11.04 ノード山脈の戦い 中編
「竜が人語を解するとは、本当だったのだな……しかも、ここまで思い通りに操れるとは」
洞窟の中に、ベーリンゲン帝国の大将軍ヴォルハルト・フォン・ギレスベルガーの声が響いた。彼は、今まで炎竜のゴルンとイジェに様々な指示を与え、『隷属の首輪』の効果を確かめていたのだ。
ヴォルハルトが驚嘆の視線を向ける先には、全長20mにもなる二頭の赤黒い巨竜が身を伏せている。そして竜達の首、頭部の近くには鈍い光を放つ金属製の首輪が嵌まっていた。
「雪魔狼とは随分違うようですね。あちらはこんなに細かい指示まで理解できません。
……これも、陛下が神託で得た知識ですか?」
巨漢の大将軍を見上げるようにしながら、将軍シュタール・フォン・エーゲムントが問いかける。とはいえ、別にシュタールの背が低いわけではない。茶色の髪に灰色の瞳をしたヴォルハルトは、並外れた背にそれに相応しい分厚い筋肉を備えた肉体の持ち主である。
対するシュタールは、ほっそりした体と平均的な身長であった。将軍職の彼だが、文官でも通るような外見をしているのにはわけがある。彼は、魔術師であり参謀でもあるのだ。その証拠に、右手には魔道具らしい長い杖を持っていた。
「そうだろう。陛下は竜に人と同様に話しかけろと仰った。
……しかし、こいつらが言葉を話せれば、もっと楽なのだが」
大将軍ヴォルハルトは、何かを思い出したかのように不満げな表情となった。
「仕方ありませんね。我々とは形が違いすぎますから。
それに、これでも充分幸運なのでは? 私は『魔力を込めろ』などという指示まで理解するとは思いませんでしたよ。『頭』や『腕』など体の部位を示す単語ならともかく……」
シュタールは濃い金髪に手をやりながら、ヴォルハルトに宥めるような表情を向けた。そんな彼の緑の瞳には、若干呆れたような色まで浮かんでいる。
階級は大将軍のヴォルハルトが上だが、年齢は30歳前後のシュタールの方が5歳近くは上である。更に魔術師で参謀でもあるシュタールは、ヴォルハルトの抑え役になっているのだろう。
「そんなことはどうでも良いではないか! 竜が『魔力の宝玉』に魔力を込めたから、俺達の怪我も完治したのだからな!」
上機嫌な様子で大声を上げたのは、もう一人の将軍ヴェンドゥル・フォン・ゲーレンハイトである。
ヴォルハルトを上回る巨体の彼は、嬉々とした様子で大剣を振り回している。数日前はほぼ全身を包帯で覆っていた彼だが、今は怪我を思わせるものは見当たらない。綺麗に磨かれた騎士鎧や兜に相応しい、鋭い剣筋からは、完全に復調したことが窺える。
「確かにそれは事実ですがね。普通の治癒魔術では治療不可能な傷でも『魔力の宝玉』があれば治すことができる。お陰で、ほんの少し前まで痛みを感じていたとは思えない回復ぶりです」
シュタールは、獰猛な笑みを浮かべながら剣の型を繰り返すヴェンドゥルに答えるともなく呟いた。
『魔力の宝玉』を使った治癒の魔道具によって、ヴェンドゥルだけではなく彼やヴォルハルト、そしてその部下達も炎竜達を捕獲したときの傷から回復したようである。
「ヴェンドゥル、そこまでにしておけ。外に出て竜の力を確認するぞ」
大将軍ヴォルハルトは、型を続けるヴェンドゥルに鋭い声をかけた。
炎竜の棲家である洞窟は、巨竜が生活するに相応しく広々としており、剣を振り回す場所はどこにでもある。そのためヴォルハルトはヴェンドゥルの好きにさせていたようだが、任務を忘れて己の復調を確かめる彼に、少々苛立ったのかもしれない。
「カミル!
