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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第12章 帝国の支配者
245/745

12.10 銀の少女 中編

 フライユ伯爵家の館で最も格式の高い広間は、迎賓の間である。白漆喰の美しい壁、精緻な寄木細工の床、そして上には精密な天井画と、伝統に則った華やかな場だ。

 今、迎賓の間には、立食パーティー用に幾つもの小さな丸テーブルが周囲に置かれ、中央が広く空いている。そして室内のそこかしこでは、華やかな衣装を(まと)った貴族達が談笑していた。


「こちらでは、本当に正午前なのですな……」


 迎賓の間に入ってきたポワズール伯爵アンドレ・ド・メレスは、従兄弟であるベルレアン伯爵コルネーユへと、驚き混じりの口調で語りかけた。


「ええ。これが時差というものだそうです」


 ベルレアン伯爵はポワズール伯爵に微かな笑みと共に頷いてみせる。

 メリエンヌ王国の上級貴族達は、回数の差こそあれど、ほぼ全員が神殿経由での転移を経験している。そのため彼らは、時差の存在に気がついていた。

 例えば、ポワズール伯爵領の領都メレスールは、ここシェロノワから900kmほど西に位置する。メリエンヌ王国は、北緯40度から50度の間に位置しており、メレスールやシェロノワはその中でも北の都市である。その結果、メレスールとシェロノワの時差は50分弱にもなっていた。

 メリエンヌ王国の都市の中心には巨大な時計塔が設置されている。それに、上級貴族ともなれば懐中時計も持っている上、主要な部屋にはホールクロックを置いている。そのため、これだけの時差があれば、気がつかないわけもない。


「それも、シノブ殿がお伝え下さった知識なのですね?」


 ポワズール伯爵の嫡男セドリックは、少年特有の好奇心に満ちた眼差しでベルレアン伯爵を見つめながら問いかけた。彼の背後では、アリエルの弟でセドリックの側仕えでもあるユベール・ド・スーリエも、興味深げに主達の会話を聞いていた。


「ああ。この大地は丸くて太陽の周りを回っているそうだよ」


 ベルレアン伯爵は、セドリック達にシノブから説明されたことを伝えていく。

 彼は、比較的早い時期から神殿での転移を経験していた。そのため、シノブやアミィから時差やその原因について詳しく聞いていたのだ。

 何しろ、彼の館のあるセリュジエールから現在の任地であるゴドヴィング軍管区の領都ギレシュタットまでの距離も900km程であり、やはり50分近い時差が存在する。したがって、ポワズール伯爵と同じく、時間の大きなずれに気付かざるを得なかったのだ。


「大神官殿にもご神託がありましたから、間違いありません。学者達は、驚いたり喜んだりと大変らしいですが」


 こちらは、ジョスラン侯爵テオフィル・ド・ガダンヌである。

 彼は、ミュリエルの祖母アルメルの甥にあたる。つまり、ベルレアン伯爵とは彼の第二夫人ブリジットを通して義理の従兄弟というわけだ。それにベルレアン伯爵が数歳年上ではあるが年齢も近く、親密な間柄となったようである。


「それでは、疑いようがありませんな」


 ポワズール伯爵は、ジョスラン侯爵の説明を聞いて納得したようだ。

 神託があったから正しい説だ、というのは、神々の存在が明らかな世界ならではの考え方であろう。彼らは、神々の語る言葉を疑うなど、考えたこともないのかもしれない。


「そろそろ、殆どが揃ったようですね。後は、エリュアール伯爵とシノブ達くらいですか」


 ベルレアン伯爵が言ったように、大広間には、既に殆どの出席者が集まっていた。

 今日の(うたげ)は、ミュリエルの誕生パーティーという一伯爵家の祝宴に加え、ゴドヴィング攻略成功を祝う公的な祝賀会も兼ねていた。そのため、各伯爵は全員ここシェロノワに集まっているし、公爵や侯爵も、本人か名代が出席している。

 そして、彼が言うように、ここに居ないのは、エリュアール伯爵デュスタール・ド・ラガルディーニと、領政庁で家臣や領民からの祝福を受けているシノブやミュリエル達だけのようである。


