10.20 王女が街にやってくる 中編
「閣下、早速重要な役目をお授け下さり、恐悦至極です! このアルバーノ、一命に代えても大任を果たします!」
シノブの目の前には、侍女ソニアの叔父であるアルバーノ・イナーリオが跪いている。彼は、時代がかった口調で礼を述べた後、大仰な仕草でシノブへと頭を下げた。
彼らがいるのは、領主であるシノブの執務室であり、跪礼をしようが軍服が汚れることはない。とはいえアルバーノを見る一同は、少々意表を突かれたような表情をしている。
「いや、そこまで気負わなくても良いのだが……」
「申し訳ありません。叔父は、大袈裟な物言いが好きなようでして……」
若干戸惑い気味のシノブに、ソニアが頭を下げる。つい最近までアルバーノと会ったことがなかったソニアだが、叔父を探すため性格などを親からでも聞いていたのだろう。
そういえば、初対面のときもアルバーノは跪き、家臣にしてほしいと懇願していた。それを思い出したシノブは、ソニアの言葉に納得の表情をみせていた。
「まあいい。アルバーノ、ソニア。今日はナタリオ殿やアリーチェ殿を頼む。彼らのことは任せたよ」
アルバーノとソニアそしてカンビーニ王国の大使の娘アリーチェは猫の獣人で、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオは虎の獣人だ。種族も同じか近い彼らなら、相性も良いだろうとシノブは思ったのだ。
「仰せのままに!」
「アリーチェ様のことはお任せください」
シノブの言葉に、アルバーノは自信ありげな表情で答え、ソニアもそれに続く。
アルバーノとソニアはアリーチェと同様にカンビーニ王国の出身である上、遠縁にあたるらしい。一方、ガルゴン王国のナタリオは彼らとは直接関係ないが、同じ南方系の国には違いない。
ナタリオは武術大会でも同じ獣人を応援していたし、アリーチェはソニアを知っていた。人族が嫌いということもなかろうが、同族や近親の方が彼らも気兼ねせずに済むだろう。
「バンヌとファルージュも、気をつけてくれ」
続いて、シノブはラシュレー大隊長の脇に控える二人の中隊長、バンヌ・バストルとファルージュ・ルビウスに声をかけた。
「はっ! お任せください!」
「我が身に代えても!」
彼らも、跪きこそしないものの最敬礼で答えた。30代のバストル中隊長はともかく、まだ二十歳前のルビウス中隊長の声は、緊張のためか上ずっている。
元々フライユ伯爵家の家臣であった彼らは、領都シェロノワにも詳しい。だから、それぞれ部下を率いて一帯の警備を担当する。本来、領民達を驚かさないように密かに視察する予定のシノブであったが、王女が同行するとなっては仕方がない。
ともかく結果的には、二人の中隊長が率いる軍人達に守られての、物々しい散策となってしまった。
「それじゃ、ジェレミー。行こうか」
「はい。まずは中央区の治療院からですね」
シノブは、今回の警備責任者ジェレミー・ラシュレーに声をかけた。彼は領都守護隊の本部隊長であり、王女を伴った視察の段取りも含め、シノブは一切の手配を任せていた。
シノブは、アミィやジェルヴェを伴って、シャルロットやミュリエル、そして王女セレスティーヌの待つサロンへと歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
シェロノワの中央区の治療院は、ベルレアン伯爵領の領都セリュジエールと同様に、領主の館のすぐ近くにある。シノブ達が住む館から大通りを挟んだ東に大神殿、そしてその向こうが治療院だ。
その距離は、せいぜい500mあるかないかといったところだろう。敷地の門から門までであれば300m少々といったところか。
二月に入り寒さも増してきた領都だが、今日は雪も降っていない。したがって、シノブ達だけならお忍びで歩いていくところだが、王女と外国の大使の子供達を伴っての視察である。まさか徒歩で移動というわけにもいかないだろう。
そこで、彼らはフライユ伯爵家の馬車に乗り込んだ。
まず案内する側がシノブとその従者アミィ、シャルロットとミュリエルの姉妹とその護衛役であるアリエルとミレーユだ。更に、街の案内役として侍従のヴィル・ルジェールもいる。
