11.16 シェロノワの一日 後編
──シノブ様、ただいま戻りました……お昼、まだだったのですか?──
昼もだいぶ回った頃、シノブの居室へと戻ってきた金鵄族のホリィは、鎧掛けに止まると疑問混じりの思念を発していた。なぜなら、ソファーに腰掛けたシノブの前に大量の料理が並んでいたからだ。
なお、彼の向かい側にはシャルロットとミュリエルが座っているが食事をしている風ではない。そして、室内には他にアミィとミシェルが立っているだけである。
「お昼は食べたんだけどね。これは、皆が作ってくれたんだ」
シノブの前には、カレーに煮物、茄子料理に魚料理、そしてご飯に味噌汁と、様々なものが並んでいる。それぞれの量は少な目だが、軽く一食分以上はあるだろう。
──ああ、皆さんの手料理ですか。シノブ様、愛されていますね──
ホリィの冷やかし気味の感嘆に、シノブが食べる様子を見守っていた四人の女性達は顔を赤くしていた。なぜならホリィは鳴き声による『アマノ式伝達法』でも思念と同じ内容を伝えていたのだ。
──ミシェルちゃんもですか!? 流石ですね!──
ホリィは、ミシェルまで料理を作ったとは思っていなかったようだ。なにしろミシェルはまだ6歳である。
とはいえ、彼女は祖父である家令のジェルヴェから『アマノ式伝達法』を教わるくらい賢い少女だ。そのため、ホリィは一瞬驚きはしたものの、すぐに納得していた。
「アミィお姉ちゃんと一緒にご飯とお味噌汁を作ったの!」
ミシェルは同じ狐の獣人のアミィを姉のように慕っている。それ故、久々に戻ってきたアミィと一緒に料理を作りたかったのだろう。
──そうですか! 凄いですね!──
「ありがとう、ホリィさん!」
ホリィの称賛に、ミシェルは薄い緑の瞳をキラキラと輝かせていた。彼女は、頭上の狐耳をピンと立て、背後の尻尾も大きく揺れている。
「ミシェルちゃんは、まだ小さいのに身体強化も習得したんですよ!」
アミィは、身体強化を使ったミシェルは大人以上に速く走ることも出来るという。どうやら、彼女はアミィから教わった魔力操作法を実践している間に、自然と会得したらしい。
「ふう……シャルロット、カレーと煮物、美味しかったよ。ミュリエルも茄子の炒め物と焼き魚、上手に出来ていたよ。これならお店にも出せるね。アミィとミシェルちゃんが作ったご飯とお味噌汁も、俺好みの味だったよ。ありがとう」
ミシェル達が話す間も、黙々と料理を食べていたシノブは、ようやく全ての皿を空にしていた。シノブは、少々食べ過ぎだとは思っていたが、それを顔に出さないように注意しながら、にっこりと微笑んだ。
「シノブ……嬉しいです」
「私もです!」
シノブの言葉を聞いたシャルロットとミュリエルは、それぞれ歓喜に顔を綻ばせている。料理を始めて間もないシャルロットは少し安堵したような、ミュリエルは曇りの無い輝くような笑顔だ。
「シノブさま、私も良いお嫁さんになれますか?」
ミシェルも期待に瞳を輝かせながら、シノブに尋ねる。まだ6歳の彼女だが、お嫁さんという言葉には惹かれるものがあるらしい。
「ああ、なれるよ」
「ミシェルちゃん、良かったですね!」
シノブは手を伸ばし、ミシェルの頭を優しく撫でながら微笑んだ。そして満面の笑みとなったミシェルを、隣に立つアミィが温かく祝福をする。
まだ6歳のミシェルだが、様々な才能を秘めているようだ。今は幼い彼女だが、きっとミュリエルを支える一人になるだろう。喜びを全身で表す少女を、シノブは明るい予感と共に見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ところでホリィ、ヴォリコ山脈はどうだった?」
食事を終えて一息ついたシノブは、ヴォリコ山脈が炎竜達の棲家に相応しいかをホリィに尋ねた。
現在、岩竜ガンド達の狩場にいるゴルンとイジェ、その子供のシュメイは炎竜だから、火属性の強い土地を見つける必要がある。そこで、ホリィが火山性だというヴォリコ山脈の様子を見に行ったのだ。
