08.07 平原の攻防 中編
創世暦1000年12月21日早朝。メリエンヌ王国軍およそ1万3千と、ベーリンゲン帝国軍1万2千は、平原の西寄りで衝突しようとしていた。
西の王国がガルック平原と呼び、東の帝国がゼントル平原と呼ぶ、国境の緩衝地帯。それぞれ、ガルック砦とゼントル砦を自国の守りとして築き、その間はおよそ10kmはある。二日前の戦いで、王国側はその西端を押さえ、自軍を展開した。現在、砦から東に1km程の地点に、王国陣の陣地が形成されていた。
陣形は、双方とも中央本隊に右翼と左翼の三つの軍勢に分けている。だが、王国側が中央を若干下げた防御に適した配置で、逆に帝国側は楔のような突撃に向いた構えだ。
鶴翼の陣の王国軍と、魚鱗の陣の帝国軍。本来、平原の中央へと攻め寄せるべき王国側が防御陣形を取るのは、攻城兵器を多く残しているからであろうか。
雪で白く覆われた平原。その西方、王国軍の陣地には移動式の投石機や大型弩砲が設置されているから、帝国軍はその射程には入ってこない。
王国軍の陣地から1km以上東に展開している帝国軍は、長射程の大型弩砲でも、さすがに攻撃範囲外である。
したがって攻城兵器で攻撃するなら、それらを前進させるしかない。しかし、帝国軍にも長弓や大型弩砲が存在する。
帝国の投石機はほぼ全滅したのか、発見できない。とはいえ大型弩砲はまだそれなりに残っている。王国軍が砦攻略のために運んできた攻城塔に登った索敵係は、その手に持つ望遠鏡で、王国側に狙いを付けている無骨な兵器を発見していたのだ。
大型弩砲に比べ、投石機の射程は半分以下である。当たれば絶大な威力であるが、その巨大さゆえに簡単には移動できない。それに、移動式の投石機自体は強固な覆いで守られているが、引き馬や兵士を狙われれば移動させることも困難である。
それに対して、自身で持ち運びのできる長弓や、比較的簡単に移動できる大型弩砲は、充分な機動力がある。
そのため、まずは長弓や大型弩砲で矢戦を仕掛け相手の体勢を崩す。そして、崩れた相手に騎士が突撃をし突破口を作る。
大型弩砲の狙いを素早く変更するのは難しい。それに、強力な身体強化をした騎士と軍馬であれば、弩の矢を避けながら接近することも不可能ではないし、長弓の矢であれば跳ね返すだけの重装備を身に着けている。
そんな騎兵達が弓や大型弩砲を沈黙させたら、最後は歩兵の出番である。
そんな戦の定石通りに、両軍は東西に布陣し激突の時を待っていた。双方とも軍勢を、本隊に右翼と左翼の三軍に分けている。あまり多くの軍勢を固めても騎士達を柔軟に運用することができない。それに、大軍を統率するのは、伝達方法が発達していないこの時代の軍隊には困難であった。
戦では信号旗や伝達用のラッパなどが用いられているが、魔術や魔道具には、通信用のものは存在しない。シノブやアミィの心の声は稀有な例外である。
そこで、戦では伝令騎士が縦横に走り、将の命令を伝え軍を動かす。したがって、それらの手段で統率できる単位で運用するのが、常識であった。
──アミィ、本隊の様子はどう?──
だが、そんな常識を覆す二人が、王国軍には存在する。
アミィは姿を消して、本隊にいる総大将のアシャール公爵の護衛をしている。それ故シノブは、心の声で本隊の状況を確認していた。
──はい、今のところ異常ありません──
アミィから、少し苦笑気味の思念がシノブに返ってきた。シノブは、大軍の激突を前に少々緊張気味のようであった。いくらフライユ伯爵領軍が裏切るかもしれないとはいえ、まだ開戦前である。さすがに裏切りには早すぎるだろう。
