12.18 流れゆく時代 前編
「シノブ、ベランジェ殿。街の方も一段落したぞ」
イヴァールは『大帝殿』の控えの間に入るなり、シノブと先代アシャール公爵ベランジェに大きな声で呼びかけた。彼は、ソファーにいる二人の下に、大股で歩み寄ってくる。
彼の装いは、『大帝殿』に突入したときのままの重武装であった。身に着けているのは鱗状鎧、頭には角のついた兜、背中には身の丈ほどもある巨大な戦斧と戦棍であり、シノブ達がいる豪華な一室には似合わない。
しかし、イヴァールと共に入ってきた狼の獣人アルノー・ラヴランや猫の獣人アルバーノ・イナーリオも、それぞれメリエンヌ王国の軍服に小剣を佩いたままであり、シノブ達の周囲に控える軍人達も同様である。
宮殿内での竜人達との戦いから未だ半日、王国の軍人にとっては、ここはまだ戦地というべき場所なのだ。
「お疲れ様。アルノー達も座ってよ」
シノブはイヴァールに微笑むと、三人に着席するよう促した。
ここは謁見の間に近い一室である。元々は宰相やその従者が控えるための部屋らしく、謁見の間の周囲に配された控えの間の中でも、特に立派で大きな部屋だ。
シノブやベランジェが座っているソファーも、最上級の雪魔狼の革を張ったもので、繊細な彫刻が施された銀細工のフレームには各所に宝石まであしらわれた逸品である。シノブも、これと並ぶ品はメリエンヌ王国の小宮殿、つまり国王達が暮らす部屋に置かれたものくらいしか思い当たらない。
しかも、ここにはそんなソファーが三脚もあった。中央に据えた大きなテーブルを取り囲むように、四人掛けのものが二つ、そして少し小ぶりのものが一つである。
「おお、すまんな」
だが、豪胆なイヴァールはソファーの豪華さなど気にならないようだ。彼は、背から降ろした武器を無造作にソファーに立て掛けると、空いていた一脚にドカリと腰を下ろした。
「失礼します」
「……この格好で座るのは、少々気後れしますな」
イヴァールとは対照的に、残りの二人は遠慮がちに腰を下ろしていた。
豪奢な室内のせいか、それとも国王の弟であるベランジェを前にしたせいか、アルノーはどことなく固い表情である。そして、アルバーノは返り血が染みついた軍服を気にしたようだ。彼は、自身の服とソファーを見比べた後に、おっかなびっくりという様子で腰掛けたのだ。
「はい、どうぞ」
そんな三人にお茶を差し出したのはアミィである。彼女は、魔法のカバンから取り出したグラスに、魔法の水筒の魔力回復の効果があるお茶を注いでいく。
「美味いな……生き返るぞ」
イヴァールはよほど喉が渇いていたのか、あっという間にお茶を飲み干した。両脇のアルノーとアルバーノも、無言のままだが頬を緩めてお茶を味わっている。
「……『小帝殿』の方には、生き残りは殆どいなかったよ」
シノブは、イヴァールにお茶を淹れ直したアミィが自分の隣に戻った後に、表情を改めて切り出した。
ベーリンゲン帝国の中枢である宮殿『黒雷宮』には、政務の場である『大帝殿』の他に、皇帝達が暮らす『小帝殿』など、幾つもの建物が存在する。しかし、シノブの言うように宮殿内には殆ど人影が無かった。
「宮殿を警護する兵士だけでも、かなりの人数が詰めていたはずですけど……大勢来ていただきましたが、無事な人は少ないようです」
アミィも、困惑気味の表情で続ける。彼女の薄紫色の瞳は内心の落胆を表すかのように曇っており、頭上の狐耳も元気がない。
シノブ達が地下神殿で『排斥された神』の巨像を倒した頃、イヴァール達も竜人の掃討を完了していた。
そこで、シノブとアミィは宮殿に隣接している大神殿へと赴いた。神像を造り変えて、ゴドヴィング軍管区やメグレンブルク軍管区で待機している王国軍を呼び寄せるためである。なお、ベランジェを帝都ベーリングラードに連れてきたのも、その時だ。
