08.05 剣なき戦い
都市グラージュの中央にある代官の公館は、フライユ伯爵領でも有数の都市に相応しい威容である。
当然のことだが、グラージュは領内の中心である領都シェロノワに比べて小規模だ。したがって公館も、フライユ伯爵の館よりは一回り小さい。
しかしグラージュはベーリンゲン帝国との戦で総司令部として使われることが多かったため、代官の公館も小振りな外見に似合わず壁は厚い。それに窓も小さく、敷地の境は城壁のような高い壁で守られ、敷地内には空堀や塹壕まで存在し、一直線に館に近づくことはできないという徹底振りだ。
代官の公館だけではない。都市グラージュの中央区の建物には、城塞都市とでもいうべき実用的な建築物が多かった。
ベルレアン伯爵領の領都や都市だと、これらの建物には平和の守りとして華麗な装飾が目立つ。しかし、ここでは防衛施設としての面が強調されていた。
そして外見に相応しいというべきか。王国軍の総司令部が置かれた代官の公館は、王領軍を中心に厳重な警護をしていた。
前線に赴いたアシャール公爵の配下は、金獅子騎士隊の隊長マティアス・ド・フォルジェや軍務卿エチエンヌ侯爵の嫡男シーラス・ド・ダラスなど、王領軍を指揮する将官の中でも統率力があり戦闘経験も多い者が中心である。
それに対し後方に置かれた総司令部には、白百合騎士隊のサディーユやシヴリーヌなどの女性騎士や、王都メリエや前線のガルック砦と連絡を取るための伝令騎士、補給を担う各伯爵領から集めた輜重隊の指揮官などが多い。
実戦力という意味では前衛には劣る。だが、都市自体はフライユ伯爵領軍が警備しているため、あまり多くを割く必要は無い。少なくとも、建前の上ではそうである。
それにフライユ伯爵への警戒をあまり表に出すと、彼の家臣達から反発を招くだろう。それらを考慮したアシャール公爵は、王太子テオドールを守る切り札としてシャルロットに期待しているようである。
竜との戦いに赴いたシャルロット達の勇名。それが最悪の事態への抑止力となる。それに彼女達の実力も大きく伸びている。姪であるシャルロットを戦地に連れて行きたくないという配慮もあるのだろうが、適材適所というべき判断に異論を挟む者はいなかった。
そのためシャルロット、そしてアリエルとミレーユは白百合騎士隊と共に王太子テオドールの身辺警護をしつつ、前線や王都から来る情報に注意を払っていた。
「殿下! ガルック砦前の平原に、我が軍が無事展開しました!」
公館の右翼二階にある大広間。そこは、臨時の司令室と化していた。
外装の無骨な印象とは異なり、大広間は王族を招くに相応しく美麗に整えられている。しかし今は優美な雰囲気には似合わない全身鎧に身を固めた騎士や、金モールの肩章や飾緒のついた軍服を身に纏い帯剣した士官達の活動の場となっていた。
中世欧州の騎士のような全身甲冑と、近世の陸軍士官や海軍士官のような細身で機能的な軍服が混在している光景は、この世界ならではのものであった。
身体強化による超人的な能力で戦場を駆ける騎士達は、己の力を存分に発揮することに特化していった。それ故、身を守る装備も重量などは無視した頑丈な鎧となったようだ。
それに対し戦略戦術を決定する士官達は、身体能力では騎士達に劣る。そのため軍服も、地球と同様に合理的な進化を遂げたようである。
「報告ご苦労。それで、損害は?」
深夜の総司令部は、軽装鎧を身に着けた伝令騎士の報告に喜びの声を上げた。だが、王太子テオドールは落ち着いた様子で、報告の続きを求める。
「はっ、損害は軽微です。ブロイーヌ子爵率いるドワーフ義勇兵の奇襲で帝国の攻城兵器は壊滅し、その後も我が軍有利に推移しました。概算ですが死者は100名を切るものと思われます。そして……」
ブロイーヌ子爵とはシノブのことである。
