12.09 銀の少女 前編
創世暦1001年3月3日の朝は、雲一つない快晴であった。とはいえ三月の初旬であり、まだシェロノワの空気は冷たかった。しかし、フライユ伯爵家の前庭に集う面々は、そんな寒さなど感じないかのように頬を紅潮させている。何故なら今日はミュリエルの誕生日であるからだ。
──ミュリエルさん、お誕生日おめでとうございます!──
自身と同じ抜けるような青い空から舞い降りてきたホリィは、10歳の誕生日を迎えたミュリエルを祝福した。前日から皇帝直轄領の偵察をしていた彼女も、今日はミュリエルを祝うためにシェロノワへと戻ってきたのだ。
「ありがとうございます、ホリィさん!」
ミュリエルは、美しい銀糸のような髪を靡かせながらホリィの側に駆け寄った。彼女の顔は喜びに満ち、朝日を受けて煌めく髪に負けないくらい輝いている。
彼女は、普段この時間は祖母のアルメルから礼法について学んでいる。しかし、今日はお休みを貰ったようで、ミシェルやフレーデリータと共に早朝訓練を見に来ていた。もちろん、アルメルも一緒である。
ミュリエル達は、ホリィと共に訓練場の一角にあるドーム状の岩屋へと近づいていく。岩屋の前では、オルムル達、三頭の子竜が待っているのだ。
──10歳の誕生日、おめでとうございます!──
オルムルも、当然今日がミュリエルの誕生日だと知っている。彼女もホリィと同じく思念と『アマノ式伝達法』の双方で祝福の言葉を掛けた。もちろん、シュメイやファーヴも同じように祝っている。
──10歳の誕生日って、特別なものでしたね?──
「ええ。一人前と認められるのは15歳からですが、10歳くらいから、お仕事を学ぶのです。ですから、10歳の誕生日は、皆待ち遠しく思っているのですよ」
ミュリエルは、シュメイの薄桃色の体を撫でながら微笑んだ。
三頭の子竜のうち、オルムルとファーヴは、岩竜であり、シュメイだけが炎竜であった。そのため、シュメイのみが炎竜の幼体に特有の薄桃色であり、オルムル達は白に近い灰色である。
──僕達なら、初めて空を飛ぶ日みたいなもの?──
ファーヴは、パタパタと背中の羽を動かしながら尋ねる。彼は、まだ生後半月程度であり、空を飛ぶことは出来ない。岩竜や炎竜の子は、生後三ヶ月ほどで飛翔するようになるらしい。したがって、ファーヴが空を飛ぶのはまだ二ヶ月半は先のことである。
しかしオルムルは既に自在に飛翔をしているし、シュメイも後数日経つと生まれてから二ヶ月である。そのため、三頭の中で一番遅く生まれたファーヴは、特に飛翔への憧れが強いようだ。
「そうかもしれませんね。皆さんは、一年もすると一人前として扱われるのでしたね?」
ミュリエルはその場にしゃがみこむと、自身を見上げるファーヴの頭を撫でた。
岩竜や炎竜の場合、生後一年ほどで本来の棲家である北の島に旅立つ。もっとも、その頃でも全長4mほどであり、成竜達からすれば五分の一くらいでしかない。しかし、一人で獲物を狩ることができ、単独で長距離を飛翔できれば、一人前と見なすようである。
ミュリエルやミシェル、それにフレーデリータは、そんな他愛もない話を子竜達としながら、シノブやシャルロット達が訓練をしている様を眺めている。
訓練場の中央では、シノブは光の大剣を使い、シャルロットは神槍を振るっている。そして、その周囲では、アミィやアリエル、ミレーユなどに加え、非番の衛兵や従者達もそれぞれの腕に応じた訓練をしていた。
「ミュリエルさん、お誕生日おめでとうございます。これからは、将来の領主夫人としてのお仕事も増えますわね」
朝の澄んだ空気を楽しみに来たのだろうか、セレスティーヌも姿を現した。シノブやシャルロットの様子を眺めながらミュリエル達へと近づいてきた彼女は、一国の王女に相応しい気品に満ちた笑顔をミュリエルに向ける。
「ありがとうございます! シノブお兄さまをお助けできるよう、頑張ります!」
「ええ、一緒に頑張りましょうね。
……ところでアルメル様、ミュリエルさんは、やはり、お側で学ばせるのですか?」
