08.09 ガルック砦攻略
ガルック砦からは、今やメリエンヌ王国の旗は降ろされていた。そして、代わりにベーリンゲン帝国の旗、黒地に稲妻が描かれた旗が掲げられている。そう、現在、ガルック砦はベーリンゲン帝国に占領されているのだ。
つい先日まで王領軍の将官達がいた司令室には、帝国士官達が陣取り、彼らがフライユ伯爵領の家臣達に指示を出している。
フライユ伯爵領の家臣達にも、納得がいかない様子の者もいるようだが、継嗣グラシアンの指示とあっては、従うしかないと思ったのかもしれない。彼らは、帝国軍人の命に従い、砦の防御を固めている。
「グラシアン、だったな。我ら帝国の臣下となる、それに間違いないか?」
大将軍ベルノルト・フォン・ギレスベルガーはフライユ伯爵継嗣グラシアンの内通でガルック砦に入ると、早速相手の意思を確認していた。
事前に間者を通してのやり取りはあるが、これが初めての対面である。そのためベルノルトはグラシアンを値踏みしているのだろう、冷徹さを具象化したような灰色の瞳で彼を凝視している。
「はい。王国の盾として使い潰されるのには飽きました。500年以上も前の功績で王だの伯爵家筆頭だの言っている者共の下に立つくらいなら、自身の意思で仕える相手を決めたいので」
巨漢のベルノルトに睨まれても、グラシアンは平静な調子で答えている。
もっとも、彼も身長190cm近い大男である。流石にベルノルトよりは僅かに背が低いが、身体的な特徴でいえば、それほど差がないともいえる。
「ほう。グレーナー……そちらではマリュスと言ったか。奴から聞いているかもしれんが、帝国では、実力次第で爵位を得ることも可能だ」
大将軍ベルノルトは、落ち着いた様子のグラシアンに感心したのかもしれない。彼にしては珍しく、自身から言葉を続ける。
「勲功爵、でしたか」
グラシアンは、ベルノルトの言いたいことを察したようだ。ベーリンゲン帝国の武人には、自動的に一代限りの爵位が付与される。勲功爵と呼ばれる爵位であるが、世襲ではない点を除けば、通常の爵位と何の差もない。
大将軍が勲功伯爵、将軍が勲功子爵、大隊長で勲功男爵である。したがって、高位の軍人であれば騎士の出であっても貴族としての待遇を得ることができる。実際には、将軍に相応しい実力を身に付けるには貴族のほうが有利であるらしく、騎士上がりの将軍などは滅多にいないらしい。
しかし、それでも王国に比べて出世しやすいともいえる。
王国の場合、新規に爵位を得るのは基本的には王家に大功を認められた場合だけである。それも10年に1度、男爵が誕生すれば良いほうだ。実際、グラシアンが成人して以降の十数年では例がない。
なお、シノブのように伯爵家に婿入りする前提で子爵位を得た者は、稀ではあるが過去にも存在する。だが、それも100年に1度あるかないかだ。
「ああ。もっとも、そなたはベーリンゲン帝国フライユ伯爵継嗣だ。そんなものは不要だろうが……」
「今は、です。ベーリンゲン帝国西方大公、などを目指してみようかと」
ベルノルトの言葉に被せるように、グラシアンは意味ありげな台詞を吐く。どうやら彼は、帝国の手先となってメリエンヌ王国を自身の手に収めたいようである。
「……貢献次第では、それもあるかもしれんな。ならば、まずは我らを王国内に案内せよ!」
相手の欲を察したのか、大将軍ベルノルトは僅かに苦笑した。だが、欲望を持つほうが扱い易いと思ったのかもしれない。彼はグラシアンを咎めることなく、王国へ進軍する先鋒を命じた。
「はっ! それでは、失礼します!」
対するグラシアンは、自身の望みが認められたと思ったようだ。彼は嬉しげな表情で一礼すると、フライユ伯爵領の騎士隊へと向かって歩みだした。
「奴は、使えるのか?」
そんなグラシアンの後姿を見ながら、ベルノルトは隣で静かに控えていた将軍エグモント・フォン・ブロンザルトへと問いかける。
