12.14 闇の中の神殿
シュタールと竜人達が、二つの巨大な竜の像と遭遇する少々前。シノブ達は、ゴドヴィング軍管区の険しい山中へと降り立っていた。
彼らがいるのは、東に峻厳な山稜を望む斜面である。これらの連峰は東の皇帝直轄領や南東のブジェミスル伯爵領との境界だから、ゴドヴィング軍管区の東端と言うべき場所だ。
そんな人里離れた山奥にシノブ達が来たのは、ここが軍管区の中で帝都ベーリングラードに最も近いからであった。
「それじゃ、始めるか!」
朝の冷涼な空気の中、シノブは光の大剣を抜き放つと、眼前に掲げつつ魔力を集中していく。そんな彼の姿を見守るのは、アミィとホリィ、それにオルムルだけである。
「光鏡は、なるべく小さい方が良いな……」
シノブは、左手に装着した光の盾から、三つの光鏡を出現させた。なお、現在シノブは、光の首飾りも含め三公爵家に訪れて得た神具を全て身に着けている。
彼らは、これから皇帝がいる帝都へと向かう。そこには、異形の姿に変じたヴォルハルト達がいるだろうし、『排斥された神』は彼らの後押しをするだろう。それ故の重装備であった。
「……このくらいで良いか。オルムル、準備は良いかな?」
三つの光鏡を指先ほどに縮小したシノブは、そのうちの一つを、オルムルの眼前へと移動させた。オルムルは大型犬ほどの大きさに変じているため、光鏡が浮かんでいるのは大人の腰ほどの高さである。
──はい、大丈夫です!──
オルムルは、シノブに思念のみで答えていた。ここにいる者達は、全員思念での意思疎通が可能である。だから、普段のように『アマノ式伝達法』を併用する必要は無かった。
「じゃあ、行くよ!」
シノブの掛け声と共に、残った二つの光鏡のうちの一つが、彼の足下へと真っ直ぐ降下していった。そして光鏡が地面へと潜ると、オルムルの前に浮かんでいる光鏡から、土が噴き出し地面に落ちていく。シノブは地下に潜ったものとオルムルの前にあるものを繋いだのだ。
光鏡は、触れたものをそのまま吸収するか、指定した二つを繋げて移動させるかの、どちらかを選択できる。とはいえ、繋いだだけでは周囲の物が移動することはない。
しかし、地面に潜った光鏡が移動をすれば、行く手を塞ぐ土を吸い込んでいく。その結果、地下にあった土がオルムルの手前の光鏡から吐き出されるというわけだ。
──シノブさん、止めて下さい!──
「わかった!」
暫く噴出する土を見つめていたオルムルは、唐突に制止を呼びかけた。彼女の思念を受けてシノブは即座に地下の光鏡を停止させる。
光鏡が動かなければ地下の土は吸い込まれない。そのため噴出は止み、後には吐き出された土の山が残るだけとなった。
「オルムルさんが地下の状況を確認してくれるから助かりますね」
──幼くても、岩竜ということですね──
アミィとホリィは、オルムルを感嘆の面持ちで見つめていた。
オルムルの役目は、光鏡を通して地下の状況を確認し、空洞を作るのに適した場所をシノブに伝えることであった。岩竜は、人間でいうところの土魔術が得意である。成竜達が棲家の洞窟を掘る時も、洞窟を掘っても落盤しない場所を魔力で探ったり、洞窟を補強したりと土属性を大いに活用していた。
そのためオルムルも、光鏡の向こうの地盤の様子や地下水の有無を判別できるというわけだ。
「それじゃ、地下に空間を作るか」
シノブは、オルムルの側に歩み寄り、彼女の前に浮かぶ光鏡に手を翳した。光鏡を通して土魔術を行使し、地底に空洞を作るのだ。
まず、地底の岩盤を周囲に押しのける。そして、シノブの強力な魔力で岩盤を圧縮変形させる。密度を増した岩盤は強固な壁となり、その代わりに内部に空間が形成されていく。
土魔術で城壁や街道を造ったり、オルムル達が使う岩屋を作ったりしたシノブは、あっという間に自身がイメージする通りに地下の空間を仕上げていった。
「……完成した。地下に移動しよう」
シノブは、地下深くに直径5mほどのドームを作ると、オルムルの前にあった小さな光鏡を自身の前に移動させ、人の背ほどの大きさに変えた。
