11.13 それぞれの選択
ベーリンゲン帝国の首都、帝都ベーリングラードの中心にある宮殿『黒雷宮』は、メグレンブルク伯爵領の陥落と都市ロイクテンの城壁崩壊の知らせが届いていた。
メグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウから帝都までの距離はおよそ600km、そして都市ロイクテンからは約100kmである。そのため、双方の知らせは同日、創世暦1001年2月18日に『黒雷宮』へと到着していた。
この重大な報告を受けた帝国の重臣達は、当然ながら皇帝が座す『大帝殿』へと集まっていた。
『黒雷宮』の中央に聳える『大帝殿』は、磨き上げられた黒曜石のような石材が沈みゆく夕日に照らされて帝国の中枢に相応しい威容である。しかし、慌ただしく行き来する軍人や文官達には、その光景は目に入っていないようであった。
「メグレンブルク伯爵領の状況は?」
玉座の脇に立つ宰相メッテルヴィッツ侯爵が、報告をするため進み出た武官へと問いかける。冷静な様子を崩さない宰相だが、その口調には氷のように冷たいものであった。
ベーリンゲン帝国が現在の領土を得てからは、国土が減じたことはない。したがって、彼だけではなく謁見の間に集う重臣達の表情は一様に険しい。
「……敵は、メグレンブルク伯爵領を殆ど掌握したと思われます。ザートゥルム砦も落ちました」
宰相達の視線に、報告をする武官は蒼白になりながら答えた。
領都リーベルガウと二つの都市を制圧したシノブ達は、順調に領内の町村を攻略していた。なにしろ、何頭もの竜に乗って各地を飛翔して回るので、攻略の速度は極めて早い。そのため、メリエンヌ王国は僅かな時間で主要な町村を奪取していた。
そして、王国軍は、ゴドヴィング伯爵領の西端にあるザートゥルム砦も支配下に置いていた。メグレンブルク伯爵領を東に進むと、ゴドヴィング伯爵領を抜けて皇帝直轄領へと入る。したがって、王国はザートゥルム砦を押さえておけば、帝国軍の侵攻を阻むことが出来るのだ。
「なんと! ザートゥルムもか!」
内務卿を務めるドルゴルーコフ侯爵は、驚愕の表情を浮かべて叫んでいた。
メグレンブルク伯爵領へと向かうには、ゴドヴィング街道を進みザートゥルム砦を抜けるしかない。そのため、帝国側にとっては非常に大きな痛手であった。
「王国は、何頭かの竜を使役しているようです。メグレンブルク伯爵領を脱出した兵達の証言です。ザートゥルム砦でも確認されております」
武官は内務卿の剣幕に押されたようだが、それでも淡々と報告を続けた。どうやら、その方が重臣達を刺激しないと考えたようである。
闇夜に奇襲した都市はともかく、町村ともなると完全に帝国兵を拘束することは出来なかったようで、僅かながらゴドヴィング伯爵領へと逃れた者もいたらしい。それに、ザートゥルム砦には攻略後も竜達のうちの一頭が駐留している。そのため、上空を飛ぶ彼らの姿を目撃した者がいるのだろう。
「……都市ロイクテンは?」
メグレンブルク伯爵領についての報告を聞き終えた宰相メッテルヴィッツ侯爵は、皇帝直轄領の都市ロイクテンについて尋ねた。重臣達がざわめく中、彼は普段と変わらぬ冷徹な碧の瞳で武官を見つめている。
「西側の大半の城壁が崩壊しましたが、都市の内部には影響はありません。原因は不明です。崩壊の直前に、激しい稲妻を見たという証言がありますが……」
メグレンブルク伯爵領から話題が移ったためか、報告する武官はごく僅かだが表情を緩めていた。
もしかすると、彼は城壁の崩壊を天災などと思っているのかもしれない。シノブやガンドの攻撃は、深夜の上空からであったから、その姿は都市からは見えなかった可能性もある。それに、城壁の上に立つ歩哨達は、倒壊に巻き込まれている。
そのため、都市を守った雷だけが、住民達の記憶に残ったのであろう。
「雷は、我らが神の加護だ。王国が竜と城壁を破壊しに来たのだ」
武官の報告に、今まで黙って聞いていた第二十五代皇帝ヴラディズフは、闇の中降り注いだ稲妻を放ったものが彼らの神だと告げた。玉座に座った皇帝は、決して声を張っているわけではないが、その太く威厳のある声は謁見の間の隅々まで響き渡っていた。
「おお!」
