11.30 シェロノワの邂逅 後編
セレスティーヌとミュリエルからキスを頬に受けたシノブは、赤面しつつもソファーへと戻っていた。サロンには、シャルロット達の他にアリエルやミレーユ、そして侍女達もいた。彼女達の注目を浴びたシノブは、気恥ずかしさを感じていたのだ。
もっともシノブが照れるのも仕方ないだろう。シャルロットやアリエルはともかく、ミレーユや侍女のアンナ達はセレスティーヌ達の積極的な行動に歓声を上げていたからだ。
「シノブ、しばらくはゆっくり出来るのですか?」
アミィの隣に座り直したシノブに、シャルロットは穏やかな笑みと共に問いかけた。従姉妹や妹を眩しそうに見つめていた彼女だが、夫の今後の予定が気になったのか今は僅かに表情を改めている。
ベーリンゲン帝国との対決で、シノブは慌ただしい日々を送っている。そのためシャルロットは、少し休息をと思ったのかもしれない。
「ああ、とりあえずはね。義伯父上達は、次は西の残りの二領を押さえる準備もしているけど、ゴドヴィングの掌握が先だからね。たぶん、次の作戦はミュリエルの誕生日の後になるはずだ」
シノブは、向かいに座っているシャルロット達に今後の予定を説明する。
ゴドヴィング伯爵領にある都市の全て、領都ギレシュタットと北のナムエストに南のサッスハイムは、既に王国軍が掌握している。しかし、それ以外の町村は未だメリエンヌ王国の支配下にはない。現在、王国軍が竜と共に各町村へと赴き、帝国兵や官僚の捕縛、奴隷とされた獣人達の解放を行っている。
人口二十五万人のゴドヴィング伯爵領には、千を超える町村が存在する。そのため、全てを掌握するのは一日二日では無理である。したがって次の作戦の実施は、四日後に迫るミュリエルの誕生日より後になる予定であった。
「バーレンベルク伯爵領とブジェミスル伯爵領ですよね?」
シャルロットの隣にいるミュリエルは、残り二領の名を挙げた。彼女は、帝国の都市についても勉強をしているようだ。
「その通りだよ。次は、その二つを同時に攻略することになると思う」
シノブはミュリエルに頷くと、説明を続けていく。
帝国には、皇帝直轄領の他に十の伯爵領が存在した。メリエンヌ王国に近い方、皇帝直轄領の西に四つ、反対側の東に六つという配置である。現在、メグレンブルク伯爵領は王国の支配下でメグレンブルク軍管区となり、ゴドヴィング伯爵領もほぼ制圧している。したがって、残りの伯爵領は八つである。
西の残り二領は、人口二十万人を超えるメグレンブルクやゴドヴィングとは違い、十万人台前半の小領であり、都市も二つしかない。そのため、先代アシャール公爵ベランジェを始めとする指揮官達は、二領同時の攻略を考えていた。
その後は、七十数万人が住む皇帝直轄領、そして東の六領だ。なお東の伯爵領については、シノブ達も概略しか把握していない。領地の名や都市名、各領の人口が二十万人台から十万人台とまちまちで、東側全体で百万人を若干超えるという情報など、まだ基本的なことしか判明していなかった。
「シノブ様は、それまでシェロノワに滞在されるのですか?」
セレスティーヌは、小首を傾げながらシノブに問いかけた。彼女の豪奢な巻き髪は、窓から差し込む日の光を受けて黄金のように煌めいている。
「そのつもりですよ。トヴィアス殿に頼まれたので、ガルック平原に道を造ったりはしますが……」
元々王国と帝国の国境であったガルック平原は、ここシェロノワよりもかなり標高が高く、今の時期は雪に閉ざされている。そのため、メグレンブルクやゴドヴィングと行き来する方法は、神殿経由の転移か竜達での輸送しかない。
しかし、神殿での転移は、神官達の負担が大きく回数や移送可能な人数も限られる。竜達での輸送は桁違いに多くを運べるが、今のところ輸送用の鉄甲船は四隻しかないし竜だけに依存するわけにもいかない。
そのため陸路の整備も重要だと、シノブは王女に説明をした。
