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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第10章 フライユ伯爵領の人々
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10.29 驚きの Happy Birthday 中編

──ここも違いました──


 ホリィは、思わず心の声で微かに呟いた。

 現在、彼女は炎竜ゴルンとイジェを探すため、ベーリンゲン帝国の北端であるノード山脈を飛び回っている。しかし思わぬ障害により、その捜索は中々進まなかった。


 金鵄(きんし)族のホリィは、東西1000kmを超えるメリエンヌ王国の端から端まで、数時間で飛翔できる。したがって、帝国の大将軍ヴォルハルト達がいると思われる場所、皇帝直轄領の北東部からシノブ達がいる領都シェロノワまでであっても、往復するだけなら日に数回でも問題はない。

 もちろん捜索を優先しているため、ホリィは一日一度の報告以外、殆どの時間をノード山脈の上空で過ごしている。しかし、そんなホリィの卓越した能力でも(いま)だ炎竜達を発見できない事情が、このノード山脈にはあったのだ。


 ノード山脈は帝国の北端を塞ぐ大山脈であり、東西およそ1000kmに渡って連なっている。山脈の北はヴォーリ連合国、南側がベーリンゲン帝国だが、人が越えることは不可能な高山帯であり、行き来はない。ただし、火山帯でもあり希少な資源が埋蔵されている場所もあるため、一部は鉱山として開発されている。


──このあたりは鉱山が多いのですね──


 上空を飛翔するホリィは、再び残念そうな思念を漏らした。実は、先ほどまで彼女が探っていた場所も魔力蓄積の結晶を産出する鉱山であった。


 ちなみに心の声を理解できるのはシノブやアミィそして竜達だが、ここにはいない。

 ホリィの思念が届く範囲はアミィや竜達と同じく150kmほどだが、彼女がいる場所はシノブ達がいるシェロノワから1000kmは離れている。しかし、普段思念でやり取りすることが多いホリィだけに、考えたことが無意識に心の声となってしまうのかもしれない。


 それはともかく、ホリィが言うようにノード山脈の中でも皇帝直轄領の北部は鉱山が多いようだ。純粋な金属だけではなく、魔道具に使うことが出来る魔力蓄積の結晶などもあるらしく、帝国人が大勢の獣人達を使役している姿があちこちで見られた。

 それ(ゆえ)炎竜を捜索するホリィも、それらを発見すると近づいて確認せざるを得ない。岩竜の長老ヴルムは、岩竜と同様に炎竜も子育てをするときは手頃な洞窟を見つけるか自身で掘ると言っていた。したがって、大きな洞窟があれば確認をする必要があるし、洞窟に近づく人がいれば接近して探るべきである。

 ちなみに、ホリィの本来の姿は青い鷹だが、捜索中はアムテリアから授かった足環によって、ごく普通の茶色の鷹に見せかけている。そのため、鉱夫達に気づかれることはないが、毎回近寄って探るだけでも、膨大な時間が必要であった。


──捜索を開始して実質二日が過ぎました……急がなければ。今日はシノブ様の誕生日ですし、吉報をお届けしたいのですが。

しかし、魔力も濃いし火山も多いですね。こう条件に合っていると、炎竜がいる可能性は高そうですが一箇所に絞れませんね──


 ホリィは、上空から眼下に(そび)える山脈を眺めた。

 この辺りには噴火中の火山はないが、それでも過去の活動を思わせる噴火口や溶岩などがある。しかも、それらを見るかぎり、活動したのは大昔のことでもないらしい。

 どうやら、皇帝直轄領の北東部の山脈は、魔力といい火山の活動状況といい、炎竜好みの場所なのは間違いないようだ。


 しかし、その濃密な魔力が、逆にホリィの捜索を妨げていた。

 彼女はシノブのような隔絶した魔力感知を持つわけではないが、それでもアムテリアの眷属であり並の人間とは桁外れの感知能力を持っていた。だが、周囲の魔力が濃いせいか、それとも炎竜が弱っているせいか、今まで彼女は巨大な魔力を持つ生き物を見つけてはいない。