輝くような笑みと共に答えたミュリエルに、セレスティーヌは優しく頷いた。そして彼女は、側にいたアルメルへと尋ねかける。
ミュリエルは魔力も多く治癒魔術に強い適性を示している。しかし、その一方で聡明な彼女は奥向きだけではなく内政にも興味があるらしい。農務長官として働いているアルメルの影響もあるのだろうが、シノブ達を助けたいという気持ちも大きいようだ。
「はい。この子もそれを望んでいますし、忙しいシノブ様をお助け出来ればと思いまして」
静かに頷いたアルメルは、ミュリエルを自身の手元に置いて内政の知識を学ばせると答えた。
現在フライユ伯爵とその一族は、当主のシノブと将来伯爵夫人となるミュリエル、そしてミュリエルの祖母のアルメルしかいない。なお、シャルロットはシノブの妻であるがベルレアン伯爵の継嗣でもあり、フライユ伯爵家の者として扱うことは出来ない。
ちなみに、多くの貴族家では、当主や先代、そして嫡男などが協力して領内を纏めている。しかしフライユ伯爵家の場合、女性を含めても三人だけである。これでは、ミュリエルを奥向きだけに留めておくことは出来ないし、シノブやアルメル、そしてミュリエル自身もそれを望んでいなかった。
そのためミュリエルは、治癒術士のルシールから魔術を学ぶ一方で、アルメルからは内政を学んでいた。
「大変ですけど、頑張ってくださいね。私もお手伝いしますわ」
セレスティーヌも、最近はミュリエル達に色々指導しているようである。
彼女は、国王アルフォンス七世や王太子テオドールに何かあれば、女王として即位する可能性もあっただけに、政治に関しても一通りは教わってきたようである。もっとも、メリエンヌ王国には今まで女王は存在しない。そのため、あくまで万が一の保険という位置づけであったが、それでも帝王学を学んではいたのだ。
「お願いします!」
誕生日の会話にしては、随分と重い話題ではある。しかし、大人への一歩を踏み出したミュリエルにとっては、それすらも喜ぶべきことらしい。彼女は、ますます顔を輝かせて、セレスティーヌを見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
朝食の席も、ミュリエルを祝う声に満ちた華やいだ空気に包まれたものであった。しかし、今日の彼らは忙しい。
もうすぐ、ミュリエルの母ブリジットやシャルロットの母カトリーヌが、ベルレアン伯爵領からやってくる。ブリジットは、午前中に開かれる家臣や領民達を招いての祝宴にも出席するのだ。
そして、昼食は、王族や王領の上級貴族、各地の伯爵を招いての午餐会である。神殿経由の転移が可能となったため、何日も前から旅をする必要も無くなり、当日しかも直前の来訪で問題ない。しかも現在、帝国の西部諸領を攻略している最中であり、彼らも長期滞在を望まなかったようだ。
例えば、ベルレアン伯爵家でいえば、当主のコルネーユと先代のアンリは、前線のゴドヴィング軍管区にいることが多く、自領には時折神殿経由で帰るだけである。そのため、男達だけではなく夫人達も色々忙しい。そこで、直前まで任地や自領に留まることになったわけだ。
その結果、シノブ達も前日までは比較的時間があったが、逆に当日は極めて多忙なスケジュールとなっていた。そのため、彼らは、今日は普段とは違い慌ただしく食事を済ませることとなったのだ。
「シャルロットは料理を作るんだったね」
朝食を終えたシノブは、シャルロットやアミィ、そしてホリィを連れて自分達の居室に戻っていた。シノブやアミィは祝宴に出席するため、着替える必要があったからだ。既にシノブとアミィは、それぞれ正装の軍服を身に着けている。
「はい。晩餐向けにアミィから教わったカレーとシチュー、午餐会には肉や魚を使った料理を出そうと思います」
シャルロットは、妹の誕生祝いとして作る料理を数え上げた。どうやら、夕食向けには多少時間を置いた方が良いものを、昼食には作りたてが良いものを、ということらしい。
なお、彼女は簡素な室内着に着替えていた。普段の絹のような艶やかな生地のドレスではなく、麻か何かで出来た飾り気のないシャツとスカートである。