「神が守って下さったのか!」
皇帝の言葉を聞いた臣下達は、喜びの表情を見せている。どうやら、彼らは今の今まで雷の正体を知らなかったらしい。
「案ずることはない。北の事件も、災いだけではなく我らに新たな力を齎してくれた。
そうだな、ヴォルハルト、シュタール?」
皇帝ヴラディズフ二十五世は、そう言うと玉座の脇に視線を向けた。
そこには、二人の並はずれた大男が立っていた。皇帝も大柄なほうだが、一人はそれより頭二つ以上大きく、人とは思えぬ巨体である。もう一人は、その男より頭一つは背が低いが、それでも常人とは思えぬ長身である。
「は……お言葉の……通りかと……」
並んで立つ男の一人、背の高い方が皇帝の言葉にゆっくりと答える。
その相貌には大将軍ヴォルハルトの面影があるが、どこか人間とは思えぬ容貌である。目は赤く染まっており、口からは牙のようなものが覗いているし、肌も青白く生きている人間のものとは思えない。
しかも、その肢体からは何となく人の形状とは違う印象を受ける。人間と思えないほどの並はずれた長身は別にしても、背は前のめりに曲がり、手は足よりも長そうである。
「我らの……新たなる力の……披露の場……」
残りの一人も、背の高い方と同様に赤目と牙などの異相である。こちらも将軍シュタールに似た風貌であるが、同一人物とは思えない変貌ぶりであった。
「もしや、ヴォルハルト様とシュタール様?」
報告をしていた武官は、そんな異形の巨人達を見て思わず言葉を漏らしていた。どうやら、彼らの声を聞いてその正体を察したらしい。
以前のヴォルハルトは巨体ではあったが、あくまで人としての範疇で、シュタールは平均を若干下回る程度の背丈だったはずだ。しかし、玉座の脇に立つ二人は謁見の間の他の者とは比較にならぬ身長と、人間離れした容姿の持ち主だ。
そのため、武官は今まで気がつかなかったのだろう。
「ヴォルハルトとシュタールは、我らが神の試練に打ち勝ったのだ。そして、神から与えられた新たな姿となったのだ」
皇帝は、戸惑う武官へと頷いてみせる。そして、横に立つヴォルハルトやシュタールへと、再び視線を向けた。黒々とした髭を扱く彼は、どことなく満足げな表情をしている。
「ゴドヴィングへと……」
そんな皇帝の視線を受けた大将軍ヴォルハルトは、自身の故郷の名を出した。彼は、何かを願い出るような表情で、皇帝を赤い瞳で見つめ返している。しかも、彼だけではなく将軍シュタールも同様であった。
「まあ待て。
そなたらは、まだ充分に馴染んでいまい。それに、新たな力を使いこなしてからでも遅くはない。故郷を守りたいのはわかるが、今は耐えろ」
大将軍ヴォルハルトの僅かな言葉から、皇帝ヴラディズフ二十五世は彼の意図を悟ったようである。
おそらくヴォルハルトは、自身の故郷であるゴドヴィング伯爵領に赴き、そこからメグレンブルク伯爵領にいる王国軍に反撃をするつもりなのだろう。
しかし、皇帝はそれを許可しなかった。彼の口ぶりからすると、ヴォルハルトやシュタールは、まだ完全な状態ではないらしい。そもそも、帝都に戻った彼らは、その手足に回復不可能な大怪我を負っていたはずである。しかし、今の二人は五体満足であり、どこにも不足は見られない。
とはいえ、彼らはまだ万全な状態ではないのだろう。もしかすると、彼らの言葉が途切れ途切れなのも、新しく得た肉体に慣れていないせいなのだろうか。
「折角得た力だ。それらを存分に使いこなせるようになってから戦え。前回のような失態は許さん」
皇帝は厳めしい表情で二人へと言葉を重ねた。その視線は鋭く、彼は巨人となったヴォルハルト達を微塵たりとも恐れてはいないようである。
「は……」
人ならざる身となったヴォルハルト達だが、皇帝の決断に逆らうことは出来ないのか、彼らはその場に膝を屈していた。
そんな光景を見た居並ぶ臣下達は、二人の巨人を頼もしげに見つめている。しかし、彼らの瞳を子細に窺うと、そこには僅かな恐怖や畏れが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シャルお姉さま、シノブ様はお元気にされていますか?」
フライユ伯爵領の領都シェロノワでは、王女セレスティーヌがシャルロットに心配げな顔を見せていた。
