10.27 竜を呼ぶ男 後編
ベーリンゲン帝国の北方には、ノード山脈という東西に伸びる高山帯がある。その西方はヴォーリ連合国との国境となり、北に位置するドワーフの国と南の帝国を分かち行き来を阻んでいる。
ノード山脈の西端は、メリエンヌ王国との国境でもあるリソルピレン山脈へと繋がっているため、帝国からドワーフ達が住むヴォーリ連合国に行くことはできない。
一方ノード山脈の東はといえば、こちらもオスター大山脈に合流し、同様に北に抜けることは不可能であった。このオスター大山脈は、ベーリンゲン帝国を含むエウレア地方と東域を分断する峻厳かつ踏破不可能な高山地帯である。
そんな高山に帝国は周囲の殆どを囲まれ、更に国土も険しい山地が多い。しかも帝国直轄領の北東の果て、ノード山脈とオスター大山脈が合流するあたりは、中でも有数の高峰が多かった。
そのノード山脈東端に近い山々の一つ、寒風吹きすさぶヴォルケ山の中腹に、ベーリンゲン帝国の軍隊が駐留していた。彼らは山腹にある巨大な洞窟を取り囲むように、百近い大小の天幕を張っている。
「まだ、傷は治らんか!」
それらの中で最も大きく立派な天幕の中で、茶色の髪に灰色の瞳の巨漢が呻いていた。彼こそが、ベーリンゲン帝国の新たな大将軍ヴォルハルト・フォン・ギレスベルガーである。
人並み外れた長身と隆々たる筋肉の彼だが、今は横たわり更に各所に包帯を巻いていた。多くは軍服の下に隠れているが、頭に首元そして両手と白い布で覆われ、肌が出ている場所は殆ど存在しない。
「やっと歩けるようになったばかりでは?」
ヴォルハルトの側に控えていた30歳前後の武官が、身を起こす大将軍を押し留めながら呆れたような声を漏らす。こちらも少々怪我をしているが、ヴォルハルトほどは酷くないらしい。
彼の名は、シュタール・フォン・エーゲムント。ヴォルハルトを補佐する将軍の一人だ。だが、武人にしては細い体で、身長もヴォルハルトよりは頭半分は低いとみえる。
「シュタール……既に一週間も寝ているのだ! もう少しは動いても良いだろう!」
「わかりました……ですが、慎重にお願いします。こちらも治癒魔術を使う余裕は無いので」
強引に押しのけようとするヴォルハルトに、制止を諦めたらしいシュタールは、それでも注意の言葉だけはかけていた。しかし彼の口調からは、下手に動かれて治療をするのが面倒だという雰囲気が漂っている。どうやら、心底から案じているわけでもないらしい。
「『魔力の宝玉』がもっとあれば……」
ヴォルハルトの隣で横になっていた男が、身を起こしながら悔しげな声を上げる。こちらは、シュタールと同じく将軍のヴェンドゥル・フォン・ゲーレンハイトである。
彼は、ヴォルハルトに勝る巨漢で、シュタールよりは頭一つは背が高い。しかも、体格も並外れており、分厚い胸板に子供の胴ほどはある太い手足と、鍛え上げた肉体が恐ろしいまでの迫力を醸し出している。
とはいえ、彼もヴォルハルト同様に体中を包帯で覆っており、起き上がるのも体を労りながらのようである。
「あれを一つ作るのに、一体何百人の獣人が必要だと思っているのですか?
