12.03 南海の島 後編
シノブとアミィはアムテリア達七柱の神の像を造り、その脇に王家とフライユ伯爵家の紋章を刻んだ。
王家の紋章は、二頭の金獅子が支える王冠の被さった盾に白い百合が重なったものだ。そしてフライユ伯爵家は、二頭の黒狼が支える盾に二本の剣が交差した紋章である。
崖の岩を土魔術で操作して造ったから着色はしていない。しかし約20m四方の大きさで刻まれた二つの紋章は、ここがメリエンヌ王国の一部と証明する何よりのものとなるであろう。
更にシノブは、二つの紋章の下に王国領の宣言文を記した。
その中には、この島に自分達より以前に人が訪れた形跡がないため領土としたこと、ただし自分達以前に島を活用していた知的生命体がいれば優先権を与えることなどが含まれている。要は王国の領土とするが、海竜達には今まで通り使ってもらいたいというメッセージである。
とはいえ、海竜達が文字を知っているかという問題がある。
少なくとも、岩竜や炎竜は文字の存在を知ってはいても、文章を理解するほどではなかった。如何に彼らの知能が高くとも、教える相手もなく使う必要のないものは修得できないから、当然ではある。そもそも、彼らが見た文字は屋外にある看板くらいであるから、仕方が無いだろう。
そこでシノブとアミィは、紋章の更に脇に竜達と人間が仲良くしている絵を彫った。成竜であるガンド達やまだ子供のオルムル達、そしてシノブ達の姿を刻んだ絵を見れば、これらを造った人間が竜と友好的な存在だと理解してくれるかもしれない。
──シノブさん、私達も描いて下さり、ありがとうございます!──
オルムル達は、完成した絵を見て大喜びである。崖に刻まれた絵には、オルムル、シュメイ、ファーヴと彼らの両親達の姿が描かれているのだ。
「喜んでくれて、こっちも嬉しいよ。さて、シメオンを呼んでくるか」
シメオンは午前中で仕事を切り上げ、こちらに来ることになっている。そして現在、太陽は真南にあるようだ。そこでシノブは、彼を呼んで来ようと思ったのだ。
「シノブ様、私がお呼びします! 魔法の家は置いていきますね!」
「ありがとう。それじゃ、頼むよ」
アミィは造って間もない神像からシェロノワの大神殿へと転移するつもりのようだ。彼女は魔法の家を展開すると、神像の前の石壇へと上がっていく。
「シノブ、これからどうしますか?」
アミィの転移を見送ったシャルロットは、シノブの側に寄り添い問いかける。彼女だけではなく、ミュリエルやセレスティーヌもシノブの答えを待っている。
「そうだな……昼食前に、少し散歩でもしようか。せっかく綺麗な海の側に来たんだからね」
シノブは、崖と反対側に広がる白い砂浜と、その向こうの美しく輝く海へと目を向けた。
大神殿とシメオンがいる領政庁はシェロノワの中心にある広場を挟んで斜向かいである。どちらも広い敷地を持っているから、大神殿を出て領政庁に入るまでで300m以上は歩くはずだが、往復だけなら十分も掛からないだろう。多少余裕を見ても、三十分もあれば帰ってくるのではないだろうか。
それなら、その間、波打ち際を散歩するくらいは良いだろうと、シノブは思ったのだ。
「それは良いですわね!」
「シノブお兄さま、早く行きましょう!」
セレスティーヌとミュリエルは、早速シノブの手を引いて砂浜へと歩き出した。シャルロットは、両手を引かれて海に向かう夫の様子に微笑みつつ、その後に続いていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達がいる島は、シェロノワから2000km以上南にあるらしく、日本でいえば七月くらいの気候であった。しかも現在は正午近くで、今日は快晴だ。そのため、辺りはかなり暑く、本来なら汗ばむところである。
だが、シノブ達はアムテリアから授かった魔法のインナーを着ているため、外気とは関係なく快適そのものである。更に、魔法の家にあった日焼け防止や保湿効果のあるクリームを付けているため、真夏のような日差しでも問題は無い。そのため、シノブ達は海岸を思い思いに散策していた。
