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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第3章 ベルレアン伯爵家の人々
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03.02 魔狼を売るモノたち

「やっぱりタダ飯食らいはいけないと思うんだ……」


 朝食を終えたシノブは表情を改め、テーブルを挟んで向こうのアミィに話しかける。二人がいるのは昨日と同じで貴賓室、着いているのは奥の一角に置かれた食卓である。


 家令のジェルヴェから歴史について学んだ翌日。シノブとアミィがベルレアン伯爵家への逗留を始めて、ちょうど二週間だ。

 つまり言い方を変えると、二人は半月近くも食客として過ごしたことになる。そのためシノブが何かを始めたいと思うのも自然ではある。


「えっと……お仕事を探す、ってことですか?」


 アミィは僅かに首を傾げた。どうやら彼女は、何も急いで職探しをしなくてもと考えているようである。

 先々は何らかの仕事に就くべきだが、まずは現在いるメリエンヌ王国について学んだ方が良い。神の眷属として長い歳月を生きたからだろう、アミィは物事を長期的な視点や感覚で捉えているようだ。


「私などが口を挟むことではありませんが、いつまでもご逗留いただいて問題ないと思いますが……。シノブ様とアミィさんは、お嬢様をお救いになったのですから。

……それに、お館様や先代様も同じように思っていらっしゃるかと」


 侍女のアンナも遠慮がちに言い添える。主の意思を語るのは分を超えた行動と思ったらしいが、それでも彼女は伯爵達も末永い滞在を望んでいると明確に言い切った。


「いや、ご厚意はありがたいけど、なんというか自分自身の気持ちがね。人間、それぞれ何かできることをしないとダメだと思うんだよ。

先代様もシャルロット様も、既に普段の仕事に戻られたじゃないか」


 祝宴の翌日、先代伯爵アンリは領軍の次席司令官としての職務に戻った。暗殺未遂事件の捜査の間、彼はシャルロットと共にヴァルゲン砦に留まったが、今は元通り最高司令官である伯爵に代わって軍を取り(まと)めている。

 今頃アンリは館にも程近い領軍本部で、溜まった書類と格闘しているだろう。


 ヴァルゲン砦司令であるシャルロットには、国境警備の仕事がある。そのため彼女は、既に副官のアリエルやミレーユと砦に戻っていた。

 とはいえシャルロットは、随分と名残惜しかったらしい。彼女は見送りに行ったシノブに「ゆっくり話す時間もなかったな。また会いたいものだ」と語りかけ、何度も振り返りながら去っていった。


 このように、それぞれが日々の務めに戻っていた。それ(ゆえ)シノブは、自分も何かをすべきと考えたわけだ。


「シノブ様やご一族の方は、皆さん勤勉ですから」


 アミィは訳知り顔に微笑んでいた。

 シノブの同胞、つまり彼が元いた世界の日本人は真面目、とアミィは言いたいようだ。しかしシノブ達は他者に本当の素性を明かしていないから、アミィは一族と言い替えたらしい。


「それでしたら、お国の武術や魔術を教えていただく、というのはいかがでしょう? シノブ様やアミィさんの使う術に、お館様も興味をお持ちのようですので。

もちろん、お教えいただける範囲で構いませんが」


 アンナは武術や魔術の指導をシノブ達に提案する。実際シノブとアミィが使う多彩な魔術には、ベルレアン伯爵家や家臣でも興味を示す者が多かった。


「ああ、なるほど。そう言えばアミィはミュリエルに魔術を教える約束をしていたっけ」


 シノブは、再度アミィへと顔を向けた。

 姉を助けたせいか、ミュリエルはシノブに懐き『シノブお兄さま』と呼ぶようになった。そしてミュリエルはアミィとも親しくなり、魔術の指導を頼んでいたのだ。


「はい。ミュリエル様は魔力量も多いようですし、将来の役に立つと思います。属性の得意不得意がありますから、どこまで習得できるか分かりませんが、それでも有用でしょうね」


 相手が伯爵令嬢だからであろう、アミィは指導役への就任を躊躇(ためら)っていた。しかし彼女も、魔力の多いミュリエルへの魔術伝授自体は良いことだと判断しているようだ。


