12.17 黒雷宮の攻防 後編
──神に逆らう愚か者達よ──
第二十五代皇帝ヴラディズフは、今や完全に巨神像と一体化したようである。神像に吸収された直後は、皇帝の思念と『排斥された神』かその分霊と思われる存在の思念が交互に出現していた。しかし今は、二つは完全に融合したらしく、神像からは一つの思念だけが重々しく響いてくる。
──お前達には滅びを与えよう──
バアル神を象った巨大な青銅の像は、不気味な思念を発しながらシノブ達に向かって歩み寄ってくる。巨神像は、元が単なる金属の塊であったにも関わらず、人間のように自然な動きで地下神殿の中央へと歩を進めているのだ。
巨大な神像は、魔力を全開にして金色に光り輝くシノブを最大の敵と認識したようだ。そのためだろう、青銅製の神像は大股な歩みで一直線にシノブへと進んでくる。
「これが、バアル神か!」
巨神の歩みを避けつつ神殿の中央に退いたシノブは、今まで感じたことのない強烈な思念に顔を顰めていた。
彼が接した神は、この惑星の最高神アムテリアだけである。しかし、アムテリアの思念は、太陽のように広大無辺の力を感じさせるが、優しく温かなものであった。
それに対し、シノブが雷と嵐の神、バアル神であると看破した存在は、荒々しく怒りに満ちた思念を放ってくる。
「色々聞いてみたいことはあるが、それどころじゃないな!」
『排斥された神』の正体はバアル神、つまり古代オリエントで崇められた『気高き主』バアル・ゼブルで間違いないらしい。神像から伝わる思念自体は自身の名を語らないが、皇帝はシノブの言葉を否定しなかったのだ。したがって『排斥された神』が遥か昔に中東で広く信仰されたバアル神であることは確かなようだ。
それを知ったシノブは、バアル神が何故この惑星に来たのか、どうして民を虐げるのかを、問うてみたかった。しかし、巨大な神像が迫る今、そんなことを悠長に聞いている余裕はないだろう。
「まずは身を守らないと! しかし凄い力ですね!」
シノブと共に下がったアミィも、殷々と響く思念の圧力に驚嘆を隠せないようである。
バアル神は遥か昔、紀元前に主神やそれに近いものとして祭られた存在だ。歴史の中に消え去り神の地位を追われたが、その力は失われていないらしい。神像の放つ思念も過去の栄光に相応しく、側にいる者を縛り付けるような底知れぬ神威を纏い、物理的な圧力すら伴っている。
そのため神像が声なき咆哮を放つたびに、シノブ達は嵐に揺さぶられているような強烈な衝撃を受けていた。
──巨体の割に速いですね!──
こちらはシノブ達の上を飛翔しているホリィである。彼女は、神像の動きに驚嘆を隠せないようだ。
神像の背丈は立ち上がった成竜ガンドにも匹敵し、高さは15m程にもなる。その動きは若干緩慢ではあるが、桁違いの巨体のため意外に歩みは速かった。何しろ人間と比べれば八倍以上の大きさである。したがって、人間の半分の速さで手足を動かしたとしても、歩む速度は四倍となるわけだ。
そのため、右手に持つ巨大な矛を振り下ろしながら進む神像は、あっという間にシノブ達の至近へと迫っていた。
──シノブさん、アミィさん、私に乗ってください!──
岩竜の子オルムルは、シノブとアミィの脇に舞い降り、騎乗を促した。
神殿の内部は高さ20mもあり、幅と奥行きもそれぞれ100mはある巨大な空間だ。等間隔で配置された巨大な石柱が天井を支えてはいるものの、他に遮るものはないから宙を飛ぶのに不都合はない。
そのためオルムルは、背に乗せたシノブ達に攻撃してもらい、自分が回避を担当しようと思ったのだろう。幸い、彼女はドワーフ達が作った装具を身に着けている。そのため、彼女が宙で激しい機動をしても、シノブ達が困ることもない。
「助かる!」
「乗りました!」
シノブとアミィが飛び乗ると、オルムルは宙高く舞い上がる。
