12.01 南海の島 前編
帝都ベーリングラードに二人の異形の存在が戻ってきた。大将軍ヴォルハルトと将軍シュタールである。『排斥された神』の加護らしき謎の雷雲に守られ辛うじて逃げ出した二人は、ベーリングラードの中央に聳える宮殿『黒雷宮』に姿を現したのだ。
今、ヴォルハルトとシュタールは皇帝の座す『大帝殿』にいる。シノブ達との戦いから時間もさほど経っていない。そのため外はまだ薄暗いのだが、謁見の間には既に第二十五代皇帝ヴラディズフや重臣達も揃っていた。
「竜達は全て奪われたか……」
ヴォルハルト達の報告を聞き終わった皇帝は、静かに呟いた。そして居並ぶ家臣達は、主君の言葉に一様に表情を硬くする。
ヴォルハルトとシュタールはシノブ達との戦いに敗れた上、『隷属の首輪』で従えた四頭の炎竜も失っていた。そのため謁見の間に集う者達は、皇帝の厳しい叱責があると思ったのだろう。
皇帝直轄領に侵入したシノブ達を、ヴォルハルトとシュタールは都市ロイクテンの南西で迎え撃った。
都市ロイクテンを含む帝都を取り巻く六都市だが、帝国の建国時は国境に近い位置だったらしい。そのためだろう、帝国の本体とも言うべきその領域に侵入する者には、謎の雷撃が降り注ぐ。
その雷撃を盾にヴォルハルトとシュタールは迎撃したが、シノブは三つの神具と神々の御紋を活用して見事四頭の炎竜を解放したのだ。
この惨敗と呼ぶべき顛末を、皇帝は黒々とした顎鬚に手をやりつつ聞いていた。
皇帝は沈黙したまま、しかも顔からは何の感情も読み取れない。そのため周囲の臣下達は、どのような裁定が下るのかと戦々恐々とした様子であった。おそらく激発を恐れているのだろう、彼らは身動きすら出来ないようだ。
「……致し方あるまい。向こうの加護が強かった。そういうことだ」
皇帝ヴラディズフ二十五世の言葉に、家臣達は微かに溜息を漏らした。
謁見の間にいる者達の殆どは、それまで存在した見えない何かが消え去ったかのように一瞬表情を緩めた。しかし彼らは皇帝の叱責を恐れたのか、再びその顔を引き締めている。
「それでは、陛下?」
そんな中、一人表情を動かさなかった宰相メッテルヴィッツ侯爵は、皇帝を見つめ次の言葉を待っている。皇帝の腹心中の腹心だけに、他とは随分違うようである。
「ヴォルハルト、シュタール。今日は休め。そして、明日は例の場所に行くのだ」
皇帝は、眼前に跪く二人に語りかける。その様子はあくまで平静なままであり、四頭の竜を失ったことなど、微塵たりとも気にしていないようにすら見える。
「はっ!」
「御意!」
人外と言うべき巨体に変じても、ヴォルハルト達の皇帝への敬意に変化はないらしい。彼らは、青白い異相を床に着かんばかりに下げている。
そして二人は、おもむろに立ち上がると、一礼をして謁見の間から退出していった。
一方で居並ぶ者達は、彼らの煌々と輝く赤い瞳を恐れるかのように僅かだが視線を逸らしていた。並はずれた巨体に極端な猫背、そして異様に長い腕など、ヴォルハルトとシュタールの姿は以前とは大きく変わっている。そのため同僚である高官達も、二人に対して隔意を抱いているのかもしれない。
「……陛下、二人にまた力をお授けになるので?」
ヴォルハルト達が去った後、宰相のメッテルヴィッツ侯爵は皇帝に静かに問いかけた。そして侯爵の言葉を聞いた重臣達も、皇帝へと視線を向けなおす。
「そうだ。試練によって人を超えた二人は、まだ強くなる。それに竜は奪われたが、得たものもある」
皇帝は、己を見つめる宰相に頷き返した。彼の言葉は力強く、帝国を統べる者に相応しい威厳に満ち溢れている。
「そ、それは……」
しかし臣下の反応は今一つであった。彼らは、皇帝の言葉を疑っているわけではなさそうだが、どこか怯えているようでもある。
現皇帝ヴラディズフ二十五世は、果断な性格と厳格かつ妥協のない統治から『轟雷帝』と呼ばれる傑物だ。しかも、四十半ばを過ぎた彼は気力能力共に衰えることはなく、絶対的な統治者として君臨している。
その自信は、ヴラディズフの肉体にも表れているようだ。彼の現役の戦士のように引き締まった巨体や、人を寄せ付けないような鋭い表情は、帝位に就く者の威厳と冷徹さを体現するかのようである。
とはいえ、謁見の間に集う重臣や高官達は、そんな皇帝の姿は見慣れているはずだ。だが、今の彼らからは、何か本能的な恐れと躊躇いのようなものが感じられる。
