦集めるしかないとは思うけど。シメオンとも相談してみるよ。簡単に結論が出ることじゃないしね」


 帝国の今後をどうするかという意味では、教育は大切な事だ。しかし、シノブ一人の考えでどうにか出来ることでもない。シメオンや、先代アシャール公爵ベランジェ、ベルレアン伯爵コルネーユなど、意見を聞くべき人は沢山いる。


「そうですね。シノブ様は、ガルゴン王国やカンビーニ王国に訪問することになるでしょうし、教育担当に誰か据えた方が良いかもしれません」


「あ~、それもあるか。せめて皇帝直轄領が落ち着いてからにしたいけど、調整だけはしておくべきかなぁ……」


 向かいに座ったアミィの指摘に、シノブは思わず上を向いてしまった。

 実は、夕食の際にミュリエルやセレスティーヌに伝えた数少ない話題の一つが両国への訪問である。更に、エルフの国であるデルフィナ共和国も訪問対象になる可能性もあるが、こちらは先方の意思が示されていないから、まだ何とも言えない。

 シノブが各国を訪問する場合、妻であるシャルロット、婚約者であるミュリエルを伴うことになるだろう。そして、王家を代表してセレスティーヌが同行するのも確実なようだ。彼女の同伴は国王アルフォンス七世も望んでいるから、置いて行くわけにもいかない。

 この件は、明日にでも両国の領事館に内々に伝え、打診することになるだろう。


「シノブ、今日のところは、ここまでにしましょう。まずはゆっくり休んでください」


「ああ、やるべきことは多いけど、一つずつ片付けるしかないからね」


 気遣うような視線を向けるシャルロットに、シノブは明るい声音(こわね)で答え、ソファーから立ち上がる。


「アミィもお疲れ様。明日からまた頑張ろうね」


「はい、シノブ様!」


 シノブと同じく立ち上がったアミィは、いつものように元気良く答える。

 普段と変わらぬ彼女の様子に、シノブは思わず微笑みを浮かべていた。そして暫しアミィを見つめた彼は、シャルロットと共に自身の寝室へと下がっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ……」


 シノブは、光り輝く女神アムテリアに抱きしめられていた。突然のことに驚いたシノブだが、薄霧のようなものが漂う周囲を見て、アムテリアが夢に訪れたのだと悟る。


「アムテリア様のお陰で、何とか勝てました。ありがとうございます」


 シノブは、バアル神像との戦いを思い出していた。

 閉鎖された地下神殿に、光鏡を通して差し込んだ陽光。それは、バアル神像を封じ、シノブ達に勝利を(もたら)した。神と名乗る存在が、ただの日の光に(おび)える筈はないし、輝く光はシノブ達に常以上の力を与えてくれた。それ(ゆえ)、シノブはアムテリアの支援をそこに感じたのだ。


「……あなた達を助けるのは当然のことです。私達に代わって戦ったのですから」


 シノブの無事を確かめるように、アムテリアは暫く固い抱擁を解かなかった。しかし彼女は、シノブの確かな温もりや息遣いに、愛し子が息災であることを実感したようだ。神秘の光に包まれた女神は、少し恥ずかしそうな顔をしながら、腕の力を緩めて半歩ほど下がる。

 とはいえ、アムテリアはシノブの肩に手をやったままだ。普段の落ち着きと慈愛に満ちた神々しい笑みではなく、安堵と喜びを浮かべた(おもて)も、彼女がシノブを強く案じていたことを感じさせる。


「私は、自分の大切なものを守りたかっただけです。この世界で得た親しい人々や、その人達が大切にしているものを」


 シノブは、アムテリアに答えながら、自分が何のために戦ったのかを改めて思い浮かべていた。

 結局のところ、自分は自身が愛する者のために戦っただけだ。シノブは、そう感じていた。シャルロットを守りたい。彼女が大切にしている人々、生まれ育った土地を守りたい。それが始まりであり、ある意味全てであった。

 もちろん、シャルロットが大切にしているものだからといって、何でも無条件に肯定するつもりはない。彼女の価値観にシノブ自身が共感しているから、守りたいと思うのだ。シャルロットや、ベルレアン伯爵家の人々。そして、彼らを通して知り合った人々。この世界で結んだ心の絆を尊く思ったから立ち上がった。

