09.16 岩竜は飛んでいく 前編
フライユ伯爵領の領都シェロノワ。その郊外の演習場に、王国軍の将兵が集まっていた。
将官は、フライユ伯爵領の暫定統治者であるアシャール公爵を筆頭に、フォルジェ子爵マティアスやベルレアン伯爵領の領都守護隊司令ダニエル・マレシャル等の司令官達だ。そして、彼らと共に100名ほどの兵士が、シェロノワから1kmほど離れたところにある、フライユ領軍の演習場へと集っていた。
どういうわけだか、彼らは乗ってきた軍馬を演習場の隅に待機させ、中央近くまで歩いて移動していた。演習場は、およそ3km四方はある。したがって、馬丁達に軍馬を預けた公爵達は、1km以上も自らの足で移動したことになる。
もちろん、軍人であるから、多少の徒歩で疲れるような弱卒はいない。だが、王国貴族の頂点に立つアシャール公爵が、わざわざ歩かなくても、良さそうなものである。
しかし当の公爵は、そんなことは気にもならないようだ。彼は、楽しげな表情で演習場の中央へと移動していた。
「さて、そろそろかね! そうだね、マティアス!」
アシャール公爵は、その碧眼を子供のように輝かせ、側に控えるマティアスへと問いかける。
いつも陽気で突拍子もない言動の多い公爵だが、今日は一段と上機嫌である。
「はっ! 創世暦1001年1月14日、朝10時。指定の時間まで、後5分です!」
栗色の髪に碧の瞳の偉丈夫マティアスは、軍人らしい綺麗な姿勢を保ったまま、公爵に返答する。決して大声を張り上げているわけではないが、軍務で鍛えられた美声は、静まり返った演習場に響き渡った。
「堅苦しいねぇ。一緒に死線を潜り抜けた仲なんだし、もう少し柔らかく出来んものかね。
それとも、新たな主君の到着に興奮しているのかな?」
律儀に懐中時計を確認し、更に暦年から答えるマティアスに、アシャール公爵は苦笑を隠せないようである。彼は、マティアスのがっしりした肩を軽く叩きながら、問いかけていた。
そして、そんな公爵に同調するように、マレシャル司令だけではなく、元ブロイーヌ子爵ロベール・エドガールや、ラシュレー中隊長などは笑みを見せている。それどころか、マティアスと接することの少なかった参謀マルタン・ミュレなどは、驚きのあまりか目を白黒させていた。
「西の空から、飛行物体が接近してきます!」
望遠鏡を覗いていた伝令騎士のリエト・ボーニが、公爵達に注意を促した。
ボーニの声に、一同は揃って遠方へと目を凝らす。
「あれが竜か!」
「凄い速さだ! 軍馬の倍、いや、三倍は速い!」
上空から急激に接近してくる灰色の巨竜に、演習場で待機していた兵士達は、思わずどよめきを漏らす。そして、遠くからは、怯えるような馬の嘶きが聞こえてきた。
「忠告に従って軍馬を離しておいて良かったね!」
「全くです!」
アシャール公爵の感嘆に、マティアスも空を見上げたまま同意した。瞬く間もなく近づいてきた巨竜から、彼らは目を離せないようだ。
「シノブ君! 久しぶり~!」
アシャール公爵は、子供のように手を振りながら、大きな声で巨竜に呼びかけている。
「義伯父上、お久しぶりです!」
巨大な岩竜の上には人が乗っていた。公爵の呼びかけどおり、シノブである。彼は、岩竜ガンドに乗ってフライユ伯爵領へとやってきたのだ。
アシャール公爵達の目の前に舞い降りたガンドは、背に乗ったシノブ達が降りやすいように、その身を低くした。
小山のような岩竜が大人しく伏せる姿に、軍人達は思わず感嘆の声を漏らす。そんな武人達の驚嘆と憧憬の篭もった視線の中、ガンドの背からシノブとイヴァール、更に大族長エルッキを始めとする四人のドワーフが飛び降りた。
「流石は『竜の友』だね! 新領主の登場に相応しい演出じゃないか!」
アシャール公爵は満面の笑みと共に、シノブに歩み寄っていく。
「義父上のご意見です。最初が肝心だろう、と」
シノブは、感心しきりといった表情のアシャール公爵に、僅かに苦笑いしながら答えた。
「それより義伯父上、こちらが大族長のエルッキ殿。そして長老タハヴォ殿です」
再会の抱擁でもしそうなアシャール公爵に、シノブは大族長エルッキと、その父タハヴォを紹介する。
「おお、これはこれは。初めまして、私がアシャール公爵ベランジェ・ド・ルクレールです。
この度は遠いところから、ようこそ……」
流石に隣国の指導者とその父相手では、アシャール公爵も態度を改めていた。彼は、その地位に相応しい優雅な仕草で一礼すると、エルッキやタハヴォに握手を求める。
シノブは、そんな彼らを横目に見ながら、魔法の家を呼び出すべく、アミィに心の声で呼びかけた。残念ながら、アミィの魔力量ではベルレアン伯爵領の領都セリュジエールから、ここシェロノワまでは返事を返すことができない。
そのため、準備ができたら、シノブが持つ通信筒を呼び寄せる手はずになっている。彼は、アミィが呼び寄せるはずの通信筒を手に乗せ、遠いセリュジエールからの合図を待っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「えっ、ガンドに乗ってフライユに、ですか?」
領都セリュジエールでの結婚式を行った日に、シノブはベルレアン伯爵から、意外な提案を受けていた。
結婚式とパレードを終えた後、伯爵はガンドに乗ってフライユ伯爵領に赴いたらどうかと、シノブに言ったのだ。
「そうだよ。もう、こちらでもガンド殿の存在は明らかにしたんだ。シェロノワに行っても問題はないだろう?
