09.13 王都帰りのシノブ 後編
ベルレアン伯爵領の領都セリュジエール。その中央に聳える伯爵の館では、先代伯爵アンリと伯爵の第一夫人カトリーヌに、シノブの真実が伝えられていた。
館の左翼二階にある白の広間には、伯爵家の者やシノブとシャルロットの腹心達しかいない。それゆえシノブは、王都で明かしたときと同様に、自身がアムテリアに招かれてきた存在であることなどを、静かに聞き入る二人へと丁寧に伝えていった。
「……ふむ。驚くべき事実ではあるが、シノブの成したことを考えれば、当然のようにも思えるな!
我が孫達は良き婿殿を得た。そういうことだな、カトリーヌ殿?」
先代伯爵アンリは、シノブの話を聞き終わると、大きな嘆声を上げ破顔一笑した。
彼の声は、伯爵の館で最も美しいサロン、白の広間の高い天井に届くかのように響き渡っていた。
白の広間は、伯爵家の面々が寛ぐ私的な場である。だが、私的といっても伯爵家筆頭の館に相応しい豪奢な造りだ。高い天井には精密な天井画が描かれ、壁は輝かんばかりの白漆喰。灯りの魔道具で照らされた床は精密な寄木細工で出来ており、魔道具の光を受けて美しい模様を誇るかのように煌めいている。
「はい、お義父様。シノブ様、娘達をよろしくお願いします」
広々としたサロンに響き渡るかのような先代伯爵の声。大きな喜びをそのまま声に出したような義父とは対照的に、カトリーヌは優しい笑みと共に穏やかに語りかけ、頭を下げる。
妊娠五ヶ月となり、妊婦らしくなってきたカトリーヌ。彼女は膨らみが目立ってきたお腹を労るかのように、ゆったりとソファーに腰掛けていた。そして、そんな状態故に、対面に座るシノブに娘達を託すと告げる際も、緩やかな挙措であった。
そのカトリーヌの隣には、夫のベルレアン伯爵が寄り添うように座っている。彼は、シノブの来歴を告げる際も、時折言葉を補い、妻と父の驚きを軽減しようとしていたようである。だが、豪放磊落な先代伯爵はともかく、カトリーヌにも殆ど動揺はみられない。
「父上の言うとおり、最高の婿を得たわけだ。これ以上喜ばしいことはないよ。
……しかし、あまり驚いた様子はないね?」
ベルレアン伯爵は、隣に座る妻や一つ向こうのソファーに腰掛けた先代伯爵を、不思議そうに眺めた。
王都でシメオンやミュリエル達に打ち明けたとき、彼らはかなり動揺していたようであった。王国の者が神の使徒と崇める聖人ミステル・ラマールを超える加護を持ち、女神の血族でもあるシノブである。したがって、驚くほうが当然だろう。
そう思っていたらしい伯爵は、シノブが語る際も妻と父の様子を注意深く見守り、柔らかな言葉で説明を補っていた。だが、それを考慮しても、二人の落ち着きは伯爵の予想以上であったようだ。
「実はな、カトリーヌ殿が、シノブとシャルロットの結婚式の夢を見たのだ。大聖堂で挙式する二人のな。
あまりに鮮明な夢だったので不思議に思い、儂にも相談してくれたのだが……二人で、きっと大神アムテリア様のご慈悲だ、と言っていたのだ。
だから、納得はすれど驚きは少なかったのかもしれんな」
先代伯爵は、立派な頬髭を微かに揺らしながら、息子へと説明をする。そして、伯爵の隣では、それを裏付けるかのように、カトリーヌが幸せに満ちた笑みを漏らしていた。
「私は、あれが普通の夢とは思えなかったのです。
……シノブ様やあなたのお話を聞いて、確信しました。あの夢は、大神アムテリア様が私へ授けてくださった贈り物なのです。
聖地で挙式するとは、あなたからの文で知ってはおりましたが、一目見ることが出来たら、と思っていましたので……」
カトリーヌは、その青い瞳から、一滴の涙を流した。先王の娘である彼女も、聖地サン・ラシェーヌで挙式していた。それ故、王国一の聖地で結ばれる二人の姿を見たいという気持ちは、人一倍強かったのだろう。
「母上……」
シャルロットは、そんな母の涙を自身のハンカチで静かに拭う。そして母に寄り添う彼女も、母同様の深い湖水のような瞳を潤ませている。
母親の様子を案じていたらしいシャルロットだが、その順調な経過に安堵したようである。幸いカトリーヌは、精神的にも非常に安定していた。本来なら大きな衝撃を受けるはずの様々な出来事を聞いても、彼女の穏やかな様子には変わりない。
それは、普段から伯爵夫人に相応しい落ち着きと包み込むような優しさを見せている彼女らしいともいえる。だが、もしかすると、それもアムテリアが見せた夢の効果なのかもしれない。
