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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第10章 フライユ伯爵領の人々
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10.21 王女が街にやってくる 後編

 治療院を出たシノブ達は、シェロノワの大通りを南下して大商会の多い区域に移動していった。

 フライユ伯爵領の領都であるシェロノワは、西区と南区に大商会が多い。これは、西大門からベルレアン伯爵領に向かう街道、そして南大門から王領への街道が伸びているからである。

 特に、王都に向かう南区に本拠地を置くことは、シェロノワの、そしてフライユ伯爵領の商会主にとって憧れであり、成功の証というべき快事であった。そのため、南区でも中央区に隣接した一画ともなればフライユ伯爵領を代表するような商会、あるいは他領の大商会の支店などが並ぶ高級街となっている。


 そんな南区に入ってすぐの場所に、今回シノブ達が向かうフライユ公営商会は存在する。元々、魔道具製造業で栄えたソレル商会の本店だった建物をフライユ伯爵家が接収したのだ。ソレル商会は敵国であるベーリンゲン帝国と内通していた上に奴隷貿易などにも手を出していたから、当然の措置である。

 近くには、ソレル商会と同様に取り潰されたダルデンヌ商会やヴェルネ商会の本店もあったが、これらも今は他の商会の手に渡っていた。

 この魔道具製造業は領主であった前伯爵クレメンが力を注いだ事業であったが、帝国から秘密裏に仕入れた部品を使っていた。そのため、それらに関わった商会は多くはない。したがって、取り潰された商会の数はさほどではないが、どれもフライユ伯爵領を代表する大商会だったため影響は大きかった。

 そのため、フライユ公営商会の設立にも、魔道具製造業の継続だけではなく、経済の混乱を抑え雇用を維持するという意図があった。


 しかし、それらは賓客である王女や大使の子供達の前で言うことではない。もちろん、彼らもそういった背景については知っているため、フライユ公営商会設立の理由などが問われることはなかった。


「こちらの暖房の魔道具、とても助かっていますわ。領事館や私室でも重宝しております」


 カンビーニ王国の大使の娘アリーチェは、感心した様子で車内を見回した。

 フライユ伯爵家の馬車には暖房の魔道具が設置されており、二月初旬の冷たい空気も関係ない。どうやら、車内の快適な様子から、それらを思い出したようである。


「ああ、あれは良いですね。私達は寒さに弱いですから」


 アリーチェの言葉に、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオが同意した。獣人族と一括りにされる彼らだが、狼の獣人なら素早く、熊の獣人なら力強くとそれぞれ特徴がある。そして、猫の獣人アリーチェと虎の獣人ナタリオは、寒さに弱いらしい。

 元々、猫科の生物……獣人ではない本来の動物は南方に生息する。それ(ゆえ)猫に関連した獣人達も、その特徴を受け継いだのであろうか。


「お二人の言葉、工場や商会の者達が喜ぶでしょう」


 シャルロットは、アリーチェやナタリオの賞賛を聞いて、にこやかに微笑んだ。


「そういえば、アルバーノやソニアは、大丈夫なのかな?」


 シノブは、大使の子供達と同じ南方出身の二人に問いかけた。最近家臣に加わったアルバーノのことは良く知らないが、その姪である侍女のソニアは寒さを訴えたことなどない。だが、アリーチェと同じくカンビーニ王国出身の二人である。そのため、実は彼女が寒さを我慢していたのではないかと気になったのだ。


「お気遣いありがとうございます。館には暖房の魔道具がありますので」


「士官も、申請すれば宿舎に設置してもらえます!