「ええ、陛下達も、既に到着されていますし」


 ジョスラン侯爵は、国王アルフォンス七世と王太子テオドールと共に、ここフライユ伯爵家の館にやってきた。なお、国王と王太子は、王族専用の貴賓室でシャルロットとセレスティーヌにもてなされつつ、シノブやミュリエル達の帰還を待っている筈である。


「あっ、シノブ殿です!」


 セドリックの言葉に、一同は迎賓の間の大扉へと振り向いた。そこには、少年が告げたように、シノブやミュリエル、それにアルメル達の姿がある。彼らは、室内にいる貴顕達に挨拶をしつつ、ベルレアン伯爵達がいる一角へと向かってきた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ミュリエルの誕生を祝う午餐会は、和やかな空気に包まれていた。


 最初こそ、国王アルフォンス七世がゴドヴィング攻略成功を賞し、シノブに新たな『王国大戦功章』を授与するなど式典めいたことも行われていた。しかし、それらも仰々しい儀式ではなく、パーティーに花を添える一幕として、形式張らずに行われていた。

 それに立食パーティーということもあり、王宮の光の間のように位階の通りに整列することもない。そのため、ミュリエルも、シャルロットや王女セレスティーヌ、そしてその友人達に囲まれつつ、シノブが新たな勲章を授かるところを嬉しそうに眺めていた。


 そして現在、列席している者達は、それぞれ思い思いに歓談や飲食をしている。ちなみに、その中には僅かだが他国の者達も混ざっていた。具体的には、カンビーニ王国やガルゴン王国の大使やその家族である。

 それに、アマテール村からはイヴァールや開発団長のタハヴォも来ていた。彼らも女性を連れており、イヴァールは婚約者であるティニヤ、タハヴォは妻のヨンナを同伴している。


「しかし、デュスタール殿は遅いですね。ジョルジェット殿は、後から来ると言っていましたが」


 シノブは、エリュアール伯爵の姿が見当たらないことを気にしていた。エリュアール伯爵は、出席予定者の中で一人だけ到着していない。妻のジョルジェットと、まだ三歳である娘のジスレーヌのみが来ているが、当主自身は午餐会が始まってかれこれ一時間は経つのに(いま)だ姿を現さなかった。


「デルフィナ共和国と何かあったようだね。あちらは我々とは殆ど交流がないというか、こちらに干渉してくることはないのだけど……」


 王太子テオドールが言うように、エリュアール伯爵は今朝方、突然デルフィナ共和国との国境へと出向いたらしい。どうも、デルフィナ共和国から使者か何かがやってきて、その対応に行ったようだ。


 なお、エルフの国であるデルフィナ共和国は、他国との交流が殆どない。共和国という通り、王政ではなく、各部族の(おさ)は選挙で選ばれ、その(おさ)達が集まって国政を行うという。また、母系社会であり、(おさ)も女性が多いらしい。

 そういった社会制度の違いも、他国と交流をしない理由の一つであるようだ。


「エルフが姿を現すなど、よほどのことだと思います。帝国と何か関係があるのでしょうか?」


「お姉さま……」


 シャルロットは、美しい眉を(ひそ)め、湖水のような深く青い瞳を曇らせていた。彼女の脇では、ミュリエルやセレスティーヌが不安そうな顔をしている。


 デルフィナ共和国は、ベーリンゲン帝国の南に位置する。両国の間には、ズード山脈という険しい高山帯があり、陸路では行き来できない。しかし、帝国は一時期ジルン達四頭の炎竜を支配下に置いていたし、大将軍ヴォルハルトや将軍シュタールは、人ならぬ身に変じて飛行能力を得ている。

 そのため彼女は、帝国がデルフィナ共和国に攻め入ったのではと思ったようだ。


「こちらに侵攻出来ないからデルフィナ共和国ですか……劣勢の帝国に、そんな余裕があるでしょうか?」


 腕組みして首を捻っているのはマティアスである。彼も、祝宴の間だけシェロノワに戻ってきていた。

 ちなみに、前線であるゴドヴィング軍管区には、先代アシャール公爵ベランジェが残っている。ベランジェは新当主となった息子のアルベリクを出席させ、自身は留守番を買って出たのだ。