「ともかく、大神の加護を受けたシノブがいるのだ。何も案ずることは無い。その活躍を近くで見れんのが唯一残念ではあるが、度々行き来することは出来よう。
ホリィもいるし、通信筒もあるしな!」
先代伯爵アンリは、カトリーヌを元気付けるかのように明るい声を上げた。
特別扱いされたくないというシノブの意図を汲んだのだろう、アンリは以前と変わらず孫同様に接していた。そのためシノブやホリィの名を口にするときも、自然な態度を保ったままだ。
落ち着きと威厳に満ちた、先代伯爵の声。それを聞いたホリィが、鎧掛けの上から甲高い声で複雑な鳴き声を上げた。
「……カトリーヌ殿、ホリィが『私がいれば、魔法の家で転移することも簡単です。ぜひお気軽に声を掛けてください』と言っているぞ。全く、大した婿殿達だな!」
ホリィには岩竜ガンドと同様に『アマノ式伝達法』を教えていた。そして先代伯爵は領軍の次席司令官だから、当然『アマノ式伝達法』を習得している。
それ故アンリはホリィが鳴き声に乗せた意思を理解し、カトリーヌへと伝えていた。
「まあ……では、そのときはよろしくお願いしますね、ホリィさん」
カトリーヌとシャルロットには、ミュリエルとブリジットの二人と同じく通信筒を一つ渡している。そのため遠く離れる親子に、悲しみの色は少なかった。
ベルレアン伯爵家とシノブ達を結ぶ通信筒は、彼女達の心の支えであるのと同時に、遠いフライユ伯爵領を治めるシノブ達の知恵袋となる存在であった。母娘の絆となると同時に、シノブ達がベルレアン伯爵の知恵を借りるための連絡手段であるからだ。
そんな、常識外れの神具で結ばれた家族達は、先代伯爵の力強い声と、カトリーヌの嬉しげな言葉に、明るい表情を見せていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その後、一同は晩餐会が開かれる迎賓用の大広間へと移った。右翼二階にある大広間は、百人以上を余裕を持って収容出来る巨大な空間である。
シノブは、この広間で会食をしたことが、セリュジエールに初めて訪れた時を含めて数回ある。いずれも伯爵家の者を中心とした、内々の宴だ。しかし、今回は多くの家臣達が出席する華やかかつ賑々しい晩餐となっていた。
なにしろ継嗣シャルロットの結婚に、次女であるミュリエルの婚約である。しかもミュリエルは次代のフライユ伯爵の母となる身だ。将来はいずれかの侯爵家や伯爵家の嫡男に、と期待されていたミュリエルだが、それが叶えられた形でもある。
それにシノブは短い間だがベルレアン伯爵家に滞在し、シメオンやジェルヴェからも領政を学んでいた。つまりベルレアン伯爵家で教えを受けた者が、フライユ伯爵領を治めるわけである。今後、その交流も深まると予想されるが、そういった実利的なこと以上に家臣達は悦ばしげな様子であった。
ベルレアン伯爵は数日前、戦勝や諸々の慶事と共に帰還の時期を伝えていた。そのため早馬で届けられた喜ばしい出来事に、家臣達は祝賀の宴を入念に準備していたようである。
そして歓喜で沸いたのは家臣だけではない。領都に入ったシノブ達は、王都でのパレードを上回るかのような人出に迎えられていた。
こちらでも新年のパレードは行われていたが、伯爵家からは先代伯爵アンリしか参加していない。それゆえ領民達も、伯爵達の帰還が実質的な新年のパレードだと言わんばかりに、熱烈な歓迎ぶりを見せていた。
もちろん、家臣達も大勢の人出を予想していた。そのため、南の大門から伯爵の館まで王都のパレード同様に兵士達が立ち並び、帰還する馬車を妨げないようにしたくらいである。
そんな数々の慶事と戦勝祝賀を祝う空気は、当然この場にも反映されている。料理人達はシャルロットやミュリエルの好きな食べ物を大量に用意していたし、侍従や侍女は室内を綺麗な花などで飾っていた。いずれも、ベルレアン伯爵家令嬢としての最後の宴に万全の準備をしていたのだ。
更に、今回は分家である子爵家の者達も晩餐に参加していた。伯爵家継嗣であるシャルロットの結婚式は、領都でも実施される。伯爵の館から、大通りを挟んだ向こうにある大神殿では、明日シノブとシャルロットを祝う式典が実施される。