「そうか。楽しみにしているよ」
シノブは、髪を結い上げていく愛妻の姿を見ながら微笑んでいた。凛々しい軍服姿や華やかなドレス姿も素敵だが、こういう家庭的な装いも魅力的だと思ったのだ。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「シャルロット様の料理、私も楽しみです!」
頬を染めるシャルロットに、シノブの衣装を整えていたアミィが振り向いた。
軍服自体は着なれたシノブだが、『王国名誉騎士団大将軍章』と『王国大戦功章』を身に着ける機会はそうはない。そのため、アミィの出番となったわけである。
「シノブ、良く似合っていますよ。アミィも素敵です」
シャルロットは、正装の二人をうっとりとした様子で眺めていた。軍人である彼女は、これらの勲章が非常に稀なものであると知っているから、尚更感慨深いようである。
──ええ、本当に!──
シャルロットだけではなく、鎧掛けに止まったホリィも二人の姿を褒め称える。
ちなみにホリィも祝宴には同行するが、鷹である彼女は着替える必要などない。その代わりに彼女は、つい先刻まで羽繕いをしていた。
「本当に素敵です……」
シャルロットは思わずといった様子で、先ほどと同じ言葉を繰り返す。彼女はシノブ達の姿を眺め続けていたのだ。
シノブは黒と白を基調とした軍服に、白地に金糸の縁取りのマントだ。差し込む朝日が金モールのような肩章や飾緒、そして二つの勲章に煌めいて、まるで光に包まれているかのようだ。
豪華な金ボタンが並んだ外衣や細いズボン、そして黒々とした長靴。それらは長身で細身の彼を一層引き立て、領主に相応しい威厳を醸し出している。そして華やかな装飾が軍服の堅苦しい雰囲気を和らげ、絶妙な調和を生み出していた。
アミィも基本は同じ装いだが、貴族ではないため黒地に金の縁取りのマントである。しかしシノブとは違って小柄なアミィの軍服姿は、凛々しさよりも可愛らしさが強調されている。
そしてアミィもシノブと同じく、襷のようにかけた幅広の飾り布に『王国名誉騎士団将軍章』を着けている。そのため彼女も、シノブに負けず劣らずの輝くような美々しい姿であった。
「ありがとう。ともかく、祝宴は俺とアミィに任せてくれ」
妻の賛美に顔を綻ばせたシノブは、これからミュリエルと出席する祝宴に思いを馳せた。
前回のシノブの誕生日と同様に、シャルロットは家臣や領民を招く祝宴には出席しない。自分は別家の者であり、次代のフライユ伯爵の母となるのはミュリエルだという意思表示のためである。
もっとも、今回シャルロットは、妹に手料理を作るのを楽しんでいるらしく、午前中の時間が空くことは、むしろ好都合であったようだ。
「お願いします。私は、料理が終わったら陛下やテオドール様をおもてなししますので」
シャルロットは、力強く宣言する夫を見つめ、頬を緩ませていた。
彼女が館に残るもう一つの理由が、訪れる王族や上級貴族の接待であった。神殿での転移が使えるため、今回は王太子テオドールだけではなく、国王アルフォンス七世も来訪する。それに、各公爵や侯爵は本人か名代が出席するし、各地の伯爵達も同様である。
そのため、シノブ達が不在の間、シャルロットが女主人として接待することとなったのだ。
「ああ、頼むよ。しかし、陛下までお出で下さるとはね……10歳の誕生日って本当に大きな節目なんだね」
シノブは今更ながら今日が非常に重要な日であると感じていた。いくら将来の伯爵夫人とはいえ、単なる子供の誕生日に国王がやってくるのだ。
従来は、元々王都メリエで暮らす侯爵家や、王領内の都市に住み祝い事は王都で行うことが多い公爵家だけが対象だったようだ。つまり、三公爵と六侯爵の九家である。しかし、神殿の転移が可能となったことで、そこに七伯爵も加わることになったようだ。
「王家と各伯爵家の関係強化は、とても重要なことですから」
前フライユ伯爵クレメンの反逆を思い浮かべたのか、シャルロットは僅かに顔を曇らせた。