「りゅ……おっと、翼魔人に魔人だった。ともかく宮殿にいた大人で助かった者は、少ないみたいだね」
ベランジェは竜人と言いかけたようだが慌てて言い直し、岩竜の子オルムルへと視線を向けた。竜であるオルムル達は、炎竜の血から作り出された異形の存在に、強い憤りを覚えていた。そのため、シノブ達は、竜人という言葉を避け、翼のあるものを翼魔人、それ以外を魔人と呼ぶことにしていた。
もっとも、オルムルはシノブやアミィの座っているソファーで丸くなったままで、身動き一つしない。どうやら彼女は、眠っているようである。
まだ子竜のオルムルは、地下神殿での戦いで大量の魔力を消費したらしい。そのためだろう、彼女は地上に出てから暫くすると、子猫ほどの大きさとなりシノブの肩に乗っていた。どうも、シノブに触れていると自然に魔力を吸収できるらしい。
そして、シノブの魔力を吸収した彼女は、そのまま眠ってしまったのだ。
「ヘリベルト達が捜索を続けていますが、助かった者は下働きの一部だけのようですね。それと、我々が到着する前に宮殿から逃げ出した者がいました。外にいた馬丁や庭師などです」
アルノーが言うように、現在でも狼の獣人ヘリベルト・ハーゲンの率いる部隊が、宮殿内を調べている。何しろ、『黒雷宮』は文字通り帝国の中枢というべき要地である。地下宮殿の戦いは終わり、竜人達が倒されたといっても、油断は出来ない。
そこで、ゴドヴィング軍管区やメグレンブルク軍管区から連れてきた者達も加えて、大掛かりな捜索を続けている。シノブ達は宮殿を制圧したとはいえ、皇帝が地下神殿まで移動した通路なども不明なままだ。そのため彼らは、一室一室を目を皿のようにして調べていた。
「逃げ出した者がいたのは幸いでしたな。お蔭で、我らの仕事も捗りました」
アルバーノは、大袈裟な仕草で肩を竦めながら冗談めいた口調で続いていた。どうやら彼は、場を和らげようと思ったようである。そのためだろう、彼の表情は主君と王弟を前にしているとは思えないほど、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
実は、帝都を掌握すべく繰り出した部隊は、意外なほど素直に受け入れられていた。これは、アルバーノが言うように、宮殿から逃げ出した者達が自身の見た出来事を帝都の住民達に伝えていたからだ。
何しろ彼らの中には、竜人化した瞬間を直接目にした者達すらいる。そして、それらを聞いた住民達は、街から逃げ出そうとした。イヴァール達が帝都に到着したとき住民達が逃げ惑っていたのは、二つの巨大な竜の像が帝都上空に現れた為だけではなかったのだ。
そもそも、竜人達は昨日今日に現れたわけではない。シュタール達が率いていた竜人部隊は、どうも一週間くらい前から準備されていたようである。竜人と化した家族が帰って来ない者達は不審に思うし、帝都近辺の演習場で飛行訓練をする彼らに誰も気が付かないわけはない。
そのため、数日前から帝都には兵士達が竜人に作り変えられているのでは、という噂が流れていた。そして、そんな不穏な状況であったが故に、皇帝の非道を喧伝しつつ各所を回っていったメリエンヌ王国の兵士達は、殆ど抵抗を受けることもなかった。
今も、ホリィや帝都に残った竜達が上空から街の様子を見て回っているが、帝都の民の多くは、落ち着きを取り戻してそれぞれの生活に戻ったようである。彼らは、竜人を作りだした皇帝が既に斃れたと知り、これ以上の不幸は襲ってこないと安堵したらしい。
「生き残りには、どんな者がいるのだ? 帝国の謎は解けそうか?」
イヴァールは、過ぎ去ったことより、これからどうなるかが気になるようだ。