それに、ガンド殿は、一度フライユ伯爵領内の高地を確認したいようだからね」
岩竜の親子のうち、番の片方であるヨルムと、子竜のオルムルは、既に竜の棲家へと戻っていた。成長期のオルムルは、大量の魔獣を必要としている。そのため、竜の狩場へと戻ったのだ。
一方、ガンドは伯爵の言うとおり、フライユ伯爵領へと行きたいようである。彼は、暫くの間、オルムルの世話をヨルムに任せるつもりらしい。
「そうですね。最初は、私と一緒に行ったほうが良いかもしれません」
シノブは、セリュジエールの人々が、竜に乗った自分達を見て、歓呼の声を上げていたのを思い出した。パレードで歓声を上げていた彼らも、岩竜が単独で現れたら恐れて逃げ惑うだろう。そう思ったシノブは、伯爵の言葉に頷いていた。
「それに、竜に乗っていけば、フライユの民もシノブに期待を抱くのではないかな。
戦での活躍は軍人を中心に広まっているだろうが、『竜の友』らしいところを見せておけば、統治もだいぶ楽になると思うよ」
「ありがとうございます。それでは、ガンドと相談してみます」
伯爵の言葉に感謝したシノブは、ガンドに早速訊ねてみた。ガンドは伯爵の館の前庭にいるが、念話で呼びかければ、距離など関係はない。
ちなみに、ガンドやヨルム、それにアミィは、およそ150km先まで自身の思念を届かせることができるようだ。シノブは、さらに遠方まで思念を届かせることが出来る。どうやら、魔力量と思念の有効範囲は比例するようである。
それはともかく、シノブの提案をガンドは歓迎した。彼も、フライユ伯爵領の人々に受け入れてもらうには、セリュジエールと同様にシノブと共に姿を現すことが良いと考えていたらしい。
そこでベルレアン伯爵は、フライユ伯爵領の領都シェロノワにいるアシャール公爵に、早速伝令を送ることにした。
セリュジエールからシェロノワまで、伝令騎士なら2日弱で到着可能である。一方、馬車で移動する場合、通常なら6日、かなり無理しても3日以上かかる。
伝令騎士で先触れを出し、その後ガンドに乗って移動したほうが、時間の節約になるし、その間セリュジエールで色々相談や準備も出来る。
ガンドには、シノブやイヴァール達が乗り、残りは魔法の家での瞬間移動をする。そうすれば、馬も含めて移動可能だ。
シノブ達は、新たな地をどう治めるか伯爵達と語らいつつ、旅立ちの時までセリュジエールでの穏やかな日々を送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
魔法の家でのシェロノワへの転移は、数回に分けて行われた。こちらに来る人数はさほどでもなかったが、リュミエールなど軍馬も運んだためである。
そして最後の転移で、アミィやミュリエル達がやってきた。側には、ホリィを腕に乗せたジェルヴェと、その孫ミシェルもいる。
「アシャール公爵閣下! 初めまして、ミュリエルと申します!」
魔法の家から現れたミュリエルは、アシャール公爵に優雅な仕草でお辞儀をした。そして顔を上げると、にこやかな笑顔で伯爵を見上げている。
「これはご丁寧に。未来のフライユ伯爵夫人ミュリエル殿。……まあ、堅苦しい挨拶はここまでにして。ミュリエル君も私のことを義伯父さんと呼んでほしいね!」
アシャール公爵も、ミュリエル同様に洗練された仕草で一礼した。だが、すぐにいつもの調子に戻ると明るい笑顔で、呼び方を変えるように要求する。
「ですが……」
「まあ、義伯父上が良いと言っているのだから。正式な場以外は、義伯父上で良いと思うよ」
戸惑うミュリエルに、シノブは優しく言葉をかける。シャルロットの母は、アシャール公爵の妹カトリーヌだ。しかし、ミュリエルの母はブリジットであり、公爵とは姉妹ではない。したがって、本来は伯父と呼ぶのは間違っている。
しかし、アシャール公爵は、9歳にして父母と別れたミュリエルを気遣っているのだろう。そう思ったシノブは、自身を見上げるミュリエルを安心させるように、ゆっくり頷いてみせた。
「……わかりました! 義伯父上、よろしくお願いします!」
「良かったですね。伯父上は、優しいお方です。きっと貴女の力になってくださいます」
