11.11 皇帝直轄領の秘密 後編
シノブ達は、昼前まで大神殿の調査を継続した。
ベーリンゲン帝国は、皇帝直轄領と10の伯爵領に分けられている。そして、ここメグレンブルクは伯爵領の中でも三番目に大きい領地であった。
そのため、領都リーベルガウの大神殿には、様々な書物があった。とはいえ、多くは領民達に神への信仰を促すための説法集であったり、神殿自体の運営をするための事務的な書類であったりと、帝国の『排斥された神』の出自を示すようなものは見当たらなかった。
神官達も神の名を知らないらしいが、書物にも『我らが神』『我が神』などと記されるのみで、その名称はない。どうやら、意識的に神の実像に触れることを回避しているようである。
大神殿にあった神像は、槍と稲妻のようなものを握った、天空神あるいは軍神のようなものであった。それに、説法集にも『逆らう者は雷に打たれる』などと記されている。そのため、雷神としての性格を持っていることは間違いないだろう。
「しかし、神官達も碌に正体を知らないとはねぇ……謎の神とはいえ、信者にはもう少し逸話が残っていても良いと思うのだがね」
メグレンブルク伯爵の館に戻る馬車の中で、アシャール公爵がぼやいている。
シノブ達は、後の調査は軍人達に任せて昼食を取るために帰る途中であった。車内には行きと同様に、二人の他にアミィ、ベルレアン伯爵、シメオン、侍従のヴィル・ルジェール、そしてシノブの肩に乗ったオルムルがいる。
「はい。おそらく650年以上昔に神の力を授かった男が皇帝となったという伝説だけでしたね」
公爵の言葉に、シメオンが相槌を打った。
メリエンヌ王国が成立したのは551年前、つまり創世暦450年である。そして、そのころ既に帝国は存在していたらしい。
ちなみに、メリエンヌ王国の現在の国王アルフォンス七世は二十代目だが、ベーリンゲン帝国の現皇帝は二十五代目である。そのため、単純に考えると、王国の成立より100年以上昔に帝国が成立したことになる。
なお、帝国で用いられる暦は神聖暦というものだ。そして、神聖暦元年は創世暦351年であり、シノブ達が調べた限りでは、この年に初代皇帝が即位したらしい。
当初は現在の皇帝直轄領の半分ほどを領地としていたが、その後100年程で現在と同等の国土を得たようである。ちょうどその頃メリエンヌ王国も現在と同等の大きさとなったため、それからはガルック平原の近辺が両国の国境となったようである。
「もう少し神官長から話が聞けたら良かったのですが……」
シノブは、大神殿の神官長フォルデル・アーゲナー達を思い出しながら、顔を曇らせていた。
神々の御紋の光を受けて失神した彼らは、二時間程で意識を取り戻した。しかし、彼らは神官であった時の記憶を失ったようである。
シノブ達が調べた書物には、高位の神官となる者は子供の時から帝都で学ぶと書かれていた。そして、神官長達は帝都に初めて赴いてからの出来事を殆ど憶えていないらしい。そのため、彼らからこれ以上の情報を引き出すことは不可能となったのだ。
「シノブ、彼らは人生をやり直す機会を得たのだよ。
……率直に言えば、あのままなら処刑か生涯幽閉しかなかった。だが、彼らは多くを失った代わりに、命だけは助かった。そうは思わないかね?」
ベルレアン伯爵は、シノブを元気付けるように微笑みかけた。その緑の瞳は優しく、義父としてシノブを温かく見守る彼の心情が表れているようである。
「そうですね……でも、これは気軽に使えませんね」
シノブは、懐から取り出した紋章を見つめていた。手のひら大のそれは、馬車の中に神秘的な輝きを放っている。実は、他の神官達にもこの光を当ててみようとアシャール公爵が主張したのだが、今日のところは取りやめとなった。神官長達の様子をもう少し見守ってからにしようと、シノブが言ったからである。
神官の中でも、下働きの者や、まだ帝都に赴いたことのない採用直後の者達は、王国軍人達に素直に従っている。そこで、まずは彼らへの対処を優先することにしたのだ。