そしてシノブ達は、光鏡を潜り抜けると地下のドームへと移動していった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達が移動したのは、地下100m程の場所であった。移動に使った光鏡が光を放っているから周囲の様子が見て取れるが、仮に光鏡が無ければ、何も見えないだろう。
「灯りを点けますね」
アミィは、魔法のカバンからアムテリアから授かった光の魔道具を取り出し、辺りを照らした。ドームの中は、完全に半球状に整えられており、これが自然のものではないことを示している。
「こっちの光鏡は小さくして、と。ホリィ、換気は頼むね。このサイズなら当分は大丈夫だと思うけど」
シノブは、移動に使った二つの光鏡を、再び指先ほどに縮小した。そして、更にもう一つの光鏡を出し同じ大きさにする。新たな光鏡は、地上に残したもう一つの光鏡と繋いでいる。これらの二組の光鏡は、シノブが言った通り換気に使うのだ。
──お任せください!──
ホリィは風魔術を使って、一組の光鏡から空気を取り入れ、もう一組から地上に送り返し、と換気を開始した。直径5mもあるドームだから、そう簡単に酸素が無くなることは無いだろう。しかし、万一酸欠で倒れたりしたら目も当てられない。
「さてと……新しい光鏡を出すか」
シノブは、更に二つの光鏡を出現させた。
ここからは、帝都ベーリングラードに向かって掘り進んで行く。ただし、人が通れるトンネルではない。
ここまで来たのと同様に、非常に小さな光鏡を前進させ、ある程度進んだところで空間を造ってそこに移動する。そして、それを何度も繰り返して前進していくのだ。
いくら膨大な魔力を持つシノブでも、帝都まで続く全長300kmにもなる長大なトンネルを造るのは無謀というものだ。光鏡を使って掘り進めることが出来ても、トンネルを維持するには土魔術で岩盤を固める必要もある。それにトンネル自体を造れたとしても、帝都に行った後に戦う力が残っていなければ話にならない。
「アミィ、どっちに掘れば良いかな?」
「こっちです!」
アミィは、迷うことなく、一点を指さした。
彼女の役目は、掘り進める方向の指示である。彼女が持つ位置把握能力と、それに付随する方位を正確に知る力が、ここで役に立つのだ。
つまり、アミィが方向を指示し、シノブが掘り進め、オルムルが中継地点を造る場所を判断し、ホリィが換気を担当する。彼らがそれぞれの役目を全うしてこそ実現可能な作戦であった。
「まずは10km進めるか……」
光の大剣を使えば、光鏡の操作可能な範囲は大幅に伸びる。実際に、光鏡を使ってガルック平原に屋根付きの街道を造ったときには、10km向こうまで一気に作製することができた。そこで今回も、およそ10kmごとに中継地点を造ることにしている。
少しずつ進めるのは面倒ではあるが、方向の再確認も必要だから、そのくらいがちょうど良いだろう。
「オルムル、今度も頼んだよ」
──はい! 準備は出来ています!──
シノブは、新たに出した光鏡の一つを、アミィが指し示すドームの壁面に向けて前進させていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ガンドやイヴァール達も、もうすぐ帝都みたいだね」
シノブは、光鏡を東側に進めながら、アミィへと語りかけた。
既にシノブが造った中継地点も、二十をだいぶ超えている。おそらく、次あたりで帝都ベーリングラードに到達する筈だ。それだけの回数を繰り返してきたシノブ達は、作業の手際もかなり良くなっている。それ故彼らには、雑談する余裕すら生まれていた。
「はい。予想外のこともありましたが、無事で良かったです」
予想外のこととは、シュタールや彼が率いていた竜人達との遭遇である。