「扉を開けるのが役目ですから……それ以上は、期待しないほうが良いでしょう。ともかく、急ぎましょう。どうやらボニファーツはシノブという男を止めるので手一杯だったようです」
将軍エグモントは苦笑しながらベルノルトに答えるが、途中から表情を引き締めた。
巨漢の将軍ボニファーツ・フォン・ライゼガングがシノブと交戦したのを、エグモントは知っているらしい。その死までは把握していないようだが、苦々しげな口調からすると彼の末路を察しているらしくもある。
「こうなると、例の物の完成を待つべきでしたか……」
どうも不満があるらしく、将軍エグモントは更に表情を厳しくする。
帝国には高度な魔道具技術があり、実際に将軍ボニファーツはアドリアンが持っていたものより強力な魔道具を所持していた。おそらく、更なる進化を遂げた何かの開発が進められているのだろう。
「言うな。20年の準備もある。それに、絶好の機会だ」
ベルノルトは、エグモントの言葉を遮った。エグモントに反発したというよりは、彼の一族が手がけた20年もの調略を無駄にしたくない、という思いがあるらしい。それにメリエンヌ王国の王女セレスティーヌの成人式典は、彼の言うように特別な式典である。
王国も自身の面子を潰されたと思ったからこそ、早い段階でアシャール公爵や各地の伯爵まで出してきたのだろう。帝国の意図が王国軍を国境まで誘き出すことにあるのなら、この機会を逃したくないというのも理解できる。
「はい。中核である王家直属と武名の高いベルレアンを平原に誘い、そこに閉じ込める。平原の西はガルック砦、東はゼントル砦で塞がれています。そして南北は険しい山岳地帯。彼らは檻に閉じ込められたのです。
今、フライユ伯爵領にいるのは後方支援の部隊だけです。奴隷達の大半を失いましたが、それでも制圧には充分な兵力が残っています」
将軍エグモントは、ベルノルトの言葉を肯定する。
彼らの皇帝が言った『王国から土地を奪う』というのは、フライユ伯爵領の確保を意味していたのだろうか。確かにフライユ伯爵領の東方は帝国、北方は険しい高山地帯で他国とは行き来できない。そのため、侵略後に西方と南方を守れば王国に対抗できる。
しかも、フライユ伯爵領の西方を守るベルレアン伯爵と王国の北方や東方を管轄するアシャール公爵、そして彼らの兵が不在では、王国側も容易には対応できない。
それらを考えると、王国の精鋭を補給不可能な状態でガルック平原に孤立させ、その間にフライユ伯爵領の支配体制を整えることは充分可能と思われる。そして、平原の王国軍は衰弱した後で殲滅すればよい。エグモントの言葉からは、そんな意図が感じられる。
「……ともかく、ライゼガングの苦労に報いねばな」
大将軍ベルノルトはエグモント同様に険しい表情をすると、西方に目を向けた。
ボニファーツの奮闘に報いるためにも、王国への侵攻を成功させようと思ったのだろう。ベルノルトは瞑目すると、自身の軍馬に跨るべく配下である帝国騎士団の下へと歩みだしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふうむ。思ったより生き残ったねぇ。……いや、これもシノブ君のお陰だよ! ありがとう!」
アシャール公爵は、彼独特の飄々とした様子で、シノブを褒め称えた。
公爵の言葉は決して大袈裟ではない。まず、純然たる王国側戦力である左翼3700名からは、100名しか死者が出なかった。これは、反乱を起こした本隊のフライユ伯爵領軍を抑えるために動かした歩兵隊の損害が殆どである。前線は騎士達とシノブが支えきったので、歩兵隊2800名の一部のみに損害は抑えられた。
次に、右翼3700名であるが、このうち王領軍は騎士隊300名と本陣200名、大型弩砲隊や長弓兵からなる射撃隊500名の計1000名である。それぞれ半数から三分の一程度の損害を出したが、結果的にマティアスを含めた約600名が生き残っていた。
