09.04 長き夜の遠の眠りの 前編
「シノブ。変わりがないようで安心しました」
シノブの前には、光に包まれた女神アムテリアの姿があった。
霧のようなものが漂う空間の中に、慈愛と神秘に満ちた麗姿が輝く薄布を纏って立っている。
「アムテリア様! ……お久しぶりです。戦は大変でしたが、なんとか乗り切りました」
シノブは、突然のアムテリアの来訪に僅かに驚いた。だが、アシャール公爵の館のときと同じく、夢への訪れだと察した彼は、すぐに落ち着きを取り戻して神気漂う女神へと頭を下げた。
前回と同様に、夢の中だというのに意識ははっきりしている。以前も感じたことだが、シノブは起きている時と同様に明瞭な思考や感覚を保ったままだ。
「ええ。貴方は懸命に努力しました。貴方の活躍で、この地の平和は守られたのです。本当に、感謝しています。
……アミィも、シノブを支えて頑張りましたね」
シノブに優しく微笑んだアムテリアは、光り輝く金髪を揺らめかせながら彼の隣に顔を向けた。シノブもそちらに目をやると、彼と同様にアミィが立っている。
「お言葉ありがとうございます!」
アムテリアの言葉に、アミィは恐縮したような口調で答えると、深々と頭を下げた。勢い良く頭を下げたため、頭上の狐耳が揺れ動く。そんな光景に、シノブは神を目の前にしているというのに思わず微笑んでしまった。
「アムテリア様、今日はどのようなご用件でしょうか? もしや、帝国の『排斥された神』についてご教示いただけるので?」
実は、シノブにはアムテリアが近々接触してくるのでは、という予感があった。前回の夢の訪れは、シノブがこの世界に来てから100日目を祝福する、というものであった。
そして、今日は1月1日から2日にかけての夜である。つまり、これは一般的に初夢と呼ばれるものではなかろうか。もちろん初夢の時期については諸説ある。そのため今晩かどうかはシノブには確信はなかった。
だが細かいことは別にして、初夢はアムテリアが降臨するのに相応しい出来事だろう。それ故、シノブは密かに期待していたのだ。
「ふふ……そんなに急がなくても良いでしょう?
それより、貴方とシャルロットの結婚、とても嬉しく思っています。本来ならもっと早く結ばれるべきでしたが……生憎の戦、私としても非常に残念でした」
アムテリアは、そのエメラルドのように輝く瞳に僅かな曇りをみせる。
そういえば彼女は、前回の夢や大聖堂での降臨でもシノブとシャルロットの仲を祝福していた。それどころか、早く子供が生まれてほしいような様子すら感じられた。
そんな彼女だから、シノブが戦争に赴きシャルロットとの結婚が遅れたことが不本意なのであろうか。シノブは『絆を育てる』という以前のアムテリアの言葉を思い出しながら、彼女の意図を考えていた。
「そう、深く考えなくても良いのですよ。貴方は私の血を濃く受け継ぐ存在。言ってみれば私の子供のようなものです。我が子が愛する人と結ばれるのを待ち望むのは、当然のことでしょう」
シノブの内心の疑問に、アムテリアは柔らかく微笑みながら答えを返す。彼女は、自身が言うとおりシノブの結婚を待ち望んでいるだけらしい。それを示すかのように、彼女の眼差しは慈しみに満ち、形の整った唇から紡ぎだされる言葉も、心からの期待に満ちていた。
「はあ……私としては、充分に早いと思いますが……」
相手の考えを見通すことが出来る女神に隠し事は出来ない。そのため、シノブは率直に自身の心のうちを伝えた。
「日本では、そうでしょうね。しかし、この世界は違います。そういった違いを乗り越えて生きるのは辛い時もあるでしょう。
ですが、貴方は変わらず前に進む努力をしています。私は、それをとても喜ばしく感じています」
アムテリアの言葉は、暗に戦場でのことなども示しているかのようである。戦争の無い時代から来たシノブが内心でどれだけ悩み傷ついているか、心中を察することが出来るアムテリアには手に取るようにわかるのだろう。
「……ありがとうございます」
そんな彼女の気遣いを察したシノブは、短く礼を言った。
相手が女神、それも自身の祖となる存在だといえど、愚痴や不満をいうつもりはない。彼も自身の力で生きていくと誓った一人前の男のつもりである。実際にはアミィに助けられ、アムテリアの加護があってのことだとはわかっている。だが、その気概だけは忘れたことはない。
それ故シノブは、アムテリアへの感謝の意だけを心に念じた。
「まあ……我が子が立派に育つのを見るのは嬉しいものですが、もう少し頼りにしてくれても良いのですよ。貴方の手助けをして、その結果世界に幸せが訪れるのは、私にとっても喜びに満ちたことなのですから」
アムテリアは、シノブの決意に嬉しいような少し寂しいような複雑な表情をした。
