10.02 魔法の参謀
館の左翼二階にある広間では、シノブに近しい者達が朝晩食事をしている。今朝も、いつもの面々が顔をそろえていた。
シノブとその妻シャルロット、そしてミュリエルとアルメル。それにその腹心達。それが朝晩集う顔ぶれだ。アミィは常にシノブの側にいるし、アリエルやミレーユも大抵同席する。食事を取りながら、情報交換もするからだ。
それに対し、多忙なシメオンは朝食時にここに来ることは、今まで一度か二度であった。彼は、落ち着いて食事を取る時間もなかったようだ。
しかし、今日はシメオンも同席している。少し余裕が出来たのもあるが、シノブ達が思わぬ発見をしたからである。
「それではアミィ殿。お願いします」
シメオンの言葉に頷いたアミィは、広間に集まった人々に、故障した燭台について説明を始めた。
「この魔道具は故障しているのですが、そのお陰で外部の魔力に反応します……」
アミィの説明に、一同は聞き入った。特に、ミュリエルとアルメルは真剣な表情で聞いていた。彼女達は、他の面々とは違い、初めて聞くからだ。
「……外部の魔力を遮って内部を安定させる障壁が壊れていたようです」
アミィは説明しながら、魔道具の燭台に触れずに灯りを点けてみせる。彼女は、かなり魔力を放出したのか、燭台は明るく輝いている。
「通常の魔道具は、他の魔力に勝手に反応しないように簡単な障壁をつけています。『隷属の首輪』などは、もっと強固な障壁があるのですが……シノブ様には関係ないようですね」
シャルロットやミュリエル達に説明をしているアミィは、少し苦笑しながらシノブのほうを見た。
シノブは『隷属の首輪』を魔力干渉で無効化した。だが、それはシノブの膨大な魔力があるから出来ることらしい。
「そういうわけで、こうやって遠くと連絡を取ることが出来るかもしれない。
開発に成功すれば、北の高地にいるイヴァール達とも通信が出来るよ。もっとも、いつ完成するかわからないけどね」
今度はシノブが、アミィの代わりに燭台を明滅させる。彼の魔力なら、かなり離れたところからでも干渉可能である。シノブは実際に『アマノ式伝達法』に則った簡単な文を明滅で表現してみせた。
イヴァール達は、先日来ずっと北の高地で開拓をしている。北の高地を早期に開発し獣人達を受け入れるのは、シノブ達にとって最も優先順位が高い事項であった。したがって、シノブの腹心である彼が現地に留まっているのは不思議ではない。
「現在は、シノブ様かアミィ殿がガンド殿経由で連絡していますからね。私達でも直接連絡が出来るようになれば、開拓の速度も上がるでしょう」
シメオンは、そう言って締めくくった。
「遠くから伝える魔道具ができれば、牧畜や農業にも活かせるかもしれませんね。他の道具と上手く組み合わせれば、害獣対策にも活用できそうです」
農務長官でもあるアルメルは、早速、自分の管轄への応用を考えているようだ。それに実家の農務卿ジョスラン侯爵家での日々を振り返ったのだろう、彼女の口調には強い実感が篭っている。
「シノブお兄さま、凄いです!」
ミュリエルは満面の笑みを浮かべ、シノブを褒め称えた。
更に隣のミシェルも歓声を上げ瞳を輝かせている。彼女や祖父のジェルヴェも、いつも食事には同席しているのだ。
「ありがとう。でも、実現には時間がかかると思うよ。それに、魔道具の研究をする人達を揃えないと」
ミュリエル達の尊敬の篭った視線に、シノブは照れながら答えていた。
無線のような通信方法は魅力だが、まだ実現可能とわかっただけだ。実際には特定の魔力波動への同期や信号の増幅など、様々な課題をクリアしなくてはならない。
だが、そんなシノブの説明を聞いても、広間に集った者達は新たな技術への期待を減じてはいなかった。利便性も高いが、フライユ伯爵領の新たな産業となるかもしれないからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ところで、解放した獣人達なんだけど……」
燭台についての説明が終わったため、シノブは、もう一つの相談をシメオンに持ちかけた。アミィの、解放した獣人達に帝国の間者を警戒させるという案だ。
領内の政治は、実質シメオンに任せきりである。それ故、彼の意見を聞かないことには実施できない。
「……良い考えだと思います。監督する者に、信頼できる家臣を配するなど、幾つか手を加えるべき点はあります。ですが、彼らも帝国の影響を排除したいでしょうから、喜ぶと思います」
