11.27 新たな都市の朝
四頭の炎竜を救出したシノブ達は、漆黒の夜空を西に向かっていた。目指すはゴドヴィング伯爵領の領都ギレシュタットである。
ギレシュタットには、ゴドヴィング攻略を指揮する先代アシャール公爵ベランジェやベルレアン伯爵達がいる。そこで、まずは彼らと合流するのだ。
皇帝直轄領の一角、シノブ達が高空での戦いを繰り広げた場所からギレシュタットまで、およそ250kmだ。竜達が全力で飛べば一時間も掛からない距離だが、助け出した炎竜達は衰弱も激しい。そのため竜にしてはゆっくりとした速度で飛翔している。
幸い救出した炎竜ジルン、ニトラ、ザーフ、ファークはシノブから魔力を与えられ、飛行可能な体力を取り戻している。したがってシノブとアミィが乗っている岩竜ガンドの後ろには、八頭の成竜が並んで飛行していた。
中央に救出された四頭が位置し、その周囲を助けに来た残りの四頭、ヴルム、アジド、ヘッグ、ゴルンが護衛するように囲んでいる。しかし助け出されたジルン達にとって、有難いことばかりでもないようだ。
「アジドさん、怒りが収まらないようですね……」
後ろを振り返ったアミィは、長々と説教を続ける炎竜の長老アジドを見て苦笑していた。そう、ジルン達は、周囲を囲む竜達、特に長老達から厳しく糾弾されていたのだ。
彼らは思念で意思を伝達しているため、静かに飛行しているだけに見えるが、実際はそうではなかった。アジドが彼らの軽率な行動を並べ立て、そして岩竜の長老ヴルムも時々厳しい指摘を加える。それに対し、炎竜ゴルンと岩竜ヘッグは殆ど口を挟まないが、彼らも長老達を止める様子はない。
「普通だったら、何の問題も無かったんだろうけどね」
シノブはジルン達に少々同情していた。
既に長老達が説教を始めてから一時間以上経っており、その間に長老達は四頭の炎竜の行動を聞きとっていた。そのためシノブ達も、彼らが帝国に捕らえられた経緯を把握したのだ。
北の島から皇帝直轄領に侵入したジルン達は、都市グーベルデンの北方でヴォルハルトが率いる帝国軍に遭遇した。そして竜達は、大型弩砲や魔道具で攻撃をする帝国軍を蹴散らしつつ、更に南下をした。
しかし、それは帝国軍の罠であった。退却する帝国軍を追っているうちに、竜達は帝都ベーリングラードを中心とする雷撃の範囲内に入ってしまった。そして竜達は雷撃を受けて地に落ち、身動きが出来ないうちに『隷属の首輪』を嵌められてしまったのだ。
──確かに彼らは、あの雷について知らなかった。だが、ゴルンやイジェを捕らえた相手に無策で向かっていったのは事実だ。その軽率さは責められるべきだろう──
ガンドも弁護するつもりは無いようだ。この様子だとジルン達が説教から解放されるには、今しばらくの時間が必要であろう。
「まあね……ところで、ヴォルハルト達が飛べるようになっていたのは驚いたね。それに思念での会話も出来るのも」
シノブは、ジルン達からヴォルハルトやシュタールに話題を転じた。救い出された四頭の炎竜を下手に庇っても、ガンド達は余計に苦々しく感じるだけのようだ。ならば、もっと建設的な話をするべきであろう。
ヴォルハルト達は、竜達のような羽毛のない皮膜で出来た羽を背に生やし、宙を自在に舞ったのだ。
二人は前回の戦いで飛翔などしなかった。それにジルン達も、つい最近まで彼らが飛べることを知らなかったという。どうやらヴォルハルト達は、極めて最近に飛行能力を身に付けたらしい。
しかも二人は、思念での会話も習得していた。戦いの最中、ヴォルハルトはジルンとザーフの名を呼んでいたのだ。不審に思ったシノブがジルン達に尋ねたところ、ヴォルハルトとシュタールが思念での会話を習得したことが明らかになったのだ。これも、ここ数日の出来事らしい。
──あれは本当に人の子なのか? 我らは長い時を生きてきた。だが、あのような存在は見たことがないぞ──
ガンドは、困惑したような思念を発していた。
