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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第10章 フライユ伯爵領の人々
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10.25 竜を呼ぶ男 前編

「何だと! ゴドヴィング街道が地震で崩壊しただと!」


 創世暦1001年2月11日。ベーリンゲン帝国の帝都ベーリングラードの中心にある宮殿は、時ならぬ災害の報告に騒然としていた。

 ゴドヴィング街道とは、皇帝直轄領とその西側のゴドヴィング伯爵領を結ぶ街道だ。更に西にあるメグレンブルク伯爵領へも通じている、帝都から西に伸びる大街道である。

 なお、ゴドヴィング街道の崩壊はシノブの魔術によるものだが、今のところ帝国側は自然災害だと思っているようだ。


「続きを……」


 宰相のメッテルヴィッツ侯爵は、気難しそうな表情をしたまま、報告をしにきた40過ぎの男性官僚に語りかける。玉座の下手に控える彼は綺麗に揃えた髭に手をやり、何かを思案している風である。


「はっ!

まだ調査中ですが……昨日未明の地震によりゴドヴィング伯爵領に入ってから領都ギレシュタットまでの間……およそ数10kmに渡って陥没や崩落が発生したとのことです。

どうやら街道のあった一帯が大幅に崩れたようで……迂回も困難ですし、少なくとも馬車での通行は出来ません……」


 報告する官僚は、皇帝の前に出ることを許された高位の文官である。そのため通常であれば主君への畏れを表すことはあっても口篭ることなどない。だが、状況を充分に把握していないせいか、彼は蒼白な表情で途切れ途切れに答えている。


「復旧にはどの程度の期間が必要か? わかっていると思うが、ゴドヴィングやメグレンブルクへの街道は、王国攻略の要だぞ」


 内務卿を務めるドルゴルーコフ侯爵ヴァミール・フォン・ガウロスヴァが、不機嫌そうな表情で部下である官僚に問うた。

 どうも、自身の管轄である街道維持に問題があったのが、気に障ったようである。もっとも彼が言うように、メリエンヌ王国への侵攻には、ゴドヴィング街道が重要なのは間違いない。なぜなら王国はメグレンブルク伯爵領の更に西にあるからだ。

 しかも、帝国は険しい山岳地帯が殆どである。そのため国内の道には隘路や切り通しが多く、大軍や馬車が移動できる大街道は貴重であった。


「リュデケ上級官! 早く答えんか! ヴォルハルト殿の下に奴隷を送ることはできるのか!」


 部下の返答を急かす内務卿ドルゴルーコフ侯爵の顔は、真っ赤に染まっている。

 どうやらドルゴルーコフ侯爵は、新たな大将軍ヴォルハルト・フォン・ギレスベルガーの下に奴隷を届けられるか心配しているようだ。

 現在、ヴォルハルトは極秘任務で皇帝直轄領の北東部の山脈にいるという。そして皇帝の代理として軍を掌握する大将軍自身が指揮する作戦への影響は、自身の失脚へと繋がりかねない。ドルゴルーコフ侯爵は、それを恐れているのだろう。


「それが……元の街道をそのまま使うことは難しいと思います。また、街道だけではなく広範囲に陥没しているところもあるそうで……そのため道を敷設できそうもない箇所までありまして……」


「結論を言え! 予算の都合もあるのだ!」


 リュデケ上級官の不明瞭な答えに、大声で怒鳴ったのは財務卿のボアリューク侯爵だ。

 宰相であるメッテルヴィッツ侯爵や内務卿のドルゴルーコフ侯爵と同じく、50歳前後らしきボアリューク侯爵は、黒髪に茶色の瞳をした細身の男性だ。他の二人もそうだが、純然たる文官らしく肉付きの薄い力仕事とは縁のなさそうな容姿である。


「はっ……奴隷を五千人動員しても、最低でも一ヶ月……長ければ二ヶ月かと……」


 残りの商務卿ゴドガノフ侯爵と農務卿プシェミスク侯爵まで注目する中、リュデケ上級官は額に冷や汗を滲ませながら答えた。

 二月中旬に入ったばかりの帝都は寒さが一番厳しい時期だ。とはいえ宮殿の中、それも謁見の間は沢山の魔道具で暖められており、快適である。しかし皇帝や重臣達の視線を一身に受けたリュデケ上級官は、まるで外の寒気に晒されたように血の気の薄い顔をして立ち尽くしている。