本当なら貴方の怪我など無視したかった……しかし、消し炭のままでは今後の作戦に差し支えるから使った。それだけですよ」
シュタールは同格の将軍相手でも丁寧な態度を崩さないらしいが、紡ぐ言葉は明らかに嘲りを含んでいた。なまじ彼が表面を繕っているだけに、乱暴に怒鳴りつけるよりも遥かに冷ややかに響く。
「くっ、後方で魔術師を指揮していただけの癖に!」
憤激も顕わなヴェンドゥルは、シュタールに掴みかかろうとした。しかし傷の痛みが響いたのか、途中で動きを止めてしまう。
「ヴェンドゥル、やめろ! シュタール、少しは年長者として懐の広いところを見せたらどうだ! ……ああしなければ、あいつらを封じることは出来なかった。それは間違いないだろう?」
ヴォルハルトは部下達の言い争いに、怒鳴り声を上げていた。
理知的だがどこか冷たいシュタールと外見どおり猪突猛進らしいヴェンドゥルは、水と油のようである。このあたりは、前大将軍のベルノルトとその部下のエグモントとボニファーツの関係に似ているともいえる。
しかし、二人の将軍に深く信頼されていたベルノルトとは異なり、ヴォルハルトは部下を纏めきれていないらしい。もっとも、まだ20代半ばのヴォルハルトと、20歳は年上のベルノルトを単純に比較するのも酷というべきであろう。
それに若いのはヴォルハルトだけではなく、シュタールとヴェンドゥルも彼より少々年上といった程度だから、彼だけのせいでもないかもしれない。
「それは事実ですが……」
「事実なら、余計なことを言うな!」
ヴォルハルトは、そう言い捨てると天幕の外に歩み出す。
どうやら、彼には気になることがあるらしい。それは治癒魔術を使いたくないから動くなと言ったシュタールも同じらしく、重傷のはずのヴォルハルトを止めることはない。それどころか、よほど重要なことなのか、険悪な雰囲気であった二人の将軍も無言のままヴォルハルトに続いていく。
そして三人の軍人は、どこか焦るような忙しさを漂わせながら、大天幕から真冬の凍りつくような空気の中へと踏み出していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「変わりはないか……いつまで持つのか?」
大将軍ヴォルハルトは、眼前に聳える二つの赤黒い小山のようなものを見ながら、シュタールへと問いかけた。そのヴォルハルトの声はさほど大きくなかったが、どこか異様な反響と共に辺りに広がっている。
それもそのはず、ここは洞窟の中であった。ヴォルハルトと二人の将軍は、山腹にあった巨大な洞窟の内部にいるのだ。
「……おそらく、最低でも十日……長くて十五日といったところでしょうか。どんなに運が良くても二月一杯ですね」
少し思案したシュタールは、ヴォルハルトへと日数を答える。ちなみに、この日は2月11日、つまり帝都にゴドヴィング街道崩壊の連絡が入り、シノブ達がサミュエル・マリュスを捕らえ岩竜の長老ヴルムと会った日である。
「くそっ! 『魔力の宝玉』さえあれば、帝都に戻れるというのに!」
シュタールの答えに、ヴェンドゥルが怒りの叫びを上げた。
「『封印の棘』の効果が継続しているだけでも幸運だと思うべきです……まさか、竜を従える首輪に回す分まで使い果たすとは……」
どこか畏れを含んだ口調のシュタールが言うように、目の前の二つの小山は地面に伏した二頭の巨大な竜であった。
炎というよりは血のように赤い巨竜達は、岩竜とは異なる種類のようだ。ただし、その巨体は岩竜の成竜と同じくらいに大きく、肉食恐竜に翼をつけたかのような外観も良く似ている。
「しかし、こいつらの炎のブレスには苦しめられたな。流石、炎竜というべきか……魔力障壁の魔道具など、ほんの僅かしか持たなかったではないか」
シュタールだけではなく、ヴォルハルトの声も抑え目である。傍若無人な様子の彼ではあったが、巨竜達を刺激するのを恐れたのであろうか。