もちろん、賓客である王女セレスティーヌも乗っている。彼女は白百合騎士隊の女騎士サディーユとシヴリーヌを連れている。
なお、大使の子供アリーチェとナタリオも、領事館からはそれぞれの馬車でやってきたが、今はシノブ達と一緒に乗っている。そのため、彼らの世話も兼ねてソニアとアルバーノも同乗していた。
そんな一同、合わせて14名が乗っている馬車は、それでも充分に余裕があった。
フライユ伯爵家自慢の大型馬車には、ベルレアン伯爵家のものと同様に、向かい合った二つの長椅子があり、それぞれの後方に更に二つの長椅子が用意されている。主であるシノブ達や、賓客である王女や大使の子供達が中央に、そして従者達は後方に座っているが、まだ数名乗ることが可能である。
そんな豪華な馬車の周囲を、ラシュレー大隊長が指揮する警護陣の騎馬が取り巻いている。彼らは、馬車の周囲を固める者達と、密かに周囲を探る者達の二つに分かれている。
ラシュレー大隊長の下には若いルビウス中隊長が部下を率いて乗馬している。そして熟練した士官であるバストル中隊長とその部下達は、周囲の警戒担当だ。
ともかく、そのような物々しい警備の中ではあるが、車中の雰囲気は至極和やかなものであった。
「……王都では、そんなことがあったのですか。私も見たかったですわ」
「申し訳ない。陛下とお引き合わせするのは、極秘事項だったからね」
アリーチェの羨ましげな声に、シノブは柔らかく微笑みながら答えた。アリーチェ達は、王都メリエにいる頃にセレスティーヌの知遇を得ている。各種の式典や宴席に大使の家族も招待されるから、当然である。
そんな王女がいきなりフライユ伯爵領の領都シェロノワに現れたため、当然彼らはその理由を質問した。そこで、セレスティーヌが一昨日の出来事を話したのだ。
王都で岩竜と国王が会い、メリエンヌ王国と竜達の交流が始まったことは、既に彼らの父親であるカンビーニ王国とガルゴン王国の大使達も知っている。だから、ここで隠しても何の意味もない。そのため、セレスティーヌはありのままに伝えていた。
「とんでもありません。
それに、我々の国にもいずれは竜が訪問してくれるとのこと。そのときが楽しみです」
ナタリオが言うように、そう遠くない将来に訪問すると竜達は約束していた。もっとも、大使達が自国に事態を伝え本国の回答を待ってからであり、今すぐのことではない。しかし、その道筋が付けられたことは間違いない。
元々ナタリオやアリーチェは、竜の友となったシノブと交流を深めるために来たらしい。だから二人は、自身の働きによるものではないとはいえ、自国と竜の間に縁が出来たことを喜んでいるようである。
「ああ。そのときは、私も一緒に行くよ」
「ぜひお越しくださいませ! 我が国の名所を御案内しますわ。もちろん皆様もご一緒に!」
シノブの言葉に、アリーチェが嬉しそうな顔で自国へと誘う。
「我が国もお忘れなく! シノブ様や竜達にお越しいただけば、帝国への戦いに参戦しようという者も増えるでしょう!」
「それは嬉しいですわ! 奴隷制度など、大神アムテリア様のお心に背いた行為です! 帝国から獣人の皆さんを助け出さないといけません!」
勢い込んで語るナタリオに釣られたかのように、セレスティーヌも喜びの声を上げた。
ベーリンゲン帝国と陸路で通行可能な国はメリエンヌ王国だけだ。また、帝国は海路で攻めてくることもないらしい。少なくとも、今まで海から攻め入られた国は存在しないという。
だが、それはメリエンヌ王国以外の国にとっては帝国は直接の脅威ではないということだ。そのため、出世の糸口を求める他国の傭兵などが参戦することはあっても、国として帝国との戦いに加わったことは過去にない。
しかし、シノブや竜の存在により、帝国との戦いに勝利する可能性が見えてきた。そして、ヴォーリ連合国のドワーフ達は、既に戦いに参加している。もちろんナタリオは純粋な義勇心から言っているのだろうが、彼らの故国は勝ち馬に乗り遅れたくないという思いが強いのだろう。
「お館様、そろそろ治療院でございます」
侍従のルジェールが言うように、いつの間にか馬車は治療院の敷地へと入っていた。僅か500mほどの5分とかからぬ距離だから当然である。
「ありがとう。ミュリエル、今日はルシールがいるはずだったね?」
「はい、ルシール先生もそう仰っていました!」