彼らは、人とは思えぬ異形の巨体となった。その肌は青白く、瞳は血のように赤く光る。しかも腕は足よりも長く伸び、その背も極端な猫背で獣か何かを思わせる体型である。
その上、彼らは常人とは桁違いの魔力を持っている。流石に竜族ほどではないようだが、それにしても人間の限界を超えていることには違いはない。
「おそらく、邪神の力で作り変えたのでしょうね。それに、まだ力を得ている最中なのかもしれません」
アミィの表情は、その外見に似合わぬ険しいものになっていた。およそ10歳程度にしか見えない彼女だが、数百年前からアムテリアに仕えてきた存在である。普段の彼女は優しい狐の獣人の少女としか思えないが、こういうときは、その長い生で培ったものが、自然と現れるようである。
「そうだね。あれで終わりと思わないほうが良いだろうね」
アミィの言葉を聞いたシノブは、改めて気を引き締めていた。
人ならぬ何かに生まれ変わったヴォルハルト達は、その能力を急速に開花させているのだろうか。あるいは、帝都に潜んでいるらしい『排斥された神』が、更なる力を授けたのか。いずれにしても、今後も何かあると警戒すべきだと、シノブは感じたのだ。
──ああ……ところで『光の使い』よ。そろそろ、リント殿やハーシャ殿のいる場所に到着するぞ──
ガンドは、岩竜リントと炎竜ハーシャの名を挙げた。領都ギレシュタットの攻略を支援しているのは、長老の番である彼女達だ。
「ありがとう! あれがギレシュタットだね!」
ガンドの言葉に、シノブは前方を見つめ直した。ガンドの飛翔する先には、都市のものと思われる灯火が存在している。シノブは眼下の灯りを見下ろしながら、そこで待つベランジェ達の顔を思い浮かべて思わず頬を緩ませていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ君、アミィ君、お疲れさま! ガンドもお疲れ!」
まだ日も昇らないゴドヴィング伯爵の館の庭でシノブ達を出迎えたのは、先代アシャール公爵にして東方守護副将軍のベランジェ・ド・ルクレールである。その背後には、ベルレアン伯爵コルネーユに、その父アンリもいる。
「義伯父上、こちらも順調なようですね!」
庭に舞い降りたガンドの背から、シノブとアミィは飛び降りた。
ちなみに、残りの竜達は館のすぐ近くにある領軍本部の訓練場へと降りている。いくら伯爵邸の庭とはいえど、九頭もの竜が降りる空地など存在しないからだ。領主達が武術の訓練をするためだろう、庭には修練場らしき空地も存在するが、流石に全長20mにもなる成竜が十頭近く滞在するには無理がある。
「ああ……まあ、おおむね順調だったよ」
「存外、抵抗が激しくてな。流石はゴドヴィング伯爵家というべきだな」
苦笑いをするベランジェに続いたのは、先代ベルレアン伯爵アンリである。右手に槍を握ったままの彼は、白い髭に包まれた顔を微かに顰めているようだ。
「もしかして、死傷者が多かったのですか?」
アミィは、表情を曇らせながらアンリを見上げている。そして、彼女の心境を表すかのように、背後の尻尾も不安げに揺れていた。
「ああ、こちらの損害はそれほどでもないよ。だが、ゴドヴィング伯爵家の方がね……伯爵と嫡男は私達と戦って斃れ、その間に一族も自死したのだよ」
父親同様に槍を手にしたままのベルレアン伯爵が、アミィに答えた。アミィを安心させるためだろう、彼は優しい笑みを浮かべているが、その顔にはどこか普段と違う翳りも同居していた。
「それは……」
「詳しいことは中で話そうよ! シノブ君も疲れただろう!?」
思わず絶句したシノブに、ベランジェは明るい笑みと共に歩み寄り、館へと押しやっていく。よく見ると、ベランジェの服にも僅かな返り血が飛び散っている。シノブは、そんなベランジェの様子に驚きつつも、誘う彼に続いて館へと歩んでいった。
領都ギレシュタットは、人口二万九千人の大都市である。そしてギレシュタットを守る守護隊は八百名であり、メグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウより百名多い。