これは、戦況が厳しくなったら右端である南側の山中に逃げろ、という事前の指示が幸いしたようである。元々、戦場の端であるため、この指示自体はさほどおかしなものではない。騎士隊も、初撃の後は右側に迂回するように指示をしていたため、逃げやすかったらしい。
一番損害を出したのは、中央の本隊である。本隊の王領軍は騎士隊の900名と本陣の100名であるが、どちらも逃げ場がないため、半数強が命を落としていた。
しかし、全軍の王領軍とベルレアン伯爵領軍を合わせた5700名のうち、およそ4700名近くが生存していた。裏切りにより帝国軍とフライユ伯爵領軍に挟撃された結果としては、上出来であろう。
「継戦能力も維持されているし、その点も助かるよ」
ベルレアン伯爵も、安堵した様子でシノブに声をかけた。
重傷者もそれなりにいたが、シノブやアミィの治癒魔術で彼らの多くは完治していた。比較的軽傷の者はガスパール・フリオンやルシール・フリオンをはじめとする治癒術士に任せたが、彼らも魔力回復の効果がある魔法のお茶のお陰で、治癒魔術を使い続けることができた。
そのため、戦闘に復帰できない者は100名を切っていた。率直に言って死傷者数だけを見るなら、勝ち戦と誤解しかねない少なさである。
元々、王領軍とベルレアン伯爵領軍の補給物資を抱えた輜重隊も、会戦後に帝国側へ進軍することを理由に左翼へと配置していた。したがって、糧食や矢玉などにも不安は無く、兵士達の士気も高かった。
「しかし、ガルック砦を押さえられたままでは、このまま立ち枯れてしまいます。早期に砦を取り返し、帝国兵を駆逐する必要があります」
アシャール公爵やベルレアン伯爵の賞賛にも、シノブの表情は厳しいままであった。
彼が言うように、王国の守りであるはずのガルック砦には、裏切ったフライユ伯爵領軍がベーリンゲン帝国の軍勢を招き入れてしまった。
おそらく、砦には一定の守護隊を残して残りは王国内に侵攻しているであろう。シノブは、都市グラージュに残ったシャルロット達を案じているのだ。
「戦場に残った帝国やフライユの死者数、それにフライユの投降者数から推測するに、おそらく帝国の残存は3500名程度、フライユは5000名前後と思われます」
軍務卿エチエンヌ侯爵の嫡男シーラス・ド・ダラスが、公爵達に報告する。
1万2千名いた帝国兵のうち、およそ8000名近くが奴隷による歩兵部隊であったらしい。シノブの魔力干渉により『隷属の首輪』から解放された者はおよそ6000名。そして戦場で確認された死者は約1000名。そのため、帝国軍の歩兵隊は1000名程度しか残っていないと思われる。
さらに、王国軍左翼を攻めた騎兵隊は全滅、そちらに配置された射撃隊もほぼ壊滅した。その結果として、勝った筈の帝国軍のほうが圧倒的に数を減らしている、という奇妙な事態に陥っていた。
ちなみに、フライユ伯爵領軍の損害は少なかったようである。早々にガルック砦に引いたこともあるし、王領軍やベルレアン伯爵領軍も、攻撃の手が鈍らなかったとはいえない。彼らは、およそ1000名を減らしただけで済んだらしい。これは損害率で言えば一番少ない。
だが、フライユ伯爵領軍からは、平民が多い歩兵を中心に1000名近くが離反していた。特に、左翼の歩兵と戦った本隊の兵士には離反者が多かったようである。
「砦には我々の相手をする必要最低限の兵しか残していないでしょう。我らが4700名。砦側は3000名もいれば充分かと」
マティアスは、残存兵の六割程度がフライユ伯爵領内の攻略へ向かったのでは、と告げる。砦の守備は、攻撃側よりも半分程度で済むというのが王国での常識である。逆に、侵攻する帝国とフライユ伯爵領の連合軍は、都市や領都の城壁を攻略しなくてはならない。
それらを想像した将官達は、マティアスの意見に深く頷いていた。
「シノブ君、悪いがもう少し頼むよ!