シノブの言葉を受けて、改めてアシャール公爵へと挨拶したミュリエル。彼女の肩に、シャルロットは励ますように手を添えていた。
「そうだとも! 私を頼りにしてくれたまえ! ……そうだ、ミュリエル君に、これをあげよう!」
アシャール公爵は、懐から綺麗な懐中時計を取り出した。その表面には、二頭の金獅子が支える盾に白い百合が重なった紋章が、光り輝いている。
「これは……」
公爵家の紋章が刻まれた懐中時計に、ミュリエルは驚いたようだ。彼女は、アシャール公爵の顔を見上げ、受け取るべきか迷っているように見えた。
「ミュリエル、頂いておきなさい。シノブも伯父上から紋章入りの細剣を授かりました」
「……義伯父上、ありがとうございます」
ミュリエルは、その緑の瞳を僅かに潤ませながら、押し頂くように懐中時計を受け取った。彼女も、アシャール公爵の配慮を理解したようである。
「ミュリエル君は賢いね! きっと、良い伯爵夫人になるよ!
私はこちらの担当だからね。暫定統治は終わったが、そのうち遊びに来るよ。それに、王都でも会うだろうしね!」
アシャール公爵は、ミュリエルへと快活な笑みを見せていた。どうやら、彼はミュリエルを気に入ったようである。朗らかに再訪を宣言した彼は、おもむろに跪き、騎士の礼をしてみせた。
「公爵閣下!」
「『義伯父上』だろう?
……大変だろうけど、頑張るんだよ」
あまりのことに慌てたミュリエルの言葉を、アシャール公爵は優しく訂正した。そして、立ち上がった彼は、柔らかく包み込むような表情で、彼女を激励する。
「シノブ様、全員移動が終わりました!」
そんな彼らのところに、アミィとミシェルが戻ってきた。
今回の移動では、アンナの母や祖父など、シノブの家臣の家族も連れて来ている。ベルレアン伯爵は、あまり大勢の家臣を連れて行くと、フライユ伯爵領の反発を招くと思ったらしい。そのため、ごく一部の者を除いて、シノブ達に新たな家臣を付けることはなかった。
その一方で伯爵は、現地に派遣したベルレアン伯爵領軍の者で、希望者がいれば移籍させたらよい、と言っていた。フライユ伯爵領を実際に見た家臣達に、その判断を委ねたいと考えたようである。
「さて、それではシェロノワに入るかね!
では、シノブ君! 竜に乗せてくれたまえ!」
アシャール公爵は、シノブの肩を叩きながら、出立を促す。ただし、彼は演習場の出口ではなく、岩竜ガンドのほうを見つめていた。
「そう言うと思っていましたよ。
……他には誰が乗るかな?」
シノブは、苦笑しながらも公爵に同意した。そして、周囲を見回す。
「乗ります!」
「……シノブ、私も」
まず、ミュリエルが元気の良い声と共に手を上げる。そして、それに続いてシャルロットも控え目ながら名乗りを上げた。
「六人乗れるのだったね。では、私とシノブ君、シャルロットにミュリエル君、それにアミィ君と……そこの子にしようか!」
アシャール公爵が最後に指名したのは、なんとミシェルだった。
「ありがとうございます、公爵さま!」
ミシェルは満面の笑みを見せると、可愛くお辞儀をしてみせた。
「おお、礼儀正しい子だね! それでは、乗ろうか! 岩竜ガンドだったね! よろしく頼むよ!」
アシャール公爵は、巨大で厳ついガンドが相手でも平然としていた。彼は全く恐れる様子もなく、スタスタと歩み寄っていく。
──こちらこそよろしく頼む。人の子よ──
親しげな笑みを浮かべるアシャール公爵に、ガンドは念話と共に複雑な吼え声を上げて応えた。彼は『アマノ式伝達法』を使って公爵に挨拶したのだ。
「手紙に書いてあった通り、賢いんだね! シノブ君、何をしているのかね。さあ、行くよ!」
いつもと全く変わらないアシャール公爵の様子に、唖然としていたシノブ達は、思わず笑いを漏らした。
「イヴァール、シメオン! すまないけど、後は頼むよ!」
シノブはイヴァールやシメオン達に後を託した。そしてシャルロット達と共に、ガンドの側で待つアシャール公爵に向けて歩みだしていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年2月22日17時の更新となります。