「ええ。お陰で『隷属の首輪』の分まで防御や治癒に回す羽目になりました。『魔力の宝玉』が取り外せる形式ではなかったら、生きて帰れなかったでしょう」
「ふん、俺達のせいではないぞ! そもそも『封印の棘』にあんなに使うとは、魔術師達の計算違いではないのか!」
シュタールの言葉に、ヴェンドゥルが炎竜達に刺さった槍状のものを指差して反論する。ヴェンドゥルが示す人の腕ほどの太さの長い棒、『封印の棘』には拳大の結晶が三つ装着されている。
「仕方がないでしょう。炎竜の肌を貫くには『魔力の宝玉』が一個では足りなかったのです。そもそも『封印の棘』が竜の魔力を封じなかったら、私達は生きてここを出ることは出来なかったでしょう」
『魔力の宝玉』とは、アドリアンが使っていた他者の魔力を吸収して活用する魔道具から、魔力を蓄積する部分のみを取り出したようなものらしい。言ってみれば、魔力の貯蔵庫というべき魔道具なのだろう。どうやら、帝国では蓄積部分の共通化を行い交換可能にしたようである。
そのため、彼らが『封印の棘』と呼ぶ魔道具や、竜を従えるための『隷属の首輪』などを含めて、必要なものに魔力を回すことが可能となったとみえる。
「くっ! 本当に竜の魔力を自由にすることは出来ないのか!? それが出来れば獣人の魔力など不要ではないか!」
「何度も言いましたが、竜は強固な意志で己の魔力を制御しています。その意思に反して魔力を吸い出すことはできません。
人間の場合は、そこまで強い意志もないし魔力自体が少ないから簡単に吸いだせるのですよ」
ヴェンドゥルの悔しげな反論に、シュタールは涼しい顔で答えた。
彼が言うように、強い意志を持った存在から魔力を吸い出すことは、非常に難しいようである。少なくとも、同等以上の魔力を持つ存在でなければ無理であろう。
仮に竜の意思に反して魔力を得るなら、『隷属の首輪』を嵌めて人間の命令を聞くようにしなくてはならない。
しかし、首輪を装着するには竜を屈服させる必要がある。そのため彼らは『封印の棘』で竜の魔力に干渉したが、竜を封じたところで肝心の『魔力の宝玉』が尽きたのだ。
「あれから一週間が過ぎた。そろそろ領地に送った伝令の要請を受けて獣人達を送ってくるだろう」
「ですが、他の領地から連れてきたほうが良かったのでは? たしかに、他領に手柄を分ける必要はありませんが……」
ヴォルハルトの呟きに、シュタールが少々躊躇いながらも反論をする。
実は、ヴォルハルトだけではなく、他の二人もゴドヴィング伯爵領の出身である。そのため、彼らは帝都には詳しい状況を伝えず、自領から追加の獣人達を連れて来るとだけ伝えていたのだ。
なお、シノブ達がディンツ村で出会った兵士達は、そんな彼の要請を受けて派遣された者達である。
「お前の言った通りだ。他領に手柄は渡したくない。折角ここまで来たのだからな。我がゴドヴィング伯爵家の権勢を高める。そして、父と兄が伯爵家を、俺は侯爵……いや、公爵になってみせる!」
ヴォルハルトの宣言に、二人の将軍はそれぞれ別々の反応を示した。どちらかといえば単純そうなヴェンドゥルは、力強く頷いて賛意を示したのに対し、知性派らしきシュタールは反応を示さない。もしかすると、軍人としての栄誉は与えられても、政治の中枢に食い込むことは不可能だと思ったのかもしれない。
「……しかし、陛下はどうして炎竜の居場所を知っていたのでしょうね」
「神託らしいな。我らが神は、王国の竜はともかく皇帝直轄領に入った竜ならわかるらしい。……それにしても、こいつは良く食べるな」
話を逸らしたシュタールを、ヴォルハルトは不審に思わなかったようだ。そして彼は答え終わると、洞窟の片隅へと視線を向けた。
なんとヴォルハルトが向いた先には、雪魔狼を食べる幼竜がいた。