従者見習いの少年レナン達は、最初はシノブに遠慮していたが、彼の勧めもあり楽しそうに遊んでいる。
ベルレアン伯爵領生まれのレナンは海を見たことはないし、内陸の国であるベーリンゲン帝国で生まれ育ったネルンヘルムも同様である。
それに対しマティアスの子供達エルリアスとコルドールは、海を知っているようだ。王都メリエで暮らしていた彼らは、王領の南方にある港湾都市ブリュニョンにでも遊びに行ったことがあるのだろう。
そのためレナンやネルンヘルムはエルリアス達から海について聞きながら、波打ち際で海水を掬ったりヤドカリなどを捕まえたりしながら歓声を上げている。
一方の少女達、ミュリエルの側仕えであるミシェルとフレーデリータ、そして侍女見習いのリーヌは、全員海を見たことがなかった。ジェルヴェの孫であるミシェルはベルレアン伯爵領、フレーデリータはベーリンゲン帝国、そしてリーヌはフライユ伯爵領の生まれである。
そのため彼女達はセレスティーヌやミュリエルの説明を聞きながら、興味深げに海を眺めていた。とはいえセレスティーヌ達も、先日ブリュニョンで初めて海を見たばかりであった。したがって二人もミシェル達に色々教えながらも、煌めく南国の海から目が離せないようだ。
そして華やぐ少女達を、王女の護衛であるサディーユとシヴリーヌが見守っている。
「綺麗な海ですね」
アリエル達を従えたシャルロットは、エメラルド色の海を陶然とした表情で眺めている。
目の前は小さな湾の最奥部だから、波も穏やかである。人が訪れたことのないため海水も透明度が高く綺麗な白い砂が良く見えるし、もちろんゴミなど落ちていない。そして澄んだ水の中を、指先ほどの小さな魚が群れを成して泳いでいる。
「ああ。水温も高いし、海水浴も出来そうだね。オルムル達も楽しそうだ」
シノブも先ほど子供達に混じって海水を掬ってみたが、水は冷たくもなく充分泳げそうである。
それはともかくシノブが言ったように、オルムルまでシュメイとファーヴを連れて海に入っていた。今まで見たことがない海に子竜達は興味を示し、人間の膝くらいまでの浅瀬で楽しそうに過ごしているのだ。
まだ体長40cm程しかない岩竜の子ファーヴは、首だけを海の上に出したり水中に頭を突っ込んだりしている。そして倍ほどの大きさのシュメイは炎竜の幼体の特徴である薄桃色の体を海中に伏せて、ゆったりと浸かっている。
オルムルはと言えば、二頭の脇で見守るように寝そべっていた。全長3mもある彼女は、人間の膝までの深さでは体の殆どが水上に出たままである。しかしオルムルは幼竜達が心配なのか側から離れることはなく、静かに見つめている。
そんな子供達や竜達を、ホリィは上空から見守っている。雲一つない青い空を、彼女は気持ちよさそうにゆっくりと旋回していた。
「シノブ達の故郷は、海遊びを良くするのでしたね」
顔を綻ばせたシノブに、シャルロットは微笑みかけた。
シノブは日本での生活について、ある程度はシャルロット達に伝えている。そのためシャルロットも、日本では海水浴を楽しむ者が多いと知っているのだ。
「そうだね。前にも話したけど、オルムル達のように浸かっているだけの人もいれば、泳ぐ人もいるよ」
シノブは自身が体験したことを、改めて語っていく。海水浴だけではなく舟遊び、潮干狩りに釣り、スイカ割りのような砂浜での遊びも含め、シノブは懐かしい記憶を順に並べていった。
「私達は、軍の演習場で訓練をしたくらいですね」
シャルロットも昔を振り返ったのか、少し遠い目をしていた。彼女は10歳くらいから本格的に軍人としての修行をしたという。その中には、水泳に関する訓練もあったのだ。
「そうですね~。あれは大変でしたよ~」
シャルロットに続き、側に控えていたミレーユがげんなりした表情で呟いた。彼女の隣では、アリエルも苦笑いを見せている。
ベルレアン伯爵領は内陸に位置するので、湖や川しかない。そのため水に入ること自体、少ないようである。例外は大きな河川を航行する船の船員達や、淡水魚を獲る漁師くらいであろうか。
