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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第11章 受難の竜達
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11.14 シェロノワの一日 前編

 メグレンブルク伯爵達は神々の御紋の光を受けても家族を忘れなかったが、帝都ベーリングラードでのことは全く覚えていなかった。しかも伯爵本人は僅かに領主としての記憶があるようだが爵位すら忘れ、職務について尋ねても首を傾げるばかりであった。

 そのためかシノブがメグレンブルク伯爵領を支配下に置いたと伝えても、彼らは素直に受け入れ、領政から手を引くと誓っていた。何しろ自身がいる領都リーベルガウすら(ろく)に覚えていない有様だから、引退しようと思うのも当然かもしれない。


 一方シノブはメグレンブルク伯爵達と別れ、リーベルガウや他の二つの都市クブルストとデックバッハの各所に赴いた。アシャール公爵の要請で、各神殿の『排斥された神』の神像をアムテリア達の神像に作り変えたのだ。

 幸いクブルストとデックバッハの軍人や官僚は、ガンドやヘッグの神々の御紋で帝国の神の支配から解き放つことが出来た。そこでシノブは、神官達のみを対象とするだけで済んでいた。


 とはいえ三つの都市を飛び回るのは時間もかかったため、シノブやガンド達がフライユ伯爵領に戻ったのは遅かった。ガンド達は自身の棲家(すみか)、シノブは領都シェロノワへと、深夜というべき時間に帰還した。


 そして翌日。久しぶりにシノブは、自身の領都であるシェロノワでゆっくりする。

 アシャール公爵は、自身が送った早馬による伝令が王都メリエに着いてから、王宮に向かうつもりらしい。そして早馬の到着には後一日かかるため、シノブとアミィはシェロノワで一日を過ごすことになったのだ。

 なお、アシャール公爵にベルレアン伯爵、そしてシメオンはこの日の朝の時点ではリーベルガウに詰めたままである。当面は、このように交互にメグレンブルク伯爵領に滞在することになるようだ。


「シャルロット、大丈夫かい?」


 数日ぶりにフライユ伯爵家の館の自室で目覚めたシノブは、起床早々シャルロットに心配そうな視線を向けていた。彼は、アムテリアにより懐妊を告げられたシャルロットを案じたのだ。


「シノブ、気にしすぎです。私はいつも通りですよ。でも、ありがとうございます」


 朝の挨拶も飛ばしたシノブに、シャルロットは苦笑しながらも嬉しげな様子である。

 確かに、彼女自身が言うとおり、シャルロットは健康そのものであった。どことなく母性を感じさせる柔らかな雰囲気を帯びた彼女は、今まで以上に幸せそうであり、その表情には何の憂いもない。


「そうか……それなら良いんだけど……おはよう、シャルロット」


 シャルロットの笑みを見て安堵したシノブは、彼女を優しく抱きしめ、そっとキスをした。

 シノブは、砦の攻略にメグレンブルク伯爵領の占領と慌ただしい日々であったので、シェロノワに戻った僅かな時間以外、シャルロットと話す機会もなかった。しかし、こうやって二人きりでいると、シノブは大切な時期に妻を一人きりにしたことに内心忸怩たる思いを(いだ)いていた。


「おはようございます、シノブ」


 シャルロットは、そんなシノブの心の動きには気がつかなかったようで、大輪の華が綻ぶような笑顔を見せると、再びシノブへと顔を寄せる。

 そんないつも通りの妻の様子を見たシノブは、彼女の求めに応じつつも、今日はずっと側にいようと決心していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ様、シャルロット様、おはようございます!」


──おはようございます!──


 室内着に着替えて居室へと移動したシノブとシャルロットを、アミィとホリィが出迎えた。まだ早朝であり外は薄暗いのだが、アミィはいつも通りに溌剌(はつらつ)とした様子で、お茶の準備をしている。しかも、既に掃除も済ませたのか、灯りの魔道具で照らされる室内には、塵一つ落ちていない。


