09.07 狼になります 前編
ホリィを仲間に加えたシノブ達は、結婚式やフライユ伯爵領への移動に向けての準備を始めた。
シャルロットや侍女のアンナ達は、当然結婚式に向けて忙しい日々を送っている。幸い、ベルレアン伯爵の第二夫人ブリジットがいるので、式の段取りの教授や結婚指輪など必要な物の手配は彼女を中心に行われている。
アミィやミュリエルを交えて、彼女達は楽しそうに準備を進めていた。
金鵄族のホリィは、外面的には伯爵が手配したシノブへの贈り物ということにした。従者であるアルノー達には、いずれ機会を見てシノブの秘密と共に伝えるつもりだが、それまでは非常に賢く珍しい青色の鷹である、ということで押し切ることにしている。
もっとも、家臣達にシノブの秘密を教えたとしても、外部にはそれで通すことになるだろうが。
実は、シメオン達にシノブの秘密を教えた後、あらためて魔法のカバンを調べてみると、ホリィのために幾つかの道具が追加されていた。
まず、足環。これは通信筒などを取り付けることができるようになっている。それに、幻影の魔道具でもあり、通常の茶色い鷹に見せかけることもできる。アミィが以前ラシュレー中隊長に渡した狼の獣人に姿を変えるための付け耳や付け尻尾のような魔道具だといえる。ホリィ自身が眷属であり大きな魔力を持つため、起きている間は効果が継続するという。
次に、通信筒。魔法のカバンに入っていた幾つかの小さな筒は、足環に取り付けて使う物のようである。さらに、それ自体が魔道具であり、シノブ達が呼び寄せることも可能であった。
戦争中、シノブ達は魔道具の受け渡しを合図にして魔法の家の転移を行っていた。多分、それを見かねたアムテリアが連絡用の魔道具を用意したのだろう。
なお、鷹匠が着けるような肘まである皮製の手袋もあった。これは魔道具ではないが、ホリィの鋭い爪でも傷つかない手袋が、各サイズ用意されていた。
これらのアムテリアから授けられた道具に喜んだホリィは、早速足環を着けた。それ以来ホリィは、日中は茶色の鷹となって伯爵家の別邸の庭で自由にしている。
一方、楽しげな彼女達……ホリィは雌の鷹である……と対照的に、面倒な仕事を一手に引き受けて忙しそうに飛び回っているのがシメオンである。彼はシノブの家臣であるアルノー・ラヴランやジュスト・ラブラシュリも連れて、王都の監察官と共にフライユ伯爵家の別邸にいる家臣達の取り調べを行っていた。
元々別邸の使用人の多くは、アドリアンの事件で衰弱死していた。そして、数少ない生存者からも上級の家臣を中心に数名が捕縛された。更に、凶事が続く家中から逃れようと思ったのか、退職を願い出る者まで出る始末であった。
だがシメオンは、帝国の手先がそれに乗じて逃げ出すことを恐れたためか、退職希望者まで含め、厳重に調べているようである。
そして、彼は取り調べの合間にベルレアン伯爵と共に国王や六侯爵の元にも出向き、新たなフライユ伯爵となるシノブに有利な措置が講じられるように交渉していた。
シノブの褒章という名目で王宮から開発資金を得ることに成功した。だが、シメオンはそれだけでは満足していなかった。
内務次官としてベルレアン伯爵領を支えていた彼は、その本領を発揮するがごとく王宮に高圧的ともいえる要求書を出していた。
フライユ伯爵領の産物に対する通関時の優遇。王都での知識習得に関する補助や技術供与での特例措置。シノブが東方守護将軍であることを理由に武具や兵器に関する優先的な提供や割引。戦地からの伝令を理由にした街道の優先使用権。要求書に挙げた項目は、多岐に渡っていた。
シメオンには、シノブにフライユ伯爵領を押し付けたともいえる王宮側が、今なら大抵の件を飲むだろう、という計算もあったようだ。そして、そんな彼の読みは正しかったようで、要求した事項は殆どが承認されていた。
これらは正式には、シノブがフライユ伯爵領に到着し、暫定統治者であるアシャール公爵から統治権を引き継いだときに有効となる。だが、王宮側も前倒しして準備を始めているという。やはり、フライユ伯爵領を早期に安定させたいのだろうし、シノブが現地に着いたときの手土産としたいようだ。
さて、肝心のシノブであるが、彼自身は暇であった。シメオンは新年祝賀の儀の翌日、1月2日から行動を開始しているし、女性達も1月7日に行われる結婚式の準備に忙しい。
しかし、シノブ自身は結婚式の段取りについてベルレアン伯爵から説明を受けた程度で、特にすることはなかった。