お前達はここで幼竜を見張っていろ。炎竜は『隷属の首輪』で従っているとはいえ、万一効果が切れたらこいつが俺達の命綱だ」
部下に指示をした大将軍ヴォルハルトは、洞窟の隅にいる幼竜へと視線を向けた。
そこには、まだ幼児くらいの大きさの竜がいる。赤黒いといったほうが良い親達とは異なり、まだ薄赤い色の肌をした幼竜は、一心不乱に餌である雪魔狼を食べていた。
「はっ! 我らはここで幼竜を見張ります!」
ヴォルハルトの言葉に、豪華な騎士鎧とマントを付けた士官、おそらく大隊長と思われる武人が敬礼と共に復唱をした。更に同様の装いをした二人の武官と、その背後に控える配下達も同じ仕草をしている。
「一号! 二号! 外に出るぞ!」
ヴォルハルト達は、竜の思念を理解することができないようだ。それ故二頭の炎竜ゴルンとイジェの名前を知る術もなく、番号で呼ぶことにしたようである。
一方の炎竜達はヴォルハルトの叫びが響くと緩やかに身を起こし、軍人達の後を追うべく巨大な後ろ足を踏み出した。
「おお……」
肉食恐竜のように後ろ足だけで立つ炎竜達は、立ち上がれば高さ10mにもなる。そのため、周囲で働いていた魔術師達は、思わず声を上げ後退っている。
「お前達も来なさい! まだ仕事はあります!」
シュタールの叱咤に、呆然としていた魔術師達も慌てて動き出した。彼らはそこらに置いていた魔道具らしき品々を纏め始める。
一方、そんな彼らを置いてヴェンドゥルは大股にヴォルハルトの後を追いかけている。こちらも数名の大隊長らしき士官と、その部下達を引き連れている。
そして幼竜は、人間達など関係がないと言わんばかりに自身の親達を見つめていた。まだ生後間もない幼竜の下には餌として与えられた雪魔狼があるが、このときばかりはそんな物など目に入らないかのように、つぶらな目を見開いて二頭の巨竜を見送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「あれが炎竜達のいる洞窟か……」
雪原に身を伏せたイヴァールは、前方数百mに聳える岩壁を見て呟いた。
彼の見つめる先には、高さ20mはあると思われる洞窟の入り口があった。垂直に切り立った岩壁に空いた巨大な穴は深夜ということもあり、内部は黒々として見通すことは出来ない。
「出てくる! 竜だ!」
イヴァールと同様に岩穴を見つめていたシノブは、その鋭敏な魔力感知能力で二つの巨大な魔力が移動してくるのを察知していた。そして、彼の鋭い言葉を聞いた一行、イヴァールとアルノー・ラヴラン、アルバーノ・イナーリオはその表情を引き締める。
──子供もいるのですか!?──
シノブの肩に止まっているオルムルが、緊張を感じさせる思念でシノブに問いかけた。
アムテリアから授かった『小竜の腕輪』の効果で子猫くらいに小さくなった彼女は、帝国兵の目を避けて移動してくる間、ずっとシノブの肩に乗ったままであったのだ。
「いや、いないと思う。ホリィ、どうだ?」
──私も感知していません。人間が何十人か、それと成竜の魔力ですね。偵察に行ったときと同じ魔力ですから、ゴルンとイジェで間違いありません──
ホリィは、思念と同時に微かな鳴き声による『アマノ式伝達法』の双方で答える。
「そうか……。
アルバーノ! 洞窟に潜入して幼竜の様子を確認してくれ! そして可能なら助けてくるんだ!」
シノブは、猫の獣人アルバーノに洞窟への潜入を命じた。彼はアミィが作った透明化の魔道具を持っているから帝国兵に察知されることなく潜入できるはずだ。
「御意!」
アルバーノは、声を殺しながらも洗練された動作で騎士の礼をしてみせる。
「ホリィ……それとオルムルも行ってくれるか?」
アルバーノに頷き返したシノブは、続いてホリィとオルムルに声を掛けた。
シノブは自分と一緒にいるようにと言って連れてきたオルムルを、側から離すことに大きな躊躇を感じていた。しかし彼は、成竜との戦いに連れて行くよりは、幼竜の救出の方が安全だろうと思ったのだ。
それに、透明化の魔道具は手に持つくらいの物であれば一緒に消え去るので、ホリィやオルムルもアルバーノと共に姿を消すことが可能である。
──わかりました!──
──シノブさん! 竜の子を助けるのは、同じ竜である私の使命です! 遠慮しないで下さい!──
「……ありがとう。でも気をつけるんだよ。無理はしないで、何かあったらすぐに連絡するんだ」
ホリィに続いて勇ましい思念を発するオルムルを、シノブは優しく撫でた。
彼が心の声と呼び竜達が念話と呼ぶ思念での伝達があれば、洞窟の中と外でも問題なくやり取りが出来るはずだ。そのため、シノブはオルムルに異常を感じたら必ず伝えるようにと念を押した。
「閣下、このアルバーノ・イナーリオにお任せください! 竜の姫君の身は私がお守りします!