おそらく、多忙な国王がわざわざ来る理由の一つには、各伯爵家との関係強化もあるのだろう。今までは距離の問題があるので、そう簡単に訪問は出来なかった。何しろシェロノワから王都までは、普通の馬車で旅をすれば片道だけで十日はかかる。
しかし、神殿の転移により事情は変わった。今後は、相互の行き来を増やして、融和を図っていくのではなかろうか。
「そうだね。さてと……ミュリエルを迎えに行くか」
シノブは、自身を待っているであろう少女の姿を思い浮かべた。彼女は、母のブリジットがこの日の為に用意したドレスを身に着けて、シノブを待っているはずである。
シャルロットやアミィも、記念すべき日を迎えたミュリエルの晴れ姿を思ったようで、シノブと同様にその表情を一層綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ミュリエル、お疲れ様」
シノブは、ミュリエルに冷たいジュースの入ったグラスを差し出した。やっと、家臣や領民代表からの挨拶が一段落したのだ。
シノブの横では、アミィもミシェルやフレーデリータにグラスを渡している。
「ありがとうございます!」
母から贈られた薄青のドレスを纏ったミュリエルは、うっすらと頬を染めている。先ほどまで祝福をしに来た人々の応対をしていたので、少し気分が高ぶっているのかもしれない。彼女は、シノブの手からグラスを受け取ると、リンゴの果汁が入ったジュースを美味しそうに飲む。
「さっきも言ったけど、ドレス、良く似合っているよ。普段より大人っぽくみえるし、素敵だよ」
シノブは、改めてミュリエルのドレス姿を称賛した。
ミュリエルが着ているドレスは、ベルレアン伯爵家にいた頃に母のブリジットが用意していたものだ。そのため、ベルレアン伯爵家を表す青い色の布地に、白や薄青の薔薇を模したコサージュを付けたデザインであった。記念の誕生日ということもあり、どちらかというと大人らしさを狙ったのだろう、比較的シンプルなドレスではある。
「はい、とても綺麗です! 大人っぽく上品ですし、でもミュリエル様らしい可愛らしさもあります!」
──そうですね! 素敵です!──
シノブに続いて、アミィとホリィもミュリエルの姿を褒め称えた。
上質の絹のような光り輝く布地には繊細かつさりげない刺繍が施され、その上には派手ではないが上品な装身具が煌めいている。何れも控えめなブリジットらしい趣味の良い選択であり、しかも大人しげなミュリエルに相応しい衣装であった。
「とても嬉しいです……あ、あの、オルムルさん達、大人気ですね!」
ますます頬を赤くして恥ずかしそうに俯いたミュリエルは、暫しの沈黙の後に、華やかに飾られた大広間の一角へと目を向けた。どうやら、シノブ達の称賛に照れたらしい。彼女が見つめる先には、ソファーの上に座ったシュメイとファーヴ、そしてその脇に控えるオルムルがいる。
実は、ミュリエルの勧めで祝宴にはオルムルにシュメイ、ファーヴの三頭を同伴していた。彼女は、竜を領民達に紹介したいと言ったのだ。
生憎、シュメイの母親であるイジェは、シノブに子供達を任せてガンド達の狩場へと行っている。ガンド達岩竜を中心に、次の作戦のために準備しているものがあり、彼女もそれに協力しているためである。
そこでミュリエルは、オルムル達を領民に紹介しようと考えたらしい。最近、竜達がシェロノワに来る機会も増えたし、竜に頼んでの空輸も始まっている。とはいえ、普通の領民が竜と会話する機会は皆無である。そのため彼女は、祝宴に来た者達をオルムルと引き合わせようと思ったようだ。
「イジェ達を連れてくるよりも、この方が良かったかもね」
シノブも、街の者達に竜を紹介したいとは思っていた。しかし、成竜は祝宴の会場である領政庁の大広間に入ることは出来ない。それに、巨大な竜よりは、小さな子竜の方が接しやすい。どうやら、子竜を連れてきて正解であったようだ。
「竜の人形や、姿をあしらった織物も人気のようです。ミュリエル様のご配慮、領内の木彫り職人や織工なども大変感謝しております」
シノブ達の側に控えていたフライユ公営商会の店主ユーグ・ロエクが、感嘆の表情と共にミュリエルに頭を下げた。