流石に、結婚指輪はシャルロットと二人で選んだ。それが、結婚を前にしたカップルらしい唯一の出来事だったといえる。
ブリジットが王都有数の宝飾店に声をかけ、別邸へと招いた店主や職人達。彼らが並べる光り輝く品々から、二人はとある指輪を選び出した。
青みがかった大きなダイヤモンドを中心に、台座や指輪自体を小さなダイヤモンドが取り巻くその品は、伯爵家の当主と妻に相応しい逸品であった。
実は、ベルレアン伯爵家を象徴する色は青であり、それもシャルロットが選んだ理由の一つのようだ。ちなみに、フライユ伯爵家を示す色は黒である。こういう場合、新婦の好みが優先されるのだろうが、それを別としても結婚指輪に相応しい色ではないだろう。
なお、地球と違い、結婚指輪は常時身に着けるものではないという。その武力で領地を守る貴族だから、剣や槍を握るのに邪魔な指輪を普段は付けない、ということらしい。
それはともかく、地球の結婚式と違って式場の選定をする必要はないし、親族や知人の誰を呼ぶか悩む必要もない。式は聖地サン・ラシェーヌの大聖堂で大神官自らが取り仕切ることとなっているし、列席するのはベルレアン伯爵家や王族、それに上級貴族達と決まっていた。
ちなみに、式への出席を希望する貴族は多かったが、あまりに多いため伯爵以上の当主とその妻子のみ、ということに国王が決めていた。それでもベルレアン伯爵家を除いても70人近い列席者だという。これは、新年祝賀の儀の直後であり、上級貴族が王都に勢ぞろいしていたからであった。
いずれにしろ、日本での結婚式の段取りをしたこともない18歳のシノブだ。彼が、この世界の結婚式、しかも国王が列席する式に口を出すことなど出来るわけがない。シノブは、シメオンから「体調管理だけ留意してください」と言われたとおり、健康維持だけを心がけていた。
もっとも、アムテリアの強い加護を授かっているせいか、彼はこの世界に来てから不調を感じたことなどないのであるが。
そして、ホリィが来てから二日経った日の朝、シノブはベルレアン伯爵から、ある提案を受けた。
◆ ◆ ◆ ◆
「王都を散策……ですか?」
シノブは、別邸のサロンで聞いたベルレアン伯爵の言葉に、思わず首を傾げていた。
「ああ、そうだよ。シャルロットも準備は一段落したようだ。流石に二日間、女性陣総出で大騒ぎしていたからね……おっと、これは内緒だよ。
で、式の前日、6日の夕方には聖地に入るし、8日には王都を出てセリュジエールに旅立つ。自由に出来るのは、今日と明日くらいさ。幸い、今日は天気も良いし、シャルロットと街を散策してきたらどうかね?」
伯爵は、シノブに悪戯っぽく微笑みながら重ねて外出を勧めた。
新年明けて四日。このところ好天が続き、王都メリエは少々寒いが概ね快適な毎日であった。ただし、シノブは別邸から殆ど出ていないため、せいぜい庭で訓練をするときしかそれを堪能していない。
「ですが……王宮に行くと騒ぎになると言ったのは義父上ですよ。街に出ても、同じでは?」
シノブが別邸から外出しないのは、新年祝賀の儀の午餐会や晩餐会で、彼の知遇を得ようと殺到する貴族達があまりに多かったためである。幸い、結婚式を目前にしていたため、それを理由に国王との密談などを除いて彼本人は王宮に行かずに済ませていた。
そして新年のパレードに参加したため、彼の顔が売れている可能性もある。シノブは街に出たら人が殺到するのではないかと思ったのだ。
「ほら、アミィがジェレミーに使った、狼の獣人に姿を変える道具があるだろう。あれを使えば、シノブ達と知られずに外に出られるんじゃないかな?」
ジェレミーとは、ラシュレー中隊長のことだ。ベルレアン伯爵は、アミィが以前彼に与えた狼の獣人に見せかけるための付け耳や付け尻尾を使えば良いとシノブに言う。
「確かに、可能ですね……でも、どうしてですか?」
シノブが今まで見てきた範囲では、この世界の貴族には庶民の街を散策するという習慣はないようである。支配階級である彼らが街に出れば、大騒ぎになる。そのためだろう。
シノブがシャルロットと出歩いたのも、ドワーフ達の国、ヴォーリ連合国のセランネ村と、ここ王都メリエでイヴァールの戦斧を修理するためにボドワン商会へ行ったときくらいである。
そのボドワン商会も伯爵家出入りの大商会である。そして、その後紹介されて行ったブランザ商会も、同様の格式ある老舗だという。それに、当時シノブの存在はほとんど知られていなかった。
「故郷では、そうやって恋人達は過ごすのだろう?