このアルバーノ、例え火の中水の中、竜のブレスの中だって……」
──アルバーノさん、生まれてすぐの竜はブレスなんて出せませんよ!──
大仰な動作でシノブに誓ってみせるアルバーノに、オルムルは少々呆れたようである。
流石に『アマノ式伝達法』では感情まで篭めることは出来ないが、内容から察したらしくイヴァールやアルノーも苦笑していた。
「アルバーノ、頼むぞ。こちらが成竜を引きつけるから、迂回して接近するんだ。
……ホリィ、オルムル、幼竜は任せた」
竜が洞窟の出口に近づいていると察したシノブは、アルバーノやオルムルの言葉には構わず、口早に指示をしていった。彼とイヴァール、アルノーが二頭の炎竜の相手をし、その隙にアルバーノに潜入させるつもりである。
「はっ!」
アルバーノは、雪原に頭が触れそうなくらい深々と頭を下げてシノブの命に答える。
──シノブさん、必ず助け出してみせます!──
──シノブ様、どうか無理をなさらないでください──
そして跪礼をしたままのアルバーノの両肩に、オルムルとホリィがそれぞれ降り立った。
なお、オルムルは敵に魔力を察知されることを恐れたのか二回りほど体を小さくしたため、ネズミが肩に乗っているようにも見える。
「では閣下、失礼します!」
顔を上げたアルバーノは、一声叫ぶとその姿を消した。アミィの与えた魔道具の効果で姿が見えなくなったアルバーノ達だが、シノブは微かに彼の魔力を感じ取っていた。
アルバーノは、獣人だから魔力はさほど大きくない。しかも、戦闘奴隷としての訓練で魔力を効果的に使用する技を身に付けた際に、魔力を抑えて隠す術も習得したようである。
そしてオルムルは小さくなることで、ホリィは足環の効果で魔力を隠している。したがって、帝国の魔術師達でも、三人の魔力を感知することは出来ないだろう。
「イヴァール、アルノー、俺達も行くぞ!」
三人の魔力が離れていくのを感じたシノブは、残ったイヴァールとアルノーへと声をかけた。
アミィが獣人の解放に向かった今、彼らがシノブに続く力量の戦士達である。巨竜との戦いには並の兵士では足手まといになるため、シノブは少数での突入を選択したのだ。
「おお! 腕が鳴るな!」
「閣下、お供します」
巨大な戦斧を振り回すドワーフのイヴァールに、静かに小剣を抜き放つ狼の獣人アルノーと、対照的な二人であったが、その決意の篭った熱い視線は双方とも変わりがない。
もはや、姿を隠しておく意味もない。むしろ幼竜を救い出すアルバーノ達から目を逸らすためにも、正面から向かっていくべきだ。そう思ったシノブは、二人を従えると雪を蹴立てて駆け出していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「竜達を解放しろ!」
シノブはイヴァールとアルノーの二人を引き連れて、二頭の赤黒い巨竜を連れた大将軍ヴォルハルトの前に立ちはだかった。大将軍の周りには大勢の帝国兵がいるため、シノブは光の大剣、イヴァールは愛用の戦斧、そしてアルノーは小剣を油断なく構えている。
「お前! まさか!?」
洞窟を背にした大将軍ヴォルハルトは、中央に立つシノブを見て驚愕の声を上げていた。どうやら彼は、シノブ達の正体を察しているようである。
「私のことを知っているようだな! 私の名はシノブ! メリエンヌ王国フライユ伯爵にして東方守護将軍のシノブ・ド・アマノだ!」