「陸路での輸送が出来るようになれば、商人達も助かりますね。アマテール村では、鉄甲船や木造船を造っていますが、それだけでは足りませんから」
シャルロットが言うように、竜が運ぶ鉄甲船は追加分を建造中であった。それに輸送専用の木造船も用意している。成竜達は今回の作戦前でも十頭である。それに、救出された四頭も加わった。したがって、ドワーフ達は、十隻以上は造るつもりのようである。
「そうだね。空輸は軍が優先されるし、当面は商売には使えないだろうしね」
現在のところ、軍務優先ということもあるが、竜での輸送には別の問題もある。
今までの交易では各伯爵領を通過する際に、領主が商品である荷に関税を課していた。王国内では、旅人には税金はかからないが、商業用途の場合、運ぶ荷の量に応じて税金がかかる。これは、領主達が自領の産物を保護するためである。
しかし、竜が空輸した場合、飛び越えた各領に税金は払われない。そのため、空輸の発達は領主の既得権益を奪うことになる。したがって、現状では軍務や新領地に必要な物資を運ぶ程度で、純粋な意味での商業利用は見送られていた。
「そのことですが、伯爵達の合意を得て、段階的に商業利用を進めることになりました」
「えっ、それは凄いじゃないか!」
シノブは、シャルロットの返答に驚いた。流通の大幅な変更は、関税だけではなく宿場町の運営にも影響する。そのため、そう簡単に進むとは思っていなかったのだ。
「よく伯爵達が同意しましたね」
アミィは目を見開き、頭上の狐耳をピンと立てている。たぶん、シノブと同じように早期の実現は困難だと考えていたのだろう。
「セレスティーヌ様が、纏めて下さったのです」
「えっ、セレスティーヌ様が!?」
微笑みながら隣に座る従姉妹へと顔を向けたシャルロットに続いて、シノブも王女を凝視する。もちろん、アミィもだ。彼女は薄紫色の瞳に驚きの色を浮かべていた。
「シノブ様。その『様』というのは外して頂くわけにはいきませんの? シャルお姉さまもですけど……」
注目を浴びたセレスティーヌは、少し不満げな顔をしていた。どうやら、家族と呼んでくれたシノブや姉と慕うシャルロットに敬称を付けられるのが嫌なようだ。
「……そうだね。私的な場では、シャルロットやミュリエルと同じようにしよう」
シノブは、セレスティーヌの要望を受け入れた。家族だ身内だと言うなら、態度で示すべきであろう。そう思ったのだ。
「ありがとうございます! では……」
輝くような笑みを浮かべたセレスティーヌは、期待を滲ませつつシノブを見つめる。どうやら、シノブに名を呼んでほしいらしい。
「あ、ああ。セレスティーヌ……」
「はい!」
躊躇いつつも呼びかけるシノブに、セレスティーヌは大輪の華が綻ぶような笑顔で言葉を返す。王女として特別扱いされていた彼女は、シャルロットやミュリエルと同じように呼ばれたのが、心底嬉しかったようである。そのせいか、彼女の青い瞳は微かに潤んでいた。
「シャルお姉さまも!」
「仕方ありませんね……セレスティーヌ」
そしてセレスティーヌは、シノブに続きシャルロットにも敬称抜きで自分の名を呼ばせた。元々彼女は、幼い頃はシャルロットから名前のみで呼ばれていたが、成人を迎えたため王女として扱われるようになった。
しかしセレスティーヌは、他人行儀な扱いが不満だったようだ。昔と同様に呼ばれた彼女は、子供に返ったような無邪気な笑みを浮かべている。
「それで、セレスティーヌ……は、どうやって纏めたの?」
「簡単ですわ! 各伯爵の奥方や娘さんに、お願いしたのです!」
セレスティーヌがシノブに説明した内容は、彼にとっては意外な方法であった。
まず、セレスティーヌは伯爵の夫人や娘、あるいは母などに、空輸による利点を説いた。空輸が認められれば、産地が限られる宝石や貴金属、王都の洗練された衣装、南方の香辛料などが簡単に手に入ると言ったのだ。そして、セレスティーヌの目論見通り、女性達は彼女の提案に強い興味を示した。