私も初日に急いで申請しました。フライユ伯爵領軍は素晴らしいところです!」


 後方の従者用の席に座る二人は、シノブの言葉に微笑みと共に答えた。やはり、猫の獣人である彼らは、寒さには弱いらしい。


「アミィさんやミシェルは、寒くても気にしないですね?」


 ミュリエルは、後ろに座るアミィへと振り向き問いかける。


「ええ、狐の獣人は寒さに強いですから。アンナさん達、狼の獣人と同じです」


 アミィが答えたように、北方に多い狐の獣人や狼の獣人、そして熊の獣人は寒さに強い。ちなみに獣人族といっても人族と違うのは獣耳と尻尾くらいであり、彼らが特に毛深いといったことはない。


「南方の皆様にとっては、こちらは寒いでしょう。家の中はともかく、外ではどうされますの?」


 王国でも比較的南方の王都メリエで暮らしていたセレスティーヌが、隣に座るアリーチェに尋ねかける。王女である彼女は、今まで外出自体したことが少ないらしく、彼らの話を興味深く感じているとみえる。


「こちらでは厚手の服を着込みますわ。メリエンヌ王国に来てから幾つも(あつら)えましたの」


 アリーチェが王女に語ったとおり、彼女達の服は本国にいるときとは違うものらしい。赤や黄色など明るい色の飾り布を着けるのに変わりはないが、その下の服は北方用に仕立てたものだという。

 彼女達の故国は気候もメリエンヌ王国とは異なり、冬でもあまり寒くないそうだ。熱帯とまではいわないが、それでも年中を通して暖かいという。まだ両国を訪れたことのないシノブだが、彼女達から聞いた内容から、地球でいえば地中海沿岸の南欧諸国に近いのではないかと想像していた。


「軍服も、こちら用のを作ります。毛織物や薄めの革を間に挟むなど、外からはわからないように工夫しています。

アルバーノ殿の軍服も、同じですね?」


 ナタリオは、同じ猫科の獣人であるアルバーノと仲が良くなったとみえる。

 帝国との戦いに興味を示しているナタリオは、戦闘奴隷として囚われていたアルバーノにも色々話しかけていた。どうやら彼は、帝国に住む獣人達を助け出したいと考えているらしい。


「はっ! 南方出身者には、普段の冬季装備も厚手の寒冷地用が割り当てられます!

実に快適です!」


 対するアルバーノも生来明るい性格であるからか、ナタリオの問いに快活に答えていた。彼は元々社交的な性格で、それ(ゆえ)に伝統を重んじる従士の一族に反発したらしい。

 そんな過去を持つアルバーノだけに、実力主義の登用や賓客の饗応(きょうおう)役に加えられたのは、とても嬉しかったようだ。案外、今日の視察を一番喜んでいるのは彼かもしれない。


「お館様、公営商会に到着しました」


 そんな彼らを眺めるシノブに、侍従のヴィル・ルジェールが(ささや)きかけた。彼の言葉の通り、馬車は南区のフライユ公営商会の本店前に着いていた。王都の大商会と同じく、このあたりの商会は建物一つを使い切る大店である。

 窓から見える石造りの建物は、格式のある大商会に相応しい大きさと重厚な外観である。そして、王都の一流店と同様に、四階建ての建物は敷地一杯を使って建てられ、馬車を停めるのは中庭となっている。そのため、シノブ達が乗った馬車は、馬車用の大きな門から、敷地内に乗り入れていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 午前中一杯、フライユ公営商会はシノブ達の貸切であった。何しろ、王女を含む賓客達を案内するのだ。どんなに警戒してもしすぎということはない。大通りもラシュレー大隊長以下の警護隊に取り囲まれての移動であったし、移動後も彼らは公営商会を取り巻き厳重な警戒を続けている。


 もっとも、そんな物々しい警備を店の中から察することはできない。それに店内に入ったのは、ごく一部の者達だけである。

 まずはシノブやシャルロットにミュリエルの饗応(きょうおう)役、その従者であるアミィにアリエル、ミレーユだ。そして王女とその従者である女騎士のサディーユとシヴリーヌ、大使の子供達と彼らの世話を申し付けられたアルバーノとソニアである。