「……デルフィナ共和国に関する情報が無いため何とも言えませんが……もしそうだとしたら劣勢を跳ね返す何かがある場合でしょうね」


 躊躇(ためら)いがちに口を開いたのは、アリエルである。今日の彼女は、同僚のミレーユと同じくドレス姿だ。アリエルはマティアス、ミレーユはシメオンと婚約した身であり、結婚も近い。そのため、以前のようなシャルロットの従者としてではなく、子爵夫人に準じた立場で出席している。


「ゴルンさん達は、何も言っていませんが……」


 アミィは、炎竜ゴルンの名を出した。

 ゴルンの棲家(すみか)は、両国との国境に接するヴォリコ山脈にある。そのため、彼や、帝国から救出した四頭の炎竜は、三国の国境付近を飛ぶことも多いらしい。

 しかし彼らは、平穏無事に過ごしているようである。少なくとも、メリエンヌ王国に近い側や、新たに領土としたメグレンブルクやゴドヴィングに近い側には異変はないらしい。


「それほどの凶報であれば、エリュアール伯爵閣下も伝令なりをお出しになると思います。ともかく、今日はミュリエル様の記念の日です。取り越し苦労は止めましょう」


「そうですよ! シノブ様、ミュリエル様と踊ってきては如何(いかが)でしょうか?」


 珍しくおどけたような口調のシメオンに続いて、ミレーユも明るく快活な声でシノブ達にダンスを勧めた。迎賓の間の中央では、既に若手の者達が楽しそうに踊り始めている。


「そうだな。それじゃミュリエル、行こうか」


「はい!」


 シノブがミュリエルの手を取ると、彼女は嬉しげに微笑んだ。

 今日は、彼女が主役である。シメオンが言う通り、確かめようのないことを論じている場合ではない。そう思ったシノブは、ことさら明るい表情を作り、ミュリエルの手を引いて広間の中央へと進んで行く。


「シノブ様、次はシャルお姉さま、その次は私ですわ!」


「ええ、承知しました」


 シノブは、後ろから呼びかけるセレスティーヌに少々丁寧な口調で答えた。

 普段は家族同様に扱うと決めたシノブだが、流石に国中の貴顕や外国の大使達もいるこの場では、そうもいかないだろう。それはセレスティーヌも理解しているはずだが、彼女は少々残念そうな顔をしている。

 それを見たシノブは、せめて彼女と踊るときくらいは普段通りの口調にしようと心に決めた。だが、今はミュリエルである。


「……ミュリエルは、踊りも上手だね」


 シノブは、ミュリエルの確かな身のこなしを思わず称賛していた。

 彼女は、元からリズム感なども良かったようである。そして、アミィやミシェルと魔力操作をしながら踊る訓練をしていたためだろう、体の動かし方が周囲の者とは明らかに違う。自分の思った通りに体が動くと確信している。彼女の迷いのない舞踏からは、そんな気さえしてくるほどだ。

 おそらく、魔力と体を思ったように動かす練習を地道に繰り返してきたからであろう。


「そんな! シノブお兄さまこそ、とてもお上手です!」


 頬を上気させるミュリエルだが、その動きは最前と変わらず流れるように続いていく。シノブは、銀糸のように繊細な髪を緩やかに揺らすミュリエルが、自身の動きを全く妨げないことに驚いていた。


「ミュリエルは、いつも俺のことを見てくれていたんだね」


 シノブは、自身のことをミュリエルがいつも見ていたからだ、と気がついた。それは、努力の成果でもあり、思慕の強さでもあるのだろう。もしかすると、彼の気が付かない更なる何かがあるのかもしれない。


「私には、それしか出来ませんから……シャルロットお姉さまのように、一緒に戦うことは出来ませんし」


 ミュリエルは、少し寂しげな笑みを見せた。彼女も、姉のようにシノブと共に戦いに赴くことを夢見たのであろうか。


「今はね。でも、大人になったらわからない。それに、戦いも色々あるしね。剣や槍だけが戦いじゃない。治療してくれる人がいたり、領地を任せる人がいたり、それも皆の力になるんだ」


