表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第9章 辺境の主
156/745

09.03 年の始めの 後編

 ガルゴン王国とカンビーニ王国は、双方ともメリエンヌ王国の南方に位置する。どちらも獣人族がメリエンヌ王国よりも多く、カンビーニ王国は王族も獣人族である。


 メリエンヌ王国から見て西南に位置するガルゴン王国に、南に存在するカンビーニ王国。大陸からそれぞれ半島状に突き出した両国が、地続きなのはメリエンヌ王国だけである。そのため、似通った国ではあるが二国が陸路で直接交易をすることはできない。

 それゆえ、両国では海上経由での貿易が発達していた。元々、豊富な海産物に恵まれた両国だけに、船舶技術の発達は早かったようだ。ガルゴン王国はメリエンヌ王国からみて西方の島国アルマン王国と西の海の覇権を争っている海洋王国だし、カンビーニ王国も南方の海を中心に活発に貿易を行っているという。


 そして、シノブにとって両国は米の産地として印象深い国であった。メリエンヌ王国とは違い、稲作が両国では行われているのだ。もちろん麦も作っているが、地域によっては米のほうを多く作っているところもあるらしい。

 米と魚。ある意味、シノブにとって見逃せない両国である。


 そんな両国の大使が、シノブに近づいてくる。この新年を祝う午餐会には、友好国の大使も招かれていたからだ。

 とはいえ、アルマン王国はメリエンヌ王国とは距離を置いているらしく、この場には大使がいない。また、エルフの国であるデルフィナ共和国は、どの国ともほとんど付き合いがないらしい。そして、ドワーフ達の国、ヴォーリ連合国には部族社会(ゆえ)か大使を常駐させるという習慣がないようであった。

 したがって、午餐会が開かれているアルフールの間にいるのは、ガルゴン王国とカンビーニ王国の大使だけであった。


 大使達は、それぞれ家族を連れてきているようだ。どちらも先頭には軍服を着た壮年の男性、そして妻らしき女性と子供が続いている。

 二つの国は似通った文化であるためか、シノブの目にはどちらの服装も大差がないように感じられる。

 だがミュリエルは、服の違いで両国を見分けたという。それ(ゆえ)シノブも彼らを注視していたが、その違いがわからなかった。


「ミュリエル、どこで区別をつけたのかな?」


 大使達を待つシノブは、隣にいるミュリエルに見分け方を訊いてみた。

 男性達の軍服は、色が赤や黄色と派手だが服自体はメリエンヌ王国のものとあまり変わらない。しかしメリエンヌ王国とは違い、服と同系統の暖色系の飾り布を幾つか付けている。中でも幅の広い(たすき)のような飾り布は、身分を表すものだろうか金糸で繊細な刺繍(ししゅう)がされていた。

 そして首周りには、ストールのようなものを巻いている。これも明るい色合いのものである。


 女性も、ドレスの上に同じような幅広の飾り布や、ストールを巻いている。ストールは家族全員が同じ色の物を着けているから、もしかすると家系などを表すものなのかもしれない。


「ガルゴン王国の方は、ストールの上にペンダントを付けています。それに身分の高い方は、オレンジの飾り布を身に着けるそうです。

カンビーニ王国の方は飾り布の刺繍(ししゅう)が細かいですし、星を象った刺繍(ししゅう)を入れるのは王家やその血を引く者のみに許されていると書いてありました」


 ミュリエルは、本で読んだ知識をシノブに説明する。確かに片方の家族は皆ストールの目立つところに大きなペンダントをつけているし、もう片方は飾り布に星の刺繍(ししゅう)が入っている。


「なるほどね。ありがとう」


 柔らかな声音(こわね)で、シノブは礼を贈る。

 シノブに褒められ、ミュリエルは嬉しげな表情で説明を続ける。彼女によると、大使達の服装はメリエンヌ王国から伝わったものらしい。元々南方に住む彼らは、自国だともう少し薄手の衣装にするようである。