「二ヶ月で良い。その代わり奴隷を殺すな。先の戦で減ったからな」


 玉座に座る偉丈夫、第二十五代皇帝ヴラディズフが冷徹な印象を与える声音(こわね)でリュデケ上級官に伝える。

 昨年末にガルック平原で行われたメリエンヌ王国との会戦では、およそ八千名の歩兵部隊が帰還しなかった。そして、その殆どが戦闘奴隷である。帝国の場合、伯爵領の人口はおよそ20万人であり、そのうち7割が獣人、つまり奴隷である。

 ガルック平原の会戦に参加した戦闘奴隷は殆どが西側の二つの伯爵領、つまりメグレンブルク伯爵領とゴドヴィング伯爵領の出身だ。したがって、二つの領地で合わせて28万人近い奴隷のうちの約3%が失われたことになる。

 もちろん全体からすれば僅かだが、その穴埋めとして若い農奴を新たな戦闘奴隷に転用したばかりである。これ以上の損失は、今年の農業収入にも関わるはずであり、皇帝の命令はそれを考慮したものと思われる。


「ははあっ!」


 リュデケ上級官は平伏せんばかりの様子で皇帝に頭を下げた。彼は、どうやら自分が責められることはないようだと安堵したらしい。その表情は、僅かに緩んでいる。

 帝国では実力次第で高官に就くことは可能であるが、その代わりに失敗をした場合には、処刑されることも珍しくはない。流石に自然災害の報告で処刑されることはないだろうが、それでもリュデケ上級官の脳裏には、最悪の事態が浮かんでいたようである。


「下がってよい」


「はっ!」


 皇帝ヴラディズフ二十五世は、リュデケ上級官を下がらせた。リュデケは、これ以上面倒事が起きないようにと思ったのか、謁見の間を足早に下がっていった。


「しかし、これは自然現象なのでしょうか?

ゴドヴィング伯爵領へと繋がる唯一の街道だけに、こうも被害が集中するとは……」


 リュデケ上級官を見送った宰相メッテルヴィッツ侯爵が、顎に手を当てながら呟いた。


 なお、シノブ達が実施した救出作戦やディンツ村の事件についての報告は、帝都の彼らには来ていないようである。街道の崩壊で情報が届かないということもあるが、皇帝の叱責を恐れた伯爵達が帝都への報告を躊躇(ためら)ったのかもしれない。


「確かに。これでゴドヴィングやメグレンブルクとの行き来は困難になりました。魔獣が潜む山中を抜けるのは、商人などには無理でしょう」


 それはともかく、商務卿ゴドガノフ侯爵は深刻そうな表情で宰相に応じていた。

 普通なら迂回する道くらいありそうなものだが、ベーリンゲン帝国の場合は事情が異なる。帝国は皇帝に過剰なほど権力を集中させた統治体制であり、その統治思想が各伯爵領との交通網にも影響していた。


 そのため、各伯爵領の間の街道は原則として整備されていない。もちろん全ての伯爵領が皇帝直轄領と接してはおらず、最西端のメグレンブルク伯爵領のように他領を経由して帝都ベーリングラードに行く領地も存在する。

 だが、そういった例を除けば、隣り合う伯爵領でも互いに行き来できる道はないのだ。これは、山岳地帯という立地上の理由もあるが、各伯爵領が結託して皇帝に反逆することを恐れたためである。しかし、そんな統治思想が、この場合は災いしていた。


「自然災害だろうが謀略だろうが、やることは変わらん。……ヴァミール、ヴォルハルトの下に送る奴隷は、東域の諸領から集めろ。急げ」


 皇帝は重臣達の言葉を(さえぎ)り、内務卿のヴァミール・フォン・ガウロスヴァに指示を出す。どうやらシノブの思惑通り、西の領地の獣人達を皇帝直轄領に送ることは避けられたようだ。


