09.09 狼になります 後編
アミィの幻影魔術により狼の獣人の姿となり、王都メリエに繰り出したシノブは、シャルロットやアミィと食事を取っていた。彼らは、ベルレアン伯爵家の従者や侍女ということにして、身分を隠して王都メリエの街を楽しんでいる。
シノブは従者シーノ、シャルロットはその婚約者の侍女ロッテ、アミィはシーノの妹アニーという配役で、王都の南区を散策している。
そんな彼らは現在『ニコラの食堂』という店で食事を取っていた。
本来は宿屋ラペルトリというらしい、宿泊を主体に商売をしている富裕層向けのホテルである。だが、食事のみの提供もしているため、そこで昼食としたのだ。
ちなみにメリエンヌ王国には外食産業はあまり発達していないようである。王都の民は、昼食時は自宅に一旦帰るか、職場に持ち込んだパンや飲み物を食べるという。
そして、シノブの侍女である猫の獣人ソニアは元々王都で働いていた。それゆえ王都の日常をよく知っている。そこで、彼女の推薦したホテルの食堂へと、シノブ達はやってきていた。
「……というわけで、米があちらでも作れるかもしれないんだ」
食事をしているせいか、シノブの話題は米についてであった。王宮の午餐会でガルゴン王国の大使と話した彼は、彼の国には比較的寒冷なところでも育つ稲があることを知った。
実は、ガルゴン王国の最北端とフライユ伯爵領の最南端は、ほぼ同じくらいの緯度であった。それに、ガルゴン王国とメリエンヌ王国の境に聳えるブランピレン山脈の麓でも米を作っているようである。また、麓といっても標高はそれなりにあるようで、冬場は雪も積もる土地だという。
「シーノが好きな『ゴハン』や『オモチ』が作れるのですね?」
シャルロットは、シノブへと優しく微笑みかけた。
「上手く行けばね。それに米は麦に比べて収穫量が多いらしいんだよ。そうだよね、アニー?」
自身の好みで農政を左右するように感じていたシノブは、恥ずかしげに頭を掻いた。だが、日本にいたころ米のほうが収穫量が多いと聞いたのは事実である。そう思った彼は、アミィにも確認してみた。
「はい! 間違いありません! お米のほうが収穫量は多いし、連作障害もないはずです!」
アムテリアの眷属であるアミィは、やはり稲作には思い入れがあるようだ。彼女は、力強くシノブの言葉を肯定した。
「そうですか。この前の『ナス』もありますし、豊かに出来そうですね」
「ああ。今は1月だから、春から出来るように準備を進められたらいいけど……まあ、まずはあちらに行ってからだね」
シノブは、シャルロットの期待に満ちた視線を受けて、自身の考えを語っていった。
まだ正月明けて四日目である。流石に稲作には早すぎるだろう。だが、春までに準備をすると考えれば、時間はあまりないといえる。
「魔道具も授かりましたしね」
シャルロットは、シノブに相槌を打つ。
アムテリアからは茄子と、富士山型の魔道具を授かっていた。青い鷹、金鵄族のホリィと合わせて、縁起を担いだだけのようにも思える組み合わせだ。しかし、実は見かけどおりのものではなかった。
茄子は北でも育つ特別な品種だというし、そもそも王国を含むエウレア地方には茄子はないらしい。したがって、上手く行けば新たな特産物になる可能性はある。
そして、富士山型の魔道具は、地脈の調査に加え植物の生育を助けるという想像を絶する機能を持っていた。鉱山開発に温泉の調査、農地改良など、その使い道はいくらでもあるだろう。
更に、ホリィも、空からの調査や情報伝達など、様々な活躍が期待できる。
シノブも、これらを活かした領政改革に思いを馳せて顔を綻ばせていた。
「シーノお兄さま、折角のお祭りなんですから、仕事のことばかり考えるのは良くありませんよ」
アミィの言葉に、シノブは思わず絶句した。確かに、恋人とデートをしているのに仕事の話ばかりなのは不味いだろう。
「ごめんね、ロッテ、アニー。それじゃ、次はどこに行こうか?」
