08.08 平原の攻防 後編
時は少々戻る。フライユ伯爵継嗣グラシアンが裏切った直後、ガルック平原中央を帝国軍へと突撃をしていた王国軍本隊の騎士達に、突如後方から矢が射掛けられた。
「うわっ!」
「何故、後ろから!」
後方からの射撃。それはグラシアンの指示によるものであった。中央本隊の射撃兵はフライユ伯爵領軍で構成されているから、継嗣グラシアンに従ったのだ。しかし、そんなこととは知らない王国騎兵達は、突然の出来事にどうすることも出来ず、崩されていく。
そして崩壊を目にした帝国軍本隊の騎士団が動き出した。彼らは隊列を乱し左右に散る王国の騎士達に瞬く間に迫り、その横腹に食いついていく。
「予定通り……か」
その様子を帝国軍本隊の陣地から眺めているのは、大将軍ベルノルト・フォン・ギレスベルガー。彼はグラシアンの裏切りを承知の上だったらしい。
「はっ! あの跡取りは我らの誘いに最初から乗り気でしたからな。よほど王国中枢に恨みがあったのでしょう」
将軍エグモント・フォン・ブロンザルトの声には、長年の策が実ったためか、平静な中に僅かに浮き立つような調子が滲んでいた。
「ならば、我らも突撃する。ライゼガングにも伝えろ」
エグモントとは対照的に、大将軍ベルノルトは落ち着いた様子を崩さない。どうやら、帝国軍が楔のような魚鱗の陣を選択していたのは、このときを考えてのことらしい。中央で待ち構える大型弩砲隊や長弓兵が寝返った今、彼らの前進を妨げるものはない。
「はい。伝令!」
大将軍の命に将軍エグモントも表情を改め、伝令兵を鋭い声で呼びつける。
「ライゼガング将軍に伝えろ。ベルレアンを食い破れ。魔術師が現れたら命を懸けて抑えろ、とな」
伝令兵は、将軍エグモントの命令を聞くと復唱し、軍馬に乗って帝国軍の右翼へと駆け去っていく。
帝国軍の右翼、つまり王国軍の左翼に対する部隊は、巨漢の将軍ボニファーツ・フォン・ライゼガングが率いているようだ。そして、王国軍左翼にはシノブやベルレアン伯爵がいる。
「シノブという男は、戦闘奴隷を解放したらしい。奴隷達は使い物にならんかもな」
大将軍ベルノルトは、物憂げな調子でエグモントへと語りかける。
「奴隷など所詮使い捨て。甘さの残る魔術師を引きつける囮になれば充分でしょう。
我らが進む道は開かれました。後は、突き進むだけかと」
将軍エグモントは、奴隷を中心に構成された歩兵隊がシノブに解放されても、それはそれで時間稼ぎになると考えているようだ。
「そうだな。ベルレアンはライゼガングに任せよう。フライユの息子がアシャールを討ち取っていれば良いがな」
ベルノルトも気を取り直したようで、前線へと視線を向けなおした。
「あの跡取りが鍵を開けてくれれば、アシャールやベルレアンなど、どうでも良いのです。猟犬共が外で走り回っている間に、屋敷を手に入れる。犬共は放っておけば飢えて死ぬ。そうではございませんか?」
エグモントは、グラシアンの裏切りが成功した以上、野戦に拘る必要はないと考えているようだ。それ故、アシャール公爵やベルレアン伯爵の命など、今は捨て置くべきと言いたいらしい。
「うむ。野戦で王国軍を打ち破るのは、またの楽しみにしよう。行くぞ!」
大将軍ベルノルトも、エグモントの言いたいことは理解しているのだろう。だが、武将としてはどんな手段にしろ敵将の首級を挙げたかったのかもしれない。
彼は、自身の感傷を振り捨てるかのように首を振り、立ち上がる。そんな司令官の姿を見た将官達も、大将軍に続くべく慌ただしく動き出した。
大将軍ベルノルトや将軍エグモントと、その直衛たる騎士達。彼らは素早くそれぞれの愛馬に跨り、西方の王国陣地に目掛けて地響きを立てながら駆け出していった。
◆ ◆ ◆ ◆
そのような帝国軍中枢部の動きなど知らないシノブ達は、左翼前線に迫る帝国騎士団を防ぐべく、自陣の前線へと急いでいた。
帝国の騎士団は、人馬双方に強化の魔道具を使っているらしい。その速度は王国の名馬をも凌ぐもので、シノブ達が前線に到達したとき、既に王国軍の大型弩砲隊や長弓兵の目前まで迫っていた。
「イヴァール! 一旦、魔術で蹴散らす!」
シノブは初戦でも使った真空を発生させる風の魔術を、帝国の騎馬隊に向かって放つ。しかし先頭の数騎が転倒しただけで、残りは跳び越え突進を続けていた。
