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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第10章 フライユ伯爵領の人々
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10.28 驚きの Happy Birthday 前編

「なるほどねぇ……炎竜を捕獲した可能性は高そうだねぇ……」


 シノブの話を聞いたアシャール公爵ベランジェは、そう言ったきり黙りこんだ。普段は陽気で物事を気にしない彼も、流石に少々驚いたのかもしれない。そんな公爵の顔を、シノブと並んで座るシャルロットやアミィ、そしてその下座に並ぶシメオンは黙って見守っている。


 ここはフライユ伯爵家の館にある会議室だ。会議室は、同じ右翼二階に存在する迎賓の間とは異なり、実用一辺倒の素っ気無い造りである。しかも密議などに用いるため壁も厚く、何かを仕込まれることを警戒したのか調度なども置かれていない。

 そして、そんな殺風景な会議室にいるのは、先に挙げた五名だけではない。


「炎竜達の捜索は?」


 まずは、今シノブに問いかけた王太子テオドールだ。彼は、王都メリエからアシャール公爵の治める都市アシャールまで赴き、そこから魔法の家で領都シェロノワに移動していた。そして、同様の手段でセリュジエールから来たベルレアン伯爵コルネーユもいる。

 更に、ガルック砦から軍馬で駆けつけたマティアスやシーラスも、シメオンの隣に並んでいる。要するに、前回の戦争に加わった主要な者達が、ここに集まっているのだ。


「はい、始めています。帝国の西側には大きな動きがないようですし、ホリィには北方の山脈へと行ってもらいました。

大将軍ヴォルハルトがいるという、皇帝直轄領の北東を中心に炎竜を探しています」


 一昨日、岩竜の長老ヴルムの訪問を受けたシノブは、その後何度かホリィの報告を受けていた。

 金鵄(きんし)族であるホリィは、通常の鷹より遥かに速く飛翔できる。そのため、三日前にシノブがゴドヴィング街道を破壊した直後から、彼女はベーリンゲン帝国とシェロノワを頻繁に行き来していたのだ。


 まず、ホリィは帝国の西方に位置するメグレンブルク伯爵領やゴドヴィング伯爵領を偵察し、その後の情報を得ていた。それによれば、シノブ達が救出作戦を行った二領には今のところ大きな動きはないらしい。

 なお、シノブが破壊したゴドヴィング街道、皇帝直轄領と結ぶ主要街道の修復に、予想通り奴隷である獣人達が狩り出されていた。しかし復旧作業を優先したためか、ホリィが見た範囲では彼らは過度に酷使されていないという。


「そんな忙しい中、我々の移動に呼び戻して悪かったね」


「いえ、私も早く相談したかったので」


 済まなそうな顔をしたベルレアン伯爵に、シノブは微笑みながら気にしないようにと伝えた。

 シノブの指示で、ホリィは昨日で二領の偵察を打ち切って、炎竜の捜索を開始した。しかしそんな中、魔法の家で来客達を移動させるため、ホリィは今朝、一旦帰還したのだ。これは数時間で王国の端から端まで飛翔できる彼女ならではの芸当である。


「一昨日の夕方、シノブ様は岩竜ガンドを呼んで帝国に関する推測を伝えました。それは岩竜の長老や炎竜の長老から、彼らの仲間へも伝わるそうです」


 シメオンが補足したように、シノブは自身の推測をガンドにも伝えていた。

 当然ガンドは驚いたが、帝国に潜む『排斥された神』の情報も聞いた彼は、安易に皇帝直轄領に近づくことは避けるとシノブに約束してくれた。


「公爵閣下、ガルック砦から帝国のゼントル砦に斥候を出しましたが、そちらにも動きはありません。他の二つの砦についても同様です。

なお、救出した獣人達に不審な者はいません」


 フライユ伯爵領軍の第三席司令官であるマティアスが、シメオンに続いて発言した。

 彼は救出作戦の後、解放した獣人達の調査を兼ねて部下と共に聞き取りを行っていた。シノブ達が救出対象とした村々を帝国が事前に知っていたとは思えず、そこに帝国の間者がいる可能性は限りなく低いだろう。しかし、念には念を入れて救出部隊の者達が身元の確認などを行った。