 そして異国の服飾事情を話すシノブ達の前に、大使達が到着した。彼らは畏まった様子で、シノブ達に一礼する。


「フライユ伯爵シノブ殿。襲爵お祝い申し上げます。それに、大勢の同族を救ってくださったこと、感謝の言葉もございません」


 カンビーニ王国大使ガウディーノ・デ・アマートと名乗った獅子の獣人は、シノブに深々と頭を下げた。

 大使は40代半ば、しかも遠縁ではあるが王家の血も引いている貴人だ。その彼が深い感謝を捧げたことに、周囲は微かにどよめいた。


「全くです。貴君のような英雄と、もっと早く知遇を得たかったものですが……」


 こちらはガルゴン王国の大使リカルド・デ・バルセロだ。

 リカルドはガウディーノより若干年齢が上らしい。それと彼は虎の獣人だから金髪に数本の黒い筋が入り、金の瞳と併せて独特な印象を(かも)し出している。


「リカルド殿。これほどの英傑、アシャール公爵が隠すのも無理はなかろう」


 カンビーニ王国の大使ガウディーノは、隣に立つリカルドへと視線を向け苦笑交じりの言葉を口にする。

 実は、シノブは彼らを王女セレスティーヌの成人式典で見かけていた。式典自体は外国の者は参加できないが、今回と同様に午餐会には大使達も招待されていたからだ。

 しかしガウディーノが言うとおり、あの時はアシャール公爵がシノブと他者の接触を制限していた。特に公爵は他国の者を徹底的に遠ざけたようで、シノブは大使達と挨拶すらしないままであった。


「そうでしたな……とはいえ、シノブ殿はフライユ伯爵領の主となられた身。今後は我らともお付き合いいただけるかと」


 ガルゴン王国の大使リカルドは、ガウディーノへと返答した後、シノブへと視線を向ける。

 獅子の獣人ガウディーノに、虎の獣人リカルド。大型肉食獣の形質を持つせいか双方ともシノブより(こぶし)一つは背が高いし、引き締まった武人風の体である。

 外交官としての慇懃(いんぎん)さを(まと)いつつも、内に秘めた野生の鋭さで値踏みしている。そんな印象を裏付けるかのように、笑顔の大使達は身ごなしにも隙がない。


「もちろん、両国とは良い交流を持ちたいと思っています。ですが、我が領地は北方の内陸奥深く。南方のお二方とは、残念ながら接する機会は少ないかと」


 シノブは、大使達にすまなそうな顔を見せた。当面は自領となったフライユ伯爵領の把握に忙しいから、王都に来ることも少ないだろう。そして米や海産物に興味のあるシノブとしては、残念なのは事実である。そのせいか、彼の言葉には社交辞令以上の感慨が含まれていた。


「確かに、我らの国にお()でいただくことは難しいでしょう。ですが、解放された獣人達の中には、我が国の民もいるかもしれません。もしよろしければ、確認のために大使館の者を派遣させていただけないでしょうか?」


「そうでございます。確認のお手伝いも出来るでしょうし、これを期に我が国とも交流をもっていただければ……御領地との交易も、検討したいと思っております」


 カンビーニ王国の大使ガウディーノに続いて、ガルゴン王国の大使リカルドも、畳み掛けるようにシノブへと協力を申し出る。彼らは、解放された獣人に興味があるようだ。

 7000人近い獣人達が解放されたため、彼らが言うように両国の獣人が含まれている可能性がある。シノブの侍女である猫の獣人ソニア。彼女の叔父のように、傭兵としてベーリンゲン帝国との戦いに加わった者もいるからだ。

 この地方の国々で、現在も戦争が行われているのは、メリエンヌ王国とベーリンゲン帝国の間だけである。それ以外の国は、400年以上前に国境が確定し、以降は殆ど争うこともない。

 そして、ベーリンゲン帝国が陸路で軍を進めることができるのはメリエンヌ王国しかない。そのため、戦争といえばその二国に限られていた。

 それ(ゆえ)、傭兵として活躍し出世したい者は、帝国との戦いに身を投じることが多いという。


「なるほど……しかし、私はまだフライユ伯爵領の統治権を受け継いでいません。ですから、ここでは即答はできません。

ですが、陛下にはお伝えしておきます。きっと良い結果が得られるでしょう」


 シノブは、とりあえず明言は避けた。現在フライユ伯爵領を暫定統治しているのはアシャール公爵である。そして、シノブはフライユ伯爵領についてから、統治権を受け継ぐ予定であった。したがって、彼の言葉には嘘は無い。だが、表面上の理由はともかく、確言を避けた、という気持ちのほうが大きかった。