各伯爵家は王家に娘を嫁がせているし、逆に王家から降嫁した女性も多い。例を挙げると、シャルロットの母カトリーヌは先王の娘だし、セレスティーヌの母オデットはポワズール伯爵の妹だ。そして、そのオデットの妹はラコスト伯爵の妻という具合である。
そこで彼女は、シェロノワや王都に夫人や娘達が集まった時に根回ししていたという。
「もちろん、それだけではありませんわ。それぞれの領地に影響が少なくなるように配慮しました」
セレスティーヌは、説明を続けていく。
彼女は、各伯爵が守りたい産業には充分な関税を掛けることを認めたという。たとえばフライユ伯爵領なら、海が無いため海産物などが自領の産業と競合することは無い。しかし農産物については、無制限に他領のものを受け入れると、領内の産業が廃れてしまう可能性がある。
そこで、保護すべき品目には高率な関税を認めた上で、空輸の費用も当面は従来の陸路より高めに設定することを条件にしたのだ。
「空輸で得たお金は各領の人口に応じて配分します。ですから竜が飛び越える領地も影響が少ないですわ」
「それは凄いね……」
シノブは、セレスティーヌの語る内容に驚きを隠せなかった。
彼は、伯爵達の既得権益や各領の産業に配慮した内容に感心していた。それに、敢えて高い料金設定にしたことで、既存の運輸業にも打撃は少なくなる筈だ。空路では、高い料金でも元が取れる高級品や鮮度が命の食材を運ぶなど、住み分けも出来るかもしれない。
例えば、海から遠く離れたフライユ伯爵領に、鮮度の高い魚介類を馬車で輸送することはできない。塩漬けや干物も高価なため、余裕がある者の嗜好品という位置づけである。それに、香辛料なども長い旅の間に湿気を吸ったり雨に降られたりで傷むこともあるらしい。
それなら多少高額な輸送費を払っても、商品の価値を維持できる分、空輸のほうが得ではなかろうか。
「シノブ様。お役に立てました?」
笑顔のセレスティーヌはシノブの表情を窺っている。どうやら彼女はシノブに褒めてもらいたいようだ。
「ああ、とてもね。ありがとう」
彼女の気持ちを察したシノブは、心からの礼を伝えた。
シノブは、フライユ伯爵領のような内陸の奥まった領地にとっては大きな朗報になるかもしれないと思っていた。自領の魔道具産業の活性化にも繋がるだろうし、将来旅客にも広がれば、観光業だって盛んになるかもしれない。
それにシノブ個人としても、海のないフライユ伯爵領で新鮮な海産物が容易に入手できるようになれば、とても嬉しい。
そんな期待に顔を綻ばせたシノブを、セレスティーヌは彼以上に嬉しげな笑顔で見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……イジェが来たようだ」
その後もサロンで談笑していたシノブは、炎竜イジェの強大な魔力を感知した。
イジェが、自身の子シュメイと岩竜のオルムルとファーヴ、そしてイヴァールをドワーフ達が造った鉄甲船に乗せてシェロノワに飛来したのだ。
なお、イジェ達はシェロノワに来る前に、番のゴルンや救出された四頭の炎竜ジルン達がいるヴォリコ山脈に寄っていた。結果こそ伴わなかったものの、ジルン達は幼いシュメイを捕らえた帝国に憤って動いたのだ。そのためイジェは、一族に娘の無事な姿を見せたかったようである。
「シノブお兄さま、迎えに行きましょう!」
ミュリエルは、早速ソファーから立ち上がっていた。シェロノワには、まだ炎竜が来たことはない。そのため彼女は、イジェ達の姿を早く見たいようだ。
「ああ、そうしよう。ミュリエル、フレーデリータやミシェルに声を掛けたらどうかな?」
シノブは、ミュリエルにフレーデリータ達を誘ってみないかと提案した。
現在、フレーデリータとその家族はとりあえずの場所として用意された客室にいるはずだ。ミシェルも祖母で侍女長のロジーヌとフレーデリータ達の案内をしていたから、一緒にいるだろう。
「はい、そうします!」
「ミュリエル様、私がお呼びします」