 それと同時に、マティアスはシノブ達が持ち帰った資料の分析や、獣人達から得た情報の取り(まと)めなども行っていたのだ。


「西の二領の現状がわかったのは大きいです! 今後の逆侵攻作戦もありますし、救出部隊が持ち帰った資料の分析は急がせています!」


 シーラス・ド・ダラスは、その巨体を乗り出すようにしながらアシャール公爵やベルレアン伯爵に向けて隠し切れぬ熱意を篭めた口調で語っている。彼は、シノブに代わってガルック砦で国境防衛軍を指揮しているだけに、この絶好の機会を逃したくないのかもしれない。


「シーラス、まずは焦らず入念に分析してほしいね。確かにシノブ君が西側と中央を切り離した今は好機といえる。残念ながら真冬で大軍を動かすことはできないが……」


「義父上!」


 アシャール公爵の言葉に、シーラスは不満そうな叫びを上げた。ちなみに、シーラスの妻リュディヴィはアシャール公爵の娘であり、私的な場や近しい者しかいない場所では義父と呼ぶようだ。

 なお、シーラスは軍務卿エチエンヌ侯爵の嫡男だが、エチエンヌ侯爵の異母妹アンジェはアシャール公爵の第一夫人で、シーラスの異母妹アリエットはアシャール公爵の嫡男アルベリクの妻という複雑かつ親密な関係である。


「まあ、落ち着きたまえ。この好機を逃すつもりはないよ。だから、シェロノワに来て早々、こんなところに篭って相談しているのだろう?

私も、妻達のようにシノブ君が作った温泉に入りたいよ……」


 アシャール公爵は残念そうな顔で、館の庭の方に視線を向けた。そこには、最近完成したばかりの別館がある。

 現在、ミュリエルやその祖母アルメルが公爵夫人達に別館を見せている。そして別館には、シノブが掘った温泉を使った浴場と排熱を利用した温室があるため、公爵もそちらを見学したかったようである。


「伯父上、後で義伯母上達とゆっくりご覧になってください。ですから、まずは軍議を」


 シャルロットは苦笑気味の表情でアシャール公爵を(たしな)めた。

 実はシャルロットが言うように、アシャール公爵は妊娠中の第二夫人レナエルを含めて一家総出でシェロノワに来ている。どうやら愛妻家の彼は、妻達に温泉を楽しんでほしかったようだ。


「義兄上。今は若者達で騒がしいでしょう」


 ベルレアン伯爵は、苦笑いを見せながら義兄のアシャール公爵に語りかけた。公爵と同様に、彼も二人の妻カトリーヌとブリジットを連れて来ているのだ。

 彼が言う若者達とは、六侯爵達が名代として送った家族のことだ。年頃の息子や娘がいる場合はそれを、不在の場合は妻などを、それぞれ名代としたのだ。つまり、元から滞在していた王女セレスティーヌを含め、王宮の次代を支える者達の大半が、シェロノワに集まったことになる。

 そんな晴れやかな一行の来訪ではあるが、シノブやシャルロットが密議となったため、現在はミュリエルとアルメル、そしてフライユ伯爵家の侍従や侍女達が賓客達の世話をしている。


「ともかく、ブリジットもいますし、男性陣はアルベリク殿が引き受けてくれましたし……私達は後でゆっくり見せてもらいましょう」


 (いま)だ名残惜しそうなアシャール公爵に、ベルレアン伯爵は更に語りかけた。彼が言うように、賓客の接待には、ベルレアン伯爵の第二夫人ブリジットや公爵の嫡男アルベリクまで加わっている。


