09.21 あの広い高地いっぱい 中編
シノブ達は、馬車に乗って領都シェロノワから都市グラージュへと向かっていった。帝国から解放した獣人達は、グラージュ近郊にいる。戦の後、シノブが岩壁で造った臨時の居留地で、身元の確認や今後の希望の調査をしているのだ。
解放した7000名近い獣人達のうち、5500名程度が帝国で生まれ育った者達である。そして、残りの約1500名が、メリエンヌ王国や、他国のものであった。メリエンヌ王国から人攫いによって連れ去られた者や、戦で捕虜となった者だ。
1500名の多くは、メリエンヌ王国の出身で、中でもフライユ伯爵領の者が500名近くいる。彼らは、民間人であったり軍人であったりと、出身は様々だ。残りのおよそ1000名は、殆どが元軍人や元傭兵である。彼らは、戦で捕らえられて戦闘奴隷にされたらしい。
「ソニアの叔父さんらしい人がいるんだって?」
シノブは、馬車に同乗している家臣のアルノーへと問いかけた。
彼も帝国に捕まり、戦闘奴隷となっていた一人である。それ故アルノーは、解放された獣人達を世話する内政官に協力するよう、シノブから命じられていた。
「はい。アルバーノ・イナーリオという猫の獣人がいます。カンビーニ王国の出身と言っているので、ソニア殿の縁者に間違いないかと」
「叔父の名はアルバーノです。アルノー様からお聞きした特徴も、父や祖父から聞いたものと一致します」
アルノーの視線を受けて、侍女のソニアが嬉しげな表情で答える。
彼女も猫の獣人だし、外国からの傭兵はそれほど数が多くないらしい。名前と種族が一致する以上、ほぼ間違いないだろう。
「ソニアさん、よかったですね」
「ミュリエル様、ありがとうございます」
祖母のアルメルと並んで座ったミュリエルの言葉に、ソニアが頭を下げる。
今日の視察には、彼女達フライユ伯爵家の者が同行している。これは、新たな領主であるシノブと、先々代の妻であるアルメル、そしてその孫であるミュリエルが親密にしていることを見せる意味もあった。
だが、そんな建前はともかく、ミュリエルは、シノブや尊敬する姉であるシャルロットと馬車で遠出できることが、とても嬉しいようだ。彼女の緑色の瞳は、いつにも増して輝いている。
「シノブ、これでソニアの目的も果たせますね」
シャルロットも、ソニアを優しげな視線で見つめていた。シノブと寄り添うように座る彼女は、ソニアの苦労を思ったのか、微かに瞳を潤ませているようである。
ソニアは、20年前の戦に傭兵として参加し、行方不明になった叔父を探すという目的があった。
アルバーノは、元々腕は立つが、それを過信して家を飛び出したという。三男で家も継げないし、どこかで功績を挙げて仕官しようと思っていたところに、メリエンヌ王国とベーリンゲン帝国の戦が始まった。そこで、戦で名を挙げメリエンヌ王国に仕官するか、故国に戻って戦功で仕官しようと考えたらしい。
だがソニアの祖父は、勝手に飛び出した三男アルバーノを、勘当したという。そして、一族の恥さらしとして、口外を禁じたが、その一方で末っ子を案じていたようだ。ソニアは、そんな祖父母のために、王都メリエで未帰還兵の情報などを調べていたが、アルバーノの行方はわからなかった。
だが、遂に叔父が見つかった。その喜びを表すかのように、ソニアの猫耳はピンと立っていた。
「そうだね。
……ところで、ソニアは叔父さんの顔を知らなかったよね?」
「はい、私がまだ生まれる前に出奔しましたから。ですが、一族のことなど確認する方法はいくらでもあります」
シノブはソニアの答えに納得した。確かに、近親者しか知らない話題など、いくらでもあるだろう。
「早く見つかって、良かったですね」
アミィも、嬉しそうだ。彼女は、ソニアに戦闘や諜報などの技術を仕込んでいた。したがって、ソニアの師ともいえる。仕込んだ技術で見つけたわけではないが、それでも嬉しいことには変わりないだろう。
なお、ソニアは、シノブとアミィ、シャルロット以外には、叔父のことは打ち明けていなかった。だが、帝国から獣人を解放した後に、叔父がいないか調べるにあたり、シノブに近しい者や侍女仲間には、ある程度話したようである。
そのため、ソニアの隣に座っているアンナも、同僚に祝福の言葉を掛けていた。
「これも、アミィ様のお陰です」
ソニアは、シノブの隣に座るアミィに、綺麗な会釈をした。深々と頭を下げるその様子からは、彼女がアミィに信服していることが窺えるようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
今回、シャルロットが同行しているのは、都市グラージュの防衛体制視察と、解放した獣人達から軍人として使えるものがいないかを確認するためであった。