「後ほどお館様にお伝えしておきますね。きっとお喜びになりますよ」


 アンナは朗らかな笑みを浮かべた。

 伯爵やミュリエルは、アミィの指導に随分と期待しているらしい。そのため主達の願いが(かな)ったのが、アンナに大きな喜びを与えたようだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 魔術教師を務めるのはアミィであり、シノブではない。しかし何か発見できるかもしれないし、自身も魔術を磨いている最中だから良い勉強にもなるとシノブは期待する。


「これで暇を持て余すことはなくなりそうだね……後は少々お金が欲しいかな」


 シノブは率直に内心を表現した。

 既にアンナは食事の片づけを済ませて退室済みだ。そのため言葉を飾る必要はなく、しかも新たな出来事の予感にシノブの声音(こわね)も自然と明るさを増す。


「お金ですか? アムテリア様がご用意された金の粒がありますけど……」


 アミィは、アムテリアが用意した金の粒が入った袋があると応じた。

 この袋はシノブが日本にいたとき持っていた財布が姿を変えたもので、普通に使えば数ヶ月は暮らせるだけの金が入っている。それもあってアミィは、急いで金銭を得る必要を感じなかったのだろう。


「あれは万一のときのために取っておこう。ほら、森で倒した魔狼(まろう)があるじゃないか。あれを売れば、多少のお金になると思うんだよ」


 シノブが指摘した通り、森で倒した魔狼は魔法のカバンに入れたままであった。

 魔法のカバンの中は時間が流れないようで、入れたものは劣化しない。そのためシノブ達は街に着いたら売ろうと言いつつも、後回しにしていた。


「ああ、あれですか!

魔狼の皮は鎧などに使われますから、このあたりでも引き取ってもらえると思います。魔法のカバンに入れたまま忘れてましたね」


 アミィは、うっかりしていたと言いたげな笑みを浮かべている。今まで金銭を使う機会はなかったから、彼女も魔狼のことを失念していたようだ。


「うん。俺の父が『自由になる金がない男ほど情けないものはない』と言っていたけど……」


 言葉を紡ぎつつ、シノブは日本にいる父親を思い浮かべる。

 シノブの父は穏やかで浪費もせず、物欲の薄い方だった。そのため彼は妻に家計を任せて自身を小遣い制としていた。

 そしてシノブの父は臨時の小遣いを貰うとき、このセリフを口にしていたのだ。どうやら若い頃の教訓か何からしい。


「……まあ、確かにそうではあるね」


 父と母が言葉を交わす(さま)を思い出したシノブは、郷愁に似た懐かしさを感じてしまう。

 せめて無事だけでも伝えたい。シノブは胸に浮かんだ願いを静かに心の底に沈める。どうしようもないことに(とら)われるな。これも父の言葉であり、その教えにシノブは倣ったのだ。


 おそらくアミィは、シノブの心の動きを察していたのだろう。彼女の愛らしい面には、十歳程度にしか見えない外見に似合わぬ大人びた笑みが浮かんでいた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブとアミィが語らっている間も、緩やかに時間は流れていく。そして午後になると、昨日と同様にジェルヴェがやってきた。

 そこでシノブは、魔狼を売却できないかと訊いてみる。


「ぜひともお願いします。

魔狼の皮は領軍の革鎧にも使いますし、騎士鎧の裏打ちやベルトなどにも用います。大変強靭ですがしなやかさもあるので重宝していますが、狩れる者が少なく数が揃わないのが難点でして……。