シノブ達の奇襲から始まった戦は、王国軍が砦前に無事展開して陣地を構築したことで、一旦収束した。戦の開始が遅い時間だったこともあり、そこで一区切りとなったのだ。
水魔術で平原を凍りつかせるため、作戦は日没直前に開始された。そして深夜を迎え寒さが増す前に、まずは陣地構築をと急いだ。そこまで達成した王国軍は、次戦の準備のため一時の休息を取っているのだ。
一方の帝国軍だが、こちらは前衛の攻城兵器を全て破壊され体勢を立て直す最中である。それに死者や負傷者も多いから、今晩動くことはないだろう。
そこまで見届けて都市グラージュへと発った伝令騎士の報告に、総司令部に詰めている将官達はますます沸き立った。
味方の死者は出撃した軍勢7000人の2%にもならない少数である。それに対し数十の投石機とそれの十倍にも及ぶ大型弩砲を展開していた帝国側は、前線のほぼ全てが壊滅していた。
概算だが、それらを操作する兵達、およそ1000人が死亡したか回復不可能な重傷を負ったとみられる。これほど一方的な勝利は、王国の長い戦史でも稀有なことであった。
「シノブ様、大活躍ですね~」
意外そうな口調で、ミレーユが呟く。もっとも声は小さいしシャルロットの背後だから、王太子や報告する兵士には届かないだろう。
ミレーユが驚いたのは、シノブが派手な手段に出たからである。
シノブは隔絶した能力の誇示を好まず、ベルレアン伯爵も出来るだけ隠そうとしていた。そのためシノブが初戦から力を見せつけたのは、随分と予想外だったようだ。
「アシャール公爵の采配でしょう。初戦を制し勢いをつけたい。それに、これだけの能力を示せば少しは動きが鈍るでしょう。正面の敵は当然として、その影にいる者も……」
囁き返したシメオンだが、途中で口を濁した。
シメオンが見つめる先には、フライユ伯爵の姿がある。やはり彼は、フライユ伯爵を疑っているようだ。
「そうですね。それにセランネ村の戦士の協力で、シノブ様一人の活躍には見えないようになっています。閣下や公爵のご配慮かもしれませんが……」
確かにシノブだけ、あるいはシノブとアミィだけで戦局を覆すことも可能である。しかしアリエルが言うように、彼らの力を可能な限り使わずに得た勝利なのだろう。それはアシャール公爵の思惑であったかもしれないし、ベルレアン伯爵のシノブへの気遣いであったかもしれない。
いずれにしても最上の結果となった初戦に、彼らも顔を綻ばせていた。
「殿下。予定通り後発隊も進軍しています。彼らも、明日の夜にはガルック砦へと到着するでしょう。決戦は明後日となります」
シャルロットは後続隊の進軍状況を交えながら、来るべき決戦の日を王太子に伝えた。
現在、12月19日の深夜。後続隊が到着した時点で砦前を確保できていれば、そのままガルック平原の奪取に乗り出す予定である。したがって決戦は12月21日か、遅くとも22日のはずであった。
事前の作戦検討では、初戦を有利に終えていた場合は、なるべく短期間で決戦に持ち込むつもりであった。冬が厳しくなる1月まで長引いた場合、寒冷地に強い帝国軍が有利となる。
五分五分であれば、積雪量が最も多く身動きが取れなくなる2月まで持ち込み時間切れを狙う手もある。だが、この戦果であれば、短期決戦へと舵を切るはずだ。そう思ったのだろう、王太子テオドールを囲む王領軍の将官達も、力強く頷いている。
「そうだね。では、今日は初戦の勝利を祝おう。我が義従兄弟の活躍をね」
王太子テオドールは、シャルロットに明るく微笑みかけた。
テオドールの父である国王アルフォンス七世は、シャルロットの母カトリーヌの異母兄だ。そのためシノブがシャルロットと結婚すれば、テオドールの義従兄弟となるのは確かである。
