11.28 騎士の誓い
「リーベルガウは、だいぶ落ち着いてきましたね」
馬車の窓から外を眺めていたシノブは、向かい側に座るベルレアン伯爵へと笑いかけた。
神殿経由でメグレンブルク軍管区の領都リーベルガウへと移動した彼らは、メグレンブルク総督府、つまり元メグレンブルク伯爵の館に馬車で向かっているのだ。
「ああ、トヴィアス殿も頑張っているからね」
ベルレアン伯爵は、シノブの言葉に頷いた。
トヴィアスとは外務卿フレモン侯爵の嫡男である。彼ら各侯爵家の子弟は、新たにメリエンヌ王国に加わったメグレンブルク軍管区の統治を補助すべく、リーベルガウを始めとする都市で働いている。
彼らや、それを支える官僚が来たことで、メグレンブルクには急速にメリエンヌ王国流の統治が浸透しているようだ。しかも、それらは元からの領民達にも概ね歓迎されているらしい。
「我々獣人達は当然ですが、人族の者も税金が下がったり喜捨が無くなったりで、喜んでいるようです」
シノブの後ろ、従者用の席にいる狼の獣人アルノー・ラヴランが口を挟む。普段は控えめな彼だが、同胞達が自由を得たためだろう、いつになく嬉しげな様子であった。
「街の者達は、帝国の神によほど嫌気が差していたのだろうな」
こちらは、ベルレアン伯爵と並んで座っているイヴァールだ。彼も、アルノーと同じくゴドヴィング伯爵領の攻略に参加していたが、シノブと共に一旦フライユ伯爵領に戻ることにしたのだ。
「こんなに早く受け入れられるとは、意外でしたけど。でも、大神殿にも沢山の人が来ていましたね」
アミィが言うように、大神殿には元からの住民も含め、多くの者が参詣に訪れていた。メグレンブルク軍管区の各神殿は既にアムテリアと彼女の従属神達を祭る場となっているが、住民達もそれを歓迎しているようである。
実は奴隷であった獣人達は、王国と同じくアムテリアやその従属神を信仰していた。彼らは帝国の支配下にあったとき先祖伝来の信仰を隠していたが、密かに教えを受け継いでいたのだ。したがって、獣人達が新たな神殿を歓迎するのは当然である。
「今まで、喜捨という名目で搾り取っていたから、嫌われていたのだろうね」
シノブは、アルバーノやその部下達からの報告を思い出していた。
街の住民達は、表向きは帝国の神を信仰していたが、それは本心からでは無かったようだ。彼らには、重税に加え、神殿への喜捨が課せられていた。名目上は喜捨となっているが、定期的に強制されるそれは、税金と何ら変わりがない。しかも、災害や戦争などの際は、臨時の喜捨が割り当てられたという。
「我々にとっては悪いことばかりではないがね。ゴドヴィングも制度を改めたから、民の反発は少ないと思うよ」
ベルレアン伯爵は、少々皮肉げな笑みを見せていた。帝国の圧政があったから王国の統治が受け入れられたと思えば、素直に喜べないのだろう。
だが、彼が語ったことは事実である。
ゴドヴィング伯爵領の掌握は、東方守護副将軍に就任した先代アシャール公爵ベランジェと先代ベルレアン伯爵アンリが当面受け持つ。ゴドヴィングの中心都市である領都ギレシュタットに残った彼らは、ここメグレンブルクと同様に、早速旧来の制度を廃止していた。
そして、新制度の布告は、やはり領民達に歓迎されているようである。今はギレシュタットの情報収集を担当しているアルバーノは住民達の声も拾っていたが、彼らの殆どは新制度を歓迎しているという。
「シノブ様、到着しました! オルムルさんが出迎えてくれています!」
アミィは、隣にいるシノブの袖を引いていた。シノブが、彼女の指す方向を見ると、庭の一角から飛んでくるオルムルの姿が見える。彼女は、アムテリアから授かった腕輪の力で子猫ほどの大きさに変じているため、馬達も怯えた様子はない。
「オルムル、元気だった?」
──シノブさん、無事で良かったです!──