かなりの角度で急上昇するオルムルの胸元では、装具に付けた神々の御紋が煌めいていた。何しろ周囲は神像が放つ稲妻が飛び交い、それを防ぐ光鏡も数多く展開されている。それに膨大な魔力を解き放ったシノブも、神秘の光を放っている。
シノブ達の戦いは、地底で行われているとは思えない、眩しい光に彩られたものだったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
オルムルは巨石で造られた柱を縫うように飛び、神像の攻撃を躱している。彼女は己の飛行能力の全てを駆使し、ある時は途轍もない速度で飛びぬけ、ある時は突然横滑りをし、と巨神の隙を狙うかのように目まぐるしく位置を変えている。
バアル神の像は主に稲妻で攻撃をしてくるが、その手に握った長大な矛も無視できない。何しろ像の身長とほぼ同じ長さの矛は、猛烈な速度で振り回されている。万一当たったら全長3mの子竜など、一撃で地に叩き落とされるだろう。
シノブは神像に向かって光弾を放つが、それらは全て激しく明滅する障壁で受け止められていた。神像に纏わりつく稲妻に似た輝きは、おそらく魔力障壁なのだろう。シノブが操る二十を超える光弾は、全て怪しい光を放つ障壁に弾かれていた。
ならば、物質やエネルギーを吸い込む光鏡はどうだろうか。そう思ったシノブは、自分達を守る光鏡のうち、およそ半数の十幾つかを荒ぶる神像へと進ませた。
しかし、それらも空しく障壁に阻まれた。せめて手に持つ武器だけでもとシノブは矛を狙うが、こちらも同様だ。不気味に光る障壁は、巨神の体だけではなく矛も包み込んでいる。そのため矛を狙った光鏡も、等しく弾き返されてしまったのだ。
「あの障壁を何とかしないと!」
「そうですね! 稲妻は防げますが、矛は危険です!」
シノブの叫びに、アミィも鋭い声音で同意した。
彼女が言うように、神像が左手から放つ稲妻はシノブが操る光鏡で吸収できる。そのため、注意すべき存在ではあるが無闇に恐れる必要は無かった。
しかし、右手に握る矛はそうはいかない。物理的な存在であり吸収も出来ない矛に当たったら、オルムルの周囲を守る魔力障壁や光鏡ごと弾かれてしまう。そうなれば、シノブ達は石畳か石柱に叩きつけられてしまうだろう。
──躱すだけなら問題ないのですが!──
少し離れたところを飛んでいるホリィは、軽やかに矛を躱している。ホリィは、通常の鷹と大きさは変わらないため、巨神像も、狙いを付けにくいのだろう。
しかも、シノブはホリィの周囲にも光鏡を配しているため、稲妻での攻撃も通用しない。そのためだろう、神像はオルムルだけに狙いを絞ったようだ。オルムルの方が大きい上にシノブやアミィまで乗せている。そのため、神像はオルムルから倒すべきと判断したのだろう。
──私も大丈夫です! シノブさん、攻撃を!──
オルムルは、地下神殿の中を縦横に飛び回っていた。彼女は、閉鎖空間とは思えない高速で石柱の間を掻い潜り、神像の攻撃を上手く躱している。
「シノブ様! 神像自身に攻撃が効かないなら、周りを壊して動きを封じては!?」
「よし、やってみるか!」
シノブは、オルムルよりも大きくした光鏡を、巨大な神像の足下へと動かした。彼は、向かってくる巨神が足を踏み下ろすであろう場所を狙ったのだ。
光鏡は、物質を吸い込むことが出来る。ならば、石畳は吸い込まれて消失する筈だ。上手く行けば神像が倒れ伏すかもしれないし、少なくともバランスを崩して隙が出来るのではないだろうか。シノブは、そう思ったのだ。
「跳ね返された!?」
「神殿も邪神の力に守られているのですか!?」
シノブとアミィは、驚愕の叫びを上げていた。何と、光鏡は石畳に傷をつけることすら出来なかったのだ。どうやら石畳は、神像と同じように不可思議な力で守られているらしい。
──石柱や天井も!──
──入口もです!──