だが、わざわざそれを持ち出したのは、シャルロットやシノブとの親密さを強調したかったのではないか。王太子の視線は、一瞬だが側に控えるフライユ伯爵へと向けられていた。
「それでは殿下。祝宴の準備を指示しておきます。もっとも、我が配下の仕事は半分だけですが」
あいかわらず、彼らの食事はフライユ伯爵家の料理人と王都から連れて来た者達が共同で準備している。そう、王太子や将官達の口に入るものには、いまだ厳重な警戒体制が敷かれていたのだ。
勝利を祝うと言いながら水を差すかのようなフライユ伯爵の発言に、僅かに顔を顰める者もいる。しかし多くの者は慎重に表情を取り繕い、何も気がつかなかったように装っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
祝宴といっても陣中のことである。夕食も既に済ませているため、簡易なものとなる予定であった。とはいえ王太子を主賓として迎える宴だから、準備には多少の時間がかかる。
そこでシャルロットやシメオン達は、一旦用意された居室に下がっていた。
「しかし、あの陰険な性格、何なんでしょうね! 殿下やアシャール公爵閣下は、よく同じ馬車で我慢されたと思いますよ!」
ミレーユは憤然とした様子で、フライユ伯爵の態度を非難していた。よほど腹に据えかねたらしく、彼女の声には強い苛立ちが滲んでいる。
「伯爵ともなれば単純な性格では務まらないのでしょう……しかし、あの場で言うことではありませんね」
アリエルもミレーユに同意した。こちらは普段と同じく冷静なままだが、やはり好ましく思っていないようで眉を顰めている。
「アリエル! 単純な性格って、私のこと!?」
「ミレーユ殿。そういう発言は、自覚があると言っているようなものですよ。
……ところでシャルロット様。フライユ伯爵はなかなか本性を見せません。おそらくアシャール公爵の指示だと思いますが、殿下も度々挑発をしています。さりげないものですが」
憤慨するミレーユに、シメオンは窘めるような言葉をかけた。そして彼は自身を睨むミレーユを無視して、シャルロットに淡々と語りかける。
アシャール公爵は、竜と戦ったシャルロットという重石を据える一方で王太子に挑発をさせている。シメオンは、そう考えているらしい。
「フライユ伯爵に後ろ暗いところがない、ということはあり得ませんか?」
一縷の望みをかけるような憂いの篭もった口調で、シャルロットはシメオンへと尋ねた。
「確かに、高潔な人物故に申し開きをしない、ということはあるかもしれません。とはいえ大勢の家臣や領民を抱えた身です。意地を張っても領政に差し支えるとは理解しているでしょう。
それに数年前に訪問したときより、家臣の態度が冷めているように思います。あくまで、私の感覚的なものでしかありませんが」
シメオンは僅かに首を振った後、シャルロットの言葉を否定する。
彼は、以前フライユ伯爵領の魔道具製造業を視察しようと、シェロノワを訪れたことがある。結局、製造業自体は機密として見学できなかったが、そのとき交渉した相手のことでも思い出したのだろう。
「私は20年前の戦しか知りませんが、そのときはもっと王家への敬意を感じたように思います。伯爵自身もそうですが、家中の方にも、どこか隔意があるようです」
過去にフライユ伯爵領を訪れたことがあるジェルヴェも、シメオンに続いてシャルロットへと自身の感じたことを伝える。
「では、どうすれば?」
シャルロットは、年長の二人の言葉を待つ。
「おそらく次の戦いで何かが起きる……そう思います。もし次の戦いも王国軍が勝利すれば、今回の戦の勝ちは決定的なものになるでしょう。逆に言えば、そこで何かを仕掛けるのでは?」
シメオンは、暫し思案した後、自身の考えを述べる。もっとも論理的な思考というより、直感めいたものなのかもしれない。理屈によらない自説の披露を後悔したのか、彼は微苦笑を浮かべている。