 極論すれば、シノブの価値観が『排斥された神』や皇帝とは相容れなかっただけと言うことも出来る。理不尽に人々を踏みにじる彼らを、そのままにしておけなかった。そのため、衝突し排除した。突き詰めてしまえば、それだけである。


「そうですね。生きるということは、そういうことです。自分が望む未来を引き寄せるために、それぞれが動く。そして互いにぶつかる。それは避けえぬことです。

私達のような神と呼ばれる存在も同じです。より多くの命を生かしたいとは思いますが、全てを生かすことは出来ません」


 アムテリアは、人の心を読むことが出来る。そのため、彼女はシノブの言葉の裏に隠れた悩みや苦しみも含めて、全てを受け止めていた。

 生きるために、あるいは守るために戦う。倒す。それは、生き物が持つ業というしかない。シノブも、この世界に来てから多くの存在と戦い、倒してきた。いや、日本にいるときだって、何も犠牲にしないで生きてきたわけではない。糧を得るということは、命を犠牲にするということでもある。


 そしてアムテリアの言葉は、神である彼女も、その業から完全に逃れていないことを示していた。

 アムテリアは、自身の直接的な介入は地上の命を育て導く上で障害になると判断した。そして、それ(ゆえ)シノブ達の手に委ねた。しかし、仮にシノブがいなかったら、あるいはシノブが敗れたら、彼女は直接手を下しただろう。その場合、彼女も『排斥された神』やそれに連なる者を打ち倒したはずだ。

 つまり、あらゆるものを慈しむ母のようなアムテリアでも、全てを救うことは出来ない。いや、むしろ母たる存在(ゆえ)に、我が子を守ると決意したときは、誰よりも苛烈な手段を取るのかもしれない。それを示すかのように、普段は慈愛を宿す彼女のエメラルドのような瞳は、一瞬だが鋭い光を放っていた。


「はい。ですから、戦ったこと自体は後悔していません」


 シノブは、笑顔と共にアムテリアに頷いてみせた。

 もっと早く帝都を制していたら、竜人となる者も減ったかもしれない。そういう意味では、最善では無いだろう。しかし、人の身で完璧を追い求めても仕方がない。それは、この惑星の最高神であるアムテリアにも不可能なことなのだから。

 自身を案じる女神に、シノブは感謝と共に胸の内の思いを伝えた。


「立派になりましたね……アミィ、ホリィ、そう思いませんか?」


 やっと安堵したのか、シノブの肩に添えていた手を下ろしたアムテリアは、少し間を空けて傍らを見る。すると、そこには今までいなかった筈のアミィが(たたず)んでいた。しかも、彼女の腕にはホリィも止まっている。

 ちなみに、ホリィは帝都を監視する要員として残してきた。そのホリィが夢に現れたということは、おそらく彼女も今は眠っているのだろう。


「はい! シノブ様は、とても強くなりました!」


──私もそう思います──


 突然現れたアミィとホリィだが、アムテリアの眷属である彼女達は、主の広大無辺な神力を充分知っているのだろう、驚くことはなかった。


「アミィのお陰だよ。アミィが厳しく、そして優しく見守ってくれたから。あっ、ホリィにも感謝しているよ!」


 満面の笑みを浮かべるアミィに、シノブは微笑み返した。そして彼は二人に歩み寄り、アミィのオレンジがかった明るい茶色の髪をそっと撫で、ホリィの頭に優しく手を添えた。


──アミィはシノブ様がこの世界に来たときから見守っていますからね──


 ホリィもアミィを褒め称える。彼女はシノブとアミィの絆は別格だと思っているのだろう、後回しにされたことは気にしていないようである。


「ありがとうございます……」


 二人の賞賛にアミィは頬を染め、薄紫色の瞳を潤ませていた。そんな姿は外見通り、10歳前後の少女のようにしか見えない。

 だが、アミィは決して優しいだけの存在ではない。彼女は事あるごとに、生きることの厳しさをシノブに教えてきた。

 シノブは、この世界に現れた直後、森を出るときに魔狼と戦った。おそらくアミィなら、シノブを魔狼と遭遇させずに回避することも出来た筈だ。しかし彼女は、敢えてシノブに命を奪う経験をさせた。この世界でシノブが生き残るために、それが必要だと思ったのだろう。