 そして、金鵄(きんし)族のホリィは、いつものように鎧掛けに止まっていた。

 明日、シノブ達は王都メリエに魔法の家で移動する。その際、彼女に先行して王都の別邸に行ってもらい、魔法の家を呼び寄せてもらう予定である。


「おはよう、アミィ、ホリィ!」


「おはようございます!」


 シノブとシャルロットも、笑顔で挨拶を返した。

 久々に見る光景に、シノブは安心しつつも浮き立つような気持ちであった。そして、それはシャルロットも同じだったのだろう。二人は、どこか似た弾むような口調で挨拶をしていたのだ。


「シノブ、もうすぐ3月ですが……」


 ソファーに座ったシャルロットは、隣に腰掛けたシノブへと語りかけるが、一旦そこで言葉を切った。彼女は、少し改まった表情でシノブの顔を見つめている。


「ああ、ミュリエルの誕生日だね。3月3日だよね?」


 シノブは、およそ二週間後に迫ったミュリエルの誕生日を思い出した。ミュリエルは3月3日で10歳になるのだ。


「はい。御存じだと思いますが、メリエンヌ王国では10歳は特別な年齢です。成人は15歳ですが、10歳からは見習いとなって仕事を学びます。

以前にもお伝えしましたが、私も10歳から軍人としての訓練を始めました」


 妹の誕生日をシノブが覚えていたのが嬉しいのだろう、シャルロットは輝くような笑みでシノブに王国の慣習を説明する。

 ちなみに、10歳というのはあくまでも目安に過ぎないし、騎士階級や従士階級では更に早くから行儀見習いに上がる者も多い。例えば、侍女のアンナは8歳から、家令のジェルヴェの孫であるミシェルは、ミュリエルの遊び相手という形だが6歳から主の下で奉公をしているのだ。


「ああ、そうだったね。それで10歳の誕生日は、盛大に祝うんだったね」


 シノブは、王都であった王女セレスティーヌの友人達のことを思い出していた。侯爵令嬢の彼女達も、10歳になったら王女の友として王宮に上がったらしい。つまり、ミュリエルも10歳からは単なる子供ではなくなるのだろう。


「そうです。王都の別邸で祝宴を催すこともありますが、今は帝国と戦っていますから、それは難しいでしょう。セレスティーヌ様達も、3月までこちらに滞在する可能性もありますし。

ですから、場所はシェロノワで良いと思います」


 シャルロットは、既にその前提でアルメルやジェルヴェとも準備を進めている、と言う。


「ありがとう。全部任せきりですまないね」


 シノブは、シャルロット達の手配の良さに感心していた。

 こういうことになると、この世界に来てからまだ半年少々のシノブが知らないことも多い。そもそも、シノブはシェロノワでごく普通に誕生パーティーをすれば良いと思っていただけで、招待客をどうするかまでは考えていなかった。


「いえ。ミュリエルのことは、私も気にかかっていましたから。それに、アルメル殿やブリジット殿とも御相談できたので、大して苦労したわけでもありません」


 今、フライユ伯爵家の館には、ミュリエルの母であるブリジットも滞在している。アルメルの娘であるブリジットにとっては、ここは実家でもあるため、内々のことは色々相談していると、シャルロットは語る。


「そうか。ところで、誕生プレゼントは何にしようか? シャルロットは10歳のとき何を貰ったのかな?」


 シノブは、ミュリエルへの誕生プレゼントをどうすべきか尋ねかけた。

 彼は、貴族の子供にとって特別な意味を持つらしい10歳の誕生日に、何を贈れば良いのか判断できなかった。そこで、シャルロットが10歳の誕生日に何を贈られたのか訊いてみたのだ。