 そのため、条件に合いそうな場所を一つずつ回っているのだが、そのやり方では効率が悪いのも事実であった。


──今頃、シノブ様は私達の贈り物を受け取って下さったでしょうか。

お喜びいただけたら良いのですが……いえ、きっと喜んでくださいますね。

あっ、あそこにも人がいます!──


 どことなく楽しげなホリィだったが、地上に天幕を発見すると一転して鋭い思念を発した。そして、彼女はゆっくり高空を旋回して状況を確認すると、急降下していった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ、今日は忙しいと思いますが頑張ってくださいね」


「ああ、午前中は内政官や軍人、それに町や村の(おさ)からのお祝いだったね。シャルロット、済まないが館のほうは頼むよ」


 今日は2月14日、シノブの誕生日である。起床した彼とシャルロットは、寝室で身繕いをしながら一日の予定を確認していた。


 まずはシノブが言った通り、午前中は領都や領内から訪れた人々からの祝辞を受ける。現在フライユ伯爵家の館には大勢の上級貴族が滞在しているため、場所を移して領政庁の大広間に、軍政の高官、都市の代官、町村の(おさ)、有力な商人達などを招くことになっている。

 シノブがシェロノワに到着して一ヶ月経ったが、まだ各町村どころか都市すら(ろく)に訪問していない。そんなこともありシノブも各地の有力者と会いたかったところだから、ある意味渡りに船である。

 とはいえ王太子テオドールに王女セレスティーヌを筆頭に、侯爵家や伯爵家から来た客達を放置するわけにもいかない。そこで、シャルロットが彼らの歓待を担当することになったのだ。


「こちらは大丈夫です。母上やブリジット殿もいますから」


 カトリーヌから譲り受けた化粧台の前に座ったシャルロットは、その美しいプラチナブロンドを梳きながら、隣に立つシノブへと微笑みかけた。

 先王妃メレーヌが使い、その娘カトリーヌが譲り受けてベルレアン伯爵家に嫁入り道具として持ってきた化粧台は、紫檀の地に金銀を象嵌(ぞうがん)した逸品だ。しかも各所には王家を示す白百合が銀と小さな宝石で表されている、先王の外孫であるシャルロットだから持つことが出来る品であった。

 もっともシャルロットにとっては、幼いころに母と一緒に髪を()かしたり化粧をする母を見つめたりした思い出の品という意味合いが大きいらしい。

 そのせいか、シノブとシェロノワを視察したときに手に入れた素朴な木彫りの人形が、化粧台の上には飾られている。まだ見ぬ我が子の代わりなのだろう、シャルロットは幼児というべき男の子の人形をとても大切にしており、身繕いの後には必ずその人形をそっと撫でている。


「ミュリエルを頼みます。アルメル殿もいらっしゃいますし、何も問題はないと思いますが……」


「充分気をつけるよ。アルメル殿だけに任せておくようなことはしないから」


 ふと心配げな表情になったシャルロットに、シノブは力強く約束をした。

 先々代フライユ伯爵アンスガルの妻であるアルメルと次代の伯爵の母となるミュリエルは、シノブと一緒に領政庁に行く。シャルロットはシノブの妻だが、あくまでベルレアン伯爵の継嗣だ。したがって、シノブの妻ではあるが厳密にはフライユ伯爵家の者という扱いにはなっていない。

 そのため、領民向けの祝賀会には、アルメルとミュリエルが行き、館はシャルロットに任せるという分担にしたのだ。


「……お願いします。では、行きましょう」


 いつも通り木彫りの人形を優しく撫でたシャルロットは、しなやかな挙措で立ち上がる。そして彼女は、シノブに向かって嫣然(えんぜん)と微笑んだ。


「ああ、今日も綺麗だよ。シャルロット」


 対するシノブは寄り添う愛妻を優しく抱きしめて、そっとキスをする。午前中は別行動となるシャルロットも、それを補うかのように夫に身を委ね、その背に手を回して己の愛情を伝えていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ふう……やっと終わったか……」


 領政庁にある領主のための部屋に下がったシノブは、ソファーに座ると大きな溜息をついた。そんな彼を優しい表情で見ながら、ミュリエルとその祖母アルメルそしてアミィもソファーに腰掛ける。


