11.07 怒りの竜達 中編
「シノブ、少し休んでください」
シノブを見つめるシャルロットの表情には、夫への気遣いが溢れていた。彼女の青い瞳には、戦いから戻った夫を案じるような光が浮かんでいる。
「いや、義父上達のところに早く行かなければ……」
「シノブ! それでしたら私も一緒に行きます!」
会議を終えたシノブは、そのままベルレアン伯爵やアシャール公爵がいるゼントル砦へと向かおうと思った。しかしシャルロットは、急ぐ彼の腕を引くと強い口調で同行を宣言していた。
「でも、君は……何かあったらどうするんだ?」
シノブは、アムテリアから懐妊を告げられたシャルロットの身を案じた。まだ非常に早期らしく外見には全く変化のないシャルロットだが、無理な行動が良くないのは間違いないだろう。
彼女は前日のシノブの誕生日からずっと起きている。まだ日の昇らないシェロノワだが、もう起床から丸一日近く経っているはずだ。そのため、シノブは不安そうな表情となっていた。
「貴方に何かあったら……そう思うと落ち着きません。貴族として民を守るために戦うのは当然ですが、せめて万全な状態で送り出したいのです!」
「シノブ様。伯爵家の将来のためにも、ここは一旦仮眠を取ってください。一時の焦りで大切なものを失うのは愚か者のすることです」
必死の形相で訴えかけるシャルロットに続いて、何とシメオンまで諫言をしてくる。彼は普段の柔らかな物言いではなく、真剣そのものの口調であった。
「はははっ、流石の『魔竜伯』も奥方には負けますか!」
その光景を見て大声で笑ったのは、エリュアール伯爵デュスタールである。初々しい夫婦の様子に感じ入ったのか、まだ30歳前で青年の面影を残す彼は若々しい顔を綻ばせている。
「確かに、性急な行動は良くありませんな。休んで体調を整えるのも上に立つ者の役目では?」
40代半ばと最年長のラコスト伯爵レオドールは、エリュアール伯爵の軽口には乗らず真面目そのもの口調でシノブに忠告をした。彼はシメオンの祖母フェリシテの甥であり、その表情や声音も、どことなくシメオンと似ている。
「シノブ殿。戦いは長く続くかもしれませんぞ。少なくとも今日明日では終わりますまい」
こちらも40過ぎのボーモン伯爵マルセルは、王太子テオドールや王女セレスティーヌにも就寝を促したとシノブに伝えた。テオドール達は自分も起きて待つと反論したようだが、こちらも治癒術士ルシールが催眠の魔術を使って休ませたという。
「わかりました……それでは少々休みます。そして、朝食を取ってから砦へと向かいます」
シャルロットにシメオン、そして三人の伯爵達に説得されたシノブは、とりあえず朝食までは休むことにした。夜を徹しての戦闘や移動で、少々疲れていたのは事実であったのだ。
「お願いします。実は、私達も交互に休んだのです。
……もっとも、シャルロット様はずっと起きていましたが」
シノブが休むと決めたためだろう、シメオンの表情は少し綻んでいた。そんな彼はシェロノワで連絡役となっていた自身やシャルロット達の様子に触れる。
アリエルとミレーユを加えた四人で通信筒を使い各地の連絡を受け持っていた彼らだが、決してずっと起きていたわけではないらしい。軍の警戒時と同様に、交代で休んで長期化しても問題ない体制を取っていたという。
「後はお任せください。私とミレーユが連絡を担当しますし、何かあればお呼びしますので」
「そうか……シャルロット、早く休もう。皆さん、失礼します」
アリエルの言葉に、シノブは微笑みとともに頷いた。そして、シノブは、妻の肩に手を添えると会議室を後にした。休むと決めた以上、早く疲れを取って次に備えるべきであろう。彼は、そう思ったのだ。
そんなシノブの様子に、シャルロットは少々苦笑気味であるが、嬉しげに寄り添った。おそらく彼女は、休むと言っているのに効率的に行動しようとするシノブの行動を、おかしく思ったのだろう。だが、夫が自身の気遣いを受け入れためか、それ以上は口にせず幸せそうにシノブと並んで歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