私達の流儀に合わせてもらうだけじゃなく、少しはシノブの流儀に合わせるべきかと思ったのさ。
それに、別人に成りすませば、問題もないからね」
ベルレアン伯爵は、相変わらず優しく微笑みながら、シノブへと自身の考えを披露する。
シノブは伯爵やシャルロットには、故郷である日本の風習や生活様式をある程度伝えている。そして伯爵は、シノブに聞いた話を元に、彼が楽しめる一時とはどのようなものか思案していたようだ。
「……ありがとうございます」
シノブは義父となる伯爵の気遣いに深く感動していた。
おそらく伯爵は、激変するシノブの環境を案じていたのだろう。フライユ伯爵領についたらどのように治めていくかと悩むシノブの様子を見て、気晴らしをすべきだと思ったのではないだろうか。
「アミィに頼んだら、もう一つ用意してくれたよ。彼女が側にいないとシャルロットは姿を変え続けられないようだから、二人きりではないけどね」
ベルレアン伯爵は、既にアミィとも相談済みだった。彼はシノブの肩に手をやりながら、今日は三人で王都を楽しんでくるようにと、続けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうですか? おかしくないですか?」
鏡に映った自分を暫く眺めた後、シャルロットはシノブ達へと振り向いた。彼女は、はにかんではいるが、どこか楽しげな顔をしている。
「ああ、おかしくなんかないよ。それに、狼の獣人になってもシャルロットは美人だね」
シノブは自分を見つめるシャルロットに、満面の笑みを向けた。
アミィの幻影魔術により、シャルロットは狼の獣人へと姿を変えていた。アミィが作った付け耳や付け尻尾は、そのままではただの仮装にすぎない。しかし魔術により本物の獣人同様となったそれは、動作や感情に合わせて動きさえするのだ。
なお、シャルロットの顔は基本的には変化していない。しかし狼の獣人に多い茶色の髪に黒い瞳となっているため、印象はだいぶ変わっている。それに髪や瞳と合わせて、肌の色も少々濃くなっていた。
「アミィさん、凄いです! これならシャルロットお姉さまとは気がつきませんね!」
シノブの隣にいるミュリエルも、興奮したような面持ちでアミィを褒め称える。確かに彼女の賞賛も当然であろう。
本来のシャルロットは、プラチナブロンドに青い瞳、そして透けるような薄い色の肌である。そのため、茶色の髪や黒い瞳になるだけでも随分違って見える。また、緩やかにウェーブを描く髪も、侍女らしくスッキリしたストレートに変えている。
その上、幻影魔術による狼耳や尻尾は本物そっくりの質感を持っていた。元々耳があったところにはその存在を示すものは何もないし、側頭部は本当の獣人と同様に自然に髪で覆われている。それ故、顔自体が同じでもシャルロットだと思う者はいないだろう。
そもそも、アミィのような幻影魔術の使い手はこの国にはいないという。したがって、仮に髪や瞳、肌の色が同じでも、種族が違えば別人だと認識されるはずだ。
「服は、なんとかなりましたか……よかったです」
アンナが、安心したような声を漏らす。変装しても貴族らしい服装をしていては注目の的である。そこで、シャルロットは侍女服を身に纏っていた。
シノブの侍女はアンナ、リゼット、ソニアの三人である。三人とも小柄であるため、女性としては背が高めのシャルロットに合わせて、体型の似た侍女から服を借りてきたのだ。
「靴がちょっと上品すぎますけど、仕方ないですね」
リゼットは少々残念そうである。服は多少大きくても絞ればなんとかなるが、靴は合わないものだと困る。そのため、こればかりは彼女が普段履いているものにしていた。