「おお、それは当然です。それでは、お言葉をお待ちしております」


 ガルゴン王国の大使リカルドは、大袈裟な口ぶりでシノブに同意した。彼の隣では、ガウディーノも軽く頭を下げて賛意を表している。


「ところで、我らの家族をご紹介しましょう。

こちらは私の娘のアリーチェです。来年成人になります。母に似まして、猫の獣人です。シノブ殿のところには、猫の獣人の侍女もいると聞いておりますが……」


 ガウディーノは、ソニアのことも知っているらしい。大使である彼がわざわざ口にするということは、シノブを重要視している姿勢を見せたかったのであろうか。彼の国カンビーニ王国は、ソニアの祖国である。そして、ソニアは従士の家の出だ。もしかすると、家臣か誰かがソニアと面識があるのかもしれない。

 それはともかく、獅子の獣人ガウディーノの妻サビーナと娘アリーチェは、猫の獣人であった。30代後半らしいサビーナと良く似たアリーチェは、ほっそりとした感じの少女であった。彼女は、父親の言葉を受けてシノブの前に進み出る。


「こちらがマルガリータ、そして息子のナタリオです。息子は一昨年(おととし)成人したばかりでして」


 リカルドも、自分の妻子を紹介する。妻のマルガリータは人族、息子は父親同様の虎の獣人だ。どうやら、南方の両国では、他種族との婚姻は一般的なようである。

 両親の種族が異なる場合、子供はいずれかの形質のみを引き継ぐ。そのため、中間的な種族は存在しないし、結婚による障害もない。だが、メリエンヌ王国では他種族との婚姻は稀であった。シノブも、今まで、家族内で種族が違うのはアデラールの代官モデューしか見たことがなかった。


「アリーチェです。この度は沢山の同族を助けてくださり、ありがとうございます」


「ナタリオです。もし、解放された獣人の確認を許可いただけたら、フライユ伯爵領に行ってみたいと思います。そのときはよろしくお願いします」


 大使の子供達は、それぞれ緊張した様子でシノブへと挨拶をする。彼らも、シノブの功績については、詳しく把握しているようである。


「こちらこそ。私もまだ18歳なので、そんなに畏まらないでほしい。お二人がフライユに来るときには歓迎するよ」


 シノブは、両親達より少し柔らかな口調で語りかけた。そしてシャルロットやミュリエルも、それぞれ挨拶をする。

 国内の貴族達とはある程度親しくなったシノブだが、これからは国外の貴族達とも接することになったようだ。彼は急激に変化していく環境に戸惑いを感じていたが、(おもて)に出さないように注意しながら大使達との会話を続けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ふう、やっと帰れたか……長い一日だったなぁ」


 ベルレアン伯爵の別邸に戻ったシノブは、サロンのソファーに座ると安心したように身を伸ばした。

 午餐会の後、国王との会議を挟み、その後は晩餐会にも出席した。既に日も暮れている。


 国王との会議では、今後のフライユ伯爵領の運営や国境の防衛について大まかな話し合いがあった。

 東方守護将軍として、シノブは帝国と接する国境の防衛を指揮する。実務はフォルジェ子爵マティアスやエチエンヌ侯爵の嫡男シーラスなどが担当するが、その運営資金については王宮側への確認が必要である。

 それに、フライユ伯爵領の魔道具産業は先行きが不透明である。前フライユ伯爵クレメンの遺書によれば、帝国から部品や製品そのものが供与されていたようである。したがって、一部の品目は今後生産できない可能性もあった。

 そのような事情もあり、シノブ達は資金面で王宮側の援助を引き出したかったのだ。


 なお、この件については、ベルレアン伯爵とシメオンが国王や閣僚達に率直な要求を突きつけていた。その結果、とりあえず今年はフライユ伯爵家の収入の1割、来年以降2年間は毎年5%に相当する資金が王国側から無償供与されることとなった。これらの援助は、大功あるシノブへの褒章という名目で実施される。

 巨大な金額ではあるが、どうやら初年度分は余った戦費で賄えるようである。何しろ1万数千人の兵を動員したのだ。戦争が長期化すれば、毎月莫大な予算が必要である。ところが、極めて短期で戦争が終わったため当初の見積もりより遥かに少なく済んでいた。ある意味、シノブの活躍で戦費を抑えたわけである。