「新たな力は、竜そのものよりも役に立つはずだ」
皇帝ヴラディズフ二十五世は、家臣の戸惑いなど気がつかなかったかのように、言葉を続けていた。彼は己が口にした新たな力によほど自信があるらしい
「しかし、特務隊長からの便りがないのは残念です。彼が情報を持ちかえれば、その力も有効に活用できるでしょうに」
宰相は、先日シノブの情報を集めるべく王国に潜入した筈の特務隊長ローラントについて触れた。
ローラントが潜入を命じられてから数日後、メリエンヌ王国はメグレンブルク伯爵領への進攻を実施し、掌握した。そして、ローラントと部下はその頃メグレンブルクに到達していたらしい。
「おそらく、メグレンブルクで仕掛けるつもりだと思いますが」
内務卿のドルゴルーコフ侯爵が、皇帝と宰相の会話に口を挟んだ。ローラント達の動向は不明だが、内務卿は前後の経緯からメグレンブルクかその近辺に潜伏していると思っているようだ。
なお、この時点では彼らはメリエンヌ王国軍がゴドヴィング伯爵領へと攻め入ったことは知らなかった。王国軍のゴドヴィング攻略からまだ半日も経っていない。そして帝都からゴドヴィング伯爵領の領都ギレシュタットまでは400km近くある。したがって彼らが事態を把握するには、早くとも後半日、場合によっては一日近く掛かるだろう。
「シノブという男の能力は想像を絶するものらしいな。
しかしローラントなら、周囲を狙うなど有効な手を見出すだろう。彼らに我らが神の加護があらんことを……」
皇帝は、ローラント達を随分高く買っているようである。彼は、普段通りの冷厳な口調でローラント達への祝福の言葉を呟いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「少し暖かくなってきたかな?」
早朝訓練のため館の外に出たシノブは、隣を歩くシャルロットへと微笑みかけた。
二月も今日で終わりである。そのため、気温も上がり始めてきたのだろう。彼らが領都シェロノワで暮らし始めたのが一月の半ばだが、その頃に比べると寒さもだいぶ和らいでいる。
「そうですね。朝晩もあまり冷え込みませんし、雪も降らなくなりました」
軍服姿のシャルロットは、夫の言葉に頷き返した。
シェロノワは、東側の都市グラージュや国境であったガルック平原に比べると標高がかなり低い。そのため、降雪は例年二月までらしい。
なお、シャルロットや彼女の後ろに従うアリエルとミレーユは、ヴォーリ連合国との国境を守るヴァルゲン砦に二年以上も勤務していた。そのヴァルゲン砦は標高1000m近い場所であり、彼女達は寒さに慣れているらしい。そのためか、三人の服は冬季装備ではなく、通常のものである。
「お花も綺麗に咲いていますね」
アミィは、左右にある花壇へと視線を向けていた。
庭の花壇には、クロッカス、チューリップ、水仙などの花が咲いている。庭師が丹念に育てているようで、色取り取りの花が目に鮮やかだ。他にも木蓮や桃のような木や、それに薔薇なども植えられているが、こちらはまだ時期が早いようである。
「こっちはだいぶ暖かくなりましたからね。でも、ガルック平原はまだ寒いでしょうね~」
「あちらはまだ雪が積もっているようです」
アミィに続いたのは、ミレーユとアリエルだ。
シノブとアミィは、午前中に館で用事を済ませた後に、ガルック平原へと赴く予定であった。フライユ伯爵領と新たに王国に加わったメグレンブルク軍管区の間には、道が整備されていない。そのため、シノブの魔術で陸上の輸送路を作成するのだ。
「吹雪いていなければ問題ないよ」
──シノブさん、おはようございます!──
シノブがアリエル達に笑いかけたとき、岩竜の子オルムルが訓練場の方から飛んできた。彼女や幼竜のシュメイとファーヴは、以前訓練場にシノブが作ったドーム状の岩屋で一晩を過ごしていた。どうやら、オルムルはシノブの魔力に気がついて岩屋から飛び出してきたようだ。
「おはよう、シュメイとファーヴは元気かな?」
──はい、二人とも元気です! イジェさんも!──
今のオルムルは、本来の大きさのままである。そのため彼女は着地せず、シノブ達から少し離れて飛翔している。竜の飛翔は重力制御を併用しているため、彼女はシノブ達の歩く速度に合わせて器用についてくる。
そして、訓練場では炎竜のイジェが首をもたげてシノブ達を見つめている。