 ブリジットはアルメルの娘でミュリエルの母である。フライユ伯爵家からベルレアン伯爵へと嫁いだ彼女だから、ここは実家でもあるのだ。そのため、母や娘と共に客を歓待するのはある意味当然であり、彼女自身も嬉しげであった。

 しかしアルベリクは違う。シノブの妻シャルロットはアシャール公爵の姪だから、アルベリクとシノブは義理の従兄弟ではあるが、それだけだ。

 したがって本来はシノブが男性の客を歓待すべきところだが、一刻も早く帝国への対応を相談しようと主張したアシャール公爵が、彼らの世話を自分の息子に押し付けたのだ。


「そうだね……それじゃ、話を戻そう。救出作戦の成功は確信していた。だから、次の手についてはこちらも準備しているよ」


 アシャール公爵は室内の面々を見渡すと、飄々(ひょうひょう)とした態度で言い放った。


「……では!?」


「ああ。こうなるだろうと思って兄上から預かっている物がある。テオドール、見せてやってくれ」


 シーラスの期待の篭った視線を受けたアシャール公爵は、隣にいる王太子テオドールへと声をかけた。公爵家筆頭ということもあるが、王太子にこんな軽々しい言葉をかけるのは、王家直系を除けば彼くらいのものである。


「シノブ殿、どうぞ」


 王太子テオドールは、金箔で縁取られた封書を渡した。いつも穏やかな彼だが、シノブに対しては親密さを感じさせながらも礼儀正しい態度を崩さない。おそらく、大神官から神々の紋章を授かったシノブだけに、普通の臣下とは別格と捉えているのだろう。

 シノブは、そんな王太子から封書を受け取ると、慎重に開封していった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「これは……私の思うとおりにしろ、と?」


 シノブが他の者に聞こえるように読み上げた密書に記されていた内容は、簡潔なものであった。

 曰く、獣人達の救出作戦は今後も継続して構わない。そして、帝国内での作戦内容は東方守護将軍であるシノブの判断に一任し、どんな手段を取っても良い。更に、王領ならびに各伯爵領は救出された人々の受け入れや作戦に必要な物資の提供を最優先事項とする。

 シノブは、極秘の書面だけに黙読すべきかと思ったが、その必要もないくらい帝国との対決を明瞭に打ち出した内容である。しかも、密書は正式な勅許状でもあり、他の伯爵達に国王の代理として協力を命ずることも可能な公式文書であった。


「まあ、そういうことだね!

帝国中の獣人を解放したら、フライユ伯爵領だけでは足りないことはわかっている。それに、相手が厳冬期で動けない上に、こちらが侵入し放題というのを利用しない手はないよ!

……ともかく、そこまでは予測していたんだがね」


 途中までは自慢げな表情で語っていたアシャール公爵だが、最後は少々慨嘆気味である。


「メグレンブルク伯爵領やゴドヴィング伯爵領と皇帝直轄領の交通を分断したのは嬉しい驚きだったが、炎竜達が帝国の手に落ちているかもしれないというのはね……」


 公爵の言葉を受けて発言したベルレアン伯爵も、複雑な表情をしている。


 彼が言うように、ゴドヴィング街道の崩壊で西側の二領と皇帝直轄領の行き来が難しい今は、メリエンヌ王国にとって好機である。国境付近は豪雪で大軍を動かすことは難しいが、それを越えた帝国領内は今回の救出作戦のように充分行動できるからだ。

 魔法の家で転移できるシノブ達なら、短時間で帝国の国境を守護する三つの砦を落とし、更にそこから先のメグレンブルク伯爵領に軍を展開することも出来る。しかもシノブの強力な魔術があれば、数日以内に二領の主要都市を落とすことすら可能かもしれない。

 だが、炎竜について聞いた二人は、そのまま帝国への作戦を継続すべきか迷ったようである。


「進出を視野に入れた帝国への作戦を実施すべきです!