それ故、シメオンの実家であるビューレル子爵家の面々も、都市セヴランから駆けつけていた。領都セリュジエールの西側130kmほどに存在するセヴランは、アデラールやルプティと合わせて三大都市と呼ばれる重要拠点である。
人口およそ二万人の大都市を治めるのは、シメオンの父フィベール・ド・ビューレルである。5年前に爵位を継いだと同時に代官となった彼は、先代である父シャルルと共にセヴランを大過なく治めていた。
シメオン同様に、内政官の一族らしい彼らは、外見も良く似ていた。アッシュブロンドに灰色の瞳の彼らは、シメオンの将来を見ているかのようである。
そして、彼らはそれぞれ妻を連れている。シャルルの妻フェリシテと、フィベールの妻オドレイである。彼女達は、フライユ伯爵家の下でビュレフィス子爵として別家を立てたシメオンに、温かい激励の言葉を送っていた。
ちなみに、シメオンには二人の妹がいる。シノブも話だけは聞いていたが、普段セヴランにいるビューレル子爵一族とは、今まで会うことがなかった。
シノブが初めて目にしたシメオンの妹達、12歳のレリアルと6歳のフェリーヌは、兄の栄達を喜びつつも、寂しげな表情で彼の側を離れない。そして、いつも冷静なシメオンも、妹達には優しい笑顔を見せている。
「シメオンも、家族と話すときは優しい顔をするんだね……最近はそうでもないけど、最初に会ったときなんか、何を考えているかわからなかったよ」
シノブは、隣に座るシャルロットへと言葉を掛ける。巨大なテーブルの短辺、上座である位置に、シノブ達は並んで座っている。彼らは、ミュリエル、シノブ、シャルロット、そして伯爵に先代伯爵と並んでいた。
「シメオン殿には、私の結婚のことでご迷惑をおかけしました。私が小さい頃は、あんな笑顔をよく見せてくださいました」
シャルロットは、先代伯爵の側から下手に向かって並んでいるビューレル子爵家へと目を向けながら、昔を懐かしむような口調で呟いた。
シメオンは、二人の妹と仲良さげに話している。
上の妹レリアルは、シメオンに似た艶のある灰色の髪に同色の瞳のほっそりした少女だ。落ち着いた雰囲気はシメオンに似ているが、兄とは異なり年相応に表情豊かである。
そして、末っ子のフェリーヌは、母に似たらしく濃い栗色の髪と琥珀色の瞳の少女であった。こちらは、まだ6歳と幼いせいか、瞳を潤ませながら兄の側から離れない。
シャルロットは、そんな三人の様子に自身が幼かった頃の姿を重ねているようである。
そして昔を思い出したせいか、シメオンを見る彼女の表情も、ただの親族に対するものではなく、頼りになる兄に向けるような、親しみと信頼の混ざったものになっていた。
「……そうか。次は、シメオンの結婚式かな。ミレーユと少しは仲良くなったのかな?」
シノブは、ビューレル子爵家とは逆側、ミュリエルの座る方の長辺へと目を向けた。そこには、カトリーヌを筆頭にブリジットが着席し、その後はシノブとシャルロットの腹心達となっていた。どうやら、彼らは身内扱いとなったようである。
彼らは上席から、アミィにイヴァール、ジェルヴェ、アリエル、ミレーユと並んでいた。これは、階級に応じた席順であるらしい。『王国名誉騎士団章』の『将軍章』を授かったアミィが司令官格で筆頭、『大騎士章』を持つイヴァールからミレーユまでが、大隊長格である。
「あまり進展はしていないようですが……もしかすると、アリエルに気を使っているのかもしれません」
シャルロットは、シノブの問いかけに答える。
「しかし二人は、やたら注目されているね。イヴァール達だって、同じ勲章を持っているじゃないか。やっぱり若いから?」
大隊長格となったアリエルやミレーユは、居並ぶ家臣達の羨望の眼差しを受けていた。
客将であるイヴァールや家令のジェルヴェには、あまり関係の無いこの格付けだが、アリエルとミレーユにとっては、大きな変化であるようだ。
「二人は未婚ですから。爵位を継ぐことはないかもしれませんが、フライユ伯爵家の重臣となることは間違いないでしょう。
もし、私や私達の子供がベルレアンの爵位を継ぐことがあれば、こちらの司令官になるかもしれません。今のうちに伝手を、と考えてもおかしくはありません。
家臣だけではなく、近隣の男爵や子爵、もしかすると上級貴族からの縁談すらあるかもしれませんね」
以前から、シャルロットの腹心である彼女達は特別な位置にあった。だが、ここ数ヶ月での実力上昇に加えて、戦での功績だ。しかも、王国で最も名誉とされる栄典までついている。これを見逃す家臣や貴族はいないだろう、とシャルロットは言う。