どうやら帝国の騎兵は魔力障壁を発する魔道具でも装備しているらしい。駆ける勢いは衰えたが、致命的な傷を負ったものは僅かなようだ。
「……効きが悪い? ならば、岩壁!」
王国軍左翼の大型弩砲隊を追い越したシノブは、イヴァールなど後続の者が抜ける一帯を残して、長大な岩壁を形成した。
シャルロット達を暗殺者から救ったときにも使った岩壁の魔術。そのときは20人の兵士が放つ矢を遮る程度だったが、今回は違う。
なんとシノブの魔術は、彼の僅か後方に左右100m以上もの長さを持つ岩壁を作り出した。中央は彼に続く騎兵の為に空けているが、高さ10mに迫ろうというガルック砦の城壁と比べても遜色の無い岩壁があっという間に地面から迫り出していった。
「ここから攻撃できる!」
「急げ!」
岩壁には所々、穴が開いている。シノブは大型弩砲隊や長弓兵を考慮し、銃眼を用意していたのだ。帝国の騎馬隊に蹂躙される直前であった王国の射撃兵達は、喜び勇んでそれらの銃眼に自身の武器を向けていった。
「なんだ! あれは!」
「馬を抑えろ! ぶつかるぞ!」
あまりの出来事に、帝国の軍馬達も動揺したのか足が鈍る。いずれ劣らぬ名馬であろうが、流石に突然出現した眼前の巨大な壁には本能的な異常を感じたようである。もしかすると、シノブが放つ無尽蔵とも思える魔力に怯えたのかもしれない。
騎乗する帝国騎士達も馬を抑えるので精一杯のようである。とはいえ暴れようとする馬を隊列を組んで疾走する中で制御しきったのだから、並々ならぬ馬術には違いない。彼らは速度を落としながらも、シノブ達への突進をやめようとしない。
「イヴァール! あいつらは強化の魔道具を使っている! しかも、弱いが魔力障壁もあるらしい!」
風の魔術を遮った何かを、シノブは魔力障壁だと考えた。戦闘奴隷であったアルノー・ラヴランから高級将官のみが持つ障壁の魔道具の存在は聞いていたので、それではないかと判断したのだ。
幸い、シノブ自身が使うような強固なものではないらしい。そのためイヴァール達なら充分打ち破れるとは思ったが、その存在を伝えておく必要がある。
そこでシノブは、左右に展開していく仲間達に大きな声で注意した。
「わかった! ならばこの戦斧で打ち破るまで!」
移動中なら、魔力障壁を支えているのは発生させた術者か魔道具のはずだ。そうでなければ、突進している軍馬は魔力障壁にぶつかってしまうだろう。したがって仮に打ち破れなくても、イヴァールの超人的な膂力で繰り出される一撃なら障壁ごと人馬を吹き飛ばすに違いない。
そう判断したシノブは、それ故彼については安心していた。だがアルノーやラシュレー中隊長、残りのドワーフ達はどうであろうか。
「シノブ様、障壁は長く続きません、連携して当たります! ジェレミー、俺と組め!」
シノブの思いが届いたのか、アルノーは二人一組で攻めるようラシュレー中隊長へと指示を出す。
それを聞いたラシュレーは、アルノーの軍馬と触れんばかりの近距離に自身の馬を寄せて駆けていく。更に双子ドワーフのイルッカとマルッカは同様にドワーフ馬を接近させ、残ったカレヴァもイヴァールと隊列を組む。
「アルノー、ありがとう!」
自身の経験を活かして助言をするアルノー。彼に礼を言ったシノブは、単騎で帝国騎兵へと駆けていった。そして、今度は連続して風の魔術を放つ。
「ぐわっ!」
アルノーの言葉は正しかったようで、シノブが二撃、三撃と放つ風の魔術は、帝国の軍馬達へと命中していった。どうやら騎士の障壁のほうが強いとみえ、彼らは落馬はするが超人的なバランス感覚をみせると地上へと降り立っていく。だが、騎乗していた馬達はシノブの魔術で蹴散らされた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブの魔術で崩壊した帝国の騎士団。彼らは徒歩でイヴァール達と交戦しているが、最前までの勢いはない。アルノーの助言もあり、イヴァール達は戦闘を有利に進めているようだ。王国の陣地はシノブが築いた防壁で守られているし、左翼に関しては帝国騎士による崩壊を免れたようである。
しかし、そんな中で唯一無傷の帝国騎兵の姿があった。
「お前がシノブか! 俺と一騎打ちしろ!