帝都中枢での惨事は自分達が到着する前に起きたことであり、どうしようも無いことである。シノブやアミィの話を聞いて表情を曇らせていたイヴァールであったが、どうやらそう割り切ったようだ。
「それがね……皇太子の息子と娘が一人ずつ。しかも、3歳と2歳なんだ」
イヴァールの問いに、シノブは、ますます表情を曇らせた。『小帝殿』にいた皇族は、二人の幼児だけであったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
地下神殿での戦いを終え、『大帝殿』へと入ったシノブとアミィは、予想外の事態に驚いていた。
シノブ達は地下神殿に入る前に、岩竜ガンドを通して竜人達が地上にも数多く現れたことを聞いていた。しかし宮殿内の殆ど全ての者が、竜人化していたとは想像外の出来事であった。そこでシノブは、今回の作戦を後方で監督していたベランジェを、急遽帝都に招くことにした。
元々作戦が成功して雷撃の危険が無くなったら、後方の都市と何往復かして後続を帝都に連れてくる予定ではあった。そこでシノブはゴドヴィング軍管区の領都ギレシュタットに転移したとき、ベランジェに帝都の状況を詳しく説明し、同行を頼んだのだ。
本来なら東方守護副将軍であるベランジェは、最後まで後方で総指揮をする予定であった。しかし、これだけ大きく事態が動いては計画の変更も仕方がないだろう。
「閣下! 皇太子が住んでいたと思われる区画に子供がいました! どうやら、皇帝の孫のようです!」
後続の輸送を終えたシノブ達がベランジェを伴って『大帝殿』に戻ると、一人の兵士が彼らの下に駆け寄ってきた。
シノブは、帝国の重要人物と会って話がしたいと思っていた。もちろん帝国の中枢にいる彼らは、『排斥された神』の支配下にあるだろう。彼らは、神々の御紋の光を浴びせたら、過去の記憶を失ってしまう筈だ。しかし、催眠状態に持っていけば、多少の会話くらいは出来る。
「本当か、すぐ行く!」
シノブは、ソファーに寝かせていたオルムルを起こさないように静かに抱き上げると、兵士の下へと歩んでいった。
ちなみに、既に『大帝殿』にはイヴァール達の姿は無い。彼らは、ヘリベルトが指揮する部隊に宮殿を任せ、街の掌握に乗り出していたからだ。
帝都ベーリングラードは、人口九万人の大都市であり、守護隊も二千四百名の大人数だ。そのうち四百名は宮殿を警護する騎士だから、残りはおよそ二千人である。したがってイヴァール達には、まだまだやるべきことが沢山あった。
もっとも、竜達が持つ『解放の竜杖』や『無力化の竜杖』によって、その戦力は大きく減じている。戦闘奴隷とされた獣人達は『解放の竜杖』の効果範囲内に入ると動きを封じられ、それ以外の者も『無力化の竜杖』により、体力を奪われている。したがって、帝都守護隊の制圧は手間はかかるが危険度は低かった。
「これで少しは進展がありそうですね!」
「ああ、イヴァール達も順調なようだしね」
兵士の先導で歩きながら、アミィは、シノブに安堵したような笑みを見せた。対するシノブも、同じような表情で頷き返す。
シノブやアミィは、帝都上空を舞うホリィや竜達からの思念により、イヴァール達の様子を把握していた。そのため彼らは、帝都の掌握が問題なく進行していることを知っている。しかし、その一方で皇帝の一族が『排斥された神』とどうやって巡り合ったかなどについて、手掛かりを得られないのを案じていたのだ。
「それが……あの……」
ヘリベルトの部下である狼の獣人は、シノブとアミィの嬉しそうな様子をみて、何故か口ごもった。彼は何かを伝えようとするが、そのまま再び黙ってしまう。
「どうしたのだね、兵士君?」
シノブ達と並んで歩むベランジェは、恐縮した様子の兵士に優しく笑いかける。どうやら彼は、何かを察しているらしく、少し苦笑気味でもあった。