君の言うとおり、このまま平原で立ち枯れるわけにはいかない。それに、帝国側は自身の砦に守備隊を残しているはずだから、帝国側に進軍するのは論外だ。
まあ、それ以前に帰る所がないままに戦うのは、心が折れるものだよ。ここは砦を奪還し、兵達を安心させなくてはならない。
君は、グラージュが心配なんだろう? さっさと片付けてグラージュに向かおうではないか!」
アシャール公爵の陽気な声にも、シノブは表情を変えずに頷いた。
この瞬間にも、都市グラージュに危険は迫っているはずだ。都市グラージュまでは、軍馬なら2時間もあれば到達できる。現在、正午近い。会戦後の後始末に、およそ1時間はかかったはずだ。
「任せてください。砦などあっという間に落としてみせます」
シノブは、いつになく強い口調で居並ぶ将官達に宣言した。
彼は、持てる力を全て使ってでもシャルロット達の下へと駆けつけるつもりである。とはいえ、このままシャルロットの父である伯爵や、部下であるベルレアン伯爵領軍を平原に放置するわけにもいかないだろう。
「シノブ様、魔道具はまだあります。落ち着いてください」
そんな彼の焦りを感じたのか、アミィはシノブの腰に光の魔道具が下がっていることを伝えた。シャルロットに危機が迫れば、彼女は事前に決めたとおりに、呼び寄せ機能でこの魔道具を呼ぶはずである。
「帝国やグラシアンも馬鹿なことをしたものだよ。『竜の友』をここまで怒らせるとはね。
さあ、ガルック砦攻略といこうじゃないか! 私だって、殿下や姪を放置しておくつもりはないよ!」
アシャール公爵の声に、シノブは深く頷くとガルック砦に向かって歩みだした。
◆ ◆ ◆ ◆
「あ~、あ~、君達は完全に詰んでいる。無駄な抵抗はやめたまえ。
とっととガルック砦を我々王国軍に返したまえ」
ガルック砦にいた兵士達は、突然外から響いてくる珍妙な声に首を傾げた。
「……公爵閣下か?」
外からの声は、何らかの魔術を使っているらしく肉声とは思えない大音量である。だが、フライユ伯爵領の兵士達は、アシャール公爵の声らしいと気がついたようだ。
城壁の上に登った者が平原を見下ろすと、砦の正面数百mのところに、三頭の軍馬とそれに跨る者達の姿が見える。
「おい! あれは公爵閣下と、ブロイーヌ子爵……それに、従者の少女か?」
彼らが目にしたものは、軍馬に乗って速歩で接近してくるアシャール公爵とシノブ、アミィの姿であった。
「祖国に弓引くその姿。君達の両親家族は、きっと嘆き悲しんでいるだろう。悪いことは言わない、投降するなら今のうちだよ」
どこか暢気なアシャール公爵の声のせいか、それともたった三人の接近のせいか、フライユ伯爵領の兵士や彼らに混じる帝国の士官も攻撃するのを忘れてしまったようである。
そして既に砦の前200mほどまで接近していたシノブ達は、一旦そこで馬の足を止めて佇んだ。
「これは警告ではない。その証拠をみせてあげよう。
シノブ君! やりたまえ!」
右手を掲げたアシャール公爵が、その手を振り下ろしながらシノブに指示を出す。すると、砦の両脇の城壁が、一瞬のうちに熔けて消えた。
なんと、10mほどの高さの城壁が、それぞれ幅1mほど蒸発して消え去っている。その周囲は、岩の熔けた熱気がもうもうと立ちこめ、陽炎のように空気が揺らいでいる。
「あ~、今のはほんの示威行動にすぎないそうだ。シノブ君は慈悲深いから、魔力感知で人がいないところを狙ったそうだよ。だが、次は砦自体を薙ぎ払うと言っている。
さて、3分だけ時間を与えよう。城門を開け、武器を捨てて出てきたまえ。
意地を張っても仕方がないと思うがね。君達が何故反逆者に従っているかは知らないが、抵抗するなら叩き潰すまでだ。いや、この場合は消し去る、かな。
どうせ抵抗しても無駄なんだ。命は大事にしたほうが良いと思うがねぇ」