現在、ミュリエルに治癒魔術を教えているのはアミィとルシールである。
アミィはシノブと共に行動することが多いため、ルシールにも協力を求めたのだ。ルシールは魔道具解析の為に館にいることが多いし研究中心とはいえ治癒術士として経験を積んでいる。そこで、ミュリエルへの指導を頼んだのだ。
将来の伯爵夫人であるミュリエルが家臣に対して敬語を使うのは異例のことだが、彼女にとっては治癒魔術の師であるから当然ともいえる。それに、地球でいえば医者に相当する治癒術士は、元々先生と呼ばれることも多いらしい。
「そうか。それじゃ例の魔道具がどうなったかわかるな……セレスティーヌ様、今日は珍しいものをお見せしましょう」
「まあ、それは楽しみですわ! さあ、早く降りましょう!」
シノブの言葉に、セレスティーヌは顔を輝かせた。そして彼女はシノブの手を取って早く馬車を降りようと急かした。そんな彼女に苦笑しながら、シノブは一同を中央区の治療院へと案内していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「王女殿下、ナタリオ様、アリーチェ様。ようこそお出で下さいました」
ルシールは、治療院でも別格の扱いを受けているらしい。元々腕が良いのもあるのだろうが、王都で学んだ知識に加え、領主であるシノブの館での研究にも加わっている彼女である。それ故、週に二度ほどしか治療院に来ないはずだが、広々とした診察室兼研究室を持っていた。
「ルシール、元気そうだね」
実は、シノブがルシールと会うのは久しぶりであった。
魔道具の研究については、マルタン・ミュレや彼女、そして魔道具製造工場に勤務していたハレール老人などが中心である。その補助としてルシールの助手カロルや、ハレールの弟子であるアントン少年などがいるが、帝国の技術を解析するという極秘の任務でもあるため、関わっている者は多くない。
そのためミュレやハレールなどは解析を行っている館の倉庫……一部の者は研究所と呼び始めている建物に篭りきりのようだし、カロルやアントンもその世話をするために、つきっきりである。
唯一の例外がルシールであるが、彼女もミュリエルの指導以外は研究所と治療院のどちらかに詰めているようである。したがって、シノブが彼女と会う機会は、ほとんどなかった。
「はい、お陰様で。同調の研究も進みましたし、こうやって一応治療に使える魔道具も出来ましたから」
そう言ってルシールが指し示したのは、診察用のベッドと一緒に置かれた巨大な装置であった。
まず、太い支柱で固定された金属の箱が、ベッドの上に覆いかぶさるように配されている。また、それとは別に、支柱と一体化した人が入れそうな巨大な金属の箱が、床に置かれていた。
ベッドの上の箱状の物は、床に置かれた箱ほど大きくはない。下から見たら正方形のようだが、その一辺はせいぜい肩幅くらいで、厚さも10cmくらいのようだ。もしベッドの上に人が寝たら、その胸部や腹部の上方50cmほどに箱が来ると思われる。
「そうか。これが例の魔道具か」
ルシールが示す装置を見たシノブは、ベッドの上に横に据えつけた胸部X線撮影装置のようだと感じていた。治療院という場所からの連想である。
「シノブ様、これは何ですの?」
セレスティーヌは、小首を傾げながらシノブに訊ねる。シノブが知っている範囲ではメリエンヌ王国にはこういった形状の魔道具はないようだから、彼女の疑問も当然だろう。
「これは風邪などの病気を治す魔道具ですよ」
「まだ開発中ですが、患者の体力を回復させて病気の元を弱める効果があるのです」
王女に対し、シノブとアミィは簡単に説明をする。
厳密には、この装置は浄化の魔道具を元にした、ある種の殺菌装置である。ただし、シノブがルシールに教えた相手の魔力波動への同調と活性化を応用しており、特定の魔力波動に対して活性化や減衰ができる。そのため、人間だけ体力や治癒能力を上昇させ、逆に細菌のみを弱めることが可能なのだ。
なお、一般の光属性の浄化では、そこにいる全ての細菌を死滅させるため、人体に直接使用した場合は体細胞にも影響が出る。しかし、この装置は特定の相手のみに作用できる。