「わかりました。早速手配します」


 内務卿ドルゴルーコフ侯爵ヴァミールは、謁見の間にいた文官を呼び寄せると何事かを指示した。おそらく、対象とする伯爵領の名を伝えたのではないだろうか。


「大将軍が首尾よく成功した暁には、シノブという男を制すことも出来るでしょう。どちらにしろ、それまでは王国に侵攻することもできません」


「うむ。奴は戦闘奴隷を解放できるらしいからな……『隷属の首輪』の改良は進んでいるか?」


 宰相メッテルヴィッツ侯爵の言葉を聞いた皇帝は、逆に問い返した。彼は、鋭い眼光で目の前の臣下を見つめている。

 王国に攻め込んだ帝国兵は帰還していないが、平原での初戦から決戦までには時間があった。どうやら、その間に帝国側に引き上げた負傷兵などの証言から、シノブのことを知ったのだろう。


「はい。大将軍に持たせた魔道具にも使っていますし、元々技術的には可能なことです。ただ、高価になりすぎるため、実用上充分と思われる強度の障壁にしていたのですが……」


 宰相は、『隷属の首輪』が備える外部の魔力を遮断する障壁を強化することで、シノブの魔力干渉を防ぐつもりのようである。


「急げ。春には再度の進軍を行う。それまでには戦闘奴隷も一定数を揃えたい」


 帝国の人口の7割は獣人、つまり奴隷階層である。したがって、奴隷抜きでは兵数も大幅に減ってしまう。そのため次の戦を急ぐ皇帝は、改良版の『隷属の首輪』を必要としているようだ。


「はっ、王国の……そして西方各国の征服は、我らの神の意思ですからな」


「そうだ。我らは豊かな土地を得て更に繁栄する。そして、我らの神に新たなる地を捧げるのだ。

……いつの日か我らの神が全ての地を手にし、全ての神を従える。永い時間をかけて、ようやくここまで来たのだ。失敗は許されん」


 おそらく、皇帝は惑星という概念を知ってはいないだろう。だが、彼が言う全ての地とはこの惑星全体ではないだろうか。そして、全ての神とはアムテリアとその従属神を指すようである。

 しかし、永い時間をかけて、とは何を意味するのだろうか。確かにベーリンゲン帝国の建国は500年以上前に遡る。ただし、その頃既にメリエンヌ王国が存在していたから彼らの支配地が西に広がったことはない。


「ローラント。そなたは王国に潜入するのだ。王国に潜入した部隊は壊滅したようだ。シノブという男についての情報を集めろ。暗殺を仕掛けて実力を計るのだ。だが、全員死ぬことは許さん。最低一人は残すのだ」


「はっ!」


 ローラントと呼ばれた男は、皇帝の指示に鋭い声で返答した。彼は、前日にシノブが倒した大隊長パウル・キュッテルと同じような豪華な騎士鎧とマントを付けている。


「ヴィンターニッツ特務隊長なら、情報くらいは持ち帰るでしょうな……」


 内務卿のドルゴルーコフ侯爵が、恐れの滲む口調で呟いた。

 侯爵が漏らしたように、ローラント・フォン・ヴィンターニッツは諜報や暗殺などを得意とする特務部隊の隊長である。彼は大隊長格だが皇帝直属であり、その権限は大きい。そして官僚、軍人を問わず、彼が(つか)んだ情報で処刑された者は多いのだ。


「我らが神の加護があらんことを……」


 皇帝は、凍てつく氷原を思わせる冷徹な口調で特務隊長へと祝福の言葉を掛けた。彼の冷たく、そして強い意志を滲ませた言葉に、謁見の間にいる諸侯や文官、軍人達は静かに頭を下げていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 所変わってフライユ伯爵領の領都シェロノワ中央にある伯爵家の館。その右翼二階にある領主の執務室で、シノブは家令のジェルヴェから渡された紙を眺めていた。


「ジェルヴェ。随分出席者が増えたんだね」


 シノブが見ているのは、三日後に迫った彼の誕生パーティーの出席者一覧であった。


「お館様が開く祝宴ですから、当然のことでございます。本当でしたら昨日お伝えしようと思ったのですが……」


 答えるジェルヴェだけではなく、隣の侍従のヴィル・ルジェールも誇らしげな表情である。

 何しろ、リストには王太子テオドールの名を先頭に、綺羅星のような貴顕の名が一面に記されている。しかも、元々出席する予定の王女セレスティーヌにアシャール公爵だけではなく、伯爵達の名前も当初より増えている。