「あの、シャルロット様、そろそろ準備をされたほうが……」
侍女である狼の獣人アンナが、シャルロットに遠慮がちに声をかけた。その背後には、同じく侍女のリゼットに、ソニアも控えている。
戦の最中ではあるが、シャルロットはドレスを着る予定であった。フライユ伯爵家の女性達もドレスであるため、それに合わせての選択である。
護衛であるアリエルやミレーユは、そのまま騎士鎧を着用して出席する。もちろん白百合騎士隊の面々も同様である。だが、シャルロットまで鎧姿ということはないようだ。
「わかりました。では、急ぎましょう」
己の慕うシノブがいないせいか、ドレスと聞いてもシャルロットには単なる義務としか感じなかったようだ。彼女は感情の滲まぬ声で応じると、自身に割り当てられた寝室へと歩みだす。そして足早に進む彼女を、三人の侍女達が慌てて追いかけていった。
シャルロットは会食に呼ばれただけだ。しかしフライユ伯爵への疑念のためか、彼女の横顔は戦いに向かうときのように厳しく引き締められていた。
◆ ◆ ◆ ◆
祝宴の席に出席したフライユ伯爵家の女性達には、嫡子グラシアンの妻オルタンスも含まれていた。
領都シェロノワで会ったフライユ伯爵の妻アンジェリクや、故人である先代フライユ伯爵の妻アルメルもいるが、彼女達は50歳前後である。
それに対して、オルタンスは22歳。夫人というよりは令嬢といったほうが良さそうな年齢であり、フライユ伯爵家側では、唯一の彩りとなっていた。
祝宴には護衛の女騎士も多いが、彼女達は当然ながら騎士鎧を着用している。そのためか、シャルロットは自身と同じドレス姿のオルタンスへと視線を向けていた。
どこか物憂げな視線でオルタンスを見るシャルロット。今日の彼女は、王女セレスティーヌの成人式典で着ていたような、落ち着いた装いである。
深い青の、どちらかといえば地味なドレス。冬場という事もあるが、長い袖に首下もしっかり覆ったデザインは、修道女のように敢えて魅力を排したような印象さえ受ける。
もっとも美しく装ったところで、見せたいだろう相手もこの場にはいない。それ故彼女としてはある意味妥当な選択なのかもしれない。
そんな彼女を僅かに彩るものはといえば、シノブが贈ったネックレスとイヤリングだ。将官達の会話にも混ざらず佇むシャルロットが、ときおり表情を曇らせてそれらに触っているのは、微笑ましくもどこか切なさを感じさせる光景であった。
「シャルロット殿。そなたの婿君は素晴らしいな」
義母と話しているオルタンスを眺めていたシャルロットに、フライユ伯爵クレメンが話しかけてきた。
一方のシャルロットは、強く警戒したようだ。彼女は美しい眉を微かに顰めながら、近づいてくるフライユ伯爵へと向き直る。
「……ありがとうございます」
つい先刻まで噂をしていただけあって、シャルロットは返す言葉を迷ったようである。
シャルロットは戸惑いを隠すかのように、フライユ伯爵に頭を下げる。彼女の洗練された美しい動作とともに繊細なプラチナブロンドが揺れ、祝宴の場である大広間の照明に煌めいた。
「そのように構えなくともよかろう。そなたの婿君を褒めただけではないか。
それにしても『戦乙女』殿も、随分腕を上げたようだな。もはやアドリアンなど足元にも及ばぬ……いや、比較すら馬鹿らしいくらいだな。それも、素晴らしい婿君の教えだと聞いているが?」
フライユ伯爵は、シャルロットの身のこなしから技量を察したようである。彼はシャルロットの異名『ベルレアンの戦乙女』を持ち出して賞賛した。
「お褒めにあずかり光栄です。お言葉通りシノブの指導を受けました」
代々剣の達人であるフライユ伯爵家の当主に相応しく、彼も相当の腕の持ち主なのだろう。そう思ったのかシャルロットは指摘に動揺することもなく、言葉短く肯定する。