とはいえシャルロット達は軍人である。そのため渡河時に落水した場合を想定した着衣泳法などが、軍の訓練として存在するのだ。
しかし演習場に作られた池などは、泳ぐためではなく演習時の障害として設けたものである。自然を模した濁った池で軍服のまま立ち泳ぎをする訓練は、決して気持ちが良いものではないだろう。
「俺達のところでは、水着を着るんだけどね。泳ぎやすいように作っているから邪魔にはならないし、こういう綺麗な場所でしか泳がないから、楽しい遊びだと思っている人が殆どだよ」
微妙な表情をしている三人に、シノブは地球の水着について説明をした。シャルロット達は、シノブの語る内容を興味深げに聞いている。
「海水浴は、健康にも良いんだよ」
海水に浸かると、免疫力が上がったり肌が綺麗になったりするらしい。それを知っていたシノブは、水に入ることが楽しいだけではなく健康上のメリットもあると付け加えた。
「それは、興味深いですね」
「健康に良いのですか……」
治癒術士のルシールと同じく治癒魔術が使える侍女のアンナは、健康に良いという言葉に興味を惹かれたようだ。
ルシールは、もっと詳しく聞きたいようで瞳を輝かせている。それに狼の獣人であるアンナは、頭上の獣耳をピクピクと動かし尻尾を大きく揺らしていた。
「お館様、アミィ様が戻られたようです」
ジェルヴェの言葉を聞いてシノブ達が振り向くと、こちらに向かって駆けてくるアミィの姿が目に入った。どうやら彼女は、シメオンを連れてきたようだ。
「それじゃ、一旦魔法の家に戻ろうか。お~い! 皆、昼食にしよう!」
シノブは、海で遊んでいる子供達や竜達に声をかけた。そして彼は、元気に走ってくるアミィを労おうと、真っ白い砂浜を歩き出した。
◆ ◆ ◆ ◆
「……シノブ様、どうですか?」
「似合っていますか?」
女性用の洗面所から恥ずかしげな顔で出てきたのは、セレスティーヌとミュリエルである。二人は、シノブの視線が気になるようで、頬を染めている。
「ああ、二人とも良く似合っているよ」
シノブの顔も少し赤い。それも当然であろう、彼女達は水着を着ていたのだ。
二人の水着は同じデザインで、フレアワンピースとでもいうべき、胸元に大きなフリルが付きボトムは太腿の半ばまでを隠したスカートがある、あまり体のラインが目立たないものである。違いは色で、セレスティーヌが白で、ミュリエルは水色であった。
上半身は、ぴったりした下地の上に、鳩尾あたりまでを覆う別布のフリル、一見短めのノースリーブのように見えるものが付いている。フリルとスカートは透けることもなく、地球の常識としては大人しげなデザインではある。
しかし初めて水着を着るミュリエル達にとっては、とても大胆な衣装なのだろう。シノブの褒め言葉を聞いた二人は、どちらもモジモジと身を捩りながら、頬だけではなく肌も薄く染めていた。
「シノブ、私はどうですか?」
続いて現れたのはシャルロットだ。こちらも基本的な作りは同じであるが、スラリと背が高く大人びた彼女が身に着けると、セレスティーヌやミュリエルとは違った印象を受ける。
均整の取れた肢体は武術で鍛えられ引き締まっているが、それでいて女性的で美しい。彼女も頬を染めてはいるが、武人らしい真っ直ぐな姿勢のためか、どこか凛とした雰囲気も漂っている。
「とても綺麗だよ……」
シャルロットに称賛の言葉を贈ったシノブは、そのまま絶句してしまった。妻の麗姿に見惚れてしまったのだ。
緩やかにウェーブを描いた長いプラチナブロンドをそのまま流したシャルロットは、ミュリエルと同じ水色の水着を身に着けていた。絶世の美貌と、それに相応しいバランスの取れた肢体で立つ姿は、まるで女神のようである。
「さあ、行きましょう!」
我を忘れたかのように立ちつくすシノブに声を掛けたのはアミィである。
彼女も同じデザインの濃紺の水着を身に着けていたが、その背後からは尻尾が覗いている。狐の獣人である彼女や、狼の獣人であるアンナやリーヌの水着は、少し構造が違うらしい。
なお、これらの水着はアムテリアが用意してくれたものであった。昼食の時に、アミィは全員分の水着を用意しているとシノブ達に告げたのだ。