仮眠を取ったシノブは、朝食後にゼントル砦へと移動した。作戦前にベルレアン伯爵には魔法の家を呼び寄せる権限を付与していたので、移動は一瞬である。なお、前回の獣人達を救出したときと同様に、マティアスやシーラスにも一時的に権限を付与している。
魔法の家で移動したのは、シノブとアミィ、そしてシメオン達である。
シメオンは内政官であるが、彼は占領した砦の状況を確認するために同行していた。今後、必要な物資の輸送や後方を支える人員の補充など、政務を預かる者として考えるべきことは多いからだ。
更に、ジェレミー・ラシュレーが率いる軍人達や、魔術師であるマルタン・ミュレや魔道具技師のピッカール・ハレールも一行に加わっている。
領都守護隊の本部隊長であるラシュレーは、砦を管理する事務官などを連れてきたのだ。なお彼は、炎竜救出に同行したアルノー・ラヴランの代わりとして、シノブの護衛も兼ねている。
そして、ミュレとハレール老人は、魔道具の効果を確認したいと同行を志願してきた。彼らは、自身が開発した魔道具によって作戦が成功したことを大いに喜んでいたが、その一方でまだ改善の余地があると考えているらしい。
「流石、義伯父上に義父上、仕事が早いですね」
ゼントル砦の中庭へと出たシノブは、辺りの様子を見て微笑んだ。
砦には、既に大勢の王国軍人達が詰めているようである。しかも、砦の上にはメリエンヌ王国を示す旗、二頭の金獅子が支える王冠の被さった盾に白百合の紋章が描かれた王旗が揚がっている。
「当然だよ! とはいえ、全てガンド殿のお陰だけどね!」
「義兄上の言う通り、私達は殆ど戦うこともなかったよ。シノブも炎竜の解放、お疲れ様」
竜のお陰と言いつつも悪びれた様子のないアシャール公爵と、シノブを優しく労うベルレアン伯爵は、魔法の家から出てきた一行を温かく出迎えた。そして、その横には話題の岩竜ガンドもいる。
──『光の使い』よ。我らの同胞を救ってくれたこと、本当に感謝している。ありがとう──
厳かな思念を発したガンドは、そのまま地面に身を伏せて頭を大地に着けた。これは、竜達が最大の感謝を示すときの姿勢である。
「ガンド、顔を上げてくれ! 俺達だって炎竜が帝国に使役されたら困るんだ。だから、気にしないでいいんだよ!
それに、オルムルも大活躍だったよ。今も、炎竜の子シュメイを守るために頑張っているんだ」
人間でいえば土下座に相当する仕草に、シノブは慌てて駆け寄った。そして彼は、ガンドの子であるオルムルの活躍を伝えていく。
シノブは、就寝前と朝食後にホリィと通信筒をやり取りしていた。
ホリィによれば、炎竜達は現在その体を休めているという。成竜のゴルンとイジェは、シノブの魔力である程度回復した後、山中の魔力を吸収して力を蓄えているらしい。彼らが潜む洞窟の近くは、残念ながら火山からは遠いため、その回復は緩やかなようだが、一日休めば長距離の飛行も可能となるようである。
そして、オルムルは洞窟の守護をしつつ彼らの子の幼竜シュメイの相手をしているそうだ。まだ生後半年のオルムルだが、既に空も飛べるしブレスも放つことができる。それに対して生後一ヶ月のシュメイは飛行すらできない、か弱い存在である。
そのため、オルムルはシュメイの世話を一生懸命しているようである。もっとも、幼竜のすることといえば食事と睡眠だけなので、あまり手間はかからないのだが。
そしてシノブは、最後に夜になったら再び炎竜達の下に行くつもりだと告げて話を締めくくった。
──そうか……オルムルがな……『光の使い』よ。それもそなたの薫陶のお陰だろう。本当に感謝する──
身を起こしたガンドは、感慨深げな思念を発していた。やはり、我が子の成長が嬉しいのであろう。
「オルムル自身が頑張ったんだよ! さあ、詳しいことを聞かせてくれ!
