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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第8章 フライユ伯爵の後継者
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08.19 水晶宮の勅令 後編

「シノブ。そなたにフライユ伯爵を継いでもらいたい」


 大宮殿のポヴォールの間に入ったシノブ達が着席すると同時に、国王アルフォンス七世は率直に切り出した。彼は、前置きする時間も惜しいかのようである。

 既に、時刻は22時に近い。あと少しで新年であり、翌朝には新年祝賀の儀を行わなくてはならない。そのため、彼が急ぐのも無理はない。


 軍議や重臣達との密議が行われるポヴォールの間には、アルフォンス七世と先王エクトル六世、王太子テオドールだけが待っていた。国務を管掌する六侯爵の姿もなく、大勢での会議も可能なポヴォールの間は、静けさに包まれている。

 国王の言葉を聞くのは、シノブ達のみである。シノブとアミィ、ベルレアン伯爵と娘のシャルロット、それにシメオンにイヴァールの六人だ。


 シノブは王国の将来を決める密談にイヴァールが参加できるか懸念していた。だが、イヴァールの参内や密談への参加は、あっさり許可された。

 国王も、友好国を(まと)める大族長エルッキの嫡男であるイヴァールに対しては、丁重に扱うべきと考えたようだ。それに、イヴァールは戦でも先頭に立って活躍している。それ(ゆえ)、イヴァールはベルレアン伯爵コルネーユやシャルロット達と共に、ポヴォールの間での密談に加わっていた。


 そして、アミィについては最初から同席するように伝えられていた。

 伯爵の継嗣シャルロットや分家であるビューレル子爵家の跡取りシメオンはともかく、アミィはただの騎士階級である。また、イヴァールのように他国の有力者という立場でもない。

 だが数々の功績に加え、特異な魔術の使い手でもある彼女を、通常の騎士として扱うつもりは国王達にはないようだ。


「戦で大功を上げたそなたに、更なる重荷を背負わせるのは心苦しい。だが、これが最善の方法なのだ。

とはいえ、そなたが拒否するなら押し付けるつもりもない。他の者は下げた(ゆえ)、そなたの思うとおりに答えてほしい」


 どうやらアルフォンス七世は、シノブの了承が得られるかどうかわからないため侯爵達も下げたようである。国王として命じてしまえば、臣下としてシノブも受けざるを得ない。そのための配慮であろう。


「……ミュリエルは、どうなるのでしょうか?」


 シノブは、ミュリエルが女伯爵として次代のフライユ伯爵になるのではないかと思っていた。そして、その場合ミュリエルの夫に自分の名が挙がるだろう。これも予想の範囲内であった。

 しかし国王が語る内容は、彼自身がフライユ伯爵を継ぐように受け取れる。そこで、シノブはミュリエルの扱いを問うたのだ。


「メリエンヌ王国の(あるじ)よ。

戦の相手はともかく、残った婦女子に理不尽な扱いがあれば我らにも考えがある」


 シノブと並んで座っているイヴァールは、国王アルフォンス七世が口を開く前に、牽制するような言葉を発した。

 ミュリエルが不当に扱われるかもしれないと思った彼は、王宮への同行を申し出ていた。それ(ゆえ)、ここが自身の出番だと思ったのだろう。


「イヴァール殿。そなたの言うとおりだ。ブリジットやミュリエルに非はない。だから、罰するつもりなどない。それは国王として明言しよう」


 アルフォンス七世の言葉に、イヴァールだけではなくシャルロットやアミィも安堵の表情を浮かべる。


「良かった……」


 シノブの隣に着席しているアミィは、彼にしか聞こえないくらい小さな声で呟いていた。普段、こういう場では従者として発言を控える彼女である。だが、彼女はミュリエル達と仲が良い。そのため、思わず言葉が漏れてしまったようだ。


