表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第12章 帝国の支配者
250/745

12.15 黒雷宮の攻防 前編

「シュタール達が竜を制した。祝杯を挙げようではないか」


 『大帝殿』の謁見の間では、第二十五代皇帝ヴラディズフが、意外なことを口にしていた。シュタールと竜人達は、八頭の竜が操る巨大な岩の像と戦い、敗れた筈である。

 しかし皇帝は、シュタール達が本当に勝利したと言わんばかりの悠然とした態度で、側に控えていた侍従に何事か(ささや)いている。どうやら、祝宴の準備でも命じているようだ。


「何とめでたい!」


 居並ぶ臣下達は皇帝の言葉に疑いを挟むことなく、喜びの声を上げていた。

 神託により皇帝が遠方の出来事を知る。それは彼らが何度も見てきた光景である。したがって謁見の間に集う者達は、疑いを(いだ)かなかったようだ。

 もっともベーリンゲン帝国では、皇帝の権力が非常に強い。そのため仮に疑ったとしても、態度に表すことは出来なかっただろう。

 それに戦いが行われたのは、帝都ベーリングラードから数十kmも西であった。シュタール達は飛翔して戻ってくるはずだが、どんなに急いでも帝都の宮殿までは二十分以上は掛かると思われる。したがって現時点では、臣下達に真実を知る(すべ)は無かった。


 それはともかく、さほど待つ間もなくワゴンを押しながら大勢の侍従や従者達が入ってくる。


「おお、随分手回しの良いことですな。貴殿の手配で?」


「いや、私は何も……陛下のお取り計らいでしょう」


 戦勝の知らせを聞いたせいか、厳格で苛烈な皇帝を前にしているにしては、臣下達の表情は緩んでいた。財務卿であるボアリューク侯爵も、隣の内務卿に向かって軽口めいた言葉を掛けている。

 もちろん、安堵した様子で会話しているのは彼らだけではない。多くの者が、侍従や侍女がグラスやワインを運んでくる様子を、いかにも一安心といった表情で眺めている。

 しかし、それも無理はないだろう。二つの巨大な竜の像が帝都に迫ってくると彼らが知らされて、早くも一時間以上経っている。その間、彼らは非常な緊張を強いられたのだ。

 彼らは、ある者は『大帝殿』を含む宮殿『黒雷宮』の防御を固めるよう指示し、ある者は非番の軍人や官僚達も召集し、と帝都決戦に備え慌ただしく時を過ごしていた。その甲斐あって『黒雷宮』には平時の何倍もの人員を配することが出来たが、そんなものは襲い来る竜を防ぐ役に立ちはしない。


 しかし、それらは取り越し苦労となり帝都に迫る危険は去った。そう思ったのだろう、彼らは運ばれてくるワインのような赤い液体の入ったボトルを、どこか気の抜けたような様子で待っていた。


「非常な慶事だ。お前達もグラスを取るがよい」


「はっ!」


 玉座から立ち上がった皇帝は、透き通ったグラスを差し出した侍従に対し、乾杯に加わるように命じた。すると、侍従は、恭しく一礼した後に自分達の分も用意し始める。


 臣下達は、そんな皇帝の様子を驚いたように見つめている。

 玉座の前に立つ皇帝は普段と変わらぬ(いか)めしい表情だ。四十を大幅に過ぎても戦士のように引き締まった巨体は常のように問いかけすら許さぬ威厳を漂わせ、とても上機嫌には見えない。

 しかしヴラディズフ二十五世は、『轟雷帝』と呼ばれ畏れられる存在だ。そんな彼に余計なことを言う者など、この場には存在しない。彼らは大人しく侍従や侍女が準備をする様を眺めていた。


 おそらく最初から使用人の分まで用意していたのだろう。グラスも足りており、僅かな間の後に全ての杯が満たされる。


「それでは……我らが神に!」


「我らが神に!」


 皇帝が帝国の儀礼に則り乾杯を促すと、広間にいる者達はそれに従った。そして血のように赤い液体は、あっという間に彼らの喉を潤していく。


「何やら力が湧いて……ぐっ!」


「どうなされましたか……うわっ!」


 グラスの中身を飲み干した者達は、その直後に次々と叫び声を上げていた。ある者はグラスを取り落とし、ある者は握りしめと様々であるが、一様に苦しみ体を震わせている。

 そんな彼らの体は徐々に変貌をしていき、頭には角が生え、皮膚は赤い鱗に覆われていく。体格が僅かに大きくなったのか服は破れ、背後からは尻尾や翼のようなものまで現れた。

