10.15 ラブ・コールは突然に 後編
魔法の家が呼び寄せられたのは、シノブがガンド達と狩りをした森に近い雪原であった。竜の狩場の奥深くで魔獣が多いこの地には、ドワーフの戦士達といえど容易には踏み込めない。それ故、ここが会見の場として選ばれたようである。
そして、そこには何と五頭の竜が待っていた。
──人の子の長よ。我が岩竜ガンドだ──
灰色の巨体を持ち上げたままのガンドは、思念と『アマノ式伝達法』の双方で己の意思を伝えてくる。そして、その右隣には子竜のオルムル、番の片割れである成竜ヨルムと並んでいる。
そこまでならシノブ達にとっては見慣れた光景だが、ガンドの左隣には二頭の成竜が控えている。五頭ともガンドと同様に体を持ち上げているため、成竜の頭は地上10m近い高さにある。そのため、並の者なら恐怖のあまり近づくこともできないだろう。
──我は岩竜ヘッグ。こちらが我が番のニーズだ。山の民達の近くに狩場を持っている──
ヨルムとオルムルに続いて自己紹介したのは、二頭の成竜である。彼らが、ヴォーリ連合国の竜の狩場を受け継いだ岩竜達であった。
ガンドやヨルムに比べ、僅かに色が薄いのは、若いからであろうか。以前シノブがガンドから聞いた通りなら、ヘッグという雄の岩竜が三百数十歳、雌のニーズが二百数十歳らしい。
五百歳を超えるガンド達と比べれば若い二頭だが大きさは殆ど変わらない。おそらくガンドやヨルムと同じく体長20m程度であろう。
「私はメリエンヌ王国の国王アルフォンス七世だ!
ガンド殿、急な頼みに応じてくれたこと、感謝している!」
アルフォンス七世は、護衛である二人の女騎士サディーユとシヴリーヌにその場に留まるように手で示し、一人で竜達に向かって歩んでいく。
あたりは雪原であるが、魔法の家がある近辺は雪がない。どうやら、ガンド達が事前に退かしてくれたのだろう。そのため、彼は雪に足を取られることもなく、僅かに残った草を踏みしだきながら前に進んでいる。
──叫ばずとも聞こえている。我らは目も耳も良い。
そなたの要望に応じたのは、我が友が願った故。感謝するなら、我が友にすべきであろう──
普段、ガンドが人間と接するときには、その身を低くし威圧感を与えないようにしている。だが、今日の彼らは、その巨体を見せつけるように、身をもたげている。シノブは、友好的とはいえないガンド達の様子に内心疑念を抱きつつ見守っていた。
「もちろんシノブには感謝している。だが、要望に応じてくれたそなた達にも感謝するのは当然であろう。
そなた達は我が国の民ではない。それ故、会うも会わぬもそなた達の意思次第だからな」
竜達の様子に疑問を抱いたのは、アルフォンス七世も同様であったようだ。彼は、僅かに声を強張らせながらも、言葉を続けている。
──まあよい。それで、何を望むのだ?──
ガンドの思念は、素っ気無いままである。もっとも思念が理解できるのは、シノブとアミィ、そして彼女の腕に止まったホリィのみだ。
しかし、威圧的ともいえる様子は、シャルロット達も感じ取っているようだ。何度も竜に会っているシャルロットとミュリエルは、不安げな様子で竜と国王のやり取りを見つめているし、殆ど接したことのないマティアスや、初めて見るセレスティーヌ達も緊張した面持ちである。
そんな中、アシャール公爵だけは、いつもの落ち着いた様子を崩さない。彼は、どこか楽しむような表情で、竜達と対峙する兄を眺めている。
「共にシノブを支えるものとして友好を」
──そなたが長ではないのか?──
アルフォンス七世が静かに放った言葉に、雄の岩竜ヘッグが僅かに首を傾げながら思念を発した。
「そなた達も、シノブが大神アムテリア様の強いご加護を受けていることは察しているだろう。
我が祖は、大神のご加護により、この地に安寧を齎した。いわば、大神のご意思によりこの地を守る一族だ。その我らが、新たな使徒に尽くすのは当然のこと」
「へ、陛下!」
淡々と語るアルフォンス七世の言葉に、シヴリーヌが驚きの声をあげた。彼女は、無意識に一歩前へと踏み出している。
「シヴリーヌ、邪魔をしてはいけないよ」
アシャール公爵は、女騎士の行動を予測していたらしい。いつの間にかシヴリーヌに近づいていた公爵は、彼女の肩に手を置いてその場に押し留める。
「シノブは、我が先祖アルフォンス一世が遺した光の大剣を使うことができる。アルフォンス一世は神々の使徒ミステル・ラマールの御子でもある。その意味するところは、そなたもわかるであろう?」