 それらをベルレアン伯爵とシメオンが指摘した結果、領内改革に必要な資金を見事獲得したのだ。


 また会議以外も、非常に疲れるものだった。パーティーでは様々な人に語りかけられたため、(ろく)に食事をする暇もなかった。更に晩餐くらいは落ち着けるかと思ったら、こちらでもシノブ達の活躍に関する質問が相次いだのだ。

 折角の戦勝記念パーティーでもあるし、シノブ達も断りづらい。それに王家や侯爵達も、シノブを立てた新体制をアピールしたいようで、彼らも話題を振ってくる。

 流石に和やかな会食で戦場の具体的な描写は避けるべきであろう。したがってシノブ達は、ガルック砦の奪還や都市グラージュでシャルロットが王太子を守りきった逸話などを中心に、列席する者達に披露することとなったのだ。


 そういう経緯で、シノブだけではなくサロンにいる面々は多かれ少なかれ疲れた顔をしている。伯爵家の者達に、シメオン、イヴァール、そしてアリエルやミレーユ。いずれも目まぐるしい一日に、疲労を隠せないようだ。

 そして、そんな彼らのために、アミィや侍女達は夜食の準備をしている。本来、そういう習慣はないようだが、疲れを癒すために温かいものでも、ということらしい。


「だいぶお疲れのようだね。でも『帰れた』と言ってくれて嬉しいよ」


 シノブの向かいに座ったベルレアン伯爵は、その様子を見て顔を綻ばせた。


「ここが……義父上やシャルロット、それにミュリエルがいるこの場が、私の家ですから。本当ならフライユ伯爵家の別邸に行くべきなんでしょうけど」


 シノブは、伯爵や、自分の両隣に座る婚約者達に目を向けた。


「あちらは、まだ監察官の調査が続いているようだからね。まあ、次に王都に来たときで良いんじゃないかな?」


 アドリアンの事件の後、調査の手が入ったフライユ伯爵家の別邸だが、帝国との戦いの後、再度の調査が行われていた。前回の調査も綿密に行われたため、何も出てこないとは思われる。だが、フライユ伯爵の自死を受けて帝国との繋がりを裏付けるものがないか、昨年末から調べなおしているようだ。


「私のほうで対応しておきます。それに、今は監察官が出入りしているから休むどころではないでしょう。シノブ()の世話をするべき家臣も取調べ中ですから」


 シメオンも、伯爵に続いて口を開く。フライユ伯爵家付きの子爵となったシメオンは、シノブの敬称を『殿』から『様』に変えていた。実はシメオンは『閣下』か『お館様』と呼ぼうとしたのだが、シノブが、せめて普段は名前で呼んでくれ、と言ったため、このようになっていた。

 また、彼は姓をビューレルからビュレフィスと変えていた。元のままでは、父であるフィベール・ド・ビューレル、ベルレアン伯爵の分家であるビューレル子爵と区別がつかない。そこで、シメオン・ド・ビュレフィス、ビュレフィス子爵シメオンと改めたのである。


「家臣の方は、どのようになるのですか?」


 ミュリエルが心配そうな顔をしながらシメオンに尋ねる。


「私も監察官と共に調査を行います。王都には一週間程度滞在することは決まっていますし、その間に家臣として使える者を選別します」


 シメオンは、少し優しい口調でミュリエルに答えた。

 午餐会の後の国王との会議には、ミュリエルやブリジットは参加していない。そして、フライユ伯爵領の別邸やそこを守る家臣達の扱いについても、その会議の議題に上がっていた。

 王都での事件を監察官達と一緒に調査したシメオンは、今回も彼らと共に働くことになっていた。王宮側が調査を行うのは当然ではあるが、フライユ伯爵家の問題でもある。そのため、フライユ伯爵家付きの子爵となったシメオンが、伯爵家側の人間として調査に加わることになったのだ。


「シノブお兄さまとシャルロットお姉さまの結婚式までですか……大変ですね」


 ミュリエルは、具体的にどんなことをするのかはわからなかったようだが、期間の短さから彼の忙しさは察したようだ。


「ええ。私も1月7日の結婚式には列席しますので、それまでには片付けますよ」


 シメオンが言うように、シノブとシャルロットの結婚式の日も確定していた。フライユ伯爵領に向かう彼らは、いつまでも王都にいるわけにはいかない。そこで、一週間後に聖地サン・ラシェーヌで結婚式を挙げることになった。