 おそらく、グラスに注がれた液体は、竜人へと変じるための秘薬なのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「陛下、これはどういうことなのですか?」


 今や、謁見の間で人の姿を保っているのは、宰相メッテルヴィッツ侯爵と皇帝の二人だけであった。宰相は、このような変事を前にしても落ち着きを保ったままであり、緑の瞳や色白の顔にも動揺は見られない。しかしその声音(こわね)には、僅かに皇帝を非難するような苦々しいものが滲んでいた。


「賢いそなたは、察しているだろう。長い付き合いだからな」


「やはり、敗れたのですね」


 メッテルヴィッツ侯爵は、ヴラディズフ二十五世がまだ皇太子の時からの側近である。彼は少々年上の側仕えとして上がり、次代の君主と共に学んだのだ。

 そのため侯爵は、皇帝が言外に示した意味を悟ったようだ。しかも彼は、シュタール達の敗北にも驚いていないらしい。


「そなたは、何故(なぜ)飲み干さなかったのだ? (われ)は既に神の加護を受けた身だから、変ずることは無いのだが……」


 皇帝は、メッテルヴィッツ侯爵がどうして気が付いたのか知りたいようだ。皇帝を除けば、彼だけが人の姿を保っている。したがって事前に察したメッテルヴィッツ侯爵が、グラスの中身に口を付けなかったと考えるのが妥当であろう。


「先日、四頭の炎竜を捕らえたときも祝杯を挙げたのは凱旋の後でした。それに勝利を知ってから乾杯の準備がされるまでが、短すぎます。

しかも厳格な陛下が、下々の者にまで加わるように命ずるなど……何かあると思う方が当然でしょう」


 メッテルヴィッツ侯爵は、淡々とした様子で皇帝に説明する。

 侯爵が説明する間に、謁見の間にいた数十名は竜人への変貌を終えていた。しかし竜人達は感情や元々の記憶を失ったのか、二人の会話を静かに見つめるだけである。


「流石だな……(われ)は、万一に備えて、竜人を作り出す秘薬を配るよう手配していたのだ。シュタールが率いた者達を作った竜の血の秘薬と、その者達から採った血で作ったものをな。ここに居る者に与えたのは竜から直接採った血を入れたものだ」


「というと、後者は?」


 メッテルヴィッツ侯爵は、残りがどうなったかも悟っているようだ。彼は冷徹な顔のまま、皇帝に問いかけた。


「宮殿の下働きの者や、兵士にな。士官や上級官以上は、竜の血だ」


 おそらく、皇帝はシュタール達を送りだした直後に準備を開始したのだろう。そうでなければ、謁見の間にいる者達はともかく、短い時間で宮殿中に配ることは出来ない筈だ。


「そこまで多くに……陛下、竜人の国を治めるおつもりで?」


 流石のメッテルヴィッツ侯爵も、あまりの暴挙に憤慨したのかもしれない。彼は、綺麗に刈りそろえた頬髭を僅かに(ゆが)ませながら慨嘆というべき言葉を漏らしていた。


「我らが神を崇拝するなら、民など何でも良い。我らは遥か東から移り住み、先住民のうち人族は従え獣人達は奴隷としてきた。我らは民草を支配し、神の意思を実現する。それだけだ」


 シノブ達が推測したように、やはり皇帝達は、もっと東から移住してきた民族のようである。そのため、皇帝や一部の上級貴族の名前は、他とは少々違ったものとなっているのだろう。


「それが神のご意思ですか……」


「そうだ。そなたは逆らうか?」


 まるで世界の終末を見たかのような、暗澹たる表情のメッテルヴィッツ侯爵に、皇帝は静かに問いかける。彼の言葉に反応したのか、周囲の竜人達が侯爵へと視線を向け、近場の者は一歩二歩と距離を詰める。


「いえ……私も竜人となりましょう。その方が、案ずることもないでしょうから……それでは陛下、失礼します」


 メッテルヴィッツ侯爵は、諦めたように首を振っていた。その様子を見た竜人達は、接近を止める。

 侯爵が本心から竜人への変化を望んだのか、その表情からは読み取れなかった。元々細身で更に五十代に入った彼である。竜人達から逃れることなど出来ないと判断したのかもしれない。