──ゴルンさんの希望する条件を満たしているので、問題ないと思います。温泉などが自然に湧いていましたし、山頂の方には硫黄などを含む岩も多かったですね。なお、噴火の危険は少ないと思います──
ホリィは、ヴォリコ山脈をかなり広範囲に見て回ったようだが、その中に炎竜達の希望を満たす場所があると伝えた。
炎竜達は、火属性といっても火山の熱から魔力を得るだけであり、火の中に棲むわけではない。それに、幼竜は魔獣を食べるため、生き物がいないような場所でも困る。したがって、ホリィが言うような条件の方が望ましいようだ。
「そうか! これでゴルン達も落ち着けるな!」
「良いところが見つかりましたね! それでホリィ、ゴルンさん達にはもう伝えたのですか?」
ガンド達の狩場は火の力が弱いらしい。地下を掘れば場所によっては温泉も湧き出るが、その程度では炎竜達が魔力を吸収するには効率が悪いようだ。
そのため、シノブとアミィはゴルン達に向いた場所が見つかったとの報告に、強い喜びを感じていた。
──ええ、こちらに戻る途中で伝えました。もう少ししたら、一緒にヴォリコ山脈に行ってきます。明日は王都ですから、今日中にヴォリコ山脈へと案内します──
「ゴルン殿は、こちらには来るのですか?」
実は、炎竜達はまだシェロノワへと来たことはない。それ故シャルロットは、興味深げな様子である。
──いえ、今回は寄らないみたいです。ヴォリコ山脈をゆっくり確認したいようですね──
ゴルンは、近くまで来たらホリィに連絡を入れるらしい。ガンドの狩場からヴォリコ山脈に行く場合、シェロノワの近くを通るはずだが、時間を節約するために上空で合流するようである。
「それは残念ですね……」
ホリィの答えに、ミュリエルは少し残念そうな表情となった。彼女も炎竜を見たかったのだろう。
「アミィお姉ちゃん、炎竜も岩竜のように大きいの?」
ミシェルは、食器を下げながらアミィに小声で尋ねていた。しかし、その表情は好奇心に満ちており、シャルロット達と同様に強い興味を抱いているようである。
「ええ、同じくらいですよ。でも、岩竜とは違って真っ赤な竜です」
ミシェルと並んでワゴンへと食器を移しているアミィは、彼女に炎竜達の様子を噛み砕いて説明していた。炎竜が岩竜と同様に空を飛べること、炎のブレスを吐くことなどを、アミィは隣で聞き入る少女へと教えていく。
「ところでホリィ、炎竜の長老は、戻ってきたのかな?」
シノブは北の島へと戻っていった炎竜の長老について、ホリィに尋ねた。
炎竜の長老アジドは、三日前にガンドの狩場を旅立ち、本来の棲家である北の島へと帰っていった。彼の一族である他の炎竜に帝国の情報を伝えに行ったのだ。
──まだのようですね。少なくともゴルンさん達は知らないそうです。ガンドさんの狩場から彼らの故郷まではとても距離があるようですから、思念が届かないみたいです──
炎竜の長老がいつ帰還するか、ホリィも気になっていたらしい。彼女はゴルンに訊いてみたが、残念ながらゴルンやイジェも知らないようである。
「そうか……まだ向こうに着いて二日くらいか」
シノブは、以前ガンドから聞いたことを思い出していた。
このあたりからだと北の島まで一日はかかると、ガンドは言っていた。したがって北の島で一日以上過ごしたなら、まだ帰還しなくても当然ではある。
「海竜のこととか、尋ねたいんだけどな」
岩竜達は広範囲を移動しないらしく、海竜の居場所について詳しくなかった。彼らが狩場とするのは今までヴォーリ連合国の南部の山地だけで、他の場所に行くことが少なかったようである。
しかし炎竜は火山の活動状況に応じて幾つかの場所を使い分けていたため、岩竜よりは広い範囲を訪れているようだ。そのためシノブは、炎竜の長老なら海竜の棲家について何らかの知識があるのではと期待していたのだ。
「海竜ですか……岩竜や炎竜とは随分姿が違うようですね」
「海に行くことが出来るなんて、思ってもいませんでした!」
シャルロットとミュリエルは、まだ見ぬ海を思い浮かべたらしい。