もっとも現在この装置は、人間の活性化と、肺炎などの原因となる一部の細菌やウィルスの減衰にしか対応していない。だから、全ての風邪が治るわけではない。
とりあえずシノブとアミィは、装置の原理や風邪の原因に関しては触れず、病気の原因は様々であること、その原因に上手く適合した場合は治療できることなどを説明した。
「シノブ様、アミィ様、ありがとうございます。
ですが、私の役目を取り上げないでください。せっかく王女殿下にご説明できる機会でしたのに」
ルシールの苦笑気味の言葉に、シノブは思わず頭を掻いた。彼女の琥珀色の瞳は悪戯っぽく輝いているし、その表情も柔らかいままだから、気を悪くしたのではないのだろう。
「ともかく、シノブ様からお教えいただいた同調という手法を応用したのがこの装置です。特定の魔力波動を持つ対象のみを強化、あるいは弱体化できるのです。
既に、こちらの治療院でも何人かに試し、一部については完治に近い状態となりました」
「一部ということは残りは?」
ルシールの言葉に、ナタリオは何か引き攣ったような表情で質問をした。もしかすると、残りは悪化して死亡したとでも思ったのであろうか。
「ご心配なく。残りも病気の原因に適合しなかっただけで、被験者の体力自体は回復しました。
ですから、通常より早く回復しました。同程度の症状の者に一般的な薬草由来の薬を投与した場合に比べれば、大幅な改善です」
ルシールは輝くような笑みと共にナタリオに答えるが、彼やアリーチェは少し戸惑ったような表情を浮かべていた。『被験者』や『改善』などという言葉もそうだが、ルシールの口調や表情から、研究者独特の知的好奇心を優先したような雰囲気を感じたためであろう。
「ルシール先生、凄いです!」
一方、ミュリエルは師に尊敬の表情を向けていた。
彼女は普段から接しているし治癒魔術を志しているため、その意義が良くわかるのであろう。
シャルロットやソニア、そして二人の女騎士アリエルとミレーユも、シノブやアミィから説明を受けていたので、僅かに苦笑しながらも賞賛するような眼差しである。
だが、事情を良く知らない他の者は、ナタリオ達のように少々引き気味であった。
「ミュリエル様、ありがとうございます。
同調は、ミュレ殿達が研究している魔道具でも役立っているようです。本当にシノブ様のお陰ですわ」
ルシールが言っているのは、ミュレが取り組んでいる通信用の魔道具であった。どうやら、外国人のナタリオやアリーチェがいるから、曖昧な表現をしたようである。
ミュレが開発中の魔道具は、原理的には外部からの魔力に反応してその強弱を信号として表現するだけである。
通常、魔道具には誤動作を避けるために、勝手に外部の魔力に反応しないための障壁が備わっている。したがって、その障壁を取れば外部の魔力を拾って反応するようにできる。
しかし、ただ障壁を取っただけだと、外部のあらゆる魔力に反応する。そこで、同調機能を実装して信号となる特定の魔力のみを検知する必要があるのだ。
今のところミュレが開発中の魔道具では、発信源の魔力が非常に大きくないと遠距離の通信は不可能らしく、実用化は困難である。しかし、原理的には一応完成したといえる段階に入っていた。
「そうです、皆様。この魔道具を試してみませんか?」
「私達は健康ですが……」
ルシールが微笑みながら口にした提案に、セレスティーヌは口篭りながら答えた。どうやら、王女もルシールが醸し出す暴走気味の熱意を感じ取ったようである。
「健康でも、体力回復は実感できますよ」
よほど装置の効果を見せたいのか、ルシールは誰か名乗りを上げるものがいないかと、その場を見回した。だが、彼女の希望を叶える者はいないようである。
「そうだ。アルバーノ、どうかな?」
「えっ! わ、私ですか!」
実は、シノブやシャルロット達は、館の研究所で試作機の効果を確認していた。試作機は、現在の装置とは異なり、ただ部品を繋ぎ合わせたような間に合わせのものであったが、確かに選択的な回復が可能であった。それもあり、彼らは落ち着いていたのだ。
だからシノブ自身が被験者となっても良いのだが、彼は敢えてアルバーノを指名してみた。
「君は『一命に代えても大任を果たす』って言っていただろう。大丈夫、命を落とすことはないよ。通常の人間ならね」