水着は一種の魔道具であり、魔法のインナーのように体温調節の効果を持っている。そのため、暑さ寒さを気にすることなく海に入れるという。しかも、魔法の家にあるクリームを肌に塗っているから、日焼けなどの心配もない。
女性向けはシャルロット達が着ているものと同じ水着で、サイズもそれぞれに合わせたものが用意されていた。男性は、袖なしのタンクトップに太腿までの半ズボンという感じのもので、こちらも大人向けから子供向けまで、揃っていた。
皆には以前から持っていた魔道具だと説明したアミィだが、シノブだけには心の声で真相を教えてくれた。彼女は、事前に用意していた昼食を魔法のカバンから取り出そうとしたときに、水着が追加されていることに気がついたそうだ。
たぶん、シメオンを迎えに行っている間に、アムテリアが新たな道具を授けてくれたのだろう。
「ああ、折角の海、楽しもう!」
笑顔で答えたシノブは、砂浜に移動させた魔法の家から夏のような強い光が降り注ぐ外に、足早に歩み出していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「うわ! 速いです!」
ミシェルとリーヌ、そして保護者担当のアリエルを乗せたオルムルは、水上を滑るように泳いでいる。正確には泳いでいるわけではなく、重力操作により水面を滑っているらしい。そのためだろう、彼女はかなりの速さで水面を移動していた。
──オルムルお姉さま、次は私もお願いします!──
──僕も!──
湾の中央部分を水上バイクか何かのような高速で進んで行くオルムルに、シュメイとファーヴが思念を投げかけた。
従者見習いの少年達、レナンなども羨ましげに見ているが、彼らには他にやることがある。実は、シノブやアミィによる臨時の水泳教室が開かれていたのだ。
シノブは、クロールに平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと四泳法を修得していた。それらを披露したところ、シャルロット達も強い興味を示し、教えてほしいと願ったのだ。
メリエンヌ王国の軍人達にも教練の一つとして水泳があるとはいえ、それは着衣泳法の立ち泳ぎであり、言ってみれば水難を避けるための技術でしかなかった。そのため、速く泳ぐことを目的とした泳法に、彼女達は驚いたようだ。
そこで、シノブとアミィは、シャルロット達に地球の泳法を教えることにしたのだ。
アミィと相談したシノブは、とりあえずクロールと平泳ぎだけを教えることにした。速く泳ぐならクロールで充分だし、平泳ぎであれば顔を水面から出して泳ぐことも可能である。実用面では、この二つを習得していれば問題ないだろう。
幸い、軍人として普段から体を動かしているシャルロットやアリエル、ミレーユ、そして王女の護衛であるサディーユやシヴリーヌは習得も早かった。
そして、近接格闘の達人であるジェルヴェや、その孫のミシェルも同様であった。彼らは狐の獣人であり、体を動かすのが得意だからかもしれない。同様に、狼の獣人である侍女見習いのリーヌも、あっという間に二つの泳法を身に付けていた。
それとは対照的に、時間がかかっているのが従者見習いの少年達や、侍女達である。
少年達は全員人族であり、しかもレナン以外は10歳以下と幼い。彼らは武術の修行を始めたばかりで、種族的にも肉体面が特に優れているわけではないからか、ごく普通な修得度合である。
侍女のアンナは狼の獣人であるが、あまり体を動かすことが得意ではないらしい。そのためか、人族の他の侍女達と同様に浅瀬でアミィの指導を受けていた。
ちなみに、用意の良いアムテリアは、浮き輪やビート板まで魔法のカバンに入れていた。そのため、彼らはそれらの補助具を使いながら、泳法の習得に励んでいる。
「シノブ、私も教える側に回りましょうか?」
一番に泳法を取得したシャルロットは、シノブの手伝いを申し出た。
子供を身ごもったシャルロットは身体強化を使えないが、まだ妊娠早期だから運動には何の問題もないようだ。それにアムテリアから授かった水着は適温を維持してくれ、お腹が冷えることもない。そのため彼女も、少年達に指導するシノブと同じく海に浸かっている。