「……だが、ミュリエルは先代フライユ伯爵の孫でもある。だから、シノブにはミュリエルを娶ってもらい、二人の子孫をそなたに続くフライユ伯爵としたいのだ。

もちろん、これが故国の風習に反しているのはコルネーユから聞いて知っている。しかし、フライユ伯爵領の者を納得させるには、かの一族の血を無視するわけにはいかない。どうか、わかってほしい」


 再びシノブへと視線を向けたアルフォンス七世は、彼に僅かに頭を下げる。そして、彼の両脇にいる先王エクトル六世と王太子テオドールも国王に倣う。


「……シャルロットはどうなるのですか? それにミュリエルは女伯爵とはならないのですか?」


 シノブは、肝心のことを尋ねた。彼はミュリエルが罪人扱いされないことにはホッとしていた。だが、シャルロットがどういう位置付けになるのか気にかかっていた。それ次第では、素直に喜ぶわけにはいかないと、シノブは緊張した表情を崩さなかった。


「シャルロットの立場には変わりはない。ベルレアン伯爵の跡継ぎで、そなたの婚約者だ。こうなれば、早急に挙式したほうがよいだろうな。

……ミュリエルだが、まだ幼いから名目だけ女伯爵としても実質そなたが領主となる。そもそも、伯爵位は王家が授けたものだ。そこで、一旦返上したという形で、そなたに改めて授けたい。

ただ、それではベルレアン伯爵家や王家が領地を奪ったという声が上がるだろう。だから、ミュリエルも娶ってほしいのだ」


 王家としては、シノブが断る要因は可能な限り排除したようだ。だが、一方でフライユ伯爵家の血を残すことは、今後の領地運営を考えると外すことができなかったようである。


「国境の防衛については、そなたの意見を取り入れるつもりだ。王領軍を主体とした国境防衛軍を設立して、砦や城壁を含む国境地帯を守る。王領だけではなく、他の伯爵領にも領地に応じた人員や物資を出させる。

だが、国境から王都までは遠い。とりあえずは、フォルジェ子爵やシーラスを指揮官として出すが、フライユ伯爵を受けてもらえるなら、そなたにも協力してほしい」


 フォルジェ子爵とは金獅子騎士隊の隊長マティアス、シーラスはエチエンヌ侯爵の嫡男である。二人とも今回の戦で将として働いており、シノブとも親しい。


「そなたには、フライユ伯爵位と共に新設する東方守護将軍位を授けたい。そして、国境防衛軍の最高司令官となってもらいたいのだ。

実務はフォルジェ子爵やシーラスに任せればよい。だが『竜の友』の名と実績が帝国への牽制となる。各領から派遣される将兵も、英雄の下に結束するほうが士気が上がるだろう」


 アルフォンス七世は、国境防衛についてもシノブの力を借りたいようだ。シノブとしても、いきなり大量の仕事を押し付けられても困るが、帝国への脅しは必要だと考えていた。したがって、国王の意見は彼としても理解できるものであった。


「東方守護将軍は、当面は世襲にしないつもりだ。そなたの子孫に権力が集中しすぎる、と心配する声もあってな。まあ、先々のことはある程度結果が出てから考えてもよかろう」


 先王エクトル六世は、息子の言葉を補足する。

 確かに、地球でも国境近くで強力な権力を持つ太守が独立していく事例は多かった。シノブが知っている歴史でも、辺境伯や一部の公爵は実質的に君主として自立していたようだし、時代が進むにつれて大公国などとして名実共に独立した例すらある。

 そういう歴史の流れを考えると、地方領主としての伯爵位と国境守備の強力な軍権は名目だけでも分離しておいたほうが良いのかもしれない。


「シメオンには、シノブ殿を補佐する子爵となってもらいたい。将来はシノブ殿の子供達が爵位を継ぐだろうから、一代爵としてフライユ伯爵家の下に入ってもらえないかと思っている。マティアスも同様だね。