まだ生まれて間もないのか幼竜の体長は1mにも満たないし、肌の色も赤というよりは薄桃色である。仮に岩竜と同じなら、生後一ヶ月程度の飛翔することも出来ない幼子なのだろう。
「仕方ありません。万一『封印の棘』が持たなかったときは、こいつを盾にするしかないのですから。それに、こいつがいなかったら竜はとっくに逃げ出していたでしょう。
もしかすると、そのあたりも我らが神はご存知だったのでしょうか……」
シュタールの言葉を聞いた幼竜は、一瞬だけ軍人達へと視線を向けたが、再び雪魔狼を食べだした。両親が動けない今、幼竜が生きるには親を封じた人間の与える餌を食べるしかない。
もしかすると幼竜は、それを理解しているから屈辱に耐えているのであろうか。幼竜は、そんな想像すら浮かんでくる淡々とした仕草で魔獣を食べている。
「おお! 竜が動いたぞ! 奴らは動けないのではなかったか!」
ヴェンドゥルが叫んだように、二頭の成竜は、その首をある方向に向けていた。
まるで見えない巨大な手で地面に押し付けられたかのような炎竜達であったが、非常にゆっくりとした動作で首を動かし、同じ方角を見つめている。
「あちらは西か……何かあったのか?」
「……わかりません」
実は、ヴォルハルトとシュタールが視線を向けた遥か先には、フライユ伯爵領の領都シェロノワがあった。しかし帝国人の彼らは、そこまでメリエンヌ王国の地理に詳しくはない。
そのため、彼らは竜の行動とシェロノワを結びつけはしなかったし、ましてやシノブが岩竜の長老に頼まれて、竜を呼ぶ思念を発していたなどとは想像もしなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
そして、巨竜と大将軍達が見つめる先、彼らがいる洞窟から1000kmほど西方に進んだ場所では、気持ちよさげに喉を鳴らす子竜の姿があった。そう、フライユ伯爵家の館の庭で寛ぐオルムルである。
──お腹いっぱいです~──
シノブが送り込んだ大量の魔力を吸収したオルムルは、目を細めて満足そうな思念を伝えてきた。
彼女はシノブに寄り添いながら馬よりも大きな体を地に伏せて、僅かに尻尾を動かしている。どうやら思念で伝えてきたように、満腹感で動きたくない状態なのかもしれない。そのせいか、彼女の思念も何となく心地よさと気怠さが混じったものとなっていた。
「それは良かった……オルムル、ちょっと用事があるから、ここで待っていてくれないか?」
今シノブ達がいるのは、前庭の訓練場である。
岩竜の長老ヴルムの話を聞いたシノブは、少々気になることがあった。そこで、執務室に戻ってシャルロットやシメオン達と相談がしたかったのだ。
──イヤです! もっと側に居たいです!──
シノブの言葉を聞いたオルムルは、驚いたように体を動かし顔を寄せてくる。しかも、その思念も今にも眠りそうな陶然としたものから、内心の衝撃を表すかのような鋭いものへと変わっている。
「そうか……じゃあ、ここに家を作ってあげよう。そうしたら一緒に居られるよ。
少し待っててね」
そう言うと、シノブは訓練場の隅へと歩き出した。彼は、岩壁の魔術で訓練場の中にオルムルが入れるくらいの岩屋を造ろうと思ったのだ。
オルムルは人間よりも遥かに大きな体をしているが、まだ生まれてから半年ほどの幼子である。そして、両親が行方不明になった炎竜を探しに行っているため、シノブが彼女を預かった。
それ故シノブは彼女の願いを聞き入れ、オルムルや自分達が入れる程度の岩屋を造り、その中で仲間と相談することにしたのだ。
──どんなお家が出来るのですか?──
シノブの後を付いてきたオルムルは、期待の滲む思念を発している。しかも後を付いて来たのは彼女だけではない。アミィはもちろん、シャルロットやシメオン、そしてミュリエルや王女セレスティーヌ達もいる。
「岩の洞窟みたいに立派なものは出来ないし、形も単純だけどね……岩壁!」