今回シノブは獣人への変装をしていなかった。そもそも竜と戦うなど、ただの獣人に出来ることではない。それに今頃国境では、帝国の砦を攻略すべく王国軍と岩竜達が行動を起こしているはずだ。もはや、ここまで来て偽装をする意味もないだろう。
今日の彼は、白い軍服に似た装束に緋色のマントを身に着けている。これはアムテリアから授かった魔法装備で、竜との戦いになるかもしれないと案じたシャルロットとアミィが着用を勧めたものだ。
「アハマス族エルッキの息子、イヴァールだ! 隷属などという不埒な手段を使うお前達に、鉄槌を下しに来た!」
続いてイヴァールも、轟く声で名乗りを上げる。鱗状鎧を装備した彼は並外れて大きな戦斧を振りかざし、獅子もかくやと言わんばかりの咆哮を放っていた。
イヴァールはドワーフだから、人族より頭一つ以上も背が低い。しかし隆々たる筋肉と歴戦の戦士の風格故か、むしろ常人よりも大きく見えるくらいである。
「……フライユ伯爵領軍、大隊長アルノー・ラヴラン」
最後に名乗りを上げたのは、狼の獣人であるアルノーだ。長く戦闘奴隷として帝国に隷属していた彼は、激しい怒りを押し殺すかのように短く所属と名を告げただけである。
アルノーは視線を動かし、巨竜達の首の巨大な『隷属の首輪』を見つめる。人間や魔獣用と異なり首輪の正面には拳大の四つの結晶、つまり『魔力の宝玉』が光り輝いている。
しかし大きさや形状は違えど、かつて自分を縛っていたのと同じ魔道具だ。アルノーが激怒するのは当然だろう。
「馬鹿正直に名乗るとはな! どうせ竜には勝てないから墓標に刻む名くらいは伝えておく……そういうことか!?
俺の名はヴォルハルト・フォン・ギレスベルガー! ベーリンゲン帝国の大将軍だ!」
漆黒の騎士鎧のヴォルハルトは、シノブより拳一つ以上は背が高い巨体に相応しい轟くような大音声で叫び返した。そして名乗りを終えた彼は、黒に周囲を銀の縁取りをしたマントを翻しつつ大剣を抜き放つ。
「名乗る必要があるとも思えませんが……私はシュタール・フォン・エーゲムント。将軍です」
「俺はヴェンドゥル・フォン・ゲーレンハイト! 同じく将軍だ!」
ヴォルハルトに続いたのは、仕方なく、という様子で静かに口を開いたシュタールと、大剣を抜き放って今にも襲い掛かりそうなヴェンドゥルである。
「大将軍に将軍二人か……そういえば、前任者達は呆気なかったな! ……お前達、ここで死にたくなければ炎竜達を解き放て!」
シノブがことさら派手な言葉を用いたのは、敵の注意を引きつけるためだ。
アルバーノ達は姿を消しているが、万一ということもあるだろう。そう思ったシノブは、敢えて憎々しげに聞こえるよう声を張り上げた。
そして演技の甲斐あって、帝国軍人達の視線は全てシノブ達に注がれている。
「戯言を! 一号、二号! あの男を殺せ! ……そうだ、折角だから空からブレスで倒してみろ!」
激昂した様子のヴォルハルトは、シノブを指差す。すると二頭の炎竜ゴルンとイジェは、翼を広げて天空へと舞い上がっていく。
岩竜と同様に、炎竜も魔力を多用して飛行しているらしい。彼らは巨体から想像できない無音の飛翔で、一瞬にして高空へと居場所を移している。
「イヴァール、アルノー、帝国兵を頼む!」
シノブは、イヴァール達を置いて洞窟と反対側に走り出した。彼は強力な魔力障壁で竜のブレスにも充分対処できるから、むしろ一人の方が都合が良いのだ。
「おお! 将軍達は任せろ!」
「閣下、ご武運を!」
イヴァールとアルノーは高度な身体強化を活かし、あっという間に帝国兵達に迫っていく。彼らはシノブのように魔力障壁は使えないから、乱戦に持ち込んで竜のブレスを避ける算段である。