ミュリエルは、フライユ伯爵家の庭に訪れる竜達の姿を、伯爵家で抱えている画家に描かせていた。そして、版画で複製した絵を、領内の商人や職人達に配っていたのだ。
フライユ伯爵領に竜が訪れるようになって、およそ一月半である。そして領民達も、北の高地の開拓や帝国との戦で大活躍をしている竜達に、親しみを感じているという。そのため、早い段階から竜をあしらった装飾品や置物を作る者はいたようである。
だが、竜の姿をじっくり見る機会は少ない。そのため、商人や職人達はミュリエルから与えられた正確な絵姿に大喜びしたらしい。
「まあ……これも、お母様の御教育でしょうか?」
「いいえ。この子が自分で考えたことですよ」
驚くブリジットに、アルメルが嬉しさを隠せない様子で答える。アルメルは自身の孫を誇らしげに見つめていた。
今回、オルムル達を連れてきたのも、領民達に子竜を紹介するだけではなく、新たな商売に繋げてもらおうという思いもあるらしい。そのため、オルムル達を囲んでいる職人達は、真剣な表情で子竜達の姿を写し取っている。
生後半年のオルムルは、流石に元の大きさでは広間に入るのは苦労する。そのため、彼女は少々小さくなり、人間の大人並みの大きさになっていた。彼女は、幼竜のシュメイやファーヴとは違い、成竜に近い精悍な姿であり、彫刻や高級装飾品にあしらうには向いていそうだ。
それに対し、幼竜達は、まだ丸っこく可愛らしい。こちらは、子供向けの玩具や衣服の図柄に良さそうである。
「私達も、南方に戻る便で輸出しています! 伯爵様のお力で、空から運ぶことも出来るようになりましたし、竜の本場であるこちらの細工物は、故郷でも大評判です!」
こちらはカンビーニ王国から来た交易商のモカリーナ・マネッリである。
竜は、出産の時期にしか現れないし、それも遠くを飛んでいるところを見るのがせいぜいで、至近距離でその姿を写し取ったものなど存在しない。そのため、過去に絵画や彫刻として残されたものも、多くは想像に基づくものであり、不正確であった。
そのため、モカリーナは正しい姿を描いたフライユ伯爵領の産物を自国で『竜の本場の細工物』として売り出したという。なお、まだ第一便を運んだだけだが、初回分は即日完売したらしい。
現在、竜達はカンビーニ王国に最も近いマリアン伯爵領の都市と、ここシェロノワや旧帝国領を往復している。その大半は前線に運ぶ物資や人員を輸送しているだけだが、一部では商業利用も開始されていた。そのため、彼女は早速利用していたのだ。
「東への交易も出来そうですし、これからはもっと活性化するでしょう」
ロエクは、旧帝国領、つまりメグレンブルクやゴドヴィングとの交易にも期待しているようである。
現在のところ、軍事関連のものは竜により空路で輸送されている。しかし、シノブがガルック平原に街道を造ったから、今後は陸路での輸送も可能となる。空路での輸送料金は高めに設定されているため、街道の開通を喜んでいる商人は多いようだ。
「ロエクさん、これがメグレンブルクの羊毛です。こちらは、向こうの麦や芋、これはビールです」
アミィは、すぐ脇のテーブルにリーベルガウで入手した羊毛や農産物を並べてみせる。彼女は、他にも毛織物や装飾品など交易で扱いそうなものを中心に、魔法のカバンから取り出していく。
「おお、これは素晴らしい!」
「これもミュリエル様のお考えですか!?」
ロエクやモカリーナは、早速メグレンブルクの特産品を手に取って眺めている。彼らだけではなく、近くにいた商人達や内政官達も、興味を示し近寄ってきた。
「ああ、ミュリエルが行きたいと言ったんだ」
シノブは、柔らかに微笑みながら頷いた。
ミュリエルがそこまで考えてリーベルガウへの訪問を望んだかは、シノブにはわからない。だが、今日は彼女の誕生日である。それ故彼女に花を持たせても良いと思ったのだ。
「シノブさま……」
ミュリエルは恥ずかしそうに頬を染めながらも、嬉しげな様子でシノブを見つめていた。
