12.11 銀の少女 後編
エリュアール伯爵は、デルフィナ共和国からの使者をシェロノワに連れてくるため、一旦自領に戻っていった。エリュアール伯爵領の領都ラガルディーニでは、使者であるエルフ達が彼の帰りを待っているのだ。
「シノブよ。帝国の件が一段落したら、南方諸国に訪問してもらいたいのだが」
会議室から退出するエリュアール伯爵を見送った国王アルフォンス七世は、シノブへと語りかけた。彼が言う南方諸国とは、ガルゴン王国、カンビーニ王国、そしてデルフィナ共和国である。
「はい。いずれは行くべきと思っておりました」
シノブは、一瞬シャルロットと視線を交わした後、国王へと答えた。彼も、ガルゴン王国やカンビーニ王国に訪問すべきと考えていたのだ。
ガルゴン王国とカンビーニ王国は、ここシェロノワにも領事館を開設しており、それぞれ大使の子供を置いている。ガルゴン王国が息子ナタリオ、カンビーニ王国が娘のアリーチェである。そしてシノブ達は、彼らと親しく付き合っており、街を案内したり武術大会『大武会』を一緒に観戦したりと交流を深めている。
それに、両国からはベーリンゲン帝国との戦いにおいても、人材や物資の提供を受けている。
前線は指揮系統の統一化や練度の維持のため殆ど王国兵としているが、新たに得た領地の治安維持や統治などに、両国から来た者を充てていた。
そして物資の面では、両国から食料や武具などを中心に様々な物を購入していた。いずれも市価よりは割安であり、メリエンヌ王国としては大変助かっている。特に、鉄などの金属はドワーフ達が造った鉄甲船、磐船などにも使ったため、不足気味である。そのため、今後に備え精製済みのものを大量に購入していた。
そんな事情もあり、シノブやシャルロットも、いずれは両国に訪問して更なる友好関係を築きたいと考えていた。それにシノブ個人としては、稲作を行っている両国に行ってみたいという興味もある。
「ガルゴンとカンビーニからは、やんわりとだが催促されている。もちろん、帝国との戦にある程度の目途が立ってからで構わないとは言っているが……彼らは、自分達にも転移を授けてほしいのだろう」
アルフォンス七世が言うように、両国は神殿経由での転移に強い関心を示していた。
神殿での転移は、メリエンヌ王国の交通事情を一変させていた。
転移を許されたのはシノブやアミィ、ホリィを除けば高位の神官のみである。しかも神官では発動に長時間の集中が必要で、同行可能な者も少数と、制限が多い。しかし、従来のように馬車で移動することに比べたら、そんなことは些細な問題でしかない。
なお、先代アシャール公爵ベランジェは、神殿での転移はアムテリアの教えに従って尽力したメリエンヌ王国への報償だと、ナタリオとアリーチェに仄めかした。両国は、それを頭から信じたわけでも無いだろうが、無視できなかったようである。
「メグレンブルクやゴドヴィングのことを知ったのですね……」
シャルロットは、二つの新領地の名を挙げた。
それらの都市でシノブが作り変えた神像は、直ぐに転移可能となっていた。メリエンヌ王国は、それらを特に喧伝してはいないが、現地にいる軍人などは当然知っている。そのため、両国から来た傭兵などを経由して、大使達に伝わったようだ。
「いつまでも伏せておけるとは思ってはいなかったがな。いずれにせよ、我らだけが竜や転移の恩恵を享受しているというのも好ましくなかろう」
アルフォンス七世は、姪の言葉に苦笑いしながら頷いた。
帝国への進攻は順調ではあるが、皇帝直轄領と10の伯爵領のうち、まだ西の伯爵領二つを得ただけである。今後の戦いもあるし、仮に全てを王国の支配下に収めても、安定した統治を確立するためには、多くの人員と物資が必要であろう。そうであれば、友好国には一定の配慮をすべきではなかろうか。
「落ち着いてからで良い。シャルロットやミュリエル、それにセレスティーヌも連れて物見遊山を兼ねて行くのも良いだろう」
「そんなに大勢で、ですか?」
珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた国王に、シノブは戸惑いつつも言葉を返した。
友好を演出するには妻や家族を連れて行くべきだろうし、セレスティーヌが王家を代表して同行するのも理解はできる。しかしシノブは、国王の笑みが何を意図するのか掴みかねていた。