ここフライユ伯爵領もそうだが、彼女達が育ったベルレアン伯爵領も海に面していない。そのため二人は、どんなところかと思いを巡らせているようである。
そんな和やかな一時を過ごすシノブ達だが、どうも誰かが訪れたらしい。居室の扉が遠慮がちにノックされたのだ。
片づけを中断したアミィが扉を開けると、そこには緊張した様子のジェルヴェがいる。
「お館様、お寛ぎのところ申し訳ありません。大神官テランス・ダンクール様がお見えになりました」
「えっ! 大神官殿は、聖地からここまで旅をして来たの?」
シノブは、ジェルヴェの言葉に驚きを隠せなかった。大神官がいる聖地サン・ラシェーヌからシェロノワまでは、およそ800kmはある。通常の馬車で旅をした場合、十日はかかる距離である。魔法の家を持つシノブ達ならともかく、そう簡単に行き来できる距離ではない。
「それが……シェロノワの大神殿から連絡がありまして。今、こちらに向かっているそうです」
シノブに答えるジェルヴェも、困惑した様子である。そのためか、彼の銀色の狐耳も、僅かに伏せ気味であった。
「わかった。ともかく迎賓の間に行こう、そちらにお通しした方が良いだろう?」
疑問はあるが、それは直接聞けばよい。そう思ったシノブは、場所を移すために席を立った。大神官は国王も敬う特別な存在だ。そのため、私室ではなく公的な場で出迎えるべきだと思ったのだ。
「かしこまりました。
アミィ様、後は他の侍女達が片付けます。ロザリー、ここは頼みますよ」
シノブの指示を受けたジェルヴェは、背後に控えていた侍女のロザリーに後を任せると、シノブ達と共に歩み始める。大神殿は領主の館の隣であるから、間もなく到着するのだろう。
「ロザリーおばさん、私も手伝う!」
「ええ、お願いね」
ミシェルは、ここに残って後片付けをするようだ。彼女は、アンナの母である狼の獣人ロザリー達と、ワゴンに乗せた食器を居室に備え付けられたキッチンへと運んでいく。
「ホリィは休んでいてくれ。探索で疲れただろう?」
──ありがとうございます。それではゴルンさんから連絡が来るまで少し休みます──
シノブの言葉に、ホリィは嬉しげな様子で答えた。いくら飛翔が得意な彼女とはいえ、短時間で山脈の各所を調べるのは大変だったのだろう。彼女は鎧掛けの上で羽を繕いだした。
そんなホリィの頭を一撫でしたシノブは、シャルロット達と共に足早に室外へと歩み出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブとアミィ、それにシャルロットとミュリエルは、急ぎ迎賓の間に移動した。
大神官テランス・ダンクールの来訪は唐突な上、用件も不明だ。そのため、他にはジェルヴェを同席させたのみの少人数で、大神官達の到着を待っている。
彼らが待つ迎賓の間は、今は大テーブルも片づけられ広々としている。そのため、シノブ達は正面奥の絵画を背にしたまま佇んでいた。
そして、程なく大勢の神官達が迎賓の間へと現れた。大神官を先頭に、神官達が幾つもの大きな包みの四隅を持ちながら静々と入室してくる。
「シノブ様、アミィ様。この度は凱旋おめでとうございます。シャルロット殿とミュリエル殿も、壮健そうで何よりです」
白髪白髯の大神官は、シノブ達を見てにこやかに微笑みかける。彼は、先日王都メリエで会ったときと変わらぬ様子である。
「大神官殿もお元気そうでなによりです。ところで、今日はどうやってここまで来たのですか?」
シノブは、神官達が持つ包みを見て、彼らの目的を察していた。およそ2m四方の包みから、ガンド達が付けている神々の御紋を連想したのだ。
現在、御紋を授かっている竜は、岩竜のガンド、ヨルム、ヘッグ、ニーズ、そしてオルムルである。しかし、シノブ達に力を貸してくれる竜は更に増えた。岩竜の長老ヴルムとその番リント、炎竜のゴルン、イジェに、その長老アジドと番のハーシャの六頭だ。
そして、神官達が捧げ持つ包みは、ちょうど六個あった。そのため、シノブは包みの中身が何かを察したのだ。