とはいえ、その程度の差など攻略部隊にとっては何でもない。今回ギレシュタット攻略部隊は、岩竜リントと炎竜ハーシャが運ぶ、ドワーフ達が作った鉄甲で覆われた巨大な船に乗ってきた。そして、この船は一隻あたり千人近く運ぶことができる。要するに、敵の倍以上の数で攻め寄せたのだ。
本来、堅牢な都市の攻略は二千名程度では無理がある。しかし、上空から都市の中に降り立つ彼らには、城壁など関係ない上に、それを運ぶのは強力なブレスとそれを防ぐ魔力障壁を持つ竜である。都市には大型弩砲なども存在するが、それらが通じる相手ではない。
そのため都市への侵入自体はメグレンブルク攻略の時と同様に、あっさり成功していた。しかし、そこからが違ったのだ。
「……ゴドヴィング伯爵家は武に優れた家系のようだね。そのためか、軍人だけではなく、内政官や館の内向きの者も抵抗が激しくてね」
ゴドヴィング伯爵の館のサロンに落ち着いたシノブとアミィに、ベルレアン伯爵は都市攻略の様子を説明していく。
前回と同様に、竜達は降下の直前に『無力化の竜杖』を使っていた。ゴドヴィング伯爵やその家臣は、『無力化の竜杖』によって体力を奪われ、普段通りの力を発揮できなかったはずである。だが彼らは、王国兵に最後まで激しく立ち向かったのだ。
今回、ギレシュタットの中枢部をベルレアン伯爵達が、そして外周部をイヴァールやアルノーを含む部隊が攻略した。外周区は、守護隊の兵士以外は普通の住民だけであり、その分戦いも早めに終わったという。だが、中央区には、軍人や家臣の住居がある。そして、そこに住む者達も激しく抵抗したという。
「ゴドヴィング伯爵は、ベルノルトの兄でヴォルハルトの父ですね」
シノブは、つい先ほどまで戦っていた相手である大将軍ヴォルハルトや、その前任者であるベルノルトの顔を思い浮かべていた。
「ああ、それにシュタールやヴェンドゥルという将軍も、この地の生まれだ」
ベルレアン伯爵が言うように、シュタールや今は亡きヴェンドゥルは、ゴドヴィング伯爵領の出身である。彼らは、ヴォルハルトの子飼いの将であり、分家筋や家臣であったのだ。
「儂が倒した将軍もギレスベルガーという家名であった」
アンリが言う将軍とは、二十年前の帝国との戦いで討ち取った将のことだ。彼は、投槍で敵陣奥深くの将軍を討ち取り『雷槍伯』の名を得た。そして、ゴドヴィング伯爵の名はエルムート・フォン・ギレスベルガーである。おそらく、アンリが倒した将軍は、現伯爵の親族なのだろう。
「それだけ将軍を輩出するのには、何か理由があるのでしょうか?」
アミィは、小首を傾げながら呟いていた。
彼らが知っているだけでも、将軍以上を五人も出した土地だ。単なる偶然というわけではないと思ったのだろう。
「ゴドヴィングはメグレンブルクより帝都に近い。だから、邪神の支配も強いのではないかな?」
「その可能性はありますね。本来なら、前線であるメグレンブルクに強い武人が集まりそうな気もしますが、あちらは帝都から遠いですから」
ベルレアン伯爵の言葉に、シノブは憂いを含んだ顔で答えていた。
『排斥された神』の支配は、帝都ベーリングラードに長期間いた者ほど強くなるらしい。ならば、皇帝直轄領に隣接したこの地の方が、帝都に行く回数や滞在期間が長い分、強固な支配を受けていたはずだ。それなら、メグレンブルクよりこちらの反抗が激しかったことも納得がいく。
「ゴドヴィング伯爵達はメグレンブルクで何が起きたか知っていたようだ。彼らは、自身が信じる神に殉じたのだろうね」
シノブと同様に深刻な表情をしたベルレアン伯爵は、自身の推測を述べた。
ゴドヴィング伯爵や、その重臣達は最後まで激しく戦い散っていった。どうやら、彼らは王国軍に捕まったら『排斥された神』の支配から解放されることを知っていたようだ。おそらく、メグレンブルクから逃れた者からでも聞いたのだろう。