「その……皇帝の孫は、まだ幼児でして……」
兵士が語る内容は、ある意味、納得がいくものであった。
ベーリンゲン帝国では、成人した皇族の男子のうち、皇帝に近しい三人に公爵位が与えられる。シノブ達がメグレンブルクやゴドヴィングで見た資料によれば、多くの場合は皇帝の息子や兄弟など血統的に近い者に自動的に付与されるようである。
そして現在、公爵家筆頭のゲルノフスク公爵が皇太子、第二位のディーンボルン公爵が皇帝の次男、第三位のロンジェブラト公爵が皇帝の弟だという。
なお、三人の公爵は、皇帝直轄領内の都市の領主でもあるが、実際の権力は殆どないらしい。皇帝が指名した代官を現地に送り公爵本人やその家族は『小帝殿』で暮らしている。これらの措置も、皇帝一人に権力を集中させた体制に起因しているようである。
それはともかく、皇帝は竜の血の入った酒を自身の子供や親族にも飲ませたらしい。そのため、元の姿を保ったのは、酒を飲めない幼児だけであったようだ。
「自分の子供達にも飲ませるなんて、何を考えているんでしょうね!」
──あ、アミィさん、また私達の血が!?──
どうやらオルムルは、憤慨するアミィの声に驚いて目を覚ましてしまったらしい。シノブに抱えられた彼女は、驚いたように周囲を見回している。
「大丈夫だよ。もう全部倒したから」
──良かった……──
シノブがオルムルの頭を撫でると、彼女は嬉しげな思念を発していた。そして、程なく再び眠りに落ちていく。
「まあ、そんなことだと思ったよ」
ベランジェは、シノブ達に微笑んでみせる。彼は、オルムルに遠慮したのか、その声は囁きといっても良いほど小さなものである。
「どうしてわかったのですか?」
「大きな子なら、兵士君も連れてくるだろうしね。そうだろう?」
シノブの問いに答えたベランジェは、案内役の兵士へと顔を向ける。するとベランジェの視線を受けた兵士は、遠慮がちに頭を下げた。
現在二人の幼児は、追加で来た女性兵士や、難を免れた帝国人の下働きの女性達に保護されているという。幼いだけに、厳つい兵士達よりは女性の方が安心するようだ。
「さて、ここが『小帝殿』か……相変わらず、素っ気ない作りだねぇ」
ベランジェが言う通り、回廊で『大帝殿』と繋がれた建物は武骨な印象が拭えないものであった。
宮殿全体の異名が『黒雷宮』であるように、『大帝殿』や『小帝殿』、それに周囲の建物の何れも、黒々とした黒曜石のような岩で出来ている。しかも、寒冷な土地である故か壁は厚く、窓も小さい。
「……そうですね」
メリエンヌ王国の美しく窓も大きな建築物に慣れたシノブも、ベランジェの言葉に頷いていた。地下でのバアル神像との戦いに加え、竜人と化した人達のことを聞いたせいもあり、シノブには、周囲の建物が尚更重苦しく見えていた。
「こちらです」
シノブ達が案内されたのは、『小帝殿』の二階にある一室であった。幼児が過ごすためか、内部は明るい色調で統一されており、他の部屋のような重厚さはない。そのため、シノブもどことなくホッとしたような気分になる。
兵士によれば、二人の幼子はこの部屋で昼寝をしていたらしい。そのため、両親や周囲の者を襲った不幸については知らないままだという。『小帝殿』で竜人化した者達は、そのまま竜やイヴァール達がいる『大帝殿』に向かったようだ。そのため、何も気が付かなかったのだろう。
「おじさん、だれ?」
「かあさまは?」
扉が開く音のせいだろう、室内にいた二人の幼児がシノブ達に向かって振り向いた。どちらも皇帝と同じ黒髪に茶色の瞳である。
しかし、まだ幼い子供達は、威厳に満ちた皇帝とは似ても似つかなかった。少し大きな男の子、3歳になったばかりのロジオンは、柔らかな頬の愛らしい幼児であり、隣にいる一つ年下のカテリーナも、色白の肌に赤い唇の可愛らしい女の子である。