夕食を終えた彼女達は、シノブとシャルロットの居間へと移動していた。シノブの誕生パーティーに集まった貴族達は、まだ伯爵家の館に逗留している。そのため、最近のシャルロット達は彼らと共に晩餐をすることが多い。そのため、夕食の後は、こうやってごく近しい者だけで集まるのが通例となっていた。
「ええ。先ほども伝えたとおり、あちらも順調ですし、伯父上や父上も元気にしているようです」
ソファーに座ったシャルロットは、向かいに座る従姉妹に、優しい微笑みを向けた。
彼女が言うように、シノブ達はメグレンブルク伯爵領を、ほぼ支配下に置いていた。地方の村々の解放は若干残っているものの、竜達の支援もあるため、それも間もなく完了する見込みである。
それらの状況は通信筒を介して伝わってくるし、時折シノブ達も戻ってくるため、シャルロットは前線の状況を充分に把握しているようである。
「セレスティーヌ様、シノブお兄さま達は、近々王都に行くと伺っています! ですから、もう少しでゆっくり会えると思います!」
シャルロットの隣に座るミュリエルが口を開いた。期待に顔を輝かせた彼女は、シノブ達が戻ってくるのが待ち遠しいようである。
ここのところ、シノブやアミィは、物資や人員の輸送に戻ってくるだけであり、シャルロットやミュリエルとも落ち着いて話す時間は殆どなかった。しかし、王都メリエとの訪問ともなれば、準備もあるから館にも泊まるだろう。
「そうですわね!
……昨日アシャールの叔父様が早馬を送りましたから、明日か、明後日というところでしょうか?」
ミュリエルへと笑顔を向けたセレスティーヌは、その青い瞳に疑問の色を浮かべ、小首を傾げた。すると、その動作に合わせて豪奢な金髪の巻き髪が微かに揺れる。
「そうですね……明日中には王都に着くでしょうから、シノブ達も明日には戻ってくるのではないでしょうか?」
シャルロットは、そう言うと脇のソファーに腰掛けていたアリエルとミレーユへと視線を向けた。
なお、室内には他に王女の侍女アガテとクローテ、そしてフライユ伯爵家の侍女アンナしかいない。
「はい、明日だと思います。
新たに得た領地の扱いもありますから、出来るだけ早く王宮に伺うことになると思いますし、明日はシェロノワで出立の準備をされるのではないでしょうか?」
穏やかな口調で主へと答えたアリエルの隣で、ミレーユも頷いている。どうやら、彼女達も明日の帰還だと考えているようだ。
「アリエルさん、ミレーユさん、ありがとうございます。
ところでお二人とも。もう少し楽にされて良いのですよ。そんな堅苦しくされると、私、悲しいですわ」
二人の女騎士に礼を言ったセレスティーヌは、少し砕けた調子で笑いかけた。
彼女がそう言うのも無理はない。今まで、二人は一言も口を開かなかったし、ミレーユなどは全く身動きをしないまま固まっている。とはいえ、シャルロットやミュリエルはともかく、アリエルとミレーユが王女と接する機会は少なかったので、仕方がないことかもしれない。
「申し訳ございません」
「し、失礼しました!」
悪戯っぽい笑みを浮かべるセレスティーヌに、アリエルは丁寧に、そしてミレーユは緊張した様子で返答をする。どうも、王女の申し出は光栄に感じたようだが、かといってどうすべきか判断に迷ったようである。
「二人とも……私と話すときと同じで構いません。式典や会食は別ですが、ここには私達しかいないのですから。アンナも、もっと楽にして良いのですよ」
シャルロットは、湖水のように深い蒼の瞳に優しさを篭めて二人の女騎士に語りかけた。そして、その後ろに王女の侍女達と並んで立っているアンナへも声をかける。
「は、はい!」
シャルロットが自分を話題に上げると思っていなかったのか、アンナは、一瞬身を震わせた後、慌てて答えを返した。狼の獣人である彼女は、頭上の狼耳をピンと立てているし、背後では尻尾も大きく動いたようで、スカートも揺れている。
ちなみに、アンナは同僚の侍女であるリゼットやソニアとは違い、メグレンブルク伯爵領に赴くことはない。彼女は治癒魔術を使えるので、シャルロットの下に残すようシノブが強く希望したためである。
「シャルお姉さまの仰る通りですわ!