「私は……。

お爺様からは槍を、父上からは小剣を頂きました。軍人として勤めるようになれば必要ですから。

母上とブリジット殿からは、それぞれドレスを頂きましたが……」


 シャルロットは、少し恥ずかしげに頬を染めている。彼女はベルレアン伯爵の継嗣であり、女伯爵となるべく教育されてきた。そのため、誕生日の贈り物も嫡男同様の選択となったらしい。


「ミュリエル様は、武官にはならないですよね。文官に相応しい贈り物か、それとも治癒術士としての何かでしょうか?」


 お茶を淹れ終わってシノブ達に出したアミィは、向かいのソファーへと腰掛けながら、シャルロットへと問いかけた。

 その彼女は、文官や治癒術士に相応しい贈り物を思いつかなかったのか、少し困惑したような表情をしている。


──治癒術士なら、魔道具ですか?──


 鎧掛けに止まったホリィは、その首を傾げながら思念を発している。アムテリアの眷属であった彼女は地上の風習には詳しくない。そのため、今までは黙って聞くのみであったが、興味は感じていたらしい。

 シノブも、文官であればペンなどであろうかと考えながら、シャルロットの答えを待つ。


「ミュリエルには、私と同じように肖像画を贈ってあげてください。あの子は、私と同じ物の方が喜ぶと思います」


 シャルロットは、壁にかかっている自身の誕生日にシノブから贈られた肖像画へと目を向けた。

 シノブとアミィが協力して作成した等身大の肖像画は、シャルロットの姿を正確に写し取ったものだ。写真のように緻密な絵画は、アミィの幻影魔術とシノブの魔力を使って正確に写し取ったものであり、他とは一線を画する出来であった。


「なるほど……では、そうしようか」


 シノブは、シャルロットの気持ちを理解したような気がした。

 ミュリエルは姉であるシャルロットをとても慕っており、目標としている。そのため、シャルロットに贈ったものと異なれば、姉との差を感じるかもしれない。そのため、シャルロットは自身と同じ扱いにしたほうが良いと提案したのではなかろうか。


「はい、お願いします。ドレスはブリジット殿が以前から用意されていますし、アルメル殿は特注の筆記用具などを贈るそうです。ですから、シノブとアミィはあの子の今の姿を贈ってあげてください」


 自身の意図が伝わったと思ったのだろう、シャルロットは安心したような笑みを見せると、アミィが淹れたお茶へと手を伸ばした。


「ああ……ところで、シャルロットは何を贈るのかな?」


 同じようにお茶を飲んだシノブは、隣に座る妻が何を贈るのかを訊いてみた。まさか、彼女が何も贈らないということはないだろう。


「私は……パーティーの料理を作ろうと思っています。最近は、領軍本部に行く時間も減りましたし、館で過ごすことが多いのです」


 なんと、シャルロットは妹に手料理を振る舞うようである。

 詳しく聞いてみると、シノブの誕生日にカレーを作ってから、彼女は料理にも励んでいたという。周囲が気遣ったのだろう、懐妊後の彼女は領軍本部ではなく館で執務をすることが増えたらしい。


「そうか! 期待しているよ!」


 シャルロットの言葉にシノブは、思わず微笑んだ。やはり、愛妻の手料理を食べるというのは嬉しいものであったのだ。


「はい! さあシノブ、訓練に行きましょう!」


 そんなシノブの笑顔に、シャルロットも一層顔を輝かせる。そして、夫への相談を終えた彼女は早朝訓練に向かうべく、ソファーから立ち上がった。

 お腹の子への悪影響を避けるため身体強化などは使えないが、普通に体を動かすことは健康に良いので、シャルロットは出来る範囲での訓練は続けていたのだ。


「ああ、朝食前に体を動かすか!」


「私は片づけてから行きますね!」


 シノブとアミィも、シャルロットに続いて立ち上がった。そしてシノブは妻に寄り添い歩み出し、アミィも早速片づけを開始する。

 外は日が昇ってきたらしく、空が明るく色づいている。シノブは、気持ちの良い一日の始まりに心を弾ませながら、館の外へと向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 早朝訓練を終えたシノブは、シャルロットとアミィ、そしてホリィを連れて、朝食を取るために館の左翼二階にある広間と移動した。