まだ、昼になったばかりだ。そして、王都メリエの街は、新年を祝う人々で賑わっている。シノブは、午後はどこに行ってみるかを二人に尋ねてみた。
◆ ◆ ◆ ◆
相談した結果、三人は、ソニアが勤めていたブランザ商会に行くこととなった。以前、海産物を仕入れたポワソン通りにある商会だ。
シノブは、シャルロットが自分を気遣っているのではないかと思って、彼女の行きたいところがないか聞いてみた。だが、シャルロットとアミィは、今度はシノブの意思を優先しようと笑っていた。
彼女達は、王都の服飾店で街を歩くに相応しい衣装を買っていた。シャルロットは伝統的な町娘風の装い、アミィは現代的にも見える制服風の衣装である。どちらも赤を基調にしているし、狼の獣人の姿になっているため、姉妹のようにもみえる。新年の街に出るため、服を新調した余裕のある姉妹、という印象だ。
それはともかく、デートということもあり服の代金を支払ったのはシノブである。そのため、彼からのプレゼントであるのは間違いない。
そこで、次はシノブが好きなものを買いに行こう、ということらしい。
ニコラの食堂は、南大通りでも比較的中央区に近いところにあったので、シノブ達はまた城門側に引き返していくことになった。もっとも、シャルロットやアミィは並外れた身体能力の持ち主である。多少歩いたところで問題はない。むしろ、彼女達はシノブと連れ立って歩けることが嬉しいようである。
「少し、混んできたな……」
ポワソン通りに入ったシノブは、誰に言うともなく呟いた。
海産物を扱う商会が多いポワソン通りは、どことなく磯の香りがする場所であった。おそらく、店頭に並べられた干物や塩漬けのためであろう。大通りより幅が狭いため、なおさら海の近くのような匂いが強く感じられる。
そして、こちらも新年を祝う人々が多いようである。王都に住む者以外にも、周辺の町村から出てきたのか、物珍しげに店内を覗いているものも沢山いる。天気が良いため人出も多いようだ。
ソニアによれば、王都で働く者も新年から一週間くらいは休みを取るし、近郊の者も王都のパレードなどを見物しに来るため、普段の何倍もの売り上げがあるという。そのため、どこの店も景気のよい呼び込みの声で客の興味を惹いていた。
「ロッテ、もっとこっちに。アニーもね」
通りは行き交うのにも苦労するほどの混雑である。シノブは、二人に離れないようにと声をかけた。迷子になるような二人ではないが、三人並んで歩くのは、少々迷惑となっていたからだ。
シャルロットとアミィは、シノブの言葉に嬉しげな表情で寄り添った。今までも彼と腕を絡めていたシャルロットは、密着といっても良いほどの距離となり、アミィもシノブの右手を握ると触れんばかりの近間に移動する。
「……シーノお兄さま!」
そんなアミィが、幸せそうな表情から一転して厳しい顔つきになり、シノブを見上げた。
「ああ、掏摸だな!」
シノブも険しい顔で前方へと視線を向けた。彼が見つめる先では、込み合った道の真ん中で一人の女性が叫び声を上げていた。どうやら財布を掏られたようである。
もちろんシャルロットも、異常に気付いてシノブと絡めていた腕を解いている。
「アニーは、右のヤツを、俺は真ん中のを、ロッテは左を頼む!」
女性から財布を盗み取った男は、それを隣の男に渡して逃げ去ろうとしていた。さらに、彼らの仲間らしい男が、騒ぎに乗じて別の職人風の若者から何かを盗み取ったようである。
混雑した通りの中である。通常なら何が起こったか把握するのは困難だ。だが、そこはシノブやアミィ達である。武術の訓練を積んだ彼らの鋭敏な感覚と、常人より遥かに高度な魔力感知能力は、群集と不審な動きをする者達を明確に区別していた。
そして、シノブの言葉通りにシャルロットとアミィは散っていく。
左に向かうシャルロットの先にいるのは、女性から財布を盗み取った男だ。