跳ね返される光鏡を見て、オルムルはブレスで、ホリィは風魔術を使って神殿の各所を攻撃していた。しかし、これらも神殿に傷一つつけることは出来なかった。
「シノブ様! ヴォルハルトや翼魔人が力を増したのではなく、私達が弱くなっているのでは?」
アミィは、『排斥された神』の本殿というべき地下神殿に、何か特別な力があると考えたようだ。
確かに、ここに近づくにつれて、禍々しい魔力が増してきた。特にこの地下神殿では、不気味な魔力は極限まで強くなり、空気が異質なものに変化したように感じられる程である。
つい先刻倒したヴォルハルトは、これまでとは桁違いの強さを発揮していた。それに翼を持つ竜人、翼魔人達も、神殿の中にいた者の方が格段に強かった。
「可能性はあるな……」
シノブは、それらを、この場に渦巻く魔力が彼らに味方したと考えていたが、どうやら、それだけでは無いらしい。地下神殿に満ちる魔力は、ヴォルハルトや翼魔人を強化したのかもしれない。だが、同時にシノブ達を弱める効果があっても不思議ではない。
これらは単なる想像であって、確証など無い。しかしシノブは、アミィの指摘が正しいように思い始めていた。
「御紋はどうでしょう!?」
「……駄目だ! 効果が薄い!」
アミィは、神々の御紋ならこの事態を打開できると思ったようだ。しかし、シノブが御紋を翳して七色の光を照射しても、巨大な神像の動きに変化はない。神像が防御しているというよりも、御紋の光自体が普段より弱いようである。
──シノブさん、私達の攻撃は効かないのですか!?──
──それどころか、ここから出ることも難しいのでは? ガンドさん!──
オルムルは、自分達の攻撃が全く通用しないことに、動揺を隠せないようだ。一方ホリィは、地下神殿に閉じ込められたのではないかと考えたらしい。彼女は地上にいるガンドに思念を放ったが、応答はない。やはり、神殿の中は外部と切り離されてしまったようである。
「最悪、魔法の家で転移することは出来ますが……でも、展開して転移するまで待ってはくれないでしょうね……」
アミィは、万一の時は魔法の家による転移で撤退しようと考えたようだ。しかし、彼女が言うように魔法の家を展開し、更に呼び寄せてもらうまでの時間、神像が黙って見ているとも思えない。
「それに通信筒を外に送れるか……神殿が独立した空間になっているのなら……空間!?」
魔法の家で転移をするには、外部から誰かに呼び出してもらう必要がある。だが、思念での交信が出来ない地下神殿である。通信筒での連絡も出来るかどうかわからない。そう思ったシノブだが、自身が口にした空間という言葉に引っ掛かりを感じ、思わず叫んでいた。
「シノブ様!?」
「アミィ、外と繋いでみる! もし、これが結界なら、それで破れるかも! ……光鏡よ!」
シノブは、換気用に地上に残していた光鏡のことを思い出していた。シノブは慌ただしくアミィに説明すると、手近な光鏡を地上のものと繋ごうと試みる。
「繋がった!」
念のために地上に残していた光鏡だが、換気の必要が無いため地下のものとの接続を切っていた。そのため再接続をする必要があるが、思念も届かない場所から繋がるかどうかシノブには確信が無かった。
しかし幸いにも地上と地下の光鏡は、シノブが念じたとおりに繋がったのだ。
思念とは違って成功したのは、自力ではなく神具を介して発動するからだろうか。それとも光鏡自体が空間を操作するものだから、結界を破れるのか。
シノブにも成功の理由は判然としないが、今はそれを考えている場合ではないだろう。
「バアル神よ! アムテリア様の力を受けてみろ!」
シノブは地上に残した二つの光鏡を上空へと移動し、可能な限り大きくした。そして地上の二つと繋いだ光鏡も同じ大きさとし、更に巨大な青銅の神像へと向け直す。
──ぐおおおぉ! 馬鹿な!──