アシャール公爵は自身の突飛な性格を逆手に取って、独り言を装いアミィに状況を伝えているらしい。そして、彼の側近くに控えるアミィは、他に聞こえないような小声でシノブから送られてきた情報を伝えている。したがって、本隊の状況をシノブやその側にいるベルレアン伯爵は把握していた。
左翼である彼らは、ベルレアン伯爵領軍と王領軍だけで構成されている。そこでシノブは伯爵に、大声ではないがごく普通に本隊の様子を伝えていた。
シノブが多様な魔術を駆使することは、もはや伯爵領軍や王領軍も充分理解している。そのため、周囲の将官はその方法はわからないものの、シノブからの情報を疑うことはない。
「義父上、状況に変化はありません」
シノブは、アミィから返ってきた返事で、自身が焦り気味と気がついたので、僅かに苦笑していた。
「そうか。まあ、開戦までは流石に何も無いだろうね」
彼らのやり取りを知ってか知らずか、ベルレアン伯爵は落ち着いた様子でシノブに微笑み返した。
「動くとすれば、騎士隊が突撃をした後でしょうな。手薄になった本陣を歩兵隊で一気に押さえる。そんなところかと」
元ブロイーヌ子爵のロベール・エドガールが、シノブ達の会話に混ざる。彼は、本陣が崩され動揺した騎士隊に帝国側が逆襲して一気に突き崩すのだろう、と続ける。
「本隊の大半がフライユ伯爵領軍で構成されているのは、厄介ですな」
領都守護隊司令のダニエル・マレシャルも、自身の意見を述べる。そんな彼の言葉に、領軍参謀長のデロールやその下で働いているミュレも、深刻な表情で頷いていた。
彼らは直接的な言葉を避けているが、裏切りがあったときにアシャール公爵の退路がないのを指摘しているのだ。5500名もの本隊だけに、公爵が全てを自身で指揮しているわけではない。
中央の本陣は、100名ほどの王領軍が固めている。残りの王領軍は、前線に突撃する騎士隊900名である。それに対してフライユ伯爵領軍は、大型弩砲隊や長弓兵からなる射撃隊1000名と、その後方の歩兵隊3500名である。
したがって変事が起きた場合、アシャール公爵は100名の手勢でフライユ伯爵領軍の歩兵隊3500名を突破しなくてはならない。
「中央突破を狙う帝国を抑えるために、本隊を厚くする。これは仕方が無いでしょう。それでも帝国が馬鹿正直に楔形陣形で突破を図るのは、やはり策があるとしか思えませんが……。
ですが、それに逆手にとって翼包囲のために両翼を本隊から離す。公爵閣下のご配慮かと……」
「まったく、義兄上も大胆な策を取ったものだよ」
領軍参謀長のデロールの言葉に、ベルレアン伯爵は頷いた。
自身の護衛は極力少なくしたアシャール公爵。フライユ伯爵領軍が裏切った場合に、巻き込まれる者達を少なくしようという配慮であろう。だが、ベルレアン伯爵が言うとおり、大胆極まりない策であった。
「まあ、数が少ないほうが何とかできると思います」
シノブは、アミィの事には触れなかったが、伯爵にはその意図がわかったようである。確かに、アミィが護衛して脱出する場合、むしろ少数のほうが都合が良いだろう。
「本隊から伝達! 矢戦を、との指示です!」
そんなシノブ達に、伝令騎士の声が響いてきた。イヴァールと『戦場伝令馬術』で競った伝令騎士ボーニが、左翼本陣へと駆け込んできたのだ。
「大型弩砲、前進しつつ攻撃開始! 長弓兵はその後に続け!」
ボーニの言葉を聞いたベルレアン伯爵は、左翼の前方に陣取る大型弩砲隊や長弓兵に指示を出した。彼の張りのある声音による号令は、平原へと響き渡っていく。
それを聞いた将官達は、自身が率いる隊に指示を出す。左翼と同様に、本隊や右翼も同様に前進を開始している。
