09.06 長き夜の遠の眠りの 後編
「アミィ……今更だけどウェディングドレスのこと、どう言おうか? もう義父上やシャルロット以外にも、本当のことを言うしかないと思うけど」
王都メリエのベルレアン伯爵の別邸。その一室で、シノブはアミィへと問いかける。
アミィは新たに仲間となった青い鷹、金鵄族のホリィと仲良さそうに話していた。しかし彼女は、シノブの言葉に振り返る。
「そうですね~。ホリィのこともありますし、ドレスだってシャルロット様にピッタリのサイズですからね~。それに魔道具も……」
アミィは思案げに小首を傾げた。やはり彼女もシノブと同様に、何らかの説明が必要だと思ってはいたようだ。
シノブはアムテリアに頼み、シャルロットのウェディングドレスを用意してもらった。折角の結婚式なのに、祖母のお下がりというのは可哀想に思ったからだ。そしてシノブからの初めての頼みに喜んだアムテリアは、早速シャルロットのためのウェディングドレスを授けてくれた。
神々しい輝きを放つウェディングドレスは、シノブにとって非常に嬉しい贈り物である。とはいえ、いつ、どうやって準備したのか、疑問に思う者もいるだろう。
仮にドレスを魔道具として誤魔化しても、ホリィはどうだろうか。
ホリィの外見は全長60cmくらいの青い鷹で、色以外に不自然なところはない。しかし彼女はアムテリアの眷属で、心の声を用いてシノブ達と会話も出来る。
魔術を使い人語を解する鷹が仲間に加わったら、誰しも不審に思うに違いない。
それにアムテリアは、地脈を調査したり植物の成長を助けたりできる魔道具を授けてくれた。富士山をデフォルメした模型、お盆くらいのサイズのそれは、どう考えても普通の魔道具とは思えない。
今回授かったもので誤魔化せそうなのは、せいぜい茄子くらいである。
「……やっぱり、本当のことを言うしかないかもしれませんね。ミュリエル様はシノブ様の婚約者となったわけですし、シメオンさんやイヴァールさん達だって、信頼できると思います。
まずは、伯爵とシャルロット様に相談してみてはいかがでしょう?」
暫し思いに耽っていたアミィは、シノブに顔を向けなおすと、彼の意見に賛成した。
「ああ、そうするよ。
とりあえず、イヴァールやシメオン、竜の棲家に行った仲間達と、ミュリエル達、伯爵家の人には打ち明けようと思うんだ。
アルノー達はまだ家臣になって一月くらいだし、もう少し様子を見ようと思う」
「ええ、そのほうが良いと思います。アルノーさん達にはフライユ伯爵領に行ってから時機を見て話しても良いんじゃないでしょうか?」
アミィも、竜の秘密を知っても守り通しているイヴァール達の口の固さは信用しているようだ。しかし、アルノー達に関してはもう少々見極めたいようである。
「俺もそう思う。それじゃ、義父上のところに行こうか」
「いえ、お二人をお呼びします。ホリィもいますし、この部屋でご説明したほうが良いでしょう」
シノブは、伯爵のところに行こうと思った。だが、アミィはシノブに割り当てられたこの居室に連れてくるつもりのようだ。彼女の言うとおり、伯爵の別邸の中といえど、シノブが今まで見たこともない鷹など連れていたら不審に思われるかもしれない。
「わかった。じゃあ、頼むよ」
「はい! それじゃ、ホリィと待っていてくださいね」
シノブの言葉にアミィは笑顔で頷き、居室から出て行った。シノブは、ホリィと共にその姿を見送っている。
──シノブ様、ご迷惑をおかけします──
青い鷹ホリィは、心の声でシノブへとすまなげな思念を送る。彼女は外見こそ鷹であるが、神の眷属である。そしてアムテリアが、アミィ同様に心の声も授けてくれたという。そのため、シノブ達とも会話ができるのだ。
「いや、どっちにしても、これからミュリエルとは一緒に暮らすわけだし、シメオンやイヴァール達とも相談すべきことが沢山あるんだ。ちょうど良い機会だったよ」
シノブは鎧掛けに止まるホリィへと笑いかける。