「お館様は、大神アムテリア様のとても強い加護をお持ちなのですね。王国軍の魔術師が催眠の魔術など色々試していますが、効果はないようです」
侍従のルジェールは、感嘆した様子でシノブを見つめている。彼は、神々の御紋を、大神殿で初めて見たため、特に感動しているようである。
尊敬も顕わな侍従とは対照的に、アミィやシメオン達は少々苦笑気味であった。シノブの本当の来歴を知る彼らは、ルジェールの言葉が真実に迫っていると思ったのだろう。
「でもシノブ様、照射の仕方や長さで効果が変わるかもしれませんよ?」
──アミィさん、私や父さま達の御紋も同じように出来るのでしょうか?──
やり方を変えれば、というアミィにオルムルが興味深げな思念で問いかけた。
オルムルや両親達も、同じく神々の御紋を授かっている。そのため彼女は、自身の紋章がどのような効果を持つのか疑問を抱いたのだろう。
「そういえば、ガンドさんの姿を見ても、帝国兵は気絶しなかったですね……砦ではどうでしたか?」
オルムルの問いに首を傾げたアミィは、砦の攻略を担当したアシャール公爵やベルレアン伯爵へと視線を向けた。
「特に変わった様子はなかったよ!」
「マティアスからも報告は受けていないね」
アシャール公爵とベルレアン伯爵には、思い当たることはないようである。
伯爵が言うようにマティアス達とジルデン砦攻略を行った岩竜ヘッグも御紋を装着しているが、今回のようなことは起きなかったらしい。
「お館様のご加護は、竜よりも強いのですね!」
「ヴィル、ガンド達が持つものとは効能が違うだけかもしれないよ? ……さあ、そろそろ館だ」
感激が一層増したようなヴィル・ルジェールに、シノブは苦笑いしながら答えていた。そして、彼が言うように、馬車はメグレンブルク伯爵の館へと近づいている。
シノブは大神殿で起きたことは一旦置いて、メグレンブルク伯爵領をどうするかについて思いを巡らせていった。
◆ ◆ ◆ ◆
館に戻ったシノブとアミィは、メグレンブルク伯爵の子供達、フレーデリータやネルンヘルムと食事を取ることにした。
なお、アシャール公爵とベルレアン伯爵は、一旦魔法の家でフライユ伯爵領の領都シェロノワへと戻っている。彼らはシェロノワから王都メリエに連絡を入れ、国王に今後の素案を送ったり人員増強の要請をしたり、次に向けての下準備を始めている。
また、シメオンもフライユ伯爵領の政務を片づけるため、彼らに同行した。そのため、昼食に参加したのはシノブとアミィ、そしてメグレンブルク伯爵の長女フレーデリータと嫡男ネルンヘルムの、合わせて四人であった。
とはいえ、昼食を取る広間にいるのは、当然四人だけではない。食事の世話をする者として侍女のリゼットやソニア、従者見習いの少年達が控えている。
これは、まだ小さい伯爵の子供達には近い年頃の者のほうが良いだろうと考えてのことである。フレーデリータは10歳、ネルンヘルムは8歳であり、シノブに比べても遥かに若い。そこで、女性や同年代の従者見習い達のほうが彼らも安心するだろうとアミィが提案したのだ。
そして、その甲斐あってか、二人の子供には緊張した様子はあまりなかった。
「美味しいです……それに、この果物は……」
フレーデリータは、卓上に並んだ料理に感嘆の視線を向けている。
昼食ということもあり、卓上には軽めの料理が並んでいる。パンにサラダ、スープなどに加え、若干の肉料理がある程度だ。しかも、肉料理も薄く切ってチーズを挟んだ子供が喜びそうなものになっている。
しかも、オレンジや洋ナシなど、この季節には存在しない果物まで出されていた。これは、アミィが魔法のカバンで保存しておいた物であり、もぎたてのように瑞々しいままである。
「……君達は帝都がどんなところか知っているかな?」
食事をしながら、シノブはフレーデリータやネルンヘルムに問いかけた。