「すまないが、細かいところは任せるよ」
シメオンの言葉を聞いたシノブは、忙しそうな彼を案じながらも、詳細を検討するよう頼んだ。
「これが私の役目ですから。それに、シノブ様しか出来ないことが沢山あります。竜との関係維持もそうですが、王都や他領、そして他国との交渉には、シノブ様が必要なのです」
「ありがとう。
……そういえば、ガルゴン王国とカンビーニ王国の人達とも、もう少し話したいな」
シメオンに礼を言ったシノブは、両国の大使館から来た者達を思い出していた。彼らは早速、解放された獣人達に自国民がいないか確認しにやってきたのだ。
二日ほど前にシェロノワに到着した彼らは、今は都市グラージュへと赴いていた。今頃は、その近郊にある臨時の居留地で、自国の者か確認しているのではなかろうか。
「大使の子供達は、いつ帰ってくるのですか?」
シャルロットは、隣に座るシノブに訊ねた。
新年祝賀の儀で言っていたように、大使達は自身の子供を、確認するための一団に加えていた。
ガルゴン王国の大使の息子ナタリオとカンビーニ王国の大使の娘アリーチェは、暫くフライユ伯爵領に滞在するという。
「もうすぐみたいだよ。彼らはシェロノワに領事館を置きたいらしいね。こちらとしても、南方との貿易が盛んになれば嬉しいから、歓迎するよ」
「貿易といえば、魔道具製造業は、縮小せざるを得ません。やはり、帝国から密輸した部品に頼っていた物が多いようです」
シノブが口にした貿易という言葉に、シメオンが少し眉を顰めながら口を挟んだ。
フライユ伯爵領で製造していた魔道具には、やはり帝国の技術が多く用いられていた。多くは重要部品が帝国製であり、完全には再現出来ないらしい。
「う~ん。燭台の件と合わせて、マルタンに調べさせるか? でも、彼は財務の手助けをしていたか……」
シノブは、参謀であるマルタン・ミュレに部品の解析をさせようと思った。魔術に人生を捧げたような彼は、適任ではなかろうか。しかしシノブは、彼が財務も兼務していたことを思い出し、口篭った。
「財務は、アルメル様から紹介いただいたルフェーヴルを次官にしました。ですから、ミュレ殿に担当してもらいましょう。それと、若干畑違いですが、ルシール殿もある程度の知識は持っていると思います」
そんなシノブに、シメオンが僅かに笑顔を見せながらミュレを外しても良いと伝える。そして彼は、治癒術士のルシール・フリオンの名も上げる。
実は、ルシールやその助手カロル・フィヨンは、この地に残っていた。戦の後は、治療すべき者も多かったし、その後は解放した獣人達の検診もあったからだ。
「ルシールさんは、確かに魔道具についても勉強しているようです」
自身も魔道具を作ることができるアミィは、シメオンの言葉に頷いた。
「中央区の治療院に勤めているのですね。私も、そのうちお話を聞きたいと思っていました」
ミュリエルは、興味深げな表情をしている。彼女は、治癒魔術の才能がある。そのため、治療院に興味を示したのだろう。
シノブやアミィの治癒魔術に強い興味を示していたルシールは、助手のカロルと共にフライユ伯爵家の家臣となっていた。それ故彼女達は今、領都シェロノワの治療院で勤務している。
「彼女が王都で学んだ知識には、医療関係の魔道具に関するものもあります。
通信技術の研究や帝国の技術の解析は、重要な仕事です。本来ならアミィ殿にお願いしたいところですが、シノブ様の側近としての勤めがあります。
まずは、ミュレ殿達が困ったときに助言するくらいで進めてはいかがでしょうか?」
「はい! そうして頂けると助かります!」
シメオンの提案に、アミィが満面の笑みと共に元気良く返事をする。
「アミィさん、シノブ様の側を離れたくないんですね~」
そんなアミィに、ミレーユが若干冷やかし混じりの言葉をかける。一方のアミィは、彼女の言葉に赤くなったが、否定はしない。
「アミィさんの忠義は、皆が知っていることですよ。
……でも、シノブ様。ミュレ殿は、ルシール殿達を苦手としていたようですが、大丈夫なのですか?」
アリエルは、琥珀色の瞳に優しげな色を浮かべながら、発言する。アミィを褒めつつも、同僚を窘める意味もあるのだろう。そのあたりは、彼女らしい細やかな気配りである。
「う~ん。でも、何とかなるんじゃないかな。とりあえずやってみよう!