帝国兵は、フライユ伯爵領の兵士に大型弩砲や長弓での攻撃を命じるが、あまりのことに従う者はいなかった。そんな彼らに業を煮やしたのか、帝国兵自身が大型弩砲や弓で攻撃を仕掛けるが、それらは全て何かに弾かれてシノブ達には届きもしない。
「君達、『竜の友』を知らないのかね。竜のブレスすら防ぐんだ。そんなオモチャの矢が当たるわけないだろう。おっと、自国の兵器をオモチャなんていうのは不味かったかな。
さて、残り1分ほどだそうだ。もう、諦めたらどうかね? 50秒、45秒……」
アシャール公爵の秒読みに、フライユ伯爵領の兵士達は、雪崩を打ったように駆け出した。彼らは武器を放り捨て、慌てて城門を操作して大きく開けると、一斉に外に走り出していく。
「あ~、武器を捨てたら、そのまま伏せたまえ。あまり砦に近くないほうが良いだろうね。状況次第ではシノブ君が砦を消し去るそうだから」
どうやら、殆ど全てのフライユ伯爵領の兵士は投降したようである。
だが、残った帝国兵は、最後まで抵抗するとみえる。彼らは城門が開いているせいか、そのまま騎馬でシノブ達に向かって突進してくる。
「仕方ないねぇ。シノブ君、懲らしめてあげなさい!」
どこか楽しそうな公爵の声を受けたシノブが手を翳すと、彼の前面から岩が盛り上がり弾丸のように帝国兵に降り注いだ。
「だから、無駄な抵抗はやめたまえ、と言ったのにねぇ……」
岩弾に制圧された帝国兵の姿を見たアシャール公爵の意地の悪そうな声が響き渡る。そして、彼は楽しそうに高笑いをし始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、お疲れ様。
しかし、こう言っては何だが、まともに軍略を学ぶのが馬鹿らしくなるような光景だね……城壁を消すのも一瞬なら、元に戻すのも一瞬だとはね。本当に君が私の息子で良かったよ」
ベルレアン伯爵の言うとおり、消し去った城壁はシノブの岩壁の魔術で既に修復されていた。帝国兵を制圧したのを見た伯爵達が馬を進める間に、シノブは城壁を元に戻していたのだ。
彼らは砦の城門を潜り、王国側へと戻っている。ガルック平原には、帝国から解放した元奴隷達や武装解除したフライユ伯爵領の兵士達を見張る兵を残し、王国軍の司令部と大多数の兵士達は城壁の内側へと戻っていた。
「砦に損害を出さずに素早く攻略できたのも大きいよ! 本当にご苦労様!」
アシャール公爵は満面の笑みを浮かべている。
都市グラージュに帝国軍とフライユ伯爵領軍の連合部隊が押し寄せているであろう今、シノブ達は短時間で決着を着けたかった。とはいえ、扇動されて従っているかもしれない末端の兵達を無慈悲に殺すのも心苦しい。
そこでシノブの岩をも溶かすレーザーで城壁を消し去り威力を見せつけ、無血開城させることにしたのだ。ちなみに、公爵の声を砦一帯に響かせたのはアミィの魔術である。なお、彼女はスマホ由来の時間計測能力を活かし、秒読みをするという小技まで披露していた。
「こんなことをしたくはなかったのですが……でも、シャルロット達のことが心配ですし。それに、グラシアンも行方不明のままです」
シノブの表情は依然優れないままだ。
グラシアンは帝国軍と共に領内に戻ったらしい。砦には結局、数百名の帝国士官と歩兵や射撃兵を中心にしたフライユ伯爵領軍しかいなかった。おそらく中核となる部隊は都市グラージュに向かったのだろう。
グラージュにいるであろうシャルロット達を案じたシノブ。彼は、自身の腰に下げた光の魔道具へと視線を向けた。
「魔道具は、まだこのとおりありますから。早くここを片付けて……」
シノブが光の魔道具に手をやったとき、そんな彼の手から逃れるように魔道具は消え去った。
「シノブ! 今のは!」
「はい! シャルロットからの合図です!」
ベルレアン伯爵の鋭い声に、シノブも緊迫した表情で頷き返す。
「どうやら、ギリギリ間に合ったようだね。さあ、シノブ君、行きたまえ!