 後は領都に長く住む侍従のルジェールが、案内役として付き従っているだけだ。そのように少人数だから、商会の中は高級店らしい落ち着いた空気に満ちていた。


「こちらも、暖房が良く効いていますね」


 室内の暖かな空気に感心したのか、ナタリオが呟いた。

 適度な温度に保たれた広々とした店内には、多くの魔道具が並べられている。一階は日常生活に使う魔道具でも、特に大型の物が展示されている。何となく、生活家電が並んでいる家電店を思わせる雰囲気だ。


「魔道具の実演も兼ねていますから」


 ナタリオの感嘆にシャルロットが答えたとおり、店内は暖かく外の冷え込みが嘘のようである。やはり、魔道具の性能を示す意味があるのだろう。


「冷蔵庫も、沢山ありますね! これならアイスクリームも、いっぱい作れますね!」


「はい! とてもよく冷えるそうですよ!」


 アリーチェは、武術大会『大武会』を観戦したときに食べたアイスクリームが気に入ったとみえる。その製法を聞いた彼女は、ミュリエルと一緒に冷蔵庫を興味深げに覗いている。


「魔道具製造業も、無事に立て直せたのですね」


「ええ。家臣の者達が頑張ってくれましたから」


 こちらは王女セレスティーヌとシノブである。セレスティーヌはシノブの側を離れようとはしなかった。そのため、シャルロットがナタリオ、ミュリエルがアリーチェを案内することになったのだ。


「……ロエク、今はほとんどの商品が、何らかの形で製造できると聞いているが?」


「はい、仰せの通りです。大型化したものもありますが、性能には影響がないようにご配慮頂いておりますので」


 シノブ達を案内している40代後半の男性が、彼の質問に答えた。

 このロエクという男は、フライユ公営商会の店主である。公営商会だから、もちろん雇われ店長だ。

 彼は、取り潰されたヴェルネ商会で都市シュルーズの支店長をしていたが、シュルーズは領内で一番西方にある都市ということもあり、帝国との密貿易などには関与していなかった。

 そのため、ヴェルネ商会がフライユ公営商会に吸収された後、店主に抜擢されたのだ。


 それはともかく、彼が言うようにシノブやシメオンは製品の性能維持を重要視し、代用部品などの組み合わせで従来同様の製品を製造してほしいと指示していた。これは難しい要望ではあったが、ミュレやハレール老人の尽力もあり、大型化や一定の原価上昇はあるものの、なんとか実現していた。

 もちろん、原価が上がった分、利益率は落ちているのだが、長期的に見れば顧客を逃さないことが重要だというシメオンの主張もあり、まずは従来どおりに供給することに重点を置いている。


「それは良かった。今は利益も少ないだろうが、元通りにすべく私達も考えている。暫く辛抱してほしい」


「勿体無いお言葉でございます」


 店主のロエクは、シノブに深々と頭を下げた。

 実は、伯爵家からの支援も受けているので、商会として独り立ちしたといえる状況ではない。しかし、それらは王女のいる前で言うことでもなかろう。ともかく、旧来の商会が潰れた後に安定した雇用先を提供し、更に産業を維持した。それが一番重要なことであった。


「こんなに早く製造や販売が上手くいっているのもシノブ様のお力なのですね」


「私より、シメオンや現場の者達が頑張っているからですよ」


 王女の賞賛の言葉に、シノブは苦笑いを返した。彼が言っていることは謙遜ではなく、実際にシメオンやミュレ達、そしてここにいるロエク達の努力の成果なのは間違いない。


「いえ、我々を適切に動かしているのは、伯爵様でございます。王女殿下のお言葉は、間違いではございません」


 ところが、ロエクはシノブの言葉を否定してみせた。もしかすると、領主であるシノブの評価を高めるべきだと思ったのだろうか。

 そんな店主の言葉を聞いたセレスティーヌは、一層の尊敬を表すかのように青い瞳を輝かせてシノブを見つめている。


「ところで、隣はもう入ったのかな?」


 そんな二人の言葉が恥ずかしかったシノブは、ロエクへと周囲の店の状況を尋ねた。

 ここフライユ公営商会の本店は、領内でも一番景気のよかったソレル商会であった場所だ。そのため、中央区から南区に入ってすぐの場所にある。そして、その向かいはダルデンヌ商会、同じ並びの南側はヴェルネ商会であった。