 普段は優しく、そして時に厳しく。そんなアミィが、シノブをここまで導いたのだ。


「仲が良いですね」


「はい」


 いつもの慈しみに満ちた笑みを浮かべるアムテリアに、シノブはゆっくり頷き返した。

 アムテリアが普段の彼女に戻ったことに、シノブは内心安堵していた。自分を案じてくれる親心は嬉しいが、心配されているだけというのも不本意なのだ。

 このあたり、シノブ自身も少々(あき)れてはいるが、一人前として見てもらいたい気持ちが強いらしい。どうもアムテリアを本当の母みたいに感じてきたせいか、彼女に心配をかけたくないという思いが芽生えてきたようである。


 一方のアムテリアだが、シノブの内心を読み取ったのか、どことなく嬉しげな笑みを浮かべていた。そのせいかシノブも釣られて微笑んでしまう。


「ところでアムテリア様、あれでバアル神は滅びたのでしょうか?」


 若干気恥ずかしさを感じさせる思いを振り切ろうと、シノブはバアル神がどうなったかを尋ねかけた。

 シノブ達は帝都からバアル神の気配が消え去ったと感じていたが、仮にも神と名乗る存在である。本当にバアル神が消滅したかどうか、シノブには確信が無かったのだ。


「少なくとも、私が管轄する範囲にはいないようです。彼が消滅したのか、それとも別の世界に逃げ去ったのかはわかりませんが……」


 アムテリアは小首を傾げながら答えた。彼女の動きに合わせて極上の金糸にも勝る髪が美しく(きら)めくが、表情には(いぶか)しさが滲む。

 しかし(うれ)いを感じさせたのは一瞬だけで、アムテリアは再び笑みを取り戻す。


「私だけではなく、従属神や眷属も警戒しています。もし、何か異変を感じたら連絡しましょう」


「お願いします。こちらでも、もう少し調べてみます」


 どうやら今のところは大丈夫なのだろう。そう思ったシノブは、自分達も己の出来ることをしなくては、と考えた。

 バアル神の名は、帝国人も殆ど知らなかったようである。しかし一方で先代の大将軍ベルノルトはシノブ達に『排斥された神』と告げたし、皇帝やヴォルハルトはバアル神の名を知っていた。

 彼らはバアル神から直接名を聞いたのかもしれないが、バアル神とこの世界の関わりについて記した文献が存在する可能性もある。600年以上もの昔から在るという帝都には、今までの伯爵領とは違った何かが隠されているのではないだろうかと、シノブは考えていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……アムテリア様。邪神がこの世界に来たのは、偶然なのでしょうか?」


 アミィは、少々躊躇(ためら)いながらアムテリアに質問した。彼女は、アムテリアに非常に強い敬意を(いだ)いている。そのためだろう、問いかけも恐る恐るというのが相応しい口調である。


──他にも沢山世界はあるし、この世界にも地球という星のある世界にも、知的生命体が住む星は他に幾つでもあるはずです──


 ホリィも、アミィに続いてアムテリアに訊ねた。二人ともアムテリアの眷属だけに、バアル神がどうやってこの星に来たのか気になるようである。


「単なる偶然という可能性もあります。ですが、もしかすると私や従属神が地球に残している神域を辿(たど)ってきたのかもしれません」


 アムテリアは、アミィとホリィに優しく微笑みながら答えた。

 彼女は、シノブがこの世界に来る原因となった場所も含めて、二つ三つの神域を持っているらしい。更に、従属神も同様に幾つかの神域を所持しているという。したがって、この惑星と地球は限定的だが繋がっているということになる。


「神域に他の神が入っても……そうか、私も神域に入れましたね」


 途中まで言いかけたシノブだが、苦笑しながら頭を掻いた。

 神域に他の存在が侵入できないなら、シノブがこの世界に来ることになった出来事、つまりアムテリアの神域に迷い込むことも無かった筈である。


「ええ。一定以上の力を持つ存在なら、神域に入ることは出来ます。それに、私達は神域に入った存在を察知できますが、神と呼ばれる存在であれば誤魔化すことも出来るでしょう」


 アムテリアは、僅かに表情を曇らせながら答えた。

 彼女や従属神も、万能の存在というわけではない。現に、シノブが神域に迷い込んだときも、アムテリアが現れたのは、彼が洞窟に閉じ込められた後であった。もし相手が神かそれに近い存在なら、アムテリアや従属神に察知されることも無く、この惑星に侵入することも不可能ではないのだろう。