一同の注目を浴びたシノブは、少々恥ずかしげな顔をした後、岩壁の魔術を使った。
まず彼の前面の地面から、直径10m少々高さ2mほどの平べったい円盤状の岩が現れる。自然物とは違い完全に整った円形をしたそれは、城壁や街道を建設したときのような綺麗に磨かれたような表面をした、いかにも人工的なものであった。
そしてシノブが出現させた岩塊は、徐々にドーム状に膨れ上がっていく。ディンツ村を崩壊させるときに使ったように、岩塊の内部に空洞を作りながら変形させているのだ。
「カマクラみたいですね……」
シノブの背後でアミィが呟いたように、岩塊は地面に伏せた半球のような形状となっていた。正面にはオルムルが余裕を持って潜れるような大きな穴が開いており、その中は広々とした空間になっている。
「カマクラとは何ですか?」
シノブが入り口の形状を整えていく中、シャルロットがアミィに興味深げな表情で問いかけている。
「えっと……雪で作るこういった家みたいなものです。シノブ様の故郷では、子供の遊びとして作ることが多いですね」
「そうなんですか……今度、作ってみたいですね!」
アミィの説明に、ミュリエルが楽しげな笑顔を見せる。シェロノワにも雪は降るから、カマクラを作ることはできるだろう。もっとも、伯爵夫人としての勉強に忙しい彼女がそんなことをする暇があるか、という問題はあるが。
そのためか、アミィも少々苦笑気味である。おそらく、何と答えて良いか戸惑ったのだろう。
「カマクラはまた今度にしよう……ミュリエル、治癒魔術の勉強中じゃなかったのかな?
ルシール、よろしく頼むよ。マルタン達も研究に戻ってくれ。セレスティーヌ様も、寒いでしょうから館にどうぞ」
シノブは、集まっている者達にそれぞれの仕事や居場所に戻るように言葉をかけた。ミュリエルやセレスティーヌはシノブと一緒にいたかったようだが、彼の真剣な表情を見たせいか館へと戻っていく。
そして、時ならぬ岩竜の長老の訪れに研究を中断して庭に出てきたマルタン・ミュレや、同様に集まっていた使用人達も、各自の役目を果たすべく訓練場から去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、人払いまでして何を相談するのですか? しかも、オルムルさんまで眠らせて……」
シノブを見上げるアミィは、不思議そうな顔をしている。そんな彼女の内心を表しているのか、頭上の狐耳も時折ピクピクと動き、背後の尻尾もゆらゆらと揺れている。
即席で作ったオルムルの家に入ったシノブは、まずは彼女に再び魔力を与えていた。
しかし彼は、今度は魔力を与えるのと同時に、催眠の魔術を使っていた。そのためか、オルムルは程なく眠りについてしまったのだ。
「ああ……アリエル、ミレーユ、すまないが入り口で人が近づかないか見張ってほしい。他の皆は奥に……そうだな、こっちに来てくれ」
シノブはアミィの質問には答えず、二人の女騎士に指示をすると室内の中央で伏せているオルムルより更に奥へと歩いていく。
ちなみに家の直径は10mほどもあり、全長3mのオルムルが丸くなっていても特に狭いということはない。それに光の魔道具で内部を照らしているから、暗さで戸惑うこともない。
そのため、アミィやシャルロットにシメオン、そして先々代フライユ伯爵アンスガルの妻であるアルメルと家令のジェルヴェも平静な足取りでシノブに続いていった。
「……炎竜ゴルンとイジェが行方不明になったことと帝国の動きには、何か関係があると思うんだ」
入り口をアリエルとミレーユが守り、更にオルムルがぐっすり眠っていることを確認したシノブは、側に集まった者達に、厳しい表情を見せながら口を開いた。最前まで優しげな表情でオルムルに魔力を与えていたシノブだが、まるで別人のように引き締まった顔つきである。
岩竜の長老ヴルムが来訪した理由は、行方不明になった炎竜の番ゴルンとイジェに対し、強大な魔力を持つシノブに心の声で呼びかけてほしいというものであった。