降り注いだのは、単なる陽光の筈である。しかしバアル神の像は、それが耐え難い何かであるかのように身を捩り、巨大な腕で遮ろうとしていた。
「シノブ様、もう一度御紋の光を!」
「ああ!」
今度こそと促すアミィに、シノブは力強く答えた。そして彼は、再び神々の御紋から七色の光を放つ。
──こ、この光は! 身動きが出来ん!──
シノブが照射した光は、まるで小さな太陽が降りてきたかのように、辺りの全てを照らし巨大な神像を包み込んでいく。それは今まで御紋が放った光とは比べ物にならない桁違いの光量だが、何故かシノブは目が眩むこともなく、悶え苦しむ神像の姿や神殿の内部を見て取ることが出来た。
「アムテリア様、ありがとうございます!」
アミィは、感極まった様子でアムテリアに感謝を捧げていた。光鏡を通して差し込む日光といい、御紋の光といい、アムテリアが何らかの支援をしているのかもしれない。
──力が湧いてきます!──
──ええ!──
ホリィやオルムルが言うように、神像を苦しめる御紋の光は、シノブ達にとっては活力を与える恵みの光であった。
アムテリアを信仰する者は、御紋の光を神々しくも心地の良いものと感じるらしい。とはいえ、体力や魔力を回復するような効果は無かったはずである。
しかし、現在シノブ達は確かに湧き上がる力を感じていた。やはり、アムテリアや従属神達が力を貸してくれているようだ。
──我は、再び追われるのか!──
「お前が、神の座を追われ貶められたことには同情する! しかし、この地に住む者達を虐げたことは、許すわけにはいかない! だから、俺はお前を倒す!」
シノブは自身の魔力を高めつつ、大音声で巨大な神像を倒すと宣言した。
遥かなる古代、神々の主と崇められた存在が、敵対する異民族によって悪魔とされた。そして、その異民族が信じた教えは、長い時を経て多くの信者を獲得した。その結果、バアル神を含め多くの神が貶められた。
だが、それは地球での出来事であり、この星に住む人々には関係の無いことだ。人々の意思を無視して支配してきた帝国と、その裏にいた『排斥された神』を倒し、あるべき姿を取り戻す。シノブは、動きを封じられても未だ嵐のように強烈な思念を放つ神像に、自身の決意を叩きつけていた。
──我は、新たな地と僕を得ようとしただけだ。お前達が住み良い土地を求め、生き物を殺めて糧とする……それと、何の違いがあるというのだ!──
「強い者が制するというのか……ならば、俺達も力を合わせて強くなるだけだ!」
シノブは、神像が発する声なき叫びに反論した。
強き者が全てを得る。それも世の真理であろう。バアル神は、地球で己を信仰する民を失い神の座を追われた。もしかすると、それらの苦い経験から、自身の民を強固に支配した上で他の国家を隷属させるという、力に頼った行動に出たのかもしれない。
だが、シノブにも守るべきものがあり、慈しむべきものがある。そのためなら、神とも戦って見せよう。シノブは、自身が愛するもの、支えてくれたものの姿を思い浮かべつつ、怒涛のような圧力を放つ思念へと叫び返していた。
「お前は、誰も信じていない! だから勝てないんだよ!」
シノブは、オルムルの背から飛び降り、重力魔術で飛翔した。そして彼は、光の大剣に己の魔力を注ぎ込んでいく。
金色の光を放ちつつ宙を舞ったシノブは、光の大剣を大きく頭上に振りかぶる。彼が掲げる大剣は、剣身を遥かに超える眩しい輝きに包まれ、輝く粒子で形成された切っ先は天井まで届かんとしていた。
「俺達の力、受けてみろ!」
ここまで辿り着けたのは、様々な協力があってのことだ。
ここにいるアミィ達だけではない。上空から進攻し注意を惹き付けてくれた竜達。宮殿に乗り込んだ戦士達。西側の残り二つの伯爵領を攻略しているベルレアン伯爵達。後方で支えている者達。もちろんシャルロット達家族の支えも、大きな力となっている。