ちなみに、シノブの肩には子猫ほどの大きさになったオルムルが乗ったままだ。しかし、彼女は眠っているらしく目を瞑っている。岩竜の子は肉食であるから、野菜や果物の多い料理には食欲を感じないのだろう。
「私達はまだ行っていません……今年はお父さま達と行くはずでしたが」
フレーデリータは、シノブの問いに素直に答える。
彼女やネルンヘルムは、時期的に珍しい果物を見て非常に驚いたらしい。そもそも寒冷な気候の帝国では、オレンジ自体存在しないのかもしれない。そのためか、主食であるパンなどより、デザートのほうに夢中になっていたようだ。
どうやら、そんな事情もあって二人は食事を始める前よりもシノブ達に心を開いたとみえる。
「シノブさま、お父さまやお母さまは、どうしているんですか?」
ネルンヘルムは、心配げな顔をしてシノブへと問いかけた。
美味しい食事に一時は心を奪われたようだが、やはり親達のことが気になるのだろう。父親似なのか、ほっそりとした容姿の彼は、青い瞳を僅かに曇らせている。
「『様』は、いいよ……そうだね、『シノブさん』とかそんな感じで呼んでほしいな。
エックヌート殿達は、まだ動揺しているようでね……気持ちを和らげる魔術を使わせてもらったよ。でも、三人とも無事だよ」
シノブは少々言葉を選びながら、目の前の少年に彼の親達の状況を説明した。
メグレンブルク伯爵エックヌート・フォン・リーベルツァーには二人の妻がいる。長女のフレーデリータは、第一夫人エマリーネとの子で、ネルンヘルムは第二夫人ロスティーネとの子だという。
そして子供達と違って伯爵と夫人達は帝国の神の影響が強いらしく、シノブやアミィが定期的に魔術を用いて一種の催眠状態にしていた。そのため彼らは捕らえた当初のように暴れることはないが、帝国の核心に迫る質問をすると過敏な反応を見せるので尋問は中止のままとなっている。
「そうですか……お父さま達と会いたいです……」
「ネルン!」
ネルンヘルムの重ねての言葉を、隣の姉のフレーデリータは鋭く遮った。おそらく彼女は、王国軍の指揮官であるシノブの機嫌を損ねたらと思ったのだろう。
「もう少し時間をくれないかな? エックヌート殿達に危害を加えるつもりはないよ。でも、君達と会うと彼らがまた取り乱すかもしれないしね」
シノブは、子供達に催眠状態の親達を見せることを躊躇っていた。
もし神官長と同じように彼らにも神々の御紋を見せたら、何らかの変化があるかもしれない。そのため可能であれば、メグレンブルク伯爵達を帝国の神の支配を断ち切ってから子供達と会わせたい。しかし神官長のように記憶の大半を失った場合、子供達のことを忘れてしまう可能性が高い。
そのためシノブは、もう少し様子を見たかったのだ。
「わかりました。シノブさんの言う通りにします」
フレーデリータは、シノブの提案をあっさりと受け入れた。彼女は投降したときも比較的落ち着いた様子であったし、年齢以上に理知的なのかもしれない。
「すまないね……」
「いえ、負けた側など皆殺しにされるかと思っていました。命があるだけでも幸せです」
シノブの言葉に、フレーデリータは真顔で言葉を返した。彼女は本気でそう思っているようで、その緑の瞳も真剣そのものである。
一方のシノブは、帝国での戦はそういう扱いが普通なのかと想像をして表情を曇らせた。
「フレーデリータさん、ネルンヘルムさん、最後に少し変わったものを出しますよ! ……リゼットさん、お願いします」
沈んだ雰囲気を見かねたのか、アミィが明るい声と共に子供達に笑いかけた。そして彼女の言葉を聞いた侍女や従者見習いの少年達が、食卓にアイスクリームが入った器を置いていく。
「これはアイスクリームといって、冷たくて甘くて美味しいんですよ!」
アミィは楽しげな顔で二人にアイスクリームを勧め、自身でも食べて見せる。すると彼女に倣い、フレーデリータとネルンヘルムもスプーンを手に取ってアイスクリームを掬っていく。
「本当……冷たくて美味しい!」
「凄く甘いです!」