しかも、高位の者達の多くは体力強化のための魔道具を装着しており、『無力化の竜杖』の影響も少なかったらしい。そのため、一般兵とは違って戦闘力を充分残していたようである。
「しかし、そうなると残り二つの伯爵領も、激しい抵抗が予想されますね」
確かに、自身の記憶や信仰を失うというのは、衝撃的な出来事であろう。シノブからすれば人々に不当な支配を強要する帝国の神も、その支配下にある者からすれば己が信じる唯一神である。それに、長年の記憶を失うことは、誰にとっても避けたい出来事だ。
「そうですね。バーレンベルクとブジェミスルですか……」
アミィが挙げたのは、皇帝直轄領の西にある伯爵領の名だ。
ゴドヴィング伯爵領から見て北東のバーレンベルク伯爵領と、南東のブジェミスル伯爵領には、皇帝直轄領に繋がる街道しか存在しない。そのため、そのまま放置しても帝都への進軍に影響しないかもしれない。
しかし、領境の山地を越えてゴドヴィング伯爵領に雪崩れ込む可能性も否定は出来ない。したがってシノブ達は、皇帝直轄領に進む前に、それら二領の攻略も行うべきだと考えていたのだ。
「ゴドヴィングよりは小領のようだから、制圧も楽だろう。ここが落ち着き次第、軍を進めるぞ」
先代ベルレアン伯爵アンリは、シノブやアミィとは違って楽観的な口調である。
人口二十五万人のゴドヴィングに対し、バーレンベルクは十四万人、ブジェミスルは十万人であり、都市もそれぞれ二つしか存在しない。したがって、アンリは二領への進攻に不安を抱いていないようだ。
そもそも、戦である以上、決死の覚悟で立ち向かってきて当然である。経験豊富な武人であるアンリは、そう割り切っているのかもしれない。
「ふわぁ~、いや、失礼!
その辺りはおいおい検討するよ! シノブ君のところのアルバーノに、早速探りに行ってもらったから、とりあえずはその結果待ちだね!」
ベランジェは、大きな欠伸をした後に、手を振りながらシノブ達に笑いかけた。
まだ制圧も終わったばかりだというのに素早い措置だが、メグレンブルクとは違い激しい抵抗があった分、制圧後の情報収集は急務だと考えたようだ。
「この次の戦いもありますからね。早いほうが良いでしょう。ところで、私達がすべきことはありますか?
各神殿に新たな神像を造ったり、強力な支配を受けた者を解放したり、色々あると思いますが」
「それだよ! 神殿からの移動が出来るようになったら大助かりだよ! 邪神の支配のほうは、竜の皆さんにお願いしても良いんだけど、神像はシノブ君とアミィ君に頼むしかないからね!」
シノブの問いかけに、ベランジェはソファーから立ち上がって勢いよく叫んでいた。
メグレンブルクで、シノブ達は『排斥された神』の神像をアムテリア達の神像に作り変えた。するとアムテリアは、それらの神像を使って各地の神殿に転移できるようにしたのだ。
そのため、今ではメリエンヌ王国の主要都市とメグレンブルクの三つの都市は、様々な制限はあるものの一瞬にして行き来できるようになっていた。
「わかりました。それでは早速取り掛かります」
まだ、夜も明けていないが、早めにやったほうが良いだろう。新たに得た土地を安定させるには、王国の各地やメグレンブルクから多くの人材を連れて来なくてはならない。
「それでは、私が案内しよう」
「お願いします」
シノブは、案内役を申し出たベルレアン伯爵に礼を言うとソファーから立ち上がった。もちろん、アミィも同様だ。
「最初はここの大神殿からですね」
アミィが言うように、まずはギレシュタットの中央区にある大神殿の神像を作り変える。そして、北のナムエスト、南のサッスハイムの二つの都市にある神殿にも行かなくてはならない。そのため、三人は急ぎ足でサロンの入口へと歩いていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブとアミィは、領都ギレシュタットを含む三つの都市の神殿に赴いた。そして彼らは、帝国の神を模した稲妻と槍のようなものを握った像を、アムテリアとその従属神達の像へと作り変え、生き残った者達を神々の御紋の光を浴びせ解放していった。