シメオンが政務、マティアスが軍務を補佐すれば、シノブ殿も楽になるだろう。次代が育てば、それぞれ元に戻ることも認めるよ」


 王太子テオドールは、シメオンの顔を見ながら、シノブを補佐する人材について説明した。シノブがフライユ伯爵位を受けるか答えていないため、シメオンは即答を控えていた。だが、彼はこの事態も予測する未来図の一つであったのか、平静な表情を保っている。


「……わかりました。お受けします。

もっとも、詳細は今後詰めたいと思います。国境だけではなく、王家が定常的に各伯爵領を知ることは必要です。それに、人材交流も。そうでなくては、第二第三の反逆者が誕生しかねません」


 シノブは、アルフォンス七世に伯爵位を受けると伝えた。彼の言葉に、国王達は安心したかのような表情を浮かべている。

 ともかく、シャルロットとミュリエルを不幸にしないで済む。王家の決断は様々な思惑が絡み合った結果であろう。だが、シノブは二人の将来さえ保証されれば、相応の苦労は分かち合うつもりであった。


「すまない。だが、これでメリエンヌ王国は守られる。今回の件を教訓として内政も見直すつもりだが、民のためにも混乱は最小限に抑えるべきだ。そなたに立ってもらえば、それが可能だと思っている」


 アルフォンス七世は再びシノブへと僅かに頭を下げる。彼は、このときばかりは王としての威厳より国の平安を優先したようだ。それゆえ、密談の場から六侯爵を遠ざけたのであろう。


「陛下の仁慈、感服いたしました。私達もシノブを支え、王国の安寧に微力を尽くします」


 ベルレアン伯爵の言葉と共に、シャルロットやシメオンも恭しく頭を下げた。


「コルネーユ、そなたの跡取りをフライユへと送ることになり、すまなく思う。幸いそなたはまだ若い。二人の子供かカトリーヌの子供が育つまで、頑張ってくれ」


 シノブの了承を得たせいか、アルフォンス七世は僅かに表情を崩しながらベルレアン伯爵を(いたわ)った。


「もったいないお言葉。元々、後20年は当主として働くつもりでした。ですが、シノブとシャルロットの結婚を急がせる理由が増えたようです」


 ベルレアン伯爵は、アルフォンス七世に再び一礼すると、シノブとシャルロットへと視線を向けた。彼の目には、穏やかな笑みが浮かんでいる。


「確かにな。儂としても孫娘の結婚式は、早く見たいぞ。メレーヌもそう思っているだろう」


 先王エクトル六世は、シャルロットへと期待を含んだ言葉をかけた。シャルロットの母カトリーヌは、エクトル六世とメレーヌの娘である。シノブは、王宮の晩餐会で出会った、優しげな先王妃の姿を思い出した。


「シノブ殿、シャルロット。慌ただしいが、聖地で形だけでも結婚式を挙げては?

カトリーヌ殿にも花嫁姿を見せる必要はあるが、それは改めて伯爵領で行えばよいでしょう」


 王太子テオドールまで、シノブとシャルロットの結婚を話題にする。フライユ伯爵領の問題もまだ話し合うべきことも多いが、どうやら彼らは明るい話題が欲しかったようである。

 おそらく、彼ら自身の思いもあるのだろうが、国内に英雄達の慶事を広めて不祥事の影響を軽減したいという思惑もあるとみえる。

 自身の慶事も国政に利用する。シノブは、そんな一筋縄ではいかない世界に足を踏み入れたことを、改めて感じていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達は、小宮殿に用意された部屋に下がっていた。そろそろ新年になろうかという時間である。国王の勧めで、この夜は王宮に泊まることとなったのだ。

 伯爵の別邸は近いとはいえ、まだ何か相談すべきことがあるかもしれない。現在、国王アルフォンス七世や先王、王太子はシノブの承諾を受けて、六侯爵と今後の段取りを相談している。