「各国と友好関係を築くのは歓迎する。だが、そなたに余計な虫がつくのは望ましくは無いからな」
冗談とも本気ともつかない国王の言葉に、シノブはどう答えるべきか戸惑った。一方シャルロットは自身の伯父が真剣だと感じたらしく、僅かに眉を顰める。
「さて、そろそろ広間に戻ろうか。皆も案じているだろう」
アルフォンス七世は、シノブ達に微笑みかけると席を立った。それを見たシノブとシャルロットも、国王に倣い立ち上がる。
ミュリエルの誕生を祝う宴は続いている。それ故、国王やホスト役のシノブがいつまでも不在なのは具合が悪い。それにシノブとしても、記念の日にミュリエルを放置するつもりはない。
シノブ達は、使用人達が忙しそうに行き来する通路へと歩み出ると、再び華やかな祝宴の場へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
迎賓の間に戻ったアルフォンス七世は、デルフィナ共和国から使者が来たことを明らかにした。ただし彼は、没交渉なエルフ達を刺激しないように、まずは限られた者のみで会うと付け加えていた。
しかし、そのあたりの事情は王国の貴族達にとって常識らしく、彼らは残念そうな表情を浮かべてはいたものの、王の言葉に異を唱えることはなかった。
そして、祝宴が終わり王族やベルレアン伯爵家を除く来客が引き上げる頃、入れ替わるようにエリュアール伯爵が戻ってきた。フードを被った二人の人物を連れた伯爵は足早に館に入るが、事情を知っている来客や使用人達は、敢えて素知らぬ態ですれ違っていく。
そしてエリュアール伯爵達は、王族専用の貴賓室へと入っていった。そこには、国王やシノブ達が遠方からの客を出迎えるべく起立して待っていた。
「陛下、こちらがデルフィナ共和国からの使者、アレクサ族のメリーナ・アヴェティ・エイレーネ殿とフィレネ・ティファニア・エイレーネ殿です。お二人ともアレクサ族の長エイレーネ殿の御令孫です。
メリーナ殿、フィレネ殿。この方が我が主君、アルフォンス七世陛下です」
エリュアール伯爵デュスタールは、アルフォンス七世と使者であるエルフの女性達を引き合わせる。そう、フード付きの外套を外した二人は、どちらもほっそりとした女性だったのだ。
彼女達は、エルフ特有の細く長い耳を隠すためにフードを被っていたようだ。なお外套の下は、草木染めのような渋い緑色の簡素な服である。使者という立場のせいか、それとも森で活動しやすくするためか、どちらも長袖の上衣と細めのズボンだ。
「こちらが陛下のご家族です……」
続けてエリュアール伯爵は、二人の王妃ラシーヌとオデット、王太子テオドールとその妻ソレンヌ、王女セレスティーヌを簡潔に紹介した。
「そして、こちらがフライユ伯爵シノブ・ド・アマノ殿です。隣が奥方のシャルロット殿、こちらは婚約者のミュリエル殿です」
エリュアール伯爵は、何故か少しも間を置かずに続けていく。
実は、エルフは一夫一妻制であり、他の国のような複数の妻を娶るという習慣は無い。しかも、エルフ達は母系社会であり、女性の地位が高かった。別に男性が虐げられているわけではないが、家長は女性であり、一妻一夫制と言うべきかもしれない。
それは、彼女達の名前にも表れており、ミドルネームとファミリーネームのように続いているのは、母と祖母の名前なのだ。メリーナの場合、母の名がアヴェティ、祖母の名がエイレーネである。
そんな事情もあってメリエンヌ王国側の女性達も同席しているわけだが、まさか相手に合わせて妻や婚約者を隠すわけにもいかない。エルフ達も他国の婚姻制度がどういうものか知っているし、先延ばしにしても後が面倒なだけである。
どうもエリュアール伯爵は、自身が使者達の機嫌を損ねる前に紹介を済ませようと考えているらしい。メリーナやフィレネに説明を終えた彼は、どこかホッとした様子で一歩下がる。
「ご丁寧な紹介、痛み入ります。突然押しかけた私達の無礼、お許しください」
二人のうち、若干年長に見えるメリーナが笑顔を作ってアルフォンス七世へと頭を下げた。