──ならば、そなたは長を退くのですか?──
アルフォンス七世の言葉に、ヨルムが興味深げな思念を漏らす。彼女は僅かに頭の位置を降ろし、その金色の瞳で国王を見つめている。
「王の座に縋りつくつもりはない。だが、神々の意思を受けて動くシノブを支えるには、私が王権をもって面倒事を排除すべきだろう。
いずれはシノブに我が娘を娶ってもらい、王家に血を残してほしいが……だが、いずれ生まれる我が孫とシノブの子供を結び付けても良いな」
竜達の態度が和らいだせいか、アルフォンス七世も少し余裕が出てきたようだ。そんな彼の内心の表れだろう、最後の方は笑いを含みながら、後ろに控えるセレスティーヌに一瞬視線を動かしてさえいた。
「お父様! 私がシノブ様に嫁げないというのですか!」
「ははっ、さすが兄上!」
そんな父親の態度に、セレスティーヌは憤慨したような声を上げる。そして、笑い声を上げているのはアシャール公爵である。
シノブは、そんな彼らを見ながら言うべき言葉を探したが、そのまま黙っていることにした。どういう発言をしても、藪蛇になりそうだからだ。
──ふむ。よかろう! そなたは繕わずに己を晒した。それに、なかなか心も澄んでいる。
ヨルム、ヘッグ、ニーズよ。どうだ?──
ガンドは、思念で仲間達に問いかけながら、その首を左右に振って彼らへと視線を向けていた。
──我も認めよう──
──私も認めます。彼は、強き心の持ち主です──
──私も。これなら交流を持っても良いでしょう──
岩竜達は、ヘッグ、ヨルム、ニーズの順で、答えを返した。
ガンドによれば、竜は伝わってくる思念から正邪が判断できるという。もちろんアルフォンス七世は心の声を使えないが、強い感情であれば読み取れるのであろう。つまり、竜達はわざと威圧することで国王の本心を知ろうとしたのだ。
そして、それらを察したシノブは、これが竜達の試しであったと理解し安堵していた。
──シノブさん! 良かったですね!──
「おい! オルムル!」
喜びの表情を浮かべたシノブの目の前に、オルムルが出現した。彼女は、その翼を僅かに羽ばたかせると、シノブの前に一飛びで移動してきたのだ。いきなりのことに驚くシノブに、オルムルは顔を擦り付けて目を細めている。
──シノブさん? 嬉しくないのですか?──
「……いや、嬉しいよ。ちょっと驚いたけど」
どうやら、オルムルも親達の試しの間は、シノブに親しげな態度を取るのを控えていたらしい。そして我慢する必要がなくなった今、彼女は普段よりも激しい愛情表現を示しているようである。
──『光の使い』よ。我ら竜は、この長を認め、そなたを支える一員として遇する──
「ああ、そうしてもらえると嬉しいよ」
ガンドの思念に、シノブは朗らかな笑顔と共に答えていた。
岩竜達は、人と親しげに付き合う普段の姿に戻っていた。彼らは、ゆっくりと身を低くし、シノブ達の前にその顔を近づけている。
「陛下、セレスティーヌ様、岩竜達に近づいてください」
オルムルに捕まって身動きが取れないシノブの代わりに、シャルロットがガンドへと近づき、その鼻先を撫でてみせる。
「シャルお姉さま、こうですか?」
セレスティーヌが恐る恐るガンドに触る傍らで、その父アルフォンス七世は、認められたことに安堵したような面持ちで静かに手を置いている。
「おお、これは良いねぇ! おお、こっちも!」
そして、彼らと違って大胆に撫でるのは、もちろんアシャール公爵である。彼は、楽しげにガンド、ヘッグ、ヨルム、ニーズと撫でて周っている。
「マティアスさん達も、どうぞ!」
そして姉に続いてヨルムの顔を撫でていたミュリエルも、マティアスや女騎士のサディーユとシヴリーヌに笑顔で呼びかけた。緊張した様子で竜と王のやり取りを見ていた三人の武官達も、国王達に混じって竜へと手を伸ばしていく。
「アミィ、良かったね」
「はい!」
オルムルの側に残ったシノブとアミィは、楽しげに交流する彼らの様子に、喜びの表情を隠せなかった。
ガンド達が言う交流が、どういったものになるかは、まだわからない。だが、この様子なら、セランネ村のドワーフ達のように竜と共存できる日も遠くはなさそうだ。