「自由にしてくれて良いんだよ。もっと海を楽しんだら?」
「では、自由にしますね。貴方の側にいるのが、一番楽しいのです」
シノブはシャルロットにもっと海を楽しんでほしかったが、彼女は夫の側にいることを選んだようだ。シャルロットはマティアスの息子達エルリアスとコルドールに近づいていく。
「お、奥方様のご指導など、勿体のうございます!」
「わ、私も大丈夫です!」
二人は、シャルロットが指導すると聞いて驚いたようだ。王都の子爵家で生まれ育った彼らは、まさか伯爵の妻であるシャルロット自ら指導するとは思わなかったのだろう。
「お館様から指導を受けておいて、今さらですが……」
「そうですよね。こんなに親しくして頂けるとは思っていませんでした」
こちらは、レナンとネルンヘルムである。
従者見習いとして一番長く務めているレナンは、シノブ達が気さくに接することに、慣れているのかもしれない。彼は、決してシノブに馴れ馴れしくすることはないが、その一方で過度の遠慮は主が嫌がると知っているため、素直にシノブの教えを受けていた。
対するネルンヘルムは前日従者見習いとなったばかりである。彼は帝国人であった自分に分け隔てなく接するシノブに、驚きつつも嬉しげな表情を見せている。
「シメオンさん、もう少しです! もっと足を伸ばして体を真っ直ぐにして!」
そんな彼らの横で練習しているのは、何とシメオンであった。こちらはシャルロットに続いて泳法を習得したミレーユに指導されている。
「ふう……最近あまり体を動かしていなかったですからね。ミレーユ殿、すみません」
ビート板を持って泳いでいたシメオンは、疲れたのか一旦立ち上がりミレーユへと頭を下げた。彼は、ミレーユに教わるのが恥ずかしいのか、少し悔しげな表情をしていた。
だが、これは仕方が無いことであろう。現役の軍人で、極めて高度な身体能力を持つミレーユとは違い、文官のシメオンは体を動かす機会も少ないし身体強化もさほど得意ではない。そもそも、一時間もしないうちに二種類もの泳法を習得した女騎士達のほうが、例外的存在なのだ。
「そ、そんな! だいぶ上手くなってきましたよ!」
それはともかく、シメオンの様子を見たミレーユは、慌てたように手を振っていた。うっすらと頬を上気させた彼女は、とても輝いて見える。
「ミレーユの言う通りです。あと少しだと思いますよ。
……シャルロット様、私がエルリアスとコルドールに教えましょう」
浅瀬に戻ってきたオルムルの上からシノブ達に語りかけたのはアリエルだ。彼女は、ミシェルとリーヌをオルムルから降ろすと、シノブ達のところにやってくる。
「はい、義母上!」
「お願いします!」
エルリアスとコルドールは、アリエルの言葉に安心したようだ。アリエルは四月になったらマティアスと結婚する。そして幸いにも、二人はアリエルを新たな母として受け入れたようである。
「お館様、私がレナン達に教えましょう」
アリエルやミレーユ達の様子を微笑ましく感じながら眺めていたシノブに、ジェルヴェが指導を代わろうと申し出た。彼は、シノブにシャルロットと二人でゆっくり過ごしてほしいと考えたのだろう。
「ありがとう、それじゃ頼むよ」
シノブはジェルヴェに礼を言うと、シャルロットと共に浅い方に移動していった。いくらシャルロットの運動能力が高くても、全力で泳ぐのも体に良くないだろう。それなら、浅いところで水遊びをする程度が良いと思ったのだ。
「シノブお兄さま! 私も泳げるようになりました!」
近寄ってくるシノブ達に、ミュリエルが笑顔と共に手を振っている。彼女は、もう補助具を使わずに泳げるようになったようだ。
「ミュリエルさんは、凄いですわね……」
一方、セレスティーヌはビート板を使っている。練習を中断して立ち上がった彼女は、羨ましそうな顔でミュリエルを見つめている。
レナン達より浅い側では、アミィの指導で女性達が練習をしていた。