「お疲れ様です! 飲み物をお持ちしました!」


 安堵の表情を浮かべているシノブに、従者見習いの少年レナン・ボドワンが冷えたジュースを差し出した。祝賀会で酒も入ったシノブへの口直しとしてジュースを選ぶあたり、ボドワン商会の跡取りとして鍛えられたレナンならではの気遣いである。

 そして、他の従者見習いの少年達、パトリックやロジェ、今日から勤務を始めたマティアスの長男エルリアスも、女性達の前にジュースの入ったグラスを置いていく。なお、こちらは未成年のミュリエルと10歳程度の少女に見えるアミィ、年配の女性であるアルメルだから、元からジュースを選択していたのかもしれない。


「……領民も、シノブ様の手腕に感嘆していましたね。魔道具製造業も思ったより早く立て直し出来ましたし、帝国から救出した人々の住む村のお蔭で、他の産業にも活気が出て来たようです」


 アルメルは、ジュースを一口飲んだ後、シノブの内政への取り組みを称賛した。そして彼女の言葉を聞いたミュリエルやアミィも、深く頷いている。


「皆が努力したからですよ。私はそれに少し力を貸しただけです」


 シノブは、ソファーの向かい側に座るアルメルに、決まり悪げな笑みと共に答えた。

 魔道具製造業が早期に建て直せたのは、マルタン・ミュレやルシール、そしてハレール老人の研究成果であって、彼らを称賛すべきだとシノブは思ったのだ。

 それに、開拓関連にはシノブは殆ど関与していない。開拓村が順調に増えているのは、先行して高地を切り開いたドワーフ達、タハヴォやイヴァールの努力や、内政官達が上手く手配したからだと、シノブは考えていた。


「ですが、皆を率いているのはシノブお兄さまです! 今日だって、町長や村長の他にも、商人の方達も沢山来ていました!」


 シノブの隣に座っているミュリエルは、不満げな顔をして彼を見上げている。

 彼女が言うように、今日の祝賀会には、大勢の商人達が来ていた。もちろん、アルメルが触れた産業の活性化というのもあるのだろう。開拓には伯爵家も資金を出したし、シメオンが王宮と交渉して得た資金も注ぎ込んでいる。したがって、それらで潤った商会は多いはずだ。

 とはいえ、商人達が損得のみで動いたわけではないのは事実のようだ。訪れた彼らは、本心からシノブを祝福しているようであったし、自身を売り込むようなこともなかった。

 そんな彼らを見たせいか、ミュリエルはいつになく強い調子でシノブに訴えかけていた。


「ああ、大勢来てくれて嬉しかったよ。それは素直に喜ばないとね。

だけど、皆に助けて貰っているのは本当なんだ。今日だって、ミュリエルが助けてくれて、とても嬉しかったよ」


 シノブは、そう言いながらミュリエルの銀に近いアッシュブロンドを、優しく撫でつけた。

 彼の言葉は、実は大げさでも何でもない。ミュリエルは領内の町村や商会についてかなり勉強したらしく、祝辞を述べに来た人々の住む土地や商会の扱う品々を、シノブに小声で教えてくれたのだ。


「そんな……私は、私の出来ることをしただけです……」


 ミュリエルは、シノブの心からの賛辞を受けて、僅かに頬を上気して目を細めながら呟いた。


「ミュリエル様、シノブ様も同じ気持ちなんですよ。

……でも、シメオンさんやマティアスさんも不在ですし、ミュリエル様とアルメル様がいらっしゃらなかったら、大変なことになっていましたね」


 アミィはミュリエルへと教え諭すような言葉をかけた後、苦笑いしながらシノブを見た。

 王都に行ったり救出作戦を実行したりと忙しかったシノブやアミィは、出席者についての知識を仕入れておく時間もなかった。そして、シメオンやマティアスは、現在それぞれの持ち場で忙しく働いている。そのため、アミィの言葉は大げさではない。


「彼らも色々忙しいからね。伯爵達も来たし……」


 従者見習い達もいるので、シノブは曖昧な言葉を返した。

 シノブ達は、昨日それぞれ馬車で自領から来た伯爵達、ボーモン伯爵、ラコスト伯爵、エリュアール伯爵を交えて、再度密議を行っていた。昨夜遅くに開かれたその会合では、国王アルフォンス七世からシノブに渡された勅許状を見せたこともあり、帝国との対決自体は反対する者はいなかった。