 そこには、ミュリエルとその母ブリジット、そして祖母のアルメル、シャルロットの母のカトリーヌもいる。なお、館には王太子テオドールや王女セレスティーヌ、シノブの誕生日に出席した貴族達も滞在しているが、朝食はそれぞれの家族ごとにしているため、ここにはいない。


「アンナ、今日は随分と茄子の料理が多いね」


 テーブルに着いたシノブは、侍女のアンナ達が用意した料理を見て驚いた。

 最近は、シノブやアミィがいるときは和食も用意されるようになった。料理人達も、シノブやアミィの好みを覚えたし、アミィが伝えた料理も修得していた。そのため、ご飯や味噌汁も用意されている。もっとも、パンやスープもあるので、シノブやアミィ以外は、そちらを選ぶことが多い。

 したがって、味噌汁や浅漬けが並んでいることにはシノブも驚かないが、今日は、多くの料理に茄子が使われている。味噌汁や浅漬け、そして麻婆茄子のようなものまである。


「アミィさんが植えた茄子が沢山実ったので。シノブ様もお好きだと聞きましたが、多すぎましたか?」


 怪訝そうなシノブに、アンナは朗らかな笑顔と共に答えた。

 治癒魔術を使えるようになった彼女を、シノブはシャルロットの下に残すことにした。そのため、シノブがアンナと話すのは数日ぶりである。


「いくらなんでも早すぎるだろう。アミィ、茄子ってそんなに早く育つものなの?」


 シノブは、ミュリエルを挟んだ向こうに座っているアミィへと視線を向けた。彼は農作物には詳しくないが、種から茄子を育てるには数ヶ月かかると思っていたのだ。

 そして、シノブの記憶違いでなければ、まだ種を()いてから二週間くらいしか経っていないはずである。


「普通は何ヶ月もかかるのですが……これは、特殊な品種ですから……」


 侍女や従者達もいるので、アミィは言葉を濁しつつ答えた。この茄子は、アムテリアから授かった物だけに、何があってもおかしくはない。アミィはそう言いたかったのかもしれないが、言葉の上では単に特別な物とだけ説明をしていた。


「シノブお兄さまも知らないとは、よほど特別な物なのですね!」


 ミュリエルは、悪戯っぽい笑いを浮かべている。

 シノブは、家族には自身の出自や魔道具の出所を伝えているため、彼女は茄子がアムテリアから授かったものだと知っている。しかし、それに触れるわけにはいかないから、冗談として済まそうと思ったのかもしれない。


「ともかく、せっかくの料理を頂こうか。茄子は後で見に行こう」


 いつまでも皆を待たせておくわけにもいかないので、シノブは食事を始めることにした。

 何しろ、この世界の最高神アムテリアから授かったものである。普通の植物と同じように考えても仕方がないだろう。彼は、そう思ったのだ。


「ええ。私も一緒に行きます」


「私も行きます!」


 シノブの言葉を聞いたシャルロットは、早速同行すると伝えていた。そしてミュリエルもそれに続いて名乗りを上げる。彼女達も、ここのところ不在気味であったシノブと一緒にいたいようだ。