相手は30代半ばほどの鋭い目つきの男である。男は、早足ではあるが走ることもなくその場から去ろうとしている。もしかすると、盗品を仲間に渡したため捕縛される危険がないと思っているのだろうか。いや、むしろ盗品を持たない彼が捕まり、時間を稼ぐつもりなのかもしれない。
だが、そんな悠然ともいえる態度は、一瞬にして崩れ去っていた。風のように忍び寄ったシャルロットが、どこをどうしたのか、手もかけたと見えないのに男を投げ飛ばしていたからだ。
「ぐあっ!」
シャルロットが近寄ったのと同時に、男は宙に舞っていた。
今日の彼女は当然素手である。だが、彼女にとっては掏摸などそれで充分であった。祭りに相応しい真紅の華やかな衣装は、裾も長く戦いには不向きであるが、そんなことは何の制限にもなっていない。
そして、僅かに宙に浮いた男は半回転すると、頭から地面に落ちた。遠くに投げ飛ばすと人や店頭に並ぶ品に被害があるからだろう、男はその場で上下を反転しただけだ。しかも絶妙な手加減がされていたのか、気絶しただけのようである。
そして、右へと走ったアミィは、職人風の若者から掏り取った男の前に立ちはだかった。こちらもシャルロットが退治した男と同じくらいの年齢である。
「お嬢ちゃん、邪魔だ! どきな!」
男はアミィを脅すように声を張り上げた。相手は赤い服に黄色のリボンという可愛い装いをした十歳くらいの少女で、しかも素手だ。そのため、男も無体なことをするつもりはないらしい。脅せば退くだろう、と思ったのか彼は強面を歪めて凄んでみせる。
「邪魔なのは貴方です! 折角のデートなのに!」
アミィは、シノブとシャルロットの楽しい一時を騒がせた男に、怒りを隠せないようである。彼女もシャルロット同様に無造作に近づくと、男に強烈な突きを放った。
決して速くもなく派手な動きもない突きであったが、その衝撃は尋常ではなかったようだ。男は猛烈な勢いで仰け反り、そのまま翻筋斗打って倒れ伏す。
しかもアミィは、男の後方に魔力障壁を張っていたようだ。そのため、男は宙で何かにぶつかるような不自然な動きを見せた後、泡を吹いて地に伏していた。
シノブはといえば、そんな彼女達の活躍を横目で見ながら、最後の男へと近づいていた。40がらみの男は、仲間達が倒されたのに気がついたが、正面から近づくシノブを恐れたのか、その足を止めていた。
「お、俺は盗んでいないぞ!」
シノブに怯えたらしい男は、自分から掏摸を認めるようなことを口走っていた。
「でも、盗品を受け取っただろ? それに、その言い方じゃ自白しているのも同然じゃないか……まあ、面倒だからお前にも気絶してもらう」
肩を竦めたシノブは、するすると男に接近し胸元に突きを放った。
あまりに自然な動きに油断したのか、40がらみの男は呆気なくシノブの接近を許す。そして次の瞬間、男は無言のまま崩れ落ちた。
シャルロットから教わった槍術を意識して、緩やかに流れるような動きから突いた拳。そこには外面から想像できないほどの威力が備わっていた。
今回シノブは、敢えて身体強化を使わずに技のみで戦った。それでも虚心で繰り出され術理にも則った一撃は、充分すぎる効果があったのだ。
現にシノブの一撃を受けた男は、ピクリとも動かず横たわっている。
「財布は……これか。お嬢さん、人ごみでは油断してはいけません……」
シノブは掏られた女性に近づき財布を返そうとする。しかし彼女の顔を見て、驚きのあまり言葉を失った。
「ありがとうございます。あの……どこかでお会いしたような?」
なんとシノブの目の前にいたのは、カンビーニ王国の大使ガウディーノ・デ・アマートの娘アリーチェであった。猫の獣人に多い金髪金眼のアリーチェは、太陽のように輝く瞳でシノブを見上げている。
今日のアリーチェは王宮で出会ったときと違い、ストールや飾り布のないメリエンヌ王国風の衣装である。多分、お忍びなのだろう。刺繍の入った長袖のシャツにオレンジ色のベストとスカートの、上品ではあるが街中でも自然な装いであった。