俺はボニファーツ・フォン・ライゼガング! ベーリンゲン帝国将軍、ライゼガングだ!」
特別製の魔道具を身につけているのか、一騎だけ残った巨大な軍馬。疾走する馬上の大男が、シノブへと雷鳴のような大声で呼ばわった。
「シノブ・アマノ・ド・ブロイーヌ! 一騎打ちを受ける!」
双方の距離は狭まり、もはや眼前に迫っているというべき間合いだ。そこで、シノブはシャルロットから教えられた作法のうち最も短い形式に則った。つまり、己の名と勝負の承諾のみを告げて愛馬リュミエールと人馬一体となって駆けていったのだ。
ボニファーツは右手に長槍を構え、左手には巨大な盾を構えている。それに対してシノブはアムテリアから授かった神槍を右手に構えているだけである。
しかし、シノブには自身の魔力障壁がある。竜のブレスをも防ぐ強固な魔力障壁さえあれば盾など不要で、更に魔力障壁はシノブの意思に従って自在に形を変える。したがって槍での攻撃と見せかけて、魔力障壁を槍状に突き出して突撃することすら可能である。
だが帝国の将軍と相見えたシノブは、彼らが何故攻めてくるのか聞いてみたかった。
アルノーは、使役者以外とほとんど話したことがないらしい。そのため、彼から伝えられた帝国像は非常に限定的なものであった。しかし目の前の男は将軍と名乗った。国家の柱石であろう男が、何を思って侵攻してきたのか。シノブは正体の見えない帝国の情報を、この男から少しでも引き出したかったのだ。
「お前達は、何故攻めてくる!」
シノブは、自身の槍をボニファーツの持つ盾の中心めがけて突き出しながら、鋭い声で叫んだ。
彼は、まずは小手調べと抑えた一撃を放った。そのせいもあってか、ボニファーツは轟音のみを残してシノブの槍を受け流し、巨大な軍馬を操り駆け抜けていく。
「戦場で何を言う! どうやら武人ではないとの噂、本当であったようだな!」
シノブの叫びを聞いたボニファーツは、嘲るような笑いを見せながら、軍馬を反転させていった。
「戦果を挙げて出世し、己の国に貢献する! それ以外の何があるか!」
再度の突撃に入るボニファーツ。彼はシノブの言葉を切り捨てるかのように吼えると、激突の瞬間に備えて馬上で前のめりに体勢を整える。
「それだけか! その為だけに人を操るのか!」
シノブも、自身が言っていることが綺麗事だとは理解している。強い者が弱い者を従える。それは、生きていく以上、避けられないことなのかもしれない。だが、人の意思を無視して支配する『隷属の首輪』を使う帝国をそのままにしておくつもりはなかった。
「獣人など人ではなかろう!」
ボニファーツは、シノブの言葉を一蹴するように軍馬を加速させていった。シノブも、今度は本気で攻撃をするつもりである。彼は、愛馬リュミエールを加速させつつ、己の右手に持つ槍を渾身の力で繰り出した。
「ぐあぁ!」
シノブの本気の一撃は、ボニファーツの盾をあっさり突き破り、彼の左手を傷つけたようである。盾を取り落としたボニファーツは、その左手を鮮血に染めていた。
「降伏しろ!」
リュミエールを反転させて敵手の様子を確認したシノブは、ボニファーツを捕らえようと降伏を呼びかけた。従来、高位の軍人が捕虜となったことはないらしい。捕虜となることは禁忌なのか、自決する者が殆どであったようである。そのため、シノブは情報源として敵将軍を捕らえたかったのだ。
「まだ、決着はついていない!」
ボニファーツが吼えると、三度軍馬を突進させてくる。何らかの魔道具で止血したのか、彼は左手に剣を持ち盾の代わりに翳している。
シノブも、これ以上勝負を長引かせる余裕はないと判断した。それに、尋問するなら捕らえてからで充分だ。そう思ったシノブは自身の身体強化を極限まで高めると同時に、愛馬リュミエールにも魔力を注ぎ込んだ。シノブの魔力で一時的に能力を上げたリュミエールは、普段に倍する速さで駆けていく。
「馬鹿にするなぁ!」
シノブが手捕りにしようとしているのを察したのか、ボニファーツが怒りの形相を見せる。そして、彼とその軍馬の魔力も急激に膨れ上がっていった。
(これは、アドリアンと同じ? いや、それ以上か!?)