「はい!」


 シノブの言葉を聞いたミュリエルは、大輪の華が綻ぶような(まぶ)しい笑みを浮かべていた。そして二人は、輝く笑顔のままで、優雅で繊細な舞いを披露し続けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 広間の中央で舞う人々は、何度か入れ替わっていた。多くは一曲か二曲、特に親密なパートナーでも三曲も踊れば一度は休みを入れる。そのため、ずっと踊り続ける者はまずいない。


 そんな中、シノブは三人目のパートナー、セレスティーヌと踊っていた。そして彼らが踊る様子を、国王アルフォンス七世は目を細めて見守っている。国王は、二人が以前より格段に親密になったことを、歓迎しているようである。


「セレスティーヌは楽しそうだな」


「はい。シェロノワの生活にも、だいぶ慣れたようです」


 父の呟きに、王太子テオドールが嬉しげな様子で答えた。その脇では、テオドールの妻ソレンヌも夫に勝るとも劣らぬ笑顔で頷いている。

 シノブは、先に踊ったミュリエルやシャルロットと同様に、セレスティーヌにも何か語りかけている。二人の声は伴奏に掻き消され届かないが、シノブに嬉しげに答える王女を国王達は満足そうな笑みと共に見つめていた。


「お父様、お兄様、そんなにじっと見つめては嫌ですわ! ソレンヌお義姉さまも!」


 シノブにエスコートされて戻ってきたセレスティーヌは、(こぼ)れんばかりの笑みと共に父と兄夫婦へと歩み寄る。彼女は、三人の視線の意味するところを悟っているのだろう、抗議するような口振りとは裏腹に青い瞳を悪戯っぽく輝かせている。


「はい、どうぞ!」


 国王達の脇で控えていたアミィは、冷たい飲み物の入ったグラスをシノブと王女に渡した。グラスに入っているのは、良く冷えた薄めの果実酒である。


「ありがとう……テオドール様とソレンヌ様は、踊らないのですか?」


 グラスを受け取ったシノブは、少々照れくささを感じながら王太子へと語りかけた。セレスティーヌに対し家族同様に接すると決めた彼だが、彼女の父や兄を前にしたためだろう、何となく面映く感じていたのだ。


「そうだね……」


 テオドールが頷きかけたとき、出席予定者の最後の一人、エリュアール伯爵デュスタールが急ぎ足で近づいてきた。


「陛下、テオドール様、遅くなりました。シノブ殿、折角のお招きなのに失礼しました」


「おお、デュスタール。何があったのだ?」


 アルフォンス七世も、当然デルフィナ共和国の件について報告を受けている。そのため彼は、単刀直入にエリュアール伯爵へと尋ねかけた。


「実は、先方からとある申し出がありまして……大変申し訳ございませんが、場を移してよろしいでしょうか?」


 エリュアール伯爵は、アルフォンス七世に恐縮しきりといった態で近づき、何事かを(ささや)いた。良く見ると、彼の服は正装ではなく、略装の軍服であった。どうやら、デルフィナ共和国との国境から戻った後、着替える間もなくやってきたらしい。


「……わかった」


 エリュアール伯爵の話は、さほど複雑なものでは無かったらしい。暫し聞き入っていたアルフォンス七世は、幾らもしないうちに彼に頷き返す。


「陛下、こちらにどうぞ」


 二人の様子を見ていたシノブは、早速別室へと案内しようとする。

 迎賓の間から少し離れたところに、密議などに用いる会議室がある。シノブは、そこに二人を案内しようと思ったのだ。


「シノブ殿も同席お願いします。それと、シャルロット殿もお呼びになった方がよろしいかと」


 エリュアール伯爵は、何故(なぜ)かシャルロットにも同席してほしいようだ。彼は、シャルロットの姿を探し広間の中を見回している。


「シャルロットは、あそこだ。コルネーユやカトリーヌの側にいる」


 アルフォンス七世は、少し離れた一角を指し示した。

 先ほどまでシノブと踊っていたシャルロットは、母のカトリーヌと楽しげに談笑している。妊娠六ヶ月を過ぎたカトリーヌは壁際のソファーにゆったりと腰掛け、その脇にはシャルロットだけではなくミュリエルとブリジットも座っていた。

