10.04 フライユ領の場合 後編
「シーノお兄さま、あっちが賑やかですよ!」
ミュリエルがシノブの右手を引きながら、通りの一方を指差した。
木彫りの人形を売っていた店を出たシノブ達。彼らは再びアダージュ通りを歩いている。といっても、領主一行としてではない。
「それじゃ、行ってみようか」
「はい、シーノ」
シノブの言葉に、シャルロットは彼の左腕に自身の腕を絡ませた。
シノブはフライユ伯爵家の従士シーノ、シャルロットはその妻ロッテということにしている。アミィはシーノの妹アニー、ミュリエルはロッテの妹エルである。彼ら四人はアミィが作った魔道具の付け耳や付け尻尾で狼の獣人に姿を変えている。したがって、その正体を知る者はいない。
「シェルちゃん、急ぐと危ないですよ」
「うん!」
小走りに彼らに続こうとしたミシェルに、アミィは注意をした。そして、彼女と手を繋ぐ。そしてジェルヴェは、そんな二人に優しい視線を向けながら後に続いていた。
ちなみに、ジェルヴェはシノブと同じく従士のジェル、ミシェルはその孫のシェルという位置付けだ。こちらの二人は、シノブ達のように顔が売れていないので、狐の獣人のままである。
「なんだか、騒がしいな……」
シノブは、今までと違う様子に眉を顰めつつ呟いた。
一行は偽りの身分に相応しい身なりをしている。そのため、庶民向けの雑貨や古着を扱っているアダージュ通りを冷やかしに来た従士の一家、というように見られているのだろう。従士に対する適度な敬意と、良い客になりそうだという期待の視線を受けていた。
それ故、少々客引きの声が煩わしいが、シノブは雑多ではあるが活気のある雰囲気を楽しんでいた。だが、どうやら前から聞こえてくるのは、そういう類のものではないらしい。
「……喧嘩でしょうか?」
「詐欺とか、金を返せとか言っていますが……」
シャルロットに、アミィが困惑の表情を浮かべながら答える。
アミィは狐の獣人だが、元々はアムテリアの眷属である。そのため、並の獣人族より聴覚が遥かに優れていた。
「詐欺なら見逃せないな。行こう」
シノブは真剣な表情を見せる。そして、そんな彼の言葉に、シャルロット達も頷いた。彼らは、足早に喧騒の中へと歩みだしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、通りの一角にある広場に着いた。
メリエンヌ王国の都市には、一定間隔ごとに広場が設けられている。大通りには大きな広場、このような裏通りには小さな広場と様々ではあるが、防災などの観点から多少の空き地を用意しているのだ。
そんな広場だが、現在は大勢の露天商が店を出している。おそらく、店舗を構えるほどの稼ぎがない者達であろう。近辺から持ち寄った農作物や雑貨など、様々なものを売っているようだ。
「不良品ではないですか! お金を返して下さい!」
「こちらと交換しますので、それはご勘弁を……」
そんな露天商の一つで、騒動が起きていた。どうやら、猫の獣人の少女が、故障した道具を返品しようとしているらしい。手に持っているのは、灯りの魔道具のようである。
露天商の主らしい男性は、禿頭に白い髭の老人である。男性としては小柄であり、少女より少々背が高いくらいか。
「駄目だ! そっちも故障するかもしれないからな!」
「そんな……これじゃお客も逃げちまうよ……」
少女と共にいた少年が、大きな声を上げた。こちらは猫の獣人に似ているが、耳が丸いし髪に黒い筋が入っている。どうやら虎の獣人らしい。
こちらの相手をしているのは、狼の獣人の少年だ。未成年のようであるが、このあたりの国では、10歳くらいから親の手伝いや工房の見習いなどとして働き始める。そのため、こういった売り子は珍しくは無い。
「もしかして、あれって……」
「ええ。ガルゴン王国とカンビーニ王国の大使の子供達でしょう」
シノブは、シャルロットと顔を見合わせた。