まずは帝国側の砦を落とし、国境を確保する! そして帝国の一部を削り取れば、王国内に多くの人々を抱え込む必要もありません! 一石二鳥ではありませんか!」


 シーラスは勢いよく主戦論を展開し始めた。確かに、彼が言うように王国側だけで帝国の獣人達を受け入れることは出来ないであろう。

 ちなみに、シノブ達が帝国の村から回収した資料には、メグレンブルク伯爵領とゴドヴィング伯爵領の町村の数も記してあった。それらの情報や実際に解放した村の規模から考えると、獣人達は二領だけでも20万人から30万人はいるとシノブ達は予想している。

 そしてメリエンヌ王国最大の伯爵領、ベルレアン伯爵領の人口は大よそ30万人だ。おそらくシーラスの頭には、それらのことがあるのだろう。


「だが、国境がガルック平原のように狭い場所だから防衛できるのだ。広大な帝国内に出てしまったら、それを全て抑えることは出来ないぞ」


「ですが、それではいつまで経っても帝国を倒せません! シノブ様がいて、敵が大軍を派遣できない今が絶好の機会なのです!」


 (いさ)めるような口ぶりのマティアスに、シーラスは尚も言い募る。

 シーラスは、およそ一月半は国境を守るガルック砦にいた。そして彼は、過去の戦や現地の状況などを入念に調べたようである。それ(ゆえ)、彼の言葉には焦りだけではない実感が篭っているようであった。


「……炎竜の捜索は続けます。もし、帝国の命令で攻めてきたら今までのようにはいかないでしょう。

そして、帝国への作戦も。何の目的で獣人達が連れ去られたのか気になります。竜と戦う兵士を作るために魔力を吸い出しているのかもしれませんし、竜自体を従えるためなのかもしれません。

いずれにしても、放っておくのは敵を利することになりますから」


 シノブは、アシャール公爵とベルレアン伯爵に向かって力強く宣言した。

 実際には、西部二領の獣人達は皇帝直轄領に連れていかれることはないようである。そのため、シノブが西部を切り取っても、皇帝直轄領で進行中の何かを変えることは出来ない。とはいえ、西部でも人の魔力を使って何かをしている可能性はある。彼は、それを案じていたのだ。


「ですがシノブ。それでは貴方の負担が……」


 シャルロットは、心配そうな顔で夫を見つめていた。確かに、竜の救出にしろ、帝国内部への侵攻にしろ、シノブ自身の能力や彼が持つ魔道具に頼ったものである。したがって、シノブは今まで以上に忙しくなるだろうし、危険も増すだろう。


「大丈夫だよ。無理はしないから」


「シャルロット様! 私が一緒ですからシノブ様に無理はさせません! 危なくなったら連れ戻します!」


 優しく笑いかけたシノブに続き、アミィも陽気に保証する。

 普段は従者として控え目なアミィだが、同じ女性としてシャルロットの気持ちを感じ取ったのだろう。そのせいか、アミィは薄紫色の瞳を悪戯っぽく輝かせながら微笑んでいる。


「シャルロット、我々も最大限の支援をするよ。

もちろん帝国への作戦にも、シノブと共に参加するつもりだ。それに、槍のベルレアンとしては剣のフライユだけが戦果を挙げるのを見過ごせないからね」


 続いてベルレアン伯爵も、娘に穏やかな口調で語りかけた。彼も冗談めかしてはいるが、その眼差しは真剣そのものである。


「堅苦しい話はここまでだ!