「シメオン、すまないけど頼むよ。

でも、急なことで準備もあまりできないね。本当ならウェディングドレスとかも用意したいけど……」


 シメオンを(ねぎら)ったシノブは、シャルロットへと顔を向けた。

 せっかくの結婚式だというのに、準備する期間は短すぎる。ドレスも普段使うようなものはあるが、結婚式に相応しいドレスは流石に持っていない。

 王宮には、王太子の妻ソレンヌやシャルロットの祖母メレーヌが結婚式に使ったドレスは保管されている。だが、一生に一度の式に借り物というのもいかがなものであろうか。


「いえ、貴方と結婚できるのですから、それだけで充分です。それに、お婆様のドレスをお借りするのも、良いと思います」


 シャルロットは、シノブへと幸せそうな表情で答える。彼女の言葉には、(くも)りはなく、心の底からの思いだとシノブにも感じられた。


「領都での式は、カトリーヌのものを使おうか。こちらもあまり時間を掛けていられないからね」


 ベルレアン伯爵も、娘の言葉に頷いた。彼らとしては、結婚自体が重要であり、その衣装にはあまりこだわりはないのかもしれない。もっとも、シノブが気にしている様子が見て取れるため、敢えてそういった言動をしている可能性もある。


「それより、フライユ伯爵領に行ってから、どのように治めるかを考えなくてはなりません。

シノブには、何か良い考えはあるのでしょうか?」


「そうだな。魔道具製造業は、帝国の技術が使われているという。このまま続けられるのか?」


 シャルロットの言葉に、イヴァールもシノブに心配げな表情を向けた。


「王領軍と同時にフライユに入った監察官が今頃調査を進めているだろうけど……最悪、そちらは諦めるしかないかもね」


 シノブが言うように、戦地に向かう王領軍と共に、王家の監察官が派遣されていた。

 しかし、前伯爵クレメンが生きている間は、調査はほとんど進まなかったようだ。監察を恐れた商人達が事前に対処していたためである。また、調査自体にも伯爵家の家臣や商人達の抵抗があったらしい。

 現在、改めて調査が行われているが、クレメンの遺書どおりなら、獣人達を帝国に売り渡すことで魔道具そのものや部品を入手していたことになる。そうなると、製造業の継続自体が困難だろう。


「……交易をするにも売るものがないといけないしね」


「そういえば、カンビーニ王国やガルゴン王国の大使の提案には乗りませんでしたね。海産物を仕入れたいと思っていたのですが」


 シノブが続けた言葉に、シメオンが意外そうな顔をして問いかけた。

 アミィは、以前王都で仕入れた塩漬けの魚などを頻繁に料理している。そのためシメオンも、シノブが魚介類を好きなのは把握していた。


「売れるものがわかっていないのに、約束するわけにもいかないだろ?

それに、どうせ鮮度の良いものは入手できないんだ。一番近い海岸まで、500kmはあるんじゃないか?」


 フライユ伯爵領から最も近い海岸は、エリュアール伯爵領だ。そして、シノブが言うように、荷馬車だけで輸送するには、距離がありすぎる。このあたりの国々では、冷蔵用の魔道具はあるが、非常に高価だという。それに、大量の魔力を必要とするらしく、多く物資を長時間輸送するのは難しいようである。


「竜に頼んで運んでもらったらどうだ? シノブの頼みなら断らんと思うが……しかし、食べ物の話をしたら腹が減ったな」


 イヴァールは、黒々とした髭を撫で(さす)りながら、呟いた。そして、彼の言葉が真実であると示すように、大きな音が響く。どうやら、彼の腹の虫が騒いだらしい。


「イヴァール殿。ちょうど、用意ができたようですよ」


 ジェルヴェの声にシノブが振り向くと、彼の背後にはアミィと料理を載せたワゴンを押している侍女達の姿があった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「これは……お雑煮!?」