シノブは、そんな予感に胸を躍らせながら、巨大な竜を囲む王達の様子を見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふう……これが温泉か。良いものだな……」
「本当ですね! 兄上!」
竜達との会合を終えたシノブ達は、魔法の家でアマテール村に転移した。そして村の様子を視察した彼らは、温泉に入ることにしたのだ。
大仕事を終えた国王アルフォンス七世と、いつも通り飄々とした様子のアシャール公爵は、仲良く湯船に浸かっている。
「我が村自慢の温泉、気に入って頂けたようですな」
王とその弟の向かいから、同じく湯に入ったタハヴォが嬉しげな様子で語りかける。
ドワーフ達は長い髭を持っているから、タハヴォは頬の両脇で髭を左右に縛って側面から頭上に回している。これは湯に髪などを浸けてはいけないと、ホリィが教え込んだからだ。
「全く羨ましい。王宮にもあれば……いや、無責任に願うのはやめておこう」
「そうですね、彼らと約束しましたからね!」
アルフォンス七世とアシャール公爵ベランジェが触れたのは、ガンド達との取り決めである。
『竜の友』でありアムテリアの加護を持つシノブの力に、安易に頼らない。彼自身が望んですることならともかく、王命で押し付けるなら、メリエンヌ王国との交流はなかったことにする。
それが、ガンド達が示した条件の一つであった。もちろん竜自体、特に子竜への攻撃や捕獲については、ドワーフ達に示したように徹底的な報復をする、竜の棲家には近づかない、などの条件もある。
それらを守れば、竜は定期的に王都メリエへと訪問し、国王と語り合う。具体的に何かの協力を引き出したわけではないが、まずは竜の訪問と王家としての繋がりを持つことができた。いわば、岩竜達とメリエンヌ王国の外交が始まったというべきであろう。
「マティアスも入ったら良いのに!」
「いえ! 私は警護役ですから!」
アシャール公爵が呆れたような顔で見つめる先には、服を着て棒を手にしたマティアスがいた。彼は、王族警護のために、洗い場に控えていたのだ。
流石に、剣が駄目になるのを恐れたのか、武器は槍のように長い棒だけである。更に、彼の上半身は肌着、下は軍服を身に着けたままという奇妙な格好だ。
実は、ここは男だけで借り切った家族風呂である。
シノブと深く交流しているドワーフ達とはいえ、王と一緒に入浴させるのはマティアスとタハヴォの双方が反対した。なお、ドワーフで彼らの素性を知っているのは、タハヴォとここにはいないイヴァールだけである。したがって、気軽に近づく者が出ないとも限らない。
そんな事情もあり、彼らはただの人族の騎士として家族風呂の一つを借り切った。そのため、ここにいるのは入浴中の三人と、警護のマティアスだけである。
「ベランジェ、無駄だ。こやつは任務を放棄するくらいなら死を選びかねん」
栗色の髪が湯気と汗でべったりと張り付いたマティアスの顔を見ながら、アルフォンス七世は弟である公爵に呟いた。
「そうでしたね。ガルック平原でも、危険な囮役を受け持ってくれました」
そして、そんな兄の言葉に、アシャール公爵も神妙な顔で深く頷き返している。彼は、先の戦のことを思い出したようである。
「しかし、向こうは元気ですな……」
「まったく、我が娘ながら申し訳ない……」
タハヴォの言葉に、アルフォンス七世は表情を改め僅かに頭を下げる。
「いやいや、元気が一番では?」
「いえいえ、重ね重ね申し訳ない」
どうも、タハヴォは苦情を言ったつもりはなかったらしい。彼は、国王に向けて慌てたように手を振っている。
だが、アルフォンス七世は更に頭を下げていた。こうなると、王と元族長というよりは、ただの中年男と老人のようである。
「次の機会には、家族と来たいなぁ……」
アシャール公爵は、そんな二人を見ながら妻子のことを思い出しているようである。彼は、一人遠くを見つめながら、少々寂しそうな顔をしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「やっぱり、シャルお姉さまはスタイルが良いですわ!」
「セレスティーヌ様も、そんなに違いはないと思いますが……」
少々憤然とした様子のセレスティーヌに、シャルロットが戸惑いの声を上げている。こちらは、国王達とは別の家族風呂である。
「私もそう思います! シャルロットお姉さまみたいになりたいです!」
