10.30 驚きの Happy Birthday 後編
昼食後、シノブやシャルロットそしてアミィは、宴に出席した者達の一部を連れて伯爵家の前庭へと移動した。
なお、アシャール公爵やベルレアン伯爵、それに侯爵の家族のうち年長の者は別館の温泉に向かっていた。彼らは、よほど温泉が気に入ったようである。
──シノブさん! 父さまからの贈り物、いかがでしたか?──
前庭にある訓練場に来たシノブに、オルムルが文字通り飛んできた。
岩竜である彼女だが、まだ親のガンド達のように大きくはない。全長20mはある両親達とは違い、馬より一回りくらい大きい程度である。
とはいえ、あくまで親に比べて小さいだけで、人間から見れば充分巨大である。そのため竜を初めて見る三伯爵や家族達は、驚きの声を上げていた。
「ああ、美味しかったよ! ありがとう!」
シノブは大きく顔を綻ばせ、オルムルに礼を伝えた。
先ほどの午餐会で、シノブ達は新鮮な魚を味わった。それはアミィが頼み、ホリィとガンドが取ってきたものである。岩竜は子供を育てるために、捕らえた魔獣を一飲みにして棲家に運ぶ。彼らが飲み込んだ獲物は、仮死状態になり長持ちするらしい。
そこで金鵄族、つまり青い鷹であるホリィが捕まえた魚を、ガンドが飲み込んでアミィの下に運んだというわけだ。アミィは内部の時間経過のない魔法のカバンを持っているから、ガンドが運んだ魚を、いつまでも新鮮な状態で保管できる。
したがって祝宴には、獲りたてかつ産地直送の魚を大量に供することが出来たのだ。
──シノブさんに黙っているのは心苦しかったのですが、その方が良いと父さまやホリィさんが言ったので……ごめんなさい──
「何言ってるんだ。誕生日のプレゼントは、先に聞いたら楽しみが減ってしまうからね。驚きもプレゼントのうちだよ」
申し訳なさそうな思念を発するオルムルの頭を、シノブは優しく撫でつつ自身の魔力を送り込む。
オルムルが館に来てから、シノブは彼女に魔力を朝晩二回与えていた。したがって昼食後のこの時間に与える必要はないのだが、オルムルを見るとついつい甘くなってしまうようである。
そしてシノブが心から喜んでいると知ったオルムルは、魔力を吸収しながらその目を細めて喉を鳴らしている。彼女は本来魔獣を食べてその魔力を得るが、膨大な魔力を持つシノブの場合、ほんの一部を分け与えただけでも充分以上のエネルギーを得ることが出来るらしい。
「おお……本当に竜と話している」
「『アマノ式伝達法』を覚えておいて良かったな……」
三人の伯爵、エリュアール伯爵、ボーモン伯爵、ラコスト伯爵は、感嘆の声を上げていた。
ちなみにオルムルは、シノブ以外の者にもわかるように思念と同じ内容を鳴き声の長短で表現している。もちろん、彼女は人間の言葉を操ることは出来ないから『アマノ式伝達法』としてである。
しかし、いまや王国軍全体で『アマノ式伝達法』を正式採用しており、各領軍を率いる伯爵達もシノブとオルムルの会話を難なく理解していた。
「いつ見てもほれぼれしますね……」
「ええ。それにあの賢そうな様子。
やはり、竜というのは私達と同等、いえ、それ以上の生き物なのですね」
王太子テオドールや王女セレスティーヌ、そして侯爵の子供達は既に何度か竜を見ている。だが、最初はその巨大さや飛行能力に、次に彼らの知能にと、見る度に様々な発見があるようだ。そのため、彼らも熱の籠った視線を向けている。
なお、彼らの中には『アマノ式伝達法』を未収得な者がいるため、シャルロットと共に来たアリエルやミレーユが、その内容を彼らに伝えている。
「シノブ様は、やっぱり凄いです!」
「僕も触って良いですか!」
シノブとオルムルが戯れる光景を見た伯爵家の子弟達は、早速竜に興味を示していた。
ボーモン伯爵の嫡男ディオンや、ラコスト伯爵の嫡男エルワンは、待ちきれないらしくシノブの下に駆け寄っていた。
──どうぞ! 空を飛んでみますか?──
「触って良いよ。それと、オルムルが空を一緒に飛ぼうと言っているから、後で順番に乗ろう」
流石に少年達はまだ『アマノ式伝達法』を理解できないだろうと思ったシノブは、二人の少年にオルムルの言葉を伝えた。
「わあっ! 良いんですか!」