……義伯父上に義父上、よろしくお願いします!」
巨竜の賞賛に気恥ずかしくなったシノブは、その顔を赤くしつつ頭を掻いていた。そして彼は、アシャール公爵とベルレアン伯爵へと顔を向けた。
「それでは砦の司令室に行こうか! あそこならガンドも窓から覗けるだろうしね!」
温かな笑みを浮かべながらシノブと巨竜を見守っていたアシャール公爵は、砦の上層部を振り向きながら宣言をした。彼が見つめる先は、砦の第三層にあたる部分らしい。確かに、高さ10m以上はあるその場所は、立ち上がって首を伸ばしたガンドと同じくらいの高さのようだ。
そしてシノブ達は、早速歩き出したアシャール公爵の後に続き、砦へと入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
ゼントル砦の司令室は、実用一辺倒の造りであった。元々が国境警備と王国との戦の拠点としての場所であり、飾り立てる必要などないのであろう。
シノブ達が知る由もないが、そこは昨年末のガルック平原での戦いの前に、前大将軍のベルノルト・フォン・ギレスベルガー達が王国に潜入した間者達の状況などを語っていた場所である。彼とその部下である二人の将軍エグモントとボニファーツは、いずれも戦に斃れ帰らぬ人となった。そして、新たな大将軍達もシノブ達に敗れた。
大将軍ヴォルハルト・フォン・ギレスベルガーと将軍シュタール・フォン・エーゲムントは深手を負いつつも逃げ出したようだが、将軍ヴェンドゥル・フォン・ゲーレンハイトはイヴァールによって討ち取られている。つまり、この二ヶ月足らずで帝国は四人の将軍を失ったわけである。
そしてシノブ達は、ベルノルト達が王国侵攻の計画を語らった場所で、帝国への戦いを議論していた。
「つまりだね、こちら側は孤立しているんだよ。いくらガンド達が親切でも、それに頼ってばかりでは情けないしね!」
現状と今後。それについてアシャール公爵は、自身の見解を述べた。
砦を落とした王国が、ここで戦いを終わりにすることはありえない。それは好機を逃したくないという意味もあるが、補給面の問題もあるからだ。
このゼントル砦と王国側のガルック砦の間、ガルック平原は標高が高いこともあり、深い雪に閉ざされている。そのため、ここだけを確保しても、厳冬期の今は孤立した状態である。
もちろん、竜達が輸送を受け持ってくれるし、魔法の家や魔法のカバンを用いて人員や物資を運ぶことは可能である。しかし、それらに頼ってばかりではなく王国軍自身で恒常的な体制を整えたい。アシャール公爵は、そう主張した。
「聞いてのとおり、これはマティアスやシーラスも懸念していることだよ」
ベルレアン伯爵が言うように、残りの二つの砦、ノルデン砦のマティアスとジルデン砦のシーラスも同じ意見である。彼らは、それぞれの砦にいながら、岩竜達の念話を経由して会議に参加していたのだ。
今、雄の岩竜ヘッグがノルデン砦、そして岩竜の長老の番リントがジルデン砦にいる。なお、ジルデン砦の攻略を手伝った岩竜の長老ヴルムは、既に炎竜ゴルン達の無事を伝えに、炎竜の長老の下に飛び立っている。そのため、番リントが代役としてシーラスの下に来たわけである。
「では、近隣の村を解放してそこを王国の支配下に加えるということですか?