彼女の言葉を裏付けるかのように、軍幹部だけではなく、シメオンの上司であった内務長官フレデリク・シュナルを始めとする文官達まで、二人から目を離せないようである。
「なるほどねぇ」
フライユにベルレアン、どちらの伯爵家であっても、将来彼女達が司令官となることは間違いないであろうし、シノブの子供と彼女達の子供が結婚することすら考えられる。
そんなシャルロットの言葉に、シノブは感心したような声を上げた。まだ、存在すらしない彼の子供でさえ、既に計算に入れているとは、想像の範囲外であったからだ。
「こちらからあまり多くの者を連れて行くのも問題ですから、そういったことを進めるつもりはありませんが……でも、向こうに着いたら、二人に結婚を申し込む者が増えるかもしれませんね」
自身も婚約を希望する相手からの決闘申し込みに難渋したシャルロットは、眉を顰めながらシノブへと囁いた。
「そうか。シメオンとミレーユの気持ちを確認して、さっさと婚約させたほうがいいのかな?
でも、アリエルはどうしようか……」
「シノブ、結婚早々仲人になるつもりかね?
まあ領主の仕事でもあるが、そこまで急いで領主らしくならなくても良かろう?」
シャルロットの向こう側から、ベルレアン伯爵がからかうような表情と共に声を掛けた。その言葉に、眉根を寄せて考え込んでいたシノブも、思わず苦笑した。
確かに、伯爵の言うとおり先走りすぎであろう。それに、アリエル達だって成人しているのだ。彼が心配しなくても、自分で対処するだろうし、困れば相談してくるに違いない。
「明日は大変だよ。私達もそうだったが、領都での結婚式だって、中々忙しいものだよ。流石に二度も誓いの言葉を述べる必要は無いが、領都を巡るパレードもあるからね。
それに、エルッキ殿やガンド殿も来てくれるしね。ドワーフの大族長もそうだが、竜が列席する結婚式なんて、前代未聞だよ。まさに『竜の友』だね」
伯爵の言葉に、シノブは頷いた。馬車で岩竜ガンドと連絡した後、彼らは何度かやり取りをしていた。
大族長エルッキは、早くシノブやイヴァールに会いたかったようでもあるが、結婚式と聞いてなおさら急いでいるようであった。そのためガンドは、なるべく早くセリュジエールへと来ると伝えてきた。
「……義父上、ガンド達が来たようです」
まるで伯爵の言葉が合図であったかのように、シノブは強大な魔力を感知した。彼は、途轍もない速度で飛来する竜の魔力を感じ取ったのだ。
「お館様! 竜が現れました! 三頭です!」
シノブの言葉から暫くして、館の衛兵達が駆け込んできた。大広間に現れた二名の衛兵に、周囲の者は急いで視線を向ける。だが、事前に家臣達へと通達していたため、それ以上の混乱はない。
「……早めに言っておいてよかったね。静かに来てくれたようだから、領都の民も気がついてはいないかもしれないが。
シノブ、それでは、ガンド殿達を出迎えに行こう」
念のため領都にも大急ぎで布告はしたが、既に日も落ちている。強大な魔力を使って飛行するガンド達は、離陸や着地を音も立てずに行える。そのためシノブも魔力感知以外、音などでは館の外に竜が舞い降りたとは気がつかなかった。
これなら、館の敷地外にいる者は、竜が来たことなど知らないままかもしれない。
「はい、折角の宴席です。エルッキ殿達もお招きしましょう……ガンド達には悪いですが」
シノブの困ったような表情に、シャルロットも思わず笑みを見せる。流石に、巨竜のための食事など、用意はしていない。幸い、ガンド達は魔力さえあれば生きていけるようだ。しかし、子供であるオルムルは、どうなのだろうか。
シノブは、ガンドにオルムルの食事については聞き忘れていたな、と思いながら、館の前庭に向かって歩き出していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年2月16日17時の更新となります。
なお、「女神に誘われ異世界へ 番外編」に二話追加しました。2月12日に一話、この話と同時にもう一話追加しています。
また、設定集に王都メリエについて紹介を追加しました。
番外編と設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。