各神殿には神官達、そして軍の本部には捕縛された軍人や内政官が集められている。彼らは帝国の神に強く支配されているが、今回は光の大剣による魔力増幅を併用したため、解放にさほど時間は掛からなかった。
御紋の光には『排斥された神』の支配から解き放つ効果があるが、その有効範囲はあまり広くない。だが、魔力増幅を併用すれば、その場にいる者全ての支配を一度に解くことが出来たのだ。
そして今、シノブとアミィはギレシュタットの中央区にある領軍本部を訪れていた。短時間で各都市を巡った彼らだが、救出した炎竜達の様子も気にかかる。そこでシノブ達は、竜達がいる領軍本部の訓練場を訪問したわけだ。
「……もう、良いんじゃないかな」
シノブは、少々戸惑い気味の呟きを漏らしていた。
朝日に照らされる訓練場に、救い出した四頭の炎竜ジルン、ニトラ、ザーフ、ファークが地に伏せている。しかも彼らは、頭も地に着けている。これは、竜が最大の感謝を示すときの姿勢であった。
実は、ギレシュタットに到着したときも、全ての竜達が同じ姿勢を取ってシノブとアミィに感謝の意を示していた。そのため、シノブとしてはもう謝罪は良いと思ったのだ。
──そうはいかん。愚かな行動をとった我らを救い出してくれたこと、本当に感謝している。この恩は必ず返す──
──邪神の配下となった私達は、そのまま倒されても仕方ありませんでした。それを再び仲間の下に戻してくれたのです。我らの命は、貴方のものです──
恥ずかしげなシノブに、ジルンとニトラが真摯な思念を返してくる。彼らは、本気で命を捧げるつもりらしく、その決意は思念からもひしひしと感じられる。
──とりあえずはゴルンの狩場に行くが、体が治り次第、直ぐに戻ってくる。我らもそなた達と共に戦うぞ──
──本当にありがとうございました──
今度は、ザーフとファークである。彼らは、同族である炎竜ゴルンのところに一旦身を寄せることになっていた。
「ああ、その時は頼むよ。ゴルンはもうヴォリコ山脈に旅立つんだね?」
シノブは、脇に控えていたゴルンへと視線を向けた。流石に彼は平伏しておらず、普段通りに身を起こしている。
──ああ。早い方が良いからな。我の棲家の近くは、火の力が濃い場所だから、療養にはちょうど良いだろう──
ゴルンは、ヴォルハルト達に捕らえられ『隷属の首輪』に縛られていた過去を持つ。そのため、今の彼らの状態を良く理解しているようだ。彼は、なるべく早くジルン達を安全な場所に連れて行き、そこで回復に専念させるつもりらしい。
既に他の竜達も行動を起こしている。
ギレシュタットにはリント、ハーシャ、ヘッグの三頭が残り、北の都市ナムエストには岩竜の長老ヴルム、南の都市サッスハイムには炎竜の長老アジドが赴いていた。皇帝直轄領との境を偵察しに行っているガンドと合わせて、現在六頭もの竜がゴドヴィング伯爵領に駐留しているのだ。
一方、子育て中の岩竜ヨルムや炎竜イジェは、我が子がいるメグレンブルク軍管区のリーベルガウへと戻っていた。彼女達とリーベルガウで待機していた岩竜ニーズを合わせてメグレンブルクには三頭の成竜が集まっている。
したがってシノブ達は、ゴルンと四頭の炎竜が退いても、帝国への備えは充分だと判断していた。
「そうか……それじゃ、ゆっくり体を治してね! 温泉に浸かるのも良いんじゃないかな!」
「そうですね! 充分休んで下さいね!」
シノブは巨竜が温泉に入る様子を想像して、思わず顔を綻ばせた。同じことを考えたのか、隣のアミィもニコニコと微笑んでいる。
ゴルンが棲んでいるヴォリコ山脈は、フライユ伯爵領の南東にある火山性の山脈だ。噴火する危険は低いようだがマグマがかなり溜まっているのか、火属性である炎竜達にとって絶好の場所らしい。しかも自然に湧いている温泉などもあり、シノブとしても一度は訪問してみたい場所であった。
──ふむ。それも良いかもしれんな……『光の使い』に『光の従者』よ、本当に世話になった!