お売りいただけるのでしたら、軍指定の職人を連れて参ります」


 ジェルヴェは顔を綻ばせつつシノブに答える。彼の様子からすると、貴重な素材であるのは間違い無いようだ。


「それは良かった。手配を頼むよ」


「では早速に。アンナ、至急職人を呼ぶようフェルナンに伝えなさい」


 ジェルヴェが口にしたフェルナンとは、彼の息子で家令見習いだ。ただし見習いといってもフェルナンは三十歳も近く、数年後には次代の家令となるはずである。


「そんなに急がなくても大丈夫だけど」


「いえ、先ほども申しあげたように魔狼の皮は品不足で軍も困っているのです。現在の装備の補修も必要ですし、隣国との戦いとなれば我が領の出兵もありますので」


 シノブが留めると、ジェルヴェは首を振った。

 ジェルヴェが挙げた戦いとは、東のベーリンゲン帝国との紛争だ。暗殺未遂事件の調査をしているときにも話題になったが、メリエンヌ王国は長きに渡り帝国と敵対している。

 しかも最近、帝国軍が何度か国境を越えて侵入したそうだ。幸い侵入は小規模で国境の小競り合い程度に収まっているが、頻度は随分と増えているという。


 ちなみにベルレアン伯爵領は、ベーリンゲン帝国と接していない。しかし大きな戦いであれば、増援の要請が来ることもある。そのためベルレアン伯爵領軍では傭兵を募集していたが、そうなれば装備の補充も必要なのだろう。


「なるほど、それなら急いで売った方が良いか……」


 ジェルヴェの説明にシノブも納得した。

 ここセリュジエールは平和だが国境では戦いがあり、しかも増援として出陣する可能性もあるのだ。装備を整える時間を考えれば、ジェルヴェが急ぐのも当然である。


「それで、どのくらいお売りいただけるので?」


「確か八頭だったかな……」


 ジェルヴェの問いに、シノブは答える。

 森でシノブ達は十頭倒したが、うち二頭はシノブの巨大岩弾で押し潰された。そのため二人は八頭だけ回収したのだ。


「八頭ですか! ……どこにお持ちで……いや、カバンに魔法が掛かっているのでしたな……」


 既にジェルヴェは、魔法のカバンに大量の品々が入るとシノブ達から教わっている。そのため彼は驚きを示しつつも不審に思うことはないようだ。


「シノブ様。カバンの存在を大勢に示すのも如何(いかが)かと思います。先に魔狼を出してしまいましょう。館の裏庭に場所を用意します」


 ジェルヴェは表情を改め、声にも強い懸念を滲ませている。

 常識外れの品を持っていると喧伝しても(ろく)なことはない。妬まれるくらいならともかく、盗もうとする者が現れたら厄介である。

 魔法のカバンには盗難への対処として、念じると手元に戻ってくる機能がある。とはいえ敢えて災いを呼び寄せることもなかろう。そう思ったシノブは、ジェルヴェの進言をありがたく受け入れることにした。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 急遽(きゅうきょ)裏庭に用意された場には、伯爵家当主のコルネーユに加えて先代のアンリまでいた。

 館で執務していたコルネーユはともかく、アンリは領軍本部からである。おそらくアンリは、軍に話がいったときに聞きつけたのだろう。


「シノブ殿、魔狼の皮を売ってもらえるとは助かるよ。

それにミュリエルへの魔術指導も嬉しいことだ。あの子も随分と楽しみにしているから、お二人の都合次第だが明日からでも教えてやってほしい」


 ベルレアン伯爵コルネーユは、満面の笑みを浮かべていた。それに口調も心からの喜びを示している。

 この世界には魔力があり、人々は魔術や魔道具を様々に活用しているし魔術の得意な人は活躍できる。したがって伯爵も多くの親と同じく、娘の魔術上達を願っているのだろう。


「八頭もあるとはな! 魔狼の皮は防具には最適だが、狩ってこれる実力の持ち主は少ないのだ!」


 多くの装備が作れると期待しているらしく、先代伯爵は(しわ)の多い顔を綻ばせていた。

 先代伯爵もミュリエルを可愛がっているが、今は魔狼の方が気になるようだ。帝国との開戦が近いと(にら)み、傭兵募集も含め領軍の拡充に努めているからであろう。


「……それでは早速出します。アミィ、頼むよ」


 シノブは二人の思惑や事情を理解しつつ、それでも内心では少々おかしく感じていた。魔狼の買い取りくらい、家臣に任せたらどうかと思ったのだ。

 もしかすると、この二人意外と暇なんだろうか。やはり異邦人である自分達への興味からか。そのようなことをシノブは考えつつ、アミィに声を掛けた。


「はい、シノブ様!」


 アミィは持っていた魔法のカバンから、次々と魔狼を取り出していく。

 虎ほどもある巨大な魔狼を、小柄なアミィがカバンから出しては地面に置いていく。幾ら魔道具であっても重くないのかと、大抵の者は首を捻るに違いない非現実的な光景だ。

 実は、これも魔法のカバンの効果(ゆえ)である。魔法のカバンから出たものは、短い時間だが重量が軽減されている。そのため手に取ってから地面に置くまでの間は、それほど重さを感じないのだ。