仮に、彼の人体が細菌やウィルスと同じ魔力波動であるなら、悪影響が出る可能性はある。ただし、人類と細菌などの波動は大幅に異なるため、それはない。シノブは、出発前の彼の大仰な様子を思い出し、からかっただけなのだ。
「……わ、わかりました。
主君の命とあればこのアルバーノ、例え火の中水の中、怪しい魔道具の中だって……」
対するアルバーノの表情は、悲壮なものである。どうやら、シノブの冗談を本気に取ったようである。
そんな彼の様子に、姪のソニアを含めて装置の詳細を知っている者は、こみ上げる笑いを必死に堪えていた。
「では、魔道具を起動します」
「お、お願いします!」
ベッドの上に横になったアルバーノを見て、ルシールが装置を操作する。そんな彼女の言葉に、アルバーノは目を瞑りながら返答していた。
「お、おお? おおおっ! これは元気になりますな!」
僅かな時間が過ぎた後、アルバーノは目を大きく見開いて血色の良い顔で喜びの声を上げた。無事に、体力のみが回復したようである。
そんな彼の様子を見て、ナタリオやアリーチェ、そしてセレスティーヌも興味深げな顔をしていた。
「次は私もお願いします!」
「いや、私が!」
笑みを浮かべながらアルバーノがベッドを降りるのを見て、王女や大使の子供達が自分も試そうと名乗りを上げていた。
「殿下、まずは私達が先に試します!」
「私もです!」
だが、当然従者達が黙っているわけがない。サディーユやシヴリーヌが自身が先に試すと言い出した。
そんな彼らを見たルシールは、まずは従者達、それからナタリオ、アリーチェ、セレスティーヌの順で試すことにしたようである。
彼女は、希望者を順々に装置へと寝かせて体力回復を体験させていく。
「私もルシール先生のようになりたいです!」
「ミュリエル、君は伯爵夫人になるんだから、あまり魔道具に熱中しなくても良いんじゃないかな?」
うっとりとした表情でルシールを見つめるミュリエルに、シノブは少々苦笑いしながら言葉をかけた。ミュリエルがルシールのようなマッドサイエンティスト風になったら困ると、シノブは思ったのだ。
「シノブお兄さま! それって!?」
どうやらミュリエルは、シノブの言葉を彼の意図とは若干違った形で受け取ったようである。
伯爵夫人となるための勉強を優先してほしい。ミュリエルはシノブがそう言ったと思ったのだろう。彼女は何かを期待するような表情で自身の婚約者を見上げていた。
「シノブの言うとおりです。貴女もシノブの妻となって伯爵家を支える身なのです。治癒魔術の習得に励むのも良いですが、伯爵夫人としての教養や内政についての知識も大切ですよ」
「はい、シャルロットお姉さま!」
思わず口篭ったシノブに代わり、シャルロットが優しい笑みと共に妹に励ましの言葉をかけた。そして姉の温かい言葉に、ミュリエルは満面の笑みを浮かべる。
「ミュリエル……シャルロットの言うとおりだよ。急ぐ必要はないから、たくさん学んで先々俺を助けてほしいな」
シャルロットの援護は嬉しいが、頼っているだけではいけないだろう。そう思ったシノブは、ミュリエルの肩に手を置き自身の言葉を伝えた。まだ9歳と幼い彼女に助けてくれというのは気恥ずかしくもあったが、頼り頼られてこその家族であろう。
「はい! 早くお助けできるように頑張ります!」
「ミュリエル様なら、大丈夫です!」
シノブの思いが通じたのか、ミュリエルは一層嬉しげな表情となり、大きく頷いていた。そしてアミィは、将来に向けて着実に歩む少女を祝福している。
いつの間にかシノブはシャルロットを含む三人と寄り添いつつ、治療用の装置を試す人々を微笑みを湛えながら眺めていた。新たな魔道具が、この領地に来てから取り組んだ物事の象徴のように感じたのだ。
この魔道具はアムテリアから授かったものとは違い、ミュレやルシール達の努力で完成したものだ。もちろんシノブやアミィの発想や協力もあってのことだが、二人を含めて今のフライユ伯爵領の人々で作り上げたことは間違いない。
まだ9歳のミュリエルだが、いずれ彼女もそういった輪に加わるだろう。そう思ったシノブは、ミュリエルと同じく希望に満ちた笑顔となっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年4月15日17時の更新となります。