「シノブ様! 僕ももう一度乗りたいです!」
「僕も!」
喜ぶ伯爵の子供達の姿を見て、今まで後ろにいた侯爵の子供達、ギャルドン侯爵の嫡男アンブロスとジョスラン侯爵の嫡男ベルナールまで駆け寄ってくる。彼らには昨日オルムルを紹介し、その背に乗せているが再び乗りたくなったようだ。
「ああ。でも、まずはディオン達からだ」
伯爵達やその家族は、昨日夕方から夜に到着したため、まだオルムルを紹介していない。そのため、シノブは小さな侯爵家の跡取り達に、ディオンやエルワンからだと伝えた。
「シノブ様、装具を取りつけますね!」
アミィは魔法のカバンから装具を取出し、従者見習いのレナンやパトリック達と協力して、オルムルに騎乗用の装具を取り付けていく。
「おお……神々の御紋だ……」
「神々しい輝きですね……」
王都で竜達を見た侯爵家の者達とは違い、既に領地に戻っていた伯爵達は神々の紋章がガンド達に授けられたことを知っていても、見るのは初めてである。そのため、彼らはオルムルを見たときと同様の感嘆を漏らしている。特に年長のラコスト伯爵やその妻は、敬虔深げに祈りを捧げていた。
「さあ、男の子は私と一緒に乗ろう。女の子はシャルロット達と乗ってくれ」
シノブの言葉に、今か今かと待っていたディオン達が歓声を上げた。
最も年長のディオンが10歳で、エルワンが7歳、アンブロスとベルナールは更に年下である。いくら命綱を付けるとはいえ、一人で乗せるわけにはいかないだろう。
オルムルの背には、大人なら二人は乗れる。そこでシノブは、まずはディオンとエルワンを抱き上げ、オルムルの背に乗せ、その後ろに自分も跨った。
「シャルロットさま! 私も!」
今まで後ろにいたエリュアール伯爵の長女ジスレーヌが、シャルロットの下に駆け寄った。まだ3歳の彼女は、シャルロットのドレスの裾を掴んで見上げている。
「ええ、一緒に乗りましょうね」
そんな幼子に、シャルロットは身を低くして目線を合わせる。そして彼女は、母カトリーヌに良く似た穏やかな笑顔で微笑みかけた。
「シャルお姉さま、私達ももう一度良いですか?」
「それでしたら私もお願いします!」
王女セレスティーヌの声に、イポリート達まで名乗りを上げた。しかも活発な彼女達だけではなく、大人しそうなマルゲリットまで、恥ずかしそうにシャルロットを見つめている。
「セレスティーヌ様は、成人されているでしょう……」
「我がままな妹で悪いね」
苦笑気味のシャルロットに、王太子テオドールが済まなそうな表情をみせる。
「失礼しました……」
王女やその友人達は、恥ずかしげな顔となる。テオドールが触れたセレスティーヌはもちろんだが、他の令嬢達も次代の国王の言葉で我に返ったのだろう。
──何人でも良いですよ。シノブさん達と一緒に遊ぶのは楽しいですから──
「シャルロット、オルムルもこう言っているし伯爵達も乗るんだ。だから多少増えても構わないよ」
前に乗せた二人の少年に命綱を付けながら、シノブは妻へと笑いかけた。すると、それを聞いた伯爵達が、安堵の表情を見せる。やはり、彼らも空からの光景を見てみたかったらしい。
──シノブさん、準備は良いですか?──
「ああ、大丈夫だ!」
子供達と自身に命綱をつけたシノブは、オルムルに力強い言葉を返した。そして、その言葉を聞いたオルムルは、静かに大地から飛び立ち、少年達に空からの世界を紹介した。
◆ ◆ ◆ ◆
「やはり、子供達は竜が好きだねぇ!」
「子供だけでも無いようですが……デュスタール殿はともかく、レオドール殿やマルセル殿まで少年のように目を輝かせていましたよ」
向かいのソファーに座ったアシャール公爵に、シノブはオルムルを見た三伯爵の様子を苦笑しながら伝えていた。
まだ三十歳前のエリュアール伯爵デュスタールはともかく、40代のラコスト伯爵レオドールやボーモン伯爵マルセルまで、空から見る光景に夢中になっていたのだ。
「あのレオドール殿がね……」
意外そうな顔をしたベルレアン伯爵は、迎賓の間の中央で妻と踊っているラコスト伯爵を見つめていた。