「おお!」


 伯爵と先代伯爵は驚きの声を上げた。

 二人は魔法のカバンについてシノブ達から概要を聞いてはいた。しかし初めて目にするのだから、驚嘆を避けられなかったようだ。


「これはまた……。こんな大きな魔狼が八頭も入っているとはね。事前に教わっていても、夢でも見ているようだ」


「これは立派な魔狼だな! しかも傷が少ないのも良い! どれも剣で一太刀か礫で一発か。これだけ綺麗に仕留めているなら、だいぶ皮が取れるぞ!」


 魔法のカバンを見つめる伯爵とは違い、先代伯爵の驚きは獲物の状態に対するものであった。早速アンリは魔狼に寄り、検分を始めている。


「はあ……それではまた狩りに行ってみましょうか?」


 もしかしたら良い小遣い稼ぎができるかも、と思いながらシノブは先代伯爵に応じる。するとアンリは大きく顔を綻ばせ、そのときは自分も都合が付くなら同行するし、良い狩場を教えようと言い出す。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 そうしているうちに、革職人達が到着した。大きな荷車を何台も引きながら、職人とその徒弟達がやってくる。

 更に数名の軍人が職人達に同行している。これらの魔狼は軍用品に使うことが決まっているから、装備品係か何かが来たのだろう。

 革職人は伯爵達の同席に激しく緊張したようでガチガチになっていたが、なんとか挨拶を済ませる。そして売り主のシノブが紹介された後、彼らは早速魔狼へと歩み寄っていく。


「これはまた立派な魔狼ですね!