しかし、それでは村々が帝国との戦いの場になるのでは?」
司令室の窓から顔を覗かせているガンドは、シノブの言葉を思念でヘッグとリントへと伝える。そしてヘッグとリントは『アマノ式伝達法』でマティアスやシーラスに説明する。そのため、会議は少々ゆったりした流れではあるが、それぞれの砦を守りつつ議論できるメリットは非常に大きい。
「いや。いっそのことメグレンブルク伯爵領ごと取るつもりだよ。領都と二つの都市を落とすんだ」
そう言ったアシャール公爵は、シノブ達の前に地図を広げて見せた。そして彼が見せる地図に、シノブだけではなく会議に参加しているアミィにシメオン、マルタン・ミュレやハレール老人も目を向ける。
「領都リーベルガウに、北のクブルスト、南のデックバッハだね。
砦に配置された軍、我々でいう国境防衛軍に相当する組織は壊滅したから、メグレンブルクに残った兵力はおよそ四千人程度だ。といっても王国と同じく都市の守護隊、巡回守護隊、町の守護隊と分かれているから、一番多いリーベルガウでも七百人しかいないし、クブルストとデックバッハは五百人だよ!
そこを竜に乗って急襲するんだ」
公爵が上げる情報や数字は、砦にあった帝国製の地図や資料によるもので非常に正確であった。
既に王国側は占領した各砦に国境防衛軍の大半を輸送し、それぞれに1700名から1800名の人員を置いた。しかも帝国内の守護隊も末端の兵士は戦闘奴隷だから、彼らを無力化できれば実際の戦力差はもっと広がる。
「そして直後にゴドヴィング伯爵領に繋がる街道を封鎖する。これなら、敵の攻撃を一点で抑えることが出来るからね」
ベルレアン伯爵が示したのは、メグレンブルク伯爵領とゴドヴィング伯爵領を繋ぐ街道の領境であった。
元々帝国の国土は急峻な山地が多く、更に代々の皇帝の方針で伯爵領同士の交通を制限したから皇帝直轄領に向けての街道しか存在しない。そのため伯爵が示す地点を封鎖できれば、当面の安全は確保できる。
「ですが、都市や町の民衆が反撃してくる可能性はありませんか?
兵士達の大半は戦闘奴隷ですから無効化すれば制圧も容易ですが、その後、民衆による反乱や暴動が起きるかもしれません」
シメオンは、『排斥された神』を信奉している帝国人が、そう簡単に王国の統治を受け入れるとは思えなかったようである。もし彼らに、ゲリラ的な抵抗をされたら、と懸念したのだろう。
「それがね……実は、平民達は『排斥された神』を心から信仰しているわけではないんだよ。まだ、はっきりとはわかっていないのだがね」
「えっ、そうなのですか!?」
アシャール公爵の意外な言葉に、シノブ達は驚きの声を上げていた。帝国兵達は、捕まっても死を選ぶ者が殆どであったが、それは『排斥された神』を狂信的に崇拝しているからだ。しかし公爵は、全ての帝国人がそうではないとシノブ達に語っていた。
実は、砦には少数だが民間人がいた。現在拘束して取り調べているが、彼らは王国兵の質問に素直に答えているし、軍人達のように死を選ぶつもりもないようである。
「シノブ様、ヴォルケ山にいた兵士達が『帝都に行くと気が引き締まる』って言っていました。それに『貴族の方々のように、年に四回も行くのは面倒』だ、とも。
……もしかすると、帝都に行った時に洗脳されているのかもしれません」
アシャール公爵の説明を聞いた後、考え込んでいたアミィは、シノブにヴォルケ山で獣人達を解放したときに聞いた会話を伝えた。彼女は半信半疑のようで、頭上の狐耳も少々伏せ気味である。
「なるほど! それはありそうだね! アミィ君、良いことを教えてくれた!」
「ふむ……それで兵士達と下働きの者の様子が違うのか」
アミィの推測を聞いたアシャール公爵は、嬉しげな表情で立ち上がっていた。一方、ベルレアン伯爵は何か考え込んでいるようである。
「義父上、どうかしたのですか?」
「シノブ。民衆が帝国の神の影響を受けていないとしたら、彼らに危害を与えたくない。