「実は、大神アムテリア様から神託を授かりまして……」
なんと、大神官達は、聖地の大聖堂から直接シェロノワの大神殿に来たという。アムテリアの神託の一つは、神殿にある神像を介して各地を瞬間移動できるというものだったのだ。
聖地の大聖堂に、各伯爵領の大神殿、それと王都メリエと公爵領の都市の大神殿、更にメグレンブルク伯爵領の領都と都市の大神殿がその対象となったという。
「大神アムテリア様は、シノブ様とアミィ様が新たな土地を得たことを、大層お喜びでした。ですが、それらは王国の各所とあまりに遠い。そこで、このようなご配慮をして下さったのでしょう」
大神官ダンクールは、その使用条件についてもシノブ達に伝えていく。
神像を使った転移を許されたのは、大神官と各地の神官長、そして僅かな高位の神官だけらしい。しかも、その使用には長時間の精神集中が必要らしく、一日に何回も使えるものではないという。
ただし、神官達は自身だけではなく、他者も伴うこともできる。したがって、大神官は配下である神官達とシェロノワに転移できたのだ。
「もちろん、シノブ様やアミィ様も使用できます。おそらく、我らとは違い日に何度でも使用することが可能でしょう」
大神官が言うには、使用の頻度や運べる量、それに精神集中の時間は、使用者の加護によって異なるらしい。そのため、シノブやアミィなら際限なく転移し続けることも可能だし、一度に何百人でも運べるだろうという。
「なるほど……それで、もう一つのご用件は新たな御紋でしょうか?」
神像での転移については彼らが戻るときに見ることにし、シノブは神官達が捧げ持つ包みへと視線を移した。彼らは、大神官が説明する間も、ずっと包みを持っていたのだ。
「はい、神々の御紋を六枚頂いております」
やはり、包みの中身は竜のための御紋であった。御紋の光は『排斥された神』の支配を断ち切ることが出来るので、大神官の言葉を聞いたシノブは思わず顔を綻ばせる。
「それでは、私が預かりましょう」
アミィは神官達の下へと行き、魔法のカバンに包みを仕舞っていく。魔法のカバンは無限とも思える容量を持つから、六枚の御紋を収納することくらい、造作もない。
「ダンクール殿は、すぐにお戻りになるのですか? もしよろしければお食事など、如何でしょう」
「ありがとうございます。ですが、これから各地の神殿にも赴きますし、新たなる土地にも神官達を派遣しなくてはなりません。ですので、今日の所は失礼します」
シャルロットの申し出を、大神官はやんわりと断った。彼は、ここシェロノワを最初の訪問先としたらしく、まだ他の大神殿にも回らないといけないようである。
「そうですか。では、私も一緒に参りましょう。メグレンブルクに行く神官には、私も付添います」
「ありがとうございます。大変助かります」
シノブの言葉に、大神官は微かに微笑みを浮かべた。神官の中では別格の加護を持つ彼だが、それでも連続して何か所も回るのは厳しいのかもしれない。
シノブは、内心そんな想像をしながら、迎賓の間にいる者達と共に、シェロノワの大神殿へと向かって行った。
◆ ◆ ◆ ◆
シェロノワの大神殿に着くと、大神官は転移に関する細かい条件をシノブに伝えた。
それによると、転移に同行できるのは、アムテリアやその従属神を信仰している者だけだという。これは、国中がアムテリアを信仰するメリエンヌ王国では特に意味を持たないが、メグレンブルク伯爵領などでは非常に重要なことであった。
なぜなら、帝国の『排斥された神』を信奉する者が、内心を偽って同行することは出来ないからだ。
しかも、神官達を脅して使用させることも出来ないという。アムテリアも、帝国人がメリエンヌ王国に侵入できないように充分な配慮をしたとみえる。
そして、大神官は、シノブ達を転移の場所である神像の前の聖壇に案内した。
特別な祭事には神官達全てが並ぶ聖壇は、七体の神像の前面に広く取られているが、普段使われることはない。そのため、転移の場所として選ばれたのだろう。