陣地からシノブが見つめる中、ついに敵陣めがけて矢が放たれた。そして、ほどなく敵陣からも応射が始まる。薄明のガルック平原に、無数の煌めきが東へ西へと飛んでいった。
創世暦1000年。アムテリアがこの地に命を齎してから千年経ったが、未だ平和には程遠いようである。
シノブは、シャルロットと共有している光の魔道具に顔を向けた。
今のところ、後方の都市グラージュは平穏なようで呼び出し機能が使われることはない。そこでシノブは愛する人との繋がりが感じられる魔道具に手をやって逸る気持ちを抑え、目の前の光景を見つめなおした。
◆ ◆ ◆ ◆
「矢戦は順調なようだねぇ。どういうわけだか、帝国側の戦意は高くないようだ。シノブ君を恐れているのかな」
王国側に裏切りが発生するなら、それまで帝国側は本気で戦わないのだろう。それに、騎士隊が突撃して陣地が手薄になったほうが、裏切るにしても成功する確率が高い。
そんな想定をしているアシャール公爵は、意味ありげに呟きながら視線を微かに動かした。おそらく、重要な局面を迎えたことを、姿を消して控えているアミィを通してシノブ達に連絡させるつもりなのだろう。
「……まあ、折角の好機だ。騎士隊の突撃で挑発しようかね。
カルドラン、右翼と左翼にも伝令を出したまえ」
アシャール公爵は、側に控える王領軍の参謀に視線を向けた。
「はっ! 騎士隊に伝令!」
公爵の命令を受けて、カルドランと呼ばれた参謀は前方に控える騎士隊に向けて伝令達を走らせた。中央と、その左右に300名ずつに分かれて陣取る王領軍の騎士隊に向けて、伝令騎士は雪を蹴立てて駆けていく。
そして、右翼と左翼に対しては、攻城塔からの信号旗と伝令用のラッパの双方で伝達されていく。もちろん、伝令騎士も走らせるが、このほうが早い。
本隊の陣地後方に聳える攻城塔からの伝達に、左右の軍からも応答がある。三軍からは、多少の時間差はあるものの、見事な連携で騎士達が飛び出していく。
「帝国が乗ってくれば、午前中に決着がつくかもしれませんね」
順調に戦場に展開していく騎士達を眺めていた王領軍の参謀は、上機嫌な様子でアシャール公爵へと話しかけた。彼らには、公爵やベルレアン伯爵達の密談の結果は伝えられていない。本隊の将官達の多くがそれを知っている場合、フライユ伯爵家側に漏れかねないからだ。
「そうなればいいがねぇ……」
そんな参謀にアシャール公爵が返答したそのとき、本隊後方から怒声と悲鳴が沸き起こった。
「アシャール公爵は帝国軍に寝返るつもりだ! 公爵の身柄を押さえろ!」
殺気立つ本陣に、家臣達を連れたフライユ伯爵の継嗣グラシアン・ド・シェロンが、足早に入ってきた。歩兵隊を率いるグラシアンだが、馬上で指揮するという事もあってか騎士鎧に身を固めている。彼の家臣達も同様だ。そのため、彼らの歩みと共に騒々しい音が響き渡る。
「グラシアン。歩兵隊の指揮はいいのかね?」
アシャール公爵も、悠然とした態度を崩さず立ち上がりグラシアンと対峙する。
グラシアンと彼の家臣は、本隊のフライユ伯爵領軍歩兵隊を指揮しているはずである。そんな彼らの出現に公爵はついに来るべきものが来た、と思ったらしい。彼は笑みさえ浮かべてグラシアンを出迎えた。
「裏切りを企んだ貴方に代わって、本隊の指揮を執りにきた。まあ、そういうことだ」
グラシアンは、裏切った公爵を押さえるという名目で反逆に踏み切ったようである。
彼は抜き放った大剣を片手で持ちながら、歩調を変えずに公爵へと接近してくる。大人でもそう簡単には持ち上げられない巨剣。それを全く重量などないかのように無造作に持つグラシアンは、やはり並々ならぬ使い手なのだろう。