エルフ達は他国の風習をある程度は知っているという。しかし彼女達は、複数の妻を娶った男を目の当たりにして心穏やかではいられなかったようだ。そのためだろう、エリュアール伯爵が国王やシノブを紹介するときに、メリーナとフィレネは、ほんの少しだが眉を顰めていた。
しかし使者を務めるだけあって、今の二人は卒なく笑顔を浮かべていた。極細のプラチナブロンドに包まれた繊細な美貌は、若そうな外見に似合わぬ落ち着いた表情であり、声音も平静なものである。
なお、メリーナが十代後半、フィレネが十代半ばに見えるが、長命なエルフである彼女達の実年齢は倍ほどであるらしい。したがって、本当の年齢に相応しい経験を積んでいるのだろう。
「いや、我らを案じて知らせてくれたこと感謝している。さあ、座られよ」
アルフォンス七世は鷹揚に答えると、椅子を勧める。
接客用の広間には、大きな低いテーブルを囲むように、四つの豪華なソファーが置かれていた。それぞれ、四人は座れるものである。
そこに、時計回りに国王夫妻、王太子夫妻とセレスティーヌ、メリーナとフィレネ、シノブ達と腰掛けていく。なお、エリュアール伯爵は国王夫妻の脇に起立したままである。
「……そなた達には、無用な不安を抱かせたが、我が国は竜との共存を進めている。ヴォーリ連合国でフライユ伯爵や我が姪シャルロットが竜と知遇を得たのだ。そして竜達はベーリンゲン帝国の非道に憤り、我らと共に帝国と戦っている」
侍従や侍女達が用意したお茶を口に含んだアルフォンス七世は、ティーカップをテーブルに戻すと、徐に語りだした。
「はい、こちらに伺う前にエリュアール伯爵からご説明頂きました。とはいえ、我々もこの目で確かめたいと思いまして……」
メリーナは、微かに視線をシノブの方に動かした。ほんの僅かな動きであったが、彼女の極めて細い髪は、それに合わせて揺らめいた。彼女やフィレネの髪は、シャルロットとは違いウェーブのない真っ直ぐなものだ。どうも、エルフにはこういう髪の者が多いらしい。
「そなた達の懸念はもっともだ。フライユ伯爵?」
「はい。皆、入ってくれ!」
アルフォンス七世に促されたシノブは、室外に向けて呼びかけた。すると、ファーヴを抱いたアミィに続き、オルムルとシュメイが入ってくる。猫ほどの大きさに変じたオルムルは宙を飛び、まだ飛行は出来ないが、だいぶ大きくなったシュメイは羽ばたきながら跳ねるように続いてくる。
「メリーナさん、フィレネさん。竜の子供達です」
シノブは、驚愕に目を見開くエルフ達に笑いかけた。
百聞は一見にしかず。シノブは国王と相談し、エルフを竜達と引き合わせることにしたのだ。そして、ガンド達の狩場に行ったイジェにも思念で連絡済みだ。彼女は、そろそろシェロノワに到着するはずである。
◆ ◆ ◆ ◆
──初めまして、メリーナさん、フィレネさん。岩竜のオルムルです──
シノブの膝に乗ったオルムルは、普段と違って思念を発した後に、ゆっくりと『アマノ式伝達法』で語りかけた。しかも彼女は、一つの文字に相当する一連の鳴き声ごとに間を空けているため、かなり時間が掛かっている。
──炎竜のシュメイです──
──僕は岩竜のファーヴです!──
シノブの足元にいるシュメイとファーヴも、オルムル同様に挨拶をする。二頭も、やはり極めてゆっくりと、しかも充分に間を置きながら鳴き声を上げている。
「これは……確かに会話できています」
「ほ、本当です!」
メリーナとフィレネは、驚きの表情を見せていた。二人はアミィから渡された『アマノ式伝達法』の信号表に指を当てながら、竜達の言葉を解読していたのだ。
「もうすぐ、シュメイの母親イジェも来ます」
シノブは、帝国に捕らわれていた竜達を助け出したこと、その後、彼らがデルフィナ共和国に近いヴォリコ山脈で療養していたこと、帝国のヴォルハルトやシュタールが、人とは違う何かに変じ、飛行能力を身に付けたことなどを掻い摘んで伝えていく。
「……なるほど。フライユ伯爵が竜達と良い関係を築いているのは、理解しました。それに、帝国の脅威も。我々は、レフコー山脈……こちらで言うズード山脈があるからといって安心できないのですね」
状況を把握したようで、メリーナは深刻な表情で呟いた。隣に座っているフィレネは、帝国の実情に衝撃を受けたようで、青ざめた顔をしている。
「ええ。幸い、皇帝直轄領より西側の多くは、我々の勢力圏となりました。ですから、その辺りから越えてくることはありませんが、東の方は警戒すべきでしょう」