まだ日の出前の薄暗い庭に、巨大な竜が身を起こしているのは知らない者が見たら腰を抜かしかねない光景である。しかし、シェロノワで暮らす者達は、竜のいる風景に慣れてきたため誰も気にしていない。館の庭には、庭師や衛兵などもいるが、彼らは落ち着いた様子でそれぞれの仕事を続けている。
「シノブ、今日も良い天気だな!」
──皆さん、おはようございます──
訓練場に入ったシノブに、イヴァールとイジェが声を掛けた。訓練場の隅にある岩屋からは、幼竜のシュメイとファーヴもヨチヨチと歩み出て、シノブ達を見つめている。
そして彼らの周囲には、シノブの従者見習いである少年達や、非番の衛兵などもいる。従者見習いや衛兵達は既に訓練を始めており、小剣や大剣、長槍などを振っていた。
なお昨日とは違い、磐船と名付けた鉄甲船は領軍本部の訓練場に移している。そのため、早朝訓練のための場所は充分にある。
「おはよう! それじゃ訓練を始めるか! ミュリエル達も頑張っているしね!」
シノブは、背負っていた光の大剣に手を掛けながら返事をした。彼らが早朝訓練をしている間、ミュリエルやミシェルはアルメルから貴族としての礼法を学んでいる。今日は、そこにメグレンブルクから来たフレーデリータも加わっているはずである。
「シノブ様、ホリィからの連絡です!」
早朝から頑張っている少女達を思い浮かべたシノブに、アミィが緊張した表情で声をかけた。彼女は、通信筒からホリィが送ってきたらしき紙片を取り出していた。
「なんて書いてあるんだい?」
金鵄族のホリィは、現在南の海で海竜の棲家を探しているはずだ。もしかすると、海竜の居場所が判明したのだろうか。そう思ったシノブは期待の表情でアミィに尋ねた。
彼だけではなく、シャルロットやイヴァール達、それどころか竜達も興味深げな様子である。
「……海竜の棲家らしい島が見つかったそうです! 現在、竜はいないようですが、魔力がとても濃い場所に大きな洞窟があるそうです!」
ホリィが送ってきた紙片を読んでいたアミィは、嬉しげな声でシノブに答えた。
ちなみに鷹であるホリィは、人間と同じようにペンを使うことは出来ない。時間を掛ければペンを魔力で包み込んで動かし文字を書くことも出来るが、そもそも彼女は筆記用具など携帯してはいない。そのためホリィは、紙片に嘴で『アマノ式伝達法』に則った表記法で傷をつけて送ってくるのだ。
「どのあたりにあるのですか?」
「カンビーニ王国の南に1000km以上行った場所だそうです。シェロノワから、ほぼ真南のようですね」
シャルロットの問いを受け、アミィは幻影魔術でメリエンヌ王国やカンビーニ王国を含むエウレア地方の地図を中空に出した。そして彼女は下の方、南の海域に光点を付ける。
カンビーニ王国はメリエンヌ王国の南方の半島と、その東にある島を国土としている。アミィが付けた光点は、半島と島の間から真っ直ぐ南に行った場所である。地図の通りなら、シェロノワから南におよそ2000kmのようだ。
「そんなに南ですか~。それなら、我が国の船は行ったことがないでしょうね~」
ミレーユは驚嘆も顕わな声で呟きつつ、宙に投影された地図を眺めている。
メリエンヌ王国は、カンビーニ王国の存在する半島の東西それぞれに海岸を有している。そのため半島を回り込んで航海することはあるが、陸からはさほど遠くない海域を通るのみで、そこより南には行かないという。メリエンヌ王国は内陸に纏まった領土を持つため、海運はさほど重視されていないからだ。
一方カンビーニ王国やガルゴン王国は、南方の海に航海することもあるらしい。南方に存在する別の大陸に行って珍しい品々を持ち帰ろうという者が、両国には稀に現れるそうだ。
しかしエウレア地方の南に広がる海は非常に広大らしく、それらの航海は命がけであった。そのため出航したまま帰って来ない者が殆どである。これは距離だけの問題ではなく、南方の海には魔獣の棲む領域があるからだ。
「シノブ、ガルック平原に行く予定でしたが、どうしますか?」
暫く地図を眺めていたシャルロットは、シノブへと顔を向けた。折角ホリィが掴んだ情報だから、予定を変更して出向くべきと思ったのだろう。
「ああ、行ってみよう……輸送路を造るのは後でも出来るからね。魔法の家で行けば往復も簡単だ、俺とアミィが行って帰りは君かミュリエルに呼び戻してもらえば良いだろう」