そしてアリーチェの側には、何歳か年上の10代後半らしき女性が控えていた。おそらく侍女なのだろう、彼女も同じような服を身に着けている。
狼の獣人に姿を変えたシノブから、アリーチェは王宮での出会いを連想したようだ。種族が違うとはいえ顔かたちは同じなのだから、当然ではある。
「いえ……どうやら高貴なご身分とお見受けしましたが、街中には色々危険がございます。お忍びで出歩くのも程々にされたほうが良いのでは?」
シノブは、正体がバレたのではないかと冷や汗を掻いた。だが、狼の獣人に姿を変えて髪や瞳などの色も違う彼を、アリーチェは同一人物だと思わなかったようだ。
「王宮でお会いしたフライユ伯爵に良く似ていますが……でも、種族が違いますし……」
とはいえ、アリーチェも不審には思っているようである。小柄でほっそりとした彼女は、頭一つ近く背が高いシノブを見上げながら小さな声で呟いている。
「それでは、お返しします。……失礼ですが、お嬢様を早く安全なところにお連れしたほうが良いのではないでしょうか?」
財布を返したし早く立ち去ろう。そう考えたシノブは、侍女に向き直って主を帰宅させるように促す。
「は、はい! お嬢様、さあ、馬車に戻りましょう!」
突然のことに動揺していたらしい侍女も、シノブの言葉で我に返ったようだ。彼女はアリーチェを馬車へと引っ張っていく。
「もう、そんなにしなくても……あの、ありがとうございました! お礼は……」
侍女に引きずられるように連れて行かれながらも、アリーチェはシノブへと礼の言葉を伝えようとしていた。
「いえ、礼などいいですから! 気をつけてお帰りください!」
これ以上一緒にいて何かの拍子にバレても困る。そう思ったシノブはアリーチェに笑顔を見せると、足早に立ち去った。
「ふう……まさかこんなところで会うとはね。……ロッテ、アニー、ここには居づらいからブランザ商会に急ごう」
シノブがアリーチェと話しているうちに、アミィとシャルロットが兵士を呼んで男達を捕縛させたようである。そのため、シノブはこの場から早く移動しようと二人に声をかけた。
あっという間に掏摸達を捕らえた三人に、周囲が驚嘆の視線を向けていたからだ。
「ええ、そうしましょう。兵士達には伯爵家の身分証を見せましたから、ここを離れても問題ありません」
シャルロットも苦笑しながらシノブに頷いた。ベルレアン伯爵が用意してくれた身分証が思わぬところで役に立ったようである。
掏摸達は現行犯であり目撃者も多い。それに、三人がベルレアン伯爵の家臣であると知った兵士達は、その行動を妨げるようなことは控えたようだ。
「それじゃ、ブランザ商会に行きましょう!」
アミィの声に、シノブ達は急ぎ足でその場を立ち去った。
◆ ◆ ◆ ◆
「沢山買えたね。これで暫くは大丈夫かな」
シノブ達は、南区の公園で一息ついていた。
ブランザ商会では、残りが少なくなったものを中心に、大量の海産物を入手した。もちろん山のように積まれた樽をそのまま持ち帰るわけにはいかない。かといって、魔法のカバンに収納したら正体を悟られるかもしれない。そこで、購入した品々は伯爵家の別邸に送るよう手配していた。
「ええ、他の方々も召し上がるので、思ったより減りましたからね」
シノブと並んでベンチに座っているアミィも、彼の言葉に相槌を打つ。当初は和食風の料理はシノブとアミィしか食べないかと思っていた。だが、イヴァールを始め興味を示した者は多かった。そのため、米や魚介類の消費も予想より多かったのだ。
「シーノに自由な時間があれば、直接南方に行って買い付け出来るのですが……すみません」
公園の中央で楽しげに踊る人達に視線を向けていたシャルロットだが、シノブの言葉に申し訳なさそうな表情で謝った。