露天商に詰め寄っている二人は、シノブ達に背を向けている。したがって、顔は見えない。だが、二人とも身なりが良いし、北方では猫や虎の獣人は珍しい。なにより、声に聞き覚えがある。
虎の獣人はガルゴン王国の大使リカルド・デ・バルセロの息子ナタリオだろう。そして、猫の獣人はカンビーニ王国の大使ガウディーノ・デ・アマートの娘アリーチェに違いない。彼らの従者らしき男女も、側に控えている。
「どうしますか?」
アミィの言葉に、シノブは少し考え込む。
仲裁に入るのはいいが、相手は大使の子供達である。この場で従士と偽っても、礼にでも来たら困る。しかも、アリーチェには、狼の獣人として偶然王都メリエのポワソン通りで遭遇していた。
「……元の姿に戻ろう。そのほうが面倒なさそうだ」
「そうですね。領主として事情を聞きに行ったほうが良いと思います」
シノブの言葉に、シャルロットは深く頷いた。彼女も、シノブと組んでいた腕を解き、凛々しい表情をしていた。武器こそ持っていないが、武人として行動するときの顔つきだ。
「こちらの路地に入りましょう」
「ああ、急ごう。大使の子供達に何かあっては困る」
ジェルヴェは、シノブ達に広場の脇にある細い路地を示した。彼が指差す方向に、シノブは急ぎ足で移動する。そして、シャルロット達もその後に続いていった。
◆ ◆ ◆ ◆
姿を変えていないジェルヴェとミシェルを路地の入り口に残し、シノブ達は元の姿に戻った。服装は相変わらず、従士階級やその家族としてのものだが、それはお忍びで視察に来たとでも言えば問題ない。
だが、急いで露天商の下に戻った彼らが見たのは、意外な光景であった。
「すみませんね。コイツらは叱っておきますので……」
「おい、お前ら! さっさと金を返してやれ!」
露天商の老人と少年を吊るし上げるように胸倉を掴んだ男達や、大使の子供達に愛想笑いをしている男がいる。体格の良い彼らは、どうやらこの辺りの若者らしい。そして、それを取り巻くように十人ほどの同じような若者がいた。彼らは、皆同じような長い棒を持っている。
「あれは……」
「たぶん、通りの商店の者達が自主的に作った見回りでしょう。少し荒っぽいですが、これなら出て行かなくてもよさそうですね」
シノブにジェルヴェは、都市の商店が集まる通りでは、こういった自衛組織があると伝える。
都市の治安は、軍である守護隊が担当している。町では守護隊といっても数十人しかいないため、自警団と協力しているが、都市の場合は軍が全てを担当していた。
とはいえ、それだけでは手が回らないので、商店などが持ち回りで人を出して、掏摸や因縁をつける客を排除しているらしい。
「そうか、それなら良かった」
「何が良いものかね! あいつら、ハレール達の売り上げを全部取り上げちまうよ!」
シノブの言葉を聞きつけたらしい露天商の女性が、憤慨したような声を上げた。
「不良品だから、交換か返金で済まないのかな?」
シノブは、小さな娘を連れた女性に、問いかける。
「あいつらは、私達に難癖をつけて上がりを奪っていくんだよ!
その金で遊びまくっているのさ! あの子には病気の妹がいるのに……」
若い女性は、老人や少年と近くに住んでいるらしい。
老人と少年は、つい最近まで魔道具製造工場に勤めていたという。だが、工場が閉鎖されたせいもあり、稼ぎが少なくなったため、露天商を始めたようだ。少年の妹は、重い病に罹っているという。
「露天商で、そんな簡単に稼げるのですか?」
アミィは、首を傾げながら女性に質問した。工場閉鎖は、工員達には責任は無い。そのため、待機する者には賃金の半分を、そして、退職する者には一時金を支払っている。
それらがあれば当面の生活には困らないだろう。しかし重病であれば治療費も高いはずだ。したがって、別の仕事を始めるのはわかる。
とはいえ、露天商がそんなに稼げる仕事とも思えない。シノブも内心頷きながら聞いていた。
「売り物は、とても安く仕入れたらしいよ……」
露天商の女性は、言わなければよかった、という表情をしていた。