 いすれにせよグラスに入った赤い液体を飲み干した彼は、その身を人外へと変じていく。


「ヴォルハルトよ……そなたの配下が増えたぞ。(われ)もそちらに向かおう」


 皇帝ヴラディズフ二十五世は、腹心の変貌する姿を表情も動かさずに見つめていた。そして彼は、暫しの間を置いて宰相であった竜人から視線を()らすと、人ならぬ臣下達を率いて謁見の間から歩み出ていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 宮殿での変事から三十分少々が過ぎた頃、竜達が操る二つの巨大な竜の像は、帝都の至近に迫っていた。


──下の大型弩砲(バリスタ)を制圧し終わった──


「帝都の中はどんな様子だ?」


 ガンドが『アマノ式伝達法』に則った咆哮(ほうこう)で伝えると、イヴァールはそれに勝る大声で帝都の状況を尋ね返した。そして磐船の甲板にいる者達は、どんな答えが返ってくるのかと固唾を呑んで待っている。


──人の子は、様々な方向に移動しています。多くは街から離れていくようですが、一部は中心地に向かっています。街の中で衝突している者もいるようです──


 炎竜ニトラが、イヴァールの問いに答える。今回も、岩竜のヴルムやガンドが、岩から造った像の維持や岩石での攻撃を担当し、炎竜のジルンとニトラが重力を操作して像を移動させる役目を担っている。

 そのため、城壁の上の大型弩砲(バリスタ)を攻撃していたガンドより、推進担当のニトラのほうが前方の様子を把握していたようだ。


「離れていくのは理解できますが、中央に向かうとは……兵士か何かでしょうか?」


──そなた達のような壮健な者が多いな。だが、一部は年老いた者のようだ。素手の者もいるぞ──


 猫の獣人アルバーノ・イナーリオの問いに答えたのは、炎竜のジルンだ。彼はニトラの(つがい)もである。

 なお、岩の像の中から外部を直接窺うことはできない。竜達も魔力で外部の様子を把握しているが、視認しているわけではないので、大まかな事しかわからないようだ。


「年寄りか……指揮官か? しかし、素手とは……」


「官僚かもしれませんね」


 こちらは狼の獣人同士、アルノー・ラヴランとヘリベルト・ハーゲンだ。同じ種族で元戦闘奴隷同士でもあるせいか、彼らは特に親しいようである。


──鉄を帯びていない者は、代わりに金や宝石を身に着けている。少なくとも戦う者ではなさそうだ──


 岩竜の長老ヴルムには、帝都にいる人々が所持するものの判別まで出来るようだ。おそらく土属性だから、金属や宝石の種類がわかるのだろう。とはいえ同じ岩竜であるガンドは何も言わないから、最年長の彼だからこその技なのかもしれない。


「雷撃は、止んだままなのだな?」


 一方、イヴァールは下にいる者達の行動より、攻撃の有無が気になるらしい。ざわめく周囲には構わず、彼は再び竜達に問いかける。


──あれ以降、雷撃は無い。それに、外壁を越えてからは人の子の攻撃も無いな──


 ガンドが言うように、シュタール達を倒して以降、(いかづち)による攻撃は行われていなかった。

 『排斥された神』も、効果のない雷撃を続けるのは無駄だと悟ったのかもしれない。それとも、別の何かに力を注いでいるのであろうか。


「このまま宮殿に向かうのですね?」


──禍々しい魔力を感じるのは、街の中央だ。そこに真っ直ぐ向かおう。幸い、下は広く空いた土地が続いている。これなら鎖を引きずったままでも問題あるまい──


 アルバーノの問いに、ヴルムは重々しい思念で答えた。

 二つの竜の像は、西側から帝都に侵入している。竜達は、西の大通りをそのまま真っ直ぐ進み、中央区にある『黒雷宮』を目指すようだ。この経路なら、帝都の内部を不必要に破壊しなくてすむと考えたのだろう。