そして、ミュリエルも王女に続いて声を上げていた。普段は姉を尊敬し、その言葉を疑わないミュリエルだが、今回ばかりはそうではないようだ。
「ミュリエルまで……サディーユ殿、シヴリーヌ殿……」
シャルロットは、洗い場に控えている二人の女騎士に、困惑の視線を向けていた。ちなみに、二人もマティアス同様に、棒を手にして服も着用した姿である。
「こればかりは、シャルロット様のお味方は出来ませんね」
「ええ。仕方ないと思います」
汗だくのサディーユとシヴリーヌも、羨ましげな視線をシャルロットに向けている。どうやらシャルロットを助けてくれるものはいないらしい。
もっとも客観的に見ても、シャルロットが一番女性らしいスタイルである。まだ10歳にもならないミュリエルは別としても、15歳のセレスティーヌとも、三年の歳月だけとも思えぬ差があるようだ。
それを証明するかのように、年上のサディーユや同年代のシヴリーヌと比べても、シャルロットのほうが何枚か上のようであった。
「ミュリエルさん! 一緒に頑張りましょう!」
「はい! セレスティーヌ様!」
セレスティーヌとミュリエルは、拳を握り締めて見つめ合っている。彼女達は、そのまま顔を寄せ合ってなにやら相談し始めた。
「シノブ……これから大変ですよ……」
従姉妹と妹の様子を見ながら、シャルロットは一人誰にも聞こえない呟きを漏らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ! 今日は温泉には入らないのか!?」
雪原を走りながら、イヴァールはシノブに向かって怪訝そうな声を上げている。
「あんな風呂に入れるか! 陛下と入っても疲れそうだし、セレスティーヌ様がいるからシャルロット達と入るわけにもいかないだろ!」
そう言い捨てたシノブは光の大剣を抜き放つと、目の前の雪魔狼に向かって跳躍した。彼は、相手を一太刀で切り伏せる。
──シノブさんと一緒に狩りができて嬉しいです!──
──ええ、私もです!──
そんな彼の両脇では、子竜のオルムルと、金鵄族のホリィが思念を交わしている。オルムルはブレスで雪魔狼を仕留め、ホリィも風魔術で切り裂いている。
「私もシノブ様と一緒の方が嬉しいです!」
そして、アミィも小剣で雪魔狼を倒している。風呂好きの彼女であるが、女性陣と入浴するよりシノブと共にいることを選んだらしい。
「ともかく、陛下達が温泉から上がったら、シェロノワに戻る! そして、晩餐が済んだら王都にお送りするんだ!」
流石に、国王不在のまま何日も過ごすわけにはいかない。今日は、アルフォンス七世とセレスティーヌは軽い発熱で休んだということにしているらしい。だから、夜には王都に連れ帰る必要がある。
彼らは、そんな会話をしている間にも、武器を操る腕を止めることはない。そのため、二十頭ほどいた雪魔狼の群れはあっという間に倒されていく。
──王都って、どんなところなんですか? 美味しい魔獣はいますか?──
──王都に魔獣はいませんよ。シェロノワやセリュジエールと同じで、人ばっかりですね──
そして戦いがほぼ終結したとき、オルムルとホリィが暢気な思念を交わしながら並んで飛び去っていく。どうやら、オルムルが少し遠方に新たな魔獣を見つけたようである。
「シノブ。王都に行く前に、オルムルにしっかり教育したほうが良いんじゃないか?」
「ああ……俺も今、同じことを思ったよ」
その場にいた雪魔狼を倒し終わったイヴァールとシノブは、互いの顔を見合わせて苦笑いをしている。
三日後、シノブ達は竜と共に王都を訪れる。そして、そこで国王アルフォンス七世と岩竜ガンドが、大神アムテリアを奉じる者同士として交流を結んだと、宣言するのだ。
だが、オルムルの人間社会への理解は、まだ不十分なようであった。
「ガンドさんやヨルムさんは、大丈夫でしょうか……」
「た、たぶん……いや、念には念を入れるか……」
アミィがポツリと漏らした言葉に、シノブも再確認が必要だと思い直した。竜の知能は極めて高いが、ヴォーリ連合国のように、街道や村の近くに魔獣が現れる環境だと誤解しているかもしれない。
せっかく始まった良い関係が、思わぬ出来事で頓挫しても困る。シノブは、心の声でガンド達に呼びかけた後、彼らに王都をどのように説明するか思案していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年4月5日17時の更新となります。