「はい、元旦ですから!」


 シノブの嬉しそうな顔に、アミィも大喜びである。彼女の狐耳はいつも以上にピンと立ち、背後の尻尾も機嫌良さそうに揺れている。


「シノブ様達は、ときどき難しい言葉を使われますね~。『元旦』というのは神官達が使う言葉ですけど、『オゾウニ』というのもそういう言葉なのですか~?」


 ミレーユが言うように、メリエンヌ王国では一般には元旦や大晦日という表現はしない。だが、聖人が授けたのか、神官達にはそういった独特の言葉も伝わっているようだ。


「お雑煮は食べ物の名前だね。正月……1月に良く食べる、新年を祝う食べ物だよ」


 シノブは、アミィが米を入手したときに『お餅が作れます』と言っていたことを思い出した。そのとき、シノブは『正月にはお餅が食べられる』と喜んだ。それ(ゆえ)、彼女は忙しい中、準備してくれたのだろう。


「でも、よく準備する時間がありましたね」


 アリエルは、不思議そうな顔をアミィに向けている。彼女の疑問は当然である。アミィは一日中シノブに随伴していた。いったい、いつの間に餅まで用意したのだろうか。


「お正月に備えて、前から準備していましたから。魔法のカバンがありますし」


 確かにアミィの言うとおり、内部の時間経過が無い魔法のカバンに入れておけば品質の変化は無い。多分、時間のあるときにお餅だけでも作っておいたのだろう。


「……さあ、食べてください!」


 シノブは、アミィの期待に満ちた視線と共に差し出されたお椀を受け取った。

 醤油や魚のだしを元にした汁に、丸いお餅が三つ。鳥の切り身と、三つ葉の代わりだろう薬草らしきものが乗っている。さらに、かまぼこの代わりだろうか、魚の身をすり潰して作った練り物まで入っていた。


美味(おい)しい……アミィ、ありがとう!」


 シノブは、お餅を一口食べると暫くその食感を味わった。そして、だしの染みたお餅を飲み込むと、アミィに心の底からの笑顔と賛辞を贈った。


「ふむ。俺にもくれんか?」


「私の分はあるかね?」


 シノブがあまりに嬉しそうな表情をしたためか、イヴァールやベルレアン伯爵も、お雑煮へと興味を示す。それどころか、シャルロットやミュリエルも食べたそうな顔をしている。

 彼らには、温かいスープが配られていたが、シノブと同じものも食べたいのであろう。


「はい! スープも召し上がったから、お餅は一つで良いですね!」


 アミィは、彼らの分のお椀も一応準備していたようである。ただし、こちらはフォークとスプーンが添えられている。


「シノブお兄さま、この『オモチ』って、どうやって食べるんですか?」


「ああ、フォークで切るのは大変だから、口元に運んで噛み切るほうが良いね。あまり沢山一度に食べないほうが良いよ。喉に詰まるから」


 ミュリエルの問いに、シノブは優しく答えた。そして、自身ももう一度食べて見せる。


「優しい味ですね。これがシノブの故郷に伝わるお祝いの食べ物なのですね」


 シャルロットは、隣に座るシノブに、意味ありげな視線を向ける。


「ああ。アムテリア様に感謝しながら元旦に食べるんだ」


 現代日本ではそこまで厳粛に捉えている人は少ないだろうが、その源流となるものは神への感謝であることは間違いない。

 そこで、シノブは彼らにもわかりやすいようにアムテリアの名を出して答えていた。


「さあ、アミィも食べてよ。アミィだって、一日俺と一緒で、食べる暇もなかっただろ!」


「ありがとうございます! では、いただきます!」


 アミィも自分のお椀にお雑煮をよそって、ソファーへと座る。そして、美味(おい)しそうに表情を緩めながら、食べ始めた。


「アミィ、ありがとう。元旦からお雑煮が食べられるなんて……本当に嬉しかったよ」


 シノブは、改めてアミィが側にいてくれることに感謝していた。この世界に来てから、彼女に助けられたことは数知れない。彼女がいなければ、今まで生きることすらできなかったかもしれない。

 そればかりではなく、彼女はシノブをいつも気にかけていてくれた。食べ物もそうだし、地球との違いに戸惑う彼を、優しく見守り助言してくれる。シノブは、新年を無事に迎えられたのは、彼女の助けがあってこそだと、改めて感じていた。

 そして、そんな思いに気がついたのか、アミィもシノブに嬉しげな笑みを向けた。彼女の、優しく包み込むような笑顔。それを見ていると、シノブにも更に力が湧いてくるようだ。新たなる土地へと旅立つ不安。それは、彼女の笑みを見ているうちに、どこかへと消え去っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年1月27日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