シャルロットが、シノブの説明を補足した。
ベーリンゲン帝国とデルフィナ共和国の国境であるズード山脈は東西に連なる山脈だ。皇帝直轄領より西側でおよそ半分の600km、そこから東も同じくらいである。したがって、ズード山脈の東方は竜達の行動範囲外となっていた。
「シャルロット様の仰る通りですね! 国に戻ったら、東の部族にも伝えます!」
フィレネは、真剣な表情で頷いていた。彼女は、何故かシャルロットに興味を示しているようである。メリーナもそんな雰囲気を漂わせているが、こちらは若干年長なためだろうかフィレネほど明け透けではない。
「……イジェが来たようだ」
シノブが窓の方に視線を向けると、室内の者達も同様にそちらを向く。ただし、魔力を感じ取っているのは、まだ彼だけのようだ。その後、暫くしてアミィの表情が動き、続いて子竜達が反応する。そして、だいぶ空いてから、エルフ達とシャルロット、それにミュリエルが、小さな声を漏らした。
「シャルロット様は当然ですが、ミュリエル嬢も鋭敏な感覚をお持ちなのですね……」
メリーナは、エルフであり魔力の多い自分達とほぼ同じタイミングでミュリエルが感知したことに、強い衝撃を受けたようだ。
魔力感知の精度は、魔力の大きさとは直接の関係は無い。例えば、シャルロットはミュリエルに比べて魔力は少ないが、長年の武術の修行とシノブやアミィから教わった訓練方法により、人族としては並はずれた鋭い感覚を持っている。
しかし、多くはそのような長期の修練により磨かれるものである。そのため、10歳になったばかりのミュリエルが若手とはいえエルフと近いレベルに到達しているのは、稀有な例だといえる。
「私も、アミィさんから魔力操作などを教えて頂きましたから」
ミュリエルは、恥ずかしげな中にも誇らしさを滲ませて答えていた。
彼女は、魔術が得意な種族であるエルフ達が、自身を驚嘆の視線で見つめていることには照れたようだが、その一方で、エルフ達から見てもアミィの教えが非常に優れたものだということは、とても嬉しく感じているらしい。
それに、絵本で見た事しかないエルフ達と会話できたことも、彼女にとって思わぬ喜びとなったようだ。
「そうでしたか……」
アミィがシノブと共にこの地に現れ様々な活躍をしたことは、既に説明済みである。そのためメリーナとフィレネは、ミュリエルの言葉に、さもありなん、という態で頷いていた。
「さあ、こちらにどうぞ」
オルムルを抱いたまま席を立ったシノブは、メリーナ達を窓際へと誘う。彼の足下にいたシュメイは、既に窓の側に移動し、ファーヴもその後に続いている。
──『光の使い』よ。お待たせしました……森の民達よ。私達は、そなた達の良き隣人となりたいのです。今後はよろしくお願いします──
音も立てずに窓の外に降り立った炎竜イジェは、四階の貴賓室へと顔を向けながらシノブに呼びかけた。そしてイジェは、子竜達と同じく通常よりゆっくりとした鳴き声でエルフ達に挨拶をする。彼女は、飛行してくる最中に、シノブからメリーナ達のことを聞いていたのだ。
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
……今日は、我々エルフにとって、非常に佳き日となりました。フィレネ、貴女は早速国に戻って皆に知らせなさい」
シノブは、イジェに挨拶したメリーナが感動の面持ちでフィレネに指示を出す光景を見て、顔を綻ばせていた。
まだ、どことなく人族との接し方に戸惑っているような彼女達だ。しかし、その辺りは互いに深く知っていく過程で解消されていくのではないだろうか。
それ故シノブは、新たな種族との出会いが平和裏に終わったことに、深い喜びを感じていた。そして彼は、その喜びを分かち合うべく、シャルロットやミュリエルの下へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「今日は色々大変な一日だったね」
晩餐の場で、シノブは左隣に座るミュリエルに苦笑と共に囁いた。
既に、セレスティーヌを除く王族達も王都メリエに戻り、エルフの使者フィレネは、エリュアール伯爵と彼の領地へと引き返した。フィレネは、エリュアール伯爵領の領都ラガルディーニに残した従者達と共に、デルフィナ共和国へと戻るのだ。