我々はシノブ君を支える! 具体的な方法は伯爵達が来てから相談しよう! ……ということにして、そろそろ別館に案内してくれんかね?」


 途中までは真面目そのものであったアシャール公爵だが、最後はおどけた声である。一方、公爵の期待に満ちた表情を見たシノブ達は思わず大声で笑い出してしまった。


「はい、御案内します。アルベリク殿にお任せでは悪いですし……」


「そうだよ、君と会うのを楽しみにやって来た人も多いんだ! とはいえ、私を存分に饗応(きょうおう)してからで良いけどね!」


 アシャール公爵はシノブの肩を押しながら、会議室の外へと(いざな)っていく。そんな彼に続いて、シノブ達は賓客達の下へと足早に向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ様! やっとゆっくりお話できますわね!」


「ご領地も順調なようですし、とても素晴らしいですわ!」


 迎賓の間に戻ったシノブ達を出迎えたのは、王女セレスティーヌに、各侯爵家から来た者達であった。ドーミエ侯爵家などのように嫡男夫妻と子供であったり、ギャルドン侯爵の妻ベルナデットのように6歳の嫡男を連れただけであったりと、その構成は様々だ。

 ただし、いずれも侯爵本人は来ていない。これは、一伯爵の誕生を祝すのに全侯爵が揃うことを回避したためだ。そして、そんな侯爵達の代わりに、王太子テオドールとアシャール公爵が王宮を代表して視察をするという形になったようである。

 なお、そのアシャール公爵はベルレアン伯爵と共に、それぞれの家族を連れて別館の温泉へと行ってしまった。シノブ自身による饗応(きょうおう)は無理と悟ったらしく、勝手に楽しむことにしたようだ。


「ありがとう。マティアスやシーラス達も頑張ってくれているからね」


「お兄様は、ご迷惑をお掛けしていませんか?」


 やんわりと微笑んだシノブに心配そうな視線を向けたのは、エチエンヌ侯爵の次女イポリートだ。

 そんな彼女の横では、当のシーラスが苦笑いをしている。もっとも、シーラスは妻のリュディヴィや2歳の娘マリヴォンヌと会えたのが非常に嬉しいらしく、すぐに妻子へと顔を向けてしまった。


「迷惑だなんてとんでもない。シーラスは国境をしっかり守ってくれているよ」


 シノブは、仲睦まじいシーラス達の様子に微笑みながら、イポリートへと言葉を返した。

 今回の訪問に乗じて来たリュディヴィ達は、そのまま領都シェロノワに居を移す予定である。そのため、単身国境を守るシーラスを案じていたシノブは、彼女達の訪れをとても嬉しく思っていたのだ。


「マティアスも、久しぶりに子供達と会えてよかったですわ」


 王女セレスティーヌの言葉通り、もう一人の司令官マティアス・ド・フォルジェにも嬉しい来客が来ていた。王太子テオドールが気を回し、マティアスの子供達を連れて来たのだ。

 マティアスの母フローデットと共に来た彼らは、上から10歳の長男エルリアス、7歳の次男コルドール、3歳の長女フロティーヌである。

 なお、この国の場合、10歳にもなれば従者見習いとして働くこともあるため、上の二人だけなら付き添いなどつけないらしい。だが流石に、3歳の幼児を含めた未成年だけで送り出すことはないとみえる。


「そうだ、シノブ殿。エルリアスを従者見習いにしてはどうかな? そうしたら、マティアスも子供を側に置くことができる」


「それは良いですわ。次男のコルドールも一緒にいかがですか?」


 妹の言葉を聞いた王太子テオドールが、良いことを思いついたという表情でシノブに問いかけた。それに、その妻ソレンヌも同様の表情を浮かべている。


「子爵の嫡男で従者見習いですか?」


「シノブ様、私もベルレアン伯爵閣下に子供の頃からお仕えしましたよ」


 思わず疑問の表情となったシノブに、シメオンが笑いかける。確かに、彼の言うとおり伯爵家付きの子爵達は、幼い頃から主家に仕えるらしい。


「シノブさま、シメオンさんは私が生まれるずっと前からセリュジエールで働いていたそうです」


 考え込んだシノブに、ミュリエルが言い添える。今日の彼女は『シノブお兄さま』とは呼ばないようである。大勢の客も来ているし、婚約者らしいところをみせようと頑張っているのかもしれない。