シュタールや竜人達との戦いは、イヴァールが通信筒を使って先代アシャール公爵ベランジェへと伝えていた。そして、シノブ達はベランジェからの文で、竜人の存在を知ったというわけだ。
──竜の血を悪用するなんて許せません!──
吹き出る土を見つめながら、オルムルが怒りに満ちた思念を発した。彼女は、竜の血を使って人を異形の存在と変えた帝国に、強い憤りを感じたようである。
だが、それも当然であろう。シノブが文中にあった『竜人』という言葉を口にしたとき、オルムルは烈火の如き怒りを露わにしていた。しかも彼女の激昂は中々収まらず、以降シノブ達が竜人と言うのを避けたほどである。
──全くです! でも、ガンドさん達は流石ですね。邪神の配下など、全然相手にならなかったようですし──
こちらは、換気を実行中のホリィである。彼女は、オルムルに同意しつつも、さりげなく話題を変えていった。
「ああ。知らせを読んだときは驚いたけど、元気そうな思念だったし安心したよ」
既にシノブ達は、帝都に向かって飛行するガンド達と直接思念を交わしていた。
二つの竜の像に乗った竜達は、シノブ達に先行して帝都へと向かっていたが、巨大な像を動かしているため、その速度はゆっくりとしたものであった。もちろん、馬車などに比べれば充分速いのだが、身体強化を駆使して疾走する軍馬に比べれば半分以下である。
それに対し、後発のシノブ達は、光鏡を僅か数分で10km以上も進め、そこに移動していく。中継地点を造るため、光鏡の速度が移動速度というわけでは無いが、それでも大質量の竜の像に比べれば、何倍もの速さで東進している。
そしてシノブ達は、竜達がシュタール達を撃破して幾らもしない内に、彼らと思念で交信できる距離に迫っていたのだ。
──ありがとうございます! でも、油断は出来ませんよ。まだ、ああいうのがいるかもしれないと父さまも言っていましたし──
父親達を褒められたオルムルは、嬉しげな思念を返したが、再び気を引き締めたようである。確かに、シュタールが率いていた竜人が全てと思うのは、楽観的に過ぎるだろう。
「そうですね。でも、帝都攻略を早めにして、良かったですね」
「ああ。早く獣人達を助けようと急いだけど、まさかこういう事になるとはね」
シノブは、アミィに頷いてみせた。
彼らが帝都攻略を急いだ理由は大きく分けて二つある。一つは獣人の早期救出、もう一つは徐々に力を増してくるヴォルハルト達に時間を与えない、というものであった。
もちろん、皇帝直轄領の西側を完全に統治下に置いてから進攻すべきという意見も一部にあった。しかし、この二点に関しては時間を置くほど悪化していく。それ故早期の帝都攻略を決断したのだ。
なお王国軍の司令官達も、これには強く賛成していた。彼らは早期決着を望みつつも、安易な進出には懸念を表明していたからだ。
これまで攻略した伯爵領は、領境が険しい山地となっている上に、帝国の統治方針により互いに行き来する道が設けられていない。
しかし、皇帝直轄領は広く遮るものも少ない。したがって今までのように町や村を攻略しても、防衛に多くの兵を割かなくてはならない。それに結局のところ、帝都や囲む六都市に軍を進めるには雷撃対策が必要である。
つまり下手に皇帝直轄領に軍を進めても戦費が嵩むだけだというのが、ベルレアン伯爵やその父アンリなどの意見であった。
──あっ、止めてください! 洞窟に出たようです!──
「わかった!」
オルムルの思念を受けたシノブは、急いで光鏡を停止させた。
先ほどまでは、オルムルの手前の光鏡から勢いよく土が噴き出していたが、今は何も出てこない。どうやら彼女の言うように、どこか広い空間に抜けたのだろう。
「たぶん帝都の西の方ですね。宮殿までは、まだ1km以上あると思います」
帝都ベーリングラードは、半径2kmはある巨大都市だ。したがって、アミィの言う通りなら、帝都の城壁内に入ったはずである。
「よし……とりあえず、そこに出よう。もしかすると、中心部まで続く通路とかかもしれないし」