笑顔で答えたミュリエルに、侍女のアンナが自分が呼ぶと申し出た。そしてアンナは、足早にサロンから歩み出ていく。
「炎竜を見るのは初めてですね~。それに、鉄甲船も!」
長く伸ばした赤毛を揺らしながら勢いよく立ち上がったミレーユは、青い瞳をキラキラと輝かせている。活動的な彼女のことだから、鉄甲船に乗って空を飛んでみたいのかもしれない。
「シュメイやファーヴも可愛いでしょうね。それに、とても賢いようですし」
アリエルは、幼竜達に興味があるようだ。
炎竜の子シュメイは生後およそ一月半、岩竜の子ファーヴに到ってはまだ二週間にも満たない。しかし、幼竜達は、念話も使いこなすし『アマノ式伝達法』すら修得していた。やはり、竜達の知能は人間よりも遥かに高いのだろう。
そんな会話をしつつ、サロンから出たシノブ達は、エントランスホールに向かう途中でエックヌートやフレーデリータ達と合流した。
「フレーデリータさんやネルンヘルムさんは、炎竜達を見たことがあるのですね?」
ミュリエルは、早速フレーデリータ達に話しかけている。彼女は、シェロノワに来たばかりの二人を案じているようだが、純粋に仲良くなりたいようでもある。
そして、ミュリエルの横ではミシェルもフレーデリータ達を興味深げに見ている。ミシェルは祖父のジェルヴェや祖母のロジーヌと共にエックヌート一家を案内していたが、その間にフレーデリータ達と親しくなったようだ。
「はい、ゴルン殿やイジェ殿、それに長老のアジド殿のお姿を拝見しました」
「シュメイさんとも会ったことがあります。まだ僕より小さいのに、とても賢くて驚きました」
そんなミュリエルの気持ちが通じたのか、フレーデリータは、にっこりと微笑みながら言葉を返した。そして、仲良さげな姉達に釣られたのか弟のネルンヘルムも、会話に加わる。彼は、ミュリエルに炎竜達の特徴を説明しだした。
「どうやら仲良くなれそうだね」
「ご配慮ありがとうございます」
シノブとエックヌートは、楽しげな子供達の様子を目を細めて眺めていた。竜を見ようと気が急いているらしいミュリエル達は打ち解けた様子で語り合いながら、シノブ達の少し先を歩いている。
シノブは、歳の割には落ち着いたところがある気丈な娘フレーデリータについては、あまり心配していなかった。しかし、姉の陰に隠れがちなネルンヘルムがシェロノワに馴染めるかと少しだけ案じていたのだ。
だが、この分なら大丈夫だろう。シノブは、楽しそうに談笑している子供達の様子に安堵しつつ、後を続いていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブよ! 待たせたな!」
イヴァールは、イジェが運んできた鉄甲船から飛び降りると、シノブ達の方に向かって歩んでくる。
全長40m程もある鉄甲船は、フライユ伯爵家の館の前庭にある訓練場に何とか収まっていた。しかも、その脇には炎竜イジェがいるため、訓練場は殆ど塞がっている。
そのため、シノブ達は訓練場の入り口付近で彼を待っているのだ。
「そんなに待ってはいないよ。ヴォリコ山脈はどうだった?」
「あちらにも鉱脈があるぞ。『フジ』で少し調べただけだがな」
シノブの問いに、イヴァールは嬉しげな様子で答えた。火山帯であるヴォリコ山脈は、地下資源も多いようである。
とはいえ山中には魔獣が多いため、今までは北の高地のように手つかずであった。今回はアムテリアから授かった地脈調査の魔道具『フジ』があり、しかも上空を飛行する竜に乗っているから簡単に調査できた。しかし、本来なら近づくことも困難な場所である。
「そうか。当面開発することは無いだろうけど、それでも資源があるのは良いことだね」
現在は、北の高地の開拓だけでも手一杯である。それに、北の高地にも有望な鉱山が沢山あるため、ヴォリコ山脈まで手を延ばす必要もないだろう。
しかし、資源があって困ることは無い。そう思ったシノブも、イヴァール同様に顔を綻ばせていた。