 一方ベルレアン伯爵コルネーユや先代のアンリは、女性達の団欒(だんらん)を眺めつつ何かを語り合っている。


「陛下、私がお呼びします」


 白百合騎士隊の女騎士シヴリーヌは国王に一礼した。そして彼女はシャルロット達へと歩んでいく。


「アミィ、ミュリエルの側にいてあげて」


「わかりました!」


 シノブの頼みを受け、アミィも動く。

 突然自分やシャルロットが席を外せば、ミュリエルも不安に思うだろう。そこでシノブはアミィを残すことにしたのだ。


「父上、私も参りましょうか?」


「そなたはここを頼む。セレスティーヌもここで待て」


 アルフォンス七世は息子にこの場を任せるようだ。国王である彼に加え、シノブとシャルロットが抜けてしまうと、場が持たないと思ったのだろう。彼はテオドールに何事か伝えると、シノブとエリュアール伯爵を連れて迎賓の間の大扉へと向かっていく。


「心配ない! 父上は、王国に新たな(さち)(もたら)す話を聞きに行くだけだ!

……ソレンヌ、私達も踊ろう!」


 突然退出する国王達を、室内の人々は戸惑いや好奇心が入り混じった視線で見ていたが、王太子の言葉を聞いて笑顔を取り戻した。メリエンヌ王国は、帝国との戦いに連勝し領土を急速に拡張している。そのためだろう、彼らは王太子の言葉に疑問を(いだ)くことはないようだ。

 ある者は広間の中央に進み出る王太子夫妻に拍手を送り、別の者は自身のパートナーと楽しげに踊り出していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「実は、デルフィナ共和国のアレクサ族が、竜に警戒するようにと伝えてきたのです」


 エリュアール伯爵デュスタールは、会議室に移ると落ち着く間もなく語り出した。国王とシノブ、それにシャルロットは、彼が若干の苦笑と共に語る内容に聞き入っている。


 アレクサ族とは、エルフ達の国デルフィナ共和国で最も西に住む部族である。彼らの住む集落がメリエンヌ王国との国境に一番近いため、アレクサ族が王国との窓口となっている。

 しかし、デルフィナ共和国は他国と殆ど交流がない。そのため窓口とはいうものの、実際には非常時の連絡用という意味合いが強く、交易なども行われていなかった。

 彼らが他国を拒むのは、600年近く昔の混乱期に人族や獣人族がエルフ達の住む地に攻め入ったからのようだ。当時はメリエンヌ王国も成立しておらず不確かな伝承しか残っていないが、現在のエリュアール伯爵領やカンビーニ王国の東側にあった都市国家が、エルフの領域に遠征して度々略奪をしたらしい。


 だが、メリエンヌ王国が成立して相互不可侵条約を結んだ後は、平和が保たれている。それにも関わらずエルフ達が国を閉ざすのは、彼らが非常に長命で過去の記憶が薄れていないからである。

 人族や獣人族もそうだが、一般的に魔力が多いほど寿命は長い。そして、魔力が多い種族であるエルフの寿命は、平均で250年、長命な者は300年以上も生きるという。

 したがって、現在の長老達の中には、幼少時に過去の出来事を直接聞いた者もいるらしい。


「おそらく、シノブ殿が救出した炎竜の皆さんを見たのではないかと……」


「その可能性はありますね」


 エリュアール伯爵の言葉を聞いたシノブは、たぶん彼の想像通りだと考えていた。

 ゴルンの棲家(すみか)があるヴォリコ山脈は、デルフィナ共和国との国境となっている。もちろん、ゴルンの棲家(すみか)は、メリエンヌ王国の領土の中に存在するが、視力の良いエルフ達は竜が上空を飛ぶ姿に気がついたのかもしれない。