別に全員が泳げるようにならなくても良さそうなものだ。しかし、ミュリエルは姉のシャルロットが早々に修得したため熱心に練習していたし、セレスティーヌも年下のミュリエルに負けるわけにはいかないと思ったのか、一緒に取り組んでいる。
そのため、侍女達も自分達だけ遊んでいるわけにもいかないと思ったのだろう。
「シノブ様、私にも教えていただけませんか?」
実は、ルシールまで水泳の練習に参加していた。おそらく、一人だけ別行動していても詰まらないからだろう。
「いや……アミィの方が上手く指導できると思うよ」
シノブは、ルシールから少し目を逸らしつつ答えていた。
嫣然と微笑むルシールは、年長なだけあってシャルロットよりも女性らしい体つきをしていた。フリルやスカート付きの水着であっても、彼女が豊満な肢体を持っていることは隠しきれないようだ。
シノブとしては、妻や家族ならともかく、それ以外の女性の手を取って泳ぎを教えるのは気恥ずかしい。それが、ルシールのような女性であれば尚更である。
「ルシール、私が教えましょうか?」
シャルロットは、妹のミュリエルや従姉妹のセレスティーヌはともかく、他の女性がシノブに接近するのは嫌なようだ。彼女は、美しい眉を少し顰めながら自分が指導しようと提案した。
ミュリエルはシノブの婚約者であるし、シノブと共にフライユ伯爵家を盛り立てていくべき存在だ。彼女は、先々代フライユ伯爵アンスガルの孫であり、次代の伯爵の母となる運命を背負わされた。シャルロットは、重い荷を抱えた妹を、自分とシノブで支えたかったのだろう。
そしてシャルロットは、セレスティーヌについても同じような感情を抱いているようである。王家に生まれた従姉妹は、相応しい相手に恵まれなかった。それが、以前の自分と重なったのかもしれない。
この国の貴族は一夫多妻だから、シャルロットとしては、夫が他の女性も娶るのは当然と考えているようだ。彼女の父を始め、上級貴族では一夫一妻のほうが例外的存在であり、彼女もそこに疑問を感じていないらしい。
とはいえシャルロットとしては、身内であり可愛がってきた二人ならシノブの側に置いても良いが、無制限に他の女性を近づけるつもりはないのだろう。
「シャルロット様、冗談ですわ」
ルシールはシャルロットの感情を読み取ったのか、少し苦笑しつつ自身の主張を引っ込めた。どうやら自身が口にした通り、彼女は軽い冗談を言っただけのようだ。
「ルシールさん、私がしっかり教えますから大丈夫ですよ。今日中に絶対泳げるようにしますから。
……シノブ様。ミュリエル様は、もうお教えしなくても大丈夫です。セレスティーヌ様は、お二人にお任せします」
アミィは何となく普段と違う固い声音で、ルシールに特訓を宣言した。彼女はミュリエルとセレスティーヌをシノブに預けてまでも、ルシールを鍛えるつもりのようだ。
「……あまり無茶はしないでね」
シノブは苦笑いを見せつつも、内心ではシャルロットとアミィの配慮に感謝していた。彼は、自身の家庭に余計な波風を立てたくなかったのだ。
「じゃあ、ミュリエルとセレスティーヌも、こっちで遊ぼうか」
「セレスティーヌも、練習は一時お休みにしましょう。あまり根を詰めても良くありませんし」
シノブは、ミュリエルとセレスティーヌに手招きをした。そしてシャルロットも、夫と同様に笑顔で妹達を誘う。
「はい!」
「……私も今日中には泳げるようになりますわ!」
ミュリエルは、元気よく返事をすると、覚えたてのクロールでシノブ達の側にやってきた。
一方セレスティーヌは、その後に続いてゆっくりと近寄ってくる。彼女は、休憩と聞いて僅かに顔を綻ばせつつも、ミュリエルの泳ぎを見て決意を新たにしたようである。
シノブは、そんな二人の姿を見て微笑んでいた。
炎竜イジェとイヴァールが到着するのは夕方になる予定だ。それまでには、セレスティーヌに水泳の指導ができるだろう。セレスティーヌが夕方までに泳げるようになることを祈った彼は、彼女達と何をして遊ぼうかと思いを巡らせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月8日17時の更新となります。