そなた達は、我とイジェ、そしてシュメイも助けてくれた。全ての炎竜は、そなた達に永遠の忠誠を誓うぞ!──
「……少し大げさだよ。でも、とにかく体を大切にしてね」
シノブはゴルンの思念に頬を染めながらも、身を起こしたジルン達へと今一度念を押していた。彼らも名誉挽回の機会が欲しいようだが、まずは体調を万全にしてほしい。彼は、そう思ったのだ。
「シュメイ達のところに寄り道してはいけませんよ?」
アミィは、彼らが新たに一族に加わった幼竜シュメイを見に行くのではと案じたようだ。メグレンブルクは既に王国の支配下にあり、危険もない。だが、今のジルン達は、飛行だけで精一杯らしい。そのため、彼女は念を押したようである。
──我らが幼子を見ることが出来ないのは非常に残念だが、致し方ない。我らの独断専行で迷惑を掛けたばかりだからな。『光の従者』よ。そなたの命に従うぞ──
なんと、ザーフは再び地に伏せてアミィに答えていた。しかも、残り三頭も同様である。
「め、命令だなんて! でも、体は直ぐに良くなります。ですから、何日もしないうちにシュメイ達と会えますよ!」
神妙な様子の炎竜達に、アミィは慌てたように手を振って答えていた。シノブは、巨大な竜達が少女のような外見のアミィに平伏している光景に、おかしさを隠せなかったが、何とかそれを堪えていた。
「ともかく、まずはゴルンの狩場で養生してね」
──ああ! それでは皆、我が狩場へと案内しよう!──
ゴルンは、憂いの無い朗らかな思念を放つと、その身を宙に躍らせた。そして、四頭の炎竜達も再び身を起こし、それに続いていく。
「……アミィ、俺達も戻ろうか」
五頭の炎竜達の姿が西の空に消え去るまで見送っていたシノブは、アミィに優しく微笑みかけた。そして彼は、アミィのオレンジがかった明るい茶色の髪を、そっと撫でる。
「はい、シノブ様……」
アミィは、頭上の狐耳に触れるシノブの手の感触に身を委ねるかのように目を瞑り、うっすらと頬を染めていた。彼女の背後では、フサフサした尻尾も嬉しげに揺れている。
「炎竜達はこれで大丈夫だし、ゴドヴィング攻略も予定通り進んでいる……ちょっと抵抗は激しかったみたいだけど。あとは、どうやって帝都に行くか、だね」
「シノブ様、何かお考えはあるのですか?」
歩き出したシノブを、アミィは見上げながら尋ねかけていた。降り注ぐ雷撃を防ぎながら、100km以上を飛翔するのは、神具で守られたシノブにとっても簡単ではないと思ったのだろう。
「……幾つかアイディアがあるんだ。少し試してみないといけないけどね」
「す、凄いです! どんな方法なのですか?」
シノブは、横に並んで歩くアミィに自信ありげに微笑んでみせた。アミィは、そんな彼の様子に驚きつつも、期待に顔を輝かせている。
「まあ、まずは試験してからだね。それを見ればわかると思うよ。さあ、行こう!」
少し早まったかと思ったシノブは、その内容を暫くは伏せることにした。彼が思いついた内容は、それだけ荒唐無稽なものであったからだ。
とはいえ、もしそれが実現できるなら、帝都侵入計画は大きく前進する。その期待が顔に現れたのだろう、シノブはいつの間にか満面の笑みを湛えていた。そして、彼の表情を見たアミィも同じように顔を綻ばせている。薄紫色の瞳をキラキラと輝かせた彼女は、足取りも軽い。
二人を祝福するかのように、朝日は眩しく、澄んだ風も清々しい。シノブとアミィは、心地よい朝の空気を楽しみながら、ベルレアン伯爵達が待つゴドヴィング伯爵の館へと向かって歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年6月26日17時の更新となります。