──シノブさん、またお世話になります!──
そして、イヴァールに続いてオルムルが鉄甲船から降りてくる。その背にシュメイとファーヴを乗せた彼女は、僅かに羽ばたきながらシノブの目の前に飛んでくる。
「ああ、シュメイとファーヴの面倒をしっかり見てやってね」
シノブは、オルムルの顔を撫でようと、その手を上げる。
今日のオルムルは、幼竜達を乗せるため本来のサイズである。そのため、地上に降り立った彼女の顔はシノブより僅かに高い位置にある。
「初めまして、イジェ殿」
「ミュリエルです! よろしくお願いします!」
シャルロットとミュリエルは、全長20mにもなるイジェの巨体を見上げつつ挨拶をしている。岩竜と炎竜は、体色以外は殆ど同じである。岩竜が灰色、炎竜が濃い赤だが、体の大きさや形状は良く似ている。そのため、彼女達は恐れることもなくイジェに接していた。
「セレスティーヌです。この度は帝国との戦に助太刀してくださり、大変感謝しております」
──イジェと申します。私達こそ助けられてばかりで恥ずかしい限りです。私やゴルン、それにシュメイを助けてもらったばかりか、同族まで……このご恩、決して忘れません──
イジェは、セレスティーヌの言葉に少々恥ずかしげな思念を返してきた。なお、彼女は思念と同時に鳴き声で『アマノ式伝達法』としても表現しているので、その言葉はシノブやアミィ以外にも伝わっている。
「イヴァールさん、凄いものを作りましたね!」
「千人も乗ることが出来るとか……それに大型弩砲まで……」
鉄甲船を実際に見たミレーユやアリエルは、その大きさや武装に驚いたようだ。
竜が運ぶ巨船は、陸に降ろすことを前提としているため平底であるが、それ以外は海軍の旗艦と何ら変わらない大型艦である。しかも、その内部には多数の大型弩砲が積まれており、地上に下ろした後は一種の要塞として機能する。
軍人である二人は、実物を見てそれらの利点に感じ入ったのだろう。
「うむ。我らの自信作だぞ。空を往き、地に降りては砦となる。海でも問題はない」
女騎士達の称賛に、イヴァールは喜びを隠せないようだ。彼の顔は黒々とした髭に覆われ肌の色も濃いため判別しがたいが、その目は嬉しげに緩み、頬は微かに紅潮しているようである。
「鉄甲船は、次の戦いでも大活躍しますね!」
「それだ! シノブよ! 我らの船に名前を付けてやってくれんか!?」
アミィの言葉に、イヴァールは急に真顔となってシノブを見上げていた。どうやら彼は、鉄甲船という呼び名では不満なようだ。
「別に鉄甲船のままで良いんじゃないか?」
「アマテール村のように、良い名は無いか? その……縁起の良い名前をだな……」
シノブは今のままでも良いと思ったが、イヴァールは違う考えのようだ。エックヌート達もいるからだろう、口を濁してはいるが、どうやらアムテリアや神々に因んだ名が欲しいようである。
イヴァールだけではなく、彼の言葉を聞いた一同もシノブに期待の視線を向けている。
シャルロットやセレスティーヌ、それにシュメイとファーヴの周りに集っていた子供達、それどころか幼竜達までシノブを見つめていたのだ。
「そうだね……空飛ぶ大きな船で、縁起が良いものか……」
シノブの脳裏には、過去に日本が保有していた巨大戦艦の名前が浮かんでいた。確か、その名前を冠したSFアニメもあったはずだ。だが、その名前が縁起が良いかどうかについては、少々疑問がある。
「天磐船……いや、磐船でどうかな?」
結局シノブが口にしたのは、神々が空から降りたときに乗っていたとされる船である。しかし、『アメノ』は自身の姓と音が近いため、少々畏れ多い。したがって、そこを外して『磐船』としてみたのだ。
「『イワフネ』か! 良い名ではないか! で、どんな由来があるのだ!?」
「故郷に伝わる神々が乗って降りた船の名前なんだけど……少し大げさかな?」
笑顔のイヴァールに、シノブは頭を掻きながら説明した。するとイヴァールは、ますます顔を綻ばせる。