「ヘクター、マルク、行くぞ!」
対する帝国軍からは、将軍ヴェンドゥルが部下を率いて躍り出た。彼は二人の大隊長と、その部下達を従えてイヴァールとアルノーを包囲しようとする。
「馬鹿が! 素直に向かってきおって!」
イヴァールは嘲るように吼えると更に加速して帝国の兵士達へと接近し、振りかざした戦斧を暴風のように振り回す。
「防御の魔道具が効かない!」
「なんて速さだ!」
イヴァールの戦斧を受けた兵士達は、一撃で戦闘不能となっていた。彼らは重装備の鎧を身に着けている上に防御の魔道具で障壁を作り出しているようだが、そんなものはイヴァールには関係ないようだ。
兵士達の間を、イヴァールは姿が霞んで見えるほどの速度で動き回っている。そして彼が膨大な質量の戦斧を小枝のように軽々と振り回しながら通り抜けると、兵士達は小石か何かのように吹き飛ばされ、遥か遠方へと落下していく。
どれくらいの速度で飛ばされるのか落下した場所には大穴が空き、その中に兵士達がめり込んでいた。これなら魔力障壁などあっても意味がないだろう。
「流石はイヴァール殿!」
感嘆の声を上げるアルノーだが、こちらも負けてはいない。彼は大武会の決勝戦を更に上回る速さで敵の背後に回りこみ、手に持つ小剣で急所を貫いていく。
「獣人が増えた!」
「馬鹿! 残像だ!」
何人もの兵士がアルノーを押し包もうとするが、そこには彼の姿は見当たらない。それどころか囲む兵士の後ろに同じだけのアルノーが出現し、彼らを逆に屠っていく。
「邪魔だ、どけ! 俺が相手だ!」
成す術もなく倒されていく部下達に焦れたのか、将軍ヴェンドゥルがイヴァールの前に進み出た。そして、ヘクターにマルクと呼ばれた大隊長達がアルノーへと迫る。
「ふむ……少しは手ごたえがありそうだな」
イヴァールは頭二つ近く大きいヴェンドゥルの巨体を見上げながら、呟きを漏らした。
巨漢のヴェンドゥルがドワーフのイヴァールと対峙すると、まるで大人と子供が向かい合っているようである。しかし、背を除けば決してその体格は負けてはいない。イヴァールも、筋骨隆々のヴェンドゥルに引けを取らぬ、鋼のような肉体の持ち主だ。
「獣人など、大人しく奴隷になっておれば良いのだ!」
「この人間のなり損ないが!」
アルノーを囲む大隊長、ヘクターとマルクは、口々に罵り声を上げる。帝国では獣人は人間扱いされないというが、彼らもその例に漏れないようである。
「我らが同胞の無念、受けるが良い!」
狼の獣人アルノー・ラヴランは二人の罵声にも動揺せず、今まで以上に素早い動きで彼らに向かっていく。そして、時を同じくしてイヴァールとヴェンドゥルの激突も始まった。そんな彼らの二対三の戦いは、金属のぶつかり合う壮絶な音で、幕を開けたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、シノブは高空から襲い来る二頭の巨竜の放つ炎のブレスを魔力障壁で受け流していた。彼は、アミィやホリィからの連絡があるまでは、大将軍達の注意を自分に引きつけるつもりであった。
時折シノブは、炎竜のゴルンとイジェに思念を送るが巨竜達からは何の返答もない。どうやら戦闘奴隷と同様に隷属されている間は余計なことは話さないようである。
しかも竜が付けている『隷属の首輪』は特別製なのか、シノブの魔力干渉も効果がない。人間用の『隷属の首輪』なら、光の大剣で魔力を増幅すればかなり遠方でも効果があるのだが、炎竜達の様子には全く変化が見られなかった。