馬車の窓を開けたシノブに、オルムルは嬉しげな思念を発しながら飛び付いてきた。彼女は、シノブの肩に乗り、自身の顔を擦り付けている。
「あははっ、くすぐったいよ! お留守番、御苦労さま!」
シノブは、甘えてくるオルムルを抱えこみながら魔力を送り込んでいく。オルムルは岩竜ニーズと共にメグレンブルクで幼竜シュメイとファーヴを守っていたから、そのお礼をしようと思ったのだ。
──シノブさんの魔力、温かいです~──
オルムルは、目を細めてシノブの胸に顔を寄せている。彼女にとって、シノブの魔力は非常に良質のエネルギーであり、何よりの御馳走らしい。
「さあ、皆に会いに行きましょう!」
アミィが、馬車の扉を開けて手招きをしている。シノブとオルムルが戯れている間に、馬車は総督府の大扉の前に止まっていたのだ。
「そうだね。オルムル、あんまり甘えていると、シュメイやファーヴに笑われるよ?」
──そ、それは困ります!──
オルムルは、慌ててシノブから離れて自身の翼で飛翔する。シノブ達は、そんな可愛らしい彼女の様子に、思わず微笑みを漏らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「フライユ伯爵、ベルレアン伯爵、作戦の成功、おめでとうございます!」
先触れの使者を出していたため、留守を預かっていたトヴィアスは、総督府の入り口まで出迎えに来ていた。外務卿の息子の彼は、有能な文官である父に似た落ち着いた貴公子である。しかし戦勝のためだろう、トヴィアスは普段と違い琥珀色の瞳を輝かせ、頬も紅潮している。
「ありがとう。炎竜達も無事に解放できたし、ゴドヴィングの様子も落ち着いているよ」
トヴィアスはシノブより二つ三つ年上ではあるが、ほぼ同世代である。そのため、シノブも気安げに話しかける。
「はい、使者の者から聞いております。それに、前線から戻ってきたヨルム殿やイジェ殿からも。さあ、こちらにどうぞ!」
そう言うとトヴィアスは、シノブ達を庭へと案内していく。彼は、シノブ達を竜の下に案内するようだ。
岩竜ニーズは、庭の一角にある修練場に幼竜達が入るための岩屋を拵えていた。岩竜は土属性だけあって、魔力で岩や土を操作することはお手の物らしい。
そして今、その修練場には巨大な成竜達が鎮座していた。オルムルと一緒にメグレンブルクを守っていたニーズと、ゴドヴィングから戻ってきた岩竜ヨルムと炎竜イジェである。彼女達母竜は、預けていた我が子の下に急ぎ戻っていたのだ。
三頭の成竜達は、シノブ達の到着を身じろぎもせずに待っている。
「やあ、シュメイ、ファーヴ!」
シノブは、まずは幼竜達に声をかけた。炎竜の子シュメイと岩竜の子ファーヴは、母親達の前に並んでいたのだ。
──シノブさん、一族を助けて下さり、ありがとうございます──
──皆、無事で良かったです!──
シュメイとファーヴは、まだ飛行は出来ない。そのため、歩いてシノブへと近寄ってくる。シュメイは首を伸ばしてもシノブの腰にも届かず、ファーヴは更にその半分くらいである。それに、まだ赤子というべき彼らの体は丸っこく、歩みも遅い。
「ああ、無事に戻ったよ。二人とも、良い子にしていたかな?」
二頭の歓迎に顔を綻ばせたシノブは、彼らを抱き上げた。シュメイとファーヴを合わせても、まだ人間の大人一人よりも軽いから、身体強化を使わなくても問題ない。
もっとも、こんなことが出来るのも今だけだ。シノブの上を飛び回っているオルムルは、今は腕輪の力で小さくなっているが本当は馬よりも大きく、体重もそれに相応しいものだ。そして、オルムルは生後半年である。つまり、シュメイとファーヴも後何ヶ月かで、人間の何倍もの体重になるのだ。
──はい、ニーズさんやオルムルお姉さまの言う通りにしていました!──
──僕もです!──
二頭は、シノブにとても懐いている。シュメイは自身を救ってもらったこともあり、シノブやアミィに特別な敬意を抱いているらしい。それにファーヴも、オルムルやシュメイが慕うシノブに強い興味を感じているようだ。