フライユ伯爵領を立て直すには、シノブも今まで以上に頑張る必要がある。魔道具や、地球の知識だって使うだろう。それに、アムテリアに問うた『排斥された神』のこともある。そんな相手と対決するかもしれないのだ。シノブと共にいる以上、彼らが巻き込まれる可能性は高い。
──ありがとうございます。これからよろしくお願いします──
「こちらこそ。ホリィには、色々頼みたいことがあるんだ。ベルレアンとフライユの連絡とか、国境の警戒とかね。俺達が足を運べないところも、ホリィがいれば……」
シノブは、ホリィの頭を撫でながら今後の構想を彼女に語っていた。新たな仲間と魔道具。それらを活かした明るい未来図を語りながら、シノブは伯爵やシャルロットの到着を待っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふむ。確かに、シノブやアミィが信頼できる者には打ち明けたほうが良いだろうね。ウェディングドレスについては、私がこの日のために用意していた、ということにすれば説明できなくもない。
だが、ホリィ殿……については不自然だろうね。魔道具は、必要ないから出さなかった、と言えば納得するかもしれないが……」
伯爵の言葉を聞いたホリィはピィピィと鳴き声を上げた。
──シノブ様、伯爵に『殿』は不要とお伝えください。シノブ様やアミィが敬称なしなのですから──
「義父上、ホリィが呼び捨てで構わないと言っています」
シノブは、ホリィから聞いたことを、ベルレアン伯爵へと伝える。
「そ、そうかね……」
流石の伯爵も、鳥と話すという体験には、驚いているようである。
「……シノブ、ありがとうございます」
シャルロットが、シノブや伯爵へと振り向き、感極まったような声で喜びを表した。彼女とアミィは、ウェディングドレスを手にとって眺めていたのだ。
「喜んでもらって嬉しいよ。お婆様のドレスを着たかったのかも、とか思ったんだけど……」
シノブは、照れて頭を掻きながら自身の婚約者へと安堵したような表情を見せる。シャルロットに断りなくドレスを用意したことを、彼は少し後悔していたのだ。
「貴方が用意してくださったのです、嬉しくないはずがありません。それに大神アムテリア様がご用意くださったドレスを着ることが出来るなんて……考えてもみませんでした」
嬉しさのあまりだろう、シャルロットは湖水のように深く青い瞳から一滴の涙を零す。
「シャルロット様……」
そんな彼女の頬を、アミィがハンカチで拭っている。どうやら、ドレスに涙が落ちないかと気になったようだ。
「そうか……なら良かった」
シノブも、彼女が気を悪くしていないと知って、明るい笑顔を返す。
「……それでシノブ、誰に伝えるのかね?」
彼らの様子を優しく見守っていたベルレアン伯爵だが、問題がまだ片付いていないことに気がついたようだ。朝食までは時間もない。今日のシノブとアミィは新年二日目の特別な儀式がある、という名目で居間に残っている。そして、普段なら朝の訓練をそろそろ終えるころである。
「そうですね。フライユ伯爵領に行く、ミュリエルやシメオン、イヴァール、それにアリエルやミレーユには伝えようと思います。ミュリエルは私の婚約者になりましたし、シメオン達は竜の棲家にも一緒に行った仲ですから。彼らなら、秘密を守れると思います。
あとは、ブリジット様にも。先代様やカトリーヌ様も、セリュジエールに戻ったらお伝えしようと思っています。家族には隠し事をしたくありません。それに、私が帝国やその背後にいる神と戦うことになったら御迷惑がかかる恐れもあります」
シノブは、新たな地で彼やシャルロットの腹心となる人物や、家族となる人々の名を挙げた。領内改革に、アムテリアが授けた魔道具を活用する以上、いつまでも誤魔化すことはできないだろう。それに、シノブが持つ現代日本の知識も披露すればするほど、その高度さを不思議に思うはずだ。