しかも状態が良いです。魔狼は凶暴ですから、剣や槍でズタズタになったり魔法で丸焼けになったりと手に入っても使い物にならないことが多いのですよ」


 革職人も良い品が手に入るからか嬉しそうだ。彼らは笑顔で魔狼を調べていく。


「状態が非常に良いですし、一頭を三万五千メリー、合わせて二十八万メリーでいかがでしょう?」


 革職人の中で最も年輩の男は、シノブに見積もり結果を伝えた。

 ちなみにメリーとはメリエンヌ王国の通貨単位だ。このあたりは国家ごとで通貨が統一されておりメリーは王国内の全てで使える上、友好国の通貨にも容易に両替できるという。


「ジェルヴェさん?」


「はい、適切な値段かと」


 相場が判っていないシノブが問うと、ジェルヴェは静かに頷く。博識なジェルヴェは、皮の価格も把握していたのだ。彼は小声でシノブに向かって適価だと告げる。


「それでは二十八万メリーでお願いします」


 シノブは革職人が提示した金額で了解した。

 すると革職人は、大金貨二枚と金貨八枚をシノブに渡す。大金貨が十万メリー、金貨が一万メリーだが、全て金なので意外に重い。

 シノブはアミィにお金を渡し、続いて革職人が渡す書類にサインをした。


「さて、それでは引き取らせていただきます」


 革職人と徒弟達は、虎ほどもある魔狼を一頭ずつ総がかりで荷車に乗せていく。

 おそらく魔狼は、一頭あたり200kgから300kgほどもあるだろう。職人達は傷を付けないように丁寧に扱っているから、ますます大変そうだ。

 幾ら基礎身体強化があるといっても、魔力の少ない常人では大きな効果が得られない。そこでシノブは積載を手伝おうと考え、一歩踏み出す。


──シノブ様、手を出さないほうが良いと思いますよ──


──どうして?──


 アミィの心の声を受け取ったシノブは、その場に足を留めた。

 この世界に来てから半月程度のシノブである。自分が知らない慣習が存在するかも、と思ったのだ。


──買い取った魔狼を扱うのは彼らの仕事です。それに、伯爵の客人であるシノブ様に手伝われては、かえって恐縮すると思います──


 アミィの言葉にシノブは納得する。身分の差がある社会だけに、安易な介入は自分が想像する以上の迷惑になると理解したのだ。


「ところで、二十八万メリーってどのくらいの金額なの?」


 手出しをやめたシノブは、ジェルヴェに問いかける。せっかくの具体例があるのだから、金銭価値についての理解を深めようと思ったのだ。


「はい。一例ですが熟練した職人などの年収に相当します」


「えっ、年収!?」


 ジェルヴェの返答に、シノブは思わず驚きの声を発してしまう。おそらく街で働く者の月収くらいではないか、とシノブは思っていたのだ。

 どうもアムテリアが授けてくれた財布の中身は、数ヶ月分といっても上流階級の収入に相当するようだ。


「魔狼は狩るのも大変な上、職人が触れたように状態の良いものは希少なのです。細切れになると鎧など大きなものには不向きですから」


「なるほど、でもこれなら充分か……。実はジェルヴェさん……」


 魔狼の狩りや相場について理解したシノブは、話題を転ずる。

 シノブはジェルヴェに寄り、更に随分と声を落とした。そのため最も近くにいたアミィですら、二人の話を聞き取れなかったようである。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 魔狼の売却を終えたシノブは、そのまま館の外に歩み出た。従者のアミィは一緒だが、二人だけでの外出である。

 事件を捜査している間、シノブ達は公的施設の置かれた中央区のみだがセリュジエールの各所を巡った。そのため案内がなくとも問題はないし、それに街は平穏極まりない。

 とはいえ唐突な外出に、アミィは少し戸惑っているようだ。これまで館の外に出る場合は、案内役を付けてもらっていたからだろう。


「シノブ様? 今日はジェルヴェさんの授業は中止ですか?」


 アミィは不思議そうな顔でシノブに問いかける。

 売却で多少は時間を取られたものの、まだ日は高い。そのため彼女は、昨日同様に歴史や文化の勉強をすると思っていたようだ。


「ああ、ちょっとね」


 とある理由から、シノブは曖昧に答える。そしてシノブは詳しく語らぬまま、大通りに沿って外周区に向かっていく。


 中央区の中心は時計塔がある大広場となっている。この大広場は東西南北の大門からの太い通りが十字に交差する場所で、その北西側が伯爵家の館だ。

 そしてシノブは東区に行くつもりだから、館の南の正門から東側に折れて大広場を通り抜ける。


 立派な時計塔が示すように、メリエンヌ王国や周辺諸国の技術は相当なものである。ちなみに時計は機械技術によるもので、魔道具ではない。どうも精密動作は機械の方が上のようだ。それらに思いを馳せつつ、シノブは時計塔や周囲の建物を眺めていく。

 通りの両側には領軍本部や領政庁、神殿に治療院を始めとする公共施設や数々の公邸が並んでいる。伯爵家の館と同様に重要な施設ほど中心近く、そして周辺は公邸でも若干小振りなものになるようだ。もっとも大通り沿いだから、どれも敷地は広々とし建物も高官に相応しい美麗さだ。


 そして中央区を抜けると、周囲は商家へと変わる。ここも東大門へと続く随一の通りだから、中央区ほどではないが豪壮な石造りの建物が立ち並んでいる。


「シノブ様?」


 アミィが再び、シノブに問いかける。

 これまで二人は中央区の公的施設には何回か赴いたが、それ以外の場所に行ったことはない。したがって領都に来たときの通過を別にすれば、外周区に行くのはこれが初めてだ。


「ここかな?」


 シノブは一際瀟洒(しょうしゃ)な外観の大きな建物に入っていった。

 洗練されているのも当然で、そこは宝飾店であった。流石に外に商品を飾りはしないが、扉や窓も優美な装飾が施された人目を惹くものだったのだ。


「家令のジェルヴェさんの紹介だけど」


「これはこれは。本日はどのようなご用向きで?」


 シノブは近づいてきた男性店員に声を掛けた。すると相手の身なりから上客だと思ったのか、店員は柔らかな笑顔と声で応対した。

 店員は、ふっくらとした容姿の人当たりのよさそうな中年男だ。高級品を扱うに相応しく服装も随分と洗練されているし、どこか伯爵家の使用人達と共通する上品さを漂わせている。