ラコスト伯爵は、背はそれなりに高いが内政官のようなほっそりした体型である。また、アッシュブロンドの髪と髭を綺麗に整えた彼は、20年後のシメオンが年相応に髭を生やしたようにも見える。それもそのはず、実はシメオンの祖母フェリシテはラコスト伯爵の叔母であり、彼らは近しい間柄なのだ。
なお、午餐会のときは大テーブルを置いていた迎賓の間だが、今は片づけられている。実は迎賓の間に置かれた巨大なテーブルは組み立て式であり、必要に応じて控えの間に収納することが可能であった。そのあたりは、魔道具産業を推し進めた前フライユ伯爵クレメンの先進的な性格の表れなのかもしれない。
「ともかく彼らにも竜が高い知能を持ち、我々と共存できるとわかっただろう?」
「はい。やっぱり実際に見てもらうのが一番ですね」
公爵の予想通りと言いたげな表情を見たシノブは、深々と頷いた。オルムルには悪い気もしたが、これからのベーリンゲン帝国との戦いもある。特に、炎竜の番が囚われている可能性がある今、竜についての理解を深めてもらうことは、将来を左右しかねない重大事であった。
仮に炎竜達が帝国の手先となった場合、参戦した伯爵達が強硬策を唱えるかもしれない。しかし、人間と同等以上の知能を持ち仲間を思いやる心を持っていると知れば別である。
なぜなら、帝国以外の国々ではアムテリアを最高神として厚く信仰されているし、彼女は奴隷を禁忌としているからだ。
「竜が人間と同等であれば、強制は出来ないからね」
周囲にはダンスに興じる人々や、壁際のソファーで歓談する者達がいる。それ故、ベルレアン伯爵ははっきりとは言わなかった。だが、シノブは当然その意味を悟っている。
竜が人間と同等であれば、彼らの意思を封じて従わせることは、禁忌とされる奴隷化を意味する。そこで、アシャール公爵やベルレアン伯爵は、先への布石として竜と人との交流を進めようと考えたわけである。
「シノブ殿。シャルロット達が待っているようだよ。今日は君の誕生日だ。私もソレンヌと踊るから、君も行こう」
シノブの隣に座っていた王太子テオドールが、彼の肩に手をやると立ち上がるように促した。その言葉に、シノブが後ろを振り向くと、そこには恥ずかしげな表情のシャルロットとミュリエル、そしてセレスティーヌが立っていた。
「済まなかった。つい話し込んでしまったよ……さあ、行こう。
ミュリエル達は、少し待っていてくれないか?」
シャルロットの手を取ったシノブは、僅かに残念そうな表情を浮かべる二人の少女に微笑んだ。
「はい! それではお母さまのところで待っています!」
ミュリエルは、シノブの言葉に明るい笑顔と共に元気の良い返事をした。
彼女は母のブリジットやベルレアン伯爵の第一夫人カトリーヌがいる一角へと向かうようだ。やはり、久しぶりに母と会えたことが嬉しいのだろう。
「ソレンヌお義姉さまは、お兄さまと踊るのですね……それでは、私もミュリエルさんと一緒に行きましょう!」
そして、セレスティーヌもミュリエルと共に夫人達の下に向かうようである。
カトリーヌは妊娠六ヶ月でありダンスなどできない。そのため、今回は歓談や温泉を楽しむことにしたらしい。
「……それじゃ、踊ろうか」
中央に歩み出たシノブは、シャルロットへと向きなおり、優雅な一礼をした。言葉こそ素朴だが、シノブの挙措もかなり洗練されてきたようである。黒と白を基調にした略式の軍服を着けた彼は、立派な上級貴族に見える。
「はい」
対するシャルロットも、ドレスの裾を摘んで礼法の見本のような仕草でシノブに応えた。
今日の彼女はベルレアン伯爵継嗣としての立場を意識したのか、青いドレスを身に着けている。シノブの軍服にフライユ伯爵家の黒が入っているように、ベルレアン伯爵家は青い衣装を好むのだ。
彼女のドレスは、母カトリーヌが好むような落ち着いたデザインのものである。冬場ということもあるが袖も長く首元もしっかり覆った清楚なドレスは、既婚者向けとして一般的な様式だという。
そして、激しい舞踏を意識してか、装身具も最低限である。シノブと王都を散策したときに買ったイヤリングの他は、服に縫い付けた小さな宝石くらいしか見当たらない。
だが、幸福そうな笑みを浮かべた彼女には、アクセサリーなど不要であろう。それを証明するかのように、美しい仕草で身を屈め再びシノブを見つめたシャルロットの姿に、周囲の者は思わず溜息を漏らしていた。