「工場から横流しでもしたのかな? それで、尚更目を付けられている、そんなところでは?」
彼らが売っているのは魔道具らしい。それ故、シノブは老人と少年が、工場の部品か完成品を持ち出して売っているのではないかと思ったのだ。それなら、元手などいらないだろう。
「……あんた達、何者なんだい?」
シノブの言葉は核心を突いたのだろう。露天商の女性は、怯えたような表情になった。
「ただの、お節介焼きの従士ですよ……少し事情に詳しいだけのね。
ともかく、聞かせていただけませんか?」
「まあ……そんなところだよ。
それに……奴らはハレール達の売り上げを七割持って行くのさ……。だから、あの子は余計に売らないといけないんだ……妹のためにね」
どうやら、シノブの優しげな様子に安心したようだ。彼女は、はっきりとは言わなかったが、彼らの仕入先が後ろ暗いものだと仄めかした。
それを聞いたシノブは、どうすべきか考え込んだ。横流しは罪ではあるが、妹が重病だという事情もある。それに、若者達の行動も褒められたものではない。
シャルロットやミュリエルも、老人や少年に同情しているようである。二人は、複雑な表情で若者達と露天商を見つめていた。
「若者達に注意しよう。七割も売り上げを持っていくのは酷すぎる。それに、彼らも罪を見逃していたなら、ある意味同罪だ。
……露天商は、事情を充分に聞いた上で判断しよう」
シノブは、そう言うと騒ぎが起きている露天に向かって歩き出した。
「お館様、私達にお任せください。
お館様とシャルロット様は、ミュリエル様とミシェルをお願いします」
「はい! あんな人達、私達だけで充分です!」
ジェルヴェとアミィが、シノブを制して前に出る。
「わかった。アミィ、ジェルヴェ、少し懲らしめてやってくれ」
確かに、二人がいれば問題ないだろう。そう思ったシノブは、歩みを緩め、前を譲る。
「えっ……もしかして、貴方様は……」
そんな彼らの言葉を聞いた露天商の女性は、目を見開いて見送っていた。どうやら、目の前にいたのが領主一行だと気がついたようである。
◆ ◆ ◆ ◆
「フライユ伯爵家、家令ジェルヴェです。この場を預かります」
いきなりの名乗りに、あたりにいた者は静まり返った。伯爵家の家令といえば、内向きの家臣の頂点に立つ存在だ。それが、こんなところに、と思った者もいたようだが、ジェルヴェのさり気なくも気品に満ちた態度に、周囲で見物していた者達も、思わず場所を譲っていた。
「うっ! 何でこんなところに……」
「老人と子供を放しなさい」
そして、ジェルヴェの後にはアミィが続いている。彼女は動揺する若者達に、露天商の二人を解放するように語りかける。
「う、うるせぇ! こいつらは客を騙したんだ!」
「犯罪なら守護隊が対応します。貴方達には売り上げを取っていく権利はないでしょう」
ジェルヴェの冷静な言葉に、若者達は黙り込む。だが、恨めしそうな目つきは、彼らが納得していないことを示しているようだ。
「こんなところに、家令なんて来るはずがない! それにせいぜい従士といった格好じゃないか!
お前達、逃げるぞ!」
纏め役らしい大柄な男の声に、十数人の若者達は、一斉に駆け出した。彼らは露天商から金や売り物を奪って、四方八方に散っていく。
「向かってくるかと思えば情けない。アミィ様!」
「はい!」
二人は飛燕のように身を翻して若者達に迫り、彼らが持つ棒を奪った。
ジェルヴェは槍のように構え、アミィは棒術のように中ほどを握っている。そして二人は逃げ惑う若者達を、瞬きする間に打ち据えていく。
身体強化を駆使した達人達の動きは、商店街の若者ごときには捉えることもできなかったようだ。彼らは、何が起こったかわからないうちに地に伏せていた。
「二人に敵うわけもないか……」
そんな二人の様子を少し離れた場所から見守っていたシノブは、あっけなく鎮圧された若者達を見て、魔力障壁を解除した。彼は、ミュリエルやミシェルを守るために障壁を張り巡らせていたのだ。