「昨日は遅かったし、疲れていたからね。今朝にしてくれて良かったよ」


 シノブは、苦笑しながらジェルヴェへと答えた。

 昨日の早朝、救出作戦を終えたシノブは、しばらくガルック砦に滞在をした。救出した村人達への説明などを行う一方で、不審な者が紛れていないか確認していたため、そのまま夕方まで砦にいたのだ。

 しかも、シノブが街道の破壊工作を行った後、ホリィは直ちにゴドヴィング伯爵領やメグレンブルク伯爵領の様子を偵察しに行った。想定通り西側の獣人達の皇帝直轄領への連行を妨害できたか、救出により獣人達の扱いが悪化しないかなどを確認するためである。

 そのためシノブとアミィは魔法の家の転移ではなく、砦の軍馬を借りて領都シェロノワに戻ってきた。そして、徹夜明けのその日は、疲れ果てて寝てしまったのだ。


「王太子殿下に王女殿下、アシャール公爵閣下に侯爵家の名代の方、それに四つの伯爵家に来訪いただけるとは……大変喜ばしいことです」


 侍従のルジェールは感激の面持ちである。

 当初は王女にアシャール公爵、そしてシャルロットの実家であるベルレアン伯爵家、南隣のラコスト伯爵家が来る予定であった。

 しかし王都に行った際に、アシャール公爵が侯爵達にもシノブの誕生パーティーへの出席を伝えたらしい。しかもシノブはアシャール公爵を都市アシャールまで迎えに行くため、移動時間は殆ど掛からない。そこで、王太子テオドールや侯爵家の者達まで来ることとなったのだ。


「しかし、義伯父上のところから来る人達はわかるが、ボーモンとエリュアールからは遠いだろうに……」


 追加で来る二つの伯爵家はシノブが触れたように、比較的近いボーモン伯爵家とエリュアール伯爵家である。彼らは片道400kmから500kmもの距離を馬車で往復するという。王都の別邸に詰めている者から情報を得たのか、それとも隣接する領地のラコスト伯爵からの情報か、彼らは出席の意思を早馬で伝えて来たのだ。

 決して近い距離ではないが、シノブ達も戦争の時は王都メリエからベルレアン伯爵領の領都セリュジエールまでの400kmを二日で移動したこともある。上級貴族が保有する身体強化に優れた馬なら、そういった無理もできるのだ。


「往復を含めて一週間はかかるでしょうけど、それでも来たいのでしょうね。シノブ様が注目されている証拠です」


 シノブの隣に立つアミィは、誇らしげな表情である。

 ボーモン伯爵家とエリュアール伯爵家は、先の戦に兵を送った自分達も勝利を(もたら)したシノブの祝い事に参加したいと言ってきた。本心でもあろうが、シノブとの交流を深めたいと考えているのも事実であろう。


「そうかな……でも、帝国のことも相談したいから、テオドール様達が来てくれることになって良かったのかもね。

それに、また戦争になるなら、ボーモンとエリュアールから援軍を出してもらう必要がある。もし、正面から対抗しなくても、救出作戦を急ぐなら近隣の領地にも受け入れてもらいたいし……」


 三人の賞賛に気恥ずかしくなったシノブは、その顔をうっすらと赤く染めながら頭を掻いた。だが彼は、自身が続けて口にした内容に、その表情を引き締めていた。


 ガルック砦でマティアスやシーラスと相談した結果、シノブは三日後の彼の誕生パーティーにやってくるアシャール公爵に帝国の状況を伝え、彼の意見を聞くことにした。

 もちろん、作戦の成功や概要に関しては、早速王都メリエに国王宛の密書として送った。しかし今後の方針については、まずは東方の諸領を監督するアシャール公爵に内々に相談すべきだと、マティアスやシーラスが進言したのだ。


 どうやらマティアス達は、拙速な報告をした場合、シノブの暴走と受け取られないかと案じたらしい。

 国内の自由通行権を得たシノブだが、それを理由に頻繁に王宮へと赴いて自身の意見を述べるのは周囲の反感を買うかもしれない。そこで王弟で公爵家筆頭であるアシャール公爵の後ろ盾を得てから(おおやけ)にすべきと、王都勤めが長いマティアス達は思ったようである。


 幸い公爵は二日後に迎えに行くため、早馬での伝達と大して時間は変わらない。そう思って進言を受け入れたシノブだが、王太子や近隣の伯爵達まで揃うなら、むしろこのほうが良かったと二人に感謝していた。