「多芸な婿君だな。魔術や武術だけではなく、既に領内の改革まで相応の成果を残しているそうではないか。よほど神々に愛されているのか……こんな恵みの少ない地で長年苦労してきた私からすれば、妬ましさすら感じるな」
フライユ伯爵は、シノブが『アマノ式伝達法』などを発案したことも知っているようだ。彼は皮肉げな笑いを浮かべながら、シャルロットを見つめていた。
「閣下も、領内改革を成し遂げたと伺っておりますが……」
「クレメンで良い。そなたは女伯爵となるのであろう?」
問うたシャルロットに、フライユ伯爵は名前で呼ぶように伝えた。そして彼は、シャルロットの返答を待たずに再び口を開く。
「……改革か。最初は自力で頑張ったがな。だが、すぐに資金が尽きた。私も若かったから、理想を追い求めすぎたのだろう。
そして理想に敗れた私は、魔道具製造業に乗り出した。資金を出した者達の意見を取り入れて、僅かでも救える者を救う。そのためには意に沿わぬことも我慢しよう。そう思って始めたのだがな……」
フライユ伯爵は18年前に爵位を継いだ。そして魔道具製造業が軌道に乗ったのは、ここ10年くらいのことである。それまでは様々な試みをし、一時は大きな借金すら背負ったようである。
そして先代ベルレアン伯爵アンリが口にしたように、魔道具製造業の陰でフライユ伯爵領の商人達がベーリンゲン帝国に獣人を売り、その代償として魔道具製造の技術を入手したという噂すらある。
祖父の言葉を思い起こしたのだろう、シャルロットは僅かに眉を顰めた。
意に沿わぬことが奴隷貿易なら、とても許せることではない。しかし続く言葉から真実への一端を得られるかもしれない。そう考えたのだろう、シャルロットは口を挟まぬままだ。
「私は……」
「お館様、あちらで殿下がお呼びです」
ワインを飲んで一息入れたフライユ伯爵は、何かを語ろうとした。しかし彼の背後に影のように女性が現れ、王太子が呼んでいると告げた。
女性は30前くらい、整った容貌だが表情が薄く冷ややかな印象を受ける。侍女などではなく、冷静な副官のような雰囲気だ。
「そうか……。では、失礼する」
女性の登場に、フライユ伯爵はそれ以上会話を続ける気を失ったようだ。彼は女性を従え、王太子がいる一角へと歩んでいく。
一方のシャルロットは、聞けずに終わった話を残念に感じたのだろう。彼女は去り行く相手の背を静かに見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
居室に戻ったシャルロットは、フライユ伯爵との会話をシメオン達に伝えていく。
シメオンを始め、あのやり取りには気付いていたようだ。しかし下手に寄れば相手が警戒して口を閉ざすと思い、遠くから窺うのみに留めたらしい。
「彼女はマチルデ・アライエという名で、アンジェリク殿の侍女という立場のようですね」
シメオンは含みのある返答をした。それに顔にも皮肉げな笑みを浮かべている。
「実際は違うのですね?」
アリエルは僅かに眉を顰めていた。どうやら彼女は、思い当たることがあったようだ。
「フライユ伯爵の妾、という噂があるそうです。そもそも、アンジェリク殿達の侍女には、来歴が不明な者が多いようですね」
シメオンは侍女達の経歴すら概要程度なら把握しているらしい。おそらく王都でフライユ伯爵家の別邸の使用人を調べたとき、先々に備えて探ったのだろう。
「妾など……なぜ、そのようなことを?」
シャルロットは、シメオンの言葉に疑問を抱いたようだ。
この国の貴族は一夫多妻である。妾にしなくても、第二夫人、第三夫人として娶ればよい。彼女は、そう思ったのだろう。