「それでは私も行こうかしら。温室は温かくて気持ちが良いですし」


「カトリーヌ様、では私もお供します」


 そして、ベルレアン伯爵の二人の夫人も一緒に行くと言い出した。

 カトリーヌはだいぶ大きなお腹になっているが、まだ産み月まで三ヶ月はある。館の別館に行くのは良い気晴らしになるのだろう。

 そして、ブリジットもシャルロットと同じくアムテリアに懐妊を伝えられた身であるが、こちらはまだまだ先のことであり、全く容姿に変化はない。


「では私もご一緒します」


 そして、最後に残ったアルメルも加わり、結局全員が行くこととなった。そのせいか、女性達は皆、楽しそうに微笑んでいる。

 そんな仲の良い家族の光景を眺めていたシノブは、茄子料理主体の朝食を味わうべく、その手を伸ばしていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 本来、別館はシノブが掘った温泉を使った浴場のみとなる予定であったが、アミィの発案で温泉の排熱を利用した温室も併設した。南方のガルゴン王国やカンビーニ王国で育つ作物を栽培し、可能であればフライユ伯爵領でも育てようという思惑である。

 およそ10m四方はあろうかという温室だが、今のところガルゴン王国から入手した寒冷地にも向いた稲を育苗しているくらいであり、他には寒さに弱い観葉植物などが置かれている程度であった。したがって、作物を育てる場所は幾らでもある。


 しかし、別館の温室へと赴いたシノブが見たものは、一面の茄子畑であった。

 シノブが見つめる温室の中は、大半が緑の葉の茄子で埋まっていた。しかも、大きな木箱に土を入れて並べたそれらには、実が()っているものも多い。


「こ、これは……」


 アミィとその腕に止まったホリィ、そしてシャルロットやミュリエル達を連れたシノブは、温室の入り口で立ち止まり絶句していた。

 その一方で、アミィを除く女性陣には、あまり驚いた様子はない。カトリーヌやブリジット、そしてアルメルも含め、むしろシノブの様子に意外そうな表情を見せていた。どうやら、彼女達はシノブが見せる魔術や魔道具に、慣れてしまったようである。


「アンナさん、もしかして収穫した種も()いてみたのですか?」


 シノブと同様に、アミィもこの光景は予想外だったようである。薄紫色の瞳に驚愕の色を浮かべながら茄子畑を見ていたアミィは、隣に立つアンナへと顔を向けた。


「はい! アミィさんが植えた分から取れた種を()いたのが、こちらです!」


 笑顔のアンナが指し示す手前側に植わっている茄子は、確かに奥の一角よりは背が低く、まだ苗と言うべき状態であった。

 実は、温室を造った直後はアミィが自分自身で茄子を育てていた。だが、帝国からの獣人の救出、炎竜の捜索、砦やメグレンブルク伯爵領の占領と忙しくなったため、最初の三日ほどを除いては、アンナが中心となって世話をしていたという。


「凄い勢いで育ちましたが、シノブ様から頂いた作物ですから、そういうこともあるのかと思っていました……」


 シノブとアミィにまじまじと見つめられたアンナの言葉は、少々尻すぼみになっていた。

 領主であるシノブやその家族に見つめられたためだろう、アンナは緊張したようで、頭上の狼耳も少し伏せ気味である。


「ああ、それは別に良いんだ。良く世話をしてくれたね。

……アルメル殿、これならフライユ伯爵領の新たな特産物として大いに役立つのではないでしょうか?」


 シノブはアンナを安心させようと快活な口調で語りかけると、農務長官であるアルメルへと向きなおった。農作物として領内に広める前に、まずは彼女の判断を仰ごうと思ったのだ。


「……シノブ様。

確かに、これだけ早く育つのは農作物としては、大きな長所です。ですが、ここまで早いとなると我が領だけではなく他領にもすぐに広まってしまうと思います」


 シノブの予想に反して、アルメルの表情は浮かないものだった。そして、彼女の答えを聞いた周囲の者達にも、それは伝搬していった。

 確かに、10日もしないうちに育つのは非常な利点である。しかし、茄子の実から種を取って出荷するわけにもいかない以上、それを入手して育てる者が出るのは間違いない。そうなればフライユ伯爵領だけの特産物とすることは出来ないだろう。