 しかし具体的な戦略自体については、結論が出なかった。そもそも炎竜を探し出すという不確定要素がある上、その竜達が帝国に屈したのか、あるいはまだ捕まっていないのかすら定かではない。したがって帝国に軍を送ったら炎竜達が待っていた、という可能性すらありえるのだ。


 もちろんシメオンやマティアス達は、様々なケースを想定した上で内政官や軍人達に対帝国の準備を急がせてはいる。しかし炎竜に関する情報が(もたら)されないかぎり、動きにくい状態ではあった。


「……さて、一息ついたし、館に戻るか。昼食に遅れるわけにはいかないしね」


「シノブ様、きっと驚きますよ! 私達の自信作です!」


 立ち上がったシノブに、アミィが悪戯っぽい笑みをみせた。彼女の薄紫色の瞳は、その内心を表すかのようにキラキラと輝いている。


「時間をかけて準備していたみたいだね。楽しみにしているよ」


「はい! 早く行きましょう!」


 シノブの言葉を聞いたミュリエルは、大きく顔を綻ばせた。そして彼女はアミィと同じく瞳に楽しげな光を宿し、室外へと急がせるかのようにシノブの手を引いていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 伯爵家の館に戻ったシノブは、休む間もなく迎賓の間へと向かった。

 今回の午餐会は、迎賓の間に据えられた大テーブルを囲んでのものである。昼食を兼ねたパーティーは立食形式の場合も多いが、昨日充分に歓談したこともあり今日は料理を楽しむことにしたようだ。


「これは……塩漬けや干物じゃないよね!? どうやって……」


 午餐会で出された魚料理を味わったシノブは、驚きの声を上げた。王太子夫妻や王女セレスティーヌと共に上座に据えられた彼は、隣にいるシャルロットやミュリエルへと、視線を向ける。

 シノブが食べたのは、魚のムニエルであった。メリエンヌ王国ではパンが主食だし、牧畜も盛んだからバターもある。しかし、肝心の魚は内陸部のフライユ伯爵領やベルレアン伯爵領では手に入りにくかった。

 何しろ、南部で海に近い王都メリエでも、海岸までは250km以上はある。そして、ベルレアン伯爵領の領都セリュジエールは王都から400kmほど内陸であり、ここシェロノワも海から500km以上も離れている。

 そのため、シノブは魚といえば干物か塩漬けしか食べたことがなかった。だが、このムニエルの魚、サケかマスのような切り身は、それらとは違って柔らかく新鮮である。そのため日本で魚料理を食べなれたシノブにも、とても美味(おい)しく感じられた。


「アミィさんが用意してくれたんですよ!」


 シノブに笑いかけたミュリエルは、脇に座るアミィへと視線を向けた。

 シノブ達が並ぶテーブルの短辺には、王族の三人とシノブにシャルロット、ミュリエルが着いている。そして、そこから長辺が下座となるが、その最も上座寄りにアミィは座っている。もちろん、下座といっても位が高いほうから上席に座るため、これは異例な配置であった。

 何しろ、アミィの下手にはアシャール公爵が座っているのだ。この国では、身内などは左側、来客が右側に並ぶらしい。その例からいけば、左手にいるミュリエルの側にはシノブの義伯父であるアシャール公爵が来るべきであろう。


「ほう、アミィ君が用意したのかね!」


「ホリィに頼んでガンドさんと一緒に獲ってきてもらったので、私が用意したわけではありませんが……」


 アシャール公爵の感嘆に、アミィは恥ずかしげな顔となった。

 だが、それも無理はない。公爵だけではなく、集まった伯爵やその家族達の視線もアミィに集中していたからだ。

 アミィの向かい側、シノブから見て右手にはベルレアン伯爵以外の各伯爵が並んでいる。上席からエリュアール伯爵、ボーモン伯爵、ラコスト伯爵が夫人と共に席に着いているのだが、彼らは全員アミィを驚きの表情で見つめている。


「流石はアミィ殿ですな! これは北方のサケですか!