「あの……神域を閉じることは出来ないのですか?」


 アミィは、重ねてアムテリアに問いかけた。彼女は緊張のあまりか、泣きそうな顔で光輝を(まと)う女神を見上げている。

 そんなアミィを、シノブは驚きと共に見つめていた。アムテリアの眷属であるアミィが、主に不自由をさせるようなことをいうとは、シノブは想像もしていなかったのだ。


「シノブのことを心配しているのですね……ありがとう。

ですが、神域を閉じるわけにはいかないのです。私達は、あの場所を通して自身が過ごした場所を眺めているだけではありません。地球を参考にすべく見ることもありますし、地球出身の神と、あの場を通して交流することもあるのです」


 アムテリアは、ドワーフやエルフも、親しくしている神から得た知識を元にしたという。それに、欧州風の名前や風習なども、そういう交流から仕入れたものらしい。


「私は日本に由来する存在ですから、東洋はともかくそれ以外には詳しくないのです。ですが、この惑星を全て日本風にしてしまうのも、好ましくありません。その土地にあった生き物や文化を育てるべきですから」


 アムテリアは、惑星全体を均一な文化にすることを嫌っているようである。

 もっとも、西洋風を意識した結果、ドワーフやエルフを取り入れるというのは、シノブには少々理解しかねる発想だ。もしかすると、魔力のある世界だから、それに相応しい想像上の存在も加えたのだろうか。そうシノブは考えたが、口には出さなかった。


「すると、バアル神についても、ご存知ではなかったのでしょうか?」


 シノブが口にしたのは、別のことである。バアル神の像は、帝国の各地の神殿にあった。帝都や周辺の都市とは違い、各伯爵領には『排斥された神』の力は及んでいなかったようである。したがって、アムテリアやその眷属も、帝国内のバアル神像を見たことがあるのではと思ったのだ。


「はい……申し訳ありませんが、古代オリエントの神だとは思い至りませんでした」


 アムテリアは、少々恥ずかしく思ったのか、僅かに頬を染めていた。この惑星の最高神に相応しい神秘的な女神の恥らう姿は、シノブにとっては驚きでもあったが、一方でどこか親しみを感じてもいた。


「アムテリア様!」


──地球の全ての神霊を把握するなんて、無理です!──


 一方、アミィとホリィは、口々に叫んでいた。二人は、主であるアムテリアの謝罪に心底驚愕したようである。


「すみません……バアル神については、知り合いの神にも気をつけるように連絡しておきました。もし、彼らの世界に現れた場合は、こちらにも連絡が入るでしょう」


 アムテリアは、地球出身の神で惑星神に昇格したものとは連絡を取り合っているらしい。そのあたりが、各地域の文化の仕入れ元なのかもしれないと、シノブは想像しつつ聞いていた。


「ありがとうございます。こちらも、充分に気をつけます」


 地球由来の神霊が忍び込む可能性があるなら、今後はそういう視点でも注意しよう。シノブはそう考えながら頭を下げた。


「私はいつでもあなた達を見守っています。これからも互いに協力しながら頑張ってくださいね。

シノブ、貴方は多くのものを背負う存在となりました。ですが、貴方には多くの仲間がいます。決して一人では背負い込まないように。新たに得た地、新たに知った土地、様々な場所に赴き、絆を結ぶように務めてください。貴方が抱えた荷物を分かち合う人が、そこにはいる筈です。

アミィ、ホリィ。これからもシノブを支えてあげてください。シノブも成長しましたが、その分、大きな苦難に会うかもしれません」


 シノブ達三人は、アムテリアの温かな忠告に聞き入っていた。シノブにとっては母のような存在であり、アミィやホリィにとっては、長年仕えた主の言葉である。聞き逃すことなど出来はしない。

 そして、アムテリアが語り終えると彼女の姿は急激に光に包まれていった。どうやら、夢が覚めるときが来たらしい。そう感じたシノブは、女神の麗姿を心に刻むべく、彼女の姿を見つめ続けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おはよう、アミィ!」


「おはようございます」


 翌朝、シノブとシャルロットは、起床後早々に居室へと移動していた。なお、アムテリアが夢に現れたことは、既にシャルロットにも伝えている。


「シノブ様、シャルロット様、おはようございます!」


 アミィは、いつものように早起きしていた。彼女は、まだ日も昇らない早朝にも関わらず、お茶を入れる準備をしている。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 アミィは、ソファーに座ったシノブ達にお茶を淹れて差し出した。シノブとシャルロットは、それを受け取り、香気を楽しみながら味わう。