肌の色は、どちらも薄く白いが、髪と瞳の色のせいか、何となく日本の子供を思い浮かべたシノブは、思わず微笑んでいた。
「元気の良い子供達だねぇ! おじさんはね、君達のお父さんやお母さん達に頼まれて来たんだ。お父さん達は、ちょっと遠いところにお出かけしていてね……だから、おじさんが君達の世話をするのさ!」
貴人に対しての、いきなりの『おじさん』呼ばわりに、室内の女性達は少々表情を変えていた。しかし、ベランジェの言葉を聞いて、彼女達は再び柔らかな笑顔を取り戻す。
王国軍の女性兵士にとっては敵国を支配する一族であり、帝国人にとっても、同僚達を竜人に変えた皇帝の孫である。したがって、彼女達にも思うところはあるだろう。とはいえ、相手は3歳と2歳の幼児である。そのため彼女達も、突然親を失った子供達を可哀想に思っていたようだ。
「アリーナは?」
「アリーナさんも、ちょっと用事があるみたいだね……でも、大丈夫! おじさんと一緒に遊ぼうか! あっ、それとも美味しい物が良いかな? アミィ君、何か出してくれたまえ!」
アリーナとは、侍女のことであろうか。もし、大人かそれに近い年齢であれば、竜の血の入った祝い酒を飲んでしまったかもしれない。ベランジェもそう思ったらしく一瞬眉を顰めていた。しかし彼は、再び快活な笑顔を子供達に向けると、アミィに向かって催促をする。
「えっと……それじゃ、アイスクリームとかどうでしょう?」
流石に3歳児と2歳児に相応しい食べ物など、アミィも持っていない。そのため彼女は、作り置きのアイスクリームを魔法のカバンから取り出していた。
「おいしい! もっと!」
「あま~い!」
アミィが手早く器に盛ったアイスクリームを、早速ロジオンとカテリーナは食べている。
帝国は、寒冷な地だからシャーベットなどはあるが、アイスクリームは存在しないらしい。元メグレンブルク伯爵の子供達、フレーデリータやネルンヘルムも初めて食べたときには驚いていたから、それは間違いないようである。
「ああ、口の周りがベタベタになっているよ! おじさんが食べさせてあげよう! アミィ君、そっちは頼むよ!」
「は、はい! さあ、カテリーナちゃん、どうぞ!」
何と、ベランジェは手ずからロジオンに食べさせ始めた。そして、アミィもカテリーナの世話を始める。
シノブは、ベランジェの意外な姿や皇帝の孫達の年齢相応の様子に顔を綻ばせつつも、子供達の将来を思うと心から喜ぶことは出来なかった。フレーデリータやネルンヘルムとは違い、彼らは両親を失った。そのことを今は理解できなくても、何れは知る日が来るだろう。
どうやら、ベランジェは二人を引き取るつもりらしい。シノブも、彼と共に支援しようと決意をしながら、目の前の無邪気な幼子の様子を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「なんと……」
あまりの惨状に驚いたらしく、イヴァールは声を漏らす。両隣のアルノーやアルバーノは、説明の最中と同じで絶句したままだ。
「皇帝を別にすると、12人の皇族がいたらしい。でも、ロジオンとカテリーナ以外は姿を消していた。
それに、謁見の間の様子からすると宰相や侯爵達も全滅のようだね。宮殿にいた騎士や士官、文官達も。これでは勝っても国を治められないだろうに……」
シノブは陰鬱な話を続けていく。
『小帝殿』には、皇帝以外に12人の皇族が暮らしていたらしい。しかし、二人の幼児を除けば全て成人済みか成人間近であったため、全員祝い酒を飲んだようである。
また、謁見の間には竜人と化した貴顕達が着ていた服の残骸が残っていた。そして、僅かに生き残った下働きの者達は、それらを宰相や閣僚を始めとする高官が身に着けていたものだと証言したのだ。