「それはご苦労なことだね。しかし君に代わってもらう必要はない。王国の未来は我々に任せたまえ」
対するアシャール公爵も、帯剣していた小剣を抜き放った。隙なく構えるその姿は、彼も一流の剣士であると思わせる。
「我らフライユを盾に栄える王国の未来など、知ったことか!」
「グラシアン殿、反逆罪で捕縛する!」
グラシアンの皮肉げな叫びで参謀も我に返ったらしく、周囲の騎士達へと命を発する。しかし王領軍の騎士達はフライユ伯爵家の家臣達に迎撃され、グラシアンに接近することすら出来ない。
「カルドラン! 無駄だ、逃げるよ!」
何しろ本陣には100名の兵しかいない。それに対して本隊のフライユ伯爵領軍は4500名である。もちろん、その一部は前線で戦っている。とはいえ、グラシアンが率いている兵士だけでも、本陣の兵の数倍はいるようだ。
「逃がすか!」
一声吼えたグラシアンは、一瞬のうちに公爵へと接近し大剣を振り下ろそうとした。しかし彼の剣は、空中で止められていた。
「アシャール! 何をした!」
驚愕した表情のグラシアンだが、何かを察したようで、そのまま大きく後ろに飛び退いた。いつの間にか彼の胸甲は大きく裂けている。
何らかの攻撃を受けたのは間違いない。だが、それを察して飛び退いた技量は見事といえる。接近したときもそうだが、彼は強力な身体強化が使えるようだ。もしかすると、アドリアンと同様に魔道具で強化しているのかもしれない。
「そう言われて素直に答えるものかね。私に不用意に接近したら命取りだよ!」
姿を消したアミィに守られたと察したらしく笑みを浮かべたアシャール公爵は、当然のことながら折角の切り札を馬鹿正直に教えるようなことはなかった。
彼は牽制するような台詞を吐くと、そのまま陣地の外に駆け出した。
「君達も早く逃げたまえ! 左翼に行くんだ!」
アシャール公爵は、こちらも身体強化を使ったのか一瞬のうちに陣外へと抜け出し、自身の愛馬に飛び乗った。そして彼は、そのまま馬を飛ばして左翼に向けて去っていく。
そんな公爵が作った混乱に乗じる形で、本陣を固めていた騎士達も半数以上は脱出の機会を得たようだ。彼らは各自の軍馬に乗ってアシャール公爵を守りつつ追いかけていった。
「……まあいい。本隊はこれで制圧した。今頃、右翼も崩壊しているだろう。
お前達、裏切り者のアシャールが左翼に逃げたぞ! 奴の首を取ってきた者には褒美を取らす!」
騎乗して左翼に去っていく公爵とその部下達を見たグラシアンは、周囲に控える家臣達に追っ手をかけるように命じた。
そんな彼の言葉に、勢いづいた家臣達が我先に馬へと飛び乗っていく。
「……ベルレアンも裏切り者だ! 体勢を整えたら左翼を攻撃する!」
「……はっ」
続いてグラシアンは残った家臣に指示を出す。だが、追っ手に加わらなかった家臣には、彼の行動に疑問を持つ者もいるらしい。
彼らは、どこか納得しきれない様子だ。しかし、次代の主君の言葉には逆らえないのだろうか、戸惑いながらも軍を纏めるべく動き出した。もしかすると家族を人質にされているのか、表情の冴えない者もそこここに見られる。
「父上……我らの怒り、王国に思い知らせましょうぞ」
そんな家臣の中に立ち尽くすグラシアンの言葉は、周囲のざわめきの中に消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「義父上、アミィから連絡がありました! グラシアンが裏切り、義伯父上はこちらに向かっています!」
左翼では、アミィからの思念を受けたシノブが、ベルレアン伯爵に早口にその内容を伝えていた。
「騎士隊に連絡を! 反転して帰還!