それを見たシノブは、これが彼女の意図したものだったのだと悟った。彼女は、己の身に余る称賛なら、きっぱりと否定するだろう。しかし、シノブを見つめるミュリエルの緑色の瞳は、嬉しさはあるものの戸惑いはない。
「ミュリエル、これからも頼むよ」
シノブは、ミュリエルの肩に優しく手を添えた。彼は、着実に才能を開花していく少女を微笑ましくも心強く思ったのだ。
「はい! シノブさまの奥さんに相応しくなるよう、頑張ります!」
ミュリエルは、美しいアッシュブロンドを揺らめかせながら、シノブに頷いた。大広間のシャンデリアの光を受けて、彼女の長い髪は本物の銀で出来ているかのように輝いている。そして、銀糸のような髪に彩られた彼女の顔は、シノブには更に眩しく見えていた。
「あのですね、交易だけではなくて、イヴァールさん達が作った蒸気機関を、もっと使ってみたいのです。こちらでは難しいようですけど、アマテール村なら……」
ミュリエルは、火属性の魔道具を使った蒸気機関の活用を考えているようだ。現在の形式では、魔力が多い北の高地でしか使えないが、それならそちらに工場を建てれば良いと考えたらしい。
今のところドワーフ達は製鉄や鍛冶、機織りなどに使っているが、彼女は更に多くの産業に応用したいと語っていく。
──シノブさん、私達もご飯が欲しいです~──
──僕も~──
ミュリエルの話を聞いていたシノブの脳裏に、突然シュメイとファーヴの思念が響き渡った。二頭は『アマノ式伝達法』も使っているから、ミュリエル達も彼らが語る内容を理解している。そのため、二人は思わず苦笑していた。
子竜達は、早朝訓練の後にシノブの魔力をたっぷりと吸収していた。しかし、祝宴で飲食する人間達を見て、自分達も食事をしたくなったようだ。
「それじゃ、魔力をあげに行くか。変なものを食べさせたら、イジェに叱られそうだしね」
「はい!」
シノブとミュリエルは、グラスを置いて子竜達のいる一角へと歩んでいく。そして、アミィやホリィ、ミシェルにフレーデリータも二人に続いていった。
「私も見に行って良いでしょうか?」
「ええ、一緒に行きましょう」
興味深げなブリジットにアルメルは頷き、子竜達の下に行こうと誘う。彼女達だけではなく、ロエクやモカリーナ達も、珍しいものを見ることが出来ると思ったのだろう、その後ろに従った。
──シノブさん、すみません!──
オルムルは、最年長の竜として少々恥ずかしく思ったようだ。無邪気なシュメイとファーヴの行動を、竜に相応しくない行いと恥じているようである。
しかし、周囲の者達は、そんな彼女達の様子に一層笑みを増している。写生をしていた職人達も、オルムル達に色々尋ねていた商人達も、一様に優しい表情となっていた。彼らは、賢い子竜達が自分の子供達と同じように食べ物をねだる姿を見て、更に竜を身近に感じたようである。
「大丈夫だよ。私達だけ食べていて悪かったね」
シノブはシュメイとファーヴが乗っているソファーの後ろから手を伸ばし、二頭に魔力を注ぎ始めた。その脇には、ミュリエルも寄り添うように並んでいる。
シノブから魔力を与えられた二頭は、目を細めて喉を鳴らしていた。そしてオルムルは、脇から幼竜達に己の顔を寄せている。
「おお……」
「こ、これは!」
職人達は、そんな領主達と子竜の仲の良い姿を、忙しく写し取っている。どうやら、彼らの芸術的な感性が刺激されたようである。
シノブは、もしかすると自分達の姿が絵画や工芸品となるのかと思い、少々気恥ずかしく感じていた。しかし、これも竜達が人に受け入れられる助けになるかもしれないと考え、そのまま魔力を注ぐことに集中していく。
シノブは、僅かにミュリエルへと視線を向けた。彼女は、姉のシャルロットを目標に頑張っている。もちろん、武力でシャルロットを上回ることはできないだろう。しかし彼女は、姉とは違う自分の道を立派に歩んでいるようだ。
自身を助けようと頑張る少女を愛らしく感じたシノブは、これからも彼女を見守り応援していこうと心に誓っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月20日17時の更新となります。