一方、シノブは帝国の村々で『隷属の首輪』により使役された雪魔狼を見た。それ故彼らが消息を絶った理由には、帝国が関係しているのではないかと連想したのだ。
「それに、帝国の北部や東部の山脈は火山地帯らしい。今は活発に活動しているわけではないようだが、何百年に一度か大噴火をすると、ヘリベルトやクラウスも言っていた」
シノブは救出作戦の合間に、帝国で生まれ育った獣人達に彼らの暮らしについて訊ねていた。
多くの者は自身の村くらいしか知らなかったが、アルノーに次ぐ実力者である狼の獣人ヘリベルト・ハーゲンや事情通らしい狐の獣人クラウス・アヒレスは、帝国の風土を含めた様々な知識を知っていた。
更にシノブは、作戦中に帝国兵の駐屯所から収集した文書からも、帝国の地理や気候などの知識を得ていた。もちろん空き時間で見た程度であり、まだ充分に把握しきってはいない。ただし、敵国の広さや人口、帝都に関する情報を得るために、シノブはそれらに可能な限り目を通していたのだ。
「……確かに、そのあたりは炎竜が棲家を作る条件に合いますね。ですが、どうしてそれをヴルム殿に教えなかったのですか?」
そこまで推測しておきながら何故岩竜の長老ヴルムに伝えなかったのか、シャルロットは疑問に思ったようだ。光の魔道具に照らされる彼女の青い瞳は、内心を表すかのように深い色を湛えている。
「全部、俺の想像だからね……それに、もし当たっていたなら、竜を捕らえる何かを持っていることになる。下手に近づいたら、彼らも捕まるんじゃないか?」
「『排斥された神』ですか……大神アムテリア様がお授けくださった数々の品を考えると、ありえなくはないですね……」
シノブの言葉に、シメオンも深刻な表情で頷いた。
ここにいる面々は、アルメルも含めてシノブの素性は説明済みである。そのため、シメオンも己の懸念を率直に口にしていた。
「ああ。心配しすぎかもしれないが、帝国の魔道具がこちらの物より極端に進んでいるのは、何か理由があると思うんだ。
『隷属の首輪』の仕組みが他の国々には伝わっていないのは、アムテリア様が禁忌とした行為だというのもあるけど、『排斥された神』が授けた知識なんじゃないか?
だったら、魔獣を従えたり他人の魔力を吸い取ったりする技術だって、同じかもしれない。もっとも、知識だけを与えて魔道具自体を授けるわけじゃないと思う。もしそうなら、もっととんでもない魔道具が今までも使われているだろうし……とはいえ、油断は出来ないだろう?」
シノブの言葉に、一同は頷いた。特に、アミィやシャルロットは深刻な表情である。
アムテリアの眷属であるアミィは神々の力を熟知しているし、シャルロットも自身が使っている神槍などを通して、その一端に触れている。そのため彼女達は、シノブの懸念を他の者より深く理解できるのだろう。
──シノブさん! 仲間外れなんて酷いです!──
自身の言葉に暗澹とした気持ちとなったシノブの脳裏に響いたのは、オルムルの思念であった。彼女は、いつの間にか目を開き、金色の瞳でシノブを見つめている。
「オルムル! 起きていたのか!?」
──シノブさんがいるのに、寝てしまうのはもったいないから、寝たふりをしたのです。
いつの間にかいなくなったらイヤですし……そんなことより、私達にも相談してください!──
普段とは違ってオルムルは、鳴き声による『アマノ式伝達法』では意思を伝えてこない。どうやら、非常に憤慨しているらしく、そんな余裕もないようである。
そのため、アミィがシャルロット達に彼女の語る内容を伝えている。
「……悪かった。まずは、ホリィがある程度調べてから、と思ったんだ。
帝国軍が竜の隷属を完了しているなら、もう、とっくに攻めてきているだろう。おそらく、今は何らかの方法で彼らの動きを封じているだけなんじゃないか?