下働きの者達の態度は、偽装の可能性もあると思っていたのだが、アミィの言う通りなら可能なら説得して王国の民になってほしいからね」
シノブの問いかけに、ベルレアン伯爵は都市攻略の懸念点を挙げた。
今まで王国の者達は、帝国の人族は全て『排斥された神』の影響下にあり、その支配を脱することは出来ないものだと思っていた。したがって伯爵も、都市攻略においても強攻策を取るしかないと考えていたようである。
しかし、そうではないとわかった今、ベルレアン伯爵は彼らの安全も考慮しなくてはと思ったようだ。
「確かにね! ガンド達に領主や代官の館に運んでもらい制圧しようかと思っていたのだが、説得可能なら出来るだけ安全に拘束したいね……」
ベルレアン伯爵が、館に勤務する使用人達のことを指摘すると、アシャール公爵も頷いた。侍女や従者などには騎士階級や従士階級以外の者もいる。それに平民以外でも女子供まで全て洗脳されているとは限らない。彼は、そう思ったようである。
そして、アシャール公爵は席に座りなおし腕を組んで考えこみ始めた。彼も民衆や使用人達に罪はないと思ったのだろう、真剣な顔で天井を見据えている。
◆ ◆ ◆ ◆
──ガンドはこれで良いのか?──
公爵達が悩む中、シノブは帝国攻略に本格的に関与することとなったガンドに訊ねかけた。彼も、ここまで来ては竜達も引かないだろうと思ってはいた。しかし、それでも友として竜達の心を知りたく思ったのだ。
──『光の使い』よ。もはや、これは我らの問題でもある。
竜を侮り幼子を虐げる者達を許すわけにはいかん。今後のためにも、その元凶を断たねばならんのだ──
金色の瞳で室内を覗くガンドは、シノブに力強い思念を返した。その思念は決して感情に流されたものではなく、平静でありながらも内に秘めた断固たる意思を感じさせるものであった。
──ガンドの言うとおりだ。我が狩場は敵からは遠いが、彼らのような者が増えては生まれてくる我が子にも災いが降りかかる──
──私達は幼い間はか弱い存在です。それに子供はなかなか生まれません。ですから、生まれてくる子供達を脅かす存在は、見逃せないのです──
そして、ガンドに続いてノルデン砦のヘッグとジルデン砦のリントまで思念を送ってくる。それを受け取ったシノブは、彼らもガンドに負けず劣らずの決意であると理解した。
──わかった……これからも一緒に頑張ろう!──
「シノブ君、何か良い案はないかね!」
竜と思念を交わし自身も覚悟を新たにしたシノブであったが、心の声が使えない公爵達にはそれはわからない。そのため、彼はシノブが民衆への対処を思案していると思ったらしい。
「普通の人を無力化する方法ですか……催眠や、体力剥奪と治癒能力減衰の魔術なら出来ますが。
……そうだ! マルタン、ルシールに渡した治療用の魔道具、あれを改造できないか?」
シノブは、ルシールが治療院で実験的に使用している風邪や肺炎を治す魔道具を思い出したのだ。
この魔道具は、患者の体力を活性化し、細菌やウィルスに体力剥奪と治癒能力減衰をかけるものである。それを応用し、人間に対して軽度の体力剥奪などを行えば、一時的に脱力させることは可能であろう。
「ああ、あれですか! 確かに可能ですね!」
「大きすぎるのが難点ですが、『解放の杖』と同様にガンド殿に使っていただくなら問題はないですな!」
マルタン・ミュレとハレール老人は、それぞれ輝くような笑顔を浮かべている。専門家の彼らは、シノブの短い言葉から、その意図を的確に読み取ったようである。
「アミィ君、どういうことだね?」
「実は……」
シノブ達が具体的な相談を始めたため、アシャール公爵とベルレアン伯爵は、アミィに説明を求めていた。戸惑いの表情を見せる彼らに、アミィとシメオンがミュレ達の開発した魔道具について説明をしていく。
「なるほど! それなら手向かう相手を減らせるね! それに敵兵の動きも封じることが出来そうだ!