 これらも魔道具製造業を中心とした商会であり、密貿易に関与していたため今は存在しない。そのため、ダルデンヌ商会の使用していた建物は、ベルレアン伯爵領のボドワン商会が使用権を買い取り、支店を出したという。

 そして残りのヴェルネ商会の後には、とある国外の商会が入るという報告をシノブは受けていた。そこで、シノブは状況をロエクに聞いてみたのだ。


「つい昨日、カンビーニ王国のマネッリ商会が入りました。まだ開業はしていませんが、香辛料などを扱う店を出すと聞いております」


「まあ、流石シノブ様の治める土地ですね! もう南方とのお付き合いが始まっているとは!」


 ロエクの言葉に、王女は更に感心したような表情で笑いかけるが、シノブは逆に微妙な表情となった。

 実は、このマネッリ商会というのは、カンビーニ王国に一旦戻ったアルバーノの伝手でやってきたのだ。真っ当な商売をしていることはシメオン達が確認しており、シノブとしても喜ぶべきことではあるのだが、彼自身が何かをしたわけではない。それ(ゆえ)シノブは少々恥ずかしげな表情となったのだ。


「シノブ様、そのマネッリ商会も見てみたいですわ! お願いします!」


「わかりました。御案内しましょう……ヴィル、段取りを頼む」


 セレスティーヌの懇願にシノブは頷き、侍従のヴィル・ルジェールへと指示を出した。流石に王女をいきなり連れて行くわけにはいかない。シノブは、もう少々フライユ公営商会を見て回ることにして、その間にマネッリ商会への視察が可能か確認することにしたのだ。

 そしてシノブの意を()んだルジェールは、綺麗な会釈を返して店外へと歩みだしていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 フライユ公営商会で、王女や大使の子供達は、幾つかの魔道具を買っていった。照明の魔道具や着火の魔道具など様々なものを購入した三人だが、揃って買ったのが冷蔵庫である。

 ナタリオとアリーチェは、『大武会』を観戦しながら食べたアイスクリームが気に入ったらしく、それを聞いたセレスティーヌまで買い求めたのだ。

 もちろん購入した品々は商会から領事館や伯爵家の館に直送されるため、荷物になることはない。それゆえ、一行はそのまま隣のマネッリ商会へと移動していた。


「王女様、伯爵様、いらっしゃいませ! 奥方様達も、どうぞ!」


 マネッリ商会でシノブ達を出迎えたのは、猫の獣人の女性であった。二十歳(はたち)過ぎくらいであろうか、猫科の獣人に多い金髪金眼の外見はソニアに良く似ている。


「モカリーナさん、後は開店だけですね」


「お陰様で! それにアルバーノさんもシェロノワまでの案内、ありがとうございました!」


 出迎えた店主に、アリーチェは親しげに語りかけた。彼女達は旧知の仲だという。

 ここの店主モカリーナ・マネッリは、カンビーニ王国では有名なマネッリ商会の次女である。そのため、アリーチェとも面識があるのだ。

 そしてマネッリ家はソニアやアルバーノのイナーリオ家とも親交があり、その縁でシェロノワに戻るアルバーノに案内されて来たという。


「こちらがガルゴン王国のナタリオ様ですね! マネッリ商会のモカリーナです。ここでは香辛料を、南大門に近いところには海産物の店を準備しています。開店した暁にはご贔屓(ひいき)にお願いします!」