お陰で砦も取り戻した! 後は我々で大丈夫だ!」
アシャール公爵も、彼に似合わぬ真面目な表情でシノブへと叫ぶ。
既に、砦にいた兵士達は武装解除され、王領軍とベルレアン伯爵領軍の兵士達に拘束されている。マティアスやシーラスが率いる騎士達が砦の中を回ったが、ごく僅かな者が隠れ潜んでいた程度で、問題なく制圧は完了していた。
なにしろ砦ごと消し去る、という言葉が誇張ではなく実現可能なのだ。そんな状況で逃亡が困難な砦に潜むのは、よほど愚かな者だけだろう。
「はい、わかりました! アミィ、魔法の家を!」
公爵の言葉通り、もはやガルック砦は王国軍の手に戻っている。後顧の憂いは断ち切った。シノブは、安心してグラージュへと旅立つことにした。
「今、出します!」
魔法の家の展開には約10m四方の土地が必要である。アミィはシノブ達から少し離れると、将官や兵士に退くように伝えて場所を確保する。
「イヴァール、アルノー、ジェレミー、転移をする!」
そして、シノブはイヴァール達を呼び寄せる。イヴァール達も、帝国軍が都市グラージュに向かっていると知ってからは、こういう事態がいつか来ると思っていたのだろう。彼らはシノブの周囲に素早く集まってくる。
更に、セランネ村のドワーフ達、元ブロイーヌ子爵のロベール・エドガールも駆け寄ってくる。
「シノブ様! 我らも行きますぞ!」
そしてアリエルの父エミール・ド・スーリエや、ミレーユの兄エルヴェ・ド・ベルニエも名乗りを上げた。彼らの娘や妹もシャルロットの下にいるのだ。心配するのも当然だろう。
「治癒術士も必要ですわね」
ルシール・フリオンや、その助手カロル・フィヨンも行くつもりのようだ。シノブも、この急いでいるときに彼女達と押し問答するつもりもなかったようで、反対する様子はない。
「シノブ様、準備が出来ました!」
アミィは魔法の家を展開すると振り返る。彼女もこれからの戦いを予感したのか、戦士の表情でシノブを見つめていた。
「義兄上。こちらはお任せしました。シノブ、私も行くよ」
アミィの言葉を聞いたベルレアン伯爵は、アシャール公爵に笑いかけるとシノブの肩に手をやり促した。
「はい、行きましょう!」
シノブ達は、アミィが開けた扉に急いで入っていった。この事態を想定して、魔法の家には絨毯を引いたままであり、彼らは土足のままで魔法の家に入る。
「アミィはこのまま残って! 必要があればすぐ呼ぶから! それでは義伯父上、お先に失礼します!」
シノブはアシャール公爵に頭を下げると、魔法の家の扉を閉めた。すると、数瞬置いて魔法の家は空気に溶けるかのように消え去った。どうやら、無事にシャルロットが呼び寄せたらしい。
「やれやれ、せわしないことだねぇ……さて、シノブ君がここまでやってくれたんだ。後は我々が頑張らないとね」
少なくとも姪は無事だと察したアシャール公爵は、ホッとしたように肩から力を抜いた。だが、その口調は彼らしく、おどけた様子を崩さないままである。
「シノブ様なら大丈夫です。きっと、シャルロット様や殿下をお救いできます」
アミィはシノブを信頼しきっているようで、明るい笑顔を浮かべている。
「そうだね……シノブ君、頼んだよ」
アシャール公爵は、城門の反対側である西の空を眺めた。彼の聡明な、そして少々常人とは違う視線は、しばらくそのまま西方に向けられたままであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年1月5日17時の更新となります。
本作の設定資料にガルック平原の戦いの戦況図を追加しました。初期の配置と局面の変化ごとに図を掲載しています。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。