「そうか……ところで、皆はいつ帰るの?」
二頭の幼竜の元気の良い返事を聞いたシノブは、彼らに魔力を注ぎながら、目の前の三頭の成竜達に尋ねかけた。炎竜達も無事に救出できたことだし、それぞれの棲家に戻ると考えたのだ。
──それなのですが……暫く子供達を預かって頂けないでしょうか?──
しかし、ニーズはシノブが予想もしない答えを返してきた。彼女は、子供達をシェロノワに連れて行ってほしいという。
「えっ、連れて帰らないのですか!?」
アミィは、子供を非常に大切にする竜達が、一時的にでも我が子と別れると聞き驚いたようだ。
オルムルは、シノブの下に長期滞在したこともあったが、それは、飛翔やブレスも身に付けて自身の身を守れるまでに成長したからだ。しかし、シュメイとファーヴは、まだ飛行どころではない。そのため、アミィは彼女達が子供を預けるとは思っていなかったのだろう。
──私達はそれぞれの狩場を維持しますが、ガンドやヘッグは当分戦いで帰れないでしょう。そのため、子供達を一箇所に集めていた方が安心できるのです──
ヨルムは、自身やニーズは狩場の維持を続けるという。
ヘッグとニーズの狩場はセランネ村などドワーフ達の居住地に近いし、ガンドとヨルムの狩場もアマテール村などに隣接している。しかも、アマテール村は未開地を切り開いたばかりであり、竜達が狩場の維持をやめたら大打撃を受けるだろう。
──我が子はまだ幼いですから、私だけでは不安なのです──
オルムルは自分で身を守れるが、ファーヴはまだ生まれて十日少々である。そのため、ヘッグは子供を置いて狩場の維持や魔獣を狩るために巣から離れるのが心配なようだ。
「……イジェはどうして?」
幼竜達を抱いたシノブは、預かること自体は問題ないと思っていた。
シノブは魔力波動を相手に同調させて送り込むことが出来る。竜達にも不可能なこの技は、幼竜達にとっては普通に魔獣を食べて魔力を吸収するより効率が良いらしい。したがって、彼らの食事には問題がないし、オルムルも世話をしてくれるはずである。
しかし、炎竜イジェは、番のゴルンが狩場にいるはずであり、子供を預ける必要は無いと思ったのだ。
──ゴルンも、ジルン達が回復すれば、戦いに加わるでしょう。それまでは、私もそちらで子育てをしますし、その後は狩場と往復しようと思います──
──皆、一緒の方が楽しいです! シノブさん、お願いします!──
イジェに続いて発言したのはオルムルだ。
数百年の長きを生きる竜達にとって、幼竜同士で交流することは稀である。しかも、飛行も出来ない子供達が集うなど、今まで無かったのであろう。そのため、彼らは別れ難く思ったのかもしれない。
「ああ、そういう事なら問題ないよ。じゃあ、皆一緒にシェロノワに行こうか!」
竜達には様々な支援を受けている。それを考えたら子供を預かるくらいはなんでもない。それに、イジェまで来てくれるなら、安心できる。そう思ったシノブは、朗らかな笑顔と共に返事をしていた。
──ありがとうございます!──
オルムル、シュメイ、ファーヴは、揃って嬉しげな思念を発していた。オルムルはシノブの頭の上に降り、腕に抱かれたシュメイとファーヴは彼の胸に顔を擦りつけて喜びを表している。
「シノブ様、竜の保育士になったみたいですね」
「子守りということか? 確かにそうだな! シノブよ、『竜の親』という名を贈ろうか?」
苦笑気味のアミィの言葉を聞いたイヴァールは、黒々とした髭を扱きながら大笑いしていた。彼だけではなく、ベルレアン伯爵など周囲の者達も温かな視線をシノブに向けている。
「こんな可愛い子供達なら、それも良いけどね! ともかく、話は決まったから中に入ろうか!」
シノブは三頭の子竜に縋りつかれながら微笑んでいる。そして彼は楽しげな表情のまま、館へと歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