シノブは、王都で決闘したアドリアンの様子を思い出した。彼が身に着けていた魔力吸収の魔道具。それと同じようなものをボニファーツも所持しているようである。
しかも、こちらのほうが数段性能が上のようだ。アドリアンと違い、知能が低下したような様子は見られないし、その魔力も数倍はあるように感じられた。
(傷つけないで捕らえるのは無理か!)
アドリアンが持っていた魔道具は、決闘の時に破壊してしまったため、無効化する方法は不明なままである。シノブは、回復の魔道具も持つらしいボニファーツを捕らえるには重傷を負わせるしかないか、と覚悟を決めた。
三度目の衝突は、あっけないものだった。シノブが繰り出した神速の突きは、ボニファーツが持つ槍と剣を切断し、更に彼の両肩も貫いていた。そして、突きの衝撃ゆえかボニファーツはほどなく落馬した。
「ライゼガング将軍、大人しく投降しろ!」
「そう言われて素直に従うと思うか!」
シノブが馬を寄せていくと、ふらりと立ち上がったボニファーツは、鈍い動きながら、自身の胸元に手をやり、何かを取り出した。シノブは両肩を完全に貫いたはずである。どうやら、回復の魔道具を持っているのは間違いないらしい。
「お前には敵わないようだ……それは仕方が無い。強い者が弱い者を自由にする……それがこの世の定め。
だがな、捕まって恥辱を受けるくらいなら!」
ボニファーツは手に持った何かを口にすると、逆の手で首飾りのような物をもぎ取り放り捨てる。
「将軍!」
シノブは慌ててリュミエールから降り駆け寄るが、そのときにはボニファーツの顔は青黒く変色しており、脈は止まっていた。
「毒……か?」
おそらく、首から外したものが回復の魔道具であったのだろう。それ故通常の治癒能力しかもたないであろうボニファーツはあっけなく落命していた。
「シノブ、こちらも片付いたぞ!」
いつの間にか、イヴァール達にベルレアン伯爵領軍や男爵領群の騎士達も合流していたようだ。シノブの風魔術で軍馬を失った帝国騎士達は、王国軍の騎士達によって駆逐されていた。周囲の敵を全て片付けたイヴァールが、愛馬ヒポを走らせシノブへと近づいてくる。
だがシノブは、そんなイヴァールの声も耳に入らぬ様子で、ボニファーツが投げ捨てた首飾りを手にしたまま立ち尽くしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
ボニファーツの自決に衝撃を受けたシノブであったが、近寄ってきたイヴァールに肩を叩かれ、我に返った。彼は、帝国騎士や軍馬が付けていた魔道具の回収をアルノーやラシュレー中隊長に命じると、アミィへと思念を送った。
──アミィ、左翼の前線はなんとか支えきった。そっちは?──
──公爵を左翼の陣にお連れしたので、姿を消して右翼に向かっています。本隊の陣地に残っていた王領兵は半分くらい左翼に辿り着きました。でも、右翼の王領軍もだいぶ被害を受けているようです──
シノブは、アミィからの心の声を聞いて、少し安心した。とにもかくにも、アミィは無事である。それに、公爵も。だが右翼の様子を聞いて、シノブは再び顔を顰めた。
──フライユ伯爵領の兵士と帝国側は?──
──協調してガルック砦に向かっています。グラシアンは『公爵が帝国軍に寝返った』と捏造していたので、帝国側とは通じないのかと思いましたが。
どうやら、反逆したことで家臣の退路を断ったようです。『こうなった以上は帝国と共に戦うしかない』と兵士達が言っています。一部の兵士は降伏や離反をしたようですが、士官を中心に多くは従っているみたいですね。
……右翼に入りました。マティアスさん達を発見したら、南側の山中にでも誘導しようかと思います──
アミィは、本隊や右翼のその後について苦々しげな思念で伝えてくる。
彼女が言うとおり、本隊は帝国騎士達をそのまま迎え入れたようである。アシャール公爵は裏切りを予想して、総本陣には王領軍の兵士を100名しか置かなかった。そして本隊の王領軍の大半は帝国側に突撃していった騎士達であった。