 それに、ゴルン達は、ヴォリコ山脈から東側の旧帝国領に向かうこともある。彼らは、メグレンブルク軍管区やゴドヴィング軍管区の都市にも向かうし、外敵の侵入を防ぐため定期的に国境沿いを飛行している。そして、二つの軍管区の南に位置するズード山脈を越えた先は、デルフィナ共和国であった。


「我々も、ゴルン殿達が棲家(すみか)を作ったことは伝えていたのですが、更に四頭も竜が増えたためエルフ達も慌てたようです」


 通常、一つの狩場には一組の(つがい)しか入らない。そこに六頭もの竜が行き来するようになったため、エルフ達は天変地異か何かと考えたようだ。そのため彼らは、メリエンヌ王国に使者を出したというわけだ。

 エリュアール伯爵は突然の来訪に驚いたが、使者達はアレクサ族の(おさ)エイレーネの親書を持っていたし、そこには遥か昔にやり取りした書面と同じ筆跡で署名もされていたから、本物であることは間違いない。第一、エルフ特有のほっそりとした容姿や、長い耳は他の種族には無い特徴である。

 そして、国境まで馬を飛ばして使者達を確認したエリュアール伯爵は、これを両国の関係を改善するチャンスだと考えた。そこで彼は、デルフィナ共和国から来た使者達を自領に留め、国王に諮ろうと急いで来たわけだ。


「今、使者の方々には我が領都で待って頂いています。シノブ殿やシャルロット殿のことを伝えたところ、是非にお二人に会いたいと」


 エリュアール伯爵は、使者達の気が変わらないうちに話を(まと)めて戻りたいようだ。そのため、国王やシノブ達だけと相談することにしたのだろう。

 ちなみにエルフは母系社会であるため、男性だけではなく配偶者も合わせて紹介することが一般的だという。そして、竜との戦いに同行し自国の王太子を守り抜いたシャルロットの逸話は、使者達に深い感銘を与えたようである。


「なるほど。確かに、これは好機だな」


「シノブが竜達と共存していると知ればエルフ達も安心するでしょうし、上手く行けばデルフィナ共和国と交流を深める機会となりそうですね」


 アルフォンス七世の言葉に、シャルロットも賛意を示していた。

 ベーリンゲン帝国との対決する上で、他国と交流の無いデルフィナ共和国は、ある種の不安材料となっていた。今までとは違い、飛行能力を得たヴォルハルトやシュタールなら、ズード山脈を越えてデルフィナ共和国に侵入することも可能かもしれない。それに、彼らに続く者が出ないとも限らない。

 したがって、シノブ達の気がつかないうちに、デルフィナ共和国が侵略される可能性もあるのだ。


「それでは、早速会いに行きましょうか?」


「いえ、折よく陛下もいらっしゃいますし、許可頂ければ使者達をこちらにお連れしようかと」


 シノブの申し出に、エリュアール伯爵は首を振った。

 一国を代表する使者だから、国王であるアルフォンス七世を抜きにして勝手に判断は出来ない。それに竜達は、ここシェロノワにいる。ならば、連れてきた方が早いというわけである。


「それにシノブ殿、記念の誕生日に婚約者の側を離れるなど、一生の問題となりかねません。貴方とミュリエル殿に恨まれるくらいでしたら、使者殿を担いででもお連れします!」


 大袈裟な仕草で手を振るエリュアール伯爵に、シノブ達三人は、思わず笑ってしまった。

 確かに、大切な記念の日を無視して飛び出して行っては、ミュリエルも悲しむだろう。それしか方法がないならともかく、今回はこちらに来てもらった方が、メリエンヌ王国としても好都合である。


 笑いを収めたシノブは、ミュリエルに思わぬサプライズプレゼントが出来たことを嬉しく思っていた。祖母から内政を学び、アミィやルシールから治癒魔術を教わり、竜と親しく交流するミュリエルだ。彼女は、きっと新たな出会いを喜ぶだろう。

 狐の獣人であるミシェルや、帝国生まれのフレーデリータとも分け隔てなく接するミュリエルは、エルフとも仲良くなるに違いない。もちろん、シノブ自身も、そうありたく思う。彼は、また一つ広がるであろう人の輪に、自然と胸の内を温かくしていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年7月22日17時の更新となります。


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