「でも、とても楽しかったです! メリーナさんもそうですが、色々な方とお会いできました!」
快活な笑顔で答えたミュリエルは、視線を下座へと動かした。そこには、彼女が口にしたもう一人のエルフ、メリーナがいる。
メリーナは、当分シェロノワに残り、帝国の動向など最新の情報を学びたいと願い出た。ここ暫くで急変した情勢を知った彼女は、自国に閉じこもっている場合ではないと判断したらしい。そしてシノブは、メリーナの要望を受け入れ、彼女を館の賓客とした。そのため、彼女も晩餐に加わることになったのだ。
本来この晩餐は、シノブ達フライユ伯爵家の者とベルレアン伯爵家の者達が集う内々の場ではあるが、まさかメリーナを一人だけ放置しておくわけにもいかないだろう。それに、親族以外ではあるがセレスティーヌやイヴァール達もこの場にはいる。
それはともかく、ミュリエルは両親や祖父と会い、領民達と接することができた一日を、とても楽しんだようである。彼女が心の底から楽しんだと知ったシノブは、その顔に温かな笑みを浮かべていた。
「シノブ、そろそろプレゼントを渡しては?」
右隣のシャルロットが、シノブに語りかけた。晩餐の料理も一段落したし、ちょうど良いと思ったのだろう。
「そうだね」
シノブの返答が聞こえたのだろう、列席していた者達は、談笑を止めてシノブ達に視線を向けなおした。
「それではミュリエル様。館の使用人を代表して私から……」
最初に名乗りを上げたのは、家令のジェルヴェであった。
メリエンヌ王国の場合、誕生日などの贈り物は、初めは格下の者から、そして徐々に上級の者や近しい者、そして最後が最上位者か夫など特別な者となるらしい。
「こちらは、庭で育てた花でございます」
下座からジェルヴェとミシェル、フレーデリータが、それぞれ花束を抱えて近づいてくる。もちろん、シノブ達も席を立って彼らを出迎えているし、王女やベルレアン伯爵一家も含め、他の者も全員起立している。
「綺麗……」
ミュリエルは陶然とした表情でジェルヴェ達を見つめている。
ジェルヴェ達がミュリエルに差し出したのは、色取り取りのチューリップや白や黄色の水仙などを纏め、幾つもの色の薄い包み紙やリボンでラッピングした花束であった。
「ミュリエル様、10歳の誕生日、本当におめでとうございます」
手渡すジェルヴェの瞳は、微かに潤んでいた。ベルレアン伯爵家の家令であった彼は、シャルロットやミュリエルが生まれた頃から見守っている。そのため、感激も並々ならぬものであるようだ。
「おめでとうございます!」
「ミュリエルさま、おめでとうございます」
そしてミシェルとフレーデリータが、ジェルヴェの左右から祝福の言葉を贈る。
ミュリエルの側に上がって半年を越えたミシェルは満面の笑みで、まだシェロノワに来て間もないフレーデリータは、王女もいるためか少々緊張した様子で前に出ていた。
「ミュリエル様、貴婦人への贈り物としては少々無粋ですが……」
ジェルヴェ達に続いたのは、シメオンであった。花束をアンナ達侍女に手渡したミュリエルに、彼は何冊かの分厚い本を差し出した。背表紙の表題を見ると、王国の法律や内政について記したものらしい。
もう一人の子爵マティアスが差し出したのは、武人の彼に似合わぬ守り札、つまり宝石を付けたブローチであった。もっとも内政官や治癒術士を目指すミュリエルに、武器を贈っても似合わない。そういう意味では、守り札は妥当な選択であろう。
続いてアリエルとミレーユが、シェロノワの宝飾店で買い求めたという可愛らしいネックレスとイヤリングを贈った。微細な浮彫が施されてはいるが、少女が身に着けるに相応しい遊び心のあるデザインの品だ。
更にイヴァールとタハヴォが、繊細な細工を施した竜の置物を披露した。アマテール村で一番の細工師に作らせたという逸品は、ガンドとヨルム、そしてオルムルを模したものである。
「皆さん、ありがとうございます!」
ミュリエルは、早くも緑の瞳に大粒の涙を浮かべていた。しかし、まだ両親達の贈り物も、この後に控えているのだ。
ベルレアン伯爵とカトリーヌからは、豪華な首飾りである。こちらは、アリエル達が贈ったものとは違い、伯爵家に代々伝わる秘宝というべき品であった。他家に嫁ぐ娘への贈り物としては度が過ぎた品だが、彼らの愛情故のことなのだろう。