 シノブがフライユ伯爵領に入るまでは、アシャール公爵が暫定統治者となっている。だが、なるべく早く次代の伯爵を送り込む必要がある。そして、そのときには伯爵領への手土産も必要だろう。領主に非があったとはいえ、無理矢理挿げ替えることには違いないからだ。


「まあ、我々にとっては良い結果となったのだが……シノブ、ミュリエルもよろしく頼むよ。

君なら二人とも幸せにしてくれるだろう。それは心配していない。だが二人共、遠方に送ることになるとはね……ともかく二人を頼んだよ」


 ソファーに座ったベルレアン伯爵は、ホッとしたような寂しそうな、複雑な表情を浮かべている。そして、彼にしては珍しく同じ言葉を繰り返し口にしていた。


「はい。何かあれば相談しますので、そのときはよろしくお願いします」


 シノブは、家族思いのベルレアン伯爵から二人の娘を取り上げることになると今更ながら思い当たった。今までは婿入りを前提に考えていた。そのため、シャルロットを親元から引き離すこの事態は、シノブもつい先日までは想像もしていなかったのだ。


「父上、領地を離れることになり、申し訳ありません」


 シャルロットも自領に残る父達を案じているようだ。シノブとの婚約には変わりなく、それどころか結婚も目前である。もちろん、それは嬉しいのだろう。だが、その一方で彼女も父の寂しさを感じているようであった。


「何を言うのかね。安定した我が領とは違い、フライユには困難が多いだろう。こちらから手助けに行きたいくらいだよ。

ともかく、結婚式も近いんだ。私は大丈夫だから、シノブやミュリエルと仲良く助け合っていくんだよ」


 ベルレアン伯爵は、己が漏らした感慨(ゆえ)に二人の表情が(くも)ったと察し、慌てて明るい表情を作った。


「はい。父上……ありがとうございます。幸せになります」


 そんな父の気遣いに、シャルロットは静かに頷き言葉を返した。感極まった彼女の瞳からは、涙が溢れている。


「……シノブ様、よろしいでしょうか」


 父娘の愛情溢れる光景を見守っていたシノブに、静かに近づいたアリエルが(ささや)いた。彼女の側には、王宮の侍女も控えている。


「どうしたの?」


「王女殿下が、シノブ様にお会いしたいと……」


 シノブの視線を受けたアリエルは、侍女のほうに一瞬目をやってから彼の問いに答えた。シノブも、アリエルに釣られて視線を向けたが、侍女は聖地サン・ラシェーヌにも王女セレスティーヌのお付きとして同行したアガテであった。

 彼女は、伯爵家の面々が睦まじげに会話しているせいか、アリエルに取次ぎを頼んだようである。


「わかった。私だけかな?」


 シノブは王女セレスティーヌに、帰還したらラストダンスを踊る、と言ったことを思い出していた。成人式典の後、舞踏会は帝国侵攻の凶報で中断されていた。そのため、シノブは舞踏会の最後を締めくくるダンスを、帰還後に踊ろう、と王女に約束した。

 確かに、戦いに勝利し帰還した。それに約束したとおり王太子も無事に帰ってきた。それ(ゆえ)、別れの際に口にしたように、彼女の下に赴き勝利を告げるべきかもしれない。だがシノブは、ミュリエルとの婚約を聞いたセレスティーヌがどう思っているのか、気にかかっていた。


「いえ、シャルロット様とアミィ様もご一緒に、とのことでした」


 シノブの問いかけに侍女のアガテは僅かに首を振っていた。彼女の動作と共に、その赤毛がゆっくりと揺れている。


「ありがとう。それじゃ、シャルロット、アミィ。一緒に来てくれ」


 ともかく、シノブはセレスティーヌの下に行くことにした。

 王宮を旅立ったときには、ミュリエルと婚約することになるとは考えていなかったし、当然フライユ伯爵を継ぐことになるなどと想像もしていなかった。もちろん、セレスティーヌもそうだろう。予想もしなかった事態ではあるが、それゆえ自身の口から彼女に説明する必要がある。シノブは、そう思ったのだ。