「フライユ伯爵、お願いがあるのですが……」
サロンのソファーで寛ぐシノブに、フレモン侯爵の嫡男トヴィアスが改まった表情で切り出した。真面目な性格の彼だが、ここまで真剣な表情も珍しい。
「何かな?」
シノブは、膝に乗せていたオルムルを撫でる手を止め、トヴィアスを注視した。
彼の足元には、大量の魔力を吸収したシュメイとファーヴが丸くなって眠ったままで、何とも緊張感に欠ける光景だが、その表情はトヴィアスに負けないくらいに引き締められている。
「実は、エックヌート殿が、フライユ伯爵領に訪問できないかと言っているのです」
トヴィアスは、元メグレンブルク伯爵エックヌート・フォン・リーベルツァーの名を挙げた。
現在エックヌートや彼の妻子は、この総督府の一角で暮らしている。しかし、彼にはフライユ伯爵領への用事などないはずだ。
「それはまた、どうして? もしかして、ここには居づらいとか?」
シノブには、旧主であったエックヌート達が新たなメグレンブルクに馴染めないのかと考えた。隣に座っているアミィも、同じことを考えたのか、眉を顰めている。
「ある意味、そうですね。エックヌート殿は文官として高い能力を備えていますから、最近は我々の補佐も頼んでいます。しかし、それが逆効果だったようで……彼は、今までの圧政が自身の下で行われていたことを悔いているのです」
トヴィアスは頷くと、詳しい事情を語り出す。
シノブは文官肌のエックヌートなら、先々はメグレンブルクの内政官として活躍できると考えていた。
帝国の神から解放されたエックヌート達は穏やかな人々で、アムテリアを最高神とする教えも素直に学び帰依した。そのためトヴィアス達の下で、内政官としての知識を再習得させることにしたのだ。
エックヌートは元々優秀な内政家であったらしく、トヴィアス達が教えたことをあっという間に吸収し、補佐官のような立場になった。もしかすると長い歳月をかけて身に付けた知識が、どこかに残っていたのかもしれない。
しかし過去の領政を知れば、帝国の神に従っていたときの自分に触れてしまう。エックヌートは苛烈な領主ではなかったようだが、奴隷としていた獣人達に優しかったわけでもない。そのため彼は、自身の過去の行いを激しく後悔しているらしい。
「なるほどね。シノブ、彼らの願いを聞き入れてやってはどうかね?
一度ここを離れて、我々の暮らしを学んでから戻るのも良いだろうし、どうしても戻る気にならないのなら、そのまま他所の内政官にするのも良いだろう。
とりあえずミュリエルの誕生パーティーへの招待という名目で、短期の訪問をさせても良いと思うよ」
ベルレアン伯爵は、彼らをミュリエルの誕生日に招いたらどうかと提案した。
エックヌートやその夫人達は武芸とは縁のない人々だし、娘のフレーデリータはまだ10歳、弟のネルンヘルムなど8歳の少年でしかない。そのためベルレアン伯爵は、彼らに警戒する必要を感じなかったようだ。
「そうですね。もし、ミュリエルと仲良くなれるなら、そのまま友達になってもらうのも良いかもしれませんね」
シノブの言葉に、同席していたイヴァールやアルノーも頷いていた。
ミュリエルはあと数日で10歳になる。同じ年のフレーデリータを側に付け、ネルンヘルムはシノブの近習にするなど、フライユ伯爵領でも彼らの生きる道はありそうだと思ったのだろう。
「それでは、よろしくお願いします。早速呼んでまいりますので」
トヴィアスは、ソファーから立ち上がると、室外に控えていた衛兵に声をかけた。そして彼は、再びベルレアン伯爵の横に腰を下ろす。
「トヴィアス殿、他に何かあるかな?」
「そうですね……急ぎではありませんが、陸路でフライユ伯爵領と結ぶ必要がありますね」
シノブの問いかけに暫く考え込んでいたトヴィアスが挙げたのは、交通についてであった。