装飾が少なく、なるべく質素に見えるパンプス風の黒い靴を選んだが、それでも貴族の令嬢が履く靴だ。シャルロットにとっては普段履きではある。だが、アンナ達も着ている薄青の侍女服には、少々不釣合いなのは確かだった。
「でも、落ち着いたデザインですから、それほどおかしくはないと思います。新年のお祭りに、新しい靴を奮発した侍女という感じでは?」
猫の獣人ソニアは、尻尾を僅かに揺らしながら、同僚のリゼットに答える。
ソニアが言うとおり、シャルロットが履いているシンプルな靴は、品質が良すぎることを除けば別に変ではない。シャルロットが実用的な品を好む性格で、助かったというべきか。
「シノブ様も、僕らと同じですね。人族だなんて、信じられません」
女性達の会話には入っていけないらしい従者見習いのパトリックは、シノブを眺めていた。
彼が言うように、シノブも狼の獣人に姿を変えている。シャルロットと同様に、シノブも茶色の髪に黒い瞳だ。肌の色も、普段より少々濃い目、おおよそ日本人と同じくらいになっている。こちらも、普段の金髪碧眼で色の薄い肌をしたシノブとは大違いである。
アンナの弟であるパトリックは、姉と同じく狼の獣人である。自分と同じ種族だから、なおさらその自然な様子に驚いたようだ。
「その白い服も普段着ていませんから、シノブ様とは気がつかないでしょうね」
もう一人の従者見習いレナンも、感嘆したような声を上げた。
彼が言うように、王都に来てからのシノブは軍服か貴族の礼服を身に着けている。そこで、久々にアムテリアから授かった白い軍服風の衣装を着てみたのだ。
「ふむ。貴族の家臣と侍女、という感じだね。お似合いじゃないか。……アミィはどちらかの妹、というところかな?」
ベルレアン伯爵は、楽しげな表情でシノブ達を眺めている。
「はい、ベルレアン伯爵家の家臣シーノの妹アニーです! 兄の婚約者ロッテさんと一緒に、王都の見物に出かけてきます!」
こちらも狼の獣人となったアミィが、元気よく答える。
狐の獣人である彼女には、付け耳や付け尻尾は必要ない。したがって彼女は自身の幻影魔術だけで姿を変えていた。色合いを狼の獣人に多いものに変化させ、耳や尻尾の形状を多少変えただけだから、彼女にとっては造作もないことのようだ。
ちなみに、アミィは普段の侍女服に似たエプロンドレスである。元との変化が少ないが、狐の獣人と狼の獣人という種族の違いに加え、髪や瞳の色も違うから同一人物だとは思えない。
「ははっ! なるほど、そういう配役か。それでは一日楽しんできなさい」
ついに伯爵は声を立てて笑い始めた。どうやら三人の浮き立つような気持ちが、彼にも乗り移ったようである。
喜びを顕わにする伯爵の横では、イヴァールやジェルヴェもシノブ達を優しく見守っている。もちろん従者や侍女達も同様だ。
「はい! それじゃロッテ、アニー。王都見物へと行こうか!」
「ええ!」
シノブが差し出した腕に、シャルロットは自身の腕を絡ませる。寄り添う二人の側には、嬉しげなアミィの姿もある。
そして仮初めの姿を得た三人は、膨らむ期待を表すかのように狼耳をピンと立てて尻尾を大きく揺らしながら、室外へと歩み出ていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年2月4日17時の更新となります。
本作の設定資料にベルレアン伯爵家と王家の家系図を追加しました。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。