「それでは、シノブ様、お願いできますか? シノブ様やアミィ様なら、行きたい場所の名を強く念じるだけで問題ありません」
神官達の場合は長時間の祈祷が必要となるらしいが、大神官はシノブ達ならそれは不要だという。
「では、やってみます」
聖壇に上がったシノブは目の前のアムテリアや従属神の神像を一旦見上げると、周囲にいる者達に視線を向けた。彼の周りには、アミィやシャルロット、ミュリエルの他に、大神官を始めとする聖地から来た神官達がいる。
「聖地サン・ラシェーヌの大聖堂へ……」
シノブが呟いた瞬間、七つの神像から眩い光が放たれた。神々の御紋の輝きと良く似た七色の玄妙な光は、神気ともいうべき清らかなものである。更に、その神々しい光は一瞬にしてシノブを包み込んでいく。
──転送いたします──
輝きが最高潮に達した瞬間、シノブの脳裏にアミィと似た可愛らしい思念が響いた。そして次の瞬間、周囲を満たす光輝は急速に引いて、辺りの様子が判別できるようになる。
シノブが周囲に目をやると、そこはシェロノワの神殿と同様の壇上であった。どうやら、無事に大聖堂へと転移したようだ。
「……大聖堂ですね」
「はい!」
シャルロットとミュリエルは、驚く様子もなく周囲を興味深げに見回している。彼女達は、魔法の家の転移を何度も経験しているからか、落ち着いたものである。
「大神官殿。移動の瞬間に『転送いたします』という誰かの思念が聞こえたのですが……」
「おそらく眷属の方ではないでしょうか。私の時は『転送を許可します』というお声が聞こえました」
シノブの疑問に、大神官はアムテリアの眷属の思念ではないかと説明した。どうやら、転移を念じた者だけに伝わるようで、今回彼には何も聞こえていないらしい。
──シノブ様、私にも聞こえました。大神官殿が言うように、私の妹の一人です──
大神官に続いて、アミィが心の声でシノブに語りかけた。彼女だけには転送を伝える思念が聞こえていたのだ。もしかすると、転送を担当する眷属が、姉であるアミィに挨拶をしたかったのだろうか。
──そうか……思わぬところで声が聞けて良かったね──
アミィは仲間である眷属と別れ、自分を助けるために一人地上に降りてきた。そんな彼女が、僅か一言でも神界に残してきた妹の言葉を聞けたのなら、それはとても嬉しいだろう。そう思ったシノブは、彼女を優しい目で見つめていた。
──はい!──
アミィもシノブの気持ちを察したのか、とても嬉しそうな顔をしている。
シノブは、神界での暮らしがどんなものか具体的に聞いたことはない。だが、仲間と別れて新たな生を受けたアミィは、自分が知らない多くの苦労をしているのではないか。そう思った彼は、アミィへの感謝を篭めながら、彼女のオレンジがかった明るい茶色の髪をそっと撫でていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは、シャルロットやミュリエルとシェロノワへと戻っていた。メグレンブルク伯爵領へ行く神官達は、彼の代わりにアミィが送ってくれたので、自領へと帰還したのだ。
聖地に行くと家令のジェルヴェに言ってきたとはいえ、三人がいつまでも留守にしているのも不用心である。それに、シノブは今日はシャルロット達とゆっくり過ごすと決めていた。そのため、館への帰還を選択したのだ。
「今日は慌ただしくてごめんね」
シェロノワの大神殿から館へと戻る馬車の中で、シノブはシャルロットとミュリエルに謝っていた。
暫く不在がちであったシノブは、なるべく彼女達の側に居ようと思った。確かに、二人の側にはずっと居たが、何だか彼女達をあちこちに引っ張りまわしたような気がしたのだ。
「謝ることなんてありません。とても楽しかったですよ。ミュリエルもそう思うでしょう?」
シノブに微笑みかけたシャルロットは、隣に座る妹へと視線を向けると、彼女の銀に近いアッシュブロンドの髪を優しく梳いた。
「はい! 不思議な茄子を調べたり、大神アムテリア様のお力で大聖堂に行ったり、ワクワクしました!