──これは……また我らの血を使った者達です! しかも、数が多いです!──


 炎竜ニトラが伝える内容に、像の中にいる戦士達は一様に表情を鋭くしていた。彼らは知らないが、ニトラが感じ取った魔力は、『黒雷宮』にいる竜人達のものであった。


──空を飛んではいないようだが……巨大な石造りの棲家(すみか)に入ったままのようだな。しかし、わかりにくいな。あの邪悪な魔力のせいで今一つはっきりしない──


 (つがい)に続いて、ジルンが苛立ち混じりの思念を発していた。どうやら、発見が遅れたのは、竜人達が宮殿の内部にいることと、その一帯が異質な魔力……おそらく『排斥された神』の力に満ちているためらしい。


「敵がいれば倒せばよい! 建物の中なら、我らが突入して戦うだけよ!」


 威勢の良い声を上げたのはイヴァールだ。彼は背負った戦斧に手を添えつつ、周囲の戦士達を見回す。


「おお! こういう時の為に俺達がいるんだ!」


「そうだ! 竜達だけに頼っているなんて、情けないぜ!」


 イヴァールの言葉に、甲板にいる兵士達は威勢の良い声で同調した。

 彼らは帝都に侵入した後について、幾つかの状況を想定した上で個々の対応策を用意していた。その中の一つに、帝都に接近した時点で雷撃が無く、宮殿の守りが固められている場合がある。

 『排斥された神』は帝国人の神だが、帝国の実態からすると決して民に優しい神ではないようだ。とはいえ自身の(しもべ)である住民達を無意味に減らさないだろうし、帝都に着いた時点で雷撃は()んで代わりに宮殿を中心に防御を固めるかもしれない。

 その場合は宮殿ごと破壊しようという意見もあったが、なるべくなら無差別攻撃は避けたいという者が主流を占めた。帝国の非人道的な行いを否定するために立ち上がったのだから、同様の行為は避けるべきという主張である。

 もちろん最悪の場合は、岩の像で建物ごと全てを押し潰すしかない。だが、元々は人間同士の戦いである。それ(ゆえ)、人で出来ることは人で、となったのだ。


──着地するぞ……準備は良いか?──


「おお!」


 炎竜ジルンの確認に、兵士達が勢い良く返答をする。彼らは迫りくる戦いに表情を引き締めながら、己の出番を待っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 岩の像のうち磐船が入っているのは、イヴァール達が乗るものだけである。もう一つの岩の像、リント達が動かす方は、言ってみれば護衛であり、雷撃を防ぐためのものであった。

 そのため、宮殿に到達した二つの竜の像のうち、リント達の操るものは、そのまま上空に待機して雷撃に備えていた。こうしておけば、万一落雷があった場合でも、雷の電流は上空を守る像から鎖を通して少し離れた場所に誘導される筈である。

 そして、もう一つの像は地上に降り、一番大きな建物に横付けしていた。その建物こそが、皇帝が政務を執る『大帝殿』である。


──『鉄腕』よ。お主の活躍を祈っている──


──異形の体力を奪うことは出来なかったが、お主達なら大丈夫だろう──


 宮殿に突入するイヴァール達に声を掛けたのは、岩竜ガンドと炎竜ジルンであった。

 予想していたことだが、人間の体力を奪う『無力化の竜杖』は、竜人達には効果が殆ど無かった。どうやら、人ならぬ存在に姿を変えた彼らは、人間とは違う魔力波動になったらしい。そのため、人間に対して軽度の体力剥奪を行う『無力化の竜杖』は通用しないようである。


「任せておけ! 行くぞ!」


 しかし、イヴァールは、そんなことを気にしてはいないらしい。彼は無造作に返事をすると、二頭に見送られながら『大帝殿』の中へと走り去っていく。そして、イヴァールの横にはアルノーやアルバーノ達が並び、その後ろにも大勢の兵士達が続いていた。


 結局、雷撃は無く、代わりに真紅の鱗を持つ竜人達が宮殿のあちこちから飛び出してきた。それらの竜人には、上空のリント達が操る像や、磐船を降ろすために出てきたガンドとジルンが応戦している。

 なお、ヴルムやニトラは、岩の像に残ったままである。彼らは、岩の像を動かすために待機しているのだ。それに、雷撃の可能性を考えると、全ての竜が外に出るのは危険であろう。