フレーデリータとネルンヘルムはスプーンを口に含むと、大きく顔を綻ばせて歓声を上げた。それまでの悲しげな様子から一転して、二人は初めての味に夢中になっている。
「……あの、アミィさんは獣人ですよね?」
アイスクリームを食べ終えたフレーデリータは、唐突にシノブに向かって問いかけた。
彼女達、帝国人は獣人を奴隷としている。そのため狐の獣人であるアミィが同席し、更に人族のリゼットに指示を出すのを見て驚いたようである。
「ああ、そうだよ。でも、王国では人族も獣人も、そしてドワーフ達も全て同じように暮らしているんだ」
「シノブ様の言うとおりです! ですから、あなた達とも、きっと仲良くできます!」
シノブに続いて、アミィも明るい笑顔で二人に力強く宣言をする。
「そうなのですか……私達も?」
「……お父さま達とも仲良くできますか?」
そんな二人にフレーデリータとネルンヘルムは目を丸くしていたが、暫くしておずおずと言葉を発した。
「ああ。私はなるべく皆と仲良くしたい。なあ、アミィ?」
シノブは、穏やかに微笑みながら二人に語りかけると、アミィへと振り向いた。
「はい! さあ、アイスクリームはまだありますよ! 良かったらどうぞ!」
「わぁ……」
「また食べられるの!?」
アミィがお代わりを勧めると、子供達は目を輝かせ歓声を上げていた。
その光景を見たシノブは、帝国の人々とも理解し合えるのではないかと思っていた。美味しいものを食べれば同じように喜ぶ。そんな子供達には、国の違いなど存在しないようである。そう感じたシノブは、帝国人を支配する帝国の神に、一層の怒りを抱いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
リーベルガウでは帝国の『排斥された神』についての情報が得られないと感じたシノブは、シェロノワから戻ってきたアシャール公爵やベルレアン伯爵に、自身が皇帝直轄領に偵察しに行くと提案した。
帝国から領土を奪った以上、戦いは激化していくだろう。そうなれば、不安材料は早めに取り除いておきたい。シノブは、そう思ったのだ。
そして、偵察に行くのであれば、もっとも魔力が多く加護も強い自身が行くべきである。そう主張したシノブに、アシャール公爵とベルレアン伯爵は、危険を感じたら即刻引き返すことを条件にして許可をした。
なお、今回はシノブと岩竜ガンドだけで赴くことになった。シノブは重力魔術で飛翔することも出来るが、万全の態勢で行くには余計な魔力を使わないほうが良い。そのため、彼はガンドに乗っていくこととなったのだ。
ちなみに、魔力や加護の観点から言えばアミィを同行させても良かったのだが、シノブはオルムルをアミィに預けたかった。そして、それにはガンドも強く賛成したので、彼女達は留守番となったのだ。
「ガンド、急にごめんね」
──『光の使い』よ。謝ることは無い。
我も炎竜達に危害を加えた元凶を確かめたかったのだ。偵察などと言わずに、帝都とやらを攻撃しても良いくらいだ──
日が落ちて闇に包まれた空を東に飛ぶ岩竜ガンドは、その背に乗ったシノブの言葉に思念で答えた。
ガンドの思念は、帝国の所業に対する怒りのためか、いつになく重苦しいものとなっていた。彼ら竜達にとっては、同族を拘束しようとした帝国は見過ごすことの出来ない存在なのだろう。そんな思いが乗り移ったのか、ガンドの飛翔は常以上に速いようである。
「ありがとう……ところでガンド、君の神々の御紋って、俺のと何か違うのかな?」
──人の子の支配が解けたことか?
おそらく、そなたの膨大な魔力や強い加護のためだろう。もしかすると、我らも魔力を大量に込めれば同じようなことが出来るのかもしれんが……そもそも、そなたは神の血を引く存在ではないか。我らと比べることは出来んだろう──
ガンド達には、シノブがどういう経緯でこの世界に来たかを伝えている。そのため、彼はシノブ自身の魔力や加護によるものだと思ったようである。
「そうかな?