「シノブ、良い名だと思います。黒々とした外装は岩のようですし、空を飛ぶ神々の船であれば、縁起も良いです。きっと、乗り込む軍人達も安心するでしょう」
──私もそう思います!──
シャルロットの言葉に、セレスティーヌやミュリエル達も頷いている。それどころかオルムルを始め竜達まで喜びの思念で同意していた。
「それなら良かった。じゃあ、磐船ということで」
「シノブ様、それぞれの船には名前を付けないのですか?」
皆の同意を受けて安堵したシノブに、アミィが小首を傾げながら問いかける。海軍の旗艦は王族の名前を冠していたから、彼女はそれを想起したのだろう。
「そうだな! 何か良い名前は無いか!?」
「そんなに簡単に出てこないよ! そうだな……竜達の名前を付けるとか?」
シノブは、更なる期待を滲ませるイヴァールに、それぞれの船に竜の名前を付けてはどうかと提案した。これなら、幾つも名前を考える必要はないし、磐船は竜の数と同数が造られるのだろうから、ちょうど良いと思ったのだ。
──私達の名を付けて頂けるとは、光栄なことです──
炎竜イジェは、シノブの言葉に嬉しげな思念で賛意を示していた。
過去に国境にある帝国の砦を落としたとき、攻略に携わったガンドやヴルム、ヘッグ達の名を砦の新たな名とした。その際、彼らは非常に喜んでいたようである。どうやら彼女も、ガンド達と同じような感性を持っているようだ。
──シノブさん、私も早く大きくなって、自分の船を持ちたいです!──
オルムルはイジェを見て、羨ましくなったのかもしれない。
まだオルムルは全長3mほどで、巨船を抱えて飛ぶには小さすぎる。そのためだろう、彼女は成竜であるイジェに羨望の視線を向けていた。
「同じくらいの船は当分無理だろうけど、そのうち、小さな船を造ってもらおうか。そうしたら、シュメイやファーヴ、それにミュリエル達を乗せて飛べるだろうし」
シノブはオルムルの懇願に負け、つい甘い言葉を掛けてしまった。そんな彼をシャルロットやアミィは、微笑みながら見つめている。
──シノブさん、私も飛べるようになったらお願いします!──
──僕も!──
更にシュメイとファーヴまで、金色の瞳を輝かせながらシノブに自分の船をと頼み込んだ。
今は人間の子供よりも小さい彼らだが、生後半年になればオルムルと同じくらいの大きさになる。その時を想像したのか、幼竜達の思念からは浮き立つような感情が伝わってくる。
そして幼竜達の周囲には、空飛ぶ自分達の船を想像して頬を紅潮させたミュリエル達がいる。活発な少女であるミシェルは当然として、普段は落ち着きのあるフレーデリータも目を輝かせているし、男の子らしく冒険心を刺激されたようでネルンヘルムもシノブを一心に見つめている。
「ああ、皆で飛ぼうね。人も竜も、皆で仲良くね」
何の屈託もなく微笑む子供達を見て、シノブは頬を緩めていた。
帝国との戦いは、ますます激しくなるだろう。しかし種族を超えて心を等しくしている彼らの姿は、シノブに新たな力を与えてくれたのだ。
炎竜達を救出できたこと、エックヌート達に人族や獣人それにドワーフ達の共存する姿を示せたこと。シノブは、これらが非常に大きな成果だと感じていた。ゴドヴィング伯爵達のように、命を落とした者もいるが、その一方で共栄への道を歩み始めた者達もいる。それはシノブにとって、非常に大きな支えとなっていた。
子供達の笑顔を見つめていたシノブは、東の空へと目を向けた。その遥か向こう、シェロノワからは見えない帝都には、『排斥された神』を奉じる皇帝がいる。彼らの支配から帝国の人々を解き放ちたい。そして帝国の人々に、彼ら自身の目で世界を見てもらいたい。
シノブは子供達の歓声や幼竜達の楽しげな思念を聞きながら、次の戦いへの闘志を高めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年7月2日17時の更新となります。
次回から第12章になります。