「そうですね……まさか一旦茹でてから出荷するわけにもいかないでしょうし」


 ブリジットも表情を曇らせながら相槌(あいづち)を打った。彼女は結婚までアルメルと共に料理などもしていたので、母が何を言いたいのか、すぐに思い当たったようである。


「まあ……それでは、シノブ様達は困りますね」


 一瞬遅れて声を上げたのは、ベルレアン伯爵のもう一人の夫人カトリーヌだ。流石に王女育ちの彼女は、アルメルの指摘をすぐには理解できなかったようである。


「王国全体の利益になるのは良いことですが……」


「シャルロットお姉さま……」


 姉の呟きを、ミュリエルは少し残念そうな顔をして聞いていた。彼女は、自領の特産物として期待していたのかもしれない。


「あの……大奥様。実は、この茄子という植物は、種が出来るものと出来ないものがあるのです。

こちらのアミィさんが植えた茄子は種がありますが、余った種を私達が植えたものは成長も遅いですし、種が出来ないのです」


 アンナが示した方向には、実は()っているが、若干背の低い株が幾つかあった。

 もちろん、ここ二週間以内で育ったとは思えない立派な株だが、一番奥のもののように沢山実が付いておらず、まだ一つか二つだけである。


「……あっ、本当ですね!」


 魔法のカバンから小剣を取り出したアミィが、茄子の株から切り取った実を二等分するが、その中には種はない。


──アミィが何かしたのでは?──


 ホリィは、自身と同じ眷属であるアミィが特別な栽培方法を試みたと思ったようだ。


「土は魔道具の『フジ』で改良しましたけど……。

あっ! 早く育たないかな、と思って活性化をかけてみました!」


 首を傾げていたアミィは、突然大きな声を上げた。

 彼女によれば、木箱に詰めた土は農業用のものだが、アムテリアから授かった魔道具『フジ』で土質改良をしたものらしい。『フジ』で改良した土には植物成長促進の効果があるから、成長が促されるのは納得がいく。しかも、彼女は植える前に、茄子の種に活性化をかけたという。


「土は、同じものを使いましたけど……やっぱり、アミィさんの魔術の効果ではないですか?」


 アンナ達はアミィが改良した土を使ったというから、やはり、魔術自体か魔力が成長や種の有無に何らかの影響を与えているのだろう。


「アンナ、そのあたり調べてくれないか?

魔術を使えば種が出来るなら、食品として出荷する分は種の無いものだけに出来る。ずっと隠しておくつもりは無いけど、ある程度は領内の農家を優遇したいからね」


「はい! わかりました!」


 シノブの依頼に、アンナは元気よく答えた。彼女も治癒魔術は使えるから、活性化を試してみることは出来る。それ(ゆえ)自身の仕事として最適だと思ったのだろう。


 アムテリアが授けた茄子が果たしてどんな性質を持つのかわからないが、魔力の多いところで育ちやすいならアマテール村などの開拓村に最適かもしれない。そう思ったシノブは、自然とその顔に微笑みを浮かべていた。


「シノブお兄さま、茄子は(いた)め物とかも美味(おい)しいですし、きっと色んなお料理に合うと思います!」


「そうなのですか……私も何かに使ってみましょうか」


 シャルロットは妹の言葉を聞いて、茄子料理に興味を示したようである。彼女は妹の誕生日を手料理で祝いたいと言っていたから、それに使うつもりなのかもしれない。


 シノブは女性達の会話を聞きながら、彼女達の平和を守ろうと今まで以上に強く決意した。そして同時に、こんな温かな光景が皇帝直轄領の人々にもあるのだろうかと、シノブは微かな疑問を(いだ)く。

 メグレンブルク伯爵領で見た領民達は、フライユ伯爵領の人々と変わらないように見える。それに、『排斥された神』の支配から逃れたメグレンブルク伯爵達も、ごく普通の優しい家族のようだった。

 そんな人々を謎の力で支配する『排斥された神』を倒す。シノブは、そう胸の内で誓いながら、楽しげな家族の光景を眺めていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年5月31日17時の更新となります。


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