──『光の使い』よ。私も調査に加わりましょう。海竜といえども竜には違いありません。島や洞窟に彼らの手が入っているかどうか、私ならわかるはずです──
イジェは先行して南の海に向かいたいと続ける。
全長20mもの巨体の彼女は、魔法の家で転移するわけにはいかない。そこでシノブ達に先んじて、目標地点まで飛翔するという。彼女によれば普通に飛んで半日少々、急げば10時間くらいで到着するらしい。
大よその位置は理解できたし、ある程度近づいたらシノブ達に思念で呼びかけて場所を確認すれば良い。イジェは、そうシノブに説明した。
「イジェ! 俺と『イワフネ』を運んでくれないか!? 折角だから『イワフネ』が本当に海で使えるか試してみたいのだ!」
──わかりました。それでは私に乗ってください。『イワフネ』を取りに行きましょう。シュメイ、オルムルさん達と一緒に連れてきてもらいなさい──
今回イジェは、娘達を磐船では運ばないようだ。流石に10時間も空の旅をさせるのは、子供達には早いと思ったのだろうか。それにシュメイやファーヴは、まだ人間の子供達よりも小さい。そのため魔法の家で運ぶ方が安全なのは確かである。
──はい、母さま!──
──シノブさん、よろしくお願いします!──
イジェの思念に、娘のシュメイは元気よく答えた。そして彼女の脇にいるファーヴも、シノブに向かって頭を下げる。
「ああ。それじゃイジェ、気をつけてね!」
──ありがとうございます。では、失礼します──
シノブは、イヴァールを背に乗せたイジェに、快活な笑顔と共に声をかけた。そして短い思念を発したイジェは、静かに宙に舞いあがり、領軍本部へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、シャルロット様やミュリエル様もお連れになっては如何でしょう?」
朝食の席でシノブの話を聞いたシメオンは、南の島の探索にシャルロット達も連れて行ってはどうかと言い出した。
「えっ、シャルロット達を?」
「ええ。ホリィ殿からの情報を聞く限り、向こうに危険は無いようです。それに、先日ブリュニョンを訪問された際は大層楽しまれたと聞いています」
驚くシノブに、シメオンは少し微笑みながら言葉を返した。ミレーユからでも聞いたのであろうか、彼は港湾都市ブリュニョンで海軍の旗艦メレーヌ号に乗ったときのことも把握しているようだ。
それはともかく、シノブとアミィは通信筒を使ってホリィと何度かやり取りしたが、島の中や海岸付近には魔獣はいないらしい。しかし、その周囲の海域は大型の海生魔獣が多数棲んでいるという。
岩竜ガンド達の棲家の近くも、一種の結界が形成されていて魔獣が近づくことはなかった。そのため、ホリィは、島には同じような何かがあると判断したようだ。
「それに、シノブ様はもちろんアミィ殿にホリィ殿、オルムル殿までいるのです。仮に何かあっても充分対応できるでしょう。たまには、家族と共にゆっくりするのも良いのでは?」
シメオンは、忙しいシノブに家族と共に寛ぐことを勧めているようだ。しかし、彼の顔には微かに悪戯っぽい笑みも浮かんでいた。もしかすると、家族サービスをしろ、ということなのかもしれない。
それを察したのか、シャルロットは僅かに顔を綻ばせ、シノブとシメオンの会話を聞いている。
「そうだね。それじゃ、皆で行くか。朝食を食べたらマルタン達と相談して、それからになるけど」
シノブは、午前中にマルタン・ミュレや魔道具技師のハレール老人に会い『無力化の竜杖』の改良を依頼するつもりであった。彼は、ゴドヴィング伯爵達のように強化の魔道具を装着している場合でも、確実に力を削ぐことが出来ないかと考えていたのだ。
「私達も一緒に行けるのですか!」
「私もですか!?」
シノブの言葉に、ミュリエルやミシェルは歓声を上げていた。そんな彼女達の側で、同席していたフレーデリータはどう反応すべきか、戸惑ったような表情を浮かべている。
「シノブ様、私もご一緒して良いですか?」
セレスティーヌは、自分も連れて行ってもらえるのか気になったようだ。彼女は青い瞳に案ずるような色を宿らせながら、シノブの答えを待っている。
「もちろん。一緒に南の島を見に行こう」
シノブは、彼女に対し家族同様に扱うと言ったばかりである。そのため、ここで特別扱いは良くないだろうと思い、同行を了承する。