光鏡を進めていたのは、かなり深い場所である。帝都の近くに迫ったこともあり、それまでより地表に近いところを移動させていたが、まだ深さ30mはあるはずだ。そのため、通路と言ったシノブだが、自然の洞窟かもしれないとは思っていた。
──洞窟に出る直前は、周囲の地盤とは違う岩でした。もしかすると、人間が造った壁かもしれません──
ところが、オルムルは人工の通路と判断したようだ。岩竜は土属性というべき存在であり、オルムルはその能力を活かして、光鏡から出てくる土や岩の性質を調べていた。その彼女が人工物というのだから、単なる洞窟ではない可能性は高い。
「それじゃ、光鏡を大きくする。そして、間をおかずに移動だ」
シノブは、オルムルの手前に浮いている光鏡を通して対となる光鏡の周囲を魔力で探ってみた。しかし、光鏡の向こう側は、少々魔力が多いようだが生き物などはいないようである。そこで彼は、光鏡を大きくして、洞窟らしい空間に移動することにした。
「はい!」
シノブの言葉に、アミィは魔法の杖を構えながら真剣な表情で頷いた。オルムルも光鏡から少し下がり、ホリィと共に緊張した様子で待機している。
そして、アミィ達の様子を確認したシノブは、光鏡を一気に大きくすると、その中に入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ここは……地下神殿なのか?」
光鏡を抜けたシノブの目の前に広がっていたのは、高さも幅も10mはある巨大な通路であった。壁や天井には綺麗なタイルが貼られ、床は剥き出しの石畳である。
「換気は必要なさそうだけど、念のために上の光鏡は残しておくか」
シノブは、誰に言うともなく呟いた。彼は、自分達の移動に合わせて、地上に残した二つの光鏡も動かしている。そうしないと、彼の操作可能な範囲を出た光鏡が消滅してしまうからだ。
「そうですね……空気は綺麗なようです。どこかと繋がっているのかもしれません」
アミィが言うように、地下通路の中の空気は僅かに流れているようだ。
通路の左右の壁は中ほどまで垂直であり、その上部はアーチ状に幅が狭くなってそのまま天井となっている。タイルは所々剥がれ落ちており、そこからは岩の下地が覗いていた。
かなり長い通路らしく、シノブ達の前方は、光の魔道具で照らしても、どこまで続いているか判然としない。なお、シノブ達が通り抜けた光鏡の後ろ側は、行き止まりとなっている。
──見た事のない壁画ですね。帝国のものでもないし、メリエンヌ王国とも違います──
──かなり古いものみたいですね──
ホリィとオルムルは、左右の壁を眺めていた。そこには、巨大な人や動物が青や金などのタイルで表現された壁画があった。とはいえ、かなり昔に作られたもののようで、壁画を構成するタイルは色褪せている。
それらの壁画は平らではなく、人物や動物が浅く浮き出るようにしたものだ。いずれも真正面もしくは真横のどちらかからの構図であり、しかも顔や手足も一定の法則に則って整然と配置されていた。それらの、写実性よりも様式を重要視した技法から、シノブは神殿を連想したのだ。
「アミィ、何となく古代オリエントっぽい感じがしないか?」
シノブは、左右の壁画に既視感を抱いていた。
横から描いた獅子や雄牛は、四本の足を均等に伸ばしているし、体が雄牛で頭が人の有翼生物は、顎に綺麗に編んだ髭を生やしている。それらを見たシノブは、バビロニアやアッシリアなどといった古代王国の名を思い浮かべていた。
「……偶然にしては少し似すぎているような……それに、この惑星にはああいう生き物はいない筈です」
アミィは、シノブのスマホに入っていた情報を引き継いでいる。そのため、シノブの古代オリエント風という言葉が理解できたようだ。おそらく、歴史好きのシノブが古代美術のサイトでも閲覧したときのデータを参照したのだろう。
──『古代オリエント』がどんなものか私にはわかりませんが……でも、この星のものではないと思います──