歩兵隊は本隊からの攻撃に備えつつ、総本陣に向かって前進! アシャール公爵をお救いする!」
伯爵も矢継ぎ早に命令を出す。彼の言葉を聞いた参謀デロールは控えていた伝令騎士達を走らせる。そして『アマノ式伝達法』を習得した伝令専門の兵にラッパを吹かせた。
高らかに吹き鳴らされるラッパの音は、『アマノ式伝達法』による長短の音で表された信号である。左翼本陣で発したラッパの音に続き、前線近くでも同じ一節が吹き鳴らされた。こうやって、前線の騎士達に伝達をするのだ。
そして、それを聞いた突撃中の騎士達は、左方向に大きく転進していく。
左翼の騎士隊はベルレアン伯爵領軍と男爵領群の騎士達で構成されている。
領都守護隊の本部隊長オーブリー・アジェや大隊長ジュスタン・ジオノに率いられた騎士達は、手に持った槍を敵陣に投じながら左に転じていく。投槍は先代ベルレアン伯爵アンリの得意技だから、配下の騎士達も競って習得しているのだ。
身体強化を得意とする騎士達が投擲した槍は数百mも離れた敵陣に達すると、兵士や大型弩砲などに突き立っていく。
ベルレアン伯爵領軍の領都守護隊騎士団に続く男爵領群の騎士達も、同様に槍を投じる。
アリエルの父エミール・ド・スーリエや、ミレーユの兄エルヴェ・ド・ベルニエはベルレアン伯爵の側仕えをしており、やはり先代ベルレアン伯爵の薫陶を受けている。要するに、エミールやエルヴェはベルレアン流槍術の高弟なのだ。
攻撃魔術は使えないが身体強化のできる武人達。彼らからすれば、投槍の術は遠距離攻撃として重宝するものらしい。エミールやエルヴェほどではないが、彼らに率いられた男爵達も見事な投槍術を披露している。
王国軍の騎士達はそれぞれ数本ずつ槍を持っており、数度の投擲をしながら大きく戦場の外へと迂回していった。そして降り注ぐ槍の猛威に怯んだ帝国兵は、悠々と戦場外縁に離脱するベルレアン伯爵領の騎士や、続く男爵領群の騎士達を黙って見送るしかなかった。
「歩兵隊は、帝国軍からの攻撃に留意しつつ総本陣に向かって進軍! フライユ伯爵嫡男グラシアンが裏切った!
弓兵、大型弩砲隊は、そのまま前線を維持しろ!」
とりあえず、帝国兵は騎士達によって崩した。そちらの時間は稼げたと見た領都守護隊司令マレシャルは、歩兵を本隊に向かって押し出し、アシャール公爵を救出するように指示する。
ベルレアン伯爵領軍では『アマノ式伝達法』による伝達が徹底されているから、歩兵隊の動きも素早かった。それに、この事態を想定して中央側を厚く配置したのも、功を奏した。
歩兵を率いる巡回守護隊の指揮官アロイス・セルファティが、あっという間に陣形を変え、三隊の巡回守護隊のうちガスチアン・ゴロンとゴベール・カンドリエの二隊と、エランジェ・カスタニエ達の傭兵隊を本隊側へと押し出した。
「裏切り者め! 我が大剣の錆となれ!」
熊の獣人ゴロンは人の背丈に匹敵する大剣を抜くと、自ら先陣を切ってフライユ伯爵領軍の歩兵達へとぶつかって行く。大隊長自らが奮戦するゴロン隊は一瞬にして敵部隊を押し止めた。さらに狼の獣人カンドリエの一隊が、ゴロンの崩した歩兵隊を効率よく削っていく。
「横っ腹をぶち破れ!」
カスタニエ達の傭兵隊は巡回守護隊に正面を任せ、フライユ伯爵領軍の側面、ガルック砦に最も近い側に回り込んでいた。戦慣れした彼らは、味方を上手く利用して横撃したようだ。カスタニエ、ゲール、デュフォーの三人に率いられた100人の傭兵隊は、巡回守護隊への応戦で手一杯な敵部隊を打ち破っていく。
「後れを取るな! 公爵閣下をお助けする!」
そしてベルレアン伯爵領軍の歩兵に僅かに遅れて、軍務卿エチエンヌ侯爵の嫡男シーラス・ド・ダラスが率いる王領軍の歩兵隊も続いていく。