現在、元々の王国との行き来は、神殿経由での転移か、竜による輸送に頼っている。従来の国境であるガルック平原は高地であり、この時期は深い雪に閉ざされているから、陸路での輸送は困難なのだ。
しかし、神殿での転移は神官達の能力に依存するため、日に何度も実行できないし、一度に転移可能な人数も少ない。竜達の輸送は、ドワーフ達が作った鉄甲船に乗せれば一度に千人運ぶことも可能だが、いつまでも竜だけに頼っているわけにもいかないだろう。
「そうか。実は、試してみたいことがあったんだ。近いうちに何とかするよ」
トヴィアスの説明を聞いたシノブが、ちょうど良い機会だと思って微笑んでいた。現在、ガルック平原には誰も訪れることは無い。そのため、彼が考えているあることを試すのに絶好の場だと思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……閣下、エックヌート殿と、ご家族をお連れしました」
エックヌート達の部屋は、サロンからさほど遠くもなかった。そのため、シノブ達が相談をしている間に、衛兵は彼らを連れてきたらしい。
「お通ししてくれ」
シノブの命を受けた衛兵は、サロンにエックヌートとその家族を案内した。エックヌート達は急に呼ばれたせいか、どこか落ち着かない表情であった。
「エックヌート殿、久しぶりです」
今は無役とはいえ、相手は元伯爵だ。シノブ達は、ソファーから立ち上がり彼らを出迎えた。そんなシノブの様子を見て、エックヌート達は少し安心したようである。
「……もしや、私達をご領地にお連れ下さるのでしょうか?」
穏やかな笑みを浮かべて着席を勧めたシノブに、エックヌートは、座って早々に尋ねかけていた。
彼だけではなく、両脇の夫人達エマリーネとロスティーネや、子供達も期待を滲ませた表情でシノブを見つめている。どうやら、フライユ伯爵領の訪問は、彼らの総意のようである。
「ええ、そのつもりです。私の婚約者のミュリエルが、もうすぐ10歳の誕生日を迎えます。ちょうどフレーデリータさんと同じ年になることですし、皆さんを彼女の誕生パーティーにお招きしたいと思いまして。
それに、メリエンヌ王国をご紹介する良い機会ですから、暫くご滞在いただいても構いません」
シノブは、エックヌートを安心させようと穏やかな笑みを見せつつ説明した。
彼らがこのままメグレンブルクにいれば、過去の過ちを直視するしかない。もちろん、エックヌートが奴隷制度を作り出したわけでは無いし、統治の方針も『排斥された神』や皇帝により植え付けられた思想によるものだ。しかし、善良であればあるほど、良心の呵責は大きいだろう。
それなら、今すぐ過去に直面させず、暫くはフライユ伯爵領でメリエンヌ王国のことを学んでもらうのも良いのではないだろうか。そして、ゆっくりと心の整理をつけてもらえば良い。シノブは、そう思ったのだ。
「ありがとうございます!」
エックヌートは歓喜の表情で答えると、シノブに深々と頭を下げていた。しかも、喜びを表したのは彼だけではない。夫人達や子供達も、同じように笑顔で礼をしている。
「エックヌート殿、もっと楽にして下さい」
シノブは、エックヌートが以前の領主然とした態度から変わっていることに、今さらながら気がついた。シノブが彼らを『排斥された神』の支配から解き放ったとき、彼は同格の領主へ接するような態度であった。それが、今ではシノブを主君のように敬っている。
もしかすると、支配が解かれたエックヌートは、自身の治世を記録した資料を見て、驚愕したのではなかろうか。もちろん、領政の全てが間違っていたわけではないだろう。しかし獣人達に奴隷とし、民に重税を課した書面に己の名前が記されているのを見せられた彼の苦しみは、如何ばかりであっただろうか。
シノブは、畏まるエックヌートを前に、そんな思いを抱いていた。
「シノブ様、私を貴方の家臣にして頂けないでしょうか?