我がエリュアールは南方ですからサケはおりませんが……いや、メローワに上がる魚も負けてはおりませんぞ! ぜひシノブ殿と我が領に御来訪下さい!」


 アミィの真正面に座ったエリュアール伯爵デュスタール・ド・ラガルディーニは、ムニエルを口にした後、親しげな様子で自領へと誘った。ちなみに、メローワとはエリュアール伯爵領南端の港町である。

 彼は、自身が上級貴族でアミィがシノブの家臣ということなど気にしていないらしい。エリュアール伯爵はまだ三十歳前ということもあるが、それだけが理由ではないようだ。彼だけではなく、他の者達もアミィには一目も二目も置いているようにみえる。

 神の加護を受けた建国王の子孫である王族や公爵、そして侯爵や伯爵など建国の功臣の末裔達は、シノブが強い加護を持っているということを察しているのだろう。その彼らが秘事として語り継ぐ建国伝説と照らし合わせれば、シノブやアミィがアムテリアから遣わされた存在だと気がついても無理はない。

 おそらく、そのあたりがアミィが上座に着いても誰一人文句を言わない理由なのだろう。


「デュスタール殿。ぜひ寄らせてもらいますよ。

……アミィ、ありがとう。皆が祝ってくれただけでも嬉しいけど、こんな素晴らしいプレゼントも用意していたんだね」


「シノブ様……」


 シノブはエリュアール伯爵デュスタールの誘いに将来の訪問を約束した後、優しく微笑みながらアミィに感謝の言葉を伝えた。それを聞いたアミィは、薄紫色の瞳を潤ませて彼の顔を見つめている。


「中はしっとりで、皮はパリッとして……香辛料も効いているね」


「はい! マネッリ商会で手に入れたものです!」


 再びムニエルを味わうシノブに、アミィは嬉しげな表情で説明をする。どうやらムニエルには、カンビーニ王国から来たモカリーナ・マネッリの商会で手に入れたスパイスを使っているらしい。


「まあ! 早速お使いになられたのですね! 確かにこれはカンビーニの胡椒ですわ!」


 これは、カンビーニ王国の大使の娘アリーチェだ。彼女とガルゴン王国の大使の息子ナタリオも招待されていたのだ。

 なお、二人の席次は、伯爵家に続き侯爵家の名代より前であった。どうも、当主がいればそちらを優先し、名代は一段下に置かれるというのが、メリエンヌ王国の仕来りのようである。その意味では、大使の名代というべき彼らの位置付けとしては妥当なのだろう。


「シノブ様、私だけではありませんよ。アンナさん、あれを……」


「はい、ただいまお持ちします」


 アミィが背後に控えていた侍女のアンナに声を掛けると、彼女は控えの間へと姿を消した。迎賓の間のような大広間には、正面の入り口だけではなく使用人達が出入りする扉がいくつか用意されている。それらは使用人達が待機する控えの間や彼らが使う通路へと繋がっているのだ。

 そしてアンナ達は、控えの間からワゴンに乗せた料理を運んできた。銀製らしい半球状の覆いがあるから中はわからないが、シノブは親しみのある香辛料の香りが漂ってきたような気がした。


「もしかして……」


「お気付きになられましたか? 御想像の通りです!」


 アミィは満面に笑みを浮かべ、頭上の狐耳もピンと立っている。おそらく彼女の背後では、尻尾も元気よく揺れていることだろう。


「これは、何ですか?」


 王太子テオドールは、複数の少し変わった形の容器とご飯が並べられていくのを興味深げな顔で見ていた。しかし彼は暫しの後、正体を知っているらしいシノブへと尋ねかける。


「カレーという、私達の故郷では好んで食べる料理なのです」


 王太子だけではなくその妻ソレンヌと妹のセレスティーヌも見つめる中、シノブは笑顔で説明した。そう、変わった形の容器とはカレーポットであったのだ。


「まあ、シノブ様の故郷の……どうやって食べるのですか?」


「このルーをご飯にかけるのです。パンに塗っても良いですよ」


 シノブの故郷の料理と聞いて、セレスティーヌも興味を示したようだ。そこでシノブは王女に見本を示そうと、ご飯とパンのそれぞれに少量のルーをつけてみせる。


「ところで、これは誰が……もしかしてミュリエルかな?」


 ミュリエルは料理が出来ると聞いていたシノブは、彼女の手によるものだと考えたのだ。

 アミィは自分だけではないと言った。もちろんカレーのレシピを教えたのはアミィだろうが、他にも調理をした者がいるのだろう。そこでシノブは、ミュリエルからのプレゼントだと思ったのだ。