「……お館様。イナーリオ中隊長が至急お伝えしたいことがあるそうです」


 静かなノックをした後に、控えの間から入ってきたのは、侍従のヴィル・ルジェールの息子で従者見習いのロジェ・ルジェールであった。まだ10歳の彼は、緊張した面持ちで扉の側に立っている。


「ありがとう、ロジェ。アルバーノを通してくれ」


 シノブは、ほっそりとした栗色の髪の少年にやんわりと指示をした。

 この国では騎士階級や従士階級の子供は10歳までには見習いとして親と同じ職種に就くようである。したがって、ロジェも特に早いわけではないのだが、それでも日本で生まれ育ったシノブからすれば、小学生に仕事をさせているようなものだ。そのため、シノブの対応はどうしても優しさに満ちたものとなってしまう。


「アルバーノ・イナーリオ、入室します!」


 美声といってもいいバリトンを響かせてアルバーノは律動的な歩みで執務室に入ってきた。ただし、その足音は聞こえない。猫の獣人は軽やかな身ごなしを得意とするが、その中でも彼は群を抜いている。

 寒さを嫌う猫の獣人の彼は、軍服こそ他より厚地のものであるが、軍靴は他と変わらないはずだ。しかし、そんなことはお構いなしに、アルバーノは自然な、そして無音の歩みでシノブの執務机の前に進み出た。


「どうしたんだ?」


「帝国の間者を発見しました! 部下に見張らせていますが、おそらく特別手配のサミュエル・マリュスと思われます!」


 シノブの問いに、アルバーノは僅かに自慢げな様子で答えた。だが、それも無理はない。サミュエル・マリュスとは、王都メリエでソレル商会に指示を出していたフライユ伯爵家の元家臣だ。そして、その正体は帝国の間者、しかもその指揮官と思われる大物である。


「それは本当か!」


 思わぬ情報にシノブも思わず立ち上がっていた。もちろんアミィやジェルヴェ、そして侍従のルジェールも驚きの表情でアルバーノを見つめている。


「はい! もっとも発見したのは姪のソニアですが。あいつが怪しい動きをしていた領都の門番を張っていたのです。サミュエル・マリュスは、ヴィランスの町に潜んでいます」


 ヴィランスの町とは領都シェロノワの西隣、10kmも離れていない至近の小集落だ。そしてサミュエル・マリュスは、そこの民家にいるという。

 この民家は行商を営む零細商人の家だそうだ。そういう名目で民家を確保していたため、普段は不在でも怪しまれることはなかったのだろう。


「……全部ソニアが調べ上げた内容ですが。

いやぁ、アミィ殿の薫陶がよほど良かったのか、我が姪ながら素晴らしい手際でした。正直、姪でなければ嫁……いえ、部下に欲しいくらいですな!」


 アルバーノは何故(なぜ)か途中で言い直し、陽気な笑顔を見せた。

 実は、彼は館の侍女の間では有名らしい。色男と言うべき整った容姿に明るく闊達(かったつ)な性格、そして口も良く回る彼は女性にも愛想が良い。別に不道徳なことをするわけではないが、非番の時は若い侍女のところに来ているという。

 ちなみに本人は姪のソニアに会いに来ただけだと弁明しているそうだが、色々と話題にはなっていた。


「わかった。サミュエル・マリュスは逃したくない。私とアミィも行く。ジェルヴェ、後は頼む」


「はっ! 閣下に指揮して頂けるとは光栄の極みです! それでは早速お願いします!」


 扉に歩みながら鋭い口調で告げるシノブに、アルバーノは嬉しげな様子で答える。

 王都でソレル親子を捕らえてシャルロット暗殺未遂事件の全容はわかっている。だが、帝国との連絡役であり王国側の間者の元締めでもあるサミュエル・マリュスを捕らえれば、今まで以上に帝国の(たくら)みがわかるだろう。

 それにサミュエルは前フライユ伯爵クレメンを(そそのか)して帝国との密貿易を開始させた張本人である。したがって、今まで捕らえた間者とはわけが違う。

 王国に潜む最後の手先と相見(あいまみ)える。シノブは、ふつふつと湧き上がる闘志を抑えつつ、アルバーノやアミィ、そしてジェルヴェ達を従えて執務室から歩み出ていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年4月25日17時の更新となります。


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