とはいえ、それは半分以上名目であり、実際にはアリエルやミレーユが気分転換を勧めた、というのもある。まだ、新婚であるシノブとシャルロットだが、一緒にいる機会は意外に少ない。もちろん、私的な場では常に一緒であるが、昼間は、領主と軍の頂点として、それぞれやる事が沢山あるからだ。
謹厳実直なシャルロットは、軍務を等閑にするのを良しとしない。それ故、二人の腹心は、彼女が納得できる理由を拵えたようだ。
その甲斐あって、シャルロットは、シノブと久しぶりにゆっくり過ごしていた。
領都シェロノワから都市グラージュは距離にして50kmほどだ。フライユ伯爵家の特別製の馬車は、急げば2時間も掛けずにその距離を走るという。だが、今回はアルメルやミュリエルも乗っているので、それほど速度は出していない。
そのため、シャルロットは、シノブやミュリエルとの会話を存分に楽しめたようである。
「しかし、この馬車は本当に快適ですね。魔道具で室内を暖めるなど、馬車に導入している例は稀だと思いますが……寒冷地ならではの工夫ですね」
とはいえ、シャルロットの真面目さは、そうそう変わらないようである。彼女は、自身が乗っているフライユ伯爵家の馬車に感嘆の声を上げていた。
「アルメル殿。こういった馬車は、多いのですか?」
シノブは、そんなシャルロットに微笑しながら、向かいに座ったアルメルに問いかけた。
ミュリエルの祖母であるアルメルを、シノブは何と呼ぶべきか悩んだ。最初、義祖母となるアルメルだから、様付けでも良いように思ったシノブである。だが、当主のシノブが一族に様付けは良くないだろう。かといって、ミュリエルと結婚してもいないのに『義祖母上』と呼ぶのも躊躇われる。
そんなシノブは、結局『アルメル殿』と呼ぶことにしていた。先代ベルレアン伯爵アンリが、息子の妻であるカトリーヌ達をそう呼んでいたのに倣ったのだ。
「いえ、生憎存じ上げておりません。
私は魔道具には詳しくありませんから……私の実家はジョスラン侯爵家なので」
アルメルが言うとおり、彼女は農務卿ジョスラン侯爵の血縁である。父が先々代ジョスラン侯爵なのだ。
「そうですか……ところで、アルメル殿は、米を知っていますか?
稲作をフライユ伯爵領で出来ないかと思っているのです」
「稲作は、寒いところでは無理だと思いますが……。
実は、ジョスラン侯爵領でも試したことがあるのです。カンビーニ王国から、苗を取り寄せてみたのですが、失敗しました」
アルメルは、シノブの問いに残念そうな表情で答える。
ジョスラン侯爵領は、王領南東部である。内陸に存在し、王領、ボーモン伯爵領、マリアン伯爵領に挟まれた小領群の中にある。王領の都市オベールと、マリアン伯領の領都ジュラヴィリエを結ぶ街道にあるため、栄えた領地であるらしい。
王国の中でも南方に属する土地であり、カンビーニ王国と接するマリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエとも緯度はほとんど変わらないという。
「いえ、ガルゴン王国の北方の山地で育つ品種があるそうです。先日、王都で聞いたのですが」
シノブは、ガルゴン王国の大使から聞いた話を、アルメルに説明した。
ガルゴン王国の最北端とフライユ伯爵領の最南端は、ほぼ同緯度だ。それに、ガルゴン王国とメリエンヌ王国との国境に聳えるブランピレン山脈の麓、雪が積もる土地でも稲作が行われているという。
「まあ……ガルゴン王国の大使が、そのような申し出を。よほどシノブ様の興味を引きたかったのですね。
私達には、そんなことを教えてくれませんでした。
ガルゴン王国から輸入する米は、通常精米しているのです。ですが、シノブ様には苗を渡しても良いと思ったのでしょう」
アルメルは、驚きの表情でシノブを見つめる。
「そうですか……気をつける必要はありますが、私はこの領地で稲作を行いたいのです」
シノブは、気前の良い話には、やはり裏があったのか、と苦笑いした。だが、寒冷地で育つ苗を手に入れることができるなら、多少はガルゴン王国の話を聞いてやっても良いのではないか。シノブは、そう思いながら言葉を続けた。
「そうですね。米は麦より収穫率も良いし、水耕でしたら連作障害も無いといいます。ぜひ、導入したいですね」
シノブの言葉に、アルメルは真剣な表情で頷いた。流石、農務卿の家系から嫁いできただけあって、知識もあるようだ。シノブに続いて、アミィもアルメルに質問するが、彼女は的確に答えていく。
詳しく聞くと、アルメルは嫁いで来るまでは父や兄に代わって自領の農政を担当していたという。若い頃のアルメルは、王都に詰める農務卿の代わりに、自領を家臣と共に切り回していたようだ。
「アルメル殿。もしよろしかったら、農務長官をお願いできないでしょうか。いえ、次代の長官が育つまでの間だけでも良いのです」
「お婆さま! シノブお兄さまを助けてあげてください!」