「ええ。『将軍章』と『大騎士章』は、そんな軽いものではありません」
シノブの苦笑混じりの言葉に、シャルロットは誇らしげな表情で答える。彼女が言うとおり、王国最高の誉れである『王国名誉騎士団章』でも、それらを持つ者はごく僅かである。
「……お爺さま、すごい!」
ミシェルは、緑色の瞳をキラキラと輝かせながら、祖父の活躍を見守っていた。ジェルヴェは武芸の達人だが、普段はそんな様子を見せない。そのため彼女も、祖父の実力を知らなかったようだ。
「本当ですね! 流石、ミシェルのお爺様です!」
そして、喜び歓声を上げるミシェルの隣では、ミュリエルも驚嘆の表情となっていた。アミィの腕は、訓練などで良く知っているが、それに劣らぬ働きのジェルヴェから目が放せないようであった。
「お館様、手間取り申し訳ありません」
「いや、手際良く収めてくれたよ。ありがとう」
ジェルヴェはシノブに向き直り一礼する。そして、シノブは鷹揚に労うと前に進み出た。
「『お館様』って、まさか……『魔竜伯』シノブ様か!」
「間違いない! 俺は大通りで竜に乗っていたのを見たんだ!」
周囲にいる者達は、家令どころか領主の登場に仰天し、慌てて跪こうとする。
「そのままで。今日は街の様子を見に来ただけだ」
シノブは露天商や客達に声をかけ、跪礼をやめさせた。そして、彼は大使の子供達に近づいていった。
ガルゴン王国の大使の息子ナタリオと、カンビーニ王国の大使の娘アリーチェは、突然のことに呆然としている。
「ナタリオ殿、アリーチェ殿。領民達が迷惑をかけたようだね。すまなかった」
驚く二人に、シノブは柔らかく語りかけた。虎の獣人ナタリオに、猫の獣人アリーチェは、尻尾を立てている。ここにシノブが現れたのが、よほど意外だったとみえる。
「い、いえ! とんでもないです!」
ナタリオは、恐縮したような表情でシノブに頭を下げた。
「ナタリオ殿、迷惑をかけたのはこちらなのだから……。アリーチェ殿。それが不良品の魔道具かな?」
「はい、そうです! どうぞ!」
アリーチェも緊張した様子である。彼女はシノブに、灯りの魔道具を恐る恐る差し出した。
「店主、名前は?」
シノブは、魔道具を持って露天商の老人と少年に向き直る。
「はっ! ピッカール・ハレールです!」
「私はアントン・ラフォンです!」
こちらの二人は、跪いていた。流石に、騒動の元となったのを恥じたようである。
「店主、わざと不良品を売りつけたのではないだろうね?」
シノブは、禿頭を下げる老人に、笑いを堪えながら問いかけた。見事に禿げ上がった頭の老人の名前が、何とも似合いのものだったからだ。
「もちろん、そんなことはありません! 伯爵様、申し訳ございませんが、その魔道具を見せていただいてよろしいでしょうか?」
顔を上げたハレールに、シノブは魔道具を渡した。
彼は、手持ちの工具で魔道具を分解すると、調べ始める。どうやら、露天で売っている合間に、組み立てもしていたようだ。
「……こ、これは! 部品が違う! こら、アントン! お前が作った物だろう!」
「すみません! 主任!」
ハレールは、隣にいる狼の獣人の少年を大声で怒鳴ると、頭を小突いた。
「主任、というのは工場での呼び名かな? 悪いが、魔道具を調べさせてもらうよ。
……アミィ、頼む」
「はい! シノブ様!」
ジェルヴェと分担して若者達を縛り上げたアミィに、シノブは声をかけた。アミィは、素早く駆け寄ってくると、分解した魔道具や、売り物などを調べていく。
そして、その間にシノブは二人の事情を聞いていった。彼らが話す内容は、既に女性から聞いた通りであった。アントンの妹リーヌが、重い病で治療費が必要なのだが、折悪しく工場が閉鎖されることになった。
そこで、手っ取り早く治療費を手に入れるために、工場から部品を持ち出したらしい。
「……そうか。だが、全ての工程を知っている者はごく僅からしいが?