ホリィも壁画の有翼生物に類するものを知らないようだ。
彼女やアミィは、アムテリアの眷属として長い時を生きてきた。したがって、実在、非実在を問わず、アムテリアが創った世界について彼女達以上に詳しい者は、それほど多くない筈である。
「もしかすると……いや、詮索は後にしようか。
いくらなんでも、ここまで接近したら『排斥された神』も気が付いただろう。幸い、通路は真っ直ぐ中心部に伸びているようだし」
『排斥された神』の正体に繋がりそうな壁画ではあったが、今は足を止めて議論している場合ではないだろう。せっかく帝都の地下に侵入できたのだから、敵が押し寄せないうちに宮殿に向かうべきである。
「はい。あちら側が宮殿のある方向で間違いありません。行きましょう!」
シノブの言葉を聞いて、アミィも我に返ったようである。彼女は、通路の先へと顔を向けなおす。
──シノブさん、アミィさん! 私に乗ってください!──
そしてオルムルは、元の大きさに戻ると、シノブとアミィに乗るように促した。通路は充分に広いから、飛行可能である。もし、通路が真っ直ぐ伸びているのなら、全力飛行の彼女なら一分も掛からず帝都の中央に辿り着く筈だ。
「オルムル、頼む!」
シノブとアミィが乗ると、オルムルは凄まじい速度で飛び始め、ホリィも遅れずに続いていく。そしてシノブは、オルムルとホリィの周囲に光鏡を展開し、万一に備える。
「魔力が濃いみたいだけど、ここには生き物はいないみたいだね」
シノブは自分達以外の気配や魔力を感じていなかった。アミィが光の魔道具で照らしているが、真っ直ぐ伸びている通路には行く手を遮るものは存在しないし、周囲の様子にも変化はない。
進むにつれて、辺りを漂う魔力は徐々に濃くなっていく。しかし、ここは帝国の本拠地であり、おそらく『排斥された神』が潜む場所である。むしろ、何の魔力も感じないほうが不自然である。
「ガンド達は……もっと先か」
シノブは、遥か前方から竜達の魔力を感じ取っていた。魔力からすると、帝都に向かった八頭全てが無事のようだ。
「はい! おそらく、宮殿の庭だと思います」
シノブの方がアミィより魔力感知能力は上だが、位置や距離の把握はアミィの方が優れている。そのため彼女は、ガンド達が帝都のどこにいるか正確に掴んでいた。
──父さま、私達も行きます!──
──おお! 我らは地上で邪神の配下と戦っている! 今のうちに進むが良い!──
オルムルが思念で自身の到着をガンドへと伝えると、間を置かずに応答があった。
シノブ達もガンドの存在を感じ取れるくらいだ。『排斥された神』も地下への侵入は察知しただろう。したがって、思念の使用を控える意味はあまり無い。そのため、彼らは遠慮せずに交信を行ったのだ。
「ガンド達のお蔭で、こちらは手薄なのかな……」
「上手く行きましたね!」
地下通路に敵が現れないのはガンド達が引きつけているからなのだろう。そう察したシノブは、アミィと笑みを交わす。
『排斥された神』や皇帝も、シノブ達が帝都に接近した時点で地下からの進攻に気が付いたかもしれない。だが、シノブ達が最終的にどこに現れるかは特定できなかったようだ。
良く見ると、通路には幾つかの支道が存在する。どうやら地下通路は、かなり広範囲に広がっているらしい。そのため、皇帝達は配下を分散させる愚を避けたのだろう。
──シノブ様。先ほど何か言いかけていたようですが……もしかして邪神の正体が?──
オルムルの隣を飛翔しながら、ホリィはシノブに問いかけた。彼女は、シノブがオルムルに乗る前に言おうとした何かが気になったようである。
「ああ。思い当たることがあってね……アミィ、帝国の地名や人名は、ドイツっぽいよね?」
シノブは、ベーリンゲン帝国で用いられる固有名詞がドイツ風だと感じていた。
エウレア地方の国々では、地球で言う西欧の各国に似た名が使われている。メリエンヌ王国はフランス風だし、南方のガルゴン王国やカンビーニ王国の名からは、スペインやイタリアに似た印象を受ける。