全く、シノブ君は最高だね! ねぇ、アミィ君!」
「は、はい……」
二人の説明を聞いたアシャール公爵は、再び立ち上がって躍り上がらんばかりに喜んだ。
対するアミィは、薄紫色の瞳を瞬かせている。はしゃぐ公爵に詰め寄られ、彼女は少しばかり戸惑ったようだ。
「シノブ、彼らに早速改造をして貰いたいのだが、可能かな?」
「ええ。試作機を使えば何とかできそうです。二人を一旦領都に送り届けましょう」
ベルレアン伯爵の質問に、シノブは笑顔で説明した。ルシールが治療院で使っている魔道具の試作版が、館の研究所には存在するのだ。
「頼むよ、シノブ君! これで問題は後一つだけだね!」
「はい、お任せください!
……ところで、後一つ、とは?」
これで都市の制圧も問題ないと思って喜んでいたシノブは、まだ何かあると聞いてその表情を曇らせた。
「この砦の名前だよ! 『ゼントル砦』なんて名前で呼び続けるのはイヤだろう!?」
「はあ……名前ですか」
シノブは、アシャール公爵の言葉を聞いて少々脱力していた。彼は、砦の名前くらいどうでも良いと思ったのだ。
「他にも二つあるしね……どうしようか。
……そうだ! シャルロット砦、シノブ砦、ミュリエル砦とか、どうかね?」
暫し考えていたアシャール公爵だが、唐突に笑顔になるとシノブ達の名前を持ち出した。
「遠慮します!」
シノブは、公爵の提案を反射的に断った。いくらなんでも、そんな名前にするのは恥ずかしいと思ったからだ。
「義兄上……北から東モゼル砦、東ガルック砦、東ガンタル砦で良いのでは?」
「却下! そんな名前は面白くないよ!」
苦笑気味のベルレアン伯爵の案を、アシャール公爵は即刻拒絶した。どうやら、あまりに順当な名前が気に入らなかったようである。
「あの……ヘッグ砦、ガンド砦、ヴルム砦はどうでしょう?」
そんな彼らにアミィが遠慮がちに自案を伝える。
「おお! 攻略に協力してもらった場所に、それぞれの名前か! いいねぇ、それにしよう!」
──我は構わんぞ。竜に敵対する者には、良い牽制となるだろう──
大喜びのアシャール公爵に、ガンドは了承の意を告げた。彼だけではなく、ヘッグとリントもどこか嬉しげな思念で賛意を示している。
「さて、シノブ君! 問題は全て片付いたんだ! 行動に移ろうではないかね!」
「はい! さあ皆、今日は忙しくなるぞ!」
アシャール公爵の上機嫌な声に力強く答えたシノブは、アミィやシメオン達へと振り向いた。
これから、ミュレやハレール老人を研究所に送り届けなくてはならないし、砦の現状を聞き取ったシメオンも、様々な腹案を練っているようである。
そして、夜には再び炎竜の下に赴くのだ。ガンド達には洞窟の位置を教えたから、長老ヴルムが戻ってきたらそれを炎竜の長老に再度伝えてもらう必要がある。もしかすると、夜には炎竜の長老と会えるかもしれない。そう思ったシノブは、期待で胸を膨らませながら多忙な一日へと思いを馳せていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年5月19日17時の更新となります。