「なんだ! 『竜の友』とやらの実力も大したことがないな!」
「あのブレスですから、防戦できるだけでも驚異的ですが……とはいえ、拍子抜けですね」
大将軍ヴォルハルトとその部下である将軍シュタールが、嘲るような声を上げた。シノブが攻めあぐねていると思ったのだろう、二人は炎竜達に任せて観戦を決め込んだらしい。
確かに高空を飛ぶ竜を相手にするには、岩弾や水弾のような魔術を使うしかない。したがって大将軍達は、シノブが何の対処も出来ないと思ったのだろう。もちろんシノブはレーザーの魔術を使うことも可能だが、炎竜を生かしたまま捕らえるのであれば、それも無分別に使うわけにはいかない。
──シノブ様、全ての獣人を解放しました! 兵士の皆さんも魔法の家で帰還しました! これからそちらに向かいます!──
──ホリィです! 幼竜を発見しました! 救出を開始します!──
そんな一見手詰まりのように見えるシノブの脳裏に、アミィとホリィの心の声が響いた。遂に、シノブが待ち望んでいた瞬間が来たのだ。
「ヴォルハルトよ! これを見て驚くな!」
これで遠慮なく戦える。そう思ったシノブは一声吼えると、左手で数発のレーザーを連続して放った。
「な、何だ!」
「竜の動きが……」
シノブが放ったレーザーは不可視の光だから、ヴォルハルトとシュタールには見えはしない。だが炎竜達は行く手を遮られたと魔力で察したらしく、シノブを避けて上昇を開始した。
「……しかし、地上にいては勝ち目はないはず!」
「なら、こちらも飛ぶだけだ!」
信じられないと言いたげなシュタールの叫びに、吐き捨てるように答えたシノブは、力強く地を蹴った。すると、彼の体は弾丸のような勢いで上空に舞い上がっていく。
「ば、馬鹿な! 空を飛んだ!?」
驚愕の叫びを上げたヴォルハルトは、唖然とした様子で空を見上げている。
なんとシノブは大型弩砲から放たれた矢の何倍もの速度で空に舞い上がると、炎竜達と同じ高みまで達していた。そう、彼は竜の飛翔と同様に重力魔術で天空へと昇ったのだ。
「オルムルのお陰だな……」
漆黒の空へ駆け上がったシノブは、一人呟いていた。
シノブは、以前オルムルに乗って王都へと飛翔したときに、竜達の体重を支え飛行まで可能とするのは重力制御だと知った。しかも彼は、オルムルと魔力波動を同期することで、その実現方法も体得できた。それ故彼は、人類の夢である大空の制覇をすべく、密かに重力魔術の修練をしていたというわけだ。
炎竜達は、自身と同じ空域まで上がってきた人間に一瞬戸惑ったようだが、細く絞った炎のブレスを放ってくる。
そして、それを見たシノブは、ある時は魔力障壁で受け、ある時は重力魔術により進行方向を急激に変化させて対抗する。そんな空力を無視して直角に曲がったり鋭くターンしたりと繰り返すシノブに、竜達は翻弄され狙いを定めることも出来ないようである。
「今助けてやるからな!」
激しい機動を繰り返しながら、シノブは左手のレーザーで牽制しながら徐々に竜との距離を詰めていく。そして、彼の右手には光の大剣が煌めいている。
紅のマントをたなびかせ天駆ける戦士と、血のように赤い巨竜達の戦い。それは、人の手の届かぬ高みにて、決着の時を迎えようとしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年5月13日17時の更新となります。