アリエルさんとミレーユさんは、マティアスやビュレフィス子爵と結婚されるのですから、私のお友達と同じようにしてくださいな」
セレスティーヌは、アリエルがマティアスと、そしてミレーユがシメオンと結婚すると本気で思っているようだ。その証拠に彼女は真顔であり、冗談を言っているつもりなど微塵も無いようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「で、殿下! わ、私は……その……」
突然の王女の言葉に、ミレーユはソファーから腰を浮かしかけていた。そして、その顔は自身の見事な赤毛と同じくらい真っ赤に染まっていた。
「畏れながら……私とマティアス殿は、そのような……」
ミレーユとは違い落ち着いた様子のアリエルだが、良く見ると薄く頬を染めている。どうやら、年長なだけあって動揺を上手く隠しただけのようである。
「そうですか?
ビューレル子爵家では、ミレーユさんを娶る前提で進めているそうですが。内々にソンヌ男爵にも使者を出したと、オディルさんやリュシーリアさんが噂しておりました。
ビューレル子爵は、娘に婿を迎えて継がせたいようですね。折角ビュレフィス子爵が別家を建てたのだから、当然だと思いますわ」
二人の答えを聞いたセレスティーヌは、意外そうな表情であった。そんな彼女はミレーユにビューレル子爵家の内情まで語りだす。
ビューレル子爵は、ベルレアン伯爵の従兄弟にあたるが、その妻オドレイはフレモン侯爵家の出身である。そして、王女の友人オディルとリュシーリアは、フレモン侯爵の娘だ。だから、セレスティーヌはビューレル子爵家の動向まで知っているのだろう。
そして、シメオンはビューレル子爵の嫡男であったが、セレスティーヌが言うとおり別家を立ててビュレフィス子爵となった身である。となれば、早く身を固めてそちらにも跡継ぎをと願うのは当然かもしれない。
「え、ええっ! もうそこまで!」
しかし、当のミレーユはそんなことは知らなかったようだ。絶句した彼女は、今や完全にソファーから立ち上がっていた。
「アリエルさん。イポリートさんからフローデット殿が喜んでいたと聞きましたよ。それに、マティアスの子供達も。マティアスは堅物ですから中々言い出さないでしょうけど……」
続けて、セレスティーヌはアリエルへと視線を向けた。
彼女が口にしたフローデットとはマティアスの母である。そして、フローデットはエチエンヌ侯爵家の遠縁にあたるらしい。そのため、エチエンヌ侯爵の娘であるイポリートにも伝わっていたのであろう。
なお、イポリートも王女の友人の一人である。侯爵の娘達で10歳を超えるものは、王女の友人として側に上がっているので、セレスティーヌが各侯爵家やその縁戚について詳しいのも当然と言うべきか。
「セレスティーヌ様、凄いです!」
真っ赤になって俯いてしまったアリエルに代わり、ミュリエルが驚嘆の声を上げていた。彼女の緑色の瞳は、キラキラと輝いている。そして、その隣ではシャルロットも驚きの表情を見せていた。
「ミュリエルさん、戦や政治だけで王国は回りませんわ。……お母さまの受け売りですけど」
少女の尊敬の視線にセレスティーヌは少々得意げな様子であったが、最後は少し恥ずかしげな表情であった。だが、彼女が母の教えを実践して、王国の内部を把握していることは間違いない。
「はい、私も頑張ります!」
「そうですね。ミュリエルも来月になれば10歳です。少し早いですが、シノブを助けるためにも色々な事を知っておかないといけませんね」
シャルロットが言うように、ミュリエルの誕生日は来月の3月3日である。
伯爵の娘は侯爵の娘のように10歳になっても王宮に上がるわけではないが、成人に向けて諸々の準備を始める時期であるのは事実だ。
「私がミュリエルさんに色々教えますわ!