 そして、アガテの言葉を受けて立ち上がったシノブに続いて、シャルロットとアミィもソファーから離れる。彼らはアガテの先導で、王女の待つ居室へと静かに向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ様、無事のお帰り、おめでとうございます!」


 王女セレスティーヌは、シノブが彼女の居室に入るなり、ソファーから立ち上がると、輝くような笑顔と共に祝福の言葉を口にしていた。そして、彼女は豪奢な巻き髪となっているブロンドを(なび)かせつつ、シノブ達に駆け寄ってくる。

 もう深夜ではあるが、シノブ達を迎えるため彼女はドレス姿のままであった。

 さすがに自室であるためか飾りは少なめな薄桃色のドレスではある。だが、室内の明かりの魔道具に照らされたその衣装は、やはり王族が身にまとうに相応しい(つや)やかな布地であり、上級貴族でも簡単に入手できるものとは見えなかった。


「……セレスティーヌ様、ありがとうございます」


 シノブは、ミュリエルとの婚約の件を聞いているであろう彼女が普段と変わらないのに戸惑っていた。いや、それどころか、むしろ上機嫌にすら見える。もちろん兄が無事に戻り、国難もとりあえずは去ったのだから、喜ぶのは当然だろう。

 だが、シノブには()せないことがある。将来ミュリエルを娶るであろう自分に対して、自身を慕っているはずのセレスティーヌは何の悪感情も見せない。この世界に来て色々戸惑うことは多かったが、一夫多妻を前提とした彼女達の振る舞いは、しばしば彼を悩ませるものであった。


「シャルお姉さま、アミィさん、お二人もご無事で安心しましたわ!」


 そんなシノブの悩みを、セレスティーヌは知る(よし)もない。

 もちろん、彼女もシノブの故郷が一夫一妻だと聞いてはいる。だがシノブが彼女達の考えを理解できないように、セレスティーヌもシノブの戸惑いは感じているものの本質は(つか)めていないらしい。

 そのためか、セレスティーヌは当惑するシノブに柔らかく微笑んだ後、シャルロットとアミィへとその笑顔を向けていた。


「セレスティーヌ様もお元気そうでなによりです」


「お言葉、ありがとうございます」


 シャルロットとアミィも、それぞれセレスティーヌに晴れやかな笑顔を見せていた。そのせいもあり、シノブは地球出身の自分だけが気にしすぎなのだろうか、と一人考え込んでいた。


──シノブ様、戸惑われるのはわかりますが、王女様はミュリエル様のことを気にしていませんよ──


 シノブの様子を見かねたのか、アミィが心の声で自身の考えを伝えてくる。


──そうなのか……一応、理解しているつもりなんだけど、どうも感覚的についていけなくてね──


──むしろ、シャルロット様以外も娶るとわかって、安心されているかもしれませんね。これまでは、シノブ様が故国の風習を貫く可能性もあったわけですから──


 セレスティーヌとシャルロットが仲良さげに話す中、アミィはシノブと心の声での会話を続けていた。

 そんなアミィの意見を聞いたシノブも、彼女の言葉には一理あると感じていた。確かに、ミュリエルと婚約をするということは、その後に続く者がいてもおかしくない。そういう考え方もある。


「シノブ様、私とのお約束、覚えておいでですか?」


 そんなやり取りがされているとは想像もしていないであろうセレスティーヌは、シノブへと再び華やかな笑顔を向けてきた。彼女は、何かを期待するかのような雰囲気を漂わせ、シノブを見上げている。


「ええ……ラストダンス、でしたね」


 シノブは、先々への思いは一時追いやって、セレスティーヌに優しく言葉をかけた。まずは、戦で中断されてしまった彼女の舞踏会をやり直す。不安と共に王宮で過ごしていたであろう彼女を(いたわ)りたい。シノブの抱える様々な思いの中から、それらが浮かび上がっていた。