 二頭は、岩の像を宮殿に覆いかぶせるように動かし、巨大な石像の腹から出ていく磐船を見送っていた。


──外の異形は、我らで充分対処できるか──


 ガンドが語るように、飛翔する竜人達は、それなりに多いが本物の竜達からすれば、苦も無く倒せる相手であった。そのため、外の竜人達は程なく全滅すると思われた。


──うむ……しかし、飛べない者……魔人とやらは外に出てこないようだな──


 竜人の中には、ジルンが魔人と呼んだ存在のように、飛翔できない者もいる。彼らは、シュタールが率いていた空飛ぶ竜人に比べれば能力もかなり劣るようだ。しかし、能力の代わりというわけでもないだろうが、圧倒的に数が多かった。

 なお、魔人というのはアルバーノの命名である。二種類の竜人を一緒くたにするのも不都合がある。そこで、空を飛べる方を翼魔人(よくまじん)、飛べない方を魔人と呼ぶことにしたのだ。余談だが、『竜』の文字を入れなかったのは、アルバーノが竜達を気遣ったためである。

 それはともかく、空を飛べないためだろう、魔人は建物から出てくることは殆どない。そのため、ガンドやジルンは、宮殿の窓や入り口から見える者だけを、非常に細く絞ったブレスで迎撃するのみであった。


──『鉄腕』達に任せておけば問題ないだろう。凄まじい勢いで突進しているぞ──


──そうなのだが……あの異形達に我らの血が混ざっていると思うと、一つでも多く我が手で始末したくてな──


 ガンドの苦笑気味の思念に、ジルンは悔しさが滲む返答をしていた。やはり、一旦は帝国に捕らえられ、あまつさえ自身の血を悪用されたジルンとしては、己の手で何とかしたいという思いが強いようである。

 しかし、ガンドが言うように、宮殿内では、イヴァール達が快進撃を見せていた。


「うおおぉ! お主達に恨みは無いが、竜の血を放っておくわけにはいかんのだ!」


 イヴァールは、抜き放った巨大な戦斧を右手で振るいつつ、左手で己の体ほどもある長大な戦棍(メイス)を操っていた。

 この戦棍(メイス)は、最近になってドワーフの武器職人トイヴァに作ってもらったものだ。修練を積み重ね、ますます筋力を増してきたイヴァールのために、義父となるトイヴァが贈った品である。

 戦斧と戦棍(メイス)、いずれの威力も凄まじく、魔人達は正に一撃必殺という言葉のままに倒れ伏していく。


「全くですな! 命を何だと思っているのか!」


 アルバーノの動きは、もはや魔人でも捉えることが出来ないようである。

 彼は、透明化の魔道具を使ってもいなかった。しかし魔人達は、その存在を察知することも出来ないようである。宮殿には数えきれないほどの魔人が潜んでいるようだが、姿を現すとほぼ同時に、アルバーノの小剣の餌食となっていた。


 ちなみに、宮殿の内部にも数は少ないが翼魔人がいた。どうやら、彼らが指揮官のようだ。

 竜人達は、頭部も竜のような形状に変化しており、口は竜やトカゲのように大きい上に前に突き出し、鋭い歯が並ぶものとなっている。したがって、人間のように会話は出来ないようだが、鳴き声などで意思の疎通を可能としているらしい。彼らは、翼魔人を中心に統制の取れた動きで襲いかかってくる。


「ヘリベルト、ここは任せたぞ!」


「了解しました!」


 アルノーは、彼らを狙うつもりらしい。彼は、宮殿の壁を蹴りながら魔人を飛び越え、あっという間に翼魔人に迫っていく。


「グォオオオォ!」


 翼魔人は、手のひらを前に突き出すと、そこからアルノーに向けて太い火柱を発生させた。実は、翼魔人は魔人と違って、火炎を操ることが出来たのだ。

 アルノー達は知らないが、炎竜の血から翼魔人が、翼魔人の血から魔人が作りだされている。そのため、翼魔人と魔人はどちらも火属性だ。しかし炎を操ることが出来るのは、炎竜から直接力を得た翼魔人だけであった。