「皇帝がどこまで自分の意思で動いていたかは疑問だけどね」
「ですが、邪神の思惑だったとしても……」
普段通りに飄々とした様子のベランジェに、アミィは反論した。彼女は『排斥された神』の意思であったとしても、自国の中枢を壊滅させた彼らの行動を理解しかねるようである。
「邪神は、最悪の場合は新たな皇帝や家臣を作り出せば良いと思っていたんじゃないかな? どうせ、心を支配しているんだ。誰が皇帝になっても、文句なんか出ないかもしれないし」
シノブは、ベランジェの言葉に内心頷いていた。皇帝は『神に仕え神に命を捧げる』と言っていた。それが彼自身の意思なのか、『排斥された神』に植え付けられた考えなのかはわからない。ただ、どちらにしても、皇帝が自身の命よりも、神の意思を優先していたことは間違いないだろう。
「……まあ、そんな答えの出ないことを考えても仕方がないよ。大切なのは、これからどうするかだね!」
ベランジェは、起きてしまったことを案ずるより将来を見据えるべきだと宣言した。彼は、やはり一流の政治家なのだろう。帝国との戦いは、まだ終わったわけでは無い。嘆く前にやるべきことは幾らでもある。彼の明るい声音の裏には、そんな強い意志が隠されているようだ。
「そうですね。あの子達の為にも、この国を良くしないといけませんね」
シノブは、皇帝の孫であるロジオンとカテリーナの姿を思い出していた。それに二人の他にも、この戦いで親を失った子供は多い筈だ。自身が進めた戦いにより生じた孤児達を思ったシノブは、その表情を暗くしていた。
「ああ、あの二人は私が引き取るよ。まだ子育てしたことのないシノブ君やシャルロットには、難しいだろうからね。他にも沢山いるだろうけど、それぞれ行先を考えよう」
ベランジェは、彼らしい快活な笑みをシノブに見せていた。やはり彼は、皇帝の孫達を預かるつもりだったのだ。
「ありがとうございます。でも義伯父上が、こんなに子供好きだとは思いませんでした」
シノブは、いつもと変わらぬベランジェの様子に、自然と顔を綻ばせていた。彼の言葉は、シノブから余分な気負いを取ったようである。そのせいか、シノブは、礼に続いて冗談めいた言葉まで口にしていた。
「何を言うかね! これでも私は三人の子を育て上げ、更に四人目まで授かったのだよ! シノブ君がどう思っているか知らないが、私は我が子だけではなく家臣の子にも、山よりも高く海よりも深い愛情を注いで来たのだよ!」
ベランジェは、大袈裟な仕草で驚きを表しながら、シノブに笑いかけた。
彼には嫡男のアルベリクに、他家に嫁いだユリアーヌとリュディヴィという二人の娘がいる。それに、第二夫人のレナエルには、新たな命が宿っている。したがって、シノブなどよりはよほど子育ての経験があるのだろう。
それに、ベランジェはミュリエルなどにも優しげに接していた。彼自身が言うように、子供好きなのは間違い無いようだ。
「シノブ君も、自分の子供が生まれたら理解できるよ! 次の時代を担う子供達の笑顔こそが、我々の宝だとね!」
シノブは、子供のような無邪気な笑顔で宣言するベランジェを見て、思わず噴き出していた。彼だけではなく、隣に座るアミィ、そしてイヴァール達も笑っている。
子供達の笑顔。ベランジェの奇矯な発言の裏には、自分達を励まし微笑ませる意図があるのかもしれない。四十半ばの彼からすれば、シノブやシャルロットなど子供のようなものであろう。ベランジェの笑顔を見たシノブは、そう感じていた。
自分も、慕う者達に笑顔を与えられる存在になりたい。シノブは、温かな笑みに満ちた空間で、静かに決意していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年8月7日17時の更新となります。