マルタンがどちらかと親しくなる可能性もあるしね!」
シノブは多少強引かと思ったが、大きな声で宣言した。
どうやらミュレは、成熟した女性を苦手としているようである。軍は男性が九割を占める。したがって、あまり女性と接する機会は無かったようだ。
だが、ミュレとカロルは幼馴染らしいし案外上手く行くのではないか。シノブは、そう思ったのだ。
「一旦呼んで確認してはいかがでしょうか。ミュレ殿やルシール殿達を、至急呼び寄せます」
「頼むよ。燭台については長期の研究になるかもしれないが、魔道具製造業は早々に何とかしたい」
ジェルヴェの言葉にシノブは頷いた。魔道具製造業は早期に立て直すか、代替の産業を立ち上げないと、領内の経済に大きな影響が出る。
シノブの言葉に一礼したジェルヴェは、早速ミュレ達を呼ぶように侍従に命じた。
◆ ◆ ◆ ◆
ミュレ達は、朝食の一時間ほど後にシノブの執務室にやってきた。ミュレは領軍本部から、ルシールとカロルは中央区の治療院からである。
執務室には、シノブとミュレ達三人の他、アミィとジェルヴェがいる。なお、シメオンやシャルロット達は、それぞれの仕事があるため、ここにはいない。
「わかりました、ぜひやらせてください! 帝国の技術を解明してみせますよ!」
参謀のマルタン・ミュレは、シノブの言葉に大喜びしていた。どうやら新たな技術に触れるのがとても嬉しいようだ。
ミュレは、あいかわらずボサボサの髪にヨレヨレの軍服だ。だが、魔道具の解析に関われると知った彼は、表情だけは子供のような笑顔となっている。二十代半ばにしては小柄な彼がそんな表情をすると、従者見習いの少年達のようだ。
「私も参加します。シノブ様のお側にいられるのも魅力的ですし」
ミュレとは違い、ルシールは落ち着いた様子を崩さない。ミュレと同年代の彼女だが、こちらは年齢相応の振る舞いと。女性らしく清潔な服装だ。ある意味、好対照である。
とはいえ、彼女も期待を隠せないようである。
無線の魔道具の研究も、帝国の技術の解析も、どちらも重要機密である。したがって、伯爵の館の一角にある倉庫を改装して、研究施設とする予定だ。
そのため、シノブの治癒魔術に興味があるルシールにとっては、願ってもない話のようだ。彼女は、琥珀色の瞳に喜びの色を浮かべながら、微笑んでいる。
「側にいたからって、何も出ないよ」
「燭台の魔道具が出たではありませんか。新たな魔術の使い方が、こうも簡単に浮かんでくるなんて……シノブ様には驚かされてばかりですわ」
シノブの言葉に、ルシールは艶やかな笑みで応じた。どうやら魔力だけではなく別の面でも目をつけられたようだと、シノブは頭を掻いて苦笑する。
「それでは三人とも承諾した、ということで良いのかな? 機密保持のため、色々な制約があるよ?」
シノブはミュレ達を真顔で見つめ、最後の確認をした。重要機密を扱うだけに、念を押したのだ。
「はい! 頑張ります!」
ミュレは喜色満面で答える。シノブは彼がルシール達に上手く対処できるかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
もしかすると魔道具への興味のあまり、女性陣はミュレの目に入っていないのかもしれない。
「お手伝い程度ですが……よろしくお願いします。マルタン、一緒に頑張ろうね」
ルシールの助手、カロルも問題ないようだ。彼女は緑色の瞳を輝かせて幼馴染のミュレに声をかける。
しかしミュレは興奮のためだろう、やはりカロルの熱意に気付かなかったようである。
「……シノブ様、一つだけお願いがあります」
「何かな?」
何故か黙り込んでいたルシールは、シノブに真剣な表情をみせる。シノブは、普段と違う態度に、少し驚きつつも続きを待つ。
「シノブ様は、他人の魔力に干渉できると伺っています。人どころか、ドワーフ馬にも身体強化の使い方を教え込んだとか。
……私に、魔力波動を同調させる治療の仕方をお教えいただけませんか?