「ああ……領事館の者に伝えておくよ」


 モカリーナが早口で伝える言葉に、ナタリオは目を白黒させていたが、なんとか返答をした。

 どうやらマネッリ商会は、中央区に近い一等街では高価な香辛料の店を、そして外周寄りの場所には庶民でも手が出しやすい干物などを扱う店を出したようである。


「他にも店があるのか。いずれそちらも覗いてみたいね」


 シノブは、海産物を扱うと聞いて目を輝かせた。

 海から遠いフライユ伯爵領には生魚を輸送できないが、干物や塩漬けであれば荷馬車でも運べる。現在のところ王都に行った時に余裕があれば海産物の補充をしているが、こちらでも手に入るのは喜ばしい。シノブは、そう思ったのだ。


「はい、伯爵様! 色々取り揃えていますので、どうかご贔屓(ひいき)に!」


「それでは、私とソニアさんが後でお伺いしますね」


 アミィの言葉に、ナタリオに続いて大口の顧客が出来たと思ったのか、モカリーナは輝かんばかりの笑顔である。最初、南方からわざわざやってきて商売になるのかと思ったシノブだが、自国と隣国の領事館に領主への伝手で販売先も確保できたため、心配する必要はなさそうだ。


「こちらではどんな香辛料を扱っているのですか?」


 モカリーナと同じくらいの上機嫌な口調で訊ねたのは、ミュリエルである。

 入店したときに『奥方様達』と挨拶されたミュリエルは満面に笑みを浮かべ、シノブの腕を(つか)んで離さない。たぶん彼女は、一人前の夫人として迎えられたと受け取ったのだろう。

 そんな姿をシノブは微笑ましさを感じながら見守っていたが、姉のシャルロットも同じ気持ちのようで慈しむような笑みを浮かべていた。


「胡椒なども、あるのですか?」


 シャルロットは妹の言葉に何かを思い出したらしい。彼女も続いてモカリーナへと問いかける。


「はい! 胡椒にクミン、ターメリックに唐辛子、もちろん海の塩も各種取り揃えていますよ!」


「凄いですね! クミンやターメリックというのは知りませんが……」


 自慢げな表情のモカリーナに、ミュリエルとシャルロットは驚きの表情となる。どうやら、彼女達の想像以上の品揃えなのだろう。


「モカリーナさん、シナモンやナツメグもあるのかな? それに……」


「コリアンダーやカルダモンもありますか?」


 シノブはモカリーナの言葉からカレーのスパイスを思い出し、幾つかのスパイスを挙げるが全ては思い出せない。それを察したのだろう、アミィが続いて尋ねかける。


「伯爵様は良くご存知ですね! はい、全てありますよ! こちらです!」


 二人の言葉に驚いたらしきモカリーナだが、知識があるということは上客になると思ったようだ。彼女は笑みを増し、奥の棚に並べられたビンを指し示す。

 そこには確かに、色とりどりの実や根茎、抽出した油などが入っている。


「これならカレーが出来るな!」


「はい! シノブ様!」


 シノブとアミィは嬉しげな様子を隠せない。

 モカリーナによれば、ターメリックなどはターメリックライスやサフランライスのように米を主体にした料理や、パエリアのような炊き込み料理にも使うようである。しかし、カレーに相当するものはないらしい。


「シノブ様は、ターメリックをご存知なのですね! 実は、この飾り布にも使っているのですよ!」


 そう言って自身が巻いている布を示したのは、アリーチェだ。カンビーニ王国やガルゴン王国の者が付けている暖色系の飾り布のうち、黄色の物は主にターメリックで染色されていると、彼女は続けた。