王都メリエから南方の港町までは250km以上はある。だが、身体強化能力を持つ軍馬で急げば三日もあれば往復できる。したがって、時間さえあればシノブやアミィが港町を訪れることは不可能ではなかった。
「いずれガルゴン王国やカンビーニ王国には行ってみようと思っているから。それに、一旦は領地に行ってみないと落ち着かないよ。だから気にしないで」
シノブは、アミィの反対側に座るシャルロットを安心させるように笑いかけた。
王都への滞在は数日間である。その間に海まで往復することは不可能ではない。しかし、いくら魚が好きでも、結婚式直前の婚約者を置いていくのは問題であろう。
「そうですね。あちらはどんな様子なのでしょうか……」
シャルロットは、フライユ伯爵領について考えをめぐらせたらしい。彼女は、晴れ渡った冬空を見つめながら、呟いた。
「義伯父上が上手くやっているよ。そういえば、これも義伯父上の差し金なんだろうね」
シノブもシャルロットと同じく空を見上げながら苦笑した。アシャール公爵は別れ際に『君が戻ってくるときまでに、この領地を綺麗にしておくよ』と言っていた。
彼は、戦の報告以外にも国王に意見書を送ったらしい。国王達は明言しなかったが、シノブの襲爵やミュリエルとの婚約も、アシャール公爵の意見を受けてのことなのだろう。
「シーノお兄さま、ロッテお姉さま。今はお仕事のことは忘れましょう。
そんなことより、あちらで踊ってきたら楽しいと思いますよ。さあ、行きましょう!」
アミィは立ち上がると、踊りの輪に加わろうと、シノブとシャルロットの手を引っ張った。
公園の中央では、大勢の男女が組になって踊っている。笛や太鼓、バイオリンのような弦楽器などの軽快な調べに乗って、彼らは楽しげに舞っていた。
「ああ! ロッテ、行こう!」
シノブは、シャルロットの腕を引いて駆け出した。そして、彼らは、踊りの輪の中に入っていく。
そこでは、十数組の若い男女が互いの手を取って楽しそうに踊っていた。輪の外では、演奏する楽師達の他にも、踊る男女に倍する観客が、手拍子を打って陽気な声を上げている。
シノブ達のように飛び入り参加をする者も珍しくないようで、彼らはすんなり舞い踊る男女に加わっていった。
「おっ! 従者さん、上手だねぇ! それに娘さんも美人だ!」
「アンタ、踊りと美人は関係ないだろ! でも、本当にお綺麗だこと……」
シノブ以外にも貴族の従者と侍女らしきカップルが踊っていたこともあり、護衛の従者のような格好をしたシノブにも驚かれることはなかった。だが、彼らの舞いとシャルロットの美貌に、観客達は魅せられたようである。
踊りは、舞踏会で踊った宮廷舞踏とも似たものであった。とはいえ、別に全員が同じように踊っているわけではなく、それぞれ好きなように身を寄せ合い、その場で思い思いにステップを踏んだりターンしたりしている。
シノブとシャルロットは、セレスティーヌの成人式典に向けて練習したダンスを基本に、彼らの邪魔にならないように派手な動きは避けて踊っていた。だが、双方とも卓越した身体能力の持ち主であり、式典に向けて何度も練習を繰り返した息の合ったパートナーである。
それに軽やかなステップと共に翻るシャルロットの真っ赤な衣装は、祭りの賑やかな伴奏に良く似合っている。白いシノブの服と赤いシャルロットの真新しい晴れ姿は、新年を祝う弾むような楽曲のために誂えたかのようだ。
新たな年の喜びに相応しい華麗かつ幸せに溢れた姿、しかも王宮の舞踏会でも見ないほどの踊り手達だ。いつしか周囲で踊っていた男女すら、彼らに場所を譲って羨望の眼差しで眺めていた。
「お二人さん、せっかく場所が空いたんだ! 好きなように踊ってくれよ!」
「そうだよ! シノブ様やシャルロット様とまでは言わないけど、もっと踊れるんだろ!」
シノブとシャルロットは、周囲の声に思わず顔を見合わせた。どうやら、王宮でのシノブとシャルロットのダンスは、王都の人々の間にも伝わっているようである。従者や侍女達からでも広まったのであろうか。