そして、帝国との戦いは、すぐに始まるとは思えないが、いつどんな形で相手が攻めてくるかもわからない。それなら、隠し事をしておくよりは打ち明けるべきことを打ち明け、具体的な注意を促しておくべきだ。シノブは、そんな考えの下に素性を明かす相手を選んでいた。
「ふむ……ジェルヴェはどうするかね? 彼も信用できると思うが。実はね、ジェルヴェは君の家令になりたいと言っているんだ」
ベルレアン伯爵は、自身の家令ジェルヴェの名前を挙げると、シノブの言葉を待った。
「それは、ジェルヴェさんに来てもらえば嬉しいですが……。
でも、ベルレアン伯爵家はどうするのですか?」
シノブも、彼には打ち明けても良いのでは、と悩んでいた。しかし、ベルレアン伯爵家に残るなら必要に応じて伯爵からでも伝えてもらえば、と思っていたのだ。
「ああ、跡取りのフェルナンに任せるそうだよ。彼も30前だしね。
……ミシェルもね、ミュリエルについて行きたいと言っているんだよ。まあ、私としてもミュリエルの遊び相手が行ってくれるのは嬉しいのだがね。だから、ジェルヴェも連れて行ってくれないかね」
シノブの疑問に、伯爵はジェルヴェの息子フェルナンの名前を挙げた。そして、フェルナンの娘でミュリエルの遊び相手であるミシェルまでフライユ伯爵領行きを希望しているとシノブに教える。
「わかりました。義父上、ありがとうございます。それならジェルヴェさんにも真実をお伝えしましょう」
シノブは、義父となる伯爵の気遣いを、ありがたく受け入れることにした。実は、フライユ伯爵家の家令は、主と共に自決している。どうやら、主の側近としてその裏面にも深く関わっていたようだ。
そのため、シノブがフライユ伯爵領に行っても、家令に相応しい人物を見つけるところから始めるしかなかったのだ。将来は彼の領地から見つけるにしろ、それまでどうするか頭が痛い問題だったため、彼は思わず笑みを浮かべていた。
「そうか、ならこの部屋に皆を呼ぼう」
「はい、それでは私が!」
伯爵の言葉に、アミィはドレスを魔法のカバンに仕舞うと再度室外へと走り出す。
「アミィは元気がいいね……」
「はい。私は、彼女に助けられてばかりです」
アミィの背中を優しげに見守る伯爵に、シノブは静かに答えた。そして、シャルロットもその隣で頷いている。彼らは、既に閉まった扉の向こうにアミィの姿が見えるかのように、暫し同じ方向を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……今まで黙っていてすまなかった」
シノブは、自身の来歴やアミィの正体、そしてアムテリアとの関係などを集まった面々に説明し終えると、神妙な表情で頭を下げた。
異世界からアムテリアにより連れて来られた存在。彼らが崇める最高神が直接関わっているし、シノブはその血を強く受け継ぐという。そして、アミィやホリィは神の眷属である。当然、簡単に口にできることではない。とはいえ信頼する仲間や家族となる人々に黙っているのは、シノブには辛いことではあった。
そして一人物語ったシノブを中心に、彼の両脇に座るシャルロットとベルレアン伯爵、更にその脇に佇立するアミィは、静かに控えたままである。
「シノブ様、お顔を上げてください。お気持ちはわかりますが、当然のことです」
普段は平静な態度を崩さないシメオンも、どこか敬虔な口調でシノブへと語りかける。
シノブ達の対面には、彼の他に、ミュリエルとブリジットが座っているが、彼女達は驚きのあまり何と言って良いかわからないようである。
「そうです! シノブ様は聖人……いえ、それ以上の方じゃないですか!」
ミレーユも、蒼白な顔でシノブへと叫んだ。彼女とアリエル、そしてイヴァールにジェルヴェは向かい合うソファーから少し離れて控えていたが、全員跪いて騎士の礼をしていた。
「……皆、俺は、今までどおりの俺なんだ。だから普通にしてほしい」