「……シノブ、当人達の意思を確認してみては?」


 戸惑いを見せるシノブに、シャルロットが柔らかい口調で助言した。マティアスの子供達がシノブの下に来ることを、彼女も歓迎しているようだ。


「そうしようか。では、後で……」


「シノブ様、早いほうが良いですわ! 明日はパーティーもありますし、お忘れになるかもしれません!」


 後でと言いかけたシノブの言葉を、セレスティーヌが(さえぎ)った。

 彼女が言うように明日はシノブの誕生パーティーである上、他の伯爵達も来る。そのため、忘れてそのまま王都メリエに帰してしまう恐れがあるのは事実であった。


「……確かに。ではアリエル、呼んで来てくれないか?」


 シノブは、王太子達の前で従者見習いの話をするのもどうかと思った。

 だが、元々王都付きのフォルジェ子爵家だから、旧主である王族の前で訊ねるのは良いことかもしれない。シノブは、もしかするとテオドールやセレスティーヌの勧めには、そんな理由があったのでは、と考え同意したのだ。


「はい、お待ちください」


 シノブの頼みを聞いたアリエルは、壁際のソファーにいたマティアス達を呼びに行った。マティアスの母フローデットはまだ50前だが、3歳のフロティーヌがいるため、ソファーで歓談していたのだ。


「シノブ様の従者でしたら、僕がなりたいです!」


「僕も!」


 マティアス達に声を掛けるアリエルを見ていたシノブに、二人の少年が元気の良い声でアピールをした。ギャルドン侯爵の嫡男のアンブロス・ド・ペルランと、ジョスラン侯爵の嫡男ベルナール・ド・ガダンヌである。それぞれ、母や姉に連れられて来たのだが、二人ともまだ5歳くらいのようだ。


「君達は、まだ従者には早いだろう」


「それに、王都での仕事も覚えないといけないからね」


 優しげな声で少年達を諭したのは、フレモン侯爵の嫡男トヴィアス・ド・マルブランとテルミート侯爵の嫡男アウール・ド・グレミヨンであった。二人は二十歳(はたち)前後だが、外務卿フレモン侯爵と商務卿テルミート侯爵の家系だけに、武人肌のシーラスとは違った落ち着いた貴公子だ。

 なお流石に侯爵の息子は、伯爵の従者見習いにはならない。ただし、二人は多大な戦功を挙げたシノブに憧れる少年達にそんな事を言っても仕方ないと思ったようだ。


「王太子殿下、閣下。ご歓談の最中、失礼します」


 不満げな少年達をそれぞれの母親が慰めているところに、マティアスが子供達を連れてやってきた。

 マティアスの背後には、長男エルリアスと次男コルドールが、居並ぶ貴顕に遠慮した表情で控えている。二人の息子は、マティアスに似た栗色の髪と碧の瞳をしており、体格も年齢の割には良い。どうやら、父親に良く似たようだ。

 そして少年達の脇には、マティアスの母フローデットも並んでいる。最後の長女フロティーヌはというと、なんとアリエルの腕の中に抱かれていた。おそらく、アリエルがフローデットを(いたわ)り幼子を引き受けたのだろう。

 ちなみに娘のフロティーヌは、金髪碧眼である。フローデットも同じだから、彼女か今は亡き母に似たのかもしれない。


「マティアス。息子達に私の下で従者見習いをさせるつもりはないかな? コルドールには早いから、エルリアスだけでも良いのだが……」


「私が勧めたんだ。どうかな、マティアス?」


 シノブに続いて、王太子テオドールもマティアスに語りかける。

 そして、そんな彼らの横では、侯爵の息子であるアンブロスやベルナールが羨ましげな表情でマティアス達を見つめている。彼らは、竜の友となったシノブに強い憧れを(いだ)いているらしい。