「はい! お願いします!」


 シノブが約束を忘れていなかったと知ったセレスティーヌは、その美貌を綻ばせた。彼女は、シノブの手を取って居室の中央へと進みでる。王女の居室だけあって、ダンスを行うには問題のない広さであった。シノブは、セレスティーヌに手を引かれ彼女に続いていく。


「セレスティーヌ様、音楽はどうするのですか?」


「アガテとクローテが楽器を使えますから」


 王女の言葉に、シノブは侍女達のほうを振り向いた。二人の侍女は、既にそれぞれ弦楽器と木管楽器を手にしている。

 そして、シノブとセレスティーヌは、ワルツ風の音楽に乗って静かに踊りだした。アガテとクローテは、演奏者としても確かな腕を持っているらしい。もしかすると、王宮で働く侍女に必要な教養として常日頃修練しているのではないか。そう思ってしまうほどの達者ぶりである。

 曲目自体は、ラストダンスで踊るものであったため、シノブも繊細かつ優雅な調べにのって軽やかに舞っていた。セレスティーヌの成人式典は12月5日だった。まだ一月も経っていないし、それまで充分練習していたため、シノブも忘れてはいない。


「セレスティーヌ様。私はミュリエルを娶ることになりました。そして、フライユ伯爵となります。これからお会いする機会も減ると思います……」


 ダンス自体は体が覚えていたため、シノブは踊りながらセレスティーヌへと静かに語りかけた。


「ええ、承知しております。ですが、それはベルレアン伯爵領にいても同じこと。それにミュリエルさんを娶るまでには、まだ6年あります。何も問題はありません」


 セレスティーヌはシノブの言葉を(さえぎ)ると、彼同様にダンスを続けながら(ささや)き返した。シノブが断りを入れる前に、彼女は自身の思いを伝えたかったようである。


「シノブ様。私の気持ちは変わっておりません。『王国の華』に相応しい女性になり、シノブ様に認めていただく。それにはまだ時間が必要です。でも、6年も待つつもりはありませんわ」


 どうやら、彼女はシャルロットに続くのは自分だ、と言いたいらしい。確かにシャルロットが18歳、彼女が15歳、ミュリエルは9歳である。婚約した順に結婚するというわけでもないだろう。


「とりあえず、シノブ様の今年最後のダンスは私がいただきました。そして、あと数年で別の物もいただきます。そのために努力しますわ」


 彼女の言うとおり、もうそろそろ新年となるであろう。セレスティーヌがラストダンスを急いだのには、そういう事情もあったようだ。


「強いのですね……」


 シノブは、セレスティーヌの(くも)りの無い表情を見て、思わず呟いた。地球の常識が抜けていないシノブには、彼女の気持ちは理解しがたいものであった。自分なら婚約者のいる相手に、そこまで強気に接することができるのだろうか。そう思ったのだ。


「……強いでしょうか?」


 セレスティーヌは『強い』というシノブの言葉については量りかねたようだ。一夫多妻の風習で育ち、周囲の男性も複数の妻を持つ環境では、他に婚約者がいても特別な感情を持たないのだろうか。

 いや、そうではあるまい。彼女にも独占欲はあるのだ。それ(ゆえ)『今年最後のダンスは私がいただきました』などと言うのだろう。シノブは、セレスティーヌの複雑な心理を垣間見たような気がした。


「……王家の女は本当に好きになったら諦めないのです。ご迷惑にならず尊敬もできる。本心からお慕いできる方には、カトリーヌ様のようにひたすら突き進むだけですわ」


 セレスティーヌは、シャルロットの母カトリーヌを例に挙げた。カトリーヌはベルレアン伯爵を慕い、当時の国王である先王エクトル六世に降嫁を願い出たという。シノブも、シャルロットとの結婚を願い出たときに、穏やかなカトリーヌがいつになく強い調子で語っていた経緯を思い出した。