「そうですね。一部、もっと東の国のような名前もありますが……それらは東側の民族が移住したせいかもしれませんね。私はメリエンヌ王国の担当だったので、東側はあまり詳しくないのですが」
アミィは200年ほど昔に地上の監視任務についていた。とはいえ彼女の担当は、エウレア地方中央のメリエンヌ王国であり、ベーリンゲン帝国や更に東の地域については詳しくないという。しかし、多少の地名や人名については把握しているようだ。
──ドイツというのは、地球の国の名ですか?──
ホリィは、アミィと違って地球の知識を持っていない。しかし、シノブとアミィの話す内容から、それが国の名前だと察したようだ。
「そうだよ。伯爵領などは、ドイツ風の名前が多いね。皇帝の名前とかはアミィが言う通り、もっと東側の名前な気がするけど」
シノブが言うように、メグレンブルクやゴドヴィングといった地名や、帝国の人名の多くはドイツ風であった。しかし、代々の皇帝の名であるヴラディズフなどからは、東欧かロシアのような印象を受ける。
「アムテリア様は地球のことをかなり参考にしたようだから、それ自体は不思議じゃないんだ。東の名前が混じっているのも、民族の移動だとしたら充分ありえることだしね」
アムテリアは、この惑星を整えたときに、それぞれの地域や風土ごとに相応しい文化を伝えていた。
もっとも言語は統一しているし、全てが地球のままというわけでもない。ただ、人名や地名は、かなり地球のものを参考にしたようだ。
それらはシノブからすると、耳慣れた印象のものが多かった。それに大まかな地域も地球のものと重なるから、異邦人としてこの世界に現れた彼としては、好都合でもあった。
「皇帝は、東の国から来たのでしょうか?」
アミィは、東域が何か関係しているのか、と思ったらしい。彼女は怪訝そうな声音で、シノブに問いかける。
「そうかもしれないね……でも、それは本題じゃないんだ。アミィ、ドイツ語で『ingen』って『何々の土地』とかそんな意味じゃなかったかな?」
シノブは話が逸れたと苦笑していた。彼が指摘したかったのは、別のことである。
「えっと……そうですね。土地の支配者や一族を示す地名のための接尾辞のようです」
アミィはシノブのスマホから知識や情報を得ているが、それらを全て把握しているわけでもないらしい。彼女は画像データや辞書アプリなどの内容について、随時引き出しているようだ。
──シノブさん、そうするとベーリンゲンって『ベー何とかが支配する土地』ってことですか?──
地球や神々のことは知らないオルムルは、シノブ達の会話を黙って聞いていた。しかし彼女の理解できる内容となったためだろう、興味深げな思念でシノブに尋ねかけた。
「ああ。おそらく……何か、来た! ヴォルハルト……いや、数が多い!」
オルムルに答えようとしたシノブだが、何か異質な魔力が多数接近してくることに気が付いた。魔力の質からすると、ヴォルハルトかそれに類する異形の存在のようだ。
「オルムル、気をつけて!」
おそらく、ヴォルハルトが率いる竜人部隊なのだろう。そう思ったシノブは、オルムルに注意を呼びかけ、更に自身も光鏡に加えて光弾を展開した。
「これが、ガンドさん達と戦った……」
──なんて酷い!──
アミィやホリィも、前方から迫る禍々しい魔力に気が付いたようである。
オルムルも、それらを察知しているようだが、押し黙ったままだ。彼女は、竜と人を弄ぶ邪神に激しく憤慨していた。もしかすると、湧き上がる怒りのあまり言葉が出ないのかもしれない。
こんな非道を行う帝国を許すわけにはいかない。『排斥された神』や皇帝は打倒すべき存在だ。シノブは、己の胸から溢れ出る強い思いと共に、帝都の地下に広がる闇の中を突き進んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月30日17時の更新となります。