「はっ! 殿下と閣下のお勧めとあれば、否やは御座いません! エルリアス、コルドール?」


 そんな観衆はともかく、マティアスは即刻シノブ達の提案に同意した。そして、彼は二人の息子達を振り返る。


「閣下のお側仕えができるとは、光栄です! 今すぐにでもお願いします!」


「私も、兄と一緒にお仕えしたいです!」


 エルリアスは、そろそろ王家か侯爵家の下で見習いとして働こうかと思っていたのだろう。一歩前に進み出た彼は、10歳とは思えないしっかりした答えと共に、その場に(ひざまず)いて頭を下げる。

 そして、それを見た次男のコルドールも慌てて3歳上の兄を見習って跪礼(きれい)をした。こちらは、まだ年齢相応というべきだが、それでも王族の前に出ても恥ずかしくない挙措であった。


「お兄さま達、お父さまのところにいっちゃうの?」


 一方、喜びに沸く二人の少年と対照的なのが、アリエルに抱きかかえられたフロティーヌだ。彼女は、寂しそうな表情で父であるマティアスを見つめていた。


「……しばらくは私も残りましょう。フロティーヌ、お父さまと一緒ですよ」


 泣き出しそうな幼子を案じたのか、祖母のフローデットが優しく声をかけた。彼女はアリエルの腕に抱かれたフロティーヌの綺麗な金髪に手をやり、優しく撫で付ける。


「お婆さま! 皆一緒なの?」


「フロティーヌ、お爺さまは留守番なのだがな……母上、ありがとうございます」


 満面に笑みを浮かべて喜ぶ娘に苦笑いしたマティアスだが、真顔に戻ると母に礼を伝えた。彼の父は、王都メリエで王領軍の幹部として働いているのだ。


「良いのです。ですが早く再婚しなさい」


「おお、それは良い! マティアス、アリエル君はどうだね!?」


 大勢の貴顕を前にしたフローデットは、当然小声でマティアスに(ささや)き返した。しかし彼女の言葉を聞きつけた者がいる。

 それは、この場にはいないはずのアシャール公爵であった。


「義伯父上、私も再婚には賛成しますが……ですが、その格好は?」


「シノブ君のお勧めだというから着てみたのだよ! 着るのも簡単だし、ゆったり出来る。良い服だね!」


 シノブが(あき)れ顔なのも無理はない。アシャール公爵は浴衣姿であった。

 実は温泉完成後に、「浴衣があれば」というシノブの言葉を聞きつけたアミィが浴衣を作ったのだ。そして彼女自身や、真似をしたがったシャルロットやミュリエル、更に異文化に興味を示したシメオンなどの分を含め、侍女達がかなりの数を用意していた。

 一方の公爵だが、目敏く好奇心旺盛だから浴衣に興味を示し、早速着用したらしい。ちなみに彼の足元はスリッパである。流石に草履は面倒だから、厚地の布や革で(こしら)えたのだ。


「ところでシノブ君! 温泉には酒が付き物だってタハヴォ殿が言っていたよ! ここのワインを貰っていくけど良いかな!?」


「侍従に言ってくれれば……ああ、止められたのですね。

わかりました。でも飲みすぎには注意してください。それと、ドワーフ達はどこでも酒を飲むのです。それこそ飛行中の竜の上でも。だから、彼らの言葉を()に受けてはいけません」


 おそらく公爵は、浴場の外に控えている侍従にでも酒を頼んだのだろう。だが、突飛な要求に躊躇(ちゅうちょ)している侍従に()れて迎賓の間まで押しかけた。そう悟ったシノブは、一応は注意をしつつも、彼に許可をした。


「ありがとう! それじゃ、また温まってくるよ! マティアス、良く考えるんだね!」


「まあ、じっくり考えてくれ。義伯父上のことは忘れても良いから……」


 ボトルとグラスを持った使用人を従えて去っていく公爵を見送りながら、シノブはマティアスにそっと(ささや)いた。

 マティアスとアリエルは揃って頬を染めながら頷き返す。どうやらシノブが知らないところで、親密さを増す何かがあったようだ。

 そう思ったシノブはシャルロットと寄り添いつつ、二人の様子を微笑みと共に見守っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年5月1日17時の更新となります。


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