それらの全てを光の大剣に集めて目の前の巨神を打ち砕く。シノブが、溢れ出る魔力に己の気持ちを乗せると、光の大剣は更に輝きを増して応えていた。
──まさか、我が人に負けるのか……いや、お前は!──
シノブが光の大剣を振り下ろすと、彼の身長の何倍もある長大な光で作られた剣身は、巨大な神像を真っ二つに切り裂いた。すると左右に分断された青銅製の像はゆっくりと倒れ始め、僅かな間を置いた後に眩しい光を放ちながら四散した。
「光鏡よ!」
シノブは、とっさに光鏡を展開し、自身や背後のアミィ達を守っていた。光鏡の向こうでは、雷撃のような青白い光が荒れ狂い、神殿の壁や天井へと突き刺さっている。
「シノブ様! ここは危険です!」
──神殿が崩壊します!──
アミィとホリィは、シノブの背後で緊迫した声を上げている。
シノブの目の前には限界まで大きくした光鏡があり、その向こうがどうなっているかを見て取ることは出来ない。しかし、少し離れた位置にいるアミィ達からは、青白い閃光が神殿の各所を破壊しているのが見えたようだ。
──シノブさん、乗ってください! 上空に脱出します!──
オルムルが、シノブの直ぐ下に飛び込みながら、騎乗をするように伝えてくる。シノブがアミィの前に収まると、オルムルは、陽光を取り入れるために使った光鏡に向かって飛翔していく。
──父さま! 地下神殿が崩壊します! 気をつけてください!──
オルムルはホリィと並んで光鏡を目指しながら、父である岩竜ガンドに呼びかけていた。
地下神殿のある位置は、ガンド達からは少し離れた場所であるから、影響はないはずだ。それに、イヴァール達がいる『大帝殿』などは、更に向こうである。なお、地下神殿の上は広い庭になっているようで、仮に地面が陥没しても大きな問題は無いはずだ。
──大丈夫だ! それより、どうなったのだ!?──
──邪神は倒しました! 全員無事です!──
思念が届かなかったためだろう、ガンドはかなり心配しているようで焦り気味の思念を返してきた。対するオルムルは、案ずる父親に簡潔に状況を伝える。そして次の瞬間、シノブ達四人は、光鏡の中に飛び込んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
光鏡を潜ったシノブ達が現れたのは、帝都ベーリングラードの上空であった。真下には、帝都の中心である『黒雷宮』が広がっている。
彼らは、かなりの高空に現れたらしい。『黒雷宮』の中枢であり帝都で最も高い建物である『大帝殿』や、それに覆いかぶさるような岩で造られた竜の像はもちろん、その上に浮かぶもう一つの竜の像も、シノブ達の眼下にあった。
シノブは陽光を確実に取り込もうと、地上に残した光鏡を天高くまで上昇させた。そのため、帝都を一望できる高空に出現することになったのだ。
「あっ! 宮殿の庭が!」
アミィの声を受けたシノブが『黒雷宮』へと目をやると、『大帝殿』より西側の一角が大きく陥没していた。宮殿に設けられた閲兵場か何からしい広場は、直径100mほどが擂鉢状に窪み、濛々たる土埃を上げている。
しかし、幸い陥没した辺りには人影はない。地上に降りた竜の像や、そこから出たガンド達は陥没した一帯とは離れているし、イヴァール達は『大帝殿』に突入したままである。周囲の建物に被害は出ていないから、王国と帝国の双方合わせて、突然の崩落に巻き込まれた者はいないようだ。
「随分大きな穴が開いているな……」
──最後に、凄く大きな閃光が天井を突き破っていましたから、そのせいでしょうか?──
シノブの呟きにホリィが疑問混じりに答えた。
最前線で光鏡を展開したシノブに比べたら、ホリィは随分と離れていた。そのため彼女は、稲妻のような青白い閃光が荒れ狂った様子を細かに把握できたらしい。
──天井が崩れてきたのは、その直後でしたね──