「王宮で踊った曲だから、初心者にはちょうど良いね」
「今は、もっと踊れるようになったでしょう?」
おどけたようなシノブの言葉に、シャルロットが笑みを返した。
彼女の言葉の通り、シノブの身のこなしは確かなものである。高い身体能力を持ち、武芸にも秀でたシノブだから、舞踏に関しても人より遥かに早く修得していた。こちらに来てからも、彼はレパートリーを増やすべく空き時間にシャルロットやミュリエルと練習をしていたのだ。
伯爵家お抱えの楽士達が奏でる旋律は緩やかなものであったが、むしろそれ故に彼の伸びやかかつ滑らかな舞いが映えているようである。そのため、妻を優しくリードするシノブと、夫に身を委ね一つに重なるように寄り添うシャルロットは、舞踏を鑑賞する者達全ての視線を惹きつけていた。
「……シメオン達も、間に合ったようだね」
周囲の注目を浴びたシノブは、彼らに気付かれないように、そっとシャルロットに囁いた。彼がターンして入り口側を向いたとき、シメオンとマティアスが入ってくるのが見えたのだ。
「良かった……アリエルやミレーユも喜ぶでしょう」
シノブは更にターンしたので、シャルロットの目にも彼らの姿が映ったようである。彼女は、安堵したような表情でシノブに言葉を返した。
「やっぱり、アリエルはマティアスを好きなの?」
シメオンとミレーユについては、シノブはその仲を確信していた。シメオンは、中々本心を露わにしないが、少なくともミレーユが意識しているのは間違いがない。
だが、アリエルについては、普段感情を出さないだけに、シノブにはその内心を量りかねていた。
「はい。領軍本部でも、機会がある度にマティアス殿のところに行くように仕向けたのです」
「そうか……上手く行くと良いな」
どうやらシャルロットやミレーユは、親友の将来を案じて色々手を回したようである。そして、シノブの言葉に笑みで答えたシャルロットの様子からすると、彼女達の目論見通りに事態は進展しているようだ。
「さあ、次はミュリエルと踊ってください。それに、貴方と踊りたい人は沢山待っていますよ」
既にシノブの妻となったシャルロットは、妹達への気遣いを優先したようだ。曲の終わりが近づくと、彼女はパートナーの交代を申し出た。
「ああ、待たせちゃいけないからね」
シノブも笑顔を見せると、最後の一節を飾るべく華麗なターンを披露した。
◆ ◆ ◆ ◆
ミュリエルやセレスティーヌと踊ったシノブは、その後侯爵の娘達ともダンスすることになった。主賓だから来客を饗応すべきと言われたせいもあるが、結局彼は舞踏会の半分以上を踊ったようである。
そんな彼は合間合間に、アリエルとマティアス、ミレーユとシメオンが踊る様子を観察していた。どうやら、ダンスのときもミレーユがアリエルを誘って職場から戻った二人を捕まえたようである。
なお、『王国名誉騎士団章』を得た彼女達は、単なる男爵の娘を超えた立場になったらしい。彼女達が持つのは『大騎士章』だが、子爵でもそれを手にする者は稀である。そのため上級貴族が居並ぶ舞踏会でも、彼女達は遠慮なく踊れるようになったのだ。
もちろん、アミィも同様だ。なにしろ彼女は更に上の『将軍章』を持っている。これは伯爵でも通常在位二十年ほどで手にする貴重なものだ。
「大変だったけど、アミィと踊れて良かったよ」
晩餐会の後、家族のみでサロンへと下がったシノブは、アミィに笑いかけた。
「はい、私も嬉しかったです!」
王女の成人式典では、こっそり庭でシノブと踊ったアミィだが、今回は迎賓の間の中央で堂々と踊ることができ、とても幸せそうであった。今も彼女は、その時のことを思い出しているのか、うっとりとした表情で微笑んでいる。
「……しかし、やっと落ち着けたね」
サロンの中を眺めながらシノブは呟いた。
今、サロンには妻のシャルロット、フライユ伯爵家の者であるミュリエルと祖母のアルメル、更にベルレアン伯爵コルネーユとその妻達、カトリーヌとブリジットがいる。
昨日は侯爵家の者達を歓待し、その後は夜遅くまで今後の対応を相談した。そのため、彼ら身内だけで集うのは、今が初めてであった。既に夜も更け、侍従や侍女も下げた彼らは、それまでの時間を埋め合わせるかのように遠慮のないゆっくりとした時間を楽しんでいた。