「流石に出身不明では、養女として引き受ける相手がいませんからね。伯爵夫人なら、侯爵家か伯爵家の娘に据える、というのが妥当でしょう。
ですが王都の監察官でも、彼女や他の侍女の経歴を洗えなかったのですよ」
やはりシメオンは、王都で情報収集をしていたのだ。
フライユ伯爵家の家臣に帝国の間者がいるとわかった後、シメオンや王都の監察官達は伯爵に近い者達の経歴を調査したという。しかし彼らの調査でも、マチルデ・アライエを含む一部の侍女の出自を掴めなかったという。
「やっぱり帝国の間者ですか!?」
「おそらく。そもそも全員が人族というのが怪しいのですよ。
……フライユ伯爵はシャルロット様に何かを伝えたかった。しかしマチルデは帝国が付けた監視役で、役目を果たし遮った。そんなところかもしれませんね」
ミレーユの言葉にシメオンは頷き、自身の想像を述べる。
例えばシノブの侍女達だが、アンナは狼の獣人でソニアは猫の獣人だ。ベルレアン伯爵家でも、ジェルヴェとその家族のように獣人族の使用人が一定数いる。だがフライユ伯爵家の使用人に、獣人族は少ない。特にフライユ伯爵の家族の世話をする者は、人族のみであるようだ。
不明な来歴と不自然に人族のみで固められていることから、シメオンは侍女達に間者が多く含まれていると推測しているようだ。
「そんな! 何とかフライユ伯爵の真意を知ることはできないでしょうか!? もし帝国の策略が掴めるなら、父上やシノブにお伝えしたい!」
シャルロットは表情を凛々しく引き締め、シメオンに訴えかける。
悲劇を少しでも減らしたい。そのために打てる手があれば。シャルロットは、そう続ける。
「アシャール公爵は、おそらく全てを把握していますよ。
王都の監察官が知っている情報を、公爵が知らないわけがない。公爵がフライユ伯爵に挑発的な態度を取っていたのも、この機会に王国に溜まった膿を出すつもりでしょうね」
シメオンは、どこか厳かにすら感じる表情となった。
アシャール公爵は、フライユ伯爵クレメンや息子グラシアンの暴発を待っているのだろう。もはや衝突は回避できない段階まで来たと、公爵は考えている。シメオンは明言こそしなかったが、粛清は避けて通れぬとシャルロットに示す。
「大丈夫です。シノブ殿がいます。私達は、殿下を守って待っていれば良いのです。フライユ伯爵の言う、神々に愛された素晴らしい婿殿が勝利をもたらしてくれますよ」
シメオンの言葉に、シャルロットは笑顔を取り戻した。
アムテリアの加護を授かったシノブなら、全てを解決してくれる。そう思ったのだろう、シャルロットは輝かんばかりの笑顔を見せていた。
「自分で言っておいて何ですが、シノブ殿のお力は素晴らしいものがありますね。シャルロット様にはシノブ殿という支えがあれば、他には何もいらないのでは?」
シャルロットの笑顔に安心したのか、シメオンは久しぶりに彼女をからかうような言葉を口にした。だが、そう思ったのは彼だけではないようだ。アリエルにミレーユ、それどころかジェルヴェやシノブの従者達まで温かな微笑みを浮かべていた。
シャルロットは頬を赤く染め、シメオン達から目を離した。そして彼女は遠い東の戦地に思いを馳せるかのように、漆黒の闇を湛える窓外へと視線を転じた。
親しい人々が作り出す温かな場に安らぎを感じながらも、それでも愛する人を案じずにいられない。そんな彼女の思いを砦にいるだろうシノブに届けるかのように、東の方向に一筋の星が流れていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年1月1日17時の更新となります。
なお、2015年1月1日0時に「女神に誘われ異世界へ 番外編」を投稿しました。
番外編はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。