「ありがとうございます! シャルお姉さま、ミュリエルさん、どんなところか楽しみですね!」
セレスティーヌは安堵の表情で礼を伝える。どうやら、彼女はシャルロットやミュリエルと同じように扱われたのが嬉しいようだ。
一方、シメオンやミュリエルの祖母のアルメルは、シノブと王女の会話を少々驚いたような表情で見つめていた。彼らは、シノブがセレスティーヌに親しげな口調で話しかけたことや、王女として特別扱いをしなかったことから、何かを察したようである。
「お館様、誰を同行させましょうか?」
シノブの側に控えていた家令のジェルヴェが、問いかける。領主の外出であるから、従者を付けるべきだと思ったのだろう。
「そうだね……サディーユ殿やシヴリーヌ殿は当然として、ミシェルやフレーデリータも連れて行こう。それに、ネルンヘルム達従者見習いも。あとは、ジェルヴェとアンナがいれば大丈夫かな」
セレスティーヌの護衛としてシェロノワに残っている白百合騎士隊の二人は当然連れて行く。そして、安全な島であれば、彼女達とアリエルやミレーユがいれば、問題ないはずだ。
そして、ミュリエルの側仕えであるミシェル達に、従者見習いの少年達には身の回りの世話を任せるつもりである。後は、ジェルヴェと侍女のアンナに彼らの監督をしてもらえば充分だろうとシノブは考えたのだ。
「了解しました。ではそのように手配します」
綺麗な会釈と共に返答したジェルヴェは、広間から歩み出て行った。早速、準備をするのだろう。
「シメオンも、仕事が片付いたらおいでよ。魔法の家で転移すれば一瞬だし、良いだろ? それに、イヴァールも夕方頃には到着するはずだし」
ホリィは、向こうは安全な島だと伝えてきた。そして、かなり南にあるため、随分と暖かいらしい。彼女が記した内容から判断すると、日本なら七月に近いくらいの気温のようである。
幸い、向こうは天気も良いらしい。そこで、シノブは、仕事詰めのシメオンにも少しゆっくりしてもらおうと考えたのだ。
「シメオン殿。たまには休暇を取ってください」
同じことを考えたのだろう、アルメルも微笑みながらシノブに賛意を示した。
農務長官であるアルメルは、行政長官であるシメオンの忙しさを良く知っている。そのため、普段休む暇もないシメオンを心配していたようである。
「ですが、エックヌート殿も来たばかりですし」
シメオンは、昨日補佐官となったエックヌートの名を出した。新たな部下が増えたばかりなのに、自分が休むわけにはいかないと思ったのかもしれない。
「シメオン殿、ミレーユのためにも少しは休んでは? 何も一日空けろというのではありません。午前中にエックヌート殿への説明を済ませて、午後からの時間を作るくらいは出来ないでしょうか?」
シャルロットも、シメオンの説得に加わった。彼女も働き過ぎのシメオンを案じていたようだ。それとも、ミレーユとの結婚が近いシメオンに、少しは婚約者と一緒にいるようにと言いたかったのだろうか。
「ですが、それではアリエル殿やマティアス殿に悪いでしょう」
アリエルはマティアスへと嫁ぐことになっている。しかし、マティアスは現在ゴドヴィング伯爵領で指揮官として働いており、離れることは難しい。そのためシメオンは、自分だけ休息を取ることに罪悪感を覚えたのかもしれない。
「シメオン、これは領主命令だ。南方の海域を調査し、そこで得た情報を分析するのも大切な仕事だよ」
なかなか承諾しないシメオンに、シノブは笑顔で宣言した。
領主の名で強要するなど彼の望むところでは無かった。だが、これはシメオンを休ませる方便である。そう思ったシノブは、彼に同行を命じたのだ。
「ありがとうございます。それでは同行致します」
シメオンは僅かに微笑むと頭を下げた。それを聞いたシノブ達は、一様に表情を明るくする。
今日はシメオンにも南の海を楽しんで貰おう。前線の掌握に忙しいマティアスを呼べないのは残念だが、彼には何か別の埋め合わせをしよう。シノブは、そんな思いを胸に抱きつつ、温かな笑みを浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月4日17時の更新となります。
本作の設定集に、11章後半の登場人物の紹介文を追加しました。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。