「あっ! 動きました!」
「母上! 弟はとても元気が良いようですね!」
ますます母性が増してきたカトリーヌは、至福の表情でソファーにゆったりと腰掛けている。そして、彼女の大きなお腹に手を当てていたミュリエルとシャルロットが、嬉しげな声を上げていた。
「この子は本当に元気が良いみたいです」
カトリーヌが言うとおり、シノブやアミィが魔力で探るまでもなく、彼女とお腹の子が順調なのは誰の目にも明らかであった。このままいけば、あと四ヶ月、六月の頭には無事に出産となるであろう。
「ブリジットにも授かると良いのですが……」
「お母様、私も頑張ります」
アルメルの言葉に、ブリジットは柔らかい笑みと共に答えた。
ベルレアン伯爵の娘達は、二人ともフライユ伯爵領に住むことになった。そのため、アルメルとしてはベルレアン伯爵家から跡取りを取り上げたように思ったのだろう。実際にはシャルロットはベルレアン伯爵の継嗣のままだが、もう何人か子供が必要と考えても無理はない。
「ブリジットには、もう新たな命が宿っていますよ」
カトリーヌを見つめていた一同は、壁際から聞こえてきた声に、思わずそちらを振り向いた。なんと、そこにはこの世の者とも思われぬ神々しい美女が立っていた。
「アムテリア様……」
そう、シノブが呟いた通り、彼らの目の前にいるのは光り輝く女神、この世界の最高神アムテリアであった。彼女は今までその存在を感じなかったのが不思議なくらいの神気を纏い、シノブ達に嫣然と微笑んでいた。
「あの、アムテリア様? ブリジット様には……」
唐突な出現に茫然自失の態の一同に代わってか、アミィがアムテリアに問いかける。とはいえ、彼女も薄紫色の瞳に驚きの色を宿している。
「言葉通りの意味です。まだ、あなた達にはわからないかもしれませんが、ブリジットはコルネーユの第四子を宿しています」
「あ、ありがとうございます!」
シノブ達の下に歩み寄りながら、柔らかな声で説明するアムテリアに、ブリジットが跪いて感謝の言葉を伝えた。
彼女だけではなく、シノブとアミィ、そして身重のカトリーヌ以外は、同様に跪礼をし顔を伏せている。
「そんなに畏まらなくても良いのです。皆も楽にしなさい。
私はシノブの母として来ただけですから……それに、貴女はシノブの妻となるミュリエルの母です。ここでは同じ母同士で良いでしょう?」
輝く金髪を揺らめかせながら身を屈めたアムテリアは、ブリジットの手を取って立ち上がらせソファーへと座らせた。
「ブリジットさん、良かったですね……あなた?」
カトリーヌは柔らかな笑顔でブリジットを祝福すると、夫のほうに顔を向けた。
「……あ、ああ。ブリジット、ありがとう。とても嬉しいよ」
そして妻の声にやっと我に返ったのか、ベルレアン伯爵はブリジットの下へと歩み寄ると、優しく肩を抱き温かな言葉をかけた。
「……シノブ。新たなる地に赴く貴方に幾つか助けとなる物を用意しました。詳しいことはアミィに教えておきますから、後で確認してください」
再びソファーに座った一同を見たアムテリアは、シノブへと顔を向けると彼女からの授け物があると伝えた。対するシノブは、新たなる地と聞いて、その身を固くした。帝国との再戦は避けられそうもないが、今この時期に急いで行くとすれば炎竜の救出ではないか。そうシノブは思ったのだ。
「ええ。貴方の予想は当たっています」
アムテリアは、人の心を読むことが出来る。そのため彼女は、シノブの発言を待たずにその問いに答えていた。
「大神アムテリア様……それはどういうことでしょうか……」
この中で唯一アムテリアと会ったことのないアルメルが、恐る恐るといった様子で彼女に問いかけた。
厳密には、カトリーヌも会ったことがないが、彼女は夢の中でアムテリアが聖地に降臨した様を見ている。それ故、アルメルほどは驚いていないようである。
「その説明は、ホリィがします。こちらに戻っている途中のようですが……呼び寄せましょう」
微笑みを浮かべたアムテリアが手を差し出すと、そこに青い鷹が出現した。もちろん金鵄族のホリィである。
──こ、これは!?──