「シーノお兄さま、ロッテお姉さま! 頑張って!」
観客と一緒にシノブ達を見守っていたアミィが、二人に声をかける。満面の笑みを浮かべた彼女も、観客同様に期待しているようである。
「それじゃ、ロッテ」
「ええ、シーノ」
二人は、空いた場所を使って、躍動的な舞いを披露し始める。流石に、身体強化を使った派手な動きをするようなことはない。舞踏会のような宙高くに飛翔するリフトや目まぐるしいスピンを見せては、大騒ぎになるだろう。
だが、彼らの息の合った舞踏は、それでも観客を魅了するのに充分であったようだ。それまで周囲で踊っていた男女も含め、熱狂した一同が手拍子や歓声で二人の踊りを盛り上げていく。
「シノブ、ありがとうございます」
騒音の中であるため安心したのか、シャルロットはシノブにしか聞こえないくらいの小声で彼の本当の名を呟いた。
「感謝するなら義父上にしたほうがいいよ。お膳立てしてくれたのは義父上なんだから」
シノブは、シャルロットに囁き返す。彼が言うように、今日のデートはベルレアン伯爵の気遣いによるものだ。
「いえ、私とミュリエルの双方を婚約者としてくれたことです。あの子の将来が閉ざされてしまったら……私一人が幸せになるわけにはいきませんから」
二人は、高い身体能力の持ち主である。それ故、少々激しいダンスの途中であろうが、シャルロットは息を切らした様子も見せずに言葉を続けていた。
「私は、とても幸せです。こんな楽しい時間を過ごせるとは、思っていませんでした。……武術と伯爵家、この二つしか頭にありませんでしたから」
シャルロットは、シノブの手に引き寄せられながら、更に言葉を続ける。
「君を幸せに出来たのなら、俺も嬉しいよ」
シノブは、触れ合わんばかりに接近したシャルロットに優しく語りかける。シャルロットに何か伝えたいことがあると察した彼は、大きな動きを控え、手元に抱きかかえるようにして続きを待つ。
「だから、明日はミュリエルにも、その幸せを分け与えていただけませんか? ……あの子も、貴方の婚約者なのですから」
「そうか……そうだね」
シャルロットの言葉に、シノブは頷いた。確かに、二人を支えると誓った以上、分け隔てなく接するべきだろう。シノブは、シャルロットの妹を思う心に、思わず笑みを漏らした。
「それじゃ、明日はミュリエルに王都の街を楽しんでもらうよ。でも、今日は君だよ!」
シノブは、再び華やかで激しい動きへとシャルロットを誘った。伝えるべきことを伝えたシャルロットも、輝かんばかりの笑顔でそれに追従する。
二人の幸せそうな踊りに周囲の人々の手拍子や歓声も一段と大きくなる。彼らは、陶然とした面持ちでシノブとシャルロットを夢中になって見つめていた。
そんな、どこか夢幻のような空間の中で、二人は互いの心を確かめ合うかのように、いつまでも踊り続けていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年2月8日17時の更新となります。
本作の設定資料に王都を散策した時のイメージを掲載しました。
画像は「ちびメーカー」で組み合わせ可能な素材で作成しているため、本編とは異なります。なるべく作者のイメージに近づけてはいますが「だいたいこんな感じ」とお考え下さい。
読者様の登場人物に対する印象が損なわれる可能性もありますので、閲覧時はその点ご留意ください。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。
なお「ちびメーカー」についてはMie様の小説「そだ☆シス」にて知りました。
ご存知の方も多いかと思いますが「そだ☆シス」は「小説家になろう」にて連載中です。
楽しいツールを知るきっかけを与えてくれ、二番煎じを快く許可してくださったMie様に感謝の意を捧げます。