店主は、どうして組み立てられるのかな?」
「ハレールさんは、工場の組み立て主任だったんです! それに、足りない部品も上手く別ので代用しているんです!」
ハレールが口を開く前に、隣のアントンが答えを返す。ハレール自身が続いて説明するが、どうやら彼は複数の工程を管理する上級職であったらしい。帝国との繋がりがあるような幹部ではないが、器用な上に魔道具についての知識も幅広く持っているようである。
本来、彼くらいの能力であれば、その後も工場に留まることは出来た。だが、アントンの窮状を憂えて一か八かの横流しを決意したらしい。
「わかった。悪いようにはしないから、私と一緒に来てくれないか?」
優しく語りかけるシノブに、二人は涙を流しながら頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「リーヌちゃん、治って良かったですね」
館に戻ったシノブに、アミィが笑いかける。一同は、サロンのソファーに座って寛いでいた。
「ああ、慢性化した肺炎だったけど……治癒魔術で治るもので助かったよ」
シノブはホッとしたような表情でアミィが淹れたお茶を飲む。
若者達を守護隊に引渡し、ハレール老人とアントンに案内されて彼らの住居に行ったシノブは、アントンの妹リーヌを治療したのだ。
ハレールは、身寄りの無い二人を自分の下に引き取り、面倒を見ていたという。彼らの窮状を知って横流しに手を出したとはいえ心優しい老人であり、それ故近所の者も何かと手助けしていた。そんな事情もあり、露天商の女性も、横流しと知りつつも見逃していたのだろう。
「シノブのような治癒術士が、もっと増えると良いのですが……。
肺炎という病気も、重いものは私達には治せませんから」
シャルロットが言うように、ウィルスや細菌による病気は、一般の治癒魔術では治療できない。普通の治癒術士では、患者と一緒にウィルスなども活性化してしまうからである。
通常は、漢方のような薬草で治すのだが、それでは慢性化したものは対処が難しい。高価な薬を頻繁に与えて、治療するしかないのだ。
「まあ、ルシール達の今後に期待だね」
ルシールなら、魔力波動の同調を早々に習得するのではないかとシノブは思った。
シノブは患者本人だけを活性化することができる。そのため、アンナの祖父パトリス同様に、リーヌも完治していた。だが、それには同調が必要なのだ。
「アントンさん、まだ13歳だったのですね。それなのに働いていて凄いです。
リーヌさんも10歳なのに……」
ミュリエルは、狼の獣人の兄妹が既に就労していたことに、改めて驚嘆していた。
二人は近くの町の出身だが、両親が亡くなった為、働きに来たという。工場の勤務は時間も長いが、重労働ではないため、子供達も多いからだ。
「ミュリエルも一生懸命勉強しなさい。領主の妻となるには、様々な知識が必要です。ですから、急いで働くことが良いとは限りません。
じっくり学んで、その分、領地や民の為に働けば良いのです」
「はい、お婆さま!」
祖母のアルメルが、諭すようにかけた言葉に、ミュリエルは元気よく返事を返した。彼女は、緑の瞳を輝かせつつ、農務長官として働く祖母を見つめている。
「……お館様、彼らをミュレ殿の下に連れて行きました。助手が出来てミュレ殿も喜んでいました」
夕日が差すサロンで、和やかに話すシノブ達の下に、ジェルヴェが戻ってきた。シメオンと相談したシノブは、彼らを魔道具の解析や研究を担当するミュレ達の助手に推薦したのだ。
「そうか。それは良かった。根は悪くなさそうだし、ハレールの腕は良いみたいだからね」
シノブは、ジェルヴェの言葉に微笑んだ。
罪を犯したとはいえ、それは窮状故のことである。当然、当分は見習い扱いで、衣食住は保証するものの、給金は出さない。
とはいえ、ミュレが納得する腕でなければ、この話は流れたところである。それ故、シノブは安堵の溜息をついていた。
「リーヌは、少し休ませたら、アンナの下で侍女見習いとして働かせる予定です」
ジェルヴェは、更にシノブに説明をする。
帝国の魔道具解析などは極秘事項である。したがって、解析は伯爵家の敷地内にある倉庫で行う予定となっていた。そのためハレールとアントンには、伯爵家の敷地から出ることは許されていない。ある意味、懲罰を兼ねたともいえる措置であった。
それ故リーヌも、館に住まわせることとなったのだ。
「まあ、いずれにしても丸く収まって良かったよ……結果としては良い一日だったのかな?
街も見たし、魔道具のほうも進みそうだし。それに、ナタリオ殿やアリーチェ殿とも親しくなれたしね」
「ええ。実際に街を回って良かったと思います。事件は別にしても、街の人がどんな風に思って暮らしているか、少しは理解できました」
シノブの言葉に、シャルロットが頷いた。彼女の美しいプラチナブロンドが、その仕草にあわせてサラリと揺れる。
「そうだね。他の都市も、見に行かないとね。それに、町や村も……」
シノブは、領地の改革案を練るのも大切だが、実地を検分するのも並行して進めなくては、と感じていた。そして、そんな彼が続ける言葉に、シャルロット達も聞き入っている。
都市や町、そして村。沈み行く夕日が差し込むサロンの中で、シノブ達は、次はどこに行こうかと楽しげに相談していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年3月14日17時の更新となります。