フライユ伯爵領の人材不足は、この場にいる全員が知っていることだ。そのため、シノブに続いてミュリエルも隣のアルメルを見上げ、答えを待つ。
「……わかりました。私もフライユ伯爵家の人間です。この難事に、何もせずにいるのも申し訳ないと思っていました。お引き受けします」
アルメルの言葉に、シノブ達は顔を綻ばせた。これで、シメオンの負担も少なくなるだろう。本来なら、グラージュの視察にはシメオンも同行させたかったが、彼は多忙のあまり領都シェロノワを離れられなかったのだ。
シノブは、少しずつ整っていく統治体制に喜びを隠せなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「良かったですね……でも、シノブはお米やお魚の話になると、人が変わったようになりますね」
シャルロットは、シノブの喜ぶ様子を優しく見つめていた。だが一方で、せっかく夫婦で語らう時間があるのにアルメルと話し込んでいる夫に、少し不満を感じたようである。
ホリィを先行させて魔法の家で移動させれば一瞬で移動できるのに、わざわざ馬車にしたのは少しでも仕事を忘れて過ごしてほしいというアリエル達の気遣いである。彼女が物足りなく思うのも、無理はない。
「ごめん! だけど、お米を食べると美人になるんだよ! 俺の故国では、米どころには美人が多いって言うんだ!」
シノブは隣に座るシャルロットに顔を向けなおし謝罪した。だが謝りつつも言い訳めいた言葉を口にしたせいか、周囲は苦笑いを漏らす。
「シノブ様、確かにそう言いますけど、こちらの国にも通用するのでしょうか? あれは、お米を食べて育つ日本ならではの話では?」
アミィが言うように、元々パンなどを食べて育ったシャルロットやミュリエルには、あまり関係なさそうな話である。
「でも美人になれるなら、頑張ります! 私もお米を食べます!」
その一方で、成長期のミュリエルは前向きに捉えたようだ。まだ彼女は9歳だから、食生活の変化が今後の成長に影響する可能性もないとはいえない。
「ですがシノブ、『お米を食べると美人になる』ということは、私達はまだ美人ではない、ということですか?」
シャルロットは悪戯っぽい笑いを浮かべると、シノブに向き直る。そして彼女は輝くようなプラチナブロンドを揺らしながら、そっと夫に体を寄せて問いかけた。
これも夫婦の楽しい語らいだと思っているのか、シャルロットの深く青い瞳は笑みを湛えている。それに、声も弾むような明るい調子だ。
「シャルロットはとても綺麗だよ! 俺の最愛の人だ!」
シノブは真っ赤になりながら、己の失言を取り消そうと叫んだ。
幸い同席している男性はアルノーだけで、彼は人の噂をするような性格ではない。シメオンがいなくて良かったと思いながら、シノブはシャルロットを賛美する言葉を続けていた。
「シノブお兄さま、私はどうですか?」
姉のように熱い言葉を掛けてほしいと思ったのか、ミュリエルも続いて声を上げた。そして彼女の元気の良い声と共に、銀に輝く長い髪がサラサラと揺れ動いた。
「ミュリエルも可愛いよ! きっとシャルロットと同じくらい美人になるよ!」
もはや恥ずかしいものは何も無いとばかりに、シノブは開き直って答える。
するとシャルロットやアミィ、そしてアルメルまでも笑い声を上げた。もちろんミュリエルも、シノブの言葉に大喜びである。
「……シノブ様、孫をお願いします。貴方様なら、きっと幸せにしてくださるでしょう」
アルメルの顔は微かに笑みを含んだままだ。しかし声音は孫への大きな愛を感じさせる、とても温かなものとなっていた。
どうやらミュリエルとシノブの仲の良い様子は、アルメルに深い安心と将来への期待を宿したようだ。
「……はい。私の力の限り、ミュリエルを守ります」
まだシノブにとって、ミュリエルは妹みたいな存在ではある。しかし、守ってやりたい愛おしい少女であるのには違いない。そう思ったシノブは、自身の心に浮かんだものを率直に口にする。
「『竜の友』に守っていただけるなら、孫も安心です。ミュリエル、お米で美人になれるかはわかりませんが、頑張りなさい。シャルロット様と並び立てるだけの淑女になるのは、大変ですよ」
「はい! 頑張ります!」
アルメルの言葉に、ミュリエルは元気よく頷いた。元々彼女は尊敬する姉を目標としているから、今更怖気づくことはなかったようだ。それどころか、ますます嬉しそうに顔を輝かせている。
「シャルロット、ミュリエル、よろしく頼むよ」
シノブは二人の手を取りながら、柔らかい口調で語りかけた。
そろそろ馬車は、グラージュに着くようだ。グラージュの城壁が前方に見え始めた中、シノブは改めて二人を守り抜くと心の中で誓った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年3月4日17時の更新となります。