そして先代伯爵アンリは、亡き妻、つまりミュリエルの父方の祖母マリーズが愛用していた指輪を贈っていた。これもマリーズがポワズール伯爵家から輿入れするときに母から譲られた、由緒正しいものだという。
一方、母方の祖母であるアルメルは、筆記用具を贈っていた。内政官として働く彼女らしい選択、加えてシェロノワで一番の高級宝飾店で誂えた特注の筆記用具のセットは未来の伯爵家夫人に相応しい美麗さだ。
意外なことに、セレスティーヌが贈ったのも実用品であった。彼女は、王都から取り寄せた最新の医学書を贈ったのだ。おそらく、治癒術士を目指すミュリエルに必要だと考えたのだろう。
「ミュリエル、良かったですね」
「大切にするのですよ」
シャルロットとブリジットは、ミュリエルに温かな言葉をかけていた。
彼女達は、既にプレゼントを贈っている。シャルロットは昼食と夕食に手料理を振る舞って祝いの品としていたし、ブリジットの贈り物はミュリエルが現在着ているドレスであった。それ故二人は他の者に場を譲り、喜びに溢れるミュリエルを後ろから優しく見守っている。
「これが私とアミィからだよ」
シノブとアミィが差し出したのは、ミュリエルの肖像画であった。シャルロットが勧めたとおり、記念の日を迎えるミュリエルの姿を、写真同様に精緻な絵画として写し取ったのだ。
肖像画の中のミュリエルは、現在彼女が身に纏っているブリジットが贈ったドレスを着て、幸せそうな笑顔で微笑んでいる。
「なんて美しい……」
思わず絶句したのは、急遽賓客となったメリーナである。
他の者は絵画の写実性や美しさに感嘆してはいるものの、彼女ほど驚いてはいない。彼らは以前、シノブとアミィが作ったシャルロットの肖像画を見ているからだ。
しかしメリーナは写真同様に精密な絵など初めてだ。そのためだろう、彼女は茫然とした様子で肖像画を見つめたままであった。
「メリーナさん、ありがとうございます」
「素晴らしいものを見せて頂きました……しかし、私だけ何もお贈りできないのは、とても残念です」
ミュリエルの言葉で、メリーナは我に返ったらしい。
自分だけ贈るものが無いことを気にしたのだろう、メリーナは表情を曇らせている。しかし彼女は今日初めてミュリエルと出会ったため、仕方がないことだ。
「……そうです、滞在している間に用意しましょう! 何かお望みのものはありませんか?」
メリーナは自身が滞在する間に何か贈ろうと思い直したらしい。彼女は希望の品が無いかと、ミュリエルに尋ねる。
「いえ、そんな!」
「どうか遠慮なさらずに!」
ミュリエルは本日初対面の相手にそこまでと思ったらしいが、なおもメリーナは食い下がる。どうやら彼女は、非常に生真面目な性格のようだ。
「ミュリエル、せっかくのお申し出ですから……」
「そうだね。エルフのお話でも教えてもらうとかでも良いんじゃないかな?」
シャルロットは、あまり頑なに断るのもどうかと考えたようだ。シノブも妻に続き、少々冗談めいた口調でミュリエルに提案してみた。
「あの、もしよろしかったら、エルフに伝わる魔術をお教えいただけないでしょうか? 治癒魔術を習っているので……私達人族に教えて良いものがあればですけど……」
ミュリエルは、少々大胆なことを口にしたと思ったようだ。そのためだろう、後半は恥ずかしげに頬を染め、声も小さくなっていた。
「喜んでお教えしましょう。危険なものならともかく、治癒魔術なら断る理由はありません」
「ありがとうございます! 私、頑張ります!」
柔らかく微笑みながら快諾するメリーナに、ミュリエルは満面の笑みと共に礼を述べた。
早くも始まった人族とエルフの交流に、シノブはメリエンヌ王国とデルフィナ共和国の明るい未来を見たような気がしていた。彼は、いや、彼だけではなくミュリエルとメリーナを囲む全ての者達は、楽しげに語る二人に温かな笑顔を向けている。
ミュリエルの誕生日が喜びに包まれた日となった。そのことにシノブは深い感謝を捧げつつ、輝くような少女の姿を静かに見守っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月24日17時の更新となります。