オルムルも、驚き止まぬ様子であった。
幾ら岩竜といっても、まだオルムルは幼い。巨大な質量を持った天井が落ちてくれば無事では済まないから、驚愕するのも当然だろう。
「なるほどね……ところでアミィ、あの禍々しい魔力も感じなくなったし、帝国は『排斥された神』から解き放たれたと思って良いのかな?」
帝都の中心部を覆っていた異様な魔力は失せていた。シノブは念のために光鏡を周囲に再展開しているが、もちろん雷撃など降ってこない。
抜けるように青い空には、シノブ達の勝利を祝福するかのような優しく温かな陽光が煌めくだけである。
「はい! 邪神の力は感じません!」
アミィの歓喜の叫びで同意する。彼女だけではなく、ホリィやオルムルも異常は感じていないようだ。オルムルは父のガンドが待つ『大帝殿』の脇へと降下を開始し、ホリィもそれに続いていく。
──『光の使い』よ! 遂に邪神を倒したのですね!──
──オルムル! 良くやったな!──
『大帝殿』の上空に浮かぶ巨大な岩の竜からはリント達、そして地上からはガンド達が、祝福と共に迎えてくれる。彼らも、『排斥された神』の魔力が消失したことに気が付いたようだ。
「シノブ! 邪神に勝ったのか? そうなのだな!」
『大帝殿』の上層階の窓からは、イヴァールが喜び溢れた顔を覗かせている。おそらく、地下神殿の崩壊の轟音や地響きに驚き、外の様子を確かめようとしたのだろう。
「閣下、おめでとうございます!」
「これで帝国の獣人達も全て解放できますな!」
アルノーやアルバーノも、イヴァール同様に輝く笑顔で空を見上げていた。竜達が思念と共に鳴き声でも意思を表していたため、彼らもシノブ達が勝利したことを理解しているのだ。
「ああ! 皆のお蔭だよ!」
シノブはイヴァール達に大きく手を振り、笑顔で答える。
まだ、帝国との戦いが終わったわけでは無い。ヴォルハルトや竜人などの異形は倒し、皇帝は地下神殿に消え、バアル神の力は失せた。
しかし多くの人々が竜人に変じた帝都が元通りの姿を取り戻すには、かなりの時間が掛かるだろう。それに残った人々も神の支配から解放されたか不明なままで、しかも皇帝直轄領には多くの都市や町村がある。
更に皇帝直轄領の東には、まだ六つの伯爵領がある。仮に帝国の人々が『排斥された神』の影響から脱していたとしても、それらの土地をどうするかという問題は残ったままだ。
だが、今は素直に勝利を喜びたい。
奴隷制を敷き獣人達を虐げた帝国。アルノーやアルバーノのようなメリエンヌ王国や周辺諸国の者も、その魔手に囚われてきた。彼らのように何とか生き延び救出された者だけではなく、還らぬ者も多かった。
それに『排斥された神』や皇帝は自国の民の心を縛り、あまつさえ一部の者を異形の存在に変貌させた。
しかし非道や悲劇も今後は無くなる。心を縛り、あるいは弄び、命を作り変える。そんな悪業に終止符を打つことができたのだ。
──シノブさん、アミィさん、さあ、どうぞ!──
地上に降りたオルムルは、待ち受ける者達の下に行くよう、シノブとアミィを促した。既にリント達の操る像も地上に降り、中から四頭の竜が姿を現している。もちろん、ガンド達が乗っていた方も同様だ。
そしてシノブ達を出迎えるのは、八頭の竜だけではない。何とイヴァールは『大帝殿』の窓から飛び降り、シノブ達の下に駆け寄ってくる。流石にアルノーやアルバーノは、部下達を率いる手前か『大帝殿』に残ったままだ。しかし二人も兵達と共に窓から顔を出し、シノブ達に喝采を浴びせている。
シノブは自分達が為したことに深い満足を覚えた。そしてシノブは満面の笑みと共に、祝福の言葉を掛ける仲間達へと歩み寄っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年8月5日17時の更新となります。