「伯爵様! ……ご提案があるのですが!」


「……何かな?」


 勢い込むモカリーナにシノブは不思議に思ったが、とりあえずは続きの言葉を待つ。


「伯爵様は、カンビーニ王国にもいずれ訪問されると聞いております。何でも、竜や魔法の道具であっという間に移動できるとか。

ですから、南方に赴かれるときには、その土地土地の特産物を買い付けては如何(いかが)かと思いまして!」


 どうやら、彼女はアリーチェあたりから、シノブのことを良く聞いているとみえる。

 正確には、訪問についてはつい最近話し合われたばかりで、多分にアリーチェの希望的観測が混じった知識のようではある。だが、いずれにしても情報通なのは間違いない。

 そして、事前に仕入れた情報にはシノブの人柄や好みなども含まれているようだ。おそらく、それ(ゆえ)伯爵であるシノブへの提案という大胆な行動に出たのだろう。


「それは考えてはいるが、何故(なぜ)君が勧めるのかな?」


 モカリーナに言われるまでもなく、シノブも南方に行ったら自身が食べる食材くらいは調達するつもりである。だが、それをわざわざ彼女が言う理由は何だろうか。シノブが自分で調達すれば彼女の商会を利用することもなくなり、販売の機会を損失するはずだと思ったのだ。


「その……厚かましいとは思いますが、その際は我がマネッリ商会の荷も運んでいただけないかと……もちろん輸送料は充分にお支払いします!」


 彼女が言うには、陸路を荷馬車で輸送するのはかなり費用がかかるらしい。カンビーニ王国との王都からだと、およそ1000kmを運ぶのだから当然である。それに仮に輸送費用を同額支払っても、各領での関税を回避できるだけで大幅な経費削減になるという。


「何しろ、メリエンヌ王国に入った後、マリアン伯爵領、ボーモン伯爵領、ラコスト伯爵領と通過しますから。あっ、もちろんフライユ伯爵領には納めます!」


 開店前に値付けをしていたモカリーナは、高価になった香辛料や海産物が敬遠されないかと案じていたようである。


「まだ先のことだし、そんな頻繁に行くかわからないよ?」


「それに、輸入のことであれば、陛下にお伺いする必要もありますね……」


 シノブとシャルロットは、モカリーナの提案に考えこんだ。流石に輸入業に熱中するわけにはいかないし、シャルロットの指摘も当然である。各地を自由に通行できるからといって、既得権益を持つ者に考慮しないで勝手なことをするのも角が立つだろう。


「良いのではないですか? お父様には私からお願いしますわ」


 思案気味の表情になった二人とは対照的に、セレスティーヌは朗らかな笑顔である。そして彼女は、父である国王アルフォンス七世を説得するとシノブ達に告げた。


「セレスティーヌ様?」


「もし、そうなれば私も南方に連れて行ってもらえそうですし。……それに、フライユ伯爵領が南方の両国と距離を縮めるのは、今後のためだと思いますわ」


 最初は冗談っぽくシノブに答えたセレスティーヌだが、途中から真剣な表情となった。

 確かにガルゴン王国やカンビーニ王国の支援を得るには、フライユ伯爵領との接点を増やすべきだろうし、そのあたりから帝国について考えてもらうのは妥当かもしれない。


「ですが、シノブ様、モカリーナさん。王国への関税だけは払ってくださいね。それをお約束頂けるのなら、お父様を説得します」


「……わかりました。どこから入ろうが入国には違いありませんからね。

あと、モカリーナさん。マネッリ商会だけを優遇しないよ。他の商会にも均等に声をかけるから」


 王女が澄まして語る内容に、シノブ達は苦笑を隠せなかった。彼やシャルロット、ミュリエルだけではなく、いつの間にか話を聞いていたナタリオとアリーチェも、王女が意外に交渉上手であると知って驚いているようである。


「それで問題ありません! 三つの伯爵領に払う分がないだけでも、だいぶ安く出来ますし! それだけ減れば、きっと一割、いえ二割は……」


 モカリーナは、早速売価を幾らに設定できるか計算し始めたらしい。彼女は、少し遠い目をしてブツブツと呟き出す。

 シノブは、そんな商魂逞しい女店主の姿を見ながら南方の両国を訪れる日を想像し、期待に胸を膨らませていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年4月17日17時の更新となります。


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