「私だけではありませんよ! シャルロットお姉さまと一緒に作りました!」


「……この、ビーフカレーが私です。ミュリエルはこちらのチキンカレーを作りました」


 ミュリエルの言葉に驚いたシノブがシャルロットへと振り向くと、そこには頬を染めて恥じらう愛妻の姿があった。彼女はシノブの前に並んだ二種類のルーを指さしながら、嬉しそうな表情で説明をする。


「ほう! シャルロット殿の料理ですか! まさか『ベルレアンの戦乙女』の手料理を味わうことができるとは!」


 ボーモン伯爵は、驚きの表情でシャルロットを見ていた。その隣に座っている妻のオレリアも、同様の表情でシャルロットや兄であるベルレアン伯爵に視線を向けている。彼女はシャルロットの幼い頃も聞き及んでいるから、余計に驚いたのだろう。


「シャルロット、ミュリエル、ありがとう……うん、どっちも美味(おい)しいよ!」


 ビーフカレーとチキンカレーのそれぞれをご飯につけて食べたシノブは、隣にいる二人に笑顔で礼を伝えた。そしてシノブの食べる様子を見守っていたシャルロットとミュリエルは、彼の心からの賛辞に顔を輝かせ、至福の表情となった。

 おそらくシャルロットは、シェロノワに来てから料理の練習を始めたのだろう。いずれシノブに手料理を食べさせたいと言っていた彼女だが、その直後に王都メリエへと旅立った。そして王都では様々な事件があり、その後は戦争である。そのためシェロノワに落ち着くまで、料理を学ぶ時間などなかったはずだ。

 そして武術大会『大武会』を観戦しているとき、彼女は妹のミュリエルが料理を出来ると聞いて驚いていた。もしかすると、それからシノブの誕生パーティーに向けて取り組んだのではなかろうか。


「シノブさま。お姉さまは、この日に向けて練習をしていたのですよ。最初はシチューにしようかと思ったのですが、アミィさんからカレーを教わったので、そちらにしてみました」


 今日のミュリエルは、やはり余所行きの口調らしい。もっとも、王太子を筆頭に多くの貴顕がいる場で『シノブお兄さま』や『シャルロットお姉さま』と呼ぶべきではないだろう。


「そうか……それでアンナ達と領軍本部に行ったんだね……忙しい中、本当にありがとう」


 シノブは、最近シャルロットが領軍本部に侍女達を連れて行っていた理由に思い当たった。全ては、今日のプレゼントのためだったのだ。

 そして、軍務に忙しい中シャルロットが料理の練習をしていたと悟ったシノブは、その健気さに胸を熱くし思わず言葉を詰まらせていた。


「はい……何とか今日までに間に合いました」


 シャルロットは、驚きと感動に満ちた夫の顔を、ますます頬を染めて見つめていた。

 それは、彼女だけではない。ミュリエルやアミィも、それぞれの手料理を味わうシノブを、微笑みながら見守っている。


「コルネーユ! このカレーという食べ物は美味(おい)しいが()()ねぇ! 汗も出るし、顔も赤くなるよ!」


「義兄上……確かに()()ですが……私としては娘達の作った料理を食べられるのなら、何の文句もありませんよ」


 アシャール公爵の言葉に、ベルレアン伯爵コルネーユはおどけた表情で答えている。そして意味深な表情の二人に、列席の者達は思わずといった様子で温かな笑みを漏らしていた。


「カレーは健康に良いのですよ。汗と一緒に悪い物も出ていくそうです。だから、()()のは仕方がないのですよ」


 帝国との戦いが迫る中、これは暫しの安らぎなのかもしれない。だが、それだからこそ日常を大切にし愛する者達の心づくしを素直に喜ぶ。彼らのいつもと変わらない姿を見たシノブは内心感謝をしながら、その温かい会話の中に加わっていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年5月3日17時の更新となります。


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