「無駄だ!」


 何と、アルノーは翼魔人が放った火炎を、小剣で切り裂いていた。音速を遥かに超える小剣が巻き起こす旋風に、辺りの空気は激しく震え、炎は真っ二つに裂けていく。


「ギャア!」


 しかも、アルノーの繰り出した竜巻は、火炎を放出した翼魔人まで切り刻んでいた。更にアルノーは、羽を切り裂かれ苦しむ翼魔人を、追い打ちの刺突で貫き通す。


「隊長! こちらには人間がいます!」


 兵士の一人が、通路の脇の部屋を指差していた。宮殿の中には、竜人に変じていない者もいたのだ。これが、イヴァール達が突入を決断したもう一つの理由である。

 ガンド達は、宮殿内に普通の人間がいると察知していた。しかも、彼らは武器などを持っていないと竜達はいう。

 そしてイヴァール達は、彼らが宮殿の下働きの者だと推測した。そこで可能ならば彼らを助けることにしたのだ。もちろん、抵抗するなら戦うだけだ。しかし、素直に降伏する者まで倒す必要はないだろう。


「我々はメリエンヌ王国の軍人だ! 抵抗しない者には、危害は加えない!」


「わ、わかった! 助けてくれ!」


 部屋に隠れていた従者や侍女らしい男女は、鋭い表情で宣言するヘリベルトに、大人しく従っていた。彼らは皆、(おび)えたような表情をしている。しかし、帝国人の男女はヘリベルト達に恐怖を感じているわけではないらしい。


「俺達は化け物になりたくないんだ! 助かるなら何でもする!」


 どうやら、彼らは運よく竜人化を逃れた者らしい。配られた祝い酒を飲む前に、異変を察知したのか、それとも、たまたま仕事か何かで祝杯を挙げる暇がなかったのか、そんなところなのだろう。


「ならば、そのまま部屋に隠れているんだな! この一帯は我々が制圧した!

……そこのお前、皇帝の居場所を知らないか!」


 ヘリベルトは、大勢の非戦闘員を連れまわす余裕はないと判断したらしい。彼は、従者達が武器を持っていないことを部下に確認させながら、そのまま部屋に閉じこもっているように命じた。

 そして彼は、部屋にいた男女のうち最年長の者に皇帝の居場所を尋ねた。


「謁見の間は、この先の階段を上がった場所です。一番大きくて立派な扉です。後は、別棟の『小帝殿』でしょうか……他には、思い当たる場所はありません」


 同僚達が異形の姿に変じたせいか、従者に皇帝への敬意は残っていないようである。そのためか、彼は躊躇(ちゅうちょ)することなく答えていた。


「なるほど……ともかく、部屋から出るなよ! アルノー殿!」


 ヘリベルトは通路に戻ると、アルノーに向かって呼びかけた。通路の戦闘は既に終わり、数多くの竜人が倒れ伏している。

 なお、従者が説明した『小帝殿』とは、皇帝やその一族が暮らす私的な場である。現在いる政務などを行う公的な場『大帝殿』とは、回廊で繋がっている別棟だ。


「そうか……」


 ヘリベルトの説明を聞いたアルノーは、通路の先にある階段へと視線を向けた。

 皇帝がどこにいるかは、竜達の魔力感知でも不明なままであった。現在、宮殿を含む一帯には禍々しい魔力が満ちており、竜達の感知能力も普段より精度が落ちているようである。

 ともかく、一つ一つ調べていくしかない。アルノーは、そう思ったようだ。広大な宮殿の中を調べ上げるのは簡単ではないが、彼にとっては何の障害にもならないのだろう、鋭い視線には衰えを知らぬ強い意志が宿っていた。

 アルノーは二十年もの長期に渡り、戦闘奴隷として酷使された。しかし彼に長い苦労を強いた帝国の最後は、そこまで迫っている。それを考えれば、もう少々時間を費やすなど些細な事に違いない。


「あと少しで長かった戦いが終わる……ビエリック殿、見ていてください」


 元同僚の名をアルノーは呟く。彼と同じく二十年前の戦で戦闘奴隷となり、そして儚く世を去ったビエリック・ベルショーに、終止符を打つと誓ったのだ。

 ヘリベルト達も、それぞれ胸の内に秘めた事柄を想起したのだろう。彼らは厳粛な表情で、アルノーの背を見つめている。


「……行くぞ!」


 部下達を率い、アルノーは力強く走り出した。彼の瞳には、確固たる決意を示すかのような鋭い光が宿っている。

 戦いに(たお)れた者達に報い、自身の宿願を(かな)える時が目前に迫っている。そんな思いがアルノーの背を押しているようだ。彼は矢のような速さで、謁見の間に続く階段を駆け上がっていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年8月1日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