お伺いした内容ですと、通信の魔道具を作るには同調を行う必要があります。ですから、私が出来るかはともかく、体感することは無駄にはならないはずです」
「シノブ様! それでしたら私には『レーザー』という魔術を教えてください! たぶん、私の魔力では大したことは出来ないと思いますが、一度やってみたかったんです!」
ルシールの言葉を聞いたミュレは、勢い込んでシノブに頼み込む。ミュレは顔を紅潮させ、瞳を少年のように輝かせている。ルシールも、表情には出していないが、その口調には期待の色が滲んでいた。
「……わかった。出来るかわからないが、やってみよう」
シノブは、彼らの意気込みに押されながらも、頷いた。確かに、研究するためには必要になるかもしれない。それに、シノブ自身も、それらを他人が習得できるかは興味があった。
「じゃあ、まずマルタンからだ」
「はい! お願いします」
マルタン・ミュレの背後に移動したシノブは、彼の腕に自分の手を添えた。
「指を壁の方に真っ直ぐ伸ばして……」
シノブの指示で、ミュレは人が居ない方向に指を向ける。
「うひゃあ! なんだ、これ!?」
緊張した面持ちのミュレだったが、いきなり体をビクンと震わせると叫び声を上げた。
「ああ、魔力操作がきつすぎたかな……すまない、それじゃこのくらいで……」
シノブは、少し注ぎ込む魔力を控え目にした。そして、ミュレの魔力を操作しつつ、彼の魔力波動を整えていく。
「それじゃ、灯りの魔術を使って」
シノブが言葉をかけてから若干の間をおいて、ミュレの指先が示す壁に、赤い光点が浮かび上がる。
「……どう、感覚は掴めた?」
「はい! 何となくですが……これが魔力を揃えるってことですね!」
シノブのレーザーの魔術を見たミュレは、独自に挑戦していたようだ。だが、今まで成功したことはなかったらしい。彼の指先から発しているのは、シノブとは違い対象物を溶かすような威力はない。言ってみればレーザーポインタのような弱いものだが、それでも感激に頬を紅潮させていた。
「さあ、自分でやってみて」
「う~ん……こうかな……もっと集中して……えい!」
シノブは手を離し、ミュレに試してみるよう促した。ミュレは、しばらく唸ったり目を閉じたりしていた。だが、彼の掛け声と共に、再び壁に光点が生まれた。
シノブのものとは違い、薄ぼんやりとしているし、点というよりは小さな円のようである。おそらく、収束率が低いのだろう。だが、単色であるようだし、なんとかレーザーと言える出来であった。
「良かったですね! ミュレさん!」
アミィがミュレに祝福の言葉をかける。彼女だけではなく、ルシール達も笑顔で拍手している。
「ありがとうございます!」
一同の祝福に、ミュレは感激した面持ちで礼を言った。
「なんとか上手く行ったね。じゃあ、次はルシールか……病人はいないから、アミィの魔力に同調して活性化させてみよう」
「シノブ様、お願いします」
ルシールの背後に回ったシノブは、彼女の肩に手を置いた。そして、アミィがルシールの前に進み出る。
「それじゃ、行くよ……」
「あぁ……これが同調ですか……」
アミィに手を伸ばしたルシールは、微かに頬を赤く染め、うっとりした様子で呟きを漏らす。
今度は、少し抑え目にしたシノブだが、それでも効果が強かったのかもしれない。そう思ったシノブは、魔力を弱めた。
「活性化をかけて……」
なんとなく気恥ずかしさを感じたシノブは、言葉少なにルシールを促した。彼の言葉を聞いたルシールは、アミィに活性化をかけたようだが、外面上はほとんど変化が無い。
「大丈夫です、ちゃんと効いています!」
それでも、アミィにはちゃんと効果があったようである。よく見ると、彼女の肌は少し血色が良くなっていた。
「じゃあ、アミィの代わりにカロルを活性化しよう」
シノブは、今度はカロルを活性化するように伝えた。その言葉に、アミィと入れ替わってカロルがルシールの前に立つ。
「効果がありません……ルシール様、本当に活性化をかけているのですか?」
カロルは、治癒魔術の名手のルシールが活性化をかけているのに、何の効果もないことが信じられないようだ。彼女は微かに首を傾げてルシールを見つめている。
「魔力波動はアミィに合わせたままだからね。君には効果がないよ」
シノブは、そう言うとルシールの肩から手を離した。
「それじゃ、よろしく頼むよ」
二人の願いを叶えたシノブは、これで研究に邁進してくれると考えた。そのためシノブは自然と微笑みを浮かべてしまう。
「シノブ様! 別の魔術も教えてください!」
「私にもお願いしますわ!」
だがシノブの意に反し、ミュレとルシールは更に瞳を輝かせて詰め寄ってくる。子供のような喜びと研究への途方もない熱意に、シノブは思わず後退った。
「……成果を出したらだ! とりあえず、魔道具製造業を何とかしてくれ!」
シノブは二人を押し留めるかのように両手を前に出し、叫び声を上げた。
「わかりました! 頑張ります!」
「シノブ様、早速研究に取り掛かります!」
意気込むミュレ達にシノブは苦笑を隠せなかったが、その一方で頼もしさを感じてもいた。
この分なら、早期に魔道具製造業の建て直しができるのでは。それに無線の魔道具も作れるかもしれない。シノブはマッドサイエンティストと言うべき二人を見ながら、そんな明るい希望を感じていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年3月10日17時の更新となります。