それに、シノブお兄さまに、私達が作った料理を食べて頂きましたし!
あと、テオドール様達とのお話や会議にも同席できて、とても嬉しかったです!」
ミュリエルは、シノブへと可憐な花が綻ぶような心からの笑顔を向けている。
この国では、10歳から見習いなどとして実務を学ぶことが多い。そのため、10歳の誕生日を間近に迎えた彼女は、大人達の話し合いに同席したことがとても嬉しいようである。
「それなら良いけど……」
シノブは、向かい側に座った二人の笑顔を見て、本心から楽しんでいると知って安堵していた。慌ただしかろうが何だろうが、彼女達が喜んでくれるならそれで良いと思ったのだ。
「それに、まだ今日は終わっていませんよ。まだ夕方にもなっていませんし。ですから、まだゆっくりする時間はあるかもしれません」
シャルロットは、小首を傾げてシノブに悪戯っぽく笑いかけた。彼女の美しいプラチナブロンドは、その動きに合わせてサラサラと揺れている。
「まあね……でも、神殿での転送のことを義伯父上に伝えないとなぁ。それに、晩餐もあるし」
シノブは帰ったらもう一回会議をしなくてはと思い至った。神殿を経由して各地に移動できるのは喜ばしいことだが、神官達の能力に限界がある以上、無制限に使用はできない。そのため、どう扱うべきかアシャール公爵と相談すべきだと思ったのだ。
そして、会議が終わっても晩餐がある。今、館には王太子テオドールを筆頭に多くの貴顕が館には滞在している。当主として彼らを持て成さないわけにはいかないだろう。それらを思い出したシノブは、苦笑しつつ頭を掻いていた。
「ともかく、会議はさっさと終わらせよう。で、何か、やりたいことはある?」
シノブは、一旦頭を切り替えることにした。先のことを悩むより、今目の前にいる家族を大切にしようと思ったのだ。
「では、それまで私達とお話ししましょう。そして、晩餐が終わった後も。私は、それで幸せです」
「私もです! シノブお兄さまは海を見たことがあるんですよね! 海のお話を教えてください!」
シャルロットとミュリエルが望んだのは、シノブと語らうことだけであった。彼女達は、他には何もいらないというような、澄んだ笑顔をシノブに向けている。
「そうか……ミュリエル、俺の知っている海はこっちの海と違うかもしれないけど……」
シノブは、ミュリエルの要望に応えて、彼が知っている日本の海の話をすることにした。
海岸での釣りや潮干狩り、磯遊びなど、こちらでも通じそうなことを中心に、海の楽しさをシノブは語っていく。そして、シャルロットとミュリエルは、シノブの話を楽しげに聞き、時折疑問に感じたことを訊ねている。
愛する家族との語らい。それはシノブに、非常な安らぎを齎していた。彼は、自身が体験した楽しい思い出を、思いつくままに二人へと語っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年6月4日17時の更新となります。