彼らは帝国軍の中央に突撃を仕掛けたが、後方からの射撃を受け隊列を崩した。更にその動揺に乗じた帝国騎士に突破されたようである。大きな損害を受けた騎士隊だが、裏切ったフライユ伯爵領軍が待つ自軍に帰ることもできない。そんな四分五裂した騎士達の一部は、左翼へと辿り着いていた。
右翼も、副将を務めるフライユ伯爵の家臣ラジェナン・クメールの裏切りを受けて混乱しているようだ。本隊とは違い射撃隊は王領軍であったため、前線の騎士達に射掛けることこそなかった。しかし、後方の歩兵達の攻撃を受けて、射撃隊と騎士達は協調できずにフライユ伯爵領軍と帝国軍に挟撃されたという。
運良く逃げ延びた騎士達からシノブ達が聞いた断片的な情報や、アミィからの思念。それらを総合すると、本隊と右翼のフライユ伯爵領軍はガルック砦へ撤退、いやガルック砦へ進軍しているようである。おそらく、砦の占領をもくろんでいるのだろう。
そして彼らを先遣隊にした上で、その後続として帝国騎馬隊と歩兵隊が続いているらしい。砦にはフライユ伯爵領軍が入城させる前提であるから、攻城兵器などは持たず身軽に進軍できるのだろう。左翼のシノブから見ても、彼らが勢いよく進んでいるのが見てとれた。
──そうか。砦にはベルレアン伯爵領軍はいないから、その点では安心だけど──
アシャール公爵は、王領軍とベルレアン伯爵領軍の後方支援部隊も、左翼へと合流させていた。治癒術士であるルシール・フリオンなどは元から前線での治療活動のため左翼本陣にいる。そして、それ以外の支援部隊も帝国の砦へと進軍するのに必要だという理由で、左翼に配していたのだ。
──そうですね。左翼が健在であれば、立て直せます。
後は、少しでも帝国軍を減らしたいところですね──
アミィが言うように、帝国の大部隊が王国に攻め込んだらどうなるか。シノブは、シャルロット達が守る都市グラージュのことを想起した。もはや、ガルック砦の占領は避けられないだろう。だが、帝国軍を少しでも減らしておく。今後の戦いを考えれば、それには大きな意味がある。
──わかった。俺は帝国軍の後続を絶ってみる。アミィも気をつけてね──
シノブは、帝国の歩兵隊が奴隷を中心に構成されていることを思い出した。『隷属の首輪』で命令されている奴隷達は、その影響力を絶つと一旦気絶するようである。アルノー達を解放したときの様子や、その後の調査で、シノブ達はそのことを知っていた。
したがって、首輪に対する魔力干渉をしながら歩兵隊を突っ切れば、帝国軍の無力化と奴隷の解放ができるはずだ。シノブは、そう思ったのだ。
──シノブ様こそ、気をつけてください──
アミィからの心配そうな思念に、シノブは僅かに微笑んだ。そして、彼はイヴァールへと向き直る。
「イヴァール。俺は歩兵の奴隷達を魔力干渉で抑える。イヴァール達は……」
シノブは、奴隷を解放しながら右翼まで到達し、アミィと合流するつもりであった。アミィが姿を消せるとはいえ、一人では何があるかわからない。そのため、彼は帝国の後続を崩しつつ、アミィの下へと行きたかったのだ。
「一緒に行くとも。状況はそこの騎士にでも伝えさせればよかろう」
イヴァールは、そう言って中央から逃げてきた王領軍の騎士達へと視線を向けた。
「シノブ様。我々もいますぞ」
ベルレアン伯爵領軍の騎士オーブリー・アジェやジュスタン・ジオノ、そしてアリエルの父エミール・ド・スーリエや、ミレーユの兄エルヴェ・ド・ベルニエもシノブの指示を待っていた。
「わかった。男爵領軍の騎士は、このまま左翼前線を支えてくれ! ベルレアン伯爵領軍の者は、私についてきてほしい!」
シノブは、イヴァールやアルノー達、そしてベルレアン伯爵領軍の騎士達を従えて愛馬リュミエールを走らせた。
ほぼ奴隷で構成されている歩兵隊は、魔力干渉で『隷属の首輪』を封じてしまえば何の問題も無い。それに、歩兵隊は最後尾である。その後ろから敵が来ることも無い。シノブは首輪を槍で切り飛ばすつもりであったが、手が多くて困ることはないだろう。
王領軍の騎士に伝言を頼んだ彼らは、歩兵隊が進む平原中央に向けて駆け出していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年1月4日17時の更新となります。