……でも、シャルお姉さま、このままで良いのですか? シノブ様は、あまりこういうことに口出しされないようですが、これではお二人が可哀想ですわ!」
ミュリエルの称賛に意気込んでいたセレスティーヌだが、シャルロットに向きなおると少し心配そうな表情となった。
彼女も、シノブと接するうちに、その考え方を徐々に理解してきたようである。シャルロット達のようにシノブの来歴を知っているわけではないが、シノブの故郷とメリエンヌ王国の結婚観が大きく異なるのは気がついているらしい。
「そうですね……私も、二人に幸せになってほしいのです。アリエルとミレーユは、私に良く尽くしてくれましたから」
シャルロットは、少し困ったような表情になっていた。彼女は、自分が先に結婚したのにアリエルとミレーユがそのままなのを心苦しく思っていたのかもしれない。
「シメオン殿は、実家の動きを知っているとは思います。もしかすると、彼自身が実家に伝えた結果かもしれませんね。ですが、マティアス殿は……」
シャルロットはビューレル子爵家の動きはシメオンの意思に基づくものと思っているようである。
この国では、通常、貴族の結婚は男の家から申し入れる。シメオンの場合、ビュレフィス子爵として独立したのだから、自身でミレーユの実家に伝えても問題ないはずだが、別家を立てたといってもたった一人の身である。
それ故、シャルロットは彼が実家に仲立ちを頼んだと思ったのだろう。
一方でマティアスについては、シャルロットも付き合い始めて時間が経っていないため、考えを掴みかねているようだ。
「マティアスは私から伝えます! 父上にお願いしても良いですわ!」
マティアスは王家付きの子爵だったから、セレスティーヌのほうが詳しい。なにしろ幼いころから護衛などとして見てきたのだから、シャルロットより詳しいのは当然である。
なおマティアスはフォルジェ子爵だから、本来はそう呼ぶべきだ。しかしセレスティーヌは長年親しくしてきただけに、彼がフライユ伯爵家付きとなっても呼び方を変えるつもりはないらしい。
「それが良いです! 結婚式はいつにしましょうか!?」
ミュリエルは、とても嬉しそうな顔をしていた。彼女は、早くも結婚式の日取りまで考えているようだ。
「ミュリエル様!」
「……アリエル、嫌いじゃないんでしょ? 私、アリエルより先に結婚するなんて嫌だよ。一緒に頑張ってきたんだもの、一緒が良いな」
思わず叫び声を上げたアリエルを、ミレーユが真剣な顔をして見つめていた。
「ミレーユ……」
「私は、シメオンさんが好きだよ。初めは良くわからない人だと思ったけど、細かいところに気がついてさりげなく助けてくれるし。ちょっと皮肉っぽいけど」
ミレーユは、言葉を失ったアリエルに、二人だけで話すときのように素朴な口調で語りかけていた。彼女は、再び顔を真っ赤に染めていたが、その一方でとても幸せそうであった。
ガルック平原の戦の後、シメオンは書類仕事が苦手なミレーユを手伝っていたようである。また、上級貴族と接することが増えた彼女に、様々な知識を授けたりもしたらしい。
ミレーユは、それらの思い出を恥ずかしげな表情で訥々と語っていく。
「まあ! ビュレフィス子爵が!」
「シメオンさんが……」
セレスティーヌやミュリエルは、シメオンの意外な一面に興味津々な様子である。彼女達は、身を乗り出すようにしてミレーユの話を聞いている。しかも、ミレーユ達の後ろに立つアンナ達侍女も同様だ。
シャルロットはさほど驚いた様子はないが、親友の初々しい様子に目を細めて微笑んでいた。このあたりは既婚者故の落ち着きなのかもしれない。
「ありがとう。ミレーユ。
……殿下、シャルロット様。私も異存はありません。マティアス殿のことは、好ましく思っておりました」
アリエルは感極まった様子でミレーユを抱きしめた。そして彼女は、セレスティーヌとシャルロットに縁談を進めてほしいと伝える。
「任せてくださいませ! ……ところでアリエルさん、マティアスのどこが気に入ったのですか? この際だから教えてください!」
満面の笑みで請け負ったセレスティーヌだが、再び興味深げな様子でアリエルへと尋ねかける。ミレーユの告白を聞いたせいだろう、アリエルとマティアスの間に何があったのか知りたくなったようだ。
「えっ……その……」
「アリエルとマティアス殿は、意外に似た者同士なんです! 事務仕事とかも仲良くやっていますし、通信筒でやりとりしたときなど、とても嬉しそうな顔をしています!」