それに竜は目立つ。どこかに隠しているとしても大将軍達の軍を発見すれば、そこからわかると思う」
シノブは、オルムルに自分の意図を説明した。
ホリィはアムテリアが授けた足環により、普通の茶色い鷹に偽装できる。しかも足環は外見の操作だけではなく、装着者の魔力も殆ど完全に隠蔽するようだ。魔術師などは程度の差こそあるが他者の魔力を察するから、それを回避するための機能なのだろう。
それを知っているシノブは、ホリィなら『排斥された神』に極端に接近しない限り相手の目を掻い潜れると判断していた。しかし遠方から飛来しただけで感知できる大魔力の竜達だと、あっという間に見つかってしまうとシノブは思ったのだ。
──シノブさんが一緒なら大丈夫です!
心配してくださったのはわかりました……でも、ホリィさんが炎竜達の居場所を確かめたら私達にも教えてください! これは私達、竜の問題でもあるのです!──
オルムルは、毅然とした思念を返してくる。
理知的な返答は、とても生後半年だとは思えない。そもそも、生後二ヶ月程度でシノブ達と思念を交わしたオルムルである。彼女を含め、竜の知能を人間の基準で測るべきではないのだろう。
「そうか……わかった。オルムルの言うとおりだね。まずはホリィに探してもらうけど、情報を掴んだら絶対教えるよ」
シノブは、オルムルを子供扱いしていたことを反省した。
どうも人間の常識に囚われすぎていたようだ。それに彼らの問題は彼らにも伝えるべきだろう。シノブは、そう思い直したのだ。
シノブの内心が伝わったのか、オルムルも機嫌を直した様子でシノブに擦り寄ってくる。
「……オルムル?」
──シノブさん、魔力を下さい! そのときまでにもっと強くなります!──
不審に思ったシノブに、オルムルが思念と『アマノ式伝達法』で答えてくる。普段どおりに戻った彼女の可愛らしいおねだりに、シノブだけではなくアミィやシャルロット達も笑みを浮かべている。
「あまり無理して大きくならなくても良いんだけど……でも、さっきのお詫びに沢山あげようか」
「シノブ、まるでお母さんみたいですね。私より先にシノブが母親になるとは思ってもみませんでしたが」
オルムルへと手を伸ばしたシノブに、シャルロットが悪戯っぽい笑みを見せながら寄り添っていく。
彼女は、将来生まれてくるであろう自分達の子供と、その子育てのことを想像したのかもしれない。なにしろ、街に出たときに可愛らしい男の子の人形を選んだ彼女である。今のところ子供を授かったという兆候はないが、内心の期待は非常に大きいのだろう。
「シノブ様は、甘い父親になりそうですね。私達がしっかり支える必要がありそうです」
「ですが、子供を慈しむのは良いことですよ。……まずは、親の愛情をたっぷりと与える。それで良いと思います」
澄ました顔で言うシメオンに、アルメルがしみじみとした声音で自身の意見を伝えていた。
彼女は、前伯爵クレメンや、その息子達を思い出したのかもしれない。自身の子供ではないが、彼らは夫アンスガルの子や孫だ。その最期に思いを馳せたらしい彼女の言葉には、若いシノブ達には実感できない何かが篭っているようであった。
「まあ、将来のことはともかく、オルムルをあまり甘やかさないように気をつけるよ。ガンドやヨルムに怒られてしまうからね」
おどけたように言うシノブであったが、その内心では帝国に囚われているかもしれない炎竜の番ゴルンとイジェを案じていた。
竜の棲家を作ったということは、彼らにも目の前にいるオルムルのような子供がいるはずだ。そんな親子を意のままに従わせようとする帝国を、このままにはしておけない。彼は、静かに湧き上がる決意を胸に抱きながら、オルムルへと温かな魔力を注いでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年4月29日17時の更新となります。