数々の神具を授けたのは彼女の親心故のようである。だが、それを使ってシノブ達が活躍する姿を見るのも、彼女にとっても非常に幸せなことのようだ。
「では、お言葉に甘えて……無粋な話題に戻って申し訳ありませんが『排斥された神』についてお教えいただけないでしょうか?」
シノブにとっても、慈母のようなアムテリアとの会話はとても楽しい。できれば、いつまでも彼女と話していたいくらいである。だが、一方で彼にはこの夢の訪れがいつまで継続するのかわかっていない。そこで、先に用件を済ませたいと思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「仕方ありませんね。では、楽しい話は後にしましょう。
ですが、あれについては私にもわからないことが多いのです。この世界……厳密には私が管轄する惑星とそれを含む太陽系ですが……そこに、何らかの干渉があるのは間違いないようです」
アムテリアは、魔力の存在するこの世界全体の神ではない。
世界……つまり宇宙全体を統べる神は、さらに上位の存在として別にいるようである。そして、彼女はシノブ達がいる惑星を含む太陽系を管轄しているという。
ただ、太陽系を管轄するといっても、生命が存在するのはシノブ達がいる惑星だけのようだ。したがって、太陽系全体については、太陽の状態や惑星の運行に問題が無い限り、手を出すことはないらしい。もちろん、外部からの侵入がないかは監視しているのだが。
「そちらでいうベーリンゲン帝国……貴方達のいる場所から東方に、私でも見通せない何かがあります。
それに東方の人族に、私や従属神との繋がりを拒む何かがあるようです」
そして、その監視が行き届かない場所が、ベーリンゲン帝国のようである。アムテリアは、東方の人族が自身や従属神の加護を受けていないようだと、シノブに語った。
「では、アムテリア様や従属神の方以外に、別の存在がいる、ということなのですか?」
シノブは、帝国の信ずる神が、彼女やその従属神ではないと知って安心していた。
奴隷を使い人の命を吸い上げるような魔道具を用いる帝国。彼らが信仰する存在とアムテリアは、どうしても結びつかなかったからだ。そしてその存在とは、どんなものなのだろうか、と訝しく思った。
「……はい。私達は、命を育て導く存在です。そして役目を終えたとき、その成果によって新たなる使命を授かります。
ですが、成果次第で役目も変わってきます。おそらく『排斥された神』というのは、新たな使命を得られなかった神や祖霊なのだと思います」
シノブの言葉と、内心の疑問を読み取ったアムテリアは、悲しげな顔で彼に答えていた。一族の祖霊、国の神、広い地域の神。そういった形で一定の功績を挙げた神霊が、惑星神のような上級神になるらしい。
逆に、相応しい成果がなければ降格や消滅もあるという。
「……アムテリア様のように、国を育てられなかった、ということですか?」
アミィが恐る恐る尋ねる。彼女がアムテリアに対して質問することは稀である。だが、シノブの先行きに関することだけに、聞かずにはいられなかったのかもしれない。
「必ずしも、国を育てる必要はないのですよ。世界に文化的な貢献をする、後の歴史を変える礎になる、などでも良いのです。それが、命を育て新たな段階へと至る何かであれば、高く評価されるのです。
ですが、歴史の中に、多くの神が消えていきました。信奉する民族ごと消滅したり、文化的に消え去ったり、多くの例があります。忘れ去られるだけなら良いのですが、神以外の存在に姿を変えたものもいます」
アムテリアは、更に悲しげな表情でシノブとアミィに説明をする。
神話では多くの神々が習合されたり、従属する存在へと姿を変えたりしている。戦争や文化的な侵略などで、勝者が弱者を吸収し従える。そんな地上の歴史に伴い、神の座を追われたものもいる。彼女が語るのは、そういった神々の歴史であるようだ。
「すると、どこにも所属していない神が、アムテリア様の管理する惑星に手出しをしていると?」
シノブは、住処がなくなった存在が、新たな居場所を求めて彷徨っているのか、と想像した。神々が命を育て導く存在だとすると、育てるべき存在を奪われた神が代わりとなる何かを欲するのは、ありそうな気がしたのだ。
「おそらく、そうだと思います。何者かはわかりませんが、その加護で私の干渉を防いでいるのでしょう」
アムテリアは、シノブの言葉を肯定する。
「ですが、帝国の大将軍は私に『排斥された神』のことを語りました。どうして、今まで誰も知らなかったのでしょうか?」
シノブは、ベルノルトが死の直前に語ったことに、僅かな疑問を抱いていた。
敗れて死を覚悟した故の潔さかもしれないが、彼のように自身が信奉する神について口にした者は、今まで存在しなかったのだろうか。長い歴史の中で、そういった存在が一人も出ないとは、シノブには思えなかったのだ。