左翼と本隊の歩兵同士の激突。王国兵同士の戦いは、左翼である王領軍とベルレアン伯爵領軍が、本隊のフライユ伯爵領軍を圧倒していた。
裏切り者に対する怒りをぶつける左翼歩兵に対し、本隊の歩兵は、どこか戸惑いながら戦っているようである。フライユ伯爵領軍といっても、全員が家臣というわけではない。末端の一般兵達は何故同じ王国兵と戦うのかわからないまま、上官の指示に従っているようだ。
「くそっ! やってられるか、降伏する!」
「俺もだ! 武器は捨てた、切らないでくれ!」
そんな事情からか、平民である兵卒や下士官を中心に、少数だが降伏する者や逃亡する者も出ていた。また、降伏しないまでも戦意の低い兵も多いようである。
「我が隊は降伏する! フライユ伯爵領軍、中隊長ガリエだ! お前達、武器を捨てろ!」
そして、ごく僅かだが隊ごと離反する者もいた。彼らは戦闘を放棄して自軍から離れ動きを止めている。
そんな一幕もあったため、戦況は左翼に有利であった。翻って本隊側の歩兵は混乱を極めている。だが、そのせいかアシャール公爵達は中々左翼まで到達できないようだ。
「義父上! 私も義伯父上を助けに行きます!」
シノブもアシャール公爵を助けるべく、総本陣に向かおうとした。アミィが守っているとはいえ何があるかわからないし、奮闘する彼女を出迎えてもやりたい。シノブは、そう思ったのだ。
「帝国から騎士隊! 凄い勢いで迫ってきます!」
側に控えるイヴァールやアルノー達にシノブが声をかけようとしたそのとき、攻城塔の上から敵騎兵の接近が告げられた。
シノブが前線へと視線を向けると、そこには一塊の騎士団が怒涛の勢いで接近してくるのが目に入った。左翼の騎士達は、左に迂回したため戦場の端にいる。その隙を突いて突進してきたようである。
帝国の騎士団に対して王国軍は矢を射掛けるが、強固な鎧を着けた人馬は気にする様子もなく突き進んでくる。それどころか大型弩砲が放つ巨矢ですら、超人的な膂力で払いのけて進んでくる。
「シノブ。義兄上は、アミィに任せよう。あれを止めないことには左翼が崩壊する」
ベルレアン伯爵の言うとおり、このまま彼らの突進を許したら左翼を突破されかねない。戦場全体を見渡すと、本隊や右翼にも同様の騎兵が雪原に雪煙を上げながら襲い掛かっている。
「わかりました。それでは、私が出ます。イヴァール! アルノー! ジェレミー! 行くぞ!」
シノブは、常人の技とは思えない帝国騎士の動きと伝わってくる魔力の波動から、アドリアンと同様の強化の魔道具が使われていると察していた。
彼は、配下であるイヴァールやアルノー、ラシュレー中隊長に声をかけ、愛馬リュミエールに跨って戦場へと走り出していった。
「タネリ、後は頼んだぞ! イルッカ達は、ついて来い!」
そして、そんな彼を守るように、イヴァール達もそれぞれの馬に乗り追いかけていく。イヴァールはドワーフ馬を持つイルッカ、マルッカ、カレヴァには自身の後を追わせるつもりらしい。
──アミィ。すまない、そちらには行けない──
──わかりました! もうすぐ公爵と一緒に左翼に到達できそうです! こちらはお任せください!──
シノブは、アミィからの思念を聞いて安心した。どうやらアミィは卒なく自身の役目をこなしたようだ。
今度は自分の番だ。そう思った彼は、後顧の憂いなく帝国の騎士団へと愛馬リュミエールを加速させていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年1月3日17時の更新となります。
本作の設定資料に今回の戦いにおける王国軍の布陣などの説明を追加しました。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。