「……今回はですね、まずはシャルロット様への贈り物があります」


 アミィも、シノブ達が何を聞きたいのか察していたようだ。

 アムテリアの訪れがあった後には、必ず彼女からの贈り物があった。神のプレゼントを当たり前のように期待するのも、どこか間違っているような気がするシノブだが、毎回欠かさず何かを授かっているのだ。しかも、多くの場合、その後に重要な役目を担うものを、である。

 シノブ達が、朝一番にアミィに確認するのも、そういった経緯があるからだ。


「シャルロットにか……」


 そんな事情もあり、アミィの言葉を聞いたシノブは、少々苦い顔をした。シャルロットに授かるものが、彼女を戦に巻き込むかもしれないと思ったのだ。


「あっ、ご心配なく! この帯です!」


 アミィが取り出したのは、幾つかの幅の広い帯であった。飾り気のない地味な帯は、何となく腹巻やコルセットのように見えなくもない。


「これを、どうするのですか?」


「お腹に巻いておくと、身体強化を使っても赤ちゃんに影響しません! これからシャルロット様は、南方にもお出かけになりますから、お気遣い下さったようです!」


 不思議そうな顔をしたシャルロットに、アミィが、とても嬉しそうな笑顔で説明する。彼女は、この帯を装着していれば、身体強化などの魔術を使っても胎児に影響しないという。

 どうも、初期の妊婦が強化や回復の魔術を使うと、活性化された母体に胎児が適応できないことがあるらしい。ある程度の期間が過ぎれば問題ないようだが、現在のシャルロットは危険な時期であり魔術の使用を控えていた。


「そうですか。みだりに魔術を使うつもりはありませんが、万一のことを考えるとありがたいですね。早速着けてきます」


 輝くような笑顔を見せたシャルロットは、アミィが差し出した帯を一つ手に取ると、寝室へと引き返していく。最高神が自身と子供を案じて贈った品である。彼女は、一刻も早く身に着けようと考えたのだろう。


「後は、寒冷地に向いた穀物とかですね。麦、大豆、ジャガイモ、甜菜などは帝国にもありましたが、こちらの方が収穫量が多いようです。あっ、小豆もありますよ! おはぎが作れますね!」


 アミィは、ニコニコと微笑みながら言葉を続けていた。ベーリンゲン帝国の多くは高地であり、しかも山地が多いため平地は少ない。そのため、寒さに強く収穫量が多い農産物は大いに役立つだろう。


「小豆か……今まで目にしたことは無かったよね。あんこが作れるのは嬉しいなぁ」


 シノブも、思わず顔を綻ばせていた。和風のお菓子が無いと困るというほど執着してはいないが、かといってこれだけ長い間食べていないと少々恋しいのも事実である。


「後ですね……これを授かりました」


 そういってアミィが差し出したのは、小さなカードである。魔法の家を仕舞ってカードにしたものと同じ大きさで、表面にはデフォルメした石造りの建物が描かれている。平屋の魔法の家とは違い、伯爵家の館と同じような大きな建物の絵である。


「これは?」


「実はですね……魔法の学校です。魔法を教えるための学校というわけではなくて、展開可能な設備というだけなのですが……」


 アミィが語ったのは、シノブが予想もしない内容であった。どうやら、アムテリアはシノブが学校の設立を計画していると知って、早速手回ししたようである。


「魔法の家と同じように、魔道具の灯りや水道、エアコンなどはありますが、基本的にはただの校舎と宿泊棟ですね。展開するには、かなり広い土地が必要みたいです。最低でもこの館の敷地と同じくらい無いとダメですね」


 どうやら、かなり大規模な建物のようだ。戦闘に使うような派手なものではないが、今までで一番凄い魔道具というべきかもしれない。そう思ったシノブは、アミィの説明を受けて絶句していた。


「……学校は、早めに設立したかったからね。これなら整地だけすれば、直ぐに準備できるか」


 せっかくアムテリアがお膳立てしてくれたのだ。シノブは立派な学校を作ろうと決意していた。建物があれば、準備は大幅に短縮できるが、問題は何をどのように教えるかだろう。

 単に軍人や文官としての技能だけではなく、人を思いやり種族や出自で差別しないように育てたい。そのためには、様々な種族や立場の者を集めるべきではなかろうか。シノブは、アミィから受け取ったカードを眺めながら、多様な子供達が集う楽しい学園を思い浮かべていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月11日17時の更新となります。


 次回から第13章になります。


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