「あれは、貴方の加護によるものです。貴方は眷属を遥かに超える強い加護を持っています。大袈裟に言えば、私の分身のような存在です。
ですから、あの時、ベルノルトという者は別の神の干渉から逃れたのでしょう。もちろん、死に瀕して彼の命が大きく揺らいでいた、という事情もありますが」
アムテリアは、眷属であるアミィすら超えるシノブの加護が、ベルノルトから真実を引き出した理由だという。
「すると、帝国人は『隷属の首輪』で縛られているようなものなのですか?」
シノブも、それであれば帝国の内情が判明しなかったことに納得が行く、と内心頷いた。自身のような存在が現れるまで『排斥された神』に縛られて肝心なことを口にしなかった。そして、その制約があるから、彼らは虜囚を良しとせず死を選ぶ。そんな想像をしたのだ。
だが、その一方で帝国人と和解することが難しいのでは、とも思っていた。そのため、アムテリアに彼らが何らかの呪縛を受けているのかを尋ねずにはいられなかった。
「はい。神界からの干渉が効かないということは、かなり強固に植えつけられているのでしょう。
……本来なら地上へ私が降りて対処すべき問題なのかもしれませんが、それでは再び神に頼るだけになってしまいます。ですから私自身の関与は、なるべく避けたいのです」
シノブはアムテリアの言葉に内心同意していた。
現在のメリエンヌ王国でも、聖人や神々への信仰は非常に厚い。この状況で神が直接干渉したら、人々は自身で努力するということを忘れてしまうのではないか。そんな恐れは充分に理解できるものであった。
「アムテリア様。時間はかかると思いますが、頑張ります。それに、これが私の使命なのでしょう」
アムテリアの加護により巨大な力を持った意味を、シノブは常に考えていた。
人と人の戦いには過剰と思える力は、シノブ自身にとっても恐ろしさを感じるものである。したがって帝国との戦いでも、極力人に向けるのは避けていた。
だが人ならぬ存在に振るうのであれば。それこそが、己の役割のように思ったのだ。
「……お願いします。本来なら、このような使命を与えるつもりはありませんでした。ですが貴方の倒したベルノルトという者が語ったように、この世界に不穏な動きがあるのは事実です。
私の加護を持つばかりに苦労を掛けますが……」
暫し口を閉ざしたアムテリアであったが、その深い緑に輝く瞳を僅かに潤ませながらシノブの手を取った。彼女の繊手はシノブを案ずるかのように強く握り締め、離そうとはしない。
「私も自身の暮らす場所を守りたいのです。シャルロットや、ミュリエル、そしてアミィのいる場所を。……なあ、アミィ!」
「はい! 私も頑張ります! ですから安心してください!」
シノブは悲しげなアムテリアを励まそうと、決然とした口調で己の意思を語った。そして彼の視線を受けたアミィも、その言葉に頷いて同意する。
「……子供に励まされるのは、何だか嬉しいものですね。
シノブ、アミィ。私は貴方達の活躍をこれからも見守っています。でも、無理はしないでくださいね。世界の問題は、どう持っていくにしても時間がかかるものです。焦らず、ゆっくりと……そして、まずは自身の居場所を大切にしてください。
それに貴方を助けたいと思っている者は、側にいる人々だけではありません。貴方がこれまでに結んだ絆。そしてこれから結ぶ絆……。絆は一旦結んだら終わりというものではありませんし、互いに助け合うべきものです。時には遠慮をせずに頼ることも必要ですよ……」
アムテリアは、シノブとアミィを気遣うように、抱き寄せた。そして、彼らを強く抱きしめながら忠告をする。
そしてシノブは、この世界に転移したときのようなアムテリアの懇切丁寧な言葉を微笑ましく思いながら聞いていた。まるで、母が子供を心配するかのような口ぶりは、彼が地球に置いてきた家族を思い出させる優しく温かなものであったからだ。
「……それでは、シノブ。楽しい話に戻りましょう。シャルロットとの結婚式も近いことですし、色々嬉しい話が聞けると思っていたのです。それを逃してはこのまま神界には帰れません」
アムテリアは、シノブの内心の思いを読み取ったのだろう、明るい笑顔に戻ると、彼に少々悪戯っぽい口調で語りかけた。
シノブは、そんなアムテリアの仕草に少し困惑した。だが、これも良い機会だと思い、彼女にある相談を持ちかけていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年1月29日17時の更新となります。
本作の設定資料にベルレアン伯爵領とシノブの家臣団の組織図を追加しました。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。