でも、帝国の神に仕えていた間の記憶が完全になくなるなんて、効果が強すぎて使えないよ」
シノブは、ガンドの思念に思わず愚痴を漏らしていた。
記憶は思考や性格と密接に結びついている。誰しも自身の体験したことや知識を元に判断しているから当然である。それ故帝国の神についての影響から脱するには、その間の記憶消去以外に方法がないのかもしれない。しかし、これでは大人に使ったら、成人以降のことを全て忘れてしまうのではなかろうか。
──神とあまり接していない者なら、喪失も限定的ではないか? 神官というのは、神に仕えている時間が殆どなのだろう?──
「う~ん、でも、これは気軽に試すわけにはいかないからね。
……ところで、ガンド達は帝国の神って何か心当たりはないかな?」
神々の御紋について考えるのを中断したシノブは、ガンドに『排斥された神』について尋ねてみた。彼は500年以上生きているし、長老は更に数百年を生きているという。そんな彼らであれば、何か参考になる知識を持っていても不思議ではないと思ったのだ。
──我らも大神アムテリア様と、その従属神たる六柱の神々しか知らん。それに、大神アムテリア様は、別の世界から来た神と仰ったのだろう?──
残念ながら、ガンド達にも心当たりは無いらしい。彼も、アムテリアとその従属神以外がいるとは思っても見なかったようだ。
「別の世界ねぇ……単純に他の太陽系という可能性もあるから、異世界とは限らないけど。それに、異世界だとしても雷に関連した神なんて数が多いだろうな……」
アムテリアの管轄は、この惑星がある太陽系のみだという。だから、シノブが言うように他の太陽系から流れてきた可能性はある。
そして、仮にシノブの知っている神だとしても、雷神や、それに類する神、例えば天空神や暴風神などは、非常に多い。元々自然現象に端を発する神々だから、その手の神は大抵の神話に存在するはずである。
──ほう、そんなにいるのか?──
岩竜ガンドは、興味深げな思念を発した。ガンドは最高神アムテリアとそれに連なる神しか知らない、つまり彼は単一の宗教しか知らないといえる。したがって、彼の驚きも当然かもしれない。
「建御雷神、火雷大神、天神様、インドラ、トール……ゼウスも該当するか……古代神話とか探せば、もっといるだろうな……」
これらの神の多くは雷を握る姿で描かれる。したがって、シノブ達がリーベルガウで見た神像の特徴を備えている。更に、天空神や暴風神なども加えれば一体どれほど存在するだろうか。そう思ったシノブは、思わず顔を顰めていた。
──そうか……ならば、雷などだけでは特定できんな──
「ああ。それに、俺のいた世界から来たとも……ガンド! 止まってくれ!」
感慨深そうな思念を発したガンドに答えかけたシノブは、ガンドにその場に留まるようにと叫んだ。彼は、何か異質で強い力を感じたのだ。
──どうしたのだ!?──
シノブの叫びを聞いてガンドは宙に留まっていた。彼らは重力制御を活用して飛行しているため、宙の一点に静止することも簡単なのだ。
「何だか、異様な魔力を感じる! もしかすると、これが帝国の神の力なのかもしれない!」
──我は感じないが……しかし、そなたのほうが魔力も大きいし感知能力も高い。そなたなら我が気がつかない魔力を察知しても不思議ではないな──
シノブとの付き合いが長いガンドは、自身とシノブの能力の差を充分に承知しているようである。彼は、自身が感知できないにも関わらず、シノブの言葉を疑うことは無い。
「ここは、都市ロイクテンの手前か……ガンド、深入りは止めよう。今回はあくまで偵察だからね」
シノブは懐から地図を取出し確認をした。
シノブ達は、ゴドヴィング街道に沿って東進してきた。夜間でもあり、彼らは都市の灯火を頼りに飛翔していたのだ。そして、現在位置は皇帝直轄領に入って100km、メグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウからだと500km弱ほど東に進んだところである。
先日、炎竜達を助け出したのは、皇帝直轄領の北東の外れだから、今までにないほど帝都ベーリングラードに接近したことになる。地図によれば、ここから東に100km少々進めば、帝都に到着するはずである。
──仕方がないな……だが『光の使い』よ。ここまで来て何もせずに引き下がるのは癪だ。せめて目の前の都市の城壁くらい、吹き飛ばしても良いのではないか?──
ガンドはシノブの言葉を聞き入れたが、その一方で非常に残念そうでもあった。そのせいか、彼は少し先に見える都市ロイクテンの城壁を破壊しようと提案してくる。
「ブレスなら届くか……わかった。でも、あの辺り、なるべく人がいないところを狙ってくれ!」
既に夜間であり、城門は閉められている。そのため街道には人影もない。