「この子にペンダントか何かを、と思ってね」


 シノブは後ろに控えていたアミィの肩に手をやって、そっと店員の前に押しやる。

 外出の目的を伏せていたのは、このためであった。シノブはアミィに日頃の感謝を示すと同時に、ちょっとした驚きを贈ろうと思ったのだ。


「えっ、私ですか?」


 アミィは目をパチパチさせ、シノブの顔を見上げている。どうやらシノブの目論見は成功したようで、彼女の表情は驚愕から感動へと変わっていく。


「おお、可愛いお嬢様ですね! それではこちらにどうぞ!」


 店員は早速アミィを案内する。向かっていくのは、もちろん女性向けのアクセサリーが置かれた一角だ。


「今日は思わぬ臨時収入があったからね。アミィにはいつも助けてもらってるし、ほんの気持ちだよ」


「シノブ様……」


 シノブがアミィに微笑みかけると、彼女は言葉を詰まらせた。シノブを見上げる薄紫色の瞳は、既に溢れる涙で潤んでいる。


「さあ、行っておいで。幸いお金は沢山あるんだ。といっても二人で倒した魔狼だから、アミィのお金でもあるんだけどね」


 シノブは涙ぐむアミィを商品ケースの方に押しやった。

 少しばかり冗談めいた口調と表情。それはアミィへの気遣いでもあり、シノブの照れくささの表れでもある。しかし常々(いだ)く信頼があるからだろう、シノブの思いは無事に届いたようだ。


「ありがとうございます!」


 笑顔を取り戻したアミィは、(きら)めく(しずく)を拭う。そして彼女は微笑みと共にシノブに続いた。


 アミィは遠慮しながらも、ケースに収められたペンダントやネックレスを見ていった。もちろんシノブも、彼女の後ろから覗き込む。

 「シノブ様のお金ですから!」と言いながら一番安いものを買おうとするアミィ。「半分は俺のお金なんだから、どう使おうと良いよね」と言い、見栄えのするものを勧めるシノブ。気心が知れた仲の楽しげなやり取りを、店員は(まぶ)しげに見守っていた。


 そして押し問答の結果、アミィは可愛らしい首飾りを選んだ。

 小さな宝石が散りばめられたペンダントトップや細いプラチナの鎖には、うっすらと繊細な紋様が刻まれている。大玉の輝石は使っていないが、逆に控えめかつ格調高い美しさを(かも)し出している上品な良いネックレスだ。


「これはお目が高い! こちらはドワーフの細工師が造り上げた逸品でございますよ」


 アミィが選んだ首飾りを見て、店員も顔を綻ばせた。そして彼は、早速着けるようにと勧める。


「それじゃ……」


 金貨六枚を支払ったシノブは、店員の言葉通りアミィに首飾りを掛けようとする。シノブも選んだ品がアミィを飾る光景を、早く見たかったのだ。


「……お願いします」


 髪を掻き上げシノブに首元を見せるアミィは、ほんのりと頬を染めて嬉しそうである。それに狐耳もピンと立ち、尻尾も感動を表すように大きく揺れていた。


「……本当に良く似合うね。ネックレスもアミィも、どっちも可愛いよ」


 すっきりしたデザインの首飾りは、品も良くアミィに良く似合っている。そう感じたシノブは、笑顔の従者に思ったままの言葉を贈った。


「ありがとうございます、シノブ様! 私、一生大切にしますね!」


 見つめるシノブに、アミィは心からの喜びを感じさせる満面の笑みと共に(いら)える。

 そしてシノブも、同じくらい晴れやかな表情で頷いてみせる。今日までの感謝、これからも共に歩こうという思い。それらを受けたのだろうか、アミィの胸元で首飾りが優しい光を放っていた。


お読みいただき、ありがとうございます。


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