私は、過去と決別したいのです。いずれこの地に戻りたいとは思っていますが、領主として立つつもりはありません。私は、正しき主君の下で代々の過ちを償いたいのです」
何と、ソファーから立ち上がったエックヌートは、シノブの脇で跪いていた。彼は、本当のシノブの家臣となるつもりのようだ。しかも、彼の家族も同じように跪礼をしている。
「エックヌート殿!」
跪くエックヌート達に驚いたシノブは、オルムルをソファーに降ろしエックヌートの下に歩み寄った。
「私達は、獣人達を不当に差別していました。彼らも同じ言葉を話し、同じように生きているというのに……しかし、シノブ様は違います。獣人も、ドワーフも、そして竜達ですら、貴方の下に集っている」
シノブはエックヌートを立ち上がらせようと手を差し伸べた。しかし彼は、その手を取らず、言葉を続けている。
「私は……いや、私達は種族の違いなど気にしていないのですよ。
私の髪は金色で、貴方の髪は栗色だ。でも、それは表面の違いでしかありません。ドワーフ達が力強い体格なのも、獣人達が獣のような耳や尻尾をもっているのも、髪の色と同じです。竜達だって、そうです」
シノブは、この世界に来て、様々な種族がいることに驚いた。最初は他種族を興味本位で見たこともあった。しかし、すぐに彼らも自分達と何の違いもないことに気がついていた。
それは、竜達に対しても同じである。竜と人間の外見は全く異なる。しかし、互いに意思を伝え、共に歩むことが出来る。シノブは、これまでの体験から、それを実感していたのだ。
熱い思いを込めて語るシノブを、イヴァールやアルノー、そしてアミィは、それぞれ笑顔で見つめていた。イヴァールはシノブの友として誇らしげに、アルノーは戦闘奴隷であった過去を思うように感傷を込めて、アミィはアムテリアの教えに適う言葉に頷きながら、三者三様の輝くような笑みを浮かべている。
──シノブさんの言う通りです! 私達は仲良くできるのです!──
更にオルムルが、強烈な思念と発すると同時に『アマノ式伝達法』で自身の思いを表明した。そして彼女は、シノブの肩へと飛び移る。
──オルムルお姉さま!──
──僕も!──
オルムルの思念で起きたのか、今まで丸まっていたシュメイとファーヴも、シノブの下にヨチヨチと歩み寄る。
「……竜と人でも、仲良くできる……それなのに、どうして私達は獣人達を奴隷にしたのでしょう……」
何と、エックヌートは『アマノ式伝達法』を習得していた。おそらくベルレアン伯爵かトヴィアスから教わったのだろう。彼は、涙を流しながらシノブ達の様子を見つめていた。
「本当ですわね……」
「フレーデリータさんやネルンヘルムと変わりませんね」
二人の夫人エマリーネとロスティーネも、シノブ達が戯れる様子を目を細めて眺めている。そして、彼女達の言葉を聞いた子供達、フレーデリータとネルンヘルムは、頬を染めながらも笑っている。
「シノブ、エックヌート殿を家臣に加えてはどうだろうか? それが、彼らにとって最大の支援になると思うよ」
「シノブ様、どうぞ!」
ベルレアン伯爵は温かな笑みと共にシノブを後押しする。そして、アミィは騎士の叙任式をすべきだと思ったのだろう、魔法のカバンから小剣を取り出した。
「……エックヌート・フォン・リーベルツァー」
「エックヌート・リーベルツァーとお呼びください」
シノブの呼びかけに、エックヌートは自身の名から貴族を表す称号を省いて呼ぶようにと答えた。彼は、シノブの騎士として生きる覚悟を決めたのだろう。
「エックヌート・リーベルツァー。我、シノブ・ド・アマノが、そなたを騎士に任ずる。『騎士となる者よ。大神アムテリア様の教えを守るべし。全ての民を守護すべし』」
叙任の決まり文句を唱えたシノブは、エックヌートの重荷を断ち切るかのように、鞘から抜き放った小剣の平を、彼の両肩に触れさせた。
エックヌート達は、きっと新たな道を歩んでくれる。いや、自分がそれを助けなくてはならない。それが、彼らから記憶を奪った者の務めだろう。残念ながらゴドヴィング伯爵やその一族を救うことは出来なかった。だが、目の前にいるエックヌート達には、未来があるのだ。
シノブは静かな決意を抱きつつ、新たな人生を歩む男が唱える言葉、騎士の宣誓を受け取った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年6月28日17時の更新となります。