それに、城壁の内側には20m少々の空地がある。どこの都市でもそうだが、兵士達の移動や城壁の上に設置されている投石機や大型弩砲の整備をするための場所として、城壁と市街の間には一定の余地を設けている。
だから、シノブは城壁のみの破壊なら人的被害は上に立つ歩哨だけで済むと思ったのだ。
──任せておけ!──
シノブが指し示す方向に向きなおったガンドは、その膨大な魔力を集中させていく。
彼は城壁より手前の地面に狙いを定めたらしい。本気で城壁を狙えば、その後ろの建物も全て消し飛ぶだろうから、手前に穴を空けて城壁を前方に倒すつもりではないだろうか。
シノブは、都市の住民達に危害を加えたくはなかったが、その一方で王国の民やメグレンブルク伯爵領にいる王国軍を守るためには、果断な措置も必要だと考えていた。ガンドは、そんなシノブの思いを酌んで、城壁のみが対象となるよう慎重に狙いを定めたようである。
そして、数十秒ほど魔力を溜めていたガンドは、巨大な顎を一杯に開くと、轟音と共にブレスを放っていた。途轍もない魔力を込めたブレスは、岩竜だけに土属性を備えている。そのため、一部は鉄などに物質化するらしく、黒々とした奔流が城壁の手前に向けて伸びていった。
──な、なんだと!──
「あれは、雷か!?」
驚愕するガンドとシノブが見たものは、突如天空から落ちてきた雷撃であった。それは、天地を揺るがすような音と共に降ってくると、ガンドのブレスを消滅させて地に落ちた。
──くっ、もう一度だ!──
ガンドは再度のブレスを放つが、これも同様に雷に防がれていた。更に、ガンドは狙いを変えて何発か放つがいずれも城壁まで届くことは無い。
「これが『排斥された神』の力か!?」
ブレスに合わせて落ちる雷など、どう考えても自然のものとは思えないし、しかも魔力すら感じられる。そもそも竜のブレスが雷で防げるものであろうか。そう思ったシノブは、謎の神の存在を感じずにはいられなかった。
──『光の使い』よ! そなたの魔力を貸してくれ!──
「……わかった! なら、万全の態勢で行くぞ!」
ガンドの要請に、シノブはその背から光の大剣を抜き放った。光の大剣で自身の魔力を増幅し、それを更にガンドへと注ぎ込む。彼は、これが自分達に出来る最大限の攻撃だと思ったのだ。
「ガンド! 狙いはもう少し手前にしてくれ、もし命中したらどうなるかわからない!」
途轍もない魔力が周囲に溢れだしたのか、シノブの体は金色の光を放っていた。そして、その膨大な魔力を慎重に制御しつつ、シノブはガンドへと注ぎ込んでいく。
──ああ! おおおおおぉ……この魔力、やはりそなたは!──
シノブの魔力を注ぎ込まれたためか、ガンドまで金色の光を放ちだした。そして、彼の大きく開けた顎は、光が乱舞しているらしく、目の前は特に明るく輝いている。
「行け、ガンド!」
──うおおおおおぉぉぉぉ!──
シノブの叫びと共に、ガンドは強烈な思念を発し、同時にブレスを放っていた。
彼のブレスは、今までのものとは違い、金色の光の奔流であった。しかも、その太さは数倍にも達し、シノブ達の目の前は白熱する輝きで染まり、前方は何も見えない。
「また雷か!?」
──大丈夫だ! 今度は貫いた!──
思わず目を瞑ったシノブだが、その魔力感知能力で天空から落ちてくる何かを察していた。だが、ガンドは、成功の喜びを伝えてくる。彼は、自身が放ったせいか、それとも視力を奪うような輝きの中でも前方を見通せるのか、二つの輝きが衝突した結果がわかるらしい。
「……本当だ! しかし、これは……凄いな」
目を開けたシノブが見たものは、都市ロイクテンの前に出来た巨大なクレーターであった。不可思議な雷撃によって防御されたせいか、その形状は城壁に沿って三日月状に伸びていた。しかし、巨大な穴は城壁まで達しており、見事に西側の城壁の大半を前方に倒壊させていたのだ。
──そなたと我が協力したのだ。これくらい当然だ。
さて、これで竜の脅しに帝国とやらも震え上がったことだろう……正確には竜だけの力ではないがな……では、今日のところは帰還しようではないか!──
「ああ! あの雷はどうやらこっちまで攻撃してこないようだけど、長居は無用だからね!」
ガンドの満足そうな思念に、シノブも笑顔で答えた。やはり、帝国には雷神の系譜に連なるものがいるのは間違いなさそうだ。それがわかり、一矢報いただけでも今日のところは満足すべきであろう。
ガンドは反転し、西に向かって飛翔し始めた。そして、シノブもその背でリーベルガウで待つアミィ達や、シェロノワにいるシャルロット達の顔を思い浮かべた。皇帝や『排斥された神』への宣戦布告は行った。後は、万全の態勢を整えて戦いに挑むべきだろう。
シノブは、愛する者達を守るための戦いに、今まで以上の決意を燃やしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年5月27日17時の更新となります。