恥ずかしげに俯いたアリエルに代わり、ミレーユが彼女とマティアスの日常を語りだす。
こちらは軍人同士ということもあって、領軍本部などで接する時間も多い。しかもシャルロットやミレーユが、マティアスとの連絡をアリエルが担当するよう仕向けたため、二人の仲はシノブ達が知らない場所で急激に進展していたようである。
「まあ! そこまで進んでいるのですか! ……シノブ様も、もう少し周囲に気を使ってほしいですわ!」
感激の叫びを上げたセレスティーヌだが、その一方でシノブが彼女達の仲を取り持たないのに、少々呆れたらしい。
おそらくセレスティーヌ達の常識からすれば、家臣の縁談を上手く纏めるのも主君の仕事なのだろう。それに上級貴族では親同士が決めた結婚が殆どで、しかも女性から求婚することは殆ど無いから、尚更配慮が足りないと感じたようである。
◆ ◆ ◆ ◆
「セレスティーヌ様、私がどうかしましたか?」
セレスティーヌが叫んだ瞬間、居室の扉が開き、シノブとアミィが室内に入ってきた。なお、アミィの腕にはホリィも止まっている。
「……やっと帰れたよ。シャルロット、体は大丈夫かな? ミュリエル、明日は一日こちらにいるからね」
それまでの経緯を知る術もないシノブはセレスティーヌの言葉にどう反応すべきか迷ったが、とりあえずシャルロットとミュリエルに笑いかけて帰還の挨拶をした。
「シノブ、お帰りなさいませ。でも、どうして?」
「シノブお兄さま!」
シャルロットとミュリエルは、突然のシノブの帰還に驚いたようだ。通常、彼らは魔法の家で行き来している。したがって、シャルロットなど権限を持つ者が呼び寄せない限り、こちらに来ることはなかったのだ。
「ああ……途中まではオルムルに乗ってきたんだ。ガンドやゴルン達は一旦狩場に行ったからね。で、途中で降りて飛んできた。
いきなり帰って驚かせようと思ったんだけど……シャルロット、走ったりしたら危ないんじゃないか?」
少々照れたシノブは頭を掻いて誤魔化しつつ、駆け寄ってきたシャルロット達へと答えた。
岩竜の家族ガンドやヨルム、オルムル、そして炎竜のゴルンは、アマテール村の近くにあるガンド達の狩場へと戻った。そこにはゴルンの妻子、炎竜イジェと幼竜シュメイがいるからだ。メグレンブルク伯爵領の制圧がほぼ終わったため、岩竜と炎竜の長老達やその番のみが前線に残ったというわけだ。
一方のシノブだが、重力魔術で飛翔できる。そこで彼は途中でガンド達と別れ、アミィを抱えてシェロノワに飛行してきたのだ。
「シノブ様、まだそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。でもシャルロット様、無意識に身体強化とかしないように気をつけてくださいね」
慌ててシャルロットを抱きとめるシノブに、アミィは少々苦笑しながら答える。とはいえ、彼女もシャルロットの様子が気になるらしく、優しい口調ではあるが注意をしていた。
「し、シノブ様……」
ソファーから立ち上がったセレスティーヌは、シャルロットとミュリエルの肩に手をやりソファーへと促すシノブを見ながら、顔を赤くして俯いていた。おそらく、自身の発言がシノブにどう受け取られたのかと思ったのだろう。
「シノブ様、お帰りなさいませ。……殿下は私達のことを気遣って、結婚を早くするようにと勧めて下さったのです」
「そ、そうです!」
恥じ入る王女を見かねたのだろう、同じく立ち上がったアリエルとミレーユが事の経緯を語り出す。
「そう言うことか……セレスティーヌ様、私の代わりにありがとうございます。アリエル、ミレーユ、明日にはマティアスとシメオンも一旦戻るから、私からも伝えよう。それで良いかな?」
事情を聞いたシノブはセレスティーヌに微笑み、更に二人の女騎士へと視線を向けた。するとアリエルとミレーユは、頬を染めながらも静かに頷く。
シャルロットも案じていた二人の将来が望ましい方向へと進んだことに、シノブは深い喜びを抱いた。自分達だけが幸せになったようだと、シノブも感じてはいたのだ。
しかし、これで問題はない。晴れやかな笑顔を浮かべたシノブはシャルロット達を伴い、深く信頼する女騎士達を祝福すべく歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年5月29日17時の更新となります。