「シノブ様、新年ですね……」


 優雅に踊る二人に、遠方からの鐘の音が響いてきた。王都にある大神殿が鳴らす、新年を告げる祝いの鐘である。


「これで、今年最初のダンスも私がいただきましたね。

でも、あまり長々と踊っていては、お二人に悪いですわ。シャルお姉さまとアミィさんがお待ちかねのようですから、そろそろ交代いたしましょう」


 セレスティーヌの言葉に、シノブはシャルロットとアミィの様子を振り返った。すると、そこには気恥ずかしげな表情をした二人の姿があった。軍服姿のシャルロットに、同じく軍服風のアミィではあるが、シノブと踊りたかったのは間違いないようだ。


「……シャルロット、アミィ。踊ろうか」


 ダンスを終えてセレスティーヌの手を離したシノブは二人に誘いの言葉を向ける。

 セレスティーヌと仲良く話していた彼女達だが、やはりシノブを独り占めされるのは嫌だったようである。シノブは、貴族の娘としての立場を優先しているシャルロットも自分と同じような感性を持っているのだと知り、どこか安心していた。


「それでは、シャルロット様からどうぞ!」


「すみません。では、先に失礼します……」


 いつも控え目なアミィは、今回もシャルロットに先を譲るようだ。そんな彼女を良く知っているシャルロットは、遠慮しながらも譲り合うようなことはなく、シノブの前に進み出る。


「アミィ、悪いね……それじゃ、シャルロット。今年もよろしく頼むよ。ベルレアン伯爵領から連れ出すことになったけど、皆で頑張ろう」


 シノブは、生まれ故郷を離れることとなったシャルロットを気遣いながら、その手を取った。彼女が、自身の愛し慈しんできたベルレアン伯爵領を訪れることも、これからはそう簡単には出来ないかもしれない。そう考えたシノブは、彼女を(いたわ)るように優しく寄り添いながら言葉をかけていた。


「シノブ……私は貴方のところにいるのが一番幸せなのです。それに、これがベルレアンにとっても一番良いことですから。

……フライユに行っても、アミィやミュリエルがいます。シメオン殿達も助けてくれます。何も心配はしていません」


 シャルロットは、自身の言葉を証明するかのような澄んだ笑顔をシノブに向けていた。そして、彼女は音楽に合わせて緩やかに踊り始めた。

 迷いの無いステップを見せるシャルロット。しかしシノブは、外面から見えるものだけが全てではないとも感じていた。彼女の『ベルレアンにとっても一番良いこと』という言葉には、どこか自分自身に言い聞かせるような雰囲気も混じっていたからだ。


「そうだね……君の言うとおりだ。俺達は一人じゃない。そのとおりだね」


 シノブも内心の思いは押し隠し、(かげ)りのない表情を作る。そして彼は、シャルロットと同じく伸びやかな舞を披露し始めた。

 シャルロットが悩みを捨てて前に進むなら、自分もそうするだけだ。シノブは、シャルロットと共に生きると決意したときを想起しながら、その思いを表現するかのように寄り添い舞い踊った。


「……やっぱり、シャルお姉さまのほうがシノブ様も楽しそうですわね」


「殿下、お二人の横に並ぶなら、この程度で驚いていてはいけませんよ」


 二人の耳に、セレスティーヌとアミィの(ささや)き声が聞こえてくる。

 シノブとシャルロットは思わず顔を見合わせたが、再び仲睦ましげに身を寄せながら互いの気持ちを確かめ合うかのようにダンスへと没頭していく。


 創世暦1001年。それは、穏やかなダンスで幕を開けた。しかし、それは嵐の前の静けさのようでもある。

 激動の幕開け。だからこそ、今だけは温かな時を楽しむ。シャルロットの柔和な笑顔を見つめながら、シノブは静かに将来へと思いを馳せていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年1月21日17時の更新となります。


 次回から第9章になります。


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