シノブは、早まったかと後悔していた。思えばシャルロットもシノブの真実を知ったときに、かなり動揺していた。彼女は、シノブへの思い故に事実を受け入れることが出来たようである。そして、ベルレアン伯爵はその英明かつ広い心でシノブを我が子として遇していた。
だが、シメオンはともかく、イヴァール達は予想以上に大きな衝撃を受けたようだ。
「……わかりました。
元々、私は貴方がシャルロット様……そして伯爵家にとっての聖人、ミステル・ラマールだと思っていたのです。ですから、それが真実となっただけ。そうでしたね」
シメオンは、シノブに優しく微笑んでみせる。彼は、シノブの後悔や孤独感を察したのかもしれない。
「ありがとう。俺にはやらなくてはいけないことがある。まずはフライユ伯爵領を豊かにする。そして、いつになるかわからないが、帝国に潜む何かを突き止め、排除する。きっと、皆にも迷惑をかけると思う……」
シノブは、シメオンがいつもの態度に戻ったことにホッとしていた。だが、この先の困難についても触れていく。もしかすると、彼らの態度がまた変わるかもしれない、そんな怯えを僅かに感じながら、シノブは言葉を続けていた。
「シノブ! 俺はお主の何だ! 友だろう!
お主がたとえ神だろうが、俺にとっては一人の友、それだけだ!
……俺としたことがそんな事を忘れるとはな!」
イヴァールが、決然とした表情を見せながら立ち上がると、その太い声で叫んだ。そして、彼は己の髭に手を当てる。
「今、再び誓おう。お主の敵は俺の敵。アハマス族エルッキの息子イヴァールは、お主の友だ!」
イヴァールは、初めてシノブと出会ったときに見せた、ドワーフの誓いをしてみせる。そして、彼は明るい笑みを浮かべてシノブへと右手を上げてみせた。
「イヴァール殿の言うとおりですね。シノブ様は私にとっての新たな主君です」
ジェルヴェも、イヴァールに続いて立ち上がると、シノブへと会釈をしてみせる。そして、アリエルやミレーユも、彼に倣って立礼をする。三人の挙措はいつものような自然なものへと戻っている。
「……シノブお兄さまは、私の旦那様となる方なのですね?」
ミュリエルも、周囲の者達に勇気付けられたように、小さな声でシノブへと尋ねた。そして、そんな彼女を応援するかのように、ブリジットは優しくその肩を抱いている。
「ああ、そうさ。まだ領主として何もわかっていない、駆け出し以前の頼りない……ね」
シノブも、敢えておどけたような口調でミュリエルに返事をする。
「はい! 私もまだわかっていません! 一緒に勉強します!」
ミュリエルの明るい言葉に、一同は思わず顔を綻ばせた。
「シノブ、貴方の仲間はとても強いのです。竜と戦った勇者達なのですから。そして、ミュリエルやブリジット殿は、王国一の槍を自認するベルレアンの者です。何も心配することなどないのですよ」
シャルロットは、この結末がわかっていたかのように、穏やかな笑みをシノブへと向けていた。そして、その傍らには、アミィがシノブを祝福するような優しい表情で控えている。
「ああ、ジェルヴェだって、私やシャルロットを鍛えてくれたんだからね。いわば、我々の師匠の一人さ。ベルレアンの師というわけだね」
娘に続いて、ベルレアン伯爵もシノブを励ますかのように肩に手をかけて、力強い口調でジェルヴェを褒め称える。
「はい……俺は、良い仲間を持ちました」
大きな感動に揺れ動くシノブの口からは、それ以上の言葉が出ることはなかった。だが、その表情、そしてその態度が、彼の心境を何よりも雄弁に示している。
シノブは、自身を受け入れてくれた人々に囲まれ、魂が震えるような喜びを感じていた。そして、彼の周囲に集う者達も、深い共感を抱いているかのようである。シノブは、そんな温かい空気に包まれながら、彼らへと導いてくれたアムテリアに心の底からの感謝を捧げていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年2月2日17時の更新となります。