「ホリィ、良くやってくれていますね。貴女が掴んだ情報を、シノブに伝えるのです」
最初は驚いていたホリィだが、アムテリアの笑みを見て落ち着きを取り戻した。眷属だけに、彼女の広大無辺な神力を熟知しているのだろう。
──帝国の大将軍は、炎竜のゴルンとイジェを捕らえていました! 幼竜もいます!──
ホリィはアミィの腕に向かって飛翔しながら、緊迫した思念と鳴き声で、炎竜達の状況を伝えてきた。
「くっ! やはり捕まっていたか……」
「シノブ、早速助けに行きましょう! 私も一緒に行きます!」
悔しげな顔をしたシノブに、シャルロットが凛々しい表情で語りかける。ドレス姿の彼女だが、その顔は歴戦の武人そのものだった。
「シャルロット、貴女は残りなさい」
勢い込むシャルロットに、アムテリアは歩みよりながら静かに声を掛けた。更に、光り輝く女神はシャルロットの体に手を回し、落ち着かせるように優しく抱きしめる。
「で、ですがアムテリア様!」
「貴女にも、子が宿っているのです。待望のシノブの子ですよ?
……シノブ、私はこのことを伝えに来たのです。これが、私から貴方へのプレゼントです」
突然の抱擁に驚くシャルロットに、アムテリアは意外な事実を告げた。そして彼女は身に纏う光輝に勝るような輝かんばかりの笑顔をシノブに向けた。
「え、シャルロットに……私の……」
「あなた達の愛の結晶です。当然の事でしょう?」
シノブは、ふらふらとシャルロットの下に歩み寄る。
それは、まるで自身が歩いていることに気がついていないような様子であった。もしかすると、アムテリアの神力で引き寄せられているだけかもしれない。そんな想像さえしかねない、夢見心地の足取りである。
「ほら、しっかりしなさい。貴方の妻にかける言葉があるでしょう?」
「え、ええ……シャルロット、ありがとう。よくやったな……いや、それは早すぎるか……」
苦笑気味のアムテリアに招かれたシノブは、愛妻を抱きしめながら何とか言葉を絞り出した。
その言葉から、彼が激しく動揺していることが窺えるが、当然その場にいる者は笑うどころではない。サロンに集う者達は、ある者は喜びの声を上げ、ある者は感涙に咽びながら、若い夫婦を祝福している。
「はい……まだ先は長いですが、頑張って産みます」
「貴女とブリジットの子は11月頃に生まれます。カトリーヌの子と同じ年の生まれになりますね」
涙ぐむシャルロットにアムテリアは優しく言葉をかけると、そのままシノブとシャルロットの二人を抱きしめた。慈愛の表情を浮かべる女神の抱擁の中、シノブとシャルロットは、互いの幸福感に満ち溢れた顔を見つめている。
「三人の子供達に、祝福を授けましょう。きっと、あなた達の後を継ぐに相応しい強い子になるでしょう。
……ミュリエル、貴女にはまだ時間が必要ですが、そのときはまた祝福に来ます。ですから、今は頑張るのですよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
まさか自分に声をかけられると思っていなかったのか、ミュリエルは驚いたような声を上げた。彼女は、その緑色の瞳で天上の美を示す女神を見つめた後に、慌てて頭を下げる。
「アミィ、ホリィ、シノブを頼みます。貴女達には一層の苦労をかけますが、シノブを支え導くのですよ」
更にアムテリアは、自身の眷属達へと視線を向けた。彼女のエメラルドのように煌めく瞳は、深い信頼を示すような澄んだ光を放っている。
「お任せください!」
──私も頑張ります!──
アミィとホリィは自身の決意を表すかのように、アムテリアに力強い返答をする。
そして、それを見たアムテリアは、彼女達の様子に満足そうに頷くと、眩い光を放って類まれなる麗姿を消し去った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年5月5日17時の更新となります。
次回から第11章になります。
本作の設定集に魔術についての説明とベーリンゲン帝国の西部から